2020年9月24日 (木)

■日々の泡----親を棄てる


【楢山節考/深沢七郎】

今年になって千葉の自宅に帰ったのは、通算二ヶ月足らず。ずっと高松の実家の裏の家にいて、父母の面倒を見ている。父母は共に大正十四年生まれで、もうすぐそろって九十五歳になる。長寿の時代だが、夫婦がそろって九十五というのは珍しいかもしれない。

ただ、父は慢性心不全で今年から酸素吸入が手放せなくなり、外出もままならない。調子がよいとボンベを引いて散歩したりしていたが、先日、今年になって三度目の入院になった。父が入院すると、認知症が進み始めた母をひとりにしておけず、実家で母と暮らしている。

今年の春先、やはり父が入院したときに母とふたりで実家で暮らしたが、話が通じず、イライラすることばかりだった。つい、大声を挙げてしまう。母の方も、自分の家だという意識が強いから、ある日、「私はこの家の女主人だあ」と叫んだ。ストレスがたまっていたのだろう。今回は、僕の方もムキにならないようにしている。

しかし、先日、昼食に僕が作ったちらし寿司を「おいしい」とオカワリまでしたのに、昼寝して起きた母親は「昼ご飯食べていない。お腹が空いた」と、向かいの家に住んでいる兄夫婦の家に訴えたという。僕が裏の家に戻ったほんの三十分の間のことだ。義姉から電話がきて、あわてて迎えにいくと、「昼ご飯食べてない」と言い募る。情けなくなった。

介護の苦労はいろいろ耳にしていたが、実際に担うことになると、毎日「やれやれ」という状態になる。義姉が手伝ってくれるので少し助かるが、義姉も実家の母親が介護施設で暮らしており、そちらの世話もあって、あまり頼るわけにもいかない。それでも、顔の見えないところにいると、やはり心配になってしまう。

父は耳が遠くて筆談でないと話が通じないが、頭ははっきりしていて金銭の管理も自分でやっている。それで助かっていたのだけれど、入院してしまったから、毎日、汚れ物を引き取り、洗濯をして届けるという日々になった。コロナのせいで、面会も一日一回だけと制限されている。

そんな状況なので、ケアマネージャーと相談して、母をショートステイで介護施設にしばらくあずけることにした。近所の施設なので、父も「近くていいじゃないか」と言う。母も最初は「あ、そう」と納得した返答だったが、一度寝て起きてくると「私は絶対にいかない」と言い始めた。「二十四時間、僕がついてるわけにもいかないから」と言っても、説得される相手ではない。

昔、倉本聰さんが母親を施設に入れるために連れていった経験を元に単発ドラマを書いた。七〇年代の話である。当時は、親を施設にあずけることは親不孝として受け取られたから、子供の方にも後ろめたさがあった。倉本さんは、その経験をエッセイにも書いていたし、「やすらぎの郷」の中でも使っていた。

介護施設に親をあずけるのは、昔ほど子供の側に後ろめたさを感じさせなくなったのだろうが、昔の人間である母は「親を棄てるのか」といった反応を示す。僕の方にも少し罪悪感があるから、昔からの「姥捨て伝説」が浮かんでくる。「楢山節考」というタイトルが甦った。母は「えらい(苦しい)、死にたい、殺してくれ」と真顔で僕を見つめる。

僕が文学に目覚めた頃、深沢七郎の「楢山節考」はすでに高い評価を受けた小説だった。この作品で世に出た深沢七郎だったけれど、当時の書評を見ると新人の作品とは思えないほどの絶賛である。僕も読んでみようと思ったが、すでに「風流夢譚」事件が起こった後のことで、深沢七郎は筆を折って「ラブミー牧場」の主人として週刊誌の人生相談などに登場するような存在だった。

そんなわけで、僕は「楢山節考」より「風流夢譚」を読みたくなった。その後、大学生のときに地下出版の形で出た「風流夢譚」を読むことができたのだが、「何がおもしろいの?」という感じだった。革命が起こって皇居前で天皇が処刑される夢を見たというだけの短編である。肩すかしを食らった気分だった。

しかし、その短編は右翼から猛抗議を受けることになり、掲載した中央公論社の社長宅を右翼の少年が訪れ、応対した社長の妻とお手伝いさんを刺し、お手伝いさんが死んだ。死者を出したことで、深沢七郎は筆を折ったのだが、後にまた書き始め谷崎潤一郎賞などを受賞した。

しかし、深沢七郎というと、やはり「楢山節考」が代表作だ。木下惠介、今村昌平という日本を代表するふたりの監督によって、二度、映画化された。木下版「楢山節考」(1958年)は、小説が話題になってすぐに映画化されたものだ。主演のおりんは田中絹代。オールセットで、人工的なカラーだったのをよく憶えている。

今村版「楢山節考」(1983年)は、試写で見た記憶がある。非常に日本的な作品だと思っていたから、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したニュースに驚いたものである。おりん婆さんは坂本スミ子。「『エロ事師たち』より 人類学入門」(1966年)でも重要な役を演じており、今村監督のお気に入りなのかもしれない。

今村版「楢山節考」で忘れられないのは、雪が降ってきたので棄ててきた母が心配になって引き返す息子(緒形拳)より、「死にたくない」とすがりつく父親(辰巳柳太郎)を谷底に蹴り落とす隣家の息子(深水三章)だ。その後、「やっと厄介払いができた」という涼しい顔をしていた。年老いた親は厄介者、という本音を描いたのだろう。

「楢山節考」を思い出すと、あの深水さんのシーンが浮かんでくる。「親を棄てる」というより「親を殺す」である。実際に親の介護を経験すると、そんな気持ちもわかってしまう。それが悲しい。そんなとき、僕は「東京物語」の大坂志郎のセリフ「親孝行したいときには親はなし。さればとて、墓に布団は着せられずや」も一緒に思い出すようにしている。

2020年9月17日 (木)

■日々の泡----もうひとりのハードボイルド作家


【ビッグ・ヒート/W・P・マッギヴァーン】

ウィリアム・P・マッギヴァーンが好きだった。中学生の頃に初めて読んで、数年間、彼の小説を探して読んだ。当時、創元推理文庫と早川ポケットミステリで作品が出ており、最初に読んだ「明日に賭ける」という犯罪ミステリに十三歳の僕は感動してしまったのだ。

現在、アメリカでは黒人差別反対の運動が全国的に広がっていて、相変わらずアメリカの人種問題は解決されていないと実感するけれど、半世紀前に読んだ「明日に賭ける」では黒人と白人の和解が描かれていて、僕はひどく心を動かされたのだった。

前科者の白人が強盗計画に誘われる。メンバーが集まると中にひとり黒人がいて、黒人嫌いの主人公は何かと黒人を差別し、敵視する。彼が黒人嫌いである理由は、はっきりしない。アメリカの無教養なプアホワイトが抱く、何の根拠もない黒人への偏見を持っている。

強盗が実行されるが、ある原因で失敗し、主人公は黒人とふたりで逃げることになる。その逃避行の間に、ふたりの関係が変わっていく。そして、最後、主人公は黒人の仲間を救うために自らが捕まることを覚悟して、ある行動に出るのだ。白人と黒人の固い友情が成立する。

「明日に賭ける」は「拳銃の報酬」(1959年)として映画化されたが、ラストは原作とはまったく違っている。しかし、この映画化作品の前に登場した「手錠のままの脱獄」(1958年)は、おそらく小説「明日に賭ける」に影響を受けたのだ。その物語のスピリッツを完全に継承しているからである。

ということで、僕はマッギヴァーンの愛読者になり、定価の安かった創元推理文庫版から読み始めた。「最悪のとき」「ビッグ・ヒート」「悪徳警官」などである。私立探偵、警官(ときに悪徳警官)、新聞記者などを主人公にし、ハードボイルドな世界を展開していた。

