2024年9月 7日 (土)

■スターリンの暗殺者「第一章 米軍基地」03

【主な登場人物】
■スターリン ソ連最高指導者
■フルシチョフ ソ連政治局員
■モロトフ ソ連政治局員
■ヴォールク(狼) 謎の工作員/狙撃手

■ロバート・パウエル CIA上級分析官
■ポール・バネン CIAエージェント
■マイケル・ダーン CIAエージェント

■ルーシー・立花(かおり) ダンシング・キャッツの歌手
■チャーリー・立花 ダンシング・キャッツのリーダー
■ジェームス・鈴木 ダンシング・キャッツのトランぺッター
■花井光子 「平和荘」住人 飲み屋の女将
■柿沢恵子 「平和荘」住人 引揚者 通いの娼婦
■井上涼子 「平和荘」住人 SKDの踊子
■進藤栄太 「平和荘」住人 元新聞記者
■三浦良太 「平和荘」住人  戦災孤児の工員
■神崎辰之助 「平和荘」住人 元憲兵
■梶 幸兵 「平和荘」に引っ越してきた男

■藤崎一馬 ソ連情報収集を目的としたF機関のリーダー
■渡辺三郎 F機関の知恵袋 顎髭のジャズ・プレーヤー
■上島隆平 F機関の利け者 凍傷で指を失くし常に手袋をしている
■東金光一 F機関の事務方 メガネをしている
■神谷恂一郎 F機関で最も若くムードメーカーだったがシベリアで死亡

■山村善兵衛 元特高刑事
■新城玄太 警視庁公安部の新人刑事


■1952年12月30日 東京・霞ヶ関

新城が大きな音を立てて扉を開け、まっすぐ山村に向かってきた。相変わらず、うっとうしい男だと山村は思った。背が高く、脚が長い。戦後の青年特有の屈託のなさが表情に現れている。アプレだな、と山村はつぶやいた。
「山村さん、妙な話を聞いたんですが----」
「何だい?」と、山村は無愛想に言った。

先日から、新城と組んで米軍基地爆破事件について調べているが、左翼系の組織を探ってみても、彼らがかんでいるという情報はまったく上がってこなかった。それで、山村は公安の監視対象になっている在日朝鮮人組織を探ってみた。朝鮮半島で北朝鮮および中国の軍隊と戦っている国連軍の中心は米軍だ。米軍基地爆破は、北朝鮮が関係している公算が大きかった。

在日朝鮮人の立場は、日本の敗戦と共に逆転した。在日朝鮮人連盟という組織も戦後すぐに結成されたが、GHQは解散を命じた。しかし、その後も在日朝鮮人組織を作ろうという動きは続いている。その中心人物の周辺を調べる中で、協力者から山村は北朝鮮の工作員組織の動きが活発になっていることを耳にした。

「内調からの情報です」と、新城は山村の横にきて声を落とした。
「どんな?」
「米軍基地の爆破工作に使われたのは、ソ連製の手榴弾だそうです」
「RG42だろ。ゴムリングでレバーが起きるのを抑え、安全装置のピンを抜いておく。引っ張られたゴムリングが、徐々に延びて爆発する。簡単な時限装置だ」
「知ってたんですか」と、新城は落胆したように言った。
「公安調査庁の知り合いに会ってきた」
「七月に創設されたばかりでしょう、あそこ。昔の特高、中野学校出身者、特務機関員、憲兵なんかが採用されて復活してるらしいですね」
「内調と公安調査庁、各警察の公安部、どれも目的は似たようなもんだ。ただし、正面からいっても情報はくれないが----」
「山村さんには、昔の仲間がいるってわけですか」
「個人的に情報交換できる相手はいるさ」
「それで、公安調査庁の協力者は、それ以外にも何か?」
「在日朝鮮人組織の情報交換をするつもりだったんだが、十二月になって急に彼らの一部の動きが活発になったというんだ。それは、こちらの情報源からも入ってきていた。ということは、その情報に確実性があるということだ。そのことと米軍基地の爆破工作が関連しているのかどうか。それに関して、内調の情報は何かあったか」
「詳しいことは漏らしませんが、今回は北朝鮮の工作だと読んでいるようでしたね」
「北朝鮮が後方基地の攪乱でも狙ったか」
「毎週水曜日の爆破が三回続いています。四回めがあるとしたら、大晦日の夜ですね。前の三回は、警告、予告、みたいなものかも?」
「なぜ、そう思う?」
「大して実害が出てないじゃないですか。弾薬庫を爆破するとか、後方基地を狙う作戦なら、それくらいはやるんじゃないですか」
「そんなに簡単にできることじゃない。警備の薄いところを狙ったから、三回も続けられたんだ」
「だからですよ。どうも、本気じゃないみたいだ」

その新城の言葉がひっかかった。米軍基地が三回狙われたのなら、四度めも米軍基地が目標だと思うだろう。新城が言ったように、後方基地を狙うなら兵站が目標になる可能性が大きい。食糧、武器弾薬、その他の物資を破壊する、あるいは、消滅させる。朝鮮半島に運ぶのを妨害する。

しかし、米軍が標的だとしても、基地内である必要はない。兵士を狙うことも考えられるかもしれない。その場合、大勢の兵士を戦闘不能にしなければ意味がない。少数の兵士を殺傷しても、米軍の復讐心を煽るだけだ。激しい報復が行われるだろう。

あるいは、何らかの方法で兵士たちに厭戦気分を抱かせる。日本の基地から朝鮮半島に渡るのを拒否したくなるような----。考えれば考えるほど、山村には米軍基地爆破の目的がよくわからなくなった。なんらかの攪乱を狙っているのだろうか。本当の目的を隠し混乱させるために、手当たり次第に関東近辺の基地を爆破してまわっているのか。

「横田、厚木、立川、次はどこだと思う?」と、山村は独り言のように言った。
「横須賀ですよ、たぶん。あそこは米国海軍の拠点だ。東京、神奈川の地域では、次はあそこじゃないですかね」
「当たりかもしれんな。よし、明日、横須賀へいってみるか」
「管轄が違いますよ」
「そんなもの、気にしていられるか」

山村は、ようやく目標に向かって何かを絞り込めた気がした。

■1952年12月31日 神奈川県・横須賀
 
男は、焦っていた。北朝鮮工作員の報告では横須賀基地に隙はなかったし、実際に自分で調べてみても潜入するのは不可能だと判断した。基地内のクラブに出演する歌手やバンドマンに対するチェックも厳しくなっている。しかし、それは想定内のことだった。今、米軍の目は基地への破壊工作に向いている。
 
