2026年8月 8日 (土)

■日々の泡----「その通り君」について

 

強弱はあるけれど、生きている人間には「欲」がある。「生きているだけで幸せ」という人も「生存欲」があるわけだ。「おいしいものを食べたい」というのは「食欲」、「きれいな女性と○○したい」は「性欲」、「偉くなりたい」は「権力欲」、「金持ちになりたい」は「金銭欲」などである。「夢はないのか」などとよくドラマで言われるセリフがあるが、「夢」をミもフタもない言い方をするなら「欲」である。

僕は「欲」を否定しているのではない。「欲」がなくなったら生きている人間はおしまいだ。「~したい」「~になりたい」という「欲」がなければ、人は生きていけない。その「欲」の中には「承認欲」というものがある。「認められたい」「承認されたい」という欲求である。「小説家になりたい」「アイドルになりたい」「アーティストになりたい」「役者になりたい」「サッカー選手になりたい」など、なかなかなれないものに人は憧れ「夢」を抱くが、それらの「夢」の根底には「有名になりたい」「人々に認められたい」という欲求がある。

誰も「売れない作家になりたい」とは思わない。「作家になりたい」という夢を語る人は、大勢の読者に認められることを望む。できれば村上春樹さんのような作家になりたいのだ。もちろん憧れだけでは「夢」は実現できない。自己の内部から噴き上げるものがなければ何も書けないだろう。Adoさんのような若くして世界的なアーティストなった人も、自分の中から吹きこぼれるように作品が生まれたのだろうと思う。ただ、そんな人と較べられるレベルではないけれど、どんな人にも承認欲求はある。

先日、散歩の時にNHKの「らじるらじる」で「英会話」を聴いてみた。15分の番組で、毎回、あるシチュエーションを設定し、英語で会話をするのを聞き取り、練習する。その回では、あるメーカーの会議室で新製品について開発担当者がプレゼンテーションをする設定だった。開発担当者がプレゼンする新製品は「その通り君」というネーミングで、英会話の中に「そのとお~りクン」という言葉が何度も出てきて笑ってしまった。

「その通り君」はテレビの横に設置する製品である。テレビ番組を見ながら、テレビにツッコミを入れる人に対して、何か言うたびに「そのとお~り」と相づちを打つ機械だ。たとえばバラエティに出ている女性タレントに「何だかこのタレント、水商売っぽいな」と言えば「そのとお~り」と肯定してくれる。ドラマを見ながら「この設定ありえないだろ」と突っ込めば「そのとお~り」と追従してくれるのだ。

この英会話の番組を聴いて笑いながら歩いていたのだが、「いや、これは案外売れるかもしれない」と思った。「アレクサ」は使ったことがないし、iPhoneは使っているが「シリ」を使ったことがない僕だけど、AI時代の現在、使用者を全面的に肯定し認め「そのとお~り」と言ってくれる存在は、どんな人にとっても魅力があるのではないだろうか。「承認欲求」を充たすと同時に、ある種の「権力欲」「支配欲」も充たしてくれるのではないか。

「承認欲求」を持つ人間にとって最も辛いのは「無視される」ことである。「シカトされる」という言葉があるが、話しかけても顔を向けず返事もしない人物には殺意さえ覚えるかもしれない。会議で意見を述べても、「では、次の議題」と無視(僕にも経験がある)されたら人は深く恨みを抱くかもしれない。子供たちの「いじめ」では、集団で一人の子を「無視する」ことが多いらしい。それが一番心理的に追い詰めることになるとわかっているのだろう。

テレビに向かってツッコミを口にする人はけっこういると思う。僕もときどきある。そのとき、家族は完全に無視をする。自分の言葉は空中に消えていくだけだ。そんなとき「そのとお~り」と反応してくれるのはうれしい(うれしくないか?)と思う。少なくとも「その通り君」は承認してくれたのである。ということで、一家に一台「その通り君」を----

 

2026年8月 1日 (土)

■日々の泡----黒人差別について

 

分厚い「ソニー・ロリンズ伝」(亜紀書房刊)を読んでいると、1951年の章の中で気になる部分があった。その頃、ソニー・ロリンズはジャズのサックス奏者として名前が知られ始めたのだが、まだ名盤「サキソフォン・コロッサス」は出していない。ニューヨークのハーレム育ちのロリンズはジャズクラブ「バードランド」に出演するようになっていた。僕が気になった記述は以下の部分だった。

----ロリンズがマイルスと共演したギグのいくつかは、明らかに政治的主張を支持するものだった。五月十一日金曜日、ロリンズはマイルス・デイヴィス・オールスターズと一緒に、米国共産党の若者を中心とした支部であるニューヨーク州労働青年同盟(LYL)の、大会前のイベントで演奏した。

1951年はマッカーシズム(赤狩り)真っ最中の時期である。「ハリウッド・テン」と後に呼ばれることになった監督・脚本家たちは「共産党との関係」を追及され、「共産党員の仲間の名前を言え」と強要されていた。それらすべての証言を拒否した作家ダシィール・ハメットは逮捕収監され、半年以上も刑務所で過ごすことになった。そんな時期にマイルスたちは政治的集会で演奏したという。すごいなあ。

さらに僕が驚いたのは、「LYLダンスが行われたのは、第二次世界大戦の退役軍人で四人の子供の父親であるウィリー・マギーが、一九四五年に白人女性をレイプしたとして不当に有罪判決を受け、五月八日に処刑されたことに抗議するハーレムの街頭デモのわずか数日後だった」という記述だ。有罪かどうかわからないが「レイプで処刑?」と思った。黒人が白人女を犯したら死刑になるのだ。