もう十数年前のことになるけれど、日本冒険小説協会の熱海での全国大会のときに大沢在昌さんと話が盛り上がり、小説や映画やテレビドラマなどの思い出をしゃべりまくったことがある。そのときに僕が「マッギヴァーンは好きですか?」と訊くと、大沢さんは激しく反応した。

その後、大沢さんのエッセイでハードボイルド小説にはまるきっかけになったのが、マッギヴァーンの小説(「最悪のとき」だったかな)だったと知った。主人公が行動し、実際の暗黒街が描かれ、銃撃戦などがある小説を読み「本格ミステリとは違うリアルな世界」に目覚めたという。

マッギヴァーンの「ビッグ・ヒート」を原作に、ナチの手を逃れてアメリカに亡命しハリウッドで様々なフィルム・ノアールを手がけたフリッツ・ラングが監督した「復讐は俺に任せろ」(1953年)を見たのは、小説を読んでから四十年以上経った頃だった。

フリッツ・ラングの映画として見始めた僕は、「原作はマッギヴァーンの『ビッグ・ヒート』なんだ」と初めて知り、懐かしく、またうれしくなった。「ビッグ・ヒート」はマッギヴァーンの初期の代表作で、主人公は殺人課の警部である。

例によって町のボスがいて、警察も買収されて腐敗している。そんな状況の中で、ある殺人事件を解決しようと孤軍奮闘する主人公バニオン。家庭には愛する妻とかわいい娘がいる。敵の脅迫は家族にまでおよび、警察の上司は「手を引け」と警告する。

映画は、ひとりの警官が拳銃自殺し、それを発見した妻が遺書を読んで、町のボスに電話するシーンから始まる。現場を調べたバニオン(グレン・フォード)は自殺は間違いないが、遺書がないことに違和感を感じる。そんなとき、警官の愛人だった酒場女から電話があり、バニオンは女と会う。しかし、翌日、女は拷問の跡を残した体で殺されている。

一九五〇年代の映画である。「女を拷問して殺す」というのは、セリフだけだとしても観客はショックを受けたに違いない。その後、この作品では数々の衝撃的なシーンが登場する。もちろん、今見たら大したことはないのだが、当時の観客の反応を想像すると、興味深い。

ハリウッド映画史の中でも語られる衝撃的なシーンのひとつは、煮えたぎるコーヒーメーカーをつかんだサディストのギャング(リー・マーヴィン)が情婦(グロリア・グレアム)の顔に熱湯をかけるというものだ。情婦の叫び声だけで想像させるのだが、リー・マーヴィンの凶暴な顔がリアルさを感じさせる。

だから、グロリア・グレアムの登場シーンの八割くらい、顔の片側は包帯で覆われている。映画の後半のヒロイン役を担うグロリア・グレアムは、本当にかわいそうな役だ。バニオンを愛するようになり、彼に協力するのだけれど、バニオンは爆死した妻の素晴らしさばかりを彼女に語る。

そう、バニオンの妻が爆死するシーンも当時の観客は悲鳴を挙げたのではないだろうか。バニオンが乗るはずだった乗用車を妻が用事で出かけるので鍵を借りるところから、現在の観客なら車が爆発すると予想するだろうけど、当時の観客にとっては主人公の愛妻が爆死するなどとは思わなかっただろう。

ちなみに、僕はグロリア・グレアムのファンで、「復讐は俺に任せろ」を見たかった理由のひとつが彼女だった。同じフリッツ・ラング監督でグレン・フォードとグロリア・グレアムが出た「仕組まれた罠」(1954年)も同じ頃にDVDを買った。こちらの原作はエミール・ゾラである。

また、グロリア・グレアムがハンフリー・ボガートと共演しているのは、「孤独な場所で」(1950年)である。こちらも、僕はよく見る。グロリア・グレアムは悪女や情婦などの役が多かった人で、アカデミー助演女優賞も「悪人と美女」(1952年)で取っている。

最近、晩年のグロリア・グレアムをアネット・ベニングが演じた「リヴァプール、最後の恋」(2017年)という映画が公開された。アネット・ベニングがグロリアによく似ているので驚いた。雰囲気もよくつかんでいる。

実在の人物を演じるとき、どれだけ似せるかを競うような雰囲気が今のハリウッドにはある気がする。それだけ、「リアル・ストーリーに基づく」映画が多く作られているのだろう。最近のクリント・イーストウッドも「リアル・ストーリー」にこだわっていて、とうとう本人たちを主演にして映画を撮ってしまった。

2020年9月10日 (木)

■日々の泡----権力闘争のむなしさを描く


【野望と夏草/山崎正和】

今年の夏、山崎正和さんが亡くなった。僕には名前を聞くと「知性」という言葉が浮かぶ人が何人かいる。その筆頭には「加藤周一」という名が出てくるし、僕と同世代の哲学者としては「内田樹」さんが浮かぶ。亡くなった山崎正和さんもそのひとりである。山崎正和さんの作品を初めて読んだのは、戯曲の「世阿彌」だったのだが、劇作家というより評論家あるいは思索家のイメージが強い。

大学生の頃、山崎正和さんの著作を集中的に読んだ時期がある。もっとも、まだそれほど多くの本は出ていなかった。「世阿彌」は山崎さんが世に出るきっかけになった戯曲で、「野望と夏草」は僕が大学に入った頃に出た新作戯曲だった。当時、山崎さんは新進の戯曲家だったのだ。ただし、正統的で重厚な作風は、当時の演劇状況の中では保守的と見られていたかもしれない。

六〇年代後半から七〇年代にかけては唐十郎の赤テント「状況劇場」があり、寺山修司の「天井桟敷」があり、黒テントの「自由劇場」があり、早稲田小劇場では白石加代子が狂気女優として評判だったし、三田の慶応ではつかこうへいが登場してきた。東大の野田秀樹が出てくるのはもう少し後のことだが、戦後の新劇的なものが否定され(俳優座の大量脱退などもあった)、アンダーグラウンド(アングラ)的な演劇がもてはやされていた。

そんな中、山崎正和さんの戯曲はオーソドックスで、格調が高すぎたのかもしれない。たとえば一九七〇年に発表された戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から始まり平家滅亡で終わる物語だ。後白河法王と平清盛の権力闘争を中心に描く。最初の場面では、保元の乱に敗れた平忠正(清盛の叔父)と源為義(義朝の父)が柱に縛られている。兄弟親子が敵味方に別れて戦ったのだ。敗れた崇徳上皇は、弟の後白河院によって讃岐に流される。

もっとも、「腰巻お仙」や「鼠小僧」といったアングラ系前衛劇団の舞台にあまりなじめなかった僕には、「野望と夏草」で描かれた世界の方が大変おもしろかった。その背景をもっと詳しく知りたくなり、「平家物語」を原文で読もうと思うほどだった。実際、講談社文庫版「平家物語」上下二巻を購入し、何とか読み切ることができたのだった。そのおかげで大江健三郎の小説に出てきた「見るべきほどのことは見つ」という言葉を口にしたのが平知盛だとわかったのだった。

その後、山崎正和さんは「鴎外 闘ふ家長」を出し文芸評論の世界に手を広げる。「世阿彌」も「鴎外 闘ふ家長」も評価が高く、それぞれに賞をもらっている。当時、山崎さんの著作はほとんど河出書房(新社)から出ていた。僕がお茶の水にあった中央大学に入学した頃、河出書房は中央大学の学生会館と接したビルに入っていて、時々、社員がストをやっていた。おそらく、そのビルへ山崎さん(当時は三十代後半)もきていたに違いない。

その後、僕は評論活動が中心になった山崎正和さんの著作とは縁がなくなってしまう。時々、新聞に寄稿していたものを読むと、社会的・政治的な発言が中心だった。自民党が主宰する有識者会議のメンバーなどにもなっていたと記憶している。山崎さんは、いつのまにか保守派の評論家と目されるようになった。

僕が再び山崎正和さんの著作を読んだのは、八〇年代半ばになってからだった。大学を出て十年、社会人を十年もやっていると、学生時代とは違う視点が生まれてくる。その頃、僕はあるテーマで本をまとめて読むことにし、その一冊として山崎正和さんの「柔らかい個人主義の誕生」という本を手にしたのだ。その評論も何かの賞をもらっていると思う。