最初の時は、まったく人のいない場所から滑走路に手榴弾を転がした。簡単な仕掛けの時限装置だ。いつ爆発するかは読めなかった。幅五ミリのゴムバンドを両側から引っ張り、一ミリずつ切り込みを入れてテストしてみたが、二ミリの切り込みでは切れるまでに時間がかかりすぎたし、三ミリではすぐに切れてしまった。
 
ゴムバンドを引っ張る力はほぼ同じだったが、微妙な張力の違いで切れるまでの時間が違ってくる。結局、幅五ミリのゴムバンドに二ミリの切り込みを入れ、手榴弾のレバーと切れ込みの位置を合わせてきつく巻き、ピンを抜いて転がせば、数分から五分ほどでゴムバンドが切れ、手榴弾は爆発した。数分あれば、爆発地点から充分に離れられる。
 
しかし、一回めの時は予想以上に爆発まで時間がかかった。もう一度試すつもりでやった二度めは、ほぼ予想時間で爆発した。それは、米軍への予告のようなものだった。それに、爆発物などの破片から米軍がどれほどの分析をするか、知っておきたかったのだ。
 
彼らは、ソ連製の手榴弾だと断定した。ソ連製武器を使うとしたら、北朝鮮軍だと推察するだろう。中華人民共和国の人民解放軍は、昔、ドイツ軍が使ったような柄付きの棒のように見える手榴弾を使う。柄付き手榴弾は、米軍が使うパイナップル型と比べると、遠くへ飛ばせるメリットがある。
 
三度めは、基地内へ潜入しての仕掛けだった。バンドマンとして基地に入るのは、プロモーターに探りを入れた時に聞いた通りチェックもなく簡単だった。だが、基地内で爆発が起これば、帰りは厳しくチェックされる可能性があった。それで、手榴弾を仕掛けた後、フェンスを破って脱出した。
 
今回は、今までのように無人の場所を選ぶわけではない。三度の警告、テストは終わったのだ。そろそろ米兵には死んでもらわなければならない。米軍が、いや米国全体が激怒するほどのテロ事件にしなければならない。その結果、三度も予兆があったのに大規模テロを防げなかった責任は、在日米軍トップが取ることになるだろう。
 
しかし、男はニューイヤー・パーティーの会場を狙うつもりはなかった。そこには、米兵の多くの家族も出席している。女や子供が巻き添えになる。その方が衝撃的だが、今回はパーティ会場に入るのは困難だ。だが、米兵のたむろするところには、どこでも女たちがいる。そのことが男を苛立たせていた。無駄な犠牲者は必要ない。
                                                                                         ★

ルーシー・立花こと立花かおりは、楽器を載せたトラックの幌付きの荷台から通り過ぎる横須賀の街を見ていた。大晦日の夕方である。人々はせわしなさそうに歩いていた。日本髪を結って、着物姿で歩いている若い女もいる。今夜、年が明ければ、そのまま初詣にいくのだろう。

「今夜の仕事が終われば、正月三日間は休めるからな。ゆっくり初詣にでもいこう」と、父が言った。
「うん」と、かおりはうなずく。
 
今日のトラックにはダンシング・キャッツのメンバーの他に、ウェスタン・バンドの五人が乗っているだけだった。テンガロンハットにウェスタン風の衣装を身に付けている。足下のカウボーイブーツの装飾が目立った。

「この間の爆発の時、あそこにいたんだって」と、ウェスタン・バンドのリーダーらしき男が父に向かって言った。
「ああ、いたよ」
「大きな爆発だったのかい」
「音と震動は、けっこう凄かった」
「噂だと、毎週水曜に爆発が起こってるらしいじゃないか」
「そうらしいね」
「今日は、水曜だぜ」
「だけど、米軍も警戒してるだろう。三回も続いたんだから」
「朝鮮戦争の後方基地への攻撃として、北朝鮮の工作員が爆弾を投げ込んでるって噂が流れてる」
「でも、米軍の被害は微々たるもんらしい」
「何を狙ってるんだか」とウェスタン・バンドのリーダーは言って、話を打ち切るようにタバコをくわえた。
 
その時、トラックは基地の入り口に到着し、検問所の横で止まった。運転手がトラックの後ろにまわってきて、幌を開ける。その後ろに、MPの腕章を付けた米兵ふたりが銃を持って立っていた。
「全員、降りてください」と、運転手が言う。
 
最初にウェスタン・バンドのメンバーが降り、ダンシング・キャッツのメンバーが続いた。米軍キャンプでの就労許可証がIDカード代わりになるので、それぞれがMPに提示する。一番最後に、父に抱き上げられるようにして降りたかおりは、十メートルほど向こうのフェンス際に立つひとりの男に気付いた。

「あ、あの人」と、思わず口を衝いて言葉が出た。
「何だい?」と、父が訊く。
「ううん、何でもない」
 
父にはそう答えたが、先週、同じトラックに乗って基地に入った男のように思えた。服装も似たようなハーフコートを着ていた記憶がある。しかし、その男は帰りのトラックには乗っていなかった。楽屋から出ていったのは、あの人だったかしら、とかおりはチラリと見た男の顔を思い出そうとした。

                                               ★

Fは、横須賀の米軍基地のフェンス沿いを歩いていた。巨大な広さを誇る基地だった。中には米兵たちの住居もあるし、劇場もあるし、ゴルフコースもあった。何でも揃っており、基地の中だけで生活できるようになっている。フェンスの向こうは、米国そのものだった。
 
水曜日。大晦日の午後六時。陽は落ち、照明灯がフェンス沿いの道を照らしている。これ以上、ウロウロしていたら米軍のMPに誰何されるだろう。Fは基地の近くにある通称・ドブ板通りに向かって歩き始めた。
 
Fが大晦日に横須賀にくることになったのは、ソ連の諜報組織の人間から連絡が入ったからだった。北朝鮮の工作員は、かなりの人数が日本国内に潜入しているが、ソ連側も全容は把握していない。同盟国ではあったが、得た情報については共有することはあっても、諜報組織そのものの情報は流さない。
 
朝鮮戦争ではソ連は武器を供与し、技術指導や作戦指導に将校は派遣していたが、戦闘のための兵士は送っていない。前線にソ連兵が立つことはなかった。一方、国連軍が北朝鮮軍を中国国境の鴨緑江近くまで追い詰めた時、毛沢東は決断し、人民解放軍は義勇軍として参戦した。彼らは長い内戦で鍛えられた精鋭であり、国連軍はたちまち三十八度線まで後退させられた。今では、金日成はスターリンより毛沢東を頼りにしている。
 