さらに、そのデモに関してのマイルスのコメントの中に「マーティンズヴィル・セブン」という言葉が出てくる。それは1949年にバージニア州マーテングヴィルで起こったレイプ事件で、白人女性を七人の黒人が暴行した容疑で全員が死刑になったという。マイルスは「この国がやることのおかげで、俺の頭はおかしくなりそうだ」と語った。マイルス自伝を読むと、彼がひどい差別に遭い続けてきたことが綴られている。

アメリカの白人たちの黒人差別意識の深層には「黒人の性的能力へのコンプレックスがある」と、昔、何かで読んだことがある。おそらく、それは当たっている。60年代の公民権運動が盛り上がるきっかけになった黒人少年のリンチ事件も、その少年が白人女性をイヤラシイ目で見たという些細なことがきっかけだった。それは白人男の言いがかりだったと思うが、黒人少年を惨殺した犯人たちは無罪になった。

そんなことを考えていると、ボリス・ヴィアンの「墓に唾をかけろ」を思い出した。ボリス・ヴィアンは多才な人で作家でありジャズ・ミュージシャンでもあった。パリ生まれでアメリカなどいったこともないのに、ペンネームでアメリカ南部を舞台にした小説を書いた。その作家ヴァーノン・サリヴァンはアメリカ生まれの黒人という設定で、ボリス・ヴィアンがフランス語に翻訳して出版した形にした。

「墓に唾をかけろ」は弟をリンチで殺された兄が白人の女たちを犯して復讐する物語である。兄は白人に間違われる容貌を利用して、白人として金持ちの姉妹に近づく。暴力とセックスの描写が過激で、フランスで裁判沙汰になった。フランスで映画化(1959年)され、日本では翌年に「墓にツバをかけろ」のタイトルで公開された。「太陽がいっぱい」が公開され、主題歌がラジオからひっきりなしにかかっていた1960年である。

僕は早川書房から出ていたボリス・ヴィアン全集を何冊か持っていたが、「墓に唾をかけろ」は過激な内容に怖れをなして読んでいないのだけど映画版は見た。クリスチャン・マルカンという大柄な俳優は、黒人の血が入っていると言われれば納得する印象だった。スキャンダラスな内容は知られていたから興味本位の観客たちが押し掛けた。僕は映画そのものより黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの映画評の方が印象に残っている。

ちなみにこのブログのタイトル「日々の泡」はボリス・ヴィアンの代表作のタイトルを借用した。日本では「うたかた(泡沫)の日々」とか「うたかたの恋」などと訳される方が多いかもしれない。ボリス・ヴィアンは「墓に唾をかけろ」の完成試写中に急死した。元々、心臓が悪かったのである。39歳だった。

2026年7月25日 (土)

■日々の泡----犀星の「杏っ子」

 

僕は成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955年)を日本映画のベストワンだと思っているので、多くある成瀬作品をすべて見たいと思い機会があれば見るようにしている。最近、状態は悪いが「春の目ざめ」(1947年)を見た。久我美子が女子高生のヒロインである。日活映画の悪役で見知っていた近藤宏も高校生の役で出ていて驚いた。思春期の性の目覚め(といっても昭和22年の作品)を描いたもので、なかなか楽しく見ることができた。

成瀬作品は戦前のものが三十本、戦後の作品がオムニバス作品を除き四十本近くある。「銀座化粧」「舞姫」「めし」を撮ったのが1951年(昭和26年)で、「めし」の評価が高く「戦後、低迷していた成瀬が復活した」と言われた。つまり戦前から名監督として認められており、黒澤明が助監督についた作品もある。僕は戦前の作品を半分ほどは見ることができた。

戦後作品は終戦直後の数本は見ていないが、「めし」以前の1950年公開「石中先生行状記」「怒りの街」「白い野獣」「薔薇合戦」はどれもおもしろく見た。成瀬監督が不調だとは思えなかった。「めし」以降は珍しく三船敏郎が出ている「妻の心」(1956年)、室生犀星原作の「杏っ子」(1958年)、石森延男の原作が話題になったアイヌを描いた「コタンの口笛」(1959年)が未見である。

中でも「杏っ子」はずっと気になっていて、見たいものだと思っている。山村聡が室生犀星を思わせる作家であり、娘の杏子を香川京子が演じているが、現実の犀星の娘なら室生朝子であり彼女も作家になった。物語は杏子が結婚した相手(木村功)が小説家をめざす青年だったことから、夫婦の間が次第に不和になっていくというもの。成瀬作品としてはおなじみの夫婦の不和というテーマで、どう描いているのか興味が湧く。

ということから、とりあえず「杏っ子」を読むことにした。室生犀星は「ふるさとは遠きにありて思ふもの」で有名な「抒情小曲集」を始め、小説「蒼白き巣窟」「性に目覚める頃」などを読んだくらいで長編に挑戦するのは初めてだった。文庫で500ページを越える大作だ。「小説家の平山平四郎は----」と始まる小説は自伝小説で、平山は犀星その人である。平山平四郎が生まれる前の「血統」という章から始まり、複雑な平四郎(犀星)の生い立ちそのものが語られる。

主人公は平山と別名にしているのに「菊池寛」「芥川竜之介」「萩原朔太郎」などは実名で登場し、「友人の佐藤春夫」が関係する「三田文学」に娘婿の詩の掲載を頼むエピソードも出てくる。「中央公論」「改造」などの雑誌名もそのままだ。もっとも、主人公の平山平四郎は戯画化されている感じである。三人称で書いているので、作者が平四郎に批判的な書き方をしている場面も多々あった。自虐的である。