その当時、僕は「現代をどう捉えるか」というような、ちょっと漠然としたテーマを抱いていて、様々な評論を読み漁っていた。その中の一冊が「柔らかい個人主義の誕生」だったのだ。その本を読みながら、「山崎さん、最近は戯曲は書いていないのかな」と思ったが、それは僕の情報不足で山崎さんは戯曲もきちんと書き続けていた。

僕が「今の時代をどう捉えるか」というテーマを抱いて、いろんな本を読み漁っていたのは、今から三十年以上昔のことになった。あれは、まだ「昭和」の時代だったのだ。あれから「社会」自体が大きく変化した。現在の世界を山崎さんは、どう分析していたのだろうか。亡くなったニュースを知って、僕はそんなことを考えた。

山崎さんは、古典を題材にした戯曲で世に出た人である。古典の現代語訳にも手を染めている。僕が特に好きな戯曲「野望と夏草」は、保元・平治の乱から平家滅亡までの時代を描く作品だ。歴史上の人物たちが権力闘争を繰り広げる。また、「世阿彌」は能を完成させた人物だが、将軍との確執もあり波瀾万丈の人生である。権力者と文化人の対立が描かれる。この辺は、秀吉と利休の確執を連想させる。

どうも僕は、権力闘争を好む傾向があるようだ。歴史は権力闘争そのもののと言ってもよいだろう。「野望と夏草」にしても、最初に上皇と帝の戦いがあり、崇徳上皇方に味方した武士たちは処刑され、上皇は流罪になる。その権力闘争の功績によって平清盛は隆盛となり、遂には後白河帝をうわまわる権力を掌握する。しかし、清盛の死後、平家は急激に滅亡する。

「野望と夏草」の最後の場面では、後白河法王が出家した建礼門院を訪ねて言葉を交わす。そこでは「権力闘争も結局はむなしい」という雰囲気が醸し出される。僕は「権力闘争のむなしさ」まで描かれていることが好きなので、たぶん「野望と夏草」をよく憶えているのだろう。「夏草」には、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」のニュアンスがある。

ちなみに、文学座が上演した内野聖陽の清盛、津嘉山正種の後白河という配役の「野望と夏草」は忘れられない舞台だった。以下のセリフを、あの津嘉山正種の渋い低音の声で想像してみてほしい。

----できることなら答えてくれ。このむなしさに帰るために、ひとはなぜ一度あの栄華を築かねばならぬ。なんのためだ。

ところで、権力闘争とそのむなしさを描いた映画作品というと、僕は「仁義なき戦い」(1973年)を思い出す。呉とヒロシマを舞台にヤクザ社会の頂点に立とうとする人間たちの戦いを描き、戦国時代の歴史を見るのと同じような面白さを感じさせてくれる。裏切りと離反が繰り返され、敗れた人々が死んでいく。だが、呉のヤクザの頂点を獲ったサカイのテッチャン(松方弘樹)も謀殺され、広能昌三(菅原文太)は戦いのむなしさを感じて祭壇に向かって銃弾を撃ち込む。

2020年9月 3日 (木)

■日々の泡----忘れられないヒロインの名前


【トルーマン・カポーティ/ティファニーで朝食を】

少し前になるけれど、トルーマン・カポーティの「テイファニーで朝食を」の原稿がオークションに出て、高値で落札されたという記事が新聞に出た。タイプ原稿だそうだが、カポーティの手書きの直しが入っているという。何と、ヒロインの名前は全く違うものだったとか。それを「ホリー・ゴライトリー」に直した跡があるらしい。

「ティファニーで朝食を」を初めて読んだのは、高校生の頃だった。薄い新潮文庫で、カバーには映画版のオードリー・ヘップバーンの写真が使われていたし、カバーの折り返し部分には映画のいくつかのシーンのスチール写真が何枚か印刷されていた。

初めて読んでから五十年以上が経つけれど、今もヒロインの名前は忘れていない。「ホリー・ゴライトリー」である。なぜなら「ホリー・ゴライトリー・トラヴェリング」という呪文のようなフレーズが、僕の頭の中に刻み込まれているからだ。これはホリーの名刺に印刷されていたフレーズだった。

どちらにしろ「ホリー・ゴライトリー」という名は、きっと死ぬまで僕の脳裏に張り付いている。もし認知症になったとしても、僕は「ホリー・ゴライトリー」と口にするかもしれない。しかし、特別に語呂がいいとも言えない。吉田修一の「横道世之介」みたいに韻を踏んで語呂がいいと、記憶してしまうということは確かにあるけれど。

ホリーの他に記憶しているフルネームのヒロインは----と考えてみると、「ナスターシャ・フィリッポブナ」という名前が浮かんでくる。ドストエフスキーの「白痴」のヒロインである。そんな面倒くさい名前をなぜ憶えているかについては、僕なりの理由があるのだけれど、それはまた別の話である。

さて、改めて言うと「ホリー・ゴライトリー」はトルーマン・カポーティの有名な小説「ティファニーで朝食を」の主人公の名前である。オードリー・ヘップバーン主演で映画化されたヒロインも名前は変えていなかった。原作のカポーティ自身らしい語り手(名前は出てきたかなあ)は、売れない小説家のジョージ・ペパードになり、名前を与えられていたと思う。

ホリーの部屋の下(上だったかな)に住んでいる日本人の写真家は、原作でもユニオシ(どんな字を書くのだ?)という名前だったと思うけど、これも映画は踏襲したものの出っ歯メイクのミッキー・ルーニーに演じさせた。小男で出っ歯でメガネをかけているのが日本人だった時代(終戦後まだ十六年)である。まるで戦時中のアメリカの新聞マンガに登場する日本人像(ジャップ)だった。

「ティファニーで朝食を」は、ホリーがニューヨークからいなくなった数年後から始まる。「ホリー・ゴライトリー旅行中」というように、彼女は世界中をまわっているのではないか、などと友人たちは噂する。アフリカのある部族の集落でホリーそっくりの木彫りの像があったなどという話も出てくる。

語り手である「私」はニューヨークのアパートに入り、同じアパートに住むホリーと出合った頃を思い出す。自由奔放なホリーは、男たちに貢がせて夜な夜な遊び歩き、定期的に刑務所にいるギャングのボスに面会にいき、何らかの報酬を受け取っているらしい。そんなエピソードが語られていく。

映画版「ティファニーで朝食を」はロマンチックなラブストーリーに仕上げてられていて、原作の独特なニュアンスはなくなっているが、オードリーの魅力だけで後々まで語り継がれる作品になった。外階段の踊り場でギターを抱えて「ムーン・リヴァー」を弾き語りするシーンだけで映画の存在価値を高めてしまった。

また、ジヴァンシィのドレスもたっぷり見せてくれる。冒頭からオードリーはロングドレスで、ティファニー宝石店のショーウィンドウを見ながらトーストをかじりコーヒーを飲む。原作で比喩敵に語られる「ティファニーで朝食を」を、そのまんまストレートに描いていた。ブレーク・エドワーズ監督らしい野暮ったさだ。

「ティファニーで朝食を」を初めて読んだとき、ホリーのあるセリフにちょっと衝撃を受けた。ホリーは「あの嫌な赤」という言葉を口にする。時代は一九五〇年代である。英語では「レッズ」と書かれていたはずだ。

つまり、「赤狩り」の時代にホリー・ゴライトリーは「あの嫌な赤」と口にするのだ。それが、当時のアメリカ人の普通の感覚だったのかもしれないが、左翼思想に傾倒し始めていた十代の少年には、カポーティは保守派なんだという印象を与えたものだった。

僕が「ティファニーで朝食を」を読んだ頃、アメリカではトルーマン・カポーティのノンフィクション・ノヴェル「冷血」が大ベストセラーになっていた。新潮社から分厚い翻訳本が出たのは、しばらくしてからだったと思う。分厚すぎるのと、四人の家族を皆殺しにする実際の犯罪を描いているというので、僕は手を出すのをやめた。

