■スターリンの暗殺者「第一章 米軍基地」03
【主な登場人物】
■スターリン ソ連最高指導者
■フルシチョフ ソ連政治局員
■モロトフ ソ連政治局員
■ヴォールク(狼) 謎の工作員/狙撃手
■ロバート・パウエル CIA上級分析官
■ポール・バネン CIAエージェント
■マイケル・ダーン CIAエージェント
■ルーシー・立花(かおり) ダンシング・キャッツの歌手
■チャーリー・立花 ダンシング・キャッツのリーダー
■ジェームス・鈴木 ダンシング・キャッツのトランぺッター
■花井光子 「平和荘」住人 飲み屋の女将
■柿沢恵子 「平和荘」住人 引揚者 通いの娼婦
■井上涼子 「平和荘」住人 SKDの踊子
■進藤栄太 「平和荘」住人 元新聞記者
■三浦良太 「平和荘」住人 戦災孤児の工員
■神崎辰之助 「平和荘」住人 元憲兵
■梶 幸兵 「平和荘」に引っ越してきた男
■藤崎一馬 ソ連情報収集を目的としたF機関のリーダー
■渡辺三郎 F機関の知恵袋 顎髭のジャズ・プレーヤー
■上島隆平 F機関の利け者 凍傷で指を失くし常に手袋をしている
■東金光一 F機関の事務方 メガネをしている
■神谷恂一郎 F機関で最も若くムードメーカーだったがシベリアで死亡
■山村善兵衛 元特高刑事
■新城玄太 警視庁公安部の新人刑事
■1952年12月30日 東京・霞ヶ関
新城が大きな音を立てて扉を開け、まっすぐ山村に向かってきた。相変わらず、うっとうしい男だと山村は思った。背が高く、脚が長い。戦後の青年特有の屈託のなさが表情に現れている。アプレだな、と山村はつぶやいた。
「山村さん、妙な話を聞いたんですが----」
「何だい?」と、山村は無愛想に言った。
先日から、新城と組んで米軍基地爆破事件について調べているが、左翼系の組織を探ってみても、彼らがかんでいるという情報はまったく上がってこなかった。それで、山村は公安の監視対象になっている在日朝鮮人組織を探ってみた。朝鮮半島で北朝鮮および中国の軍隊と戦っている国連軍の中心は米軍だ。米軍基地爆破は、北朝鮮が関係している公算が大きかった。
在日朝鮮人の立場は、日本の敗戦と共に逆転した。在日朝鮮人連盟という組織も戦後すぐに結成されたが、GHQは解散を命じた。しかし、その後も在日朝鮮人組織を作ろうという動きは続いている。その中心人物の周辺を調べる中で、協力者から山村は北朝鮮の工作員組織の動きが活発になっていることを耳にした。
「内調からの情報です」と、新城は山村の横にきて声を落とした。
「どんな?」
「米軍基地の爆破工作に使われたのは、ソ連製の手榴弾だそうです」
「RG42だろ。ゴムリングでレバーが起きるのを抑え、安全装置のピンを抜いておく。引っ張られたゴムリングが、徐々に延びて爆発する。簡単な時限装置だ」
「知ってたんですか」と、新城は落胆したように言った。
「公安調査庁の知り合いに会ってきた」
「七月に創設されたばかりでしょう、あそこ。昔の特高、中野学校出身者、特務機関員、憲兵なんかが採用されて復活してるらしいですね」
「内調と公安調査庁、各警察の公安部、どれも目的は似たようなもんだ。ただし、正面からいっても情報はくれないが----」
「山村さんには、昔の仲間がいるってわけですか」
「個人的に情報交換できる相手はいるさ」
「それで、公安調査庁の協力者は、それ以外にも何か?」
「在日朝鮮人組織の情報交換をするつもりだったんだが、十二月になって急に彼らの一部の動きが活発になったというんだ。それは、こちらの情報源からも入ってきていた。ということは、その情報に確実性があるということだ。そのことと米軍基地の爆破工作が関連しているのかどうか。それに関して、内調の情報は何かあったか」
「詳しいことは漏らしませんが、今回は北朝鮮の工作だと読んでいるようでしたね」
「北朝鮮が後方基地の攪乱でも狙ったか」