しかし、ソ連は金日成を北朝鮮の独裁者にしてくれたのだ。スターリンの指令は、何があっても優先しなければならない。そして、北朝鮮側からもたらされたスターリンへの報告は、フルシチョフにも入るようになっていた。その情報が、ソ連の諜報組織内の協力者を通じてFに届く。
 
米軍は三度の爆破に使われた手榴弾をソ連製と分析し、単純な時限装置の仕組みを解明した。また、三度めの立川基地では、バンドマンのひとりがいなくなっていたことが判明した。当夜のジャズ・バンドとビッグ・バンドのどちらのメンバーでもないことも、その後の調べでわかっている。爆破の規模から見ても、ひとりでできる犯行だった。
 
プロモーターを調べたところ、爆破の数日前、米軍キャンプでの仕事をしたいのだがと、フリーのミュージシャンと称する男がやってきたという。男は、バンドを運ぶトラックのことや基地の検問のことなどを訊いた。
 
プロモーターは、仕事ができたら連絡すると男には言ったが、爆破事件当日、プロモーターから急に呼ばれたと運転手に言って、ひとりの男がトラックに乗った。そのことがわかって、同乗したふたつのバンドに確認したところ、どちらも相手のメンバーだろうと思っていたらしい。
 
その男が日本人に見えたことから、米軍は日本人か朝鮮人だろうと推測し、ソ連製の手榴弾と日本人に見える犯人ということから北朝鮮工作員と結論付けた。後方攪乱を狙ったと見て、警戒を強めた。特に水曜日に当たる大晦日の夜は、兵士たちが浮かれ騒ぐことを予想し、基地内の警戒レベルを最高に引き上げている。
 
そんな警戒の厳しい基地に敢えて潜入を図るだろうか、とFは先ほどフェンスの外から見た基地を思い出していた。ソ連側からの情報では、今夜、横須賀基地で何かが起こる可能性があるとのことだった。スターリンが〈ヴォールク〉に与えた指令は、朝鮮戦争の新しい火種だ。「北朝鮮に報復を」と米国民が騒ぐほどのダメージを与える必要がある。
 
Fは、若い米兵たちであふれんばかりになっているドブ板通りを見ながら、そんなことを考えていた。

                                                 ★

夜の九時を過ぎ、酒がまわった米兵たちの騒ぎ方が派手になった。ネオンの点滅が通りを賑やかに照らし出している。何人かで騒ぎながら歩いているのもいるし、バーのドアからあふれ出して、通りでグラスを呷っているグループもいる。英語が飛び交っていた。時に女たちの嬌声が混じる。
 
電柱の陰に立ち、男はそんな米兵たちの様子を眺めていた。大きな黒人兵が、自分の胸までしかない日本の若い女と何かを言い合っている。その向こうのバーは、ドアが開いて店内が見えている。米兵であふれていた。しかし、狭い店だ。十数人の客しかいないだろう。
 
この通りの店は、すべて調べてあった。そんなに広い店はない。小さな店が軒を連ねていた。狭い店内にぎっしりと人がいるのだから、爆発の効果は絶大だ。今夜は、МPは基地内の警戒のために狩り出されている。いつもなら酔った米兵のトラブルを防ぐために、この通りも定期的にパトロールしているのだが、今夜は酔った若い米兵ばかり目につく。あちこちで喧嘩沙汰も起きている。
 
先ほど、男は、この通りで最も広いバーを覗いた。店内は米兵でいっぱいだった。フロアで踊っているのが二十数人、カウンターやテーブルで飲んでいるのが十数人。ざっと五十人近くの白人の米兵たちだった。黒人兵は、別のバーに集まっている。日本人の若い女たちもいた。店の女なのか、米兵目当てに集まってきたのかはわからない。
 
彼らは、そんな中にひとりで入ってきた東洋人を一瞬、不審そうに見たが、特に注意は払わなかった。男は人混みをかきわけてカウンターに進んだ。三十半ばの日本人のバーテンがカウンターの中にいた。チラリと男を見て、口を開いた。

「日本人のくるところじゃないぜ」
バーテンは怒鳴るように言った。ダンス・ミュージックが大音量でかかっているので、大きな声を出さないと聞こえない。
「日本人には、酒を売らないのか」
「銭を払えば、誰にだって売るさ」
「じゃあ、ウォッカをダブルで」
「了解」
 
そう言うとバーテンは棚からスミノフのボトルを出し、カウンターに置いたグラスにウォッカを注いだ。男は透明なウォッカを明かりにかざしてから、一気に煽った。それから百円札を一枚カウンターに置き、「釣りはいらない」と言った。周囲を見渡す。照明はかなり暗い。男は視線をバーテンに戻し、「トイレはどこだい」と訊いた。バーテンが顔も向けずに顎で示す。
 
トイレの位置も、そのトイレの窓から裏の路地へ抜けられることも、店が無人の時に忍び込んで調べてある。必要なものは、その時に、水洗トイレのタンクの中に防水ケースに入れて隠してあった。水洗タンクは高い位置にあり、先に握りが付いた長いチェーンが横に垂れているタイプだ。高い位置にある水洗タンクは、誰も覗かない。
 
トイレに入り、内側からロックする。窓枠に足をかけ、タンクを覗き込む。防水ケースを取り出し、手榴弾五個、針金、ペンチ、タコ糸、粘着テープを並べる。手榴弾を窓枠の下側に並べて針金と粘着テープで固定する。そのひとつひとつのピンにタコ糸を結び付け、片方のタコ糸をまとめてドアノブに結んだ。その上を針金で巻いて固定する。
 
トイレのドアは外開きだ。全部のピンが抜けなくても、ひとつでも爆破すれば、他の手榴弾も誘爆をする。相当な威力になるはずだ。男はドアノブから伸ばした針金を片手に持ち、ドアのロックを外した。今、誰かにドアを開けられたら爆発してしまう。ドアが開かないように針金を引きながら、慎重に窓から路地に出る。片手に持っていた針金をトイレの中に落とし、窓を閉じ、男は急いで路地を抜けた。
 
それから三分経った。二十メートルほど離れた場所の電信柱の陰で、男はその時を待っていた。ビールやバーボンを飲んだ米兵は、トイレに入る。ドアを乱暴に引くかもしれない。あれだけの人間がいるのだ。すぐにでも、爆発は起こるはずだった。

その時、男はひとりの日本人が店に入っていくのに気付いた。何者だ、あの男。

                                                                  ★

Fは、米兵が大勢いる場所を当たってみることにした。大晦日の夜だ。酒と女がある場所を求めて、若い米兵たちは群がっているに違いない。八時過ぎ、Fは日本人客も入っている店のカウンターでバーボンの水割りを頼んだ。横須賀に興味を持ってやってきた観光客の振りをして、基地周辺のことをバーテンや常連客に質問した。