「冷血」は作品的評価も高く、ベストセラーになったということからもカポーティにとっては成功した仕事だったのだが、この作品以降、カポーティは大した仕事を残してはいない。成功しすぎた一作を出すのは、作家としては痛し痒しなのかもしれない。カポーティが「冷血」を書くまでを映画にしたのが「カポーティ」(2006年)だった。

「ノンフィクション・ノヴェル」という触れ込みで出版した「冷血」は、他の作家にも影響を与えた。たとえば、日本では佐木隆三である。実際の犯罪を元に「ノンフィクション・ノヴェル」として多くの作品を書き、「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞した。直木賞は小説に与えられるもので、ノンフィクションの賞ではない。ということは、小説として認められたということである。

しかし、「ノンフィクション」と「ノヴェル」は完全に対立する概念であるから、矛盾そのものだと思う。アメリカの出版社の編集者が考えたコピーなのだろうけど(案外、カポーティ自身が付けたのかも)、「ノヴェル」の概念がフィクションだとすれば、「フィクションではないフィクション」ということになるのだろうか。最近は、あまり使われていない気がする。

2020年8月27日 (木)

■日々の泡----自己を投影した主人公


【走れウサギ/ジョン・アップダイク】

先日、村上春樹さんの新しい短編集「一人称単数」が出て、さっそく読んだのだけれど、「そう言えば、ジョン・アップダイクも『一人称単数』という作品を出していたな」と、しばらくして思い出した。

村上さんとは世代が近いせいか、読書歴がけっこう似ている。ジョン・アップダイクも僕は高校生のときに読んだ。その頃、アメリカの若手作家で活躍していたのがアップダイクだった。

村上さんはエッセイの中で「高校生のときにジョン・アップダイクの『ケンタウロス』を読んで心に残った」みたいなことを書いていたと思う。アップダイクが「ケンタウロス」を出したのは一九六〇年のことだった。

この長編で、一躍、アメリカ文学の旗手になった。その後、「走れウサギ」が全米図書賞などを獲って評判になり、一九六八年に出した「カップルズ」は新潮社から上下二巻の単行本で出版され、僕は大学生のときに買った。

六〇年代、アメリカ文学界ではユダヤ系作家が活躍していたことから「ユダヤ文学」みたいな呼称で括られていた。一方、公民権運動で盛り上がっていた時期に、黒人作家として活躍していたジェームズ・ボールドウィンなどは「黒人文学」として括られた。

当時、早川書房からは「黒人文学選集」が出ていた。その選集の中では、リチャード・ライトの「アメリカの息子」やエリスンの「見えない人間」というタイトルをよく憶えている。黒人は「見えない人間」なのか、と高校生の僕は思った。

ユダヤ系文学にカテゴライズされていたのは、ジョン・アップダイク、ジェローム・デービッド・サリンジャー、ソール・ベロウ、フィリップ・ロス、それにバーナード・マラマッドなどだった。

その中で僕が特に愛読したのが、サリンジャーとマラマッドである。サリンジャーとマラマッドは翻訳されていた作品はすべて読んだ。最近、マラマッドの初期長編「アシスタント」や短編集の新訳が出たりしているので、ちよっと気になっている。

さて、僕がジョン・アップダイクを読もうと思ったきっかけは、大江健三郎の「個人的な体験」を読んでひどく感動したからだった。主人公は「鳥〈バード〉」と呼ばれる青年。主人公がニックネームで書かれているのが、ひどく新鮮だった。

彼は初めての子供が産まれるのを待っているのだが、病院へいくと頭がふたつあるように見える赤ん坊がいる。医師は「重い障害が残る」可能性を示唆し、〈バード〉は赤ん坊をそのまま死なせるか、あるいは育てることを引き受けるかという選択を迫られる。

「個人的な体験」は僕にとっては(性的なテーマの取り扱いということでも)衝撃的で、十六歳か七歳だった僕の「その後の生き方」を変えるほどの作品だった。新潮社版「大江健三郎全作品」の第六巻の巻末に入っていた。

ところが、何かで「個人的な体験」がジョン・アップダイクの「走れウサギ」の影響を受けていると読んだのである。当時、僕はアルトサックス奏者のチャーリー・パーカーが〈バード〉と呼ばれていたことも知らなかったし、アップダイクを読んだこともなかった。

ということで、僕は「走れウサギ」を読んでみた。アメリカの地方都市で暮らす青年が〈ウサギ〉と呼ばれていたり、愛人の元に走ったり、青年特有の閉塞感を感じていたり、確かに「個人的な体験」に影響を与えたのかもしれないなとは思ったが、ふたつの作品はまったく別物だったし、僕はどちらにも共感したものである。

ということから、僕はアップダイクにも興味を持ち、何作かを読むことになった。しかし、いつの間にか、僕はアップダイクを読まなくなってしまった。大作「カップルズ」までは読んでいたのだが、その内容にあまり共感できなかったからかもしれない。

アメリカの都市の郊外のやや高級な住宅地に暮らす何組かの夫婦を登場人物にして、中産階級の生活を描いているのだけれど、当然、そこには不倫やら夫婦交換やらの「セックス」の問題がからんでくる。大学生の僕にとっては、あまり身近な物語ではなかった。

「カップルズ」はアメリカでベストセラーになり、日本でも評判になったが、翻訳が出て十年後、「金曜日の妻たち」というテレビドラマが評判になり「金妻」などと呼ばれて社会現象になったとき、僕は「カップルズ」を思い出していた。

郊外に暮らす何組かの夫婦の恋愛(不倫)関係という現代的な物語が、アメリカから十数年遅れて日本でもドラマになるようになったのかと僕は感慨深いものを感じた。その頃には、僕も東京郊外のマンションで暮らす三十半ばの妻子持ちだった。

アメリカ文学には「サバービア(郊外)文学」というジャンルがあると教えられたのは、川本三郎さんの評論を読んだときだった。郊外の住宅地を舞台にしたもので、五〇年代くらいから出現したらしい。

ジョン・チーヴァーなどの作家がいて、六〇年代にはジョン・アップダイクが登場したわけだ。映画ではダグラス・サークが監督した作品なんかが浮かぶ。古き良き時代のアメリカである。中産階級の生活を描いていた。もちろん、白人だけのソサイアティである。

郊外もののひとつとしてアップダイクは「イーストウィックの魔女たち」という作品を一九八四年に出版し、三年後に「マッドマックス」の監督ジョージ・ミラーが映画化した。三人の熟女が出てくるのだけど、それを全盛期のミシェル・ファイファー、シェール、スーザン・サランドンが演じている。

しかし、彼女たちは魔女ではなく、彼女たちを誘惑する悪魔を演じたのがジャック・ニコルソンだった。郊外のちょっと高級な住宅街に暮らす熟女たちの生活ぶりが印象に残っている。

さて、「走れウサギ」は様々な賞を受賞し評判になったアップダイクの出世作だが、まさか「帰ってきたウサギ」(「帰ってきた若大将」というテレビドラマがあったなあ)などという続編が出るとは思っていなかった。

しかし、アップダイクは自身が年を重ねるにつれ、「ウサギ」シリーズを書き続け、「金持ちになったウサギ」まで四部作として残ることになった。まあ、僕もそこまでは付き合いきれなかったので、続編以降は読んでいない。

しかし、ジョン・アップダイクが〈ウサギ〉を書き続けた気持ちは何となくわかる。〈ウサギ〉はジョン・アップダイク自身なのだと思う。自身が歳を重ねるにつれて生活や考えが変化し、自己を投影した主人公にその変化を反映させた作品を書きたいと思うに違いない。

今、僕も古希を迎える歳になって、自分が三十年前に書いた文章を読むと、まるで別人のもののような気がする。ベースは一貫しているとは思うけれど、年齢による様々な変化は,その歳になってみないとわからない。まあ、当たり前のことか。