「毎週水曜日の爆破が三回続いています。四回めがあるとしたら、大晦日の夜ですね。前の三回は、警告、予告、みたいなものかも?」
「なぜ、そう思う?」
「大して実害が出てないじゃないですか。弾薬庫を爆破するとか、後方基地を狙う作戦なら、それくらいはやるんじゃないですか」
「そんなに簡単にできることじゃない。警備の薄いところを狙ったから、三回も続けられたんだ」
「だからですよ。どうも、本気じゃないみたいだ」
その新城の言葉がひっかかった。米軍基地が三回狙われたのなら、四度めも米軍基地が目標だと思うだろう。新城が言ったように、後方基地を狙うなら兵站が目標になる可能性が大きい。食糧、武器弾薬、その他の物資を破壊する、あるいは、消滅させる。朝鮮半島に運ぶのを妨害する。
しかし、米軍が標的だとしても、基地内である必要はない。兵士を狙うことも考えられるかもしれない。その場合、大勢の兵士を戦闘不能にしなければ意味がない。少数の兵士を殺傷しても、米軍の復讐心を煽るだけだ。激しい報復が行われるだろう。
あるいは、何らかの方法で兵士たちに厭戦気分を抱かせる。日本の基地から朝鮮半島に渡るのを拒否したくなるような----。考えれば考えるほど、山村には米軍基地爆破の目的がよくわからなくなった。なんらかの攪乱を狙っているのだろうか。本当の目的を隠し混乱させるために、手当たり次第に関東近辺の基地を爆破してまわっているのか。
「横田、厚木、立川、次はどこだと思う?」と、山村は独り言のように言った。
「横須賀ですよ、たぶん。あそこは米国海軍の拠点だ。東京、神奈川の地域では、次はあそこじゃないですかね」
「当たりかもしれんな。よし、明日、横須賀へいってみるか」
「管轄が違いますよ」
「そんなもの、気にしていられるか」
山村は、ようやく目標に向かって何かを絞り込めた気がした。
■1952年12月31日 神奈川県・横須賀
男は、焦っていた。北朝鮮工作員の報告では横須賀基地に隙はなかったし、実際に自分で調べてみても潜入するのは不可能だと判断した。基地内のクラブに出演する歌手やバンドマンに対するチェックも厳しくなっている。しかし、それは想定内のことだった。今、米軍の目は基地への破壊工作に向いている。
最初の時は、まったく人のいない場所から滑走路に手榴弾を転がした。簡単な仕掛けの時限装置だ。いつ爆発するかは読めなかった。幅五ミリのゴムバンドを両側から引っ張り、一ミリずつ切り込みを入れてテストしてみたが、二ミリの切り込みでは切れるまでに時間がかかりすぎたし、三ミリではすぐに切れてしまった。
ゴムバンドを引っ張る力はほぼ同じだったが、微妙な張力の違いで切れるまでの時間が違ってくる。結局、幅五ミリのゴムバンドに二ミリの切り込みを入れ、手榴弾のレバーと切れ込みの位置を合わせてきつく巻き、ピンを抜いて転がせば、数分から五分ほどでゴムバンドが切れ、手榴弾は爆発した。数分あれば、爆発地点から充分に離れられる。
しかし、一回めの時は予想以上に爆発まで時間がかかった。もう一度試すつもりでやった二度めは、ほぼ予想時間で爆発した。それは、米軍への予告のようなものだった。それに、爆発物などの破片から米軍がどれほどの分析をするか、知っておきたかったのだ。
彼らは、ソ連製の手榴弾だと断定した。ソ連製武器を使うとしたら、北朝鮮軍だと推察するだろう。中華人民共和国の人民解放軍は、昔、ドイツ軍が使ったような柄付きの棒のように見える手榴弾を使う。柄付き手榴弾は、米軍が使うパイナップル型と比べると、遠くへ飛ばせるメリットがある。
三度めは、基地内へ潜入しての仕掛けだった。バンドマンとして基地に入るのは、プロモーターに探りを入れた時に聞いた通りチェックもなく簡単だった。だが、基地内で爆発が起これば、帰りは厳しくチェックされる可能性があった。それで、手榴弾を仕掛けた後、フェンスを破って脱出した。
