2018年9月20日 (木)

●天皇への密使・第二章その4

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その4

■1945年 8月3日 06:30 大磯
 吉田茂は、いつものようにステッキを持ち散歩に出た。この九月に六十七歳を迎える元駐英大使は、毎朝、海に向かって立ち、水平線の向こうで戦い死んでいく若者たちのことを思った。そのたびに、無謀な戦争を始めてしまったという思いが強くなる。その流れを止めることができなかった悔いが己を責める。今は無力感にさいなまれていた。
 しかし、始めてしまったものは、終わらせるしかない。だが、今の軍部にそれを求めても無駄だ。「和平」「終戦」という言葉を口にするだけで命の危険がある。現役閣僚でさえ、憲兵隊の監視がついているくらいである。露骨に終戦工作をやれば、逮捕される。あるいは、軍の意向を汲んだ民間右翼に襲われる。
 今にして思えば、軍部は五・一五や二・二六事件を利用して政治家に恐怖心を植え付け、勝手に暴走し始めた。岳父の牧野伸顕など「君側の奸」として五・一五で狙われ、二・二六では静養先の湯河原で襲われた。その時は娘の和子が一緒だったので、彼女がすばやく祖父を裏山に逃がして助かった。
 今の首相の鈴木貫太郎も侍従長だったため二・二六ではやはり「君側の奸」として襲われ、四発も銃弾を喰らいながら九死に一生を得た。その経験からか鈴木首相は軍部を警戒して、なかなか本心を見せないが、鈴木内閣が終戦を最大の課題にして動いているのは間違いない。それなのに、軍に配慮して「ポツダム宣言を無視する」と言わざるを得なかった首相の苦衷が、吉田にはよくわかった。
 近衛文麿が陛下に上奏した文章の作成に関連した容疑で、吉田が憲兵隊に逮捕されたのは四月十五日だった。それからひと月半、陸軍刑務所と、そこが空襲に遭ってからは一時的に小学校に移送されて拘留されたが、ろくな取り調べはなく、ある種の見せしめだったのではないかと吉田は感じていた。
 憲兵隊も近衛文麿には手を出せず、吉田と田中義一内閣の首相秘書官だった殖田俊吉、政治評論家の岩淵辰雄の三人を逮捕し、同じ大磯の別荘に暮らす元老・西園寺公望の秘書だった原田熊雄男爵や、樺山愛輔伯爵は自宅での尋問ですませている。
 釈放されて二ヶ月、空襲は日に日に激しくなり、日本の主だった都市はほとんどやられてしまった。それでも、大日本帝国陸軍は愚かにも女子供に竹槍を持たせ、本土決戦を叫び続けている。彼らはこの国を滅ぼすつもりか。このまま突き進んで敗戦になったら、国は乱れ、その混乱に乗じて共産勢力が力をつけるだろう。ソ連の後押しで革命を起こし、日本は共産国家になるに違いない。そんなことは耐えられなかった。もう遅すぎるくらいだ。すぐにも、ポツダム宣言を受諾すべきだった。
 このところ、毎日、海を見ながら吉田は焦燥感に駆られていた。自分は大磯に隠棲している老人だが、このままでは死んでも死にきれない。この国を再び立ち上げるまでは、死ぬわけにはいかなかった。吉田は、朝日を浴びてそう決意したが、隠居同然の身では自らが政治の場で活動することはできなかった。
 漏れ聞けば、東郷外相はソ連に和平の仲介を依頼し、近衛文麿を特使としてモスクワに送ることにしていたらしいが、ソ連の返事ははっきりしないまま時間だけが過ぎている。ソ連など、信用できない。ポツダム宣言受諾を、決断すべきなのだ。吉田は朝日に背を向けて、帰途についた。砂浜にゆっくりと歩を進める。磯の岩を踏み少し登ると、吉田邸に続く林が見えてくる。その小道を踏みしめて歩く。
 林の半ばまできた時、木陰から男が姿を現した。憲兵か、と思った。まだ、憲兵たちが監視しているのか。しかし、よく見ると、男は戦闘帽に国民服だった。胸に白い布で名札を縫いつけてあった。傷痍軍人記章をつけている。
「元イギリス駐在大使のミスター吉田ですね」
 わかっていることを確認するだけという口調だった。それにしても、今の時節に「ミスター」とは。そう思った時、同じことを男は流暢な英語で言った。アメリカ英語だった。ネイティブ・スピーカー独特の発音だ。
「きみは、何者だ?」
「ミスター・グルーがよろしくと言っていました」
「グルー? ジョセフ・グルー大使か?」
「現在は、アメリカ合衆国国務次官です。少し前まで、国務長官代理でした。私は、グルー国務次官から派遣された人間です」
 信じられなかった。それに、男は、どう見ても日本人ではないか。
「信じられん」
「グルー国務次官は、ミスター吉田に会ったら、こう言ってくれと言っていました。『あなたがイギリスで購入し、わざわざ日本に運んできた特別仕様のロールスロイス、まだ持っていますか。あの時、訊いたように私に譲る気はありませんか?』」
「知っているのか。その話を?」
「私がミスター・グルーから派遣されたのを証明するために、あなたとミスター・グルーしか知らないプライベートなことを、いくつか教えてもらいました」
 驚くべきことだったが、確かにそれは戦争前にグルー大使と交わした会話だった。その会話には、続きがあった。
「それでは、グルー大使が私に申し出た購入額はいくらだったか、知ってるかね」
 男は、あの時、グルーが口にした金額を正確に答えた。それは、戯れ言だとわかるように、信じられない安値で、さらに端数が付いていた。その数字は、本人でなければわからない。しかし、相手が用意した内容だけでは、信用できなかった。あり得ないことだとは思うが、グルー大使に強制的に自白させたのかもしれない。グルー大使は、真珠湾攻撃の後、半年もアメリカ大使館内に軟禁されていた。その間、憲兵隊がグルー大使を尋問した可能性もある。
「それでは、私が交換船に乗るグルー大使に贈ったものは何だった? その時、私は何と言ったかね」
 あの後、すぐにグルー大使は船に乗り込んだ。グルー自身が話さない限り、誰も知らないことである。
「その話も、ミスター・グルーから聞いています。あなたは、大切に保管していた葉巻をミスター・グルーに贈った。『日本にとって、あなたは最も大切な友人だった』という言葉と共に。このことは、ミスター・グルーが昨年、アメリカで出版した『滞日十年』の中にも書かれていません」
 まだ半信半疑だったが、吉田は目の前の男が確かにグルー大使の密使なのだと感じていた。グルー大使は、約束を果たすために男を送ったのか。日本を去る時、グルー大使は「この戦争を、我々の手で早急に終わらせましょう」と言った。しかし、あれから四年近くも経ってしまった。大使夫妻とは、家族ぐるみのつきあいだった。死んだ妻は入院中、アリス夫人手製のスープを楽しみにしていたものだ。
「それで、グルー大使はきみに何を託した?」
「天皇への手紙と、新兵器の爆破実験を記録したフィルム」
「陛下へ?」
「日本で戦争を終わらせられるのは天皇だけ、とミスター・グルーは言っていた。彼は、原子爆弾を投下せずに戦争を終わらせたいのだ」
「原子爆弾?」
「その爆破実験の記録映像を託された。百聞は一見にしかず、という日本の言葉と一緒に。そのフィルムを見れば、誰もが怖れ戦くはずだ」
「それを、私に預けるのか?」
「いえ、あなたには天皇へのルートをつくってもらいたい。あなたには、いくつかのルートがあるはずです。天皇側近だった岳父の牧野伸顕ルート、あるいは近衛文麿ルート。しかし、できれば、鈴木首相に手渡したい。首相から天皇に渡してもらうことは可能でしょう。鈴木首相への橋渡しをしてもらいたい。鈴木首相と連絡をとり、私に知らせてもらいたいのです」
「義父は陛下の信任は厚いが、今は隠退した身だ。近衛ルートも、上奏文問題で使いにくくなった。今は、木戸幸一内大臣が陛下にあまり人を近付けないようにしているらしいし、陛下に謁見できても上奏の場には木戸内大臣が必ず立ち会っている。確かに、鈴木首相に預けるのが一番だな。首相が謁見を願い出れば、ダメだとは言えまい。陛下も鈴木首相も、グルー大使と親しい間柄だった。グルー大使の親書だと証明できれば、その提言はお聞き入れになるだろう。それに、陛下は活動写真好きで、宮中には映写設備がそろっておる」
 吉田は、にわかに活力が湧いてくるのを自覚した。自分の言葉に、ある可能性が見えてきたのだ。陛下にグルー大使の手紙と、原子爆弾とかいう新兵器の実験記録を見ていただき、最後のご聖断をしていただく。この国を救うには、それしかないと思えた。
「グルー大使の手紙の内容は、知っているのかな?」
「おおよそは----」
「私に話してもらえるかね」
「知ってもらった方がよいでしょう。三点あります。アメリカ合衆国は原子爆弾の開発に成功し、使用することをためらわない。天皇制は維持し、戦後は立憲君主制で改めてスタートする。それに、近々、ソ連が参戦する」
 吉田の顔が青くなった。ステッキを持つ手が震え出す。
「親書とフィルムは、私が東京まで運びます。あなたには、すぐにルート作りを始めていただきたい。時間があまりない」と、男が言った。
「わかった。すぐに手配する。あてはあるのだ」
 すぐに、樺山伯爵と原田男爵に連絡しなければならない。しかし、吉田を自転車の荷台に乗せてあちこち連れていってくれた書生が、釈放されたすぐ後に暇をとってしまったし、迅速に動けるだろうか。いや、そんなことを心配している場合ではない。とにかく時間がない。急がねばならない。
「東京での連絡は?」
「空襲で焼けてしまったが、平河町に本宅があり、そこに例の車がある。車庫は何とか残ったのだ。政府からの『自家用車献納』でも拒否したロールスだ。空襲の後、女中頭はその車で寝泊まりしておった。その前側のバンパーの裏に連絡文を張り付けておく。そちらからの連絡がある場合も、同じようにしておきたまえ」
「わかりました。五日の二十時をリミットにします。それまでは、私も東京にいられる。もっとも、東京に入れればだが」
 男はそう言って、さみしそうな笑いを浮かべた。
「きみは、日系二世のアメリカ人かね? 名前は?」
 男が、吉田の背後を見た。吉田が振り返ると、遠くの浜辺を十数人の兵士が歩いてくる。砂浜の塹壕掘りが始まるのだろう。兵士たちは、こちらに気づいた様子はない。しかし、吉田茂が再び振り返った時には、男の姿は消えていた。

■1945年8月3日 07:00 大磯
「おい、そこの男たち、ちょっと待て」
 背後からの高圧的な声に、ヘンリーと瀬川の足が止まった。振り返ると、ひとりの兵士が立っている。銃剣をつけた小銃をこちらに向けていた。吉田茂と接触する間、周囲を監視していた瀬川と落ち合い、ふたりは林を抜け出たところだった。百メートルほど離れた砂浜に現れた兵士たちには注意していたが、林を出たところにいた兵士に気づかなかった。
 呼び止めた兵士が近寄ってきた。陸軍曹長だった。目の鋭い男だ。素早くふたりの全身を点検し、注意深く銃を構えている。
「何をしていた」
 強い語調で詰問する。ほとんどの民間人は、それで震え上がるだろう。瀬川は、そんな民間人の芝居に徹することにしたようだ。おどおどした態度になり、腰を折る。
「仕事に出る前に、林の中で何か食べられるものはないかと探しておりました」
「情けないやつだな。『欲しがりません。勝つまでは』だろ。それでも日本人か。それに、おまえ、若いくせに、なぜ、出征しておらん」
 曹長は、がっしりした瀬川の体を見て、そう言った。
「はい、胸を悪くしたことがあって----。でも、軍属として軍令部に勤めております」
「軍令部?」
「はい、証明書もあります」
「そっちの男は?」
 ヘンリーは、高圧的な相手に強い反感を感じていた。その兵士は、白人たちの日系人に対する態度を思い出させた。イエロージャップを見下す目だ。同じ顔をした男から言われると、よけいに腹立たしい。ヘンリーは、傷痍軍人記章が見えるように胸を張った。左手もポケットから出す。
「何だ、貴様、指三本くらいで、傷痍軍人のつもりか。情けないやつめ」
 その瞬間、ヘンリーは怒りに駆られて我を忘れそうになった。その気持ちが顔に出たのだろう。相手は、さらに激高した。
「何だ、その面は----」
 曹長は銃を逆に持ち替え、銃床でヘンリーの左の肩を強く突いた。反動でヘンリーは反り返り、倒れそうになって片膝をつく。その勢いで、たすき掛けにしていた鞄が大きく振れた。
 外から見るとキャンバス地で作られた、ほぼ正方形の鞄だ。直径三十センチ足らずのフィルムケースが入るサイズである。フィルムケースには親書も入っている。だが、鞄の中は防水加工され、密閉されている。外見は普通の鞄だが、中を見られると大変困ったことになる。ヘンリーは、右手で背中の拳銃をつかんだ。左手の親指と人差し指でポケットの中の装弾子を探った。
「何だ、その鞄は。見かけない鞄だな。中を見せてみろ」
 曹長は、居丈高に言った。瀬川が緊張した顔になった。ヘンリーは拳銃から手を離し、言われたように鞄を肩から外した。左手はポケットの挿弾子をつかんだままだ。曹長に鞄を渡そうと右手で差し出し、相手が受け取ろうとした瞬間、ヘンリーは手を離した。鞄が落下する。曹長は、鞄を受け取ろうと反射的に腰を下げ、手を下に延ばした。
 ヘンリーは鞄を離した右手ですばやく背中の拳銃を抜き取り、左手の二本の指でつかんでいた装弾子をポケットから取り出して装填し、薬室に弾丸を送り込んだ。立ち上がろうとしていた曹長の左胸に銃口を強く押しつけ、引き金を引く。銃弾は、一瞬で曹長の命を奪った。狙った通り曹長の体が消音器の役割を果たし、銃声は低く、くぐもった音になった。ヘンリーは振り返ったが、砂浜にいる兵士たちは銃声に気づいた様子はなかった。
「おい」と、真っ青になった瀬川が意味のない言葉を口にした。腰を曲げ、不自然なかっこうで突っ立っている。
「自転車のところまでいけ。ゆっくりだぞ」
 ヘンリーがそう言うと、我に返った瀬川は突然走り出した。その動きが砂浜の兵士たちの目を引いた。
「しまった」
 その時、まだヘンリーは崩れ落ちる曹長を抱きかかえたままだった。曹長の体を投げ出し、ヘンリーも瀬川の後を追う。
「おい、貴様ら、待つんだ」
 兵士たちが向かってきた。自転車のところまでいけば、何とか振り切れるはずだ。瀬川が寝かしていた自転車を起こし、またがった。それを見た兵士たちが発砲する。銃声が響いた。ヘンリーは左脇腹に衝撃を感じ、倒れた。しかし、すぐに立ち上がり、自転車を起こしてまたがると全力でペダルを漕いだ。
 自分が血を流しているのは、わかっていた。三八式歩兵銃の弾丸はヘンリーの脇腹の肉を削ぎ、肋骨を折った。弾丸が体内に残らなかったのが幸運だった。その場合は、おそらく死んでいたか、そう長くないうちに死ぬことになっただろう。そう思いながら、瀬川の背中を見て自転車を漕ぎ続けた。あの腰抜けのサノバビッチめ!

