■日々の泡----「その通り君」について
強弱はあるけれど、生きている人間には「欲」がある。「生きているだけで幸せ」という人も「生存欲」があるわけだ。「おいしいものを食べたい」というのは「食欲」、「きれいな女性と○○したい」は「性欲」、「偉くなりたい」は「権力欲」、「金持ちになりたい」は「金銭欲」などである。「夢はないのか」などとよくドラマで言われるセリフがあるが、「夢」をミもフタもない言い方をするなら「欲」である。
僕は「欲」を否定しているのではない。「欲」がなくなったら生きている人間はおしまいだ。「~したい」「~になりたい」という「欲」がなければ、人は生きていけない。その「欲」の中には「承認欲」というものがある。「認められたい」「承認されたい」という欲求である。「小説家になりたい」「アイドルになりたい」「アーティストになりたい」「役者になりたい」「サッカー選手になりたい」など、なかなかなれないものに人は憧れ「夢」を抱くが、それらの「夢」の根底には「有名になりたい」「人々に認められたい」という欲求がある。
誰も「売れない作家になりたい」とは思わない。「作家になりたい」という夢を語る人は、大勢の読者に認められることを望む。できれば村上春樹さんのような作家になりたいのだ。もちろん憧れだけでは「夢」は実現できない。自己の内部から噴き上げるものがなければ何も書けないだろう。Adoさんのような若くして世界的なアーティストなった人も、自分の中から吹きこぼれるように作品が生まれたのだろうと思う。ただ、そんな人と較べられるレベルではないけれど、どんな人にも承認欲求はある。
先日、散歩の時にNHKの「らじるらじる」で「英会話」を聴いてみた。15分の番組で、毎回、あるシチュエーションを設定し、英語で会話をするのを聞き取り、練習する。その回では、あるメーカーの会議室で新製品について開発担当者がプレゼンテーションをする設定だった。開発担当者がプレゼンする新製品は「その通り君」というネーミングで、英会話の中に「そのとお~りクン」という言葉が何度も出てきて笑ってしまった。
「その通り君」はテレビの横に設置する製品である。テレビ番組を見ながら、テレビにツッコミを入れる人に対して、何か言うたびに「そのとお~り」と相づちを打つ機械だ。たとえばバラエティに出ている女性タレントに「何だかこのタレント、水商売っぽいな」と言えば「そのとお~り」と肯定してくれる。ドラマを見ながら「この設定ありえないだろ」と突っ込めば「そのとお~り」と追従してくれるのだ。
この英会話の番組を聴いて笑いながら歩いていたのだが、「いや、これは案外売れるかもしれない」と思った。「アレクサ」は使ったことがないし、iPhoneは使っているが「シリ」を使ったことがない僕だけど、AI時代の現在、使用者を全面的に肯定し認め「そのとお~り」と言ってくれる存在は、どんな人にとっても魅力があるのではないだろうか。「承認欲求」を充たすと同時に、ある種の「権力欲」「支配欲」も充たしてくれるのではないか。
「承認欲求」を持つ人間にとって最も辛いのは「無視される」ことである。「シカトされる」という言葉があるが、話しかけても顔を向けず返事もしない人物には殺意さえ覚えるかもしれない。会議で意見を述べても、「では、次の議題」と無視(僕にも経験がある)されたら人は深く恨みを抱くかもしれない。子供たちの「いじめ」では、集団で一人の子を「無視する」ことが多いらしい。それが一番心理的に追い詰めることになるとわかっているのだろう。
テレビに向かってツッコミを口にする人はけっこういると思う。僕もときどきある。そのとき、家族は完全に無視をする。自分の言葉は空中に消えていくだけだ。そんなとき「そのとお~り」と反応してくれるのはうれしい(うれしくないか?)と思う。少なくとも「その通り君」は承認してくれたのである。ということで、一家に一台「その通り君」を----