杏子は関東大震災の日に産まれた子で、平四郎には特別な思いがある。戦争が始まり信州に疎開し、そこで杏子は青年たちと知り合い、その中のひとりが結婚を申し入れてくる。彼は写真の仕事で糊口をしのいでいたが、小説家をめざしていて結婚すると仕事を辞め売れない原稿を書くだけになる。生活に窮した杏子は自分の持ち物を売り何とか日々をやりくりするが、夫は酒を飲んでは荒れ杏子と父親の平四郎をなじる。

原作の後半だけを映画化したのだろうが、杏子と夫の生活は地獄である。今ならサッサと別れるのだろうが、なぜか杏子は別れない。杏子の弟の平之介の方は幼なじみと結婚するが、新婚早々に妻とうまくいかず三ヶ月で別れてしまう。今なら「成田離婚」である。弟の相手は平四郎が少女の頃に認めた美人(このあたりの描写はロリコンっぽい)で、父の強い勧めで結婚したわけだから「三ヶ月で離婚するとは----」と父に言われると平之助には理不尽な思いが募るだけである。

要するに「杏っ子」の後半は父親の思い込みや鈍感さによって、娘と息子の結婚が破綻する物語である。老大家の娘と結婚した文学青年は、義父への屈折した思いと父を崇拝する妻へのやりきれなさから、自分の才能のなさを棚に上げて荒れ狂う。自負だけは強いので、嫌なキャラクターとしか感じられない。その辺は作者の意図だろうか。疑問が湧く。弟の結婚相手も美人かもしれないが(そのため平四郎が執着している)、ひどく性格の悪い女に描かれる。息子と別れた後、慰謝料を要求する手紙が平四郎に届くが、彼は女に同情して支払う。

ということで、室生犀星の代表作「杏っ子」は少し後味の悪い小説だった。映画化作品の方はどうなのだろう。成瀬監督は犀星の「あに・いもうと」も映画化(1953年)しているが、こちらは名作だった。原作は何度も映画化され、渥美清と倍賞千恵子でテレビドラマ化されたり、舞台化もされた評価の高い中編である。

2026年7月18日 (土)

■日々の泡----「赤狩り」直前のリベラルな映画たち

 

エリア・カザン監督「紳士協定」(1947年)を見たときに、ジョン・ガーフィールドという役者が印象に残った。ジャーナリストの主人公(グレゴリー・ペック)がユダヤ人差別の実態を調べるために自らを「実はユダヤ人なのです」と告白し、様々な差別を体験する物語である。エリア・カザンが「赤狩り」で転向する前に撮ったリベラルな作品のひとつだ。

ジョン・ガーフィールドは主人公の友人で、ひどい差別を受ける主人公にユダヤ人として様々な忠告をする。差別意識のひどい登場人物たち(主人公の恋人さえ差別意識を捨てられない)の中で、彼だけは信じられるキャラクターだった。そのジョン・ガーフィールドが後に「赤狩り」でブラックリストに載りハリウッドで仕事ができなくなり、失意のうちに1952年に39歳で死んだと知った。遺作は「その男を逃がすな」(1951年)である。

彼が主演した有名な映画は、胸の膨らみがセクシーなのでセーターガールと呼ばれたラナ・ターナーと共演した「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)だった。ジョン・ガーフィールドは流れ者を演じ、街道沿いのダイナーの主人を若い妻と共謀して殺す。同じ原作をルキノ・ビスコンティは監督デビュー作として映画化(1942年)し、後にボブ・ラフェルソン監督がジャック・ニコルソンを主人公にして映画化(1981年)した。

先日、プライム・ビデオでジョン・ガーフィールドの未見の作品を二本も見つけた。「悪の力」(1948年)と「ストレンジャー6」(1949年)である。「悪の力」は脚本・監督がエイブラハム・ポロンスキーであり、「ストレンジャー6」は監督がジョン・ヒューストン、脚本がピーター・ヴィアテルだった。ピーター・ヴィアテルは後に「ホワイトハンター・ブラックハート」というジョン・ヒューストンをモデルにした小説を書き、クリント・イーストウッドが映画化(1990年)することになる。

エイブラハム・ポロンスキーも「赤狩り」に遭い長く映画が作れなくなるが、「夕陽に向かって走れ」(1969年)で復活する。「明日に向かって撃て!」(1969年)がヒットした後なのでそんな邦題になったのだが、原題は「ウィリーボーイはここにいると奴らに告げろ」というもの。ネイティブ・アメリカンのウィリーボーイ(ロバート・ブレイク)は恋人(キャサリン・ロス)と共に居留地を脱出するが、保安官(レッドフォード)に追われる。ポロンスキーらしく抑圧されたネイティブ・アメリカンに寄り添った作品だった。

「悪の力」はナンバー賭博の胴元に協力する弁護士(ガーフィールド)がまっとうにブックメーカーを営む兄と暗黒街の板挟みになるストーリーで社会派ドラマといえる作品だったが、特に「赤狩り」に遭うようなものではないと感じた。ポロンスキー自身がアメリカ共産党の党員だったことで「赤狩り」の標的にされたのだろう。彼は〈赤狩りに脅えて友を売った裏切り者〉エリア・カザンがアカデミー功労賞を受けたとき、「受賞反対」を訴える人々と共に会場の外にいたという。