今回は、今までのように無人の場所を選ぶわけではない。三度の警告、テストは終わったのだ。そろそろ米兵には死んでもらわなければならない。米軍が、いや米国全体が激怒するほどのテロ事件にしなければならない。その結果、三度も予兆があったのに大規模テロを防げなかった責任は、在日米軍トップが取ることになるだろう。
しかし、男はニューイヤー・パーティーの会場を狙うつもりはなかった。そこには、米兵の多くの家族も出席している。女や子供が巻き添えになる。その方が衝撃的だが、今回はパーティ会場に入るのは困難だ。だが、米兵のたむろするところには、どこでも女たちがいる。そのことが男を苛立たせていた。無駄な犠牲者は必要ない。
★
ルーシー・立花こと立花かおりは、楽器を載せたトラックの幌付きの荷台から通り過ぎる横須賀の街を見ていた。大晦日の夕方である。人々はせわしなさそうに歩いていた。日本髪を結って、着物姿で歩いている若い女もいる。今夜、年が明ければ、そのまま初詣にいくのだろう。
「今夜の仕事が終われば、正月三日間は休めるからな。ゆっくり初詣にでもいこう」と、父が言った。
「うん」と、かおりはうなずく。
今日のトラックにはダンシング・キャッツのメンバーの他に、ウェスタン・バンドの五人が乗っているだけだった。テンガロンハットにウェスタン風の衣装を身に付けている。足下のカウボーイブーツの装飾が目立った。
「この間の爆発の時、あそこにいたんだって」と、ウェスタン・バンドのリーダーらしき男が父に向かって言った。
「ああ、いたよ」
「大きな爆発だったのかい」
「音と震動は、けっこう凄かった」
「噂だと、毎週水曜に爆発が起こってるらしいじゃないか」
「そうらしいね」
「今日は、水曜だぜ」
「だけど、米軍も警戒してるだろう。三回も続いたんだから」
「朝鮮戦争の後方基地への攻撃として、北朝鮮の工作員が爆弾を投げ込んでるって噂が流れてる」
「でも、米軍の被害は微々たるもんらしい」
「何を狙ってるんだか」とウェスタン・バンドのリーダーは言って、話を打ち切るようにタバコをくわえた。
その時、トラックは基地の入り口に到着し、検問所の横で止まった。運転手がトラックの後ろにまわってきて、幌を開ける。その後ろに、MPの腕章を付けた米兵ふたりが銃を持って立っていた。
「全員、降りてください」と、運転手が言う。
最初にウェスタン・バンドのメンバーが降り、ダンシング・キャッツのメンバーが続いた。米軍キャンプでの就労許可証がIDカード代わりになるので、それぞれがMPに提示する。一番最後に、父に抱き上げられるようにして降りたかおりは、十メートルほど向こうのフェンス際に立つひとりの男に気付いた。
「あ、あの人」と、思わず口を衝いて言葉が出た。
「何だい?」と、父が訊く。
「ううん、何でもない」
父にはそう答えたが、先週、同じトラックに乗って基地に入った男のように思えた。服装も似たようなハーフコートを着ていた記憶がある。しかし、その男は帰りのトラックには乗っていなかった。楽屋から出ていったのは、あの人だったかしら、とかおりはチラリと見た男の顔を思い出そうとした。
★
Fは、横須賀の米軍基地のフェンス沿いを歩いていた。巨大な広さを誇る基地だった。中には米兵たちの住居もあるし、劇場もあるし、ゴルフコースもあった。何でも揃っており、基地の中だけで生活できるようになっている。フェンスの向こうは、米国そのものだった。
水曜日。大晦日の午後六時。陽は落ち、照明灯がフェンス沿いの道を照らしている。これ以上、ウロウロしていたら米軍のMPに誰何されるだろう。Fは基地の近くにある通称・ドブ板通りに向かって歩き始めた。
Fが大晦日に横須賀にくることになったのは、ソ連の諜報組織の人間から連絡が入ったからだった。北朝鮮の工作員は、かなりの人数が日本国内に潜入しているが、ソ連側も全容は把握していない。同盟国ではあったが、得た情報については共有することはあっても、諜報組織そのものの情報は流さない。