2020年8月20日 (木)

■日々の泡----和製ジョゼ・ジョバンニと呼びたい


【無頼 ある暴力団幹部のドキュメント/藤田五郎】

藤田五郎は、「人斬り五郎」と呼ばれた本物のヤクザだった。ヤクザ時代の体験を元に、自伝的な小説を多く書いた。「無頼 ある暴力団幹部のドキュメント」は渡哲也によって「無頼シリーズ」(1968年)となり、今も僕のような(あるいは矢作俊彦さんのような)熱烈な支持者が存在する。

フランスにギャング出身のジョゼ・ジョバンニがいたように、日本には藤田五郎という作家がいた。後に、渋谷の安藤組出身だった安部譲二が元ヤクザの作家(自身の体験を元に「塀の中の懲りない面々」を書いた)として有名になるけれど、それよりずっと前から藤田五郎は作家として活躍していたのだ。

藤田五郎は渡哲也によって「人斬り五郎こと藤川五郎」となり、スクリーンにその姿を永遠に残した。「いつかカタギになる」という夢を抱いて、ヤクザ社会に愛想を尽かしながらも、先輩や若いモンのために必殺の黒匕首(ドス)を抜かざるを得なくなる渡哲也の姿は悲壮美の極みだった。

そして、藤川五郎はよく泣いた。幼くして死んだ妹のために、無惨に殺された先輩のために、引き裂かれた若き恋人たちのために、そして、そんな世界から縁が切れない自分の宿命に----。今も僕は思い出す。松原智恵子の姿と共に永遠に忘れられない、「無頼 人斬り五郎」のラストシーンを。

ヤクザの世界と縁を切り、慕ってくる松原智恵子と共にフェリーに乗って去ろうとするとき、「たばこ買ってくらあ」と言いおいていなくなった藤川五郎を探した松原智恵子は、黒い革ジャンに雪駄で桟橋に立つ五郎を見つける。

岸を離れたフェリーのボードは徐々に上がり、五郎の姿は見えなくなる。松原智恵子はデッキに駆け上り、「五郎さん」と何度か叫ぶ。渡哲也と松原智恵子のバストアップがカットバックされる。人斬り五郎は、殺された先輩や友人たちのために、封印したはずの黒ドスを抜くしかないのだ。

人でなしのヤクザたちとの死闘、傷ついた藤川五郎は塩田の端に横たわる。夕日が落ちていく。五郎が刺した悪辣なボスが掛けていたサングラスが落ちている。そのサングラスには夕日の丘が映っている。その丘に、人影が現れる。

フェリーで去ったはずの松原智恵子。五郎を慕って戻ってきたのだ。サングラスに映る松原智恵子の姿を見つめる藤川五郎は、涙をこらえているような泣き顔である。そして、「ヤクザを賛美している」として放送禁止になった主題歌の二番が重なる。

俺しか知らぬ 無頼の心
ドスで刻んだ おまえの名

僕がまだ若かった頃、藤田五郎は週刊誌の連載小説を書いていたこともある。文藝春秋社の「週刊文春」や講談社の「週刊現代」ではなく、「アサヒ芸能」(通称「アサ芸」)とか「週刊大衆」といった格落ち(ゴメン)の週刊誌だった。もちろんヤクザ小説である。

その頃、大学の同級生が青樹社という出版社に潜り込み、編集者として売れない頃の藤沢周平や人気絶頂の頃の宇野鴻一郎などを担当していたが、藤田五郎も青樹社から著作を出版していた。ある日、僕はその同級生から藤田五郎に会った話を聞いた。

----やっぱり、怖い人?
----そんな雰囲気はなかったよ

「藤田五郎=藤川五郎」というイメージを抱き続けていた僕は、やはり黒ドスを握りしめた渡哲也の映像しか浮かばなかった。思えば、渡哲也と藤田五郎は切っても切れない関係なのだ。

「無頼」シリーズはもちろん、渡哲也が最高の演技を見せた深作欣二監督の「仁義の墓場」(1975年)だって、藤田五郎の原作である。ちなみに「仁義の墓場」は病気からの復活第一作だったけど、この撮影後、再び渡は入院する。深作監督の現場は、相当にきつかったのかもしれない。

「仁義の墓場」のポスターの惹句は「俺が死ぬときは、カラスだけが啼く。凶暴無惨・石川力夫」だった。自分の組の親分を切りつけ、自分が自殺に追い込んだ妻の骨をかじり、無茶苦茶な三十年を生きて「大笑い 三十年のバカ騒ぎ」と刑務所の壁に刻んで、屋上から飛び降りた伝説のヤクザ石川力夫。

もしかして、藤田五郎はヤクザ時代に石川力夫と面識があったのだろうか。時代は重なっている。そんな凄絶な男たちの生涯を描き続けた藤田五郎は、書き続ける中で何かが己の体の中に澱のように溜まり続けたのかもしれない。一九九三年十二月十一日、藤田五郎は壮絶な死を選んだ。

それから二十七年後の八月十日、「東京流れ者」の不死鳥の哲、「無頼」の藤川五郎、「仁義の墓場」の石川力夫を演じた渡哲也は死んだ。七十八歳だった。一九六四年に日活に入社し、一九六五年に「あばれ騎士道」でスクリーン・デビュー、五十六年間の俳優人生だった。

淡路島で育ち、青山学院大学に入り空手部の部員として活躍していたが、日活が浅丘ルリ子の相手役募集をしたときに(例によって)友人が黙って応募し、石原裕次郎に会えるかもしれないと日活撮影所に赴き、そのままスカウトされて俳優になった。

デビュー当時は救いようのない大根役者で、日活が提携していた劇団「民藝」に勉強に出されたけれど、あまり演技は上達しなかった。当時の劇団「民藝」の長老は、宇野重吉と滝沢修だ。共産党系文学者だった中野重治から二字をもらって芸名を付けたという宇野は戦前からの演劇青年だったが、戦後、様々な映画に出演して顔の売れた役者になった。

しかし、左翼系の劇団を運営するのは大変だったらしく、戦後に製作を再開した日活と提携し、劇団員を日活映画に出演させて運営資金を稼いだ。だから、昔の日活映画には後に名優になる「民藝」の俳優たちがいっぱい出ている。宇野重吉と石原裕次郎の仲も日活時代に培われたものだった。

幸いなことに、渡哲也は「新劇的演技」には染まらなかった。おそらく、彼の目標は石原裕次郎だったのだ。自然体の演技、本人の魅力で惹きつける演技である。デビューしたばかりの頃の出演作、石原裕次郎主演の「泣かせるぜ」(1965年)を見るとよくわかる。演技者として見ればぎこちないが、素の部分で観客を魅了する「スター性」を持っていた。

渡哲也自身もインタビューで言っている。「演技は弟(渡瀬恒彦)の方がずっとうまい」と。しかし、デビューから四年後には、あの「藤川五郎」になるのだ。渡哲也を思い出すと、五十年以上昔の黒ドスを構えた泣き顔の藤川五郎が浮かんでくる。そして、僕は「ヤクザの胸はなぜにさびしい~」と「無頼のテーマ」をまた歌い出す。

2020年8月13日 (木)

■日々の泡----ミステリ界の詩人?