「ストレンジャー6」はキューバのハバナが舞台だった。映画製作の頃にはまだカストロとチェ・ゲバラの革命は起こっていないし、設定は1930年代の独裁者によって支配されていた時期である。冒頭、政権批判のビラをまいた青年が秘密警察によって射殺される。青年の姉(ジェニファー・ジョーンズ)は復讐を誓い、弟が所属していたレジスタンス組織に近づき幹部(ジョン・ガーフィールド)と出会う。二人は四人の仲間たちを加え、大統領暗殺計画を推進する。

大統領が出席する葬儀会場を爆破するためにトンネルを掘るのだが、直前に秘密警察に襲撃され二人は応酬する。ジェニファー・ジョーンズがマシンガンを連射するシーンに僕は思わず拍手した。レジスタンスの戦士ガーフィールドはジョーンズに抱かれて息絶えるけれど、そのときには民衆が蜂起し革命は成功する。ヒューストン監督が「キー・ラーゴ」(1948年)に続いて撮った作品だが、こちらの方は「赤狩り」の対象になりそうな内容だった。

現在、トランプ大統領の批判者たちにロバート・デ・ニーロ、リチャード・ギア、ジョージ・クルーニーなどハリウッドスターが多くいる。リベラルな作品群を送り出していた監督・俳優・脚本家などが「赤狩り」に遭ったようなことが、再び起こりそうな気配さえ感じられるのが現在のアメリカだ。そんなことにならないように祈りたい。

2026年7月11日 (土)

■日々の泡----松原智恵子は音痴か?

 

「陽炎座」(1981年)の公開直前に僕は鈴木清順監督をインタビューしたことがある。当時、8ミリ専門誌の編集部にいたので取材を申し込んだところ、渋谷のオフィスでプロデューサーの荒戸源次郎さんと鈴木清順監督に会えることになった。前年公開の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)があらゆる映画賞でベストワンを獲得し、熱心なファンしか知らなかった監督の名は日本中の人が知ることになった。

元NHKアナウンサーで「気配りのススメ」という本がベストセラーになって、これも日本中の人が知っていた鈴木健二が弟である、ということもテレビなどで取り上げられた。高校時代から「けんかえれじい」(1966年)が大好きだった僕はずっと清順映画のファンだったし、大学時代にはオールナイト五本立ての「清順作品特集」を何度も見たが、「気配りのオジサン」が弟だとはまったく知らなかった。

そんなわけで、僕は「陽炎座」について訊くことはもちろんだが、日活時代の作品についてもいろいろと質問した。特に「東京流れ者」(1966年)についてはマニアックな質問ばかりしたと思う。「東京流れ者」は色分けにこだわった映画で、「不死鳥の哲」こと渡哲也は白、その兄貴分で哲が「俺は義理を欠いた野郎は嫌いだ」と非難する二谷英明の役は緑が象徴する。また、悪役の事務所の電話(もちろん固定)は赤で、哲の親分の家の電話は白、といった具合だった。

そんな質問のひとつに声の異化効果があった。「陽炎座」では芝居小屋の客たちは回転を早くした声で喋り(妖怪の声だ)、観客をドキリとさせる。そこで僕は「『東京流れ者』では松原智恵子のクラブ歌手が歌うシーンが何度かありますが、普段の松原の声とはまったく違う低音のハスキーな歌声に吹き替えていますよね。あれも、『陽炎座』で妖怪の声に吹き替えたような効果を狙ったのですか?」と訊いたが、監督は「あれは、松原が歌えなかっただけ」とにべもなかった。

しかし、松原智恵子ファンの僕としては、あの吹き替えはずっと気になっていたことだった。どうしてあんな似ても似つかぬ声の歌手で吹き替えたのか、そこに何らかの意図があったに違いないと考えていたのに、監督にあっさりと否定されると、「これは監督特有の韜晦ではないか」という疑いが湧き起こってきた。鈴木清順監督は聞き手を煙に巻くので有名だった。翌月に載った僕の4ページのインタビュー記事も、映画評論家たちから「よく、清順さんからまともな答えを引き出せたね」と言われたものだった。

さて、「東京流れ者」のヒロインである松原智恵子は、同じく渡哲也とコンビを組んだ「無頼シリーズ」に比べると、ひどい扱いを受けているように思える。口を開けば「哲也さん」としか言わないし、血の通った人間には見えない。あの映画は、それぞれ典型的なキャラクターにしているので、松原智恵子は「主人公を慕う可憐なヒロイン」を極端に演じているだけなのだろうけど、「指からこぼれた~悲しみは~」と歌うシーンは、あまりに松原智恵子の声と違い明らかな吹き替えに笑ってしまう客もいたのだ。

しかし、松原智恵子ファンではあったけれど僕は彼女がレコードを出しているのは知らなかったので、監督の答えを聞いたときには「松原智恵子は音痴なのだ」と理解した。しかし、それから長い時間が経って、ある日、ユーチューブで松原智恵子の昔の歌を何曲も見つけたときには、「何だ、上手じゃないか」と僕は思った。特に「泣いてもいいかしら」という歌はリフレインが耳をついて離れなくなり、ときどき口ずさむようになった。いわゆる愛唱歌である。

で、今更だし、亡くなってもう十年近いけれど、僕は強く鈴木清順監督に言いたい。「監督、彼女は音痴じゃなかったですよ。やっぱり、あの吹き替えは観客を驚かす、ドキリとさせる効果を狙ってやったことなんじゃないですか。〈清順美学〉と言われたハッとさせるシュールで華麗な映像だって『鬼面人を驚かす』効果を狙ったのでしょう。音声に関してもそうだったんじゃないでしょうか」と。昔、工藤栄一監督に取材したとき、あるシーンに対する僕の質問に「ああ、あれはケレンでね」と工藤監督はあっさり答えてくれたけれど、清順作品はどれもケレンのデパートである。