その店で三十分ほど過ごし、通りで一番広い白人の米兵御用達の店を教えられ、やってきたのだった。Fが混み合った店の中をかきわけてカウンターにたどり着くと、バーテンが目を丸くして怒鳴った。

「今夜は、珍しい。日本人は、あんたでふたりめだ」
「日本人は、お断りかい」
「金を払えば、みんな客さ」
Fはバーボンの水割りを頼んで、カウンターに金を置いた。
「ところで、そのひとりめの日本人は?」
「さっき、トイレに入ってったが、もう出たかな」
「どんな男だった?」
「痩せた、背の高い日本人さ」
「朝鮮人には見えなかったかい」
「日本語にヘンなところはなかったな」
「どれくらい前に出た?」
「十分ほど前にトイレに入って、出てったとしたら四、五分前じゃないか」

Fはグラスを置いて、出口に向かった。踊っている米兵と女たちの間を抜けるのに時間がかかった。ひとりの米兵がトイレに向かうのが見えた。

                                                          ★

山村と新城は、夕方になってから横須賀基地の入口が見える場所で張り込みを続けていた。バンドマンたちを乗せた幌付きトラックが入ったのが注意を引いたくらいで、後は米軍の関係者ばかりが出入りしていた。バンドマンたちも全員トラックを下ろされ、IDカードの提示を求められていたから、警戒はずっと厳しくなっているようだ。

「山村さん、ここにいて意味ありますかね」と、二時間ほどして新城が言った。
「二時間ばかりで音をあげたか」
「何のために張り込んでるんですか」
「今夜、ここで何かありそうな気がする」
「警戒は相当に厳重そうだし、基地内に潜入するのは無理じゃないですか」
「確かに厳重だな」

時間は、いつの間にか九時近くになっている。新城の言うように、確かな情報があって張り込んでいるわけではない。いつ切り上げてもいいのだが、山村はずっと胸騒ぎを感じていた。刻々と新年が近づいてくるだけで、何かが起こる気がして仕方がなかった。だが、ここにいても気が休まるわけではない。

「わかった。今日は引き上げるか」
「腹、減りませんか」と、新城が言った。
「ああ、減ったな」
「ドブ板通りの端っこに、アメリカン風ハンバーガーショップがあるんです」
「何だ。ハンバーガーって」
「挽肉で作った厚切りハムみたいなのを、パンで挟んだものです」
「コッペパンに何か挟んだようなものか」
「ちょっと、違いますけどね」
「まあいい。付き合おう」

ドブ板通りに着いた時は、九時過ぎになっていた。通りは多くの米兵で賑やかだった。大騒ぎしている数人の黒人兵もいた。みな、大きな体をしている。山村は、生理的な嫌悪感を抱いて目を背けた。黒人兵が残していった混血児が、この近辺には多いと聞いたことがある。元皇族が、そんな混血児を収容する施設を大磯に作ったという。それも、戦争に負けたからだ、と山村は思う。

その時、爆発が起こった。二十メートルほど先の店から火柱が上がり、炎がドアから噴き出す。爆風で山村はのけぞった。かぶっていたハンチングが飛ばされる。新城がコートで身を覆うようにした。近くの電信柱に身を隠すようにしている男がいた。

爆発音で耳がやられ、キーンという音しか聞こえない。見ると、その店は炎を上げて燃えていた。入口から吹き飛ばされたのか、数人の男が横たわっている。山村が新城を促して近づくと、米兵が三人横たわったまま意識不明のようだった。あちこちから血を流している。

日本人がひとりいた。その男は意識があり、自ら上半身を起こしたが、呆然とした表情だった。額から血が流れている。周辺の店の窓ガラスも割れていたが、怪我人は出なかったらしく、人々がおそるおそる集まり始めていた。

山村は新城に手伝わせて、意識不明の米兵を少し離れた場所に移した。炎が近すぎたのだ。最後に、怪我をした日本人を立たせ、肩を貸して十メートルほど離れた場所に移動した。その店の外に置いていた、テーブルと椅子が爆風でひっくり返っていた。椅子を起こして男を座らせ、山村もひとつの椅子を取り腰を下ろした。新城は立ったままだった。

「あんた、あの店にいたのか?」
「ああ、出るところだった」
「けがは?」
「額を何かで切った。大したことはない」
「何があった?」
「爆発。それ以外はわからない」
「原因は?」
「わからない。だが、大勢の米兵がいた。女たちも」
「あれじゃあ、助からんだろう」
「ざっと五十人はいただろうな」
山村は警察手帳を出して見せる。男は、平然としていた。
「わしは刑事だ。管轄は違うが、あんたは目撃証言をする義務があるな」
「ああ」と、男は答えた。
「警察と消防がくるだろう。ここにいてくれ」

山村は立ち上がり、新城と一緒に現場に戻ることにした。その時、先ほど電信柱で爆風を避けていた男が、すぐ近くの野次馬の中にいることに気付いた。背が高くて目立つ男だった。何だか、爆発が起きる前から身を隠していたような気がする----と、山村は思った。

 

 

2024年8月31日 (土)

■スターリンの暗殺者「第一章 米軍基地」02

【主な登場人物】
■スターリン ソ連最高指導者
■フルシチョフ ソ連政治局員
■モロトフ ソ連政治局員
■ヴォールク(狼) 謎の工作員/狙撃手

■ロバート・パウエル CIA上級分析官
■ポール・バネン CIAエージェント
■マイケル・ダーン CIAエージェント

■ルーシー・立花(かおり) ダンシング・キャッツの歌手
■チャーリー・立花 ダンシング・キャッツのリーダー
■ジェームス・鈴木 ダンシング・キャッツのトランぺッター
■花井光子 「平和荘」住人 飲み屋の女将
■柿沢恵子 「平和荘」住人 引揚者 通いの娼婦
■井上涼子 「平和荘」住人 SKDの踊子
■進藤栄太 「平和荘」住人 元新聞記者
■三浦良太 「平和荘」住人  戦災孤児の工員
■神崎辰之助 「平和荘」住人 元憲兵
■梶 幸兵 「平和荘」に引っ越してきた男

■藤崎一馬 ソ連情報収集を目的としたF機関のリーダー
■渡辺三郎 F機関の知恵袋 顎髭のジャズ・プレーヤー
■上島隆平 F機関の利け者 凍傷で指を失くし常に手袋をしている
■東金光一 F機関の事務方 メガネをしている
■神谷恂一郎 F機関で最も若くムードメーカーだったがシベリアで死亡

■山村善兵衛 元特高刑事
■新城玄太 警視庁公安部の新人刑事

 