2018年9月17日 (月)

●天皇への密使・第二章その3

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。第二章では、密使が終戦直前の日本に潜入します。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その3

■1945年8月3日 01:00-04:00 茅ヶ崎
 真っ暗な海の上でも、かすかな光でけっこう見渡せるものだな、とヘンリー・スガノは人間の目の能力に感心した。目が完全に暗闇に慣れている。光が点滅した地点を目指してボートを漕ぎ続け、目的の岩場が見えてきたのだ。幸い、大きく流されることはなかった。問題は、その岩場にどれほど近付けるかだった。うまく近付けない場合は、ボートを裂いて沈め、泳いで岩場にあがるしかないかもしれない。
 その場合、今、たすき掛けにしているバッグを濡らすわけにはいかなかった。バッグもフィルムケースも防水仕様になってはいるが、完全に水が入らないかどうかは不明だ。片手でバッグを海上に出したまま、うまく泳げるだろうか。そんなことを考えると、不自由になった左手に対して悔しさが湧いてくる。服を着たまま、靴を履いたまま足だけで泳がなければならない。左手のハンデがどれほど影響するか、泳いでみなければわからない。
 幸い、岩場に飛びつけるところまで、ボートを近付けることができた。しかし、打ち寄せる波が岩にぶつかり、跳ね返る。その波の勢いで、ボートが押し返される。最も岩場に近づいたところで、飛び移るしかない。飛び移っても、右手の握力だけでしがみつかなければならない。また、失った左手の指のことを考えた。
 その左手にボートのロープを巻き付け、波が岩場にボートを寄せた瞬間、ヘンリーは跳んだ。目測で一メートルと少し。傾斜のある岩場に、昆虫のようにとりついた。右手で岩の突起をつかむ。左手が引き波にさらわれるボートに引きずられ、岩場から片身が引きはがされそうになった。足場を探す。右足がしっかり岩の突起の上に立ち、左足も落ち着いた。しかし、岩にへばりついた姿勢では振り向くことができない。
 左手に巻き付けたボートのロープが邪魔だった。しかし、ボートをナイフで裂いて沈めなければならない。ボートが発見されたら、やっかいなことになる。ボートには救命キットを搭載していたが、それは海中に投棄した。それらには、簡単な説明が英語で書かれていた。しかし、ボートそのものに艦の名前が書かれている。時間的な余裕がなく、潜水艦搭載のボートを使用するしかなかったのだ。
 その時、頭上から白いものが降りてきた。ロープだ。岩場の高さは三メートル足らずだった。それほど急な勾配ではないが、伝うものがあるのはありがたい。協力者の存在をありがたく感じた。右手にロープを巻き付け、首だけで振り返った。引き波に持っていかれそうなボートを、左手は引き寄せることがてきない。二本の指で岩を掴んでいるのが精一杯だ。
 ヘンリーは降りてきたロープを両脇の下にまわし、自分の体に巻き付けた。そのまま体を回転させて、海を向き、宙吊りになる。急に体重全部がロープにかかり、ロープがピーンと張りつめた。ロープがググッとずり下がる。足の先が海面に届いた。そのまま海に落ちそうになったが、再びロープが引かれ、ヘンリーの体が持ちあげられた。体を安定させ、右手でゲートルの間に差していたナイフを引き抜く。
 左手首にボートのロープを巻き付け、強い波の力に負けまいと引き寄せた。右手でナイフをボートめがけて投げる。ナイフが刺さった。勢いよく空気が抜けていく。そのまま空気が抜けきって沈むことを期待するしかない。左手首に巻き付けていたロープを離した。引き波が一気にボートを岩場から離れさせる。それを確認して、再び体を回転させ、右手でロープを伝って登り始めた。左手は親指と人差し指だけでロープを掴んでいる。
 もう少しで登り切ることができると思った時、ロープを引き上げる力を感じ、人間の腕が現れてヘンリーの体を強い力で持ち上げた。岩の上で体を安定させて見上げると、ヘンリーの体にまわしていた腕を引いて、男が身を起こすところだった。
「助かったよ。あんたが協力者か」
 男の表情に驚きが現れた。ヘンリーと同じ国民服を着ている。胸に名札を付けているのも同じだった。
「驚いたな。日本人ですか」
「いや、日本にきたのは生まれて初めてだ」
 その時、男の背後の暗闇から若い女が現れ、一瞬、ヘンリーを身構えさせた。美しい女だった。闇の中で白い顔が輝いているように見えた。もんぺというものらしい、奇妙なパンツを履いている。思わず、背中の拳銃に手をやった。だが、空の銃であることを思い出し、やはり役に立たないなと苦笑した。その時には、若い女も協力者なのだとわかっていた。よく見ると、少女と言ってもいいほどだった。
「あなたの日本語、少し変わった抑揚ですね」
「不自然かな。どこかの訛に聞こえないか」
「そう言えば、西の方の訛のようです」
「父母は、広島出身だと聞いている」
「日系移民ですか。すると、あなたは二世ですか」
「そうだ」
「わかりました。驚いたので、時間を無駄にしました。目立たない場所に移動しましょう。向こうに松林がある。林の中に入ってしまえば、人影は隠れてしまう。彼女については、そこで紹介します」
 男はそう言うと、先に立って歩き始めた。少女が従う。その背中を見失なわないように、ヘンリーは早足に追った。日本の土を踏んでいるという感慨はなかった。それより、すぐに使える武器として持っていた、軍用ナイフを失ったことの方が頭を占めていた。あのナイフとは、ずっと一緒だった。お守りだったのだ。あれのおかげで、フランスでも指三本ですんだのだ。あの戦闘で生き残れるとは思わなかった。今回はどうだろう、とヘンリーは思った。

 木が密集した場所ではなかったが、その松林の中にいると、確かに人目には立たなかった。男は自転車を二台、地面に横たえてある場所で足を止めた。
「おいおい、これが移動手段かい」
 余裕が出てきたヘンリーは、冗談めかして苦笑を男に向けた。しかし、わずかな明かりでは表情は見えないかもしれない。
「仕方がないのです。車を用意してもガソリンの入手が困難です。公共のバスだって木炭で走っているくらいです。それに、民間人が車に乗っていると、陸に上がった鯨くらい目立つ。吉田邸までは自転車、東京には列車でいくしかありません」
 ヘンリーは唇をへの字にして、両手をすくめた。
「そんな仕草は、アメリカでよく見ましたよ。日本人に化けるなら、やめておいた方がいいですね」
「俺は、訓練を受けたエージェントじゃない。日本人に見えるというだけで選ばれた、単なる兵士だ。まあ、なるべく目立たないようにするがね。ところで、あんた、アメリカにいたことがあるのか?」
「そんなことは、どうでもいいでしょう。私は、あなたを吉田茂に接触させること。その後、東京へいく手助けをすることを命じられています。ここから吉田邸までは、そう遠くない。今の時期は、五時前になれば明るくなります。明るくなれば、人々が動き出す。特に農家の朝は早い。自転車で移動している男がいても、そう不自然には思われません。だから、動き出すのは四時半頃を予定しましょう。まだ、二時間以上あります」
「わかった。よろしく頼む」
「紹介すると言っても、私はタロー、彼女はハナコ、そういうことにしておきます。どちらにしろ、名札には名前が書いてありますが、見なかったことにしておいてください。日本語は、読めるのでしょう」
「俺が憲兵隊に捕まっても、あんたはタロー、彼女はハナコということしか知らないわけだ。知らないものはしゃべれないな。ところで、彼女は口が利けないのか」
 男が女を振り返った。
「口は利けますわ。話す必要がないからよ。あなたは菅野さん? 名札にそうあるわ」
 この暗い中で読み取ったのか。よほど、夜目が効くらしい。
「イエス、おっと、思わず生まれが出てしまったな。正体がバレる」
 ヘンリーは、女の笑う顔を見た。改めて、美しい女だと思った。十七か十八、まだ二十歳にはなっていないだろう。女は、じっとヘンリーを見つめてくる。珍しい動物を見るようだ。ヘンリーは、目をそらした。動悸が早まる。
「不躾なことを訊きますが、その手は戦傷ですか」と、男が口を挟んだ。
「ああ、傷痍軍人に化けるのに好都合だからな。今の日本じゃ、若い男は目立つんだろ」
「そうですね。賢明な偽装かもしれません。傷痍軍人記章が役立つでしょう」
 そう男が答えた後、しばらく沈黙が続いた。ヘンリーは、松林の向こうに見える海岸を見た。先ほどより、少し明るくなったようだ。
「吉田は毎朝六時に母屋を出て、屋敷の裏手の林を抜けて海岸に出ます。海岸に立ってしばらく海を見つめ、また母屋に帰ってくる。一時間足らずです。ステッキをついてゆっくり歩くので、その帰りを林の途中で待ちます」
「わかった」
 ヘンリーは、なぜ自分はこんなところにいるのだろう、と考えていた。兄のことは、ひとつの言い訳にすぎない。兄に会えるとは考えていなかったし、消息がわかるとも思っていない。突然、陸軍長官と国務次官に呼び出され、青天の霹靂のようなミッションを言い渡された。易々と、なぜ引き受けたのだろうか。
「もし可能ならばだが、あんたに頼みがある」と、ヘンリーは口にしていた。
「何ですか?」
「兄が一九四三年の第二次日米交換船で、日本に帰国した。反米的だとして送還されたのだ。兄は、日本で軍隊に入ると言っていた。ジョニー・スガノという。交換船の乗客名簿などで、兄の消息がわかればありがたい」
 男は、じっとヘンリーを見つめた。目の前の日系二世の事情を想像しているのかもしれない。
「わかりました。交換船で帰ったのなら、名簿に名前が出ているはずだし、日系二世なら厳しく調査されたはずです。記録は残っていると思います。調べてみます」
「予定では、俺には後七十時間ほどある。その時間内で調べられることだけでいいよ」
 ヘンリーは、まったく期待せずにそう答えた。

■1945年8月3日  05:30 横浜・日吉
 早朝に呼び出された軍令部五課の草野少佐は、菅野少尉と向かい合っていた。日米交換船で日本に帰国した日系二世のジョニー・スガノは、菅野丈太郎として日本国籍を取得して海軍に入り、米国情報を収集分析する仕事に就いた。学徒動員と同等の扱いになり、菅野少尉としてすでに二年あまり勤務している。当初、米国の間諜ではないかと厳しい調査が行われたが、日系人に対する米国の扱いに心底怒りを感じ、日本人になりたくて帰国したと認められたのだ。
 二十代半ばまで米国で育った強みがあり、菅野少尉による情報分析は正確で、この二年間、大いに役立っていた。草野の信頼を集め、何かというと草野は菅野少尉に仕事をまかせている。昨日の蘭一号からの電文も、菅野少尉に分析と調査を命じた。
「昨日の電文に関係するのかどうか、まだ判明しませんが、先ほど、監視艇が相模湾でゴムボートが漂流しているのを発見しました。茅ヶ崎沖一キロの海上です。ボートにはナイフが刺さり、半分以上の空気が抜けていたようです。もう少し発見が遅かったら、抜け切って沈んでいたかもしれません」
「救命ボートか」
「そうです。ボートには、ナーカ号と英語で表記されていました。また、刺さっていたナイフですが、アメリカ合衆国陸軍の軍用ナイフです。詳細を報告させて、私が確認しました。早急に、こちらへボートとナイフを送らせています」
「発見した時間は?」
「午前四時十八分。監視艇が沿岸の見まわりを始めるのが午前四時です」
 それで、すぐに報告がきて菅野少尉が対応し、自分が呼び出されたわけか、と五時半を示す腕時計を見ながら草野は思った。発見の一時間十二分後には、責任者に報告があがる。迅速に対応している。やはり、菅野少尉にまかせてよかった。
「あの電文と関係するなら、鶴は舞い降りたことになるな」
「鶴が何を示すかです」
「ボートは何人乗れる?」
「最も小型のものですから、三人が限度と思われます」
「三人か。目的は何だ?」
「電文の菊ですが、我が国を示すか、あるいは少佐殿のご指摘通り、陛下を示す暗号ではないでしょうか」
「どちらだと思う」
「我が国のことを示すなら、わざわざ表記する必要を感じません。陛下のことではないかと推察します」
「暗殺か」
「その可能性はあります。五月の空襲で皇居の正殿が類焼しましたが、あれは皇居そのものを狙ったわけではありません。しかし、先月、御文庫近くに爆弾らしきものを落としたB29がありました。幸い模擬爆弾でしたが、米軍はついに陛下を標的にしたのかもしれません。模擬爆弾は、予行演習だったのかも----。ドイツは、ヒトラーが死んだことで降伏しました。彼らは、日本も同じだと思っている節があります」
「愚かなことだ。戦争では、相手を知ることが大事だ。相手のメンタリティもな----」
 草野は英国勤務が長かったせいか、つい、英語が出てしまう。今の時代、敵性言語を口にすれば非国民だが、そんなバカバカしい話はない。菅野の前では、草野は平気で英語を口にした。時には、傍受した米軍の英文の電文を巡って、菅野少尉と英語で話し合うこともあった。
「もっとも、敵のことを知ろうとしなかったのが、我が国だ。情報収集をおろそかにしてきたし、我々の仕事を理解しない。頭の堅い軍人たちは、我々の仕事を下賤なものと思っている。米国は戦争が始まると、すぐに日本語学校を作り、日本語がわかる人間を養成した。我が国は、敵性言語として英語を禁止した。だから、負けるのさ」
「少佐。そんなことを口にされると----」
「かまわんさ。事実だ。君も日本に帰ってこなければ、戦勝国の国民でいられたのにな」
「あの国は、日系人への偏見に充ち、日系人を差別し、血がにじむような努力をして築き上げた財産を奪って、強制収容所に隔離しました。私は、屈辱にまみれた収容所の生活が耐えられなかったのです」
 草野は、その屈辱を思い出しているような菅野少尉の顔を見つめた。なるほど、世の中には様々な苦悩があるものだ。
「きみには、向こうに残してきた家族があるのだろう」
「ええ、父母と弟ふたりと妹がふたりいます」
「彼らは?」
「収容所で暮らしているでしょう。すぐ下の弟はアメリカ合衆国に忠誠を誓い、軍に志願しました」
「消息は?」
「わかりません。おそらくヨーロッパ戦線に送られたのだと思います」
「戦死の可能性もあるのか」
「はい。もう家族とは会えないと覚悟しています」
 菅野少尉は顔を上げ、きっぱりとそう言った。

2018年9月14日 (金)