2026年7月 4日 (土)

■日々の泡----獅子文六の時代

 

前から気になっていた獅子文六の小説「コーヒーと恋愛」(ちくま文庫)を読んだ。一時期、獅子文六の本は入手しにくかったけれど、ちくま文庫で代表的な何作かは復刊されている。獅子文六は戦前からの人気作家で、戦前にも映画化作品がいくつもある。戦争中、「海軍」という小説を書き映画化(1943年)もされたので、戦後は「軍国主義に協力した作家」とされたが人気は復活した。「麦と兵隊」を書いた火野葦平が戦後に「花と龍」(何度も映画化された)を書きながら、自殺(最近、判明?)したのとは対照的である。

僕の印象では、獅子文六は昭和30年代の流行作家である。最も作品を書いたのは昭和30年代ではないだろうか。本人も書いているように「戦前から、ずいぶん新聞小説を書いている」のだが、作品が多く映画化され人気を博したのは戦後のことだった。宝塚出身の淡路千景のアプレぶりが印象的な「てんやわんや」(1950年)は、渋谷実監督の演出もあり話題になった。また同じ小説(「自由学校」と「青春怪談」)が同時期にふたつの映画会社で映画化されたのも当時の人気度をうかがわせる。

僕が獅子文六の名前を知ったのは中学生の頃で昭和40年(1965年)のことだった。大御所になっていた獅子文六の「父の乳」という作品が話題になったからである。その頃、NHK連続テレビ小説は一年続く構成で「たまゆら」「おはなはん」「うず潮」などは憶えているが、その第一作めの「娘と私」(1961年4月~1962年3月)の原作が獅子文六だというのも同じ頃に知ったと思う。

調べてみると「コーヒーと恋愛」(元のタイトルは「可否道」)も「『可否道』より なんじゃもんじゃ」(1963年)として映画化されていた。ヒロインは四十過ぎのテレビドラマ中心の女優(原作ではテレビ・タレントと呼ばれている)であり、それを森光子が演じているらしい。八歳下で新劇を崇拝している若い同棲相手は川津祐介なのだろう。昭和38年の公開だから、新聞連載はその前年くらいだと推察できる。

「コーヒーと恋愛」は新劇と草創期のテレビ業界を背景にしているから、獅子文六が熟知している世界である。ヒロインは元新劇女優で、今はテレビのホームドラマの母親役などで人気者になっている。一緒に暮らす夫は新劇の舞台装置担当で、新劇は芸術であると思っているからテレビドラマを忌み嫌っている。したがって、軽蔑するテレビで稼いでいる妻の金で養われていることがイヤになり若き新劇女優に走る。テレビは「電気紙芝居」と言われていた時代である。

小説を読んで「古色蒼然」と感じることはあまりないのだが、「コーヒーと恋愛」を読んでいると、やはり風俗を描いた部分では時代を感じてしまった。もっとも、それが懐かしい歳になったので、「古色蒼然」というより「懐旧の念」の方が合っている。むしろ、当時のモラルや常識などに「隔世の感」を強くおぼえた。現在はハラスメント(不機嫌ハラスメントにホワイトハラスメント?)ばかりで窮屈すぎると思うが、それでも昭和30年代半ばに生きている男(50代の資産持ちの遊民で働いたことがない)と大学卒業間近の息子の会話には、僕も唖然とした。

----ぼくら、細君を貰ったら、必ず、皿洗いをさせられるものと、覚悟きめてるんですぜ。
----驚いたね。今の婿さんて、そんなに哀れなものかい。

この中年男の生まれは明治末期か大正初期だとすれば、精神が育成されたのは大正時代だから、まあそんなものなのかと思う。「男子、厨房に入らず」の時代である。家事をするのは男の恥であり、夫に家事をさせる妻は非難された。獅子文六は1893年生まれだから明治半ばの生まれ。案外、作者自身の声なのかもしれない。作中、随所にそんなことを感じる小説でもあった。

僕は獅子文六の小説の映画化では市川崑監督の日活版「青春怪談」(1955年)と川島雄三監督で若き加山雄三と星由里子のカップルが印象的な「箱根山」(1962年)が大好きなのだが、映画では「隔世の感」を感じなかったのは映像表現と文章での表現の違いなのだろうか。「青春怪談」では、男言葉を話すヒロイン(北原三枝)と女言葉を話す主人公(三橋達也)が登場し、さらにヒロインを「お姉さま」と慕う少女(芦川いづみ)が登場する。その物語に僕はLGBTQの先駆けを見た印象だったのだけれど----。

2026年6月27日 (土)

■日々の泡----諦めという名の猫

 

「欲望という名の電車」はテネシー・ウィリアムズの代表作で、日本では文学座の十八番の出し物だった。主演のブランチ・デュボアは杉村春子のアタリ役で、義弟のスタンリー役は北村和夫(北村有起哉は息子らしい)だった。中学生くらいの頃、その舞台写真を見て北村和夫がランニングシャツ姿だったので「これが舞台衣装?」と思ったものだ。

アメリカでは戯曲作家は日本よりずっと尊敬されていて、ステイタスも高い。中でもテネシー・ウィリアムズはアメリカ文学史上の重要な作家として捉えられている。「欲望という名の電車」もハリウッドで何度か映画化されているが、やはりヴィヴィアン・リーがブランチを演じたエリア・カザン監督「欲望という名の電車」(1951年)にとどめを刺す。これで、ヴィヴィアン・リーは二度めのアカデミー主演女優賞を得た。