朝鮮戦争ではソ連は武器を供与し、技術指導や作戦指導に将校は派遣していたが、戦闘のための兵士は送っていない。前線にソ連兵が立つことはなかった。一方、国連軍が北朝鮮軍を中国国境の鴨緑江近くまで追い詰めた時、毛沢東は決断し、人民解放軍は義勇軍として参戦した。彼らは長い内戦で鍛えられた精鋭であり、国連軍はたちまち三十八度線まで後退させられた。今では、金日成はスターリンより毛沢東を頼りにしている。
しかし、ソ連は金日成を北朝鮮の独裁者にしてくれたのだ。スターリンの指令は、何があっても優先しなければならない。そして、北朝鮮側からもたらされたスターリンへの報告は、フルシチョフにも入るようになっていた。その情報が、ソ連の諜報組織内の協力者を通じてFに届く。
米軍は三度の爆破に使われた手榴弾をソ連製と分析し、単純な時限装置の仕組みを解明した。また、三度めの立川基地では、バンドマンのひとりがいなくなっていたことが判明した。当夜のジャズ・バンドとビッグ・バンドのどちらのメンバーでもないことも、その後の調べでわかっている。爆破の規模から見ても、ひとりでできる犯行だった。
プロモーターを調べたところ、爆破の数日前、米軍キャンプでの仕事をしたいのだがと、フリーのミュージシャンと称する男がやってきたという。男は、バンドを運ぶトラックのことや基地の検問のことなどを訊いた。
プロモーターは、仕事ができたら連絡すると男には言ったが、爆破事件当日、プロモーターから急に呼ばれたと運転手に言って、ひとりの男がトラックに乗った。そのことがわかって、同乗したふたつのバンドに確認したところ、どちらも相手のメンバーだろうと思っていたらしい。
その男が日本人に見えたことから、米軍は日本人か朝鮮人だろうと推測し、ソ連製の手榴弾と日本人に見える犯人ということから北朝鮮工作員と結論付けた。後方攪乱を狙ったと見て、警戒を強めた。特に水曜日に当たる大晦日の夜は、兵士たちが浮かれ騒ぐことを予想し、基地内の警戒レベルを最高に引き上げている。
そんな警戒の厳しい基地に敢えて潜入を図るだろうか、とFは先ほどフェンスの外から見た基地を思い出していた。ソ連側からの情報では、今夜、横須賀基地で何かが起こる可能性があるとのことだった。スターリンが〈ヴォールク〉に与えた指令は、朝鮮戦争の新しい火種だ。「北朝鮮に報復を」と米国民が騒ぐほどのダメージを与える必要がある。
Fは、若い米兵たちであふれんばかりになっているドブ板通りを見ながら、そんなことを考えていた。
★
夜の九時を過ぎ、酒がまわった米兵たちの騒ぎ方が派手になった。ネオンの点滅が通りを賑やかに照らし出している。何人かで騒ぎながら歩いているのもいるし、バーのドアからあふれ出して、通りでグラスを呷っているグループもいる。英語が飛び交っていた。時に女たちの嬌声が混じる。
電柱の陰に立ち、男はそんな米兵たちの様子を眺めていた。大きな黒人兵が、自分の胸までしかない日本の若い女と何かを言い合っている。その向こうのバーは、ドアが開いて店内が見えている。米兵であふれていた。しかし、狭い店だ。十数人の客しかいないだろう。
この通りの店は、すべて調べてあった。そんなに広い店はない。小さな店が軒を連ねていた。狭い店内にぎっしりと人がいるのだから、爆発の効果は絶大だ。今夜は、МPは基地内の警戒のために狩り出されている。いつもなら酔った米兵のトラブルを防ぐために、この通りも定期的にパトロールしているのだが、今夜は酔った若い米兵ばかり目につく。あちこちで喧嘩沙汰も起きている。
先ほど、男は、この通りで最も広いバーを覗いた。店内は米兵でいっぱいだった。フロアで踊っているのが二十数人、カウンターやテーブルで飲んでいるのが十数人。ざっと五十人近くの白人の米兵たちだった。黒人兵は、別のバーに集まっている。日本人の若い女たちもいた。店の女なのか、米兵目当てに集まってきたのかはわからない。