●天皇への密使・第二章その2

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その2

■1945年8月3日 00:30 相模湾
 フレデリック・フォードは潜水艦乗りのプロフェッショナルであり、歴戦の勇士であり、乗組員たちに慕われるナーカ号艦長でもあった。潜水艦という狭い世界で生死を共にしていれば、自然と一体感は生まれる。厳しい艦長ではあったが、部下の命を最優先に指揮を執るフォード艦長は、部下から深く信頼されていた。勝利が見えてきた今、フォードの望みはひとりの犠牲者も出さずに終戦を迎えることだった。
 しかし、今回は日系二世のアメリカ兵を日本に上陸させよ、という意外な命令だった。男を硫黄島で乗艦させ、潜行はせず海上を最大速力で日本近海までやってきた。日本近海には何度も潜行したが、今は制海権をほぼ手中にし、以前に比べれば危険度は低い。しかし、生き残っている日本の潜水艦が存在する可能性はあった。だから、常に警戒はおこたらなかった。
 航海中、フォードは男と何度か話したが、男はあまりしゃべらなかった。もちろん、ミッションについて話すわけがない。だが、フォードは今回の指令を奇妙に感じていた。連合国が最後通牒としてポツダム宣言を出した今、なぜ敵国に潜入するような危険な任務が目の前の男に課せられたのか不思議だったからだ。
 もうすぐ午前零時。日付が変わる。日本では八月三日になる。相模湾は、沖合二キロで水深百メートルある。ナーカ号は潜望鏡深度を保って、ぎりぎりまで陸に近づこうとしていた。目の前の男がゴムボートを漕ぐ距離を、なるべく少なくしてやろうと思ったのだ。潜望鏡を覗くと三日月の淡い明かりが水面を照らしていたが、空中から見ても船影は発見できないはずだ。昼間なら潜望鏡深度の潜水艦は、空中からはっきりと船影が目視できる。
 陸が近づいてきた。特徴のある形をした岩が海面から突き出した個所を大きく西に迂回し、水際まで三百メートルに近づく。危険な距離だが、そこで停船を命じ、再び潜望鏡を上げた。水上に出た潜望鏡で、三百六十度を確認する。海側には、何も見えない。陸上も灯火管制で、民家のわずかな光も漏れていなかった。この状態だと、海岸から懐中電灯を点滅させる合図は目立ちすぎるくらいだろう。
「浮上する」
 フォードはそう言ってから、改めて目の前の日系二世を見た。確かにネイティブな英語をしゃべるが、どう見ても日本人だった。フォードは日本人に特段の憎しみは感じない。しかし、それは襲ってくる日本兵と戦ったことがないからかもしれない。乗組員の中には、この男が乗り込んできたのを見て、「ジャップ」と唾を吐く者もいた。すぐに厳重に注意したが、その乗組員の身内が日本兵と戦って戦死したのかもしれない。
 男は、潜入するために日本人になりきっている。まるで兵士のように見えるカーキ色の国民服の上下を身につけ、日本陸軍の略帽いわゆる戦闘帽をかぶっていた。両脚にゲートルを巻き、軍靴を履いている。胸の名札には、日本語で住所氏名、それに血液型が書かれているらしい。民間人の服装だというが、これでは兵士に間違われて戦闘に巻き込まれないだろうか。
 艦が浮上を始めると、男は緊張した面もちで背中に挟んだ日本陸軍の将校が持つという自動拳銃を取り出して確認した。九四式自動拳銃だ。日本のオリジナルで口径は八ミリ、フル装填すれば薬室に一発と装弾子に六発入る。しかし、完全な独自設計なので、奇妙な構造の拳銃になっているらしい。アメリカ製の軍用拳銃コルト・ガバメントをコピーすればよかったのだ。
「その拳銃、アメリカ兵は自殺拳銃と言ってるらしいな」と、フォードは男の緊張をほぐしてやろうと声をかけた。
「イエス、安全装置に問題があって、弾丸を装填したまま持っていると暴発する怖れがあるんだ。それで、そう揶揄したんだろう。だから、完全に弾を抜いて銃は背中、弾を込めた装弾子はポケット。撃つ時には、装弾子を装填し、遊底を引いて薬室に銃弾を送り込まなければならない。トリガーを引く頃には、たぶん二、三発は撃たれているだろう」と、男は笑った。
「そんな銃で大丈夫か?」
「どんな銃であっても、関係ない。今回のミッションが、自殺みたいなものだ」
 そう言って、男は再び笑った。今度の笑いは自嘲ぎみだったが、そのしゃべり方や仕草は陽気なアメリカ人そのものだった。
「その胸につけているのは何だい?」
「傷痍軍人記章というものらしい」
 男が初めて左手をポケットから出した。乗艦した時から、一度も人前では見せたことがない左手だった。小指と薬指は根本までなくなっていた。中指は第二関節から先がない。戦傷で除隊した兵士に偽装するつもりなのだ。
「どこで?」
「一九四四年十月三十日、フランス、ボージュの森」
「ナチに取り囲まれたテキサス大隊の救出か。あの時、あそこにいたのか」
「ああ、何とか生き残った」
「日系人部隊は、勇敢なんだってな」
「しかし、みんな死んだ」
 フォードは、目の前の男がアメリカ合衆国のために、過酷な戦闘をくぐり抜けてきたのを実感した。そして、どんな任務か知らないが、再び命をかけようとしている。フォードは、男の肩を叩いて励ましたくなった。いや、この男に励ましはいらない。
 艦が浮上した。フォードはハシゴを昇り、ハッチを開けた。八月の熱気と共に、新鮮な空気が入ってくる。フォードは、艦上に出て深呼吸をした。潮の香りだ。続いて、男が艦上に現れた。部下がふたり出てきて、ゴムボートの準備を始めた。フォードと男は、陸に向かって目を凝らした。午前零時を十五分まわっている。
「協力者が予定通りにきているなら、後十五分ほど経って零時半になれば、合図があるはずだ」
「きていなくても、上陸する」
「日本にいたことはあるのか?」
「ない」
「地理は?」
「目的の場所も、東京までの地理も頭に叩き込んできた」
「日本語は?」
「大丈夫だと思う----」
 完全に自信があるわけではないらしい。アメリカで生まれ、アメリカで育った日本人。姿形が日本人であるだけで、完全なアメリカ人なのだ。
「どんな任務か知らないが、なぜ引き受けた?」
「二年前に収容所で別れた兄がいる。アメリカへの忠誠を拒否したら、敵性日本人として刑務所に移送され、交換船で日本に強制送還された。兄は日本にいったら、軍隊に志願すると言っていた。もしかしたら、兄に会えるかもしれない」
「その可能性は、ほとんどないだろうな」
「イエス、それにもう死んでいるかもしれない。戦死あるいは空襲で----」
「日本の都市は、ほとんど空襲にやられているよ。ブラッディ・ルメイ将軍の指令でな。日本人を多く殺せば殺すほど、無条件降伏に近づくとルメイは言っているらしい。民間人を無差別に殺すなんて、汚いやり方だ」
 フォードは、カーティス・ルメイ陸軍中将が好きになれなかった。民間人をこれほど殺した戦争は、いまだかってなかった。日本だけではない。ドイツでも無差別に激しい空襲を実施し、多くの女や子供、非戦闘員が死んでいった。
「ところで、そのネームカードには何が書いてあるんだ?」
「東京本所区相生町 菅野兵介 O型」
「その住所は?」
「今年三月、ルメイが命じた東京大空襲で完全に焼けた場所だ」
「なるほど」
 その時、陸で光が点滅した、カチッ、カチッ、カチッと三回。
「きたな」
 フォードは、陸に向かってフラッシュライトを三回点滅させた。部下がボートを降ろし、男が乗り移るのを手伝っている。すぐにボートは艦を離れた。かすかな月の光がしばらく男の姿を見せていたが、やがて夜の闇の中に溶け込んでいった。暗い海面だけが残った。フォードは、海上に横たわる全長九十五メートルの船体を見渡しながら、戦争が引き裂いた兄弟のことを想像した。
「よし、潜行して帰還だ。七十時間後、回収のために再接近する」
 ボートを降ろしたロープを引き上げている、副官のサイモンにフォードは言った。
「あの男、帰ってきますか?」と、ロープを引く手を止めてサイモンが言った。
「わからん。五日の二十三時から六日の一時まで、二時間ここで待つのが我々の使命だ」
「あの命令は、どうします?」
 それは、五時間ほど前に入った奇妙な命令だった。男を上陸させたら、ただちに本部に無線で報告せよというものだった。しかし、日本軍に傍受される可能性があったし、上陸時間、上陸地点を推定される怖れもある。まるで、日本軍に男の上陸を知らせたがっているような命令だった。だが、国務長官名で届いた命令だ。無視するわけにもいかなかった。
 だいたい今回のミッションが、通常のルート以外のところから発していた。文官であるフォレスタル海軍長官からの直接の命令だった。フォレスタルは、スティムソン陸軍長官、グルー国務次官と三人委員会を構成していたひとりだ。一方、国務長官のバーンズは、一ヶ月前に任命されたばかりだった。新大統領からの信頼は厚いらしい。今は、大統領と共に大西洋の上にいるはずだ。政治家たちの考えることは、よくわからない。
「あの命令は無視する」
「しかし、命令違反になります」
「では、十二時間、通信を遅らせる。理由は、無線機の故障だ」
 十二時間、それだけのタイムラグで、あの男を救えるだろうか。フォードは、ワシントンに巣くうバカ共め、と罵った。

2018年9月10日 (月)

●天皇への密使・第二章その1

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その1

■1945年8月2日 10:00 横浜・日吉
 明治維新後、新設された兵部省が陸軍と海軍を統括していたが、明治五年に陸軍省と海軍省に分割され、さらに西南の役翌年の明治十一年、陸軍の最高権力者だった山県有朋は参謀本部を設置した。参謀本部の任務は陸軍の作戦計画や命令を起案し、情報活動を統制することだった。陸軍省が軍の予算作成や人事などの行政を行う軍政を担当し、参謀本部が実際の戦いを行うための計画立案などの軍令を担当したのである。
 一方、海軍では海軍省が軍政と軍令を担当していたが、陸軍に対抗して海軍軍令部を設置し、日清戦争の最中、海軍省と共に三宅坂から霞が関に移った。赤レンガ造りで、三階建ての威風堂々とした建造物だった。
 参謀本部は陸軍省と共に市ヶ谷台にあった。大日本帝国全軍を統括する意味で、陸軍は「参謀本部」と命名した。それに対し「海軍軍令部」という名称は対等ではないという、陸軍に対する強い対抗意識が海軍内にあり、昭和八年に海軍の名称を外し「軍令部」と改められた。
 同時に、参謀本部総長と軍令部総長は同格となり、昭和十九年八月に発足した小磯内閣で設置された最高戦争指導会議には、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣と共に参謀本部総長と軍令部総長が出席した。それは、昭和二十年四月からの鈴木貫太郎内閣にも引き継がれた。
 軍令部は総長の下、庶務・人事・在外武官などを管理する副官部があり、第一部から第四部まで全十課に分かれていた。第一部第一課が作戦・編成を担当し、第二課が教育・演習を担当。第二部第三課が軍備・兵器、第四課が出動・動員を担当した。第三部は情報担当部署であり、第五課が米国、第六課が中国、第七課がソ連、第八課が英国および欧州をそれぞれ受け持っている。さらに、第四部第九課が通信、第十課が暗号の担当だった。
 第三部の情報担当部署は、昭和十九年初頭に霞が関から横浜の日吉に移転した。スペースを広くとるために慶応予科の校舎を借り受けたのだが、霞が関の軍令部本部まで車で一時間かかるのが部員には不評だった。日吉に移転した年の七月、サイパンが陥落したのをきっかけに東条英機内閣が崩壊。その後、小磯内閣が発足し軍令部第三部に大幅な人員増が図られた。米国情報を担当する第五課には課長一名に少数の部員しかいなかったが、一挙に五十名の増員となった。戦況悪化に伴い、ようやく戦時情報の重要性に気づいたのだ。
 草野少佐は、部員ばかりが増え大所帯になって一年が過ぎた五課の部屋を眺めた。草野が第三部第五課に配属されたのは、三年前だった。三年前には真珠湾攻撃の高揚感がまだ海軍全体に残っており、真珠湾での予想外の戦果による情報への軽視が軍令部内でも続いていた。小磯内閣になって情報部署の人員増が実施され、この一年、草野は以前に増して米国情報の取得と分析に邁進し、様々な報告を上にあげてきたが、ほとんど受け入れられなかった。特に連合国側の和平工作に関する情報は、「敵の謀略」としてすべて却下された。そして今、戦況はますます悪化し、末期症状を呈している。
 今年五月二十五日の東京山の手空襲では、海軍省と軍令部が入っていた霞が関の赤レンガの建物も焼失した。そのため、海軍省と軍令部は地下壕や内幸町の日産館などに移転し、首脳部は日比谷寄りの航空本部の建物に同居することになった。さらに、軍令部第四部で通信を担当する第九課と暗号を担当する第十課は、日吉の慶応校舎に移転してきた。今、慶応校舎には多くの軍令部員が在籍し、情報を分析し、通信を傍受し、暗号を解析している。だが、そのことが何の役に立っているのか。最近、草野は頻繁に無力感に襲われる。
 四月には大日本帝国海軍が誇った最大の戦艦である大和が、往路の燃料しか搭載せずに沖縄戦に向かい米軍の攻撃によって沈んだ。数千人の兵を載せた特攻である。あれから、すでに四ヶ月。今の海軍には軍備はなく、軍令部情報担当部署も連合国側の無条件降伏を促す宣伝放送を聞く日々を送るしかなかった。戦況が不利になり特攻作戦が始まってからは、草野は戦争の終結を願うだけだった。今も、特攻機は敵戦艦に向かって突撃をしているし、敵艦隊が現れたら魚雷を抱えて突撃すべく待機している兵士たちもいる。
 先日のポツダム宣言に対して、アメリカはしきりにラジオ放送で受諾を促しているが、ここに至っても頑迷な陸軍は本土決戦を主張し続けている。戦争が長引けば、若い命が失われるだけだ。四十になる草野は、十年前、海軍武官としてロンドンの日本大使館に勤務していた。駐英大使は吉田茂だった。遠慮なくものを言う吉田は、米英と戦争をすることの愚をよく口にした。ドイツとの同盟に強く反対し、陸軍の憎しみを買った。
 当時、海軍大臣だった米内光政、山本五十六次官、井上成美軍務局長がドイツとの協定締結に反対の立場だったこともあり、草野も吉田大使の考えは理解できたが、一介の海軍士官の考えることなど何の意味もなかった。その後、日独伊三国同盟を結んだことが米国の態度を硬化させ、最終的には米国との戦争に突入するひとつの要因になった。しかし、海軍による真珠湾攻撃が圧倒的な成功裡に終わった時には、草野も快哉を叫んだひとりだった。
 だが、山本五十六長官の乗った機が撃墜された頃から、アメリカ軍の圧倒的な反撃に次々と戦艦を失い、制海権を奪われ、遂に人命を消耗品として扱う特攻作戦が始まった。帰還率ゼロという作戦を許可した、軍令部第一課の参謀たちに草野は絶望した。しかし、そんなことを口に出せるはずもなく、何とか事態を打開できないかと情報収集と分析に励んできた。だが、今は己の仕事にも虚しさを感じるだけだった。
「蘭一号から通信が入りました」と通信兵が電文を持ってきた時、草野は机に向かってポツダム宣言を入電して以降の海軍内部の反応を分析していた。
「蘭一号か」
 真珠湾攻撃のための情報収集において活躍した駐米日本大使館の武官だった山中大尉が、アメリカ合衆国国務省内の残置諜報員として工作した蘭一号は、この四年、定期的に報告を送ってくる。しかし、山中大尉は日米交換船で帰国後、軍令部に勤務していたが、五月末の東京山の手空襲で死亡した。そのことを蘭一号は知らないまま、山中相手に情報を送り続けてくる。
 蘭一号が送ってくる報告は確度が高かったが、その情報に基づいて事前に何らかの手を打てたことはない。その後のアメリカ軍の動きを知って、情報が事実だったことを追認することがほとんどだった。草野は、暗号文を解読した電文を開いた。
「国務長官宛通信の内容を把握。『鶴は菊をめざし、数日中に舞い降りる予定』とのこと」
 鶴? 鶴とは何だ。米国を象徴するなら、白頭鷲ではないのか。日本の鳥といえば、雉か。あるいは朱鷺? 鶴はどうだ? 菊と言えば、我が国のことか。菊に向かって、何かがやってくるのか。舞い降りるとは、文字通りの意味か。あるいは、何かを落とすのか。新型爆弾? 新しい空襲の情報なのか。
 その時、菊の意味に別の可能性があるのに、草野は気づいた。天皇家の紋だ。菊は、陛下を意味しているのかもしれない。陛下に向かって、何かが送られたのだろうか。ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒトを、連合国側は日独伊の独裁者として見ていた。ムッソリーニは吊され、ヒトラーは自決した。連合国にとって、残っているのは大日本帝国とヒロヒトだけだ。
 もしかしたら米国は、陛下暗殺を狙っているのだろうか。陛下が亡くなれば、日本が降伏するとでも思っているのだろうか。馬鹿な。陛下が暗殺されれば、日本人は全員玉砕覚悟で米軍を迎え撃つだろう。
「菅野少尉を呼んでくれ」と、草野は言った。