■1952年12月25日 東京・新宿

深夜の一時だった。新宿の外れ、まだバラックが建ち並ぶ一角に、少しはましな小さな平屋が建っている。五分ほど歩けば二丁目の赤線地帯になるし、靖国通りと明治通りが交差する辺りには青線と呼ばれる地域があった。近辺には怪しげな飲み屋もある。終戦直後のカストリよりはましな飲み物を出すようになったが、安酒を求めて集まってくるのはアルコールでさえあればいいという酔客ばかりだった。

そんな盛り場に近いこのあたりに住んでいるのは、暗くなってから蠢き始める人種たちである。だから、深夜一時に明かりを点けていても不思議がられることはない。今夜、その家には、夜遅くなって三人の男たちがバラバラにやってきた。最後の男が入ったのは、つい先ほどのことである。

男たちは奥の六畳ほどの部屋でテーブルを前に顔を合わせていた。畳の中央に絨毯を敷き、ポーカーでもやれそうな丸テーブルを置き、椅子が四脚配置されている。その椅子に四人の男が腰を下ろしていた。顎ひげを生やした男だけは四十半ばに見えるが、他の三人は三十半ばから後半のようだ。

「それで、爆破は成功したのですか、Fさん」と、細面でメガネをかけた三十半ばの男が言った。
「ああ、滑走路の一部と爆撃機一機が破損したらしい」と、Fと呼ばれた男が答えた。
「彼らは、発表するかな?」と、四十半ばに見える顎髭を生やした男が口を開く。
「いや、発表はしないだろう。日本政府に連絡さえしないかもしれない。だから、ニュースにはならないはずだ」と、Fが答えた。
「しかし、これで米軍基地への破壊工作は、立て続けに三件起きてる。前の二件も時限爆弾だった」と、左手に白い手袋をした男が言う。
「どちらも基地の外から仕掛けられたものだった。今回は基地内だ。米軍も本気で対策を立てているだろう。それに情報機関が調査に動いているはずだ」と、Fが言う。
「それにしては、日本人のバンドマンや踊り子に対する尋問は簡単なものだったようだ。パーティに出演していたバンマスから聞いた」と、顎髭の男が言った。
「どこで?」と、メガネの男が訊く。
「新宿のプロモーターの事務所だよ」
「Wさんもミュージシャンだからな」と、白手袋の男が口を出す。
「満州時代だって、時々、クラブで吹いてたんだぜ。昔は、上海のクラブでステージに立ってたもんだ」
顎髭の男はサックスを吹く真似をした。運指が堂に入っている。
「あれは、隠れ蓑だったんじゃないの?」と、メガネの男が言った。
「本気でなりきらないと、ばれる」と、Fがつぶやいた。
「それ、ずっと言われてました」と、メガネが答えた。
「Tは、データ分析専門だったからな。正体を隠す必要もなかった」と、白手袋の男が懐かしむような口調で言う。

四人の男は、戦前、満州でFをリーダーとする特務機関に所属し、ソ連に関する情報収集と工作に従事していた。彼らは日常会話でも相手を頭文字のイニシャルで呼んでいたため、今もそれは続いている。

Fは、久しぶりに揃った男たちの顔を見渡した。四十半ばの顎髭の男WはFにとって補佐役のような存在で、満州時代には数々の窮地を救ってもらった。十代で満州に渡り、様々な裏の世界を経験し、「満州の夜の帝王」と呼ばれた甘粕正彦にかわいがられ、その頃は満州映画協会の理事長だった甘粕の紹介でFはWに出会った。彼の蓄積した情報と人脈が、F機関の大きな財産になった。
 
左手に白い手袋をしているUは、Fとは中野学校の同期だった。盟友であり、親友だった。昭和二十年、ふたりとも三十の時にソ連に拿捕され、執拗な尋問を経て死刑宣告を受けた。Fはフルシチョフと取引し、仲間たちはシベリア送りになった。しかし、Uは酷寒のシベリアで凍傷によって左手の小指と薬指の半分を失った。
 
Tは満州の調査機関にいた民間人だったのを、その能力の高さを買ってUが引き抜いてきた。情報分析とデータ処理に強く、客観的データから類推し分析する能力は群を抜いていた。昭和二十年七月、FやUが収集してきたソ連軍のデータを分析し、ソ連軍の主力が満州国境に集結しており、対日参戦が間近であることを最初に指摘したのもTだった。
 
その予測を元に、Fたちは情報の収集を急いだ。八月五日、Fはソ連の対日参戦の情報を取得し、ソ連領から脱出して関東軍に連絡した。しかし、関東軍総司令部はFをソ連側に寝返ったとして、情報の信憑性を疑った。日ソ中立条約が翌年四月までは有効であることを根拠に、Fの情報を謀略と判断したのだ。
 
翌日の八月六日、広島に落とされた新型爆弾がすべてを吹き飛ばした。広島の状況確認に追われる参謀本部では、届いたとしてもF機関の情報を検討する余裕もなかっただろう。ソ連領に潜入していたFたちはNKVD(内務人民委員部)に拿捕され、F機関で最も若いKを失うことになった。

「Kの遺族に会いますか?」と、Wが言った。
「いや、私には会う資格がない。奴をシベリアで死なせてしまった」
「それは、Fさんの責任じゃない」と、Tが口を出す。
「いや、私の責任だ。あの時、あれほど焦って作戦を強行しなければ----」
Fの言葉に、他の三人が下を向く。沈黙が続いた。

「米軍基地の爆破工作は、やはり〈ヴォールク〉の仕業かな?」と、Uがしばらくして言った。
「〈ヴォールク〉は狙撃と破壊工作が専門だ。〈ヴォールク〉の可能性は高い。彼の目的から推察して、米軍基地への爆破テロはありうる」と、Fが答える。
「共産党の仕業では? 彼らは、ここ数年、武力革命路線に方針転換し、警官や交番を襲撃していますよ」と、Tが言う。
「左翼勢力なら使用するのは、せいぜいモロトフ・カクテル、いわゆる火炎瓶だろう」と、Wが答えた。今もロシア語の方が言いやすいのかもしれない。
「北朝鮮の工作員かも」と、Uが言った。「彼らが〈ヴォールク〉と連携しているのかもしれない」
「それはあり得るが、〈ヴォールク〉なら現場に北朝鮮側の工作だという証拠を残しているはずだ。使用した爆破装置がソ連製であるとか----」と、Fは言った。「そうでないと、彼の目的は果たせない」