【幻の女/ウィリアム・アイリッシュ】

先日、「週刊現代」の「酒井和歌子に夢中になった時代」という特集について書いたけれど、その記事の中に僕の「酒井和歌子さんが悪女を演じた二時間ドラマ」についてのコメントが採用されていた。二十分ほどの電話取材だったが、そのことが取り取り上げられるとは思わなかった。

その二時間ドラマについて話した後、ネットの「テレビドラマ・ベータべース」で調べてみたら、「仮面の花嫁」(1981年3月14日放映)というタイトルだった。酒井和歌子と愛川欣也の共演で、監督が神代辰巳だったのは記憶していた。原作はウィリアム・アイリッシュの「暗闇へのワルツ」だ。

この二時間ドラマは酒井和歌子が出ていたので予備知識もなく見始めたのだけれど、始まってすぐに「これ、『暗闇へのワルツ』だぞ」と気が付いた。その十二年前には、フランソワ・トリュフォー監督によって「暗くなるまでこの恋を」(1969年)として映画化されたミステリだ。

トリュフォー監督は、ウィリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)のミステリが好きなのだろうか。「黒衣の花嫁」(1968年)に続いての映画化である。「黒衣の花嫁」はジャンヌ・モロー主演で、タイトルからも想像できるように、男たちに復讐を果たしていく女の物語だった。

「暗くなるまでこの恋を」(何という邦題だろう)は、ジャン=ポール・ベルモンドとカトリーヌ・ドヌーヴの共演である。南米で成功した農園主はピクチャー・ブライドで本国から花嫁を迎えるが、やってきたのは絶世の美女。女の虜になった農園主は破滅に向かい、やがて犯罪さえ犯すことになる。

カトリーヌ・ドヌーヴが演じた怪しく謎めいた悪女は魅力的ではあったけれど、心底からの悪人で悪魔的だった。二〇〇一年にはアンジェリーナ・ジョリーが同じ原作を「ポアゾン」として映画化し、あの大きな目でゾクリとさせる悪女を演じた。相手役は、ラテン系セクシー男優と言われたスペイン出身のアントニオ・バンデラスだった。

ドヌーヴが演じた悪女を二時間ドラマでやっている酒井和歌子に、僕はひどく戸惑ったものだ。すでに三十をいくつか過ぎた酒井和歌子だったが、僕は彼女を見るとまだ「清純」「清楚」といった文字が頭に思い浮かぶのだった。ただし、相手役の愛川欣也は、女に溺れて犯罪者になっていく気の弱い男の役には向いていた。

「テレビドラマ・ベータべース」で調べて初めて知ったのだけれど、酒井和歌子は神代辰巳監督と組んで「悪女の仮面」(1980年)「愛の牢獄」(1984年)「死角関係」(1987年)「函館殺人夜景」(1990年)といった二時間のミステリドラマを作っているらしい。この時期(要するに彼女の三十代)、悪女ものに傾倒していたのだろうか。

さて、カトリーヌ・ドヌーヴ、酒井和歌子、アンジェリーナ・ジョリーとフランス、日本、アメリカのトップ女優によって何度も映像化されるのだから、「暗闇へのワルツ」は人気のあるミステリなのだろう。昔は早川ポケットミステリで出ていて、けっこう分厚い作品だった。アメリカで出版されたのは一九四七年のことだ。

だが、ウィリアム・アイリッシュの代表作といえば「幻の女」である。世界のミステリ・オールタイムベストテンが選ばれるとき、エラリィ・クイーン「Yの悲劇」、アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」「ABC殺人事件」、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」などと並び必ず挙げられる古典的名作である。

初めて「幻の女」の日本語訳が出たとき、その冒頭の一行が話題になったという。「夜は若く、彼もまた若かった」というフレーズだ。アイリッシュは「ミステリ界の詩人」のように受け取られたのだろうか。ロマンチックでセンチメンタル、謳うようなフレーズが散りばめられている。もっとも、「幻の女」は意外な犯人で有名な作品だ。

「幻の女」を読む前、たぶん中学生の頃だと思うが、僕はNHKが「幻の女」を単発ドラマにしたのを見たことがある。妻が殺され、夫が逮捕される。夫は、死刑を宣告される。夫の愛人(だったか秘書だったか)が夫の友人と一緒に探偵役となり、唯一のアリバイ証人である「幻の女」を捜す。だが、死刑の日は刻々と迫ってくる。

物語を単純に要約するとそうなるのだが、夫の友人を若き山崎努が演じていた記憶がある。その他のキャストはすっかり忘れたが、刑事役で内田稔が出ていたのはなぜかよく憶えている。たぶん、最後のドンデン返しのシーンに内田稔が(確か車のトランクから)飛び出してきたとき、びっくりした僕は画面そのものを絵画のように記憶したのだ。

もっとも、その頃、僕はよく見る脇役俳優だとは思っていたが、「内田稔」という名前を知るのはずっと後のこと。好きな俳優で、映画やテレビにいっぱい出ていた。今、記憶を探ると薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」(1984年)での劇団マネージャー役が浮かぶ。記者会見シーンでは、薬師丸を挟んで並んだ気難し気な演出家役の蜷川幸雄とは好対照だった。

その内田稔によって犯人が明かされると僕は本当にびっくりしたから、「幻の女」を初めて読んだときには「こいつが犯人なんだ」とわかっていたので、ミステリとしてのおもしろさはあまり感じなかった。妻が殺された時刻、夫は行きずりの女と一緒に酒を飲み舞台を見ていた。その目立つ帽子をかぶった女を誰も記憶していない、という不自然さの方が僕は気になったものだ。

それでも、やはり「幻の女(ファントム・レディ)」はミステリの名作だと思う。その後、似たような設定やトリックは山のように現れただろうが、最初に書いたのはウィリアム・アイリッシュだったのだ。原作が出て二年後にハリウッドで映画化された「幻の女」(1944年)を、つい最近、見ることができた。当時のニューヨークの雰囲気がよくわかったし、ジャズの演奏シーンも楽しめた。

ただ、どうして原作をズタズタにして、まったく違うものにしてしまったのだろう。原作のプロットでは、観客には理解できないと考えたのだろうか。早々に真犯人をバラしてしまうし、何のために「幻の女」を映画化したのかわからない。「幻の女」の存在を解明しないと観客は満足しないと考えたのだろうなあ。それにしても、ひどい。ウィリアム・アイリッシュは、たぶん納得しなかっただろう。

2020年8月 6日 (木)

■日々の泡----酒井和歌子さんへのオマージュ


【深川安楽亭/山本周五郎】

講談社の「週刊現代」が夏の合併号で「酒井和歌子に夢中になった時代」という特集を組むというので、僕のところにもコメント依頼があり電話取材を受けた。確かに僕は酒井和歌子ファンだけど、どこから知ったのだろう。

確かめたら、十五年近く前に「命棄ててもいいほどの清純さ」というコラムを書いていた。僕の「映画がなければ生きていけない2003-2006」に収められているが、「週刊現代」の編集者は「日刊デジタルクリエイターズ」のアーカイブで読んだという。

ネット社会だと思う。特集のテーマが決まった後、編集者はネット検索をしてみたのだろう。僕も試しに「酒井和歌子」などのキーワードで検索してみたが、なかなか僕のコラムは出てこない。結局、僕の名前を入れないとヒットしなかった。

さて、そのコラムで僕は「めぐりあい」(1968年)と「いのち・ぼうにふろう」(1971年)を取り上げている。「めぐりあい」は酒井和歌子の初主演映画で、彼女は十八歳。ファンサービスで、白い水着姿を見せてくれる。初めてのキスシーンもある。

「めぐりあい」は、一九六八年の春休みに公開になった。僕は高校二年から三年になるところだった。主題歌を荒木一郎が歌っていて、タイトルデザインを和田誠が担当していた。公開当時、僕は和田誠が何者か、まったく知らなかった。

電話取材では最も印象に残っているシーンとして、僕は「めぐりあい」の中の土砂降りの雨の中、斜めになったダンプの荷台でのキスシーンを挙げた。たぶん、酒井和歌子にとっても初めてのキスシーンだったはずだ。ミニスカートが濡れて肌にくっつき、白い太股が露わになっていたことも思い出す。

しかし、昔も今も酒井和歌子は「性的なもの」から最も遠い存在だと思う。「聖なる存在」であり「清純さ」を体現する存在として酒井和歌子はこの世に生まれたと、十六歳からずっと僕は思っている。そのことを「いのち・ぼうにふろう」に託して書いた。

「いのち・ぼうにふろう」は、山本周五郎の小説「深川安楽亭」を小林正樹監督が映画化したものだ。俳優座が制作し、仲代達矢、佐藤慶、近藤洋介、岸田森などが無法者たちを演じた。安楽亭の娘を人気絶頂の栗原小巻が演じている。