■1945年8月2日 13:00 茅ヶ崎
「大磯寄りの岩場なら人目には立たないでしょうが、ゴムボートで近寄れますか? 波で岩に打ち付けられたら、無事ではすまない気がします」
「仕方がないのです。砂浜は発見される危険があります。大磯の海岸では塹壕掘りが始まっていました。茅ヶ崎の海岸ではまだですが、時間の問題でしょう。大磯からここまで二時間、海岸沿いを歩いて下見をしましたが、ほとんど砂浜ばかりです。米軍の上陸には適しているでしょうが、夜陰に紛れて人ひとりが上陸するには、ボートが近寄りにくいと思われている場所の方が----。それに、すでに上陸地点の変更を連絡してしまった」
 そう報告する瀬川の顔を見つめて、京子は沈黙を続けた。この人は、戦争を終わらせることに情熱を捧げている、と京子は思った。このあたりはまだのんびりしたところがあり、近所同士で監視するような雰囲気はそれほどなかったが、中には狂信的な人間もいて何かというと「この非常時に」と口にする。そんな人に海岸を下見しているところなどを見咎められたら、すぐに憲兵隊に連絡されてしまうだろう。逮捕されれば、拷問と死が待っている。
「でも、どうしてそんな危険を冒すのでしょう。もう、米国は戦争には勝っているのでしょう」
「硫黄島が陥落し、沖縄は占領されました。ただ、陸軍はまだ国内の兵力を温存していると主張し、本土での決戦を叫んでいます。本土に上陸となれば、米軍だって多大な損傷を受けます。彼らだって、早く戦争を終結させたいのです。ただ、無条件降伏以外、日本に選択肢を与えたくない。だから、何らかの工作のために、その人物が派遣されるのではないでしょうか」
 いつものように、縁側に腰を下ろして瀬川は話している。時折、庭に目をやる。庭の先に土塀があり、土塀の向こうは疎水が流れ、疎水に沿って小道がある。しかし、八月の日中、強い日差しの中を歩く人はいなかった。静かな真夏の昼下がりだ。
「それで、私は何をすれば----」
「何かあった時、ここに一時避難させてください。それと、自転車をお借りしたい。車は手配がつかないし、手配できてもガソリンの入手が困難です。自転車が目につかないし、静かでいいのです。上陸して、そのまま大磯に向かいます」
「二人乗りで?」
「こちらに二台はないでしょう」
「ありますわ。納屋に古いのが」
 瀬川が意外そうな表情をするのを見て、京子は笑った。
「あなたには、笑顔が似合う。そうやって、笑っている方がいいですね。いつも悲しそうな顔ばかりですから」
「それで、二台持っていらっしゃる?」
 京子は、瀬川の言葉がなかったように訊ねた。
「持っていけないことはないが----。夜遅くだし、暗い道をいくことになりますから」
「自転車の電灯も、目立つから点けない?」
「そうなるでしょうね」
「だとしたら、もう一台は私が乗っていきますわ。その人に渡したら、明るくなるのを待って、早朝の散歩のような振りをして帰ってきます」
「いや、だめです。失敗して、あなたが捕まったら----」
「危険は、今だって冒してます。最初、あなたのお話を受けた時、私、覚悟しました。今も、ここに縫い込んでいます」
 京子は覚悟を示すかのように、襟に縫い込んだ青酸カリのケースを指先でなぞった。いつでも死ねると思うと、落ち着いていられた。自分の死は、自分で選ぶ。祖母は悲しむかもしれないが、それ以外に思い残すことはない。
「あなたには、ご家族は?」と、京子は訊いた。
「いません。僕が死んでも誰も悲しみません」
「そんなこと----」
 否定しようとして、京子は戸惑った。私が悲しみます、と言いそうになったのだ。瀬川が問いかける目をした。
「お茶、煎れかえますわ」
 そう言って、京子は立ち上がった。

2018年9月 6日 (木)

●天皇への密使・第一章その6

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その6

■1945年8月1日 ワシントン
 政府機関に勤める人間は、諜報関係の人間からの誘惑に晒される。したがって、様々なところにスパイは存在していた。「マンハッタン計画」と呼ばれる原子爆弾の研究開発チームにも、ソ連のスパイが潜り込んでいた。ソ連のスパイの場合は、共産主義を信奉する思想的背景を持っている確信的な人物が多かった。ポツダムでトルーマン大統領がソ連のスターリン大元帥に「原子爆弾の実験成功」を告げた時、スターリンは実験に立ち会ったスパイからの報告ですでに詳細を知っていた。実験成功を知ったスターリンは、軍隊の満州国境への移動を急がせた。
 アメリカ合衆国の国務省にも、日本の協力者が存在した。日本の敗戦が時間の問題になったとはいえ、彼女はあくまで日本に対して忠誠を誓っていた。アン・レミック、秘書課のスタッフだった。様々な情報に触れられる職種だったが、四年前からアンに指示される仕事は、常にジャック・シモンズによってコントロールされていた。つまり、彼女が日本に協力するスパイであることは、早くから知られていたのである。
 日本との開戦前、アン・レミックが日本大使館員と恋に落ちたことは調査によって判明した。その当時、アンは三十を越えた独身者で、容貌も醜いとまでは言えないが魅力に乏しかった。ある日、レストランで声をかけてきた日本の大使館員は彼女を誘惑し、彼女は初めての経験に夢中になった。しかし、その男は日本の海軍士官で、諜報活動のためにアンを籠絡したのだった。彼は、アンが国務省で得られる情報をリークさせた。それは真珠湾攻撃の後、男が日米交換船で日本に帰った後も続いた。
 アン・レミックの裏切り行為に気づいた国務省上層部は、彼女を告発するのではなく、彼女を通して都合のよい情報を日本に流すことを選んだ。日本大使館の暗号による通信を傍受することによって、アンを誘惑した男がスパイだとは早くから判明していた。日米開戦後、FBI内部では、その海軍士官を見逃すのか逮捕するのか、交換船出航間際まで意見が対立したが、上層部からの命令で帰国を許した。上層部がそう判断したのは、逮捕すれば日本の暗号をアメリカ側が解読しているのを気づかれる怖れがあったからである。
 帰国した男は軍令部に所属し今もアンをコントロールしていたが、この四年間、アンはアメリカ側がリークを望む情報を日本に流し続けてきた。彼女の情報の信頼度を保つために、八割方は真実の情報をリークした。もっとも、それは知られても大した影響のないものばかりだった。残りの二割は、謀略のための情報だった。つまり彼女は、この四年間、アメリカ合衆国のために大いに役立ってくれたのだった。
 ジャック・シモンズは、今、アン・レミックを内線電話で呼んだところだった。昨夜、ポツダムにいる国務長官に打った電文の返答が届いたからだ。国務長官の指示は、予想した通りだった。ジャップに情報をリークする。グルー国務次官の計画は、日本の憲兵によって阻止させる。密使は、おそらく死ぬことになるだろう。しかし、ジャップひとりの命など考慮するに値しない。愛国心を見せるためにアメリカ軍兵士として戦ってきたとしても、それは真の愛国心ではない。ジャップは、ジャップだ。
「お呼びですか」と、ドアをノックしてアン・レミックが顔を出した。
「ああ、電文の口述を頼みたい。その後で、通信室に届けてほしい」
 仕事のためだとしても、この女と寝るのはごめんだな、とジャックは思った。ジャップだったから、こんな醜い三十女でも白人女と寝られることを喜んだのだろう。しかも、この女はユダヤだ。ジュウのくせに、ナチスと組んだジャップに転んだ。二重の意味で裏切り者だな。アンのひっつめた髪と広い額、左右離れた両の眼、特有の鷲鼻、大きな口を見ながらジャックは思った。
「わかりました」
「電文は『鶴は菊をめざし、数日中に舞い降りる予定』だ。宛先はポツダムのバーンズ長官。他読無用で送ってくれ」
「読み上げます。『鶴は菊をめざし、数日中に舞い降りる予定』。バーンズ長官宛。他読無用」
 アンは、メモを見ながら繰り返した。必要なこと以外は、口にしない。
「オーケー、よろしく頼む」
 ジャックがそう言うと、アンは出ていった。ジャップが無条件降伏したら、おまえを一生刑務所にいれてやると思いながら、ジャック・シモンズはその後ろ姿を睨みつけていた。

■1945年8月1日 ポツダム
 新しいイギリス首相クレメント・アトリーと別れたトルーマンは、リトル・ホワイトハウスと呼ぶ宿舎に帰ってきた。ようやく会議が終わったのだ。明日は帰途につく。洋上でゆっくりできるだろう。その間に、原子爆弾が初めて人類の頭上で炸裂するはずだ。それで、ジャップは完全に手を挙げるだろう。しかし、自分は大量虐殺者として名を残すことにはならないか、と一抹の不安も感じていた。
 それにしても、あのスターリンが目を白黒させていたな、とトルーマンは気分を変えるために大元帥の戸惑った顔を思い浮かべた。だいたい自分をスターリン(鉄の男)と呼ばせるのが滑稽だ。本名は何だったかな。あの独裁者には、民主主義の国の選挙が理解できないらしい。会議の途中で、チャーチルが総選挙の確認のために帰国した。選挙では労働党が勝利し、アトリーが新しい首相としてポツダムに戻ってきたことが、独裁者のスターリンには理解不能だったのだ。しかし、まさか保守党が負けるとは----。
 その時、ドアがノックされた。トルーマンが「入れ」と言う前に、バーンズはドアを開けていた。いつものことだ。返事をする前に、勝手に大統領の部屋へ入ってくる。それが大統領を軽んじているように思えた。しかし、トルーマンが政治の世界に入った時に、バーンズは先輩として様々なことを教えてくれた。大統領になってまだ三ヶ月、今は我慢しておこう。
「大統領、報告がある」
「何だ」
「グルーだ。スティムソンがグルーと会った」
「会っても不思議じゃないだろう」
「グルーは、日本の早期降伏を画策している。原子爆弾を落とす前に、降伏させたいのだ。そのために最後の手段を実行に移した」
「最後の手段?」
「ヒロヒトに向けて、密使を送った」
「ヒロヒトに?」
「グルーは天皇が決断すれば、日本は降伏すると考えている。狂信的な陸軍も、天皇なら抑えられると信じているのだ。バカな、ジャップがそんなことで降伏するか。ジャップは『天皇陛下バンザイ』と言いながら突撃してくる。機体に爆弾抱えて、戦艦に突っ込んでくる。クレイジーだ。まったく、信じられん」
「狂信者の群れだな」
「国民が空襲で大勢死んでいるのに、降伏しない。もっと殺すしかない。ブラッディ・ルメイの言うように」
「もう投下命令は、出したよ」
「しかし、グルーは最後の賭けに出た。ヒロヒトに親書を託した。それと、原子爆弾の爆破実験の記録フィルムも密使は持っている。それをヒロヒトや首脳陣に見られたら、まずいことになる」
「どうやって入手した?」
「スティムソンが提供したに違いない。原子爆弾開発の総責任者だからな」
「スティムソン長官は、実験には立ち会っていない。あのフィルムを見て、原子爆弾の使用に迷いが出たのだ」
「だから、我々は、あのフィルムを見なくて正解だったのだ。投下命令を出す前には、見るべきではなかった」
 トルーマンも記録映像を見ないことにした。原子爆弾の開発責任者でありながら、スティムソンは原子爆弾の威力に怖れを抱いている。実験の記録映像を見たことで、畏怖する気持ちが湧き起ったのだ。その逡巡する姿が、トルーマンに影響を与えた。スティムソンのようになってはいけない。大統領は、決断すべき時には決断しなければならない。一抹の迷いも、あってはならないのだ。
「私が、初めてスティムソンから原子爆弾開発のことを聞かされたのは、大統領になって一週間後のことだった」
「そのスティムソンが、原子爆弾の使用を迷っている。バカな話だ」
「私にも、まだ迷いはあるよ」
「相手はジャップだ。迷うことはない。原子爆弾の威力を世界中に見せつけるチャンスだ。特にスターリンには、強力な威嚇になる。戦後処理の交渉をバックアップしてくれる」
「しかし、ヒロヒトの決断で日本が降伏したら?」
「その前に落とすのだ。大統領」
「一週間以内に、投下は実行される」
 トルーマンは、原子爆弾がどれほどの威力なのか想像もできなかった。「世界の終りのようでした」というスティムソンの声が甦ってきた。「世界の終り」だって? 誰も想像できないはずだ。

2018年9月 3日 (月)

●天皇への密使・第一章その5

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その5

■1945年8月1日 大磯
 瀬川玄一郎は、大磯の吉田茂邸が見える場所で立ち止まった。最終的な確認だった。今回の指令が初めてあってから、この半月、何回もやってきた場所だ。前駐英大使の吉田は東京・平河町の本宅が五月二十五日の空襲で焼失し、今はほとんど大磯の別邸で暮らしていた。もっとも、吉田は四月半ばに憲兵隊に連行され、五月いっぱい憲兵隊に拘留されていた。解放されて、まだ二ヶ月ほどにしかならない。
 広大な敷地を持つ吉田邸だが、養父が建てた別荘は関東大震災で倒壊し、今は夏の避暑用に建てた簡素な母屋と別棟があるだけだった。別棟には一年ほど前から、吉田とは古いなじみの元芸者の家族が住んでいた。また、離れには書生がひとり住んでいたらしいが、その男は吉田が憲兵隊から解放されてしばらくしていなくなったという。おそらく、憲兵隊か軍の防諜を担当する機関から潜入していたスパイだったのだろう。
 大磯駅から二キロ近くある小高い丘の上に吉田邸は建っているが、書生は毎日、自転車で買い物にまわり、郵便局で郵便物を受け取っていた。その間に連絡を取っていたのかもしれない。逮捕されるまで、大磯の吉田邸は日夜、憲兵に監視されていたらしい。吉田がスパイ容疑で憲兵隊の監視を受けているというのは、駅前の商店の小僧まで知っていた。しかし、現在は憲兵の姿は見あたらない。ただし、完全に監視が解けたわけではなさそうだ。憲兵の監視が続いている前提でいなければならない。
 今回の指令は、まず吉田茂との接触の可能性を探れ、ということから始まった。その目的はわからなかったが、常に目的は知らされない。先日、ある人物が上陸すると連絡があり、その人物と吉田茂を接触させよという具体的な指令が届いた。この間の瀬川が観察した吉田の日常を考えると、毎朝の散歩の途中で吉田に接触するしか方法はなさそうだった。吉田は、毎朝、決まった時間に海岸に降り、浜辺に立って海の向こうをしばらく眺める。南方で戦死した兵士たちに、思いを馳せているのかもしれない。
 早朝なので、ほとんど人はいない。その途中、人目に立たない松林の中で接触するしかないだろう。吉田邸への人の出入りは、おそらく監視されているはずだ。しかし、吉田が必ず散歩に出るとは限らない。また、雨が降ったりしたら、日常の習慣を中止することも考えられる。次善の策も必要だった。そのために周辺を探り、瀬川は吉田邸の裏山にある洞窟を見つけていた。そこは書生が防空壕に改造していたが、洞窟に潜んで夜を待ち、吉田の部屋に忍ぶしかない。
 その人物は吉田茂と接触して、何をするつもりなのだろう。吉田は同じ大磯に別邸を持つ樺山愛輔伯爵や、元老・西園寺公望の秘書を務めた原田熊雄男爵らと連絡を取っていたが、彼らは憲兵隊に勾引はされず自宅での取り調べだけですんだ。伯爵や男爵という肩書きに気を使ったのもしれないが、彼らが反戦派であると憲兵隊は認識している。今は現役の首相や閣僚でさえ憲兵隊に監視され、身動きのとれない状態だ。「和平工作」「終戦工作」という言葉を口にするだけで命の危険がある。