「欲望という名の電車」の冒頭には「デザィア」と行き先を書いた電車が登場する。つまり、「欲望」行きの電車なのである。昔、北海道の駅で「愛国」「幸福」というのがあり、「愛の国」から「幸福」へと読めるので、その切符を記念に買う旅行者がイッパイいたが、「欲望」という名の駅があってもあまり買う人はいないのではないだろうか。「デザィア」と歌ったのは中森明菜だったけれど、あれは英語だったからヒットしたのだと思う。

さて、「○○という名の○○」という言い方は、テネシー・ウィリアムズで覚えたが、十代の頃には別のふたつの「○○という名の○○」を聴いた。ひとつは劇作家の藤田敏雄が作詞した歌で「希望という名のあなた」を尋ねて果てない旅をするものだった。もうひとつは寺山修司が作詞し浅川マキが歌った「不倖せという名の猫」である。その猫は「いつも私のそばにぴったり寄り添っている」のだ。

それからずいぶん経って、あるフランス映画が「あるいは裏切りという名の犬」(2004年)として公開された。原題はセーヌ川の中州であるシテ島のパリ警視庁を示す「オルフェーブル36番地」なのだけれど(日本ならサクラダモンというタイトルになるか)、それを気取ったハードボイルド風のタイトルにしたセンスはどうなのだろう。もっとも、そのタイトルに惹かれて僕は見にいったのだが----。

映画は久しぶりのフレンチ・ノアールですっかり堪能してしまい、「愛を弾く女」(1992年)以来、久しぶりに見たダニエル・オートゥイユに惚れなおした。これ以降、同じオリヴィエ・マルシャル監督の「やがて復讐という名の雨」(2007年)「いずれ絶望という名の闇」(2009年)など、日本公開された作品、DVDのみで発売になったものなどを追いかけてすべて見た。この監督、警官としてパリ警視庁に勤めていた経験があるという。問題は、奥さんらしい女優カトリーヌ・マルシャルを重用しすぎることである。

ところで、「○○という名の○○」はいくらでも作れるわけで、先日、散歩しながらいくつか考えてみた。散歩は、どうでもよいことを考えるには最適の行為だ。すると、「暇つぶしという名の散歩」というフレーズがまず浮かんできた。しかし、最初の○○には抽象的な(あるいは形而上的な)言葉を使った方がいい。「欲望」「希望」「不倖せ」「裏切り」「絶望」などである。後の○○は「電車」「猫」「犬」など、形而下的かつ具体的な名詞が向いている。

ということで、僕の最近の想いを象徴するフレーズとして浮かんできたのが「諦めという名の猫」だった。すべてを諦めている現状で、散歩の途中に猫に会うことだけを楽しみにしているからだ。今日の散歩でも、新しい猫(茶トラと黒猫)に会った。どちらもまだ成猫にはなっていない。猫の前でしゃがみ込み目を合わせて何度も瞬きし、低い静かな声で「ごはん、もらってる?」と話しかけると、最初、警戒して逃げかけていた子猫はどちらも、僕の前で香箱座りをして瞬きを返してくれた。

 

2026年6月20日 (土)

■日々の泡----ふたりの巨匠作品に出た元ボクサー

 

大学生の二年間、僕はボクシングの練習に通っていた。といっても、大学の体育の授業でボクシングを選んだだけだ。体育の授業は毎週きちんと出席していれば単位がもらえたので、僕は欠かさず出席した。毎週、別の駅にある理工学部校舎のボクシング練習場へ通ったものだった。ボクシング部の部員が教師のアシスタントについていた。その頃、僕の大学のボクシング部は関東大会で優勝するような実力だったらしい。

なぜボクシングを選んだかというと、一年の初めの体育の授業を何で取るかを選ぶときに僕が遅れていくと「ボクシング」しか残っていなかったのだ。しかし、一年間通ってボクシングが面白くなり、二年になっても僕はボクシングを選んだ。フットワークと構え方から始まり、16オンスのグローブをつけるまで半年以上かかったが、パンチングボールを初めて叩いたとき、あるいはサンドバッグにパンチを入れたとき、何とも言えない快感を感じたものだった。

もっとも、ボクシングを選んだ理由は五木寛之の「青春の門」の影響があるのかもしれない。「青春の門」は週刊誌に連載されていて、僕の大学一年のときに「自立篇」上巻の単行本が出た。その中で、伊吹信介は早稲田大学に入り体育の授業でボクシングを選び、石井コーチに才能を認められ彼の家で暮らすことになる。信介はボールを顔に投げられても目を閉じるな、といった訓練を受けさせられる。

ただ、僕にはボクシングの才能はなく、体育教師も僕をボクシング部にスカウトする気はまったくなかった。僕は腹筋を鍛えるためか、ボクシング部員に重いボールを腹の上に落とされたり、息があがるほど縄跳びをさせられたり、反対側に金属の重しのついた握りのあるロープを左右の手で握り、何度も引き上げさせられたりしただけだった。16オンスのグローブを付けてリングにあがり、一分間だけシャドーボクシングをさせられたときには死ぬかと思った。

だから、その当時のボクシングの試合はけっこう見た。大場政夫や柴田国明が世界チャンピオンだった大昔のことである。僕が好きだったのは大場政夫だった。彼は相手の懐に飛び込んで撃ち合う典型的なインファイターだった。力石徹は死んだが連載はまだ続いていた「あしたのジョー」のようなボクサーだった。しかし、大場は僕が大学二年のときに首都高速の大曲カーブで事故死した。

