■日々の泡----大江健三郎と映画
プライムビデオ「われらの時代」https://amzn.to/3JNG68q
大江健三郎さんが亡くなった。僕が最も影響を受けた作家であり、思想家でもあった。十六歳から十七歳にかけて新潮社版「大江健三郎全作品」を毎月一冊ずつ購入し、「奇妙な仕事」から「個人的な体験」まですべてを読んだ。もっとも、最初に買ったのが六巻めだったから初めて読んだのは「性的人間」で、続いて「空の怪物アグイー」などの短編を読み、巻末の長編「個人的な体験」で完全にやられてしまった。
それから一巻めから買い始め、改めて「奇妙な仕事」「死者の奢り」から読んだ。長編「芽むしり仔撃ち」というタイトルになじめず、つい「草むしり----」と言ってしまい、物知りな新聞部の部長に何年にもわたってからかわれ続けた。長編「われらの時代」が日活の才気あふれる若手監督である蔵原惟繕によって映画化されていることを知り無性に見たくなったが、八年も前に公開になったプログラム・ピクチャーを見る機会はなかった。
長編「日常生活の冒険」を読みすっかり主人公の斎木犀吉にイカれたときには、物知りの新聞部部長に「あれは、伊丹一三がモデルなんだ。本人もそう言っている」と教えられた。あわてて伊丹一三の「ヨーロッパ退屈日記」を読んだが、大江についてはどこにも出てこなかったと思う。後に大江夫人の伊丹ゆかりさんは、伊丹一三(当時はデザイナーで俳優でエッセイストだった)の妹だと知った。
1967年、「万延元年のフットボール」が出て話題になっていた。もしかしたら、僕が初めて買った函入りの単行本だったのかもしれない。その後、大江作品が出るとすぐに買ったから、ほとんどの本は初版で持っている。ただし、「燃えあがる緑の木」三部作以降は、何冊か読んでいない作品もある。最後に読んだのは「水死」だったろうか。エッセイ集も「持続する志」以来、ほとんどのものは読んでいる。
先日、まだ読んでいなかった「大江健三郎 作家自身を語る」(2007年刊)というロング・インタビューを読んだ。へぇー、と思うことがいっぱい出てきた。印象に残っているのは、司馬遼太郎が大江作品の愛読者で「燃え上あがる緑の木」についての感想を書いた手紙をもらったとか、伊丹十三は大江と妹との結婚に反対したとか、浪人時代に伊丹だけに読ませていた長編習作があったとか、興味深い話ばかりだった。
その本の中で「自分の作品の映画化については認めない」といったニュアンスの発言があった。確かに、初期の数作を除いて大江作品の映像化はない。唯一の例外が伊丹十三監督の「静かな生活」(1995年)である。これは、伊丹監督だから特別に許可したのだろう。主人公として伊丹監督の甥の大江光さん(作中ではイーヨー)が活躍する。イーヨーを演じた渡部篤郎は、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。語り手の妹マーちゃんは佐伯日菜子だった。
しかし、ロング・インタビューのニュアンスを読みとると、初期作品の映画化に不満があり以降は許可を出さなかったようだ。蔵原惟繕監督「われらの時代」(1959年)、増村保造監督「偽大学生」(1960年)、大島渚監督「飼育」(1961年)の三作である。当時の新進気鋭の若手監督たちばかりだ。僕は「飼育」も見たかったのだが、何枚かのスチールしか見たことがない。ところが、先日、アマゾン・プライムビデオで「われらの時代」を見ることができた。
主人公の大学生は長門裕之で、洋パン(アメリカ人の愛人)と呼ばれる女(渡辺美佐子)に養われている。弟はジャズ・バンドに属し、そのリーダーのドラマーである在日朝鮮人と暮らしていて、同性愛を噂されている。主人公はフランス語を学びたいという音大の女子学生(吉行和子)と知り合い関係を持ち、彼女は妊娠する。閉塞感を感じている主人公は「日本脱出」願望が強い。彼の希望はフランス大使館が募集している論文で一位を獲得し、パリにいくことだ。
六十年近く前に読んだきりなので原作はほとんど忘れていたが、ジャズバンドの若者が天皇の行列に爆弾を投げる状況に追い込まれた直前の心理状態を描写したところだけは、今も甦ってくる。映画では天皇についての会話は出てくるが、彼らが爆弾テロを計画する相手は「ある権力者」に変更され正体はボカされていた。当時、天皇制批判者としての大江健三郎は尖っていたから、原作での標的は天皇だったと思う(読み返していないので、違っていたらゴメン)。
ということで、ようやく「われらの時代」を見ることができたのだが、吉行和子が若くて可愛いなとか、当時から「同性愛者」を登場させていたんだとか、主人公を東大仏文の学生のように設定したのは書きやすかったからかなとか、「洋パン」という言葉は戦後十年以上経っていたのにまだ使っていたんだとか、フランスからの独立運動家であるアルジェリア留学生を登場させるのは時代だなあとか、枝葉末節の感想しか抱けなかった。若者の閉塞感と脱出願望も古臭さを禁じ得なかった。
大江作品の中に登場した映画としては、アンドレイ・タルコフスキー監督の「ストーカー」(1979年)が印象に残っている。短編連作「静かな生活」の一篇に「案内人(ストーカー)」がある。僕もタルコフスキー作品では「ストーカー」が一番好きだが、あの独特のイメージをかき立てる映像にイーヨーが強く反応するということから書き起こされていたと記憶している。タルコフスキー作品は「僕の村は戦場だった」(1962年)以来、静謐な水のイメージがすこぶる喚起的である。
今やすっかり別の意味になってしまった「ストーカー」だが、早川SF文庫で出ていた「ストーカー」は哲学的な小説だった。宇宙人が着陸した地域は「ゾーン」として隔離されているが、そこに侵入し宇宙人の痕跡の残るものを密猟する人間たちがいる。主人公は「ゾーン」の「案内人(ストーカー)」である。それを難解さで有名なタルコフスキーが映画化したものだから、簡単にはストーリーは要約できないけれど、映像詩のような体全体で浸りたくなる作品だった。水のシーンはずっと見ていられる。
頭と同じ大きさの瘤を持って生まれてきた大江光さんは、成長して優れた音楽家となった。小説中のイーヨーあるいはアカリが彼そのままとは思わないけれど(彼が語る言葉は、すべて現実の光さんの言葉だと大江さんはインタビューで答えている)、「ストーカー」という映像詩的作品にビビッドに反応する光さんは、やはり独特の感性を持っているのだろう。イーヨーあるいはアカリは、大江さんの死をどのように受け止めているのだろう。無理なことだが、長江古義人を喪ったアカリの物語を大江さんの文体で読みたいと思う。
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