 瀬川玄一郎の父は、政友会の政治家だった。ただし、玄一郎は庶子である。父親が新橋の芸者に生ませた子だ。五歳で本宅に引き取られ、他の四人の子供たちと一緒に育った。彼をかわいがってくれたのは、すでに成人していた長兄だった。その他に次兄と長女と次女がいたが、彼らは妾の子を自分たちの弟とは認めなかった。
 父は大正デモクラシーを経験し議会政治に夢を託していたが、息子たちに対しては頑迷な父親にしか過ぎなかった。年の離れた長兄はマルクスに傾倒して密かに共産党に入党し、昭和初期の一斉検挙で逮捕された。父親の奔走によって半年で出所した長兄は、政治家の父の力で特別扱いされた己を恥じ、ほとんど家にこもって読書をするだけになった。元々、研究家肌の人物だった。
 十代の頃、最も影響を受けたのが長兄だった。その頃は、もうマルクスの著作など入手できなくなっていたが、長兄が隠し持っていた著作を読み、長兄の手ほどきで「資本論」にも手を出した。兄の理想が理解できた。玄一郎のマルクスへの傾倒を父が知ったのは、玄一郎が二十歳の東京帝大生の時だった。頭ごなしに怒鳴る父親を長兄がとりなし説得した。
 軍が力を持ち、中国との戦争が始まり、すでに世の中が息苦しくなっていた頃だ。兄は、父に玄一郎の米国留学を認めさせた。このまま日本にいて共産主義者になり、逮捕されたり不祥事を起こされるよりは----と考えた父は、ハーヴァードで法律を学ぶことを認めた。昭和十四年、瀬川は海を渡った。
 ハーヴァードの学生寮でルームメイトになったのは、スティーブ・ライナーという白人にしては小柄な青年だった。日本人の入寮を認めるのも珍しかったが、ジャップとルームメイトになることを了承したことにも瀬川は驚いた。スティーブはまったく偏見を持たない好青年で、慣れない瀬川をあちこち案内してくれた。やがて、スティーブと一緒に出歩いたり、旅行したりする間柄になった。ある日、瀬川が読んでいる本を見たスティーブは、「それは日本語訳のマルクスかい。きみはコミュニスト?」と訊いてきた。
「コミュニストではないが、世の中の不公平は改善されるべきだと考えている」と、瀬川は答えた。
「今の日本で、そんな考え方をしていると、生き辛くないか」と言ったスティーブは、じっと瀬川を見つめた。
「だから、アメリカにやってきたんだ。ここは自由の国だから」と、瀬川は答えた。
 ニューヨークでスティーブの兄ポールに紹介されたのは、その少し後だった。ポールも人種偏見のない好漢だった。彼らと一緒にいると、自分が日本人であることを忘れられた。ホテルのフロントも、レストランの受付係も瀬川をWASPのように扱った。もっとも、ひとりでいると、それが錯覚だとすぐに気づかされた。フロントも受付係も「ジャップ」を見る目になった。
 スティーブとポールとのつきあいが一年を過ぎた頃、ポールから「日本は今のままではファッショ勢力が支配し、やがてアメリカにも戦争を仕掛けてくるかもしれない。日本がそうならないように働いてみる気はないか」と説得され、協力者になることを要請された。連邦政府の役人だと聞いていたポールだったが、FBIの防諜課の人間だったのだ。瀬川は何回にもわたる面接を受け、詳細な心理テストを受け、訓練を受けた。
その年の暮れ、日本が真珠湾を奇襲した。翌年の二月、反米傾向の強い日系人として、FBIは瀬川を拘留した。カムフラージュのためだったが、他の反米的だとして逮捕拘留された日本人たちと一緒にエリス島の移民収容所に入れられた。ことさら反米的な言動をする瀬川は日本人たちに顔を知られ、受け入れられることになった。
 その数ヶ月後、瀬川は日米交換船でニューヨークを出航した。中立国スウェーデン籍のクリップスホルム号で、アフリカのポルトガル領ロレンソ・マルケスに到着したのは七月二十日だった。二日後、日本から駐日大使ジョセフ・グルーを始め、アメリカへ帰国する人たちを乗せた浅間丸とコンテ・ヴェルデ号が到着し、日米の帰国者が交換された。
 瀬川は浅間丸に乗り換え、八月九日に昭南島(シンガポール)に着き、軍人たちが船に乗り込んできた。彼らは、米国の風潮に染まった帰国者たちを再教育し、帰国者として紛れ込んでいるかもしれない米国の間諜を見つけ出そうと、全員の調査と面談を徹底的に行った。要注意人物リストが作成され、再度の面談が行われた。
 特に留学生は、何度も軍人たちの尋問を受けた。そんな時、瀬川は積極的に発言し、軍人たちの歓心を買った。媚びているように見えるのは避けたが、心から大日本帝国の偉大さを讃えた。瀬川は海軍中尉に接近し、英語力を生かしてお国のお役に立ちたいと申し出た。
 帰国後、中尉の推薦で軍令部の軍属になり、最初は通信関係の雑用を担当した。やがて、ボイス・オブ・アメリカの放送を聞き、それを詳細に翻訳すること、また、アメリカ兵に向けた英語放送を担当する仕事もすることになった。瀬川は次第に信頼され、重要な情報に触れる機会も増えた。
 この三年間、瀬川は様々な情報を報告してきた。露見すれば自身が死刑になるだけではなく、血族も「売国奴の家族」として指弾されるだろう。しかし、ただひとり、瀬川が家族だと思っていた長兄は、日本が真珠湾攻撃をしたひと月後、自殺した。遺書には「こんな愚かな国には絶望した」とあったという。父は、その遺書を棺に入れて焼いた。だから、今の瀬川には気にかける人間は誰もいなかった。
 ただ、留学前に教えを受けた貞永教授の存在が気になっていた。帰国して消息を訪ねると、反戦の言動をとがめられて憲兵隊に逮捕され、拷問で体を痛められ寝たきりになったと聞かされた。ようやく訪ねあてた時、教授はすでに帰らぬ人になっていた。十七になる娘は瀬川に敵意を見せ、その姿に娘の絶望を見た。彼女は、今の日本を憎んでいた。心の底から憎んでいた。
 彼女を誘ったのは瀬川の勝手な判断だったし、危険なことだった。しかし、自分の正体を明かすことで、彼女の側にいることを知らせたかったのだ。それは、彼女に好意を持ったからかもしれない。彼女に好意を持ってもらいたいという気持ちは、確かに瀬川にもあった。しかし、瀬川は彼女を守りたいと思いながら、彼女を危険な領域に誘い込んでしまったのだ。

 吉田邸を見ながら海岸に降りた瀬川は、陸軍の兵士たちが浜辺で砂を掘り返しているのを見て驚いた。十人ほどの兵士が木製のショベルで作業していた。今時、金属のショベルなどどこにもない。砂だから木のシャベルでも掘れるが、硬い土なら大変な作業である。瀬川は、彼らが本土決戦に向けて塹壕を掘っているのだとわかった。相模湾も米軍の上陸の可能性が高い場所として警戒されている。
「貴様、何を見とるか!」と、振り返った隊長らしき兵隊が瀬川を見つけて怒鳴った。
 その兵隊は、十数メートル離れた瀬川に向かって走ってきた。瀬川は驚きから抜けきっていなかった。怖れて、立ちすくんでいるように見えただろう。目の前に立った兵隊は、陸軍軍曹だった。
「貴様、ここは民間人は立ち入り禁止だ。わかっとるのか」
 怒鳴り散らすしか能がないのかもしれない。
「私、軍令部に勤めております」
 そう言って、瀬川は身分証明書を見せた。
「ここは大日本帝国陸軍が、本土決戦に備えて作業をしておる。軍令部でも何でも、すぐに出ていってもらいたい」
「わかりました」
 瀬川は、砂浜を出た。明後日の上陸予定地は、変更しなければならない。砂浜は危険だ。葉山、鎌倉、平塚、茅ヶ崎、すべての浜は同じようになっていると想定しなければならないだろう。とすると、磯か岩場になっている場所を探して上陸しなければならない。潜水艦からゴムボートに乗り換えて上陸する予定だが、ボートが波で岩に打ちつけられて困難な作業になるかもしれない。前途多難、という言葉が瀬川の頭に浮かんだ。

2018年8月30日 (木)

●天皇への密使・第一章その4

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その4

■1945年7月31日 ワシントン
 ヘンリー・スガノは後部座席から身を乗り出し、運転するジャック・シモンズの横顔を見つめた。国務次官室を訪ねた時のジャック・シモンズの表情を思い出したからだ。あの表情はなじみのものだった。口には出さないが、その目は「ジャップめ」と語っていた。グルーの命令とはいえ、ジャップを後部座席に乗せているのは耐えられないだろう。今、この国に数え切れないほどいるジャップ嫌いの白人だ。
 そんな表情には、慣れていた。フランスのボージュの森を思い出す。命を賭して救出に向かった相手から「ジャップ」と言われた。あの時、ドイツ軍に包囲され、全滅必至とされたテキサス大隊を救うために、ルーズヴェルト大統領は日系二世部隊を投入した。ナチに包囲されたテキサス大隊は「失われた大隊」と呼ばれ、アメリカ国内で大きなニュースとなっていたのだ。救出は困難と言われたにも関わらず、ルーズヴェルト大統領は世論に押され救出を強行した。
 政治家にとっては、次の選挙で投票してもらうために国民の支持が最も大切なのだ。国民の「テキサス大隊を救え」という声に応えてみせる必要が大統領にはあった。捨て石として選ばれたのが、日系部隊四四二連隊だった。イタリアに上陸してすでに一年、勇敢に戦闘を続ける四四二連隊の死傷率はアメリカ合衆国陸軍随一だった。
 ボージュの森でのドイツ軍との戦いは熾烈を極め、戦闘は五日間続いた。ようやく二百余名のテキサス大隊を救出した時、四四二連隊の二百数十人が死傷していた。テキサス大隊の兵士たちは、救出にきた日系兵士を見て「ジャップ部隊か」と口にした。
 あれは、もう九ヶ月も前のことだ。俺の三本の指はあの森に置いてきてしまった、とヘンリーは白い手袋に覆われた左手を見下ろして思った。その戦傷も、グルーがヘンリーを選ぶ理由になった。戦傷を負った日系人、今のアメリカ合衆国ではマイナスのファクターばかりを集めた人間なのに、皮肉にもそれがグルー国務次官の求める条件を充たした。
「今の日本では、中年の男たちまで徴兵されている。若い男など、ほとんどいない。その中に、二十五歳のきみが潜入したのでは目立ってしまう。日本に上陸したら手袋を外して、その傷を見えるようにしておくんだ。そうすれば、戦傷で除隊した傷痍軍人と思われるだろう。それに、傷痍軍人記章も用意する」と、グルーは言った。
 この国は、いつまでたっても日系人を受け入れない。父母の苦労を何度も聞かされてきたが、日本軍が真珠湾を攻撃した時から再び日系人の苦難は始まった。財産を失い、収容所に入れられた父は、二度と立ち上がることはできないほど打ちのめされている。
 ヘンリーの父、菅野誠次は一八九〇年、日本の元号で言えば明治二十三年、広島県の郡部で小作農家の次男として生まれた。貧農の子沢山。幼い頃から、誠次は働かなければならなかった。十五で呉市の軍需工場で働くようになったが、海外へ夢を馳せ、十七歳の時にアメリカへの移民船に乗った。明治四十年のことである。
 サン・フランシスコに到着した菅野誠次は、果樹園を中心に安い賃金でも熱心に働いた。いつかは自分でも果樹園を持ちたいと、爪に灯をともすようにして金を貯めていたが、一九一三年、カリフォルニア州は日系移民の土地所有を禁止する法律を可決した。その後、多くの州が追随し、日系移民の土地所有を禁止した。安い賃金で懸命に働く日系移民は、白人労働者たちに嫌われていたのである。やがて、一九二四年、排日移民法が成立し、日本人の移民が禁止になった。
 土地を持つことを諦めた菅野誠次は、サン・フランシスコに形成された日系人街リトル・トーキョーに移り、クリーニング職人の修行をし、やがて独立。貯めていた金で自分の店を構えた。彼が結婚したのは、一九一四年、日本では大正三年である。故郷の村の兄が送ってきた写真で相手を決めた。いわゆるピクチャー・ブライドだ。隣村の娘だった。名前は貞。十八歳で、誠次より六歳若かった。
 二年後には長男のジョニーが生まれ、その二年後に長女のマリーが生まれた。次男のヘンリーは一九二〇年に生まれ、その後、次女と三男が生まれ、両親と三人の息子と二人の娘の七人家族になった。三男が生まれたのは一九二八年、日本では昭和三年だった。誠次がアメリカに渡って二十一年が過ぎていた。その頃、日本人街のクリーニング店は順調で、一家が最も安定していた時期だった。
 アメリカで生まれた二世である子供たちはアメリカ国籍のアメリカ人であり、彼らは成人すると土地所有も可能だった。ただし、日系人に土地を売ろうという白人はほとんど存在しなかった。誠次は、子供たちには苦労させたくないと、教育を受けさせることに熱心だった。長男はクリーニング店を継がせるつもりで職人修行をさせたが、大学まで通わせた。次男のヘンリーは、スタンフォード大学に進んだ。
 しかし、日本軍の真珠湾攻撃がすべてを台無しにした。真珠湾の奇襲攻撃があった直後、店に石を投げ入れられた。朝、起きると店の看板に「ジャップ・ゴーホーム」と書かれていた。翌年の二月九日、ルーズヴェルト大統領は「大統領令九〇六六号」を発令した。日系人を強制収容するというのだ。トランクひとつだけが許された。菅野一家もどこへいくのかわからないままトラックに乗せられ、長い時間、揺られ続けた。幸いだったのは、一家七人が全員揃っていたことだった。
 彼らが一時期、収容されたのは競馬場で、馬小屋の一角で生活せざるを得なかった。家畜並の扱いで衛生状態は悪く、食べ物はひどかった。敵性国民とされ、理不尽な扱いを受けていることに抗議する人間もいたが、大多数はあきらめ顔で不平も言わず暮らしていた。彼らが最終的に収容されたのは、カリフォルニア州オーエンズヴァレーに造られたマンザナール収容所だった。そこには、一万人の日系人が集められていた。アメリカ全土では、十二万人の日系人が同じように強制収容されたのだ。彼らは迫害され、財産を失い、収容所での不自由な生活を強いられた。人間の尊厳も、誇りも、そこにはなかった。
 理不尽な扱いを受けていることを声高に主張する、反米的な動きもあった。収容所内の若い世代が多く、彼らは待遇改善を強く要求した。そんな動きが次第に膨れ上がり、暴動のような形になったのは、真珠湾攻撃から一年が過ぎた頃だった。だが、監視する兵士たちによって鎮圧された。多くの若者が逮捕され、隔離された。長男のジョニーもそのひとりだった。
 暴動騒ぎから二ヶ月経った一九四三年二月、全収容者に「忠誠登録」が強制された。どちらの国に忠誠を誓うのかを迫るものだった。ジョニー以外の子供たちは、「アメリカ合衆国に忠誠を誓う」と提出した。しかし、日本国籍の父と母は、どうすればいいのか。彼らはアメリカ合衆国の市民権さえ持っていない。日本国民として天皇裕仁に忠誠を誓えば、強制送還されるかもしれない。
 暴動騒ぎ以来、拘束されていた兄のジョニーは、確信をもって「忠誠登録」を拒否した。調査官の調べに対しては、日本への送還を希望した。その結果、その年の九月にニューヨークを出航した第二次日米交換船に乗せられ、一度もいったことのない日本へ向かった。ジョニーは日本語は話せたが、日常会話としては英語の方が得意だった。広島には祖父母や叔父がいた。両親は去っていくジョニーに、会ったこともない親戚を頼れと言うしかなかった。
 一方、アメリカ合衆国に忠誠を誓ったヘンリーは軍隊に志願した。そのことで、家族に対する扱いが少しは変わるかもしれないと思ったからだ。忠誠登録を拒否して日本に向かったジョニーに対する、周囲からの反発を弱めたい気持ちもあった。ジョニーがマイナスなら、ヘンリーはプラス。それでゼロになる。しかし、周囲の反応は、そんなに簡単ではなかった。
 自分が星条旗に包まれた棺に入って帰国したら変わるかもしれないな、とヘンリーは思った。日系一家だが、アメリカ合衆国のために命を捧げるんだからな。そんな思いから、ヘンリーは訓練に耐え、ヨーロッパ戦線の熾烈な戦闘で常に先頭に立ち勇敢に戦った。多くの戦友を失い、自身も何度も死線をくぐった。生き延びているのが不思議だった。いくつも勲章をもらった。ボージュの森の戦いでは、英雄的で自己犠牲的な行為をした兵士に与えられる名誉勲章まで授与された。
 ヘンリーは父母の祖国である日本を恨みこそすれ、アメリカ合衆国に対しては自由の国であることを誇りに思っていた。日系人を強制収容したことは自由の国にとっての恥だと思っているが、それも戦争が終われば変わると楽観していた。この日系人に対する集団ヒステリーは、いつかは収まるはずだった。愚かな日本が、巨大なアメリカ合衆国に戦争を仕掛けたのが間違いだった。勝てるわけがない。現に、今、日本は破滅の危機に晒されている。しかし、それをわかっていない。
 彼らは、ポツダム宣言に盛り込まれた「われらの軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避かつ完全なる破滅を意味する。また、必然的に日本本土の完全なる破壊を意味する」というフレーズの本当の意味がわかっていないのだ。いや、彼らに理解できるわけがない。先ほどグルーに聞いた、アメリカ合衆国が大勢の科学者を動員し、莫大な金額を費やして開発したという原子爆弾。その威力は、グルーの部屋で映写されたフィルムで、ヘンリーも初めて目の当たりにした。
 それは、七月十六日にロス・アラモスで行われた、原子爆弾の爆破実験を記録したフィルムだった。驚くべき、すさまじい映像だった。眼もくらむ閃光が天地を覆い、想像を絶する爆風がすべてをなぎ倒した。巨大なキノコ雲が立ち上り、まるでこの世の終わりだった。フィルムは、何台ものキャメラで撮影されたものを編集していた。航空機から撮影した映像は、心の底から震えがくるほどだった。まるで、天地創造の瞬間に立ち合っているようだ。
 強烈な放射能が残る、爆発後の爆心地の様子も撮影されていた。空中で爆破させねばならないため原子爆弾は高い鉄塔の上に置かれていたが、その鉄塔は飴のように曲がり、周辺には巨大なクレーターが出現していた。他には、何も存在していない。完全な死の世界だった。すべてのものが消滅していた。
 上映が終わった後、巻き戻したフィルムは防水ケースに納められ、一通の封書と共に防水仕様のバッグに入れられてヘンリーに託された。それを届けることが、ジョセフ・グルーのミッションだった。ワシントンでは、「グルーは日本びいき過ぎる」と言われている。その国務次官を、ヘンリーは改めて見つめた。品のよい面長の顔。理知的な光を放つ瞳。ハーヴァードでは、ルーズヴェルトより二年上だったと聞いた。
 グルーのミッションには、選択の余地はなかった。ヘンリーが拒否すれば、ミッションそのものが成立しなくなる。短期間での選別だったが、グルーの人選は目的に適うものだったし、今から別の人間を捜すのは不可能だった。左手の三本の指がなく、戦傷のために除隊になった若い日本人に見える日系二世。豊富な戦闘経験を持つ兵士で、数えきれないドイツ兵を殺してきた。いざとなれば、同じ顔をした日本人だって殺すのをためらわないはずだ。彼らは、敵なのだ。
「この後、輸送機で硫黄島へ飛び、さらに潜水艦で日本本土に近づき、三日後の午前零時から三時までの間に神奈川県茅ヶ崎近辺の海岸にゴムボートで上陸。協力者が待機予定。その後、大磯の吉田邸で吉田茂と接触。吉田ルートで鈴木首相に面会。鈴木首相を経由し、天皇に国務次官の親書とフィルムを届ける。タイムリミットは八月五日午後十一時。迎えの潜水艦は、五日午後十一時から六日の午前一時まで待機している。以上の理解でよろしいでしょうか」と、ヘンリーはミッションを確認した。
「吉田は、六月まで憲兵隊に逮捕されていた。吉田反戦グループをヨハンセンと呼んで、憲兵たちは警戒している。おそらく、彼らの監視がついているだろう。接触には、気をつけなければならない。鈴木も同じだ。終戦工作を警戒する憲兵隊は、首相や閣僚たちさえ監視しているようだ」
「彼らは、私の話を信用するでしょうか」
「先ほど教えた、私が日本にいる時に経験したエピソードは、それぞれ私と吉田、私と鈴木しか知らない個人的なものだ。彼らは、信用するはずだよ」
「私は民間人として潜入するわけですが、武器は持参してもよろしいですか」
「武器を持っていると、調べられた時のリスクが増すが----」
「私は兵士です。敵のまっただ中で丸腰では----」
「わかった。日本の軍用拳銃を用意させる。少なくとも、アメリカ軍の銃を持っているよりはましだろう」
「ありがとうございます」
「擬装用の日本の国民服などと一緒に渡せるように手配する。では、これからすぐに出発してもらえるだろうか」
「わかりました」
 ヘンリーは、もう二年会っていない兄の顔を思い浮かべた。子供の頃から敬愛する兄だった。兄さん、これからそっちへいくよ、とヘンリーは語りかけた。このミッションが拒否できないものであるなら、日本にいくのはやぶさかではない。それに、もしかして兄に会えるかもしれない。それが、このミッションを受ける理由でもあるのだと、己に言い聞かせた。