「今のところ、米軍に人的被害は出ていない。米軍は兵士の死に敏感だ。ひとりの兵士の死をきっかけに、戦争が始まることさえある。スターリンの狙いが戦争の長期化なら、米兵の死、要人の死を狙っていると思うがね」と、Uが言った。
「クリスマスからニューイヤーにかけて、米国人は盛り上がる。米軍基地でもパーティーが続く。大勢が集まる場所に爆薬を仕掛けて人が死ねば、米国が報復に出るのは間違いない」と、Wが指摘した。
「しかし、イブの夜の爆破も、夜は人がいなくなる滑走路でした。今後、米軍は相当に警戒するでしょう。警戒させるための破壊工作だったのではないかとさえ疑えますね」と、Tが分析する。

「〈ヴォールク〉の狙い、目的はひとつとは限らんかもしれん。米軍基地へのテロ、要人暗殺、いくつか破壊工作を積み重ねるつもりかもしれない。まず、年明け五日に来日する李承晩の周辺を探ってみてくれ。国連軍司令官公邸での会談だ。吉田茂との会談も同じ公邸で行うらしい。チャンスがあるとしたら、公邸のあるアメリカ大使館へ入る時と出る時。出る時の方が警備に油断が出るかもしれない」
「李承晩の日本に対する憎しみは筋金入りだ。吉田との会談を受けたとは驚いたな」と、Uが独り言のようにつぶやいた。
「国連軍司令官の仲介だからだろう」と、Wが答える。

これで、Kがいれば満州時代と同じだな、とFは三人の男たちを見渡して思った。あれから十数年、Fは何も変わっていない気がした。しかし、それは錯覚だ。大勢が死に、Kも死んだ。ここにいる全員が死んでいても不思議ではなかった。そんな年月を送ってきて、現在があるのだ。

しかし、俺がやっていることは何も変わっていない、とFは思った。〈ヴォールク〉を狩ること。その目的を阻止すること。血なまぐさい世界から縁が切れない。

■1952年12月25日 東京・霞ヶ関
 
戦前、主に思想犯を取り締まった内務省警保局保安課に属する特別高等警察、通称・特高は、戦後、GHQによって解散させられたが、内務官僚たちはその必要性を訴え続け、復活を画策した。その結果、警視庁および各地方警察に警備課が創設されることになり、後に公安部と改称した。
 
また、講和条約が締結されると、その日のうちに公職追放されていた特高関係者たちの追放解除を行い、今年の日本独立と共に警視庁に警備第一課と第二課を設置した。第二課には公安第一課から三課までが組織され、国家の安全を脅かす組織、団体などを監視し情報収集を行う活動に従事した。当面の最大の標的は、共産党であった。
 
警視庁警備部公安課とは別に法務局には公安調査庁が創設され、アメリカのCIAにならって今年四月には内閣総理大臣官房調査室が設置された。インテリジェンス(情報収集)の必要性が認められたわけだが、それらの動きの背後には旧軍人グループの存在があった。
 
国家が考えることは、いつも同じだ。国家体制を覆そうとする勢力、国家権力に反対する組織や人物を監視し、隔離し、その存在を消滅させようとする。独裁国家なら、彼らは情け容赦なく取り締まられ逮捕される。戦前の日本がそうだった。
 
しかし、戦後、民主国家になった日本では簡単に逮捕拘留ができなくなった。したがって、監視と情報収集が公安という名称を持つ部署の主な仕事である。監視対象の組織や団体にスパイを送り込み、あるいはその組織の中に協力者を作り、日夜、監視を行う。
 
戦前の特高警察のやり方に慣れている山村善兵衛は、そんなまだるっこしい仕事にはうんざりしていた。国家に反逆する輩は、逮捕し、痛めつけ、刑務所に入れればいい。それが、山村が特高時代に得た経験則だった。しかし、戦争に負け、GHQによる民主化で特高警察はなくなり、山村も公職追放になった。
 
ところが、案の定、それから何年もしないうちにGHQの方針は転換した。共産党幹部などの政治犯を解放し、労働運動を認め、民主化を進めた結果、労働組合は過激化するし、ソ連の手先の「赤」の奴らは国家体制を転覆させ共産主義体制をめざす。だから、冷戦時代の今、GHQもレッドパージに踏み切った。
 
世界中で同じことが起こっている。東ヨーロッパは共産化されたし、アジアではインドシナや朝鮮半島で共産勢力が攻勢を強めている。インドシナではフランスがベトミンの勢いに押され、朝鮮半島ではソ連に後押しされた北朝鮮が南北統一をめざし、突然、韓国に攻め込んできた。GHQはあわてて共産党幹部の追放を行ったが、元々、彼らを解放すべきではなかったのだ。
 
俺たちがせっかく捕まえておいた奴らを解放したのは占領軍だった、と山村は苦い思いを甦らせた。おまけに、戦後は「元特高刑事」を隠して生きなければならなかった。軍人、特に憲兵と特高は、手のひらを返したように悪役にされた。その数年間が、山村の性格をさらに歪ませた。「赤」どもに対する復讐心が募り、執拗な性格がますます深まった。

「山村さん、昨日、尾けられていたのを知ってますか?」
机に向かう山村めがけて、出勤してきた新城玄太が近寄ってきた。今年、四月に配属になった新人刑事である。珍しく大学卒の学士様だ。山村はジロリと視線を向けた。気に食わない相手だった。

「昨日、ちょうど僕が帰ってくる時、山村さんの背中を睨みつけるように歩いている男を見かけたのですよ。山村さんが入った後、しばらくうちの玄関を見つめて立ってました」と、山村の返事を聞かず新城は続けた。「それで、気になって男を尾行したんです」
「左足を引きずってる男だろ」と、山村は言った。
「知ってたんですか」
「お堀端の道を、人の流れとは逆についてきた。目立つ動きだ」
「知ってる男ですか?」
「玄関を入ってから隠れて確認した。昔、逮捕した男だった」
「やっぱりね。恨まれてるんじゃないですか」と、新城はからかうような口調で言った。
 
そういうところが、山村の神経を逆なでする。山村は新城を無視して机に向かった。その目の前に新城がメモを差し出した。住所と名前が書いてある。そのメモを受け取り、一瞥して新城に戻す。

「気になったので、男を尾行したんです。住んでるところは、上野から田原町へ向かったあたりの安アパートです。念のため、名前も確認しておきました。進藤栄太。復職した新聞社をレッドパージで追われ、今は町工場で働いているみたいですよ」
山村は男の顔は思い出したが、名前は忘れてしまっていた。進藤栄太という名前を聞いて、何となく記憶が甦る。もう十年も前のことではないか。
「わかった」と、山村は答えた。

その時、今村係長が近寄ってきて言った。
「山村くん、警備課長のところにいってくれないか。新城、きみもだ」
「警備課長のところですか?」
警備課長と言えば、警備部のトップである。現場の刑事に直々に話があるとは思えなかった。その気持ちが口調に出たのか、今村係長が重ねて言った。
「とりあえずいってくれ。いけばわかる」