ガッツ石松が世界チャンピオンになったのは、その翌年、1974年のことだ。大場に比べればスマートでなくオッサン顔だったので、僕よりずっと年上の印象をずっと持っていたのだけれど、先日、訃報が出て76歳とあったので「何だ、ほとんど同い年じゃないか」と思った。その後、あの顔に味があるのか、「おしん」や「北の国から」でシリアスな演技を見せ、僕も役者として認知した。決して「オッケー・オッケー、オッケー牧場」だけのテレビ・タレントではなかった。

そのガッツ石松はハリウッド映画の巨匠ふたりの映画に出ている。ひとりはスティーブン・スピルバーグ監督だ。「太陽の帝国」(1987年)は上海のイギリス租界で優雅に暮らす英国人一家が日中戦争に巻き込まれ、両親とはぐれた主人公の少年(クリスチャン・ベール)が日本軍の収容所で成長する物語だった。当然、日本兵の役が必要で伊武雅刀などと共にガッツ石松も登場する。オーディションに通ったのだろう。

もうひとりの巨匠はイギリス出身のリドリー・スコット監督。日本(大阪)を舞台にした「ブラック・レイン」(1989年)だ。マイケル・ダグラスとアンディ・ガルシアはニューヨーク市警殺人課の刑事、ある日、昼食を摂っているときに殺人を目撃して犯人を逮捕する。男は斎藤(松田優作)という日本の新興ヤクザで、彼を大阪府警に引き渡すために日本まで護送してくる。

空港で飛行機の中に斎藤を引き取りに現れた刑事役がガッツ石松である。もっとも、マイケル・ダグラスと英語でやりとりするのは上役の刑事(内田裕也)だ。しかし、彼らは偽警官で斎藤の手下たちだった。大阪府警でふたりの世話役として付いたのが松本警部(高倉健)だった。彼らは斎藤のアジトを急襲し、そこにはふんどし一丁のガッツ石松がいる。背中にクリカラモンモンである。

マイケル・ダグラスは「こいつは飛行機に斎藤を受け取りにきた奴だ」と言うが、ガッツ石松のセリフはなかったように記憶している。それでも、ハリウッド映画の巨匠作品に二本も出演したのだから大したものだと思う。冥福を祈る。

 

2026年6月13日 (土)

■日々の泡----井上靖は映画嫌い?

 

「文豪文士が愛した映画たち」(ちくま文庫)に井上靖の「ピクニックを観る」というエッセイが取り上げられていた。文庫3ページの短文である。井上靖が映画について書いているのは大変珍しい。1956年5月号の「スクリーン」に掲載されたものらしい。「スクリーン」という洋画のファン雑誌に井上靖が寄稿したのも珍しいのではないか。

「ピクニック」(1955年)の日本公開は昭和31年。公開前の試写で見て書いたのだろう。人気スターだったウィリアム・ホールデンの上半身裸のポスターを僕はよく憶えている。彼は流れ者である。肉体派女優キム・ノヴァクとのシーンが何となく浮かんでくる。元はヒットした舞台劇で、井上靖は映画のことより戯曲について多く触れている。舞台の演出家だったジョシュア・ローガンが映画版も監督しているから、そういう流れになったのかもしれない。

1956年と言えば、井上靖は超人気のベストセラー作家である。映画化された作品も多い。調べてみると1951年から1959年まで、18作が映画化されている。「その人の名は言えない」(1951年)から始まり、「戦国無頼」(1952年)「昨日と明日の間」(1954年)「黒い潮」(1954年)「あした来る人」(1955年)「氷壁」(1958年)など充実した作品群である。60年代になっても人気は衰えず、1960年~1969年にも14作品が映画化された。

それなのに「ピクニックを観る」というエッセイは、「僕は映画はあまり見(原文ママ)ない。観れば観たで面白いが、併し何か特殊な理由でもない限り、自分から出かけて行くということはめったにない」という文章で始まっている。この文章を書いた「特殊な理由」が編集部からの依頼であることがうかがえる。文芸誌でなく洋画ファン雑誌としては、ベストセラー作家に書いてもらうために高額な原稿料を提示したのではないか。専門雑誌の出版社に40年勤めた僕としては、そんなことを邪推してしまう。

文章全体を読んでも、井上靖が気乗りしていないのが伝わってくる。「構成ががっちりしているのは原作の戯曲を殆どそのまま映画化しているためであろう」と続け、原作のことにばかり言及する。映画については「映画の演出家でない舞台演出家ローガンが、しかもかなり拙く顔を出し始めたからである。いい加減で切って貰いたかった」と手厳しい。さすがにまずいと思ったのか、「併し、このようにいろいろ文句はつけるが、それも映画『ピクニック』がいろいろの意味で非常に面白かったからである」と、とってつけたように文章を結んでいる。

この短文を読んで、「井上靖は映画が好きではないのだな」と推察した。だとすれば、自作の映画化作品についてはどう思っていたのだろう。映画化作品だけでも50本近くあるし、テレビドラマ(「風林火山」がNHK大河ドラマになった)も含めればかなりな作品数になるだろう。僕も好きな作品が多い。晩年の代表作「本覺坊遺文」も熊井啓監督によって「千利休 本覺坊遺文」(1989年)として立派に映画化されている。もしかしたら、自作の映像化作品は見なかったのだろうか。