「到着だ」
 飛行場に車を乗り入れたジャック・シモンズが振り返った。ヘンリーは何も言わず停止した車から降り、すでにプロペラが回転し、機体を滑走路に向けようと動き始めた双発の輸送機に目を向けた。そのタラップに向かって歩き出す。車の横に立つジャック・シモンズとすれ違った時、彼の口が開き、かすかな言葉が放たれた。ジャック・シモンズは、ヘンリーに聞こえないように言葉にしたのだろう。しかし、飛行機の轟音が響く中でも、ヘンリーの耳はその言葉を聞き取った。
「ゴー・ツー・ヘル、ジャップ」
 確かに、俺は地獄へ向かっている。それは間違いない。ヘンリーは、自嘲の笑いを浮かべた。あの地獄のようなヨーロッパ戦線を生き抜いたというのに、さらに危険な場所に向かおうとしている。おまけに、今回のミッションには仲間はいない。孤立無援だった。俺は、どこまでアメリカ合衆国に忠誠を示せばいいのだろう。命を捧げたら、アメリカ合衆国は日系二世の俺を受け入れてくれるだろうか。

2018年8月27日 (月)

●天皇への密使・第一章その3

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その3

■1945年 7月31日 ポツダム
 ひと月ほど前に第四十九代アメリカ合衆国国務長官に就任したばかりのジェームズ・バーンズは、スターリンに対して苛立っていた。あの口ひげの小男は、肚の底が読めなかった。ドイツ降伏後の戦後処理についても約束を守らず、占領地区を次々に共産化している。ドイツもソ連に分割占領され、ここポツダムはソ連の占領地区だ。ソ連兵は規律の乱れがひどく、略奪とレイプは日常的に行われていた。さすがに、ドイツ降伏後は住民虐殺は行われていないようだが----。
 バーンズは、ソ連軍がベルリンに向かって進軍した時の蛮行については、詳しく聞いていた。「ドイツに復讐を」と煽ったのは、スターリン自身の方針だったという話だ。おまけに、今度は対日参戦である。ポツダムでの会談の初日、スターリンは「約束通り、ドイツ降伏後三ヶ月以内に日本に対して宣戦布告する」とトルーマン大統領に告げた。
 約束? あの偉大な大統領FDR(フランクリ・デラノ・ルーズヴェルト)との密約のことか。だが、半年も前のヤルタでの約束だ。ルーズヴェルトが死んで、三ヶ月以上になる。今更、ヤルタでの密約など持ち出されても、バーンズは迷惑なだけだった。状況は一変した。今のアメリカには、原子爆弾がある。ソ連の火事場泥棒のような対日参戦など必要ない。
 さらに、スターリンが「日本がソ連に和平の仲介を依頼してきた」と、得意げに話したのも気に入らなかった。日本はコノエという貴族に天皇の親書を託し、ソ連に送りたいと言ってきたという。まるで、「アメリカのために、日本をじらしてやっているのだ」と言わんばかりだった。
 苛立つのは、スターリンばかりではない。合衆国内部にいるエリートの知日派たちだ。特にジョセフ・グルー。駐日アメリカ大使として十年、ジャップの国にいたことを自慢げに話すエリート面が気に入らない。やつはボストンの名家に生まれ、ハーヴァードを出ている。確か、モルガン一族とも縁戚だったのではないか。
 グルーは、何とか原子爆弾を使用せずに日本を降伏させたいと画策している。スイスで日本の駐在武官が終戦工作のために、情報機関チーフのアレン・ダレスと接触した情報も入ってきたが、その背後にはグルーがいるらしい。やつの狙いはわかっている。アメリカの財界をバックにする合衆国エリートたちは、戦後の日本を巨大なマーケットと見ているのだ。おまけに、グルーは日本の政財界とも太いパイプを持っている。
 サウスカロライナの貧しい母子家庭に生まれ、独学で法律を学んで這い上がってきた叩き上げの政治家であるバーンズは、やはり名門の出でイエールに学んだスティムソンのような、銀の匙をくわえて生まれてきたエスタブリッシュメントたちには反感しか感じなかった。
 おまけに、やつらはジャップにチャンスを与えようとしている。完成した原子爆弾は使わなければ意味がない。その威力を見せつけなければ、戦後のソ連を抑えられないだろう。懐に原子爆弾を持っていれば、どんな外交交渉だって有利に働く。あのスターリンに吠え面をかかせることだってできるのだ。その時、ドアがノックされた。返事をすると、随行している通信兵が入ってきた。
「長官あてに、暗号文書が届いています」
 バーンズは「他見無用」とある文書を受け取り、通信兵は部屋を出ていった。
〈菊をめざし鶴は飛びたった〉
 それだけで、バーンズにはすべてが理解できた。ポツダムからひと足早く帰国したスティムソンが、グルーと会ったのだ。この一ヶ月、グルーは密かに準備していた。計画には海軍と陸軍の協力が必要だが、海軍長官も陸軍長官もグルーの仲間だ。それに、海軍情報部が密接にかかわっている。でなければ、グルーの計画は実現しない。密使を硫黄島まで軍用機で運び、潜水艦で送り、日本のどこかに上陸させる。
 グルーの画策は、逐一、バーンズに報告が入っていた。ジャック・シモンズ。彼は国務省の役人だ。グルーが信頼する補佐官だとしても、最終的には国務長官であるバーンズに忠誠を誓う存在である。おまけに口には出さないが、シモンズはジャップ嫌いだ。三歳下の弟がサイパンで、「天皇陛下バンザイ」を叫んで突撃してくる気が狂ったジャップども相手に戦死した。好きになれるわけがない。
 グルーは、そんな狂信的な兵士たちが崇拝し、彼らに死を怖れさせない存在である天皇を許せと言う。国体護持を保証すれば、ジャップは降伏すると断言する。わかるものか。原子爆弾で日本を破壊し、ヒロヒトは裁判にかける。そうしなければ、アメリカ国民は納得しない。だから、ジャップを原子爆弾投下前に降伏させてはならない。グルーの天皇への密使は、ミッションを果たしてはいけないのだ。
 グルーの密使は、クレイジーな国に潜入する。命を落とす確率は高い。彼はアメリカ軍兵士だとしても、ジャップの血を引く人間だ。本人も覚悟しているだろう。それに、手を下すのは日本の憲兵隊になるはずだ。アメリカ合衆国のために、グルーの企みは阻止しなければならない。バーンズは、これから自分が行うことを正当化するように、そう言い聞かせた。

2018年8月23日 (木)

●天皇への密使・第一章その2

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰めで500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)の夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その2

■1945年7月31日 ワシントン
 七十八歳になるアメリカ合衆国陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、ドイツ・ベルリン郊外のポツダムからワシントンへ向かっていた。もうすぐワシントンだった。トルーマン大統領がポツダムでの会談を終え、帰途に就くのは八月二日の予定である。ただし、大統領は往路と同じく戦艦オーガスタで大西洋を越えることになっている。大統領は、水兵たちと交わるのを好んだ。彼らと一緒に食事をし、彼らと故郷の話を交わしたいのだ。
 しかし、スティムソンには何日もかけて大西洋を渡るような余裕はなかった。原子爆弾の実験は成功し、戦争終結の見通しは出てきたが、日本はまだ降伏していない。このまま日本がポツダム宣言を受諾しなければ、大統領が大西洋上にいる時、日本に初めての原子爆弾が落ちることになるだろう。すでに、世界最初の原子爆弾はテニアン島に配備され、爆撃機に搭載されるのを待つだけの状態だ。
 一方、日本の鈴木貫太郎首相は、「ポツダム宣言を黙殺する」と発表した。それが事実上の拒否だと判断すれば、大統領は原子爆弾の投下を命じるだろう。いや、すでに原子爆弾は投下される方向で作戦が進行している。しかし、スティムソンは迷っていた。あれほどの威力を持つ原子爆弾を、何の警告もなく投下してよいものか。もちろん。ポツダム宣言には「日本が受け入れない場合、徹底した破滅の道しか残っていない」ことは書かれている。
 しかし、原案には明確に書かれていた日本の国体を維持する、つまり天皇制には手をつけないという一文は削られた。バーンズ国務長官が「ジャップに譲歩する必要はない。アメリカ国民が納得しない。無条件降伏だけが日本に残された道だ」と強く主張したからだ。戦前、十年も駐日大使を務めたジョゼフ・グルー国務次官が強く主張するように、スティムソンも国体の維持を保障しなければ、日本は降伏しないだろうと考えていた。
 だから、グルーと海軍長官ジェームズ・フォレスタルと共に三人委員会として、数カ月前、日本を降伏させる条件について大統領に進言したのだ。三人委員会は、その時、完成間近の原子爆弾を使用せずに日本を降伏に導くことを考えていた。しかし、スティムソン自身が、大統領に就任したばかりのトルーマンに原子爆弾開発計画を教えたのだ。
 今年の四月十二日、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領の急死によって、副大統領から昇格したトルーマンは初めて原子爆弾開発計画を知り、同時に莫大な国費がかけられたことも知った。それだけの税金をつぎ込んだのだから、トルーマンは原子爆弾を使用しなければ国民の納得を得られないと考えた。大統領は、国民から弱腰と見られるのを極端に警戒した。
 だから、大統領に就任すると同時に、日本に対する強硬派であるジェームズ・バーンズを重用したのかもしれない。トルーマンにとっては先輩政治家であり、ルーズヴェルトは副大統領にバーンズを指名するのではないかと思われていた。しかし、思いがけなく自分が副大統領に指名され、トルーマンはバーンズの嫉妬を感じたのではあるまいか。トルーマンは大統領になると、すべての案件をバーンズに相談した。バーンズは、新大統領の特別顧問になった。
 五月末の暫定委員会でも、大統領の特別代理として出席したバーンズは、他の委員の反対を押し切って、日本への「事前警告なしの原子爆弾投下」を大統領に進言すべきであるという結論に導いた。それは、スティムソンの考えとは異なっていたが、彼にできたのは原子爆弾投下目標に予定されていた京都市、広島市、新潟市から京都を外させることだけだった。戦前、夫妻で日本を訪れ、京都の美しさに魅せられたスティムソンは、あの町が原爆で消滅するのだけは避けたかったし、京都が日本人にとって特別の街であることも知っていた。