ドアをノックして山村と新城は警備課長が鎮座している部屋へ入った。名乗ってから、課長の松本周治が座る机の前に立った。
「山村くんと新城くんだね」と、松本課長は言った。
改めて確認することもあるまい、と山村は思ったが、新城は「はい。そうであります」と緊張した返事をした。

「きみたちに、極秘任務をお願いしたい」
そう言うと、松本課長は山村の顔をじっと見つめた。もったいつけてるな、と山村は反感を覚えた。山村は叩き上げの特高刑事だった。対象を地道に監視し、情報を収集し、逮捕し、取り調べをした。痛めつけたこともずいぶんあるが、当時はそれが普通だったのだ。そんな山村から見ると、松本など自分の手を汚さずに生きてきた甘っちょろいエリート官僚でしかない。

「この二週間で、米軍基地で爆破工作が三度起こっている。最初は十二月十日、横田基地。鉄条網の外から入れられたとおぼしき時限爆弾が滑走路脇で爆発した。二度めは十二月十七日、厚木基地。やはり鉄条網の外から入れられた時限爆弾が基地内で爆発した。どちらも無人の場所だ。やり口から見て左翼勢力ではないかとも疑われるが、事件そのものは米軍から報告されたわけではない。米軍は独自に捜査しており、日本政府に報告するつもりはなさそうだ」
「三度めは?」と、山村が話の先を促すように言うと、ジロリと松本課長が睨んだ。
「昨夜だ。立川だった。今度は基地の内部に時限爆弾が仕掛けられた」
「同一犯だと?」
「わからん。情報が少なすぎる。ただ、地域が接近しているのと、最初と二回めは同じ手口だ。一週間あいて起こっているのも気になる。四度めがあるかもしれない。どちらにしろ、見過ごせない動きだ。調べてみてくれないか」
「砂漠で針を探すような話ですな」と、山村は答えた。「何の手がかりもなしですか?」

「くわしいことは、今村くんに聞いてくれたまえ」と、松本課長が言った。
要するに、話は終わりだということだ。新城が「失礼します」と言って一礼し、踵を返す。山村は何も言わず、松本課長に背を向け、ドアに向かった。途中で立ち止まり、振り向いた。

「なぜ、私なんですか?」と、山村は訊いた。
「きみは、ゾルゲ事件の時に活躍したそうだな。やり手だと聞いている」
山村は一礼し、部屋を出た。

■1952年12月26日 東京・浅草

「ねえ、イングリッド・バーグマンの『別離』見た? 今、やってるわよ」と、踊り子仲間の中田佳枝が言った。
「まだ、見てない」と、井上涼子は答えた。
 
浅草の松屋デパートの一階にあるフルーツパーラーだった。今日は、少し贅沢をしようと中田佳枝に誘われ、二人で窓際のテーブルに腰を下ろし、フルーツパフェを頼んだ。それがくるまで、ふたりで通りをいく人々を見ていた。

「『カサブランカ』より三年前の作品なの。ハリウッドに進出した一作め。だから若くて、輝くようにきれいよ」
「『カサブランカ』の時のバーグマンも、きれいだったわ」と、数年前に見た映画を思い出して涼子は言った。
「でも、大人っぽかったでしょ」
「そうね」
「それと、レティシア・レイクが、今度、日本にくるらしいわ」

中田佳枝は、ハリウッド映画の熱心なファンだった。レビューの勉強と称して、ミュージカル映画もよく見にいっているようだ。レティシア・レイクは歌って踊れて、演技もできてセクシーで、アメリカ人に愛されている人気女優だった。「レティ」の愛称で親しまれ、日本でも人気が急上昇していた。

「何をしに?」
「あんた、何も知らないのね。新婚旅行よ。彼女、ニューヨーク・ヤンキースのジャック・デュバルと年が明けたら結婚するの。大統領の就任式より話題になってるらしいわよ。向こうじゃ」
「それで、新婚旅行に日本なの?」
「ちょうど日米親善試合があるのよ。ジャック・デュバルがそれに出場するのに合わせて、新婚旅行先を日本にしたみたい」

「日米親善試合って?」
「日本のプロ野球選手とアメリカのプロ野球選手の試合よ」
「それはわかってるけど、誰が出るの?」
「読売巨人軍の川上とか----」
「他に知らないんでしょ」
 そう言った涼子の言葉に、佳枝はペロリと舌を出すことで答えた。
「ところで、この間の話、考えてくれた?」と、涼子は言った。
「同居のこと?」
「そう」
 
その時、涼子は人混みの中に梶幸兵の姿を見つけた。雷門の方角から隅田川の方をめざして歩いてくる。グレーのハーフコートを着て、黒っぽいズボンを履いていた。手にはサックスのケースを提げている。昨日と同じ姿だった。
 
すぐにわかったのは、身長が群衆の中で頭ひとつ飛び出すほどあったからだ。百八十センチを超えているのではないか。痩身で、顔色も白く、ひ弱な感じがするのが意外だった。日本人にしては確かに彫りが深く、苦み走った感じがしないでもない。額に前髪が少し垂れている。

「何? 誰見てんの?」と、佳枝が言う。
「何でもないわ」と、あわてて涼子が顔を戻すと佳枝が窓の外を見つめた。
「あの人? 楽器ケース提げてる----」と言って、少し目を細めた佳枝は「いい男じゃない。背も高いし、ミスタースリムって感じ」と続けた。
「そんな大きな声出さないでよ」
「いいじゃない。涼子も男に見とれるようになったか。ちょっと木村功に似てるわね」
涼子は木村功の顔を思い出そうとしたが、すぐには浮かんでこなかった。
「見とれてたんじゃないわ。同じアパートの人」
「そうなの。だったら、私も同居しようかな」
 
その時、店員が注文したフルーツパフェをトレイに載せてやってきた。涼子も佳枝も店員がテーブルに注文品を置き、遠ざかるまで黙っていた。その間、涼子は梶の姿を追っていた。梶は吾妻橋に向かっている。橋のたもとで立ち止まると欄干にもたれ、そのまま隅田川の水面を見つめるように下を向いた。

「やっぱり、見てるじゃない」と、佳枝が冷やかすように言う。
「知ってる人だからよ」
「親しいの?」
「昨日、会ったばかりよ。引っ越しの挨拶にもこないような人だもの」
「フーン、でも、いい男よ」
「ちょっと冷たい感じの人」
 