彼らは、そんな中にひとりで入ってきた東洋人を一瞬、不審そうに見たが、特に注意は払わなかった。男は人混みをかきわけてカウンターに進んだ。三十半ばの日本人のバーテンがカウンターの中にいた。チラリと男を見て、口を開いた。
「日本人のくるところじゃないぜ」
バーテンは怒鳴るように言った。ダンス・ミュージックが大音量でかかっているので、大きな声を出さないと聞こえない。
「日本人には、酒を売らないのか」
「銭を払えば、誰にだって売るさ」
「じゃあ、ウォッカをダブルで」
「了解」
そう言うとバーテンは棚からスミノフのボトルを出し、カウンターに置いたグラスにウォッカを注いだ。男は透明なウォッカを明かりにかざしてから、一気に煽った。それから百円札を一枚カウンターに置き、「釣りはいらない」と言った。周囲を見渡す。照明はかなり暗い。男は視線をバーテンに戻し、「トイレはどこだい」と訊いた。バーテンが顔も向けずに顎で示す。
トイレの位置も、そのトイレの窓から裏の路地へ抜けられることも、店が無人の時に忍び込んで調べてある。必要なものは、その時に、水洗トイレのタンクの中に防水ケースに入れて隠してあった。水洗タンクは高い位置にあり、先に握りが付いた長いチェーンが横に垂れているタイプだ。高い位置にある水洗タンクは、誰も覗かない。
トイレに入り、内側からロックする。窓枠に足をかけ、タンクを覗き込む。防水ケースを取り出し、手榴弾五個、針金、ペンチ、タコ糸、粘着テープを並べる。手榴弾を窓枠の下側に並べて針金と粘着テープで固定する。そのひとつひとつのピンにタコ糸を結び付け、片方のタコ糸をまとめてドアノブに結んだ。その上を針金で巻いて固定する。
トイレのドアは外開きだ。全部のピンが抜けなくても、ひとつでも爆破すれば、他の手榴弾も誘爆をする。相当な威力になるはずだ。男はドアノブから伸ばした針金を片手に持ち、ドアのロックを外した。今、誰かにドアを開けられたら爆発してしまう。ドアが開かないように針金を引きながら、慎重に窓から路地に出る。片手に持っていた針金をトイレの中に落とし、窓を閉じ、男は急いで路地を抜けた。
それから三分経った。二十メートルほど離れた場所の電信柱の陰で、男はその時を待っていた。ビールやバーボンを飲んだ米兵は、トイレに入る。ドアを乱暴に引くかもしれない。あれだけの人間がいるのだ。すぐにでも、爆発は起こるはずだった。
その時、男はひとりの日本人が店に入っていくのに気付いた。何者だ、あの男。
★
Fは、米兵が大勢いる場所を当たってみることにした。大晦日の夜だ。酒と女がある場所を求めて、若い米兵たちは群がっているに違いない。八時過ぎ、Fは日本人客も入っている店のカウンターでバーボンの水割りを頼んだ。横須賀に興味を持ってやってきた観光客の振りをして、基地周辺のことをバーテンや常連客に質問した。
その店で三十分ほど過ごし、通りで一番広い白人の米兵御用達の店を教えられ、やってきたのだった。Fが混み合った店の中をかきわけてカウンターにたどり着くと、バーテンが目を丸くして怒鳴った。
「今夜は、珍しい。日本人は、あんたでふたりめだ」
「日本人は、お断りかい」
「金を払えば、みんな客さ」
Fはバーボンの水割りを頼んで、カウンターに金を置いた。
「ところで、そのひとりめの日本人は?」
「さっき、トイレに入ってったが、もう出たかな」
「どんな男だった?」
「痩せた、背の高い日本人さ」
「朝鮮人には見えなかったかい」
「日本語にヘンなところはなかったな」
「どれくらい前に出た?」
「十分ほど前にトイレに入って、出てったとしたら四、五分前じゃないか」
Fはグラスを置いて、出口に向かった。踊っている米兵と女たちの間を抜けるのに時間がかかった。ひとりの米兵がトイレに向かうのが見えた。
★