 ワシントンに到着したスティムソンを迎えたのは、ジョセフ・グルーだった。十年間、駐日アメリカ大使として日本に滞在したグルーほどの知日家は他にいなかった。昨年、国務次官に就任したグルーは「滞日十年」という分厚い本を出したが、それは対日戦争の終結が見えてきた時期に、アメリカ国民に日本と日本人を知ってほしいというグルーの望みが形になったものだった。その本の出版は、日本の指導層たちにも情報として届いているはずだ。
 グルーの本は「私の親しい自由主義者の日本人」といったように実名を伏せている場合が多いが、様々な日本人が登場する。日本に着任して最初に登場するのは、大使として挨拶をするために謁見した天皇ヒロヒトと皇后である。グルーとアリス夫人は、天皇皇后と親しく会話をする。
 また、二・二六事件の前夜、アメリカ大使館で開かれた晩餐会には、翌朝、青年将校たちに襲撃され殺される斎藤実内大臣と、四発の銃弾を浴びることになる侍従長の鈴木貫太郎が出席していた。その夜、ふたりを見送ったことをグルーは感慨深く著述していた。その鈴木が、今、日本の首相を務めている。
「ポツダムは、どうでした?」と、車中でグルーが言った。
 ふたりが乗った車は、国務省に向かっていた。スティムソンとの会見は秘かに行いたいと、国務省の運転手ではなくグルーの補佐官ジャック・シモンズが運転していた。それでも、グルーは声を抑えている。
「大統領に『赤ん坊が無事に生まれた』ことを伝えた途端、スターリンに対して強気になった。十六日の実験は、大成功だったからな。それを聞いて大統領の顔が輝いた。ソ連の対日参戦など必要ない、いや、かえってソ連に借りを作ることになると考えを変えたのだろう。バーンズ国務長官のアドバイスもあるのかもしれない」
 スティムソンは、面長の顔に憂いを見せて、沈んだ口調で答えた。右手で口ひげに触れている。深く思案する時のスティムソンの癖だった。左手はしっかりとブリーフケースを抱えている。その中には、グルーに依頼されたものが入っている。それは日本を降伏に導くための重要なものだった。
「その赤ん坊が、どれだけの人を殺すと思っているのです」と、スティムソンより十三歳若いグルーは強い口調で言った。
「沖縄を占領した六月の時点で、日本が降伏してくれれば----」
 スティムソンは、日本本土上陸作戦のことを考えていた。今年三月には硫黄島の激烈な戦闘があり、二万人ものアメリカ兵が死傷した。四月に敢行した沖縄上陸でも多大な犠牲者が出ている。今年だけで、何人のアメリカ兵の命が失われたのか。このうえ、本土上陸を敢行すれば、さらにアメリカ兵の犠牲は増える。硫黄島や沖縄の比ではあるまい。
「今更言っても、仕方がありませんよ。戦いが続く限り、日本人は徹底抗戦します。女性や子供を含めて、民間人にも多くの犠牲者が出るでしょう。日本の陸軍は、本土決戦を声高に主張しています。このまま九州上陸のオリンピック作戦を実施すれば、こちらも沖縄戦以上の損傷を覚悟しなければなりません」
「五日前、大統領には進言しておいた。もし日本人がポツダム宣言に躊躇するとわかったならば、外交チャンネルを通して、口頭でもよいから日本人に国体護持の保証を与えることを考えていただきたいと----」
「大統領は何と?」
「心に留めておくと----」
 その言葉を聞いたグルーは、深いため息をついた。大統領がジェームズ・バーンズを正式に国務長官に任命した七月二日、スティティニアス国務長官に代わり国務長官代理を務めていたグルー自身も大統領に覚書を提出した。その内容は、「このまま日本本土に上陸作戦を敢行したら、百万人のアメリカ兵の被害が出る可能性がある。日本人は優秀な民族であり、狂信者ばかりではない。将来、日本を太平洋共同体の平和で有用な一員にしなければならない」というものだった。
 さらに、「現皇室のもとにおける立憲君主体制を排除しないこと」と、「驚異的な殺傷力を持つ原子爆弾の開発に成功したこと」を日本に伝えることを提言した。グルーは、バーンズ新国務長官の考えが自分とまったく逆であることを知っていたし、彼が真っ先にしたいことは国務次官の自分を除外することだと推察し、機先を制して覚書と共に進退伺いも出した。
 しかし、大統領はポツダム会談を前にして、国務省の人事は変更しないと断言した。大統領は新国務長官バーンズを伴ってポツダムに向かい、グルーはワシントンで日本の降伏を早めるための計画を練った。グルーは、焦っていた。時間は、残っていない。鈴木はなぜ「ポツダム宣言黙殺」などと言ったのか。大統領はバーンズの進言を容れて、日本に原子爆弾を落とすつもりだ。それは、ソ連の対日参戦の前になるだろう。
 スターリンがヤルタでルーズヴェルトと約束したのは、「ドイツ降伏後、三ヶ月以内に日本に宣戦布告する」ことだった。ドイツの正式な降伏は五月八日。だとすれば、ソ連参戦のリミットまで、もう一週間ほどしかない。日本を降伏させる大きなファクターになると思っていたソ連参戦は、アメリカ合衆国にとっては今や阻止すべきものになった。そのためにも、大統領は原子爆弾の投下を急いでいる。
 戦後処理を考えれば、ソ連の参戦は望ましくない。ヨーロッパと同じように、ソ連は占領地区を解放しようとはしないだろう。ソ連の占領区域は、完全に共産化される。戦後、日本を分割させてはならないし、まして共産化させることは絶対にできない。
 グルーはポーカー好きの大統領がバーンズに向かって、「我々の手は、ロイヤルストレートフラッシュだ」と言ったと耳にした。大統領は、間違いなく原子爆弾を使用するつもりだ。ロイヤルストレートフラッシュが揃っているのに、レイズしないプレイヤーはいない。
 トルーマンは、原子爆弾の威力をスターリンに見せつけることで、戦後の米ソの力関係を優位にしようと考えた。アメリカは、世界一の力を手に入れた。しかし、それは使用しなければ、ブラフと思われるだけだ。大勢のアメリカ兵を殺した東洋の島国に投下し、その威力を実証するのがなぜ悪い?
 グルーは、穏やかな表情で、エンペラーらしくゆっくりと話す昭和天皇の姿を思い出した。また、グルーが最も尊敬した紳士だった牧野伸顕伯爵。グルーが初めて会った時、内大臣だった牧野伸顕は「君側の奸」として、五・一五事件でも二・二六事件でも命を狙われた。その娘婿の吉田茂は、パールハーバー攻撃の後、アメリカ大使館に軟禁状態になったグルーたちのために、手に入れにくい食料を何度も差し入れてくれ、半年後に日米交換船が出る時には見送りにきてくれた。
 外務大臣だった広田弘毅、また現在、海軍大臣を勤める米内光政、首相の鈴木貫太郎、グルーがよく知っている彼らは誰よりも終戦を望んでいるはずだ。だが、頑迷固陋な軍部を刺激しないために、その動きは水面下で進んでいるのだろう。賢明な彼らが戦争終結の道を探っていないはずがない。

 車は、国務省に到着した。グルーは、国務次官室へスティムソンを案内した。国務次官と陸軍長官の密談を誰にも知られないようにするために、ジャック・シモンズは隣室の自分のデスクに坐って目を光らせる。そんなジャックの姿を見ながら、グルーは自室のドアを開き、スティムソンを招き入れた。正面に掲げられた星条旗が目に入る。スティムソンが、星条旗を見上げた。
「それで、やはり計画通りにやるのかね?」と、ゆっくりと部屋を見渡してからスティムソンが口を開いた。
「やります。しかし、周到に計画を検討している時間がありません。すでに、日本の協力者の手配はすませました。連絡もすんでいます。また、誰を送るかは人選をすませ、ここへ呼んでいます。彼に託すのは、私の親書、それにお願いしておいた原子爆弾の爆破実験の記録フィルムです。人は目で見ないと、なかなか信用しません。その映像を見たら、日本の指導者たちはポツダム宣言受諾を決心するでしょう」
「わからないよ。謀略のための偽の映像だという人間は必ずいるものだ」
 そう言いながら、スティムソンはブリーフケースから密閉されたフィルムケースを取り出し、国務次官のデスクに置いた。
「きみは、見ていないだろう。すさまじいものだ。爆破実験に立ち会った全員が、アルマゲドンを連想したという。世界の終りだよ」
 そのフィルムは七月十六日の原子爆弾の爆破実験を、様々な場所から撮影しまとめたものだった。その記録フィルムをスティムソンはポツダムに持参したが、大統領も国務長官も見ることを拒んだ。スティムソンの「想像を絶する威力です」という言葉で充分だと彼らは言った。実際の威力を映像で確認したら、投下をためらう気持ちになるのではないかと彼らは案じたのではないか。彼らはすでに、スティムソンが原子爆弾の使用を躊躇する姿を見ていた。
「日本へ派遣する人物がきたら、彼も含めてここで一緒に見ます。映写の準備はできていますから」と、グルーは言った。
「暫定委員会の後、六月末にラルフ・バード海軍次官が私に意見書を出してきた。『人道国家アメリカとして、どうしても原子爆弾を使用するというのなら、あらかじめ警告すべきだ』という内容だった」
「私も同意見ですよ」
「ラルフは、その後『密使を送り、中国沿岸ででも日本代表と接触を持ち、ソ連の動向、原子爆弾の情報、無条件降伏後の天皇制の保証の三つを彼らに与えれば、戦争終結を実現できるのではないか』と提案してきた。あの時、ラルフの提案を受け入れておけば、よかった。原子爆弾が、これほどのものだとは、当時は想像していなかったのだ」と、スティムソンはつぶやいた。
「しかし、どちらにしろ大統領は聞く耳を持たなかったのでは?」
「彼は、日本を知らない。バーンズよりはましだが、『ジャップに妥協する必要はない』と言うだけだ。天皇の処置についても明言はしない。多くの国民が『ヒロヒトを吊せ』と言っている現状では、その声に耳を傾けなければならないのだろう。選挙を経ずに大統領になったのだ。四年後、国民に選ばれて再選を果たしたいのさ」
 スティムソンの言葉には、皮肉なニュアンスがあった。バーンズの主張に傾きがちな大統領に対して苛立ちがあるのかもしれない。
「私の親書には、日本がソ連に和平工作の仲介を依頼することは無駄であること。ソ連は日本への参戦を決定し、ヨーロッパ戦線から満州国境への兵力の移動を完了しつつあること。また、無条件降伏は軍に対しての要求であり、天皇の地位は保全されること。そして、原子爆弾の開発に成功し、日本に対して使用する用意があること。それらが書かれています」と、グルーは改めて説明する。
「しかし、それを誰に渡すのだね?」
「あの国で、狂信的な軍部を抑え、戦争を終わらせることができる人物は、ひとりだけしかいません」
「エンペラーか。しかし、どうやって親書を渡すつもりだね?」
「密使を務める人物がきたら、計画を説明します」
「その人物だが、どんな経歴なのだ?」
「もうすぐ、くるでしょう。これが、彼に関する調査報告書です」
 グルーは、分厚いファイルを差し出した。スティムソンは、すぐに目を通し始めた。読み進むにつれ、スティムソンの顔に驚きの表情が現れる。やがて、顔を上げてつぶやいた。
「素晴らしい。英雄だな。名誉勲章も受章している」
「勇敢な兵士です」
「あの連隊は陸軍で最も死傷率が高く、最も受勲率が高い。わが軍最高の名誉勲章を受けた兵士が、何十人もいる。そんな連隊は他にはないよ。彼らの血には、武士道スピリッツが流れているのかもしれない。実に勇敢だ」
「しかし、それらのことはほとんど知られていません」
「そう、彼らが日系人だから----。日系人連隊が陸軍一勇敢であることは、あまり知らせたくない話なのだ。この男が名誉勲章を受けたのは、テキサス大隊救出でナチを相手に自己犠牲を顧みず勇敢に戦ったからだが、二百余人のテキサス人を救うのに四四二連隊はそれを上まわる死傷者を出した。確かに、ナチに取り囲まれたテキサス大隊は、全滅の危機だった。しかし、そのために日系人部隊を投入したのは、正しい選択だったのだろうかと、今でも私は考えている」
「命令を出したのは、ルーズヴェルト大統領でした」
「ルーズヴェルト大統領は彼らを収容所に閉じ込めたのに、彼らは祖国アメリカのために勇敢に戦っている」
「あの時の戦闘で、彼は受傷しました。死んでいても、不思議ではなかったようです」
「それが、皮肉にも今回のミッションに役立つわけか。確かに、彼はあらゆる条件を備えている。理想的な密使だ」
「ええ、今は後方勤務ですが、優秀な兵士です。アメリカ合衆国陸軍の兵士の中で、今回のミッションにこれだけの条件が揃っているのは、彼しかいないでしょう。それに、彼の兄も日本にいます。それが彼が今回のミッションを受ける、個人的な動機にもなるのではないかと----」
 その時、ドアがノックされた。グルーが返事をすると、ドアを開けてジャック・シモンズが入ってきた。
「ヘンリー・スガノ陸軍少尉が参りました」と、報告する。
「入れてくれ」
 グルーが答えると、ジャック・シモンズはひとりの日系人兵士を案内してきた。ジャックは兵士を一瞥し、出ていった。そのジャック・シモンズの視線に侮蔑の光を感じて、スティムソンはいぶかしんだ。グルーは気付いていないようだが----。
「少尉、かけたまえ」と、グルーが椅子を勧めた。
「ありがとうございます」
 椅子に腰を降ろす、自分と同じファーストネームを持つ日系兵士を見て、スティムソンは経歴とのギャップを感じていた。あれほどの激戦を経てきた勇者には見えなかった。背は日系人らしくあまり高くない。百七十センチほどだろうか。髪を短く刈り込み、日焼けした顔は精悍だが、華奢な印象を与える体つきだった。ただし、その体は刃金のように研ぎ澄まされているのだろう。
 若い男はほとんど徴兵されている現在の日本に潜入しても目立たず、不審をもたれない外見ではある。おまけに傷痍軍人と受け取られる特徴がある。少尉が左手にはめている白い手袋を見ながら、スティムソンは「適任だ」と改めて思った。
「少尉。きみに重要なミッションを託したい。極秘だから、成功してもきみには何の功績にもならない。ただし、きみの父母の国を破滅から救う重要な任務だ。命を落とす確率は、非常に高い。それでも、きみ以外には考えられないのだ。それに時間もない」
 グルーは、話し始めた。

2018年8月20日 (月)

●天皇への密使・第一章その1

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、お休みします。以下は、63回江戸川乱歩賞で三次選考に残った応募作「天皇への密使」を全面的にリライトしたものです。400字詰原稿用紙で500枚ほどあり、連載で掲載します。実在の人物が多く登場しますが、すべて完全なフィクションです。