深川安楽亭は無法者たちが集まる店で、町方も手出しができない。亭主と無法者たちは密輸に手を染めている。ある夜、仏の与兵衛(佐藤慶)が岡場所で地まわりに半殺しになっていた手代(山本圭)を助けて連れ帰る。無法者たちは手代の話を訊く。

手代には、幼い頃から言い交わした娘(酒井和歌子)がいた。ある日、娘がやってきて、身売りされることになったと言われる。手代は矢も盾もたまらず、店の金に手をつけて娘の家へいくが、すでに娘は女衒に連れられていった後だった。手代は娘を捜して岡場所にいき、男たちに半殺しにあったのだ。

無法者たちは、若い恋人たちのために立ち上がる。娘を苦界から救おうとする。罠かもしれない密輸仕事に出かけ、身請けの金を作ろうとする。男たちが命を棄ててもいいと思うほどの「聖なる存在」として、酒井和歌子が演じた「おきわ」は登場しなければならない。

「いのち・ぼうにふろう」で、ずっと登場するのは栗原小巻だ。酒井和歌子が出てくるシーンは少ない。無法者たちは「おきわ」に会うこともなく、死んでいく。手代の話の中に出てくる娘の姿を胸に描いて、御用提灯の群の中に飛び込んでいく。

無法者たちが「いのち・ぼうにふってもいい」と思わせるだけの「清純さ」がなければ、観客たちを説得することはできない。二十歳を過ぎたばかりの酒井和歌子にはそれがあった。ラストシーンは、深川安楽亭に向かって祈りを捧げる酒井和歌子なのである。

「深川安楽亭」は山本周五郎の短編だが、一時期、彼の小説はずいぶん映画化されたものだ。黒澤明だって「椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」を撮っている。テレビでの映像化作品も多い。僕は、中村吉右衛門が主人公を演じた「ながい坂」をよく憶えている。

僕が初めて読んだ山本周五郎作品は「赤ひげ診療譚」だった。一九六五年の春休みのことだ。僕は十三歳、中学一年から二年になるところだった。なぜよく憶えているかというと、春休みの宿題の作文を「春休みの読書」と題して提出し、それが校内誌に掲載されたからである。

初めて自分の文章が活字になったのだ。その中で僕は「赤ひげ診療譚」とロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を読んだことを書いている。もっとも、「ジャン・クリストフ」は長大な小説のために第一部しか読めなかったので、それを正直に書いた。

僕が「赤ひげ診療譚」を読もうと思ったきっかけは、黒澤明監督が映画化しているというニュースを見たからである。その映画で期待の新人・内藤洋子が出演することも話題になっていた。人気絶頂だった「若大将」こと加山雄三の相手役ということだった。

そんなミーハーな動機で読み始めたのだが、「赤ひげ診療譚」を読んだために僕は山本周五郎の愛読者となった。以来、「さぶ」「ながい坂」「青べか物語」など、忘れられない作品に出合った。中年を過ぎて読み返したとき「説教臭い作家だなあ」とは思ったが、それでも感動の涙が落ちた。

数多い山本周五郎原作の映画化作品の中でも僕が好きなのは、川島雄三監督の「青べか物語」(1962年)と「いのち・ぼうにふろう」である。ちなみに、「週刊現代」の酒井和歌子特集は、きっとご本人も目を通すのだろうなあ。つまり、僕のコメントも読まれてしまうわけですね。

2020年7月30日 (木)

■日々の泡----乾いた空気感を描く作家


【スローなブギにしてくれ/片岡義男】

先日、ダシール・ハメットの「非情な文体」について書いたら、そう言えば日本には片岡義男がいたなと思い出した。登場人物の言動と光景や状況だけをクールに描く、日本では珍しい作家である。登場人物は等距離で描かれ、その心理はまったく描写されないから、読者は不思議な印象を持ち、かつ特定の人物に感情移入はしにくい。

僕は、一時期、片岡義男にはまったことがある。一九七〇年代後半のことである。角川文庫が片岡義男キャンペーンを始める少し前のことだと思う。へそ曲がりの僕は、出版社が派手なキャンペーンで売り出そうとしている作家には、絶対に手を出さなかったはずだからだ。

しかし、片岡義男はすでに「スローなブギにしてくれ」を始め、「マーマレードの朝」「人生は野菜スープ」など多くの文庫本を角川書店から出していた。たぶん僕は十数冊を立て続けに読んだと思う。文庫本を読み尽くし、「彼のオートバイ、彼女の島」は単行本で買った記憶がある。

それ以外にも、晶文社から出していた口絵が豊富に入った「波乗りの島」や「サーフシティ・ロマンス」など、けっこう高い単行本も買ったから、よほど片岡義男にはまっていたのだと思う。二十代半ばの僕は、片岡義男の小説の登場人物になった気分だったのかもしれない。

しかし、僕は「にわか愛読者」ではなかった。六〇年代の「テディ片岡」時代から彼のコラムは読んでいたのだ。それにアメリカン・ミステリの翻訳者としても認識していた。「悪党パーカー」シリーズは最初の「人狩り」(後に「ポイント・ブランク」に改題)は小鷹信光訳だったが、初期の何作か(「組織」と「死者の遺産」)は片岡義男の訳である。

「悪党パーカー」も主人公パーカーの行動を中心に描き、心理や感情は書き込まない。特に初期の数作はハードボイルドに徹していて、必要ならまったくためらわずに人を殺し金を奪うパーカーには「非情な文体」が合っていた。片岡訳は、その非情さが最も出ていたのではなかったか。

ということで、片岡義男がコラム集やエッセイ集ではなく小説を出したことを僕は喜んだものだった。最初は、ビリィ・ザ・キッドの小説だったと思う。アメリカン・カルチャーにどっぷり浸り、サーフィン(当時は「波乗り」と言ったけど)などを日本に紹介したテディ片岡が、とうとう小説を書いたのだ。

さて、「スローなブギにしてくれ」を始めバイク小説が気に入った僕は、片岡義男が描くバイク・ツーリングの爽やかさに誘われ、本気でバイク免許を取ろうかと考えた。会社でも同僚に相談し、「取るのなら大型だよな」と言われて躊躇した。倒れたナナハンを起こせる自信がなかったし、一本橋のテストも受かるとは思えなかった。

僕が片岡作品をほぼ読み尽くした頃、「スローなブギにしてくれ」が映画化され、例によって角川商法だから15秒のテレビスポットがやたらに流された。南佳孝の「ウォンチュー、俺の××に~」と歌う主題歌は、誰もが耳にした。

僕はそれほど有名じゃない頃からの南佳孝ファンで、レコードも何枚か買っていた。「ラスト・ピクチャー・ショー」というアルバムは愛聴盤で、その中の「突然炎のごとく」は特に好きだった。すべて映画のタイトルの曲ばかりなのである。タイトルの「ラスト・ピクチャー・ショー」は、もちろん「ラスト・ショー」という邦題で公開された映画である。

南佳孝が一般的に知られるのは、彼の「モンロー・ウォーク」を郷ひろみが「セクシー・ユー」というタイトルでカバーしたときだと思う。しかし、南佳孝バージョンの方がずっと素晴らしいと僕は知人に言い続けていた。それが、「スローなブギにしてくれ」で南佳孝の声を誰もが知ることとなり、うれしい反面、ヒットしすぎてうんざりする気分でもあった。

映画化作品は、山崎努、原田芳雄が出演し、監督は藤田敏八である。僕が見にいかないはずがない。封切りしてすぐに僕は「スローなブギにしてくれ」(1981年)を見にいった。不良少年ばかりを描いていた藤田監督は、「赤い鳥逃げた?」以来、不良中年を描くようになったが、この映画でも山崎努が哀しくてよかった。

どういういきさつで出演することになったのか、浅野温子をレイプする二人組のひとりが作家の高橋三千綱だったのがちょっとおかしかったけれど、ノッポの古尾谷雅人も浅野温子もがんばっていたと思う。離婚担当弁護士役で出てくる伊丹一三も憎たらしいほどうまかった。