そんなことで思い出したのが原田眞人監督の「わが母の記」(2011年)のワンシーンである。「わが母の記」は小説というよりは自伝で、役所広司が演じたのは井上靖本人である。老いた母は樹木希林。井上靖の娘を宮崎あおいが演じていた。ある日、娘が映画にいくと言ってタイトルを口にすると、父親の井上靖は色をなして怒る。「そんな映画を若い娘が見にいくとは何事だ!」と言うのである。

娘が見にいくと言ったのは「処女の泉」(1960年/日本公開は翌年3月)だ。井上靖はタイトルだけで内容を想像し、猛反対したのである。当時、スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンは芸術映画(?)の監督として評価されていた。僕が読んでいたのは60年代後半だけど、「スクリーン」でもベルイマン論が長期連載されていた。そんなことは、井上靖はまったく知らなかったのだろう。というか、おそらく映画に関心がなかったのだ。

僕は井上靖の本はかなり読んでいるし、数年前に北海道旅行をし旭川にいったときには、雨の中「井上靖記念館」を訪ねてじっくりまわってきた。「戦国無頼」や「あした来る人」は何度も読み返している。川島雄三監督が映画化した「あした来る人」は何度も見る。それなのに、今頃になって「井上靖は映画嫌いではないか」という疑惑が湧き起こってきた。だからといって、もう読まないというわけではない。「蒼き狼」「敦厚」「楼蘭」など、西域ものに未読のものがまだ残っていて老後の楽しみである。

2026年6月 6日 (土)

■日々の泡----映画が古くなるとき

 

「文豪文士が愛した映画たち」(ちくま文庫)という本を見つけて読んでいる。目次を見ると僕が愛読した作家たちの名前が並んでいた。福永武彦、井上靖、開高健、大岡昇平、遠藤周作、吉行淳之介、井上ひさし、安部公房、川端康成、谷崎潤一郎、色川武大、五味康祐、永井荷風、司馬遼太郎などなど、「映画のことなどまったく書いていないのに、よく見つけてきたな」と思う作家も多い。

巻頭は福永武彦がジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」(1940年)について書いたもので、日本初公開当時に河出書房の「文藝」に掲載された。日本初公開は昭和38年(1963年)である。当時の「文藝」編集長は坂本一亀だと思う。坂本龍一の父親である。坂本龍一は僕と同い年だから、その頃は小学六年生だったはずだ。

小説「怒りの葡萄」は福永が文中でも書いているが、1939年にジョン・スタインベックが発表してベストセラーになりピューリッツァー賞を受賞した。その年、すでに世界的なベストセラーになっていた「風と共に去りぬ」が紆余曲折を経てハリウッドで映画化されて大ヒット、イギリスで数本の映画に出ていただけの女優ヴィヴィアン・リーは一躍有名になった。ただし、日本初公開は戦後の昭和27年だった。

映画「怒りの葡萄」は1940年に公開され、アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞などを獲得する。貧しい農民が搾取され団結を訴える物語を作りながらフォードは10年後の「赤狩り」を免れたのが、僕は昔から不思議だった。フォードは1941年には「わが谷は緑なりき」で再びアカデミー監督賞を受賞。この作品でもウェールズの炭鉱労働者のストライキが描かれた。「男の敵」(1935年)以来、フォードは生涯で五度アカデミー監督賞を受賞しているが、この頃が最盛期だと思う。

「『怒りの葡萄』は一九四〇年に製作された映画だから、今頃これを見れば、まず古くさいという印象が与えられる筈である。ところがそうではなかった」と福永武彦は書き始めていた。執筆時から数えれば22年前の作品である。「映画は公開時に見るもので時と共に古びる」というのが当時の認識だった。その頃、映画は初公開されてから二番館、三番館とまわっていくが、古い映画といっても数年前のもの。二十年以上も昔の作品は「古色蒼然」となると思われていた。

東映、東宝、大映、松竹、日活の五大映画会社は健在で、毎週、二本立てのプログラム・ピクチャーを系列の映画館に配給していた。それらは消耗品であり、公開期間を過ぎれば見ることはできない。特に地方都市に住んでいた僕は、見逃した映画を見ることはできなかった。高校生の頃、「風と共に去りぬ」がリバイバル公開されて見にいったが、見ている間ずっと「30年前の映画なんだ」という思いが消えなかった。

しかし、あれから半世紀以上が経ち、今やどんな映画も平等に受け取られる時代になった。レンタル・ビデオ店がいっぱいできた時期を経て、DVD時代になり、今や配信である。配信のサイトで検索すれば、サイレント時代の名作も、成瀬、小津、黒澤の作品も、ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダーの作品も新作と同等に出てくる。映画は消耗品ではなく、クラシックになった(と思う)。

ちなみに福永武彦は「知っている人はあまりいないが、僕は大学生の頃『映画評論』という高級映画青年向きの雑誌の同人で、アルバイトに映画批評をやっていた」という。ほとんどの福永作品を読んでいる僕も、それは知らなかった。その頃、福永武彦はフランスの監督たちに傾倒していて、「ルネ・クレールを別格に、フェーデ、デュヴィヴィエ、ルノワール、それにワイラー」などが好きだったらしい。

さすがにそれらの監督の名は僕にも「古くささ」を感じさせるが、検索すればかなりの作品が見られるし、初めて見る作品は「新しさ」を感じさせてくれる。映画も文学作品と同じような受け取られ方をされる時代になりつつあるのだ。ドストエフスキーやトルストイの作品、ブロンテ姉妹の作品、エミール・ゾラやバルザック、夏目漱石の作品を「古くさいからダメ」とは言わないだろう。

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