●天皇への密使・第一章その1

■1945年7月29日 茅ヶ崎
 貞永京子にとって大日本帝国は祖国ではなく、憎むべき敵だった。大日本帝国は母を殺し、父を拷問して廃人にした。父は回復することなく、この世を去った。大日本帝国は、京子のかけがえのないものを、すべて奪い尽くしたのだ。寝たきりになった父が亡くなると、京子は茅ヶ崎の父方の祖母を頼り、横浜の女学校には、そこから通うことにした。昭和十九年の秋である。京子は、十七歳になっていた。
 京子が生まれたのは、横浜の外国人が多く暮らす町だった。母はイギリス人、父は日本人だった。父がイギリスに留学している時に知り合い結婚したのだ。法学者だった父は帰国して東京帝国大学で教壇に立ち、母は英語教師としてフェリス女学院で教えることになった。大正十年のことだった。昭和二年に京子が生まれ、父母はたったひとりの娘を溺愛した。
 しかし、昭和六年に満州事変が起こり、昭和七年には五・一五事件で犬飼首相が暗殺される。国家主義的な空気が社会を覆い始め、学問の世界でも自由主義的な学者たちが排斥されるようになった。昭和八年、京都大学の滝川教授が中央大学で行った講演の一部を文部省が問題視し、右派勢力からの攻撃が激しくなる。結局、京都大学は滝川教授を守りきれず休職を命じた。その後、滝川教授を支援する教授や学生たちを巻き込んだ騒ぎに発展したが、それは学問の世界への権力の弾圧が強まるきっかけとなった。
 そして、昭和十年には貴族院議員であり法学博士だった美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」が、菊池武夫貴族院議員によって議会で攻撃され、社会的に大きな問題となった。三十年も前から美濃部が唱えていた学説が、その時期になって問題にされたのは、軍部と右翼が中心になってファシズムへ向かう時代の潮流の中で、天皇を神格化するための格好の標的にされたからだ。
 軍部は天皇機関説問題を利用して時の岡田内閣を追求し、野党の政友会は内閣総辞職に追い込む政争の道具にしようとした。国会で攻撃された天皇機関説は国民にも知れ渡り、検事局も動き始めて美濃部達吉は召還される。検事局は機関説の撤回、東大名誉教授・貴族院議員・帝国学士会員など、すべての公職からの辞任と引き換えにして不起訴とする条件で美濃部に選択を迫った。公職を辞することで美濃部は起訴猶予になったものの、天皇機関説の撤回には頑として応じなかったため、軍部と右翼は攻撃の手をゆるめず、さらに勢いを強めることになった。
 翌年の昭和十一年二月二十一日、美濃部邸をひとりの男が訪れ、応対に出た美濃部に「天誅」と書いた紙を差し出した。美濃部は逃げ、男は拳銃の引き金を引いた。銃弾は、逃げる美濃部の足に当たった。美濃部邸を護衛していた警官が駆けつけると男は応戦したが、やがて捕らえられた。その五日後の雪が降り積もる早朝、二・二六事件が勃発した。
 滝川事件の時には滝川教授の支持を表明した教授たちもいたが、天皇機関説によって美濃部達吉が攻撃された時には誰も擁護をしない中、京子の父・貞永源三だけが「天皇機関説支持」を明確にし、法律雑誌や新聞に寄稿した。専門的な法律雑誌を読む軍人や右翼はほとんどいなかったが、新聞を読む人間は多かった。美濃部支持を表明したことで、京子の父はファッショ勢力の標的になった。
 二・二六事件が鎮圧された翌月の三月末、桜が咲いたという報を聞き上野に向かおうと、貞永源三と妻マーガレット、それに九歳の京子が玄関を出た時だった。ひとりの男が源三に近寄ってきた。目前で男が拳銃を出すのに気づいたマーガレットは、とっさに源三をかばって前に出た。男は、すでに引き金にかけた指に力を加えていた。弾丸は発射され、マーガレットの胸を撃ち抜いた。即死だった。
 その時のことを、幼いながらも京子は鮮明に憶えている。ゆっくりと崩れ落ちる母、母の体を抱きとめる父、あわてて逃げていく男、すべては一瞬だったが、京子の目の前で起こった悲劇だった。胸から血を流す母の手を、京子はずっと握り続けていた。
 五年後、真珠湾攻撃によって米英との戦争が始まった昭和十六年の暮れ、父は教室で学生たちを相手に米英と戦争をする愚かさを口にした。学生の誰かが、それを密告したのだ。翌年の初め、父と京子の二人暮らしの家に憲兵隊が乗り込んできた。父は逮捕され、家の中は徹底的に調べられた。
 美濃部支持を明確にして以来、赤色教授として父は憲兵隊に睨まれていた。憲兵たちは「売国奴め」とか「米英の協力者」「間諜かもしれん」と口にしながら、父の部屋の書類や本をひとつひとつ調べていた。父は暴漢に襲われた後、護身用に購入した小型の拳銃を自著の一冊をくり抜いて隠していたが、許可は取得していたものの京子はそれが見つかるのを怖れ本を隠し通した。
 父が連行された後、十四歳の京子も厳しく尋問された。「母親が英国人だそうだが、おまえも英語をしゃべるのか」と訊かれてうなずくと、「おまえも米英に協力すると、容赦なく逮捕するからな」と脅された。京子の外見が憲兵の反感を招いていたようだった。あるいは、十四歳の混血の少女を脅すことで、加虐的な歓びを感じていたのかもしれない。
 父が解放されたのは、十日後のことだった。父を引き取りにこいと連絡があり、九段の憲兵隊司令部にいくと、父が寝かされている留置所に案内された。薄い布団の上で、父は天井を見たまま何の反応もしなかった。京子を見ても何の感情も表わさない。父を取り調べた憲兵は、「車を手配すれば、そこまでは運んでやる」と居丈高に言った。父は歩くこともできなくなっていた。
 小型トラックを手配し、荷台に寝かせて自宅に連れ帰り、昔から診てもらっている医者を呼んだ。医者は、父を見るなり絶句した。体には無数の痣があった。背中は竹刀で何度も叩かれたのだろう、恐ろしいほど変色していた。逆さに吊られたらしく、足首は皮がはがれ、肉が削がれていた。手首も同じだった。
 痩せて、頬はこけていた。数日すると、ようやく京子を見る目に光が戻ってきた。だが、しゃべろうとすると、ろれつがまわらなかった。下半身が動かなくなっていた。医者が詳細に診察した結果は、背中を殴られた時に脊椎のどこかを損傷したのではないかということだった。
 三ヶ月ほどすると、父は少ししゃべることができるようになったが、すぐに呆けたようになる。上半身を起こすことはできたが、ほとんど寝たきりだった。食事も、最低限のものしか口にしなくなった。そんな状態が二年ほど続き、昭和十九年の秋、父はロウソクの火が消えるように亡くなった。あれは、緩慢な自殺だったのだと京子は思う。
 学者だった父にとって、本も読めなくなった二年間は辛かったに違いない。京子は父の枕元でよく本を読んで聞かせたが、父は「何も頭に入らない」とつぶやいた。父には、もう絶望しか残っていなかったのだ。京子は右翼のテロリストを憎み、憲兵隊を憎み、軍を憎み、国の体制を憎み、指導者たちを憎み、父を見捨てた帝大を憎んだ。父を密告した学生を憎み、そんな人間たちばかりがいる大日本帝国を心の底から憎んだ。
 そんな時、父の教え子だったという瀬川玄一郎が、茅ヶ崎の祖母の家を探しあてて訪ねてきた。祖母以外、誰にも心を開かなくなっていた京子は、瀬川についても信用はしなかった。父は、教え子の誰かに憲兵隊に密告されたのだ。父は教え子を信じ、心を開き、自分の信念に従って、彼らに教えるべきことを教えようとした。しかし、父を国賊として憲兵隊に訴えた教え子がいる。それは、目の前の男かもしれなかった。誰も信じられない。そう言い聞かせていた。
 しかし、瀬川は東京帝大で父に法律を学んだ後、昭和十四年には米国のハーヴァード大学に留学したという。そして、昭和十六年暮れの真珠湾攻撃の後、翌年六月に日米交換船でニューヨークを出航し、八月末に横浜に到着したのだった。その後、帝大時代の恩師が憲兵隊に酷い目に遭ったと聞き消息を尋ねた。しかし、その頃、すでに京子はそれまで住んでいた家を処分して小さな借家に移り、寝たきりの父とふたりの生活を始めていた。
「貞永先生のことは、ずっと気になっていたのです。今の日本では、自由主義者は生き辛いですからね。憲兵隊にひどい拷問をされて、ほとんど寝たきりになっていたとは聞いたのですが----」と、瀬川は仏壇に手を合わせた後に言った。
「あなたも自由主義者なの?」
 挑発するように京子は口にした。瀬川が正面から京子を見つめてきた。自分がひどく突き放した言い方をしたのに気づいた。たぶん、とても冷たい表情をしているのだろう。
「僕が、ですか? 僕はお父さんのように、正面切って戦争反対と言えるほど、強い人間ではありません。アメリカやイギリス、それにオランダやオーストラリア、今、そんなたくさんの国を相手に戦争をしています。大本営は何も国民には知らせませんが、戦局は日本に非常に不利になっています。お父さんが主張したように、この戦争を始めたのが間違いです。ここで、そう言うくらいしか僕にはできないのですが----」と、瀬川は自嘲気味に言った。
 そんなことを今の日本で口にすれば、大変なことになる。私が訴え出れば、瀬川は父と同じ目に遭うだろう、と京子は思った。私を信用しているというメッセージなのだろうか。京子は、瀬川に問うような視線を向けた。
「ようやく、反応してくれましたね」と、瀬川が笑った。
「何のこと?」
「あなたは、ずっと僕を冷ややかな目で見ていました。たぶん、あなたは、二年間、お父さんの世話をしてきて、何も信じないと決意している。昔、あなたのお母さんは右翼の暴漢に殺されたと、先生から聞きました。先生もこんな無惨な最期を遂げられて----。あなたは、何かを恨んでいるのですか?」
 その時、父が目の前の青年を信頼していたのだと京子にはわかった。父は母の死のことを、誰にも話さなかった。しかし、この青年には話したのだ。それは、父が「この青年は信じていい」と保証しているように思えた。心を許せる人がいれば----、京子もどこかでそれを望んでいた。京子の顔に明るさが戻った。ほほがゆるんだ。
「私は----、この国を憎んでいます。私から愛するものを奪った、この国には憎しみしか持てません」
 瀬川を受け入れた途端、京子の口を衝いて出たのは、そんな言葉だった。瀬川が沈黙した。京子の強い憎しみに触れ、共振れしたのかもしれない。瀬川は、じっと京子を見つめ続けた。
「この国の、今のような状況を変えてみませんか?」
 しばらくして、瀬川がつぶやいた。
「何? どういうこと?」
「この国は、今のままでは破滅します。愚かな指導者、狂信的な軍部のために、国民は多大な犠牲を強いられています。空襲は、ますますひどくなるでしょう。一体、どれだけの人が死ぬことになるのか----」
「みんな死ねばいい。天皇陛下も、東条も----」
「このまま進むと、そうなるかもしれません。その時は、あなたも死ぬことになりますよ」
「それでもいいわ」
 もう生きていても仕方がない、と思っていた。毎日、勤労動員に駆り出され、勉強などできてはいなかった。軍需工場で、空襲に脅えて働くだけだ。今の日本に生きる価値などない。父母のところにいきたかった。
「死んだ気になって、あることをやってみませんか?」と、瀬川が言った。
「あること?」
「日本の将来を変えることです」
「日本の将来に関心はないわ」
「あなたを信じて告白します。僕は二年半、米国にいました。その間に多くの友人や知人ができた。あの国には自由がある。日本が戦争に負ければ、あの国が占領することになるでしょう。あの国は、日本を変えてくれるはずです」
 瀬川は、そこで言葉を切った。後の言葉を口にするかどうか、迷ったのかもしれない。しかし、京子にはその先の言葉が予想できた。
「つまり、日本が戦争に負ける手助けをするということ?」
「はっきり言うと、そういうことです」
「あなた、米国の間諜なの」
 瀬川が沈黙した。それを言葉ではっきり肯定することに抵抗があるのかもしれない。瀬川の覚悟は伝わってきたが、今の日本で自分が間諜だと肯定すれば、死が待っているだけだ。いや、その前に厳しい拷問が待っている。しかし、結局、瀬川は首を縦に振った。
「ハーヴァードに留学している時に、ルームメイトの兄に紹介されました。彼は連邦政府の役人だと言ったが、正体は違った。一年ほど、彼は僕を観察していたのでしょう。その後、僕にある提案をしました。僕はそれを受け入れた。それから一年して日本が真珠湾を攻撃しました。僕は敵性外国人として監視対象になり、米国に敵意を抱いている日本人として、連邦警察に拘束されました。反米的であると、他の日本人に思わせるためです。エリス島の移民収容所で三ヶ月ほど過ごし、それから交換船に乗せられました。交換船で帰国した日本人は、米国の政治体制に影響されたり、堕落した米国文化に洗脳されたりしていると見られ、軍による徹底した再教育が施されます。僕は率先して再教育を受け、軍に取り入り、徴兵される前に軍属に志願しました。英語ができるので、今では軍令部で米国の放送を傍受して翻訳したり、こちらからの英語での宣伝放送をやったりしています」
「そこで知った情報を米国に流している?」
 瀬川は答えなかったが、目が肯定していた。もしかしたら、米兵向けの英語放送に暗号文を潜ませているのかもしれない。危険なことだと京子は思った。
「それで、私に何を?」
「あなたは、軍需工場で勤労奉仕をしている女学生です。それでも目を配っていれば、今の日本の状況を示す様々な情報が得られるはずです。様々なことを観察し、定期的に私に報告してほしい。工場に通う途中の横浜駅などの様子、工場での指令や出来事、すべてのものを細かく観察してほしいのです。また、私が何かを頼むかもしれません。目的や背景は話せません。あるものをどこかへ届けてほしいとか、誰かから何かを受け取ってほしいといったこともあるかもしれません」
「あなたとは、どこで会うの?」
「月に一度、ここを訪ねます。僕は恩師の娘であるあなたが気になっている。あなたに惹かれている。周囲には、そう思わせます。今の時局で、不謹慎だという人間もいるでしょうが----」
 瀬川の言葉が、京子の胸をときめかせた。しかし、それ以上に自分が反逆者になることが、父の死以来の落ち込んでいた気分を高揚させた。久しぶりに感じた充実感だった。生きる目的ができたのだ。身が危険になれば、死ねばいいのだと思った。京子が瀬川に出した唯一の条件は、自決用の青酸カリを入手してほしいということだった。瀬川は、京子の目をまっすぐ見つめてうなずいた。
 それから九ヶ月、京子は観察者になり、耳をそばだてて様々なことを聞きとろうとした。それを月に一回、食料などを持って訪ねてくる瀬川に報告する。観察しているうちに自分でも分析をするようになったが、瀬川には観察したこと、耳にしたことをそのまま報告した。この国に復讐している実感は湧かなかったが、死のうと考えることはなくなった。
 その間、二度、横浜港の近くにある貿易会社に瀬川に頼まれた書類を届けたことがある。何でもないことのように京子は振る舞ったが、自分が見張られている気がして仕方がなかった。その貿易会社には、数人の年輩の男とひとりの中年の女がいた。京子が渡した書類を男のひとりが受け取り、「ごくろうさん」と言っただけだった。拍子抜けした気分だった。
 そして今日、瀬川の九回目の訪問の日だった。瀬川は、午後二時頃、食料を詰めた袋を肩に掛けてやってきた。国民服にゲートルを巻き、戦闘帽をかぶっている。様々なものが配給になっているのに、軍のコネクションで貴重な食料が手に入るらしく、瀬川は缶詰や砂糖なども届けてくれた。
 祖母に瀬川が届けてくれた食料を渡すと、いつものように祖母は礼を言い奥の座敷に引き込んだ。もんぺ姿の京子は障子を開け放し、縁側に出て座布団に正座した。瀬川は、座布団を敷き縁側に腰掛ける形で京子に応じる。ふたりは、庭に視線を向けたまま言葉を交わした。
「五日後、ある重要な任務を帯びた人物が上陸します。この近くの浜辺になる予定です。あなたにも手伝ってほしい」
 いきなり口にした瀬川の言葉に、京子は驚いた。ある人物とは何者だろう。この近くの浜に上陸できるほど、大日本帝国の軍隊はすでに制空権も制海権も失っているのだろうか。
「僕も詳しいことはわかりません。八月三日午前零時から午前三時の間に、ある人物が上陸する。彼の任務を補佐せよ、という連絡しか届いていないのです」と、瀬川は続けた。
「ポツダム宣言のことが、新聞に出ていましたね」
 京子は、「笑止。米英の提案。聖戦遂行」といった見出しを思い出しながら言った。
「そう。それに関連するのかもしれない。先日から、しきりに米国の放送がそのことについて言っています。無条件降伏とは軍に対する要求であり、日本国に無条件降伏を求めるものではないといった微妙な内容もあります。もしかしたらポツダム宣言の条文を、補完しようとしているのかもしれない。日本の指導者が最も気にしているのは、国体の護持でしょう。しかし、陸軍はあくまで本土決戦を主張しています。今、和平工作を口に出したら、首相だって命が危ない。狂信者は、どこにでもいますからね」
「でも、何らかの和平工作は進んでいるのでしょう」
「ええ、ソ連を通じて和平交渉をする途を探っているようです。近衛さんが特使として、ソ連にいく話もあったらしいですね」
「そんな時に、米国が誰かを送り込んでくる?」
「そうです。大変、危険な任務です」
「私、何でもやりますわ」
 京子は、そう答えていた。瀬川の情報を聞くと、もうすぐ戦争は終わるはずだ。早く、この愚かな戦争が終わってほしかった。今年の三月十日には東京の下町が大空襲で焼け、五月二十五日には山の手空襲があった。その時、宮城にも火が移り、正殿が焼け落ちた。五月二十八日には白昼、横浜に空襲があり、京子が動員されていた軍需工場も狙われた。横浜は三日間も燃え続け、今は瓦礫の山だ。地方都市も、ほとんど空襲にあっている。大勢の人が死んでいった。一体、何人の人が死んだのか。米軍は、日本人を殺し尽くすつもりなのか、と京子は思う。
 米国の残忍さには、京子も怒りを抱いている。その米国のために働いている気持ちはなかった。愚かな戦争を終わらせる役に立つのなら、と思って、京子は瀬川に協力しているのだ。大日本帝国は、京子の敵だった。その敵が米国なら、敵の敵と手を結ぶのは仕方がないことだったが、横浜で見た焼けた子供たちの死骸が目の奥から消えなかった。
「戦争が終われば、空襲もなくなりますね」と、京子はつぶやいた。
「ええ」
「その人の任務が成功すれば、戦争は終わりますか?」
「たぶん、終戦に関連する任務でしょう」
「私、何でもやります」
 京子は、もう一度瀬川に言った。襟に縫い込んだ青酸カリのカプセルを、右手の人差し指で確認するようになぞっていた。

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