しかし、映画は片岡義男の小説ほどクールでもドライでもなかった。映画は生身の役者たちが演じるし、いくら客観描写に徹しても表情や仕草がその人物の心理や感情を語ってしまうのだ。だから、どうしてもウェットになるし、クールな印象はなくなる。

最近、数十年ぶりに片岡義男作品を読んだ。最新作を集めた作品集である。相変わらずの「非情な文体」だった。無駄をそぎ落としたようなスタイルで、ますます磨きがかかっていた。どちらかと言えば純文学に寄っている。エンターテインメントとしては、読者サービス(?)が不足していると思う。しかし、八十を過ぎたというのに、片岡義男の研ぎ澄まされ方は凄い。

と思っていたのだが、一方で片岡義男の最近のエッセイ集などを読むと、昔と違って妙に日本的情緒を描いていたりする。まさか片岡義男が成瀬巳喜男監督作品についての本を出すとは思わなかった。成瀬巳喜男作品は、日本的情緒にあふれたものばかりだ。成瀬巳喜男と片岡義男、僕が片岡作品にはまっていた頃には考えられなかった組み合わせだった。

しかし、ふたりの作家性は似ているのかもしれない。日本的な物語を日本的情緒を加えて描いていても、成瀬作品には登場人物を客観的に描こうとするクールさがある。ウエットでは、決してない。ドライな描写である。乾いた空気感を感じさせる片岡作品と共通するものを感じないでもない。

2020年7月23日 (木)

■日々の泡----赤狩りで収監された作家


【血の収穫/ダシール・ハメット】

最初に読んだときのタイトルは「赤い収穫」だったと記憶している。友達のお姉さんから借りた中学生向け学習雑誌の付録の小冊子である。僕は小学六年生くらいだったが、大変おもしろく読んだ。ただし、冒頭に出てくる町の名前「ポアゾンヴィル」の意味さえわからなかっただろう。

中学生になって創元推理文庫の「赤い収穫」を買って読んだのだと思う。後に講談社文庫で出た田中小実昌さんが訳した「血の収穫」を読んだから、今までに少なくとも三度は読んだことになる。原題は「レッド・ハーヴェスト/Red Harvest」だから、直訳では「赤い収穫」、意訳では「血の収穫」になる。

語り手である「俺」は「名無しのコンチネンタル・オプ」と呼ばれている。コンチネンタル探偵社の調査員(オペレイティブ)だからだ。彼は人々が「ポアゾンヴィル」と呼ぶ町に赴き、ふたつの暗黒街勢力を戦わせて壊滅させ町を掃除する。こんな話、どこかで聞いた記憶はないだろうか。

小林信彦さんは、黒澤明監督の「用心棒」(1961年)はダシール・ハメットの短編「町の名はコークスクルー」が元になっていると指摘する。僕もその短編を読んでみたことがある。ハメットはその短編を元にして、改めて長編「血の収穫」を書いたのだ。

ハメットの作品数は少ない。「血の収穫」「マルタの鷹」「デイン家の呪い」「ガラスの鍵」「影なき男」などである。作品発表時からそれぞれハリウッドで映画化されたけれど、ヒットしてシリーズ化されたのは「影なき男」である。夫婦探偵の掛け合いに人気が出たのだろう。

「マルタの鷹」もハンフリー・ボガート主演で、新人監督ジョン・ヒューストンによって映画化(1941年)され名作となった。二度めか三度めの映画化だった。こちらは、宝探しもののジャンルに入る。愛した女を警察に突き出す非情なラストシーンが、ハードボイルドだと評判になった。

黒澤明監督はハメットを愛読していたのではないか、その映画化作品はきちんと見ていたのではないかと思ったのは、アラン・ラッド主演の「ガラスの鍵」(1942年)を見たときだった。こちらも二度めの映画化である。この作品はとてもよくできていて、原作を読んでも理解できなかった物語がストンと腑に落ちた。

ダシール・ハメットは、アーネスト・ヘミングウェイと並んで「ハードボイルドな文体」を創り出したと言われている。登場人物の行動と口にした言葉しか描かないからだ。その心理や感情を描写することがない。いわゆる「非情な文体」である。だから、読者は感情移入がしにくいのだ。

「ガラスの鍵」では、非情な文体が最も徹底されている。三人称描写であることも影響する。主人公が何を考えているのか、さっぱりわからない。例によって、町には二人のボスがいる。主人公ネド・ボーモンは、片方のボスの親友で賭博師である。そのボスはある議員に肩入れし、選挙を応援している。一方のボスが対抗し、町の検察や政財界を巻き込んだ抗争が起こる。

ネド・ボーモンは敵方に捕らわれ、大男の手下に殴られボロボロになる。息たえだえのネド・ボーモンを見張っているのは、大男と間抜けなチンピラである。ふたりはカード遊びをしているが、何かの用で部屋から出ていく。彼らがいなくなったのを見計らい、ネド・ボーモンはある策を弄して敵方の建物から逃げ出す。

このときのボロボロになったアラン・ラッドを見て、僕は「用心棒」でプロレスラーのマンモス鈴木が演じた巨人の三下ヤクザにボロボロにされ、息たえだえで横たわる三船敏郎を連想した。二人の見張りがいなくなった隙に、策を弄して逃げ出すシーンもよく似ていた。

何だか「血の収穫」の話より「ガラスの鍵」の話になってしまったけれど、僕がハメットらしい作品として「血の収穫」にこだわるのは、物語の背景として鉱山の労働争議が描かれているからだ。後に「赤狩り」で非米活動委員会の証人席に立たされ、証言を拒否して刑務所に服役することになるハメットの思想がうかがわれるからである。

「ハメット」(1982年)という、ダシール・ハメットが探偵役になったハリウッド映画がある。原作は、ハメットを敬愛するジョー・ゴアズが書いた。フランシス・フォード・コッポラが制作し、ドイツからヴィム・ヴェンダースを招聘して監督をさせたが、残念ながらヴェンダース自身も失敗作と認めている。

ハリウッド映画に出てきたハメットで印象的なのは、ジェーン・フォンダがリリアン・ヘルマンを演じた「ジュリア」(1977年)に登場するジェイスン・ロバーズが演じた役である。妻子がいたハメットだが、若いリリアン・ヘルマンと出会い同棲する。ハメットは、リリアンに作家の先輩として何かとアドバイスする。

「鉄の女」とも言うべきリリアン・ヘルマンを闘士ジェーン・フォンダが演じるのは適役だったが、そのジェーン・フォンダはジェイスン・ロバーズに向かって「ダーッシュ」と甘えた声で呼びかける。「ダシール」の愛称だ。ふたりが浜辺で焚き火に照らされるシーンは美しい。

ハードボイルド・ミステリの始祖と言ってもよいダシール・ハメットだが、現在ではどう読まれているのだろう。「血の収穫」の物語のパターン(二つの組織を争わせて潰してしまう)はずいぶん使われていて、もしかした「手垢にまみれたプロット」と思われるかもしれない。

そのパターンを最初に作ったのがハメットなのだ。そのためにも「血の収穫」だけは、読むべき古典なのではないかと思う。レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」は村上春樹さんによって「準古典小説」と持ち上げられたけれど、「血の収穫」も世界の古典に並ぶ作品だと思う。もちろん「マルタの鷹」も「ガラスの鍵」も読んでほしいとは思うけれど----。

ちなみに映画版「マルタの鷹」は、窓に描かれた「スペード&アーチャー探偵事務所」の文字から始まる。ある女の依頼を受けて、相棒のマイルズ・アーチャーが仕事にいき射殺される。アーチャーの女房と不倫していたサム・スペードは、アーチャー殺しの犯人を探る。ロス・マクドナルドが創り出した思索的な私立探偵リュウ・アーチャーは、女房と相棒に姦通され、罠にはめられて射殺される「マルタの鷹」のアーチャーから名前をとっているらしい。

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