山村と新城は、夕方になってから横須賀基地の入口が見える場所で張り込みを続けていた。バンドマンたちを乗せた幌付きトラックが入ったのが注意を引いたくらいで、後は米軍の関係者ばかりが出入りしていた。バンドマンたちも全員トラックを下ろされ、IDカードの提示を求められていたから、警戒はずっと厳しくなっているようだ。
「山村さん、ここにいて意味ありますかね」と、二時間ほどして新城が言った。
「二時間ばかりで音をあげたか」
「何のために張り込んでるんですか」
「今夜、ここで何かありそうな気がする」
「警戒は相当に厳重そうだし、基地内に潜入するのは無理じゃないですか」
「確かに厳重だな」
時間は、いつの間にか九時近くになっている。新城の言うように、確かな情報があって張り込んでいるわけではない。いつ切り上げてもいいのだが、山村はずっと胸騒ぎを感じていた。刻々と新年が近づいてくるだけで、何かが起こる気がして仕方がなかった。だが、ここにいても気が休まるわけではない。
「わかった。今日は引き上げるか」
「腹、減りませんか」と、新城が言った。
「ああ、減ったな」
「ドブ板通りの端っこに、アメリカン風ハンバーガーショップがあるんです」
「何だ。ハンバーガーって」
「挽肉で作った厚切りハムみたいなのを、パンで挟んだものです」
「コッペパンに何か挟んだようなものか」
「ちょっと、違いますけどね」
「まあいい。付き合おう」
ドブ板通りに着いた時は、九時過ぎになっていた。通りは多くの米兵で賑やかだった。大騒ぎしている数人の黒人兵もいた。みな、大きな体をしている。山村は、生理的な嫌悪感を抱いて目を背けた。黒人兵が残していった混血児が、この近辺には多いと聞いたことがある。元皇族が、そんな混血児を収容する施設を大磯に作ったという。それも、戦争に負けたからだ、と山村は思う。
その時、爆発が起こった。二十メートルほど先の店から火柱が上がり、炎がドアから噴き出す。爆風で山村はのけぞった。かぶっていたハンチングが飛ばされる。新城がコートで身を覆うようにした。近くの電信柱に身を隠すようにしている男がいた。
爆発音で耳がやられ、キーンという音しか聞こえない。見ると、その店は炎を上げて燃えていた。入口から吹き飛ばされたのか、数人の男が横たわっている。山村が新城を促して近づくと、米兵が三人横たわったまま意識不明のようだった。あちこちから血を流している。
日本人がひとりいた。その男は意識があり、自ら上半身を起こしたが、呆然とした表情だった。額から血が流れている。周辺の店の窓ガラスも割れていたが、怪我人は出なかったらしく、人々がおそるおそる集まり始めていた。
山村は新城に手伝わせて、意識不明の米兵を少し離れた場所に移した。炎が近すぎたのだ。最後に、怪我をした日本人を立たせ、肩を貸して十メートルほど離れた場所に移動した。その店の外に置いていた、テーブルと椅子が爆風でひっくり返っていた。椅子を起こして男を座らせ、山村もひとつの椅子を取り腰を下ろした。新城は立ったままだった。
「あんた、あの店にいたのか?」
「ああ、出るところだった」
「けがは?」
「額を何かで切った。大したことはない」
「何があった?」
「爆発。それ以外はわからない」
「原因は?」
「わからない。だが、大勢の米兵がいた。女たちも」
「あれじゃあ、助からんだろう」
「ざっと五十人はいただろうな」
山村は警察手帳を出して見せる。男は、平然としていた。
「わしは刑事だ。管轄は違うが、あんたは目撃証言をする義務があるな」
「ああ」と、男は答えた。
「警察と消防がくるだろう。ここにいてくれ」
山村は立ち上がり、新城と一緒に現場に戻ることにした。その時、先ほど電信柱で爆風を避けていた男が、すぐ近くの野次馬の中にいることに気付いた。背が高くて目立つ男だった。何だか、爆発が起きる前から身を隠していたような気がする----と、山村は思った。