梶は、ずっと水面を見つめていた。何人もの人が吾妻橋を行き交う。梶が何をしているのか、気にする人もいない。ひとりの男が梶の後ろをすれすれに通り過ぎた。道には余裕があるのに、なぜ、あんなにギリギリを通ったのだろう、と涼子は不思議に思った。
 
すると、梶は身を起こし、さっきの男とは逆に吾妻橋を渡っていった。ぼんやりと隅田川を見ていたにしては、身の翻し方が唐突な気がした。何かがきっかけになって、再び動き始めた----そんな印象だった。
〈もしかしたら、さっきの人が何か囁いていったのかしら〉
涼子は、そんなことを想像した。

■1952年12月28日 東京・新宿

「詳細がわかった。時限爆弾とはいっても、特別な専門知識がなくてもできる仕掛けだ。犯人が立ち去る時間さえ稼げればいい。その程度のものらしい。やはり〈ヴォールク〉の仕業かもしれない」
Wは、テーブルのコーヒーを見下ろして言った。新宿風月堂の隅のテーブルだ。この店はクラシックレコードのコレクションを売りにして、終戦の翌年に開店した名曲喫茶である。新宿の角筈一丁目一番地にあった。

「簡単な仕掛けって?」と、Fは訊ねた。
「ソ連製の手榴弾。RG42という奴で、円筒形の----」
「知っている。戦後も、まだ使われているらしいね。二百グラムのTNT炸薬が入っていて、かなりの殺傷力がある」
「その手榴弾のレバーに幅のある輪ゴムを巻き付け、輪ゴムに少し切り込みを入れておき、安全装置のピンを抜いて鉄条網の外から転がす。一回目と二回目はそうやって爆発させたものらしい。三回目は基地内に侵入し、滑走路脇の爆撃機の下に同じ仕掛けをして置いていたようだ」
「ピンをはずし、レバーを開いてから爆発までは四秒ほどだ。切り込みの入った輪ゴムの仕掛けだと時間が読めないし、爆発前に見つかることもあるだろう」

「現場から立ち去る時間が稼げればいいと思ったんでしょう。それと、爆破は一週間隔で起きてる。十日、十七日、二十四日、すべて水曜日。米軍は『ビッグ・ウェンズデー』と呼んでるようですよ。日本なら『水曜日の爆弾魔』だろうけど----」
そう言って、Wはコーヒーカップを取り上げてひと口すすった。帰国して六年が過ぎた。すっかりバンドマンの生活に慣れたようだ。先日はWの家に四人が集まったが、今日はFとふたりだけの情報交換だった。

「その情報、どういうルートで手に入れた?」
「米軍は、正式には日本側に事件の通告はしていない。ただ、CIA日本支部が情報を集約していて、今年の四月に創設された内閣総理大臣官房調査室を経由しての情報です。CIAと内閣調査室にはつながりがあるから」
「内調に知り合いがいるのか?」
「昔、満州で少し世話をした人間がね」
「室長は村井順。中国大陸で特高活動にも従事した内務官僚だね。戦後は、吉田茂の秘書官も務めた。占領中は、キャノン機関とも関係があったらしい」
「知り合いですか?」
「満州時代にすれちがった程度だ」
「私の情報源は、彼じゃありませんよ。それに、Fさんはソ連の指令で動いているわけだから、私も正面切って情報を取りにいくわけにはいかない」
「私の動きは、日本にも歓迎されるのではないかな。〈ヴォールク〉の狙いが成功するのは、日米にとっても不都合だ。アイゼンハワー新大統領の公約は朝鮮戦争の終結だし」
「ええ、だから我々も協力している」

Fは、Wの顔を改めて見た。Wたち三人がソ連からの引揚げ船に乗った時に関係は終わったのだ。Fはソ連に残り、彼らは帰国した。帰国後は、彼らの自由だ。F機関もソ連も、関係はない。
 
しかし、その後、情報収集のために日本に潜入した時、Fは彼らと会うことになった。その後の彼らの様子が気になっていたのは間違いない。彼らは、それぞれに日本での生活を始めていた。Uは軍人時代の知り合いに引き抜かれて、ロシア語の話せる商社マンとして活躍していたし、Tは民間の調査会社でデータ分析の仕事に戻っていた。
 
彼らはFが何をやっているのかはわかっていたし、Fを助けることが日本国内の法律に反することもあると承知していた。しかし、Fの目的が情報収集であることを確認したうえで、三人は手助けしたいと申し出た。それは、満州時代への郷愁が言わせたのかもしれない。あるいは、彼らは未だにソ連に拿捕された後のことで、Fに恩義を感じているのか。

「ソ連製の手榴弾を使用したのは、北朝鮮の破壊工作と思わせる狙いでしょう」と、Wが言った。
「そうだろう。少なくとも、極左などの犯行ではない。米軍もそう判断しているはずだ」
「CIAは、北朝鮮工作員の犯行と見ているようだから〈ヴォールク〉の狙い通り」
「〈ヴォールク〉がバックアップチームを使っているかどうか。使っているとしたら北朝鮮工作員だから、こちらも動きを察知しやすい。北朝鮮工作員組織の情報なら、ソ連側にも入っている」
「次の水曜日は、大晦日ですね」

「どこの米軍基地も、午前零時に全員でカウントダウンするニューイヤー・パーティの真っ最中だろう。そこで手榴弾が爆発したら、大勢の犠牲者が出る」
「今までは、人のいない場所での爆発だったけど----」
「今までの工作は米軍に調査の時間を与えたり、警告の意味だったのかもしれない。本番は今度のような気がする」
確信もなくそう言ったFだったが、何となくそれが当たっている気がした。大晦日、新年になるのを狙って何かが起きる予感がした。

 

2024年8月24日 (土)

■スターリンの暗殺者「第一章 米軍基地」01

【主な登場人物】
■スターリン ソ連最高指導者
■フルシチョフ ソ連政治局員
■モロトフ ソ連政治局員
■ヴォールク(狼) 謎の工作員/狙撃手

■ロバート・パウエル CIA上級分析官
■ポール・バネン CIAエージェント
■マイケル・ダーン CIAエージェント

■ルーシー・立花(かおり) ダンシング・キャッツの歌手
■チャーリー・立花 ダンシング・キャッツのリーダー
■ジェームス・鈴木 ダンシング・キャッツのトランぺッター
■花井光子 「平和荘」住人 飲み屋の女将
■柿沢恵子 「平和荘」住人 引揚者 通いの娼婦
■井上涼子 「平和荘」住人 SKDの踊子
■進藤栄太 「平和荘」住人 元新聞記者
■三浦良太 「平和荘」住人  戦災孤児の工員
■神崎辰之助 「平和荘」住人 元憲兵
■梶 幸兵 「平和荘」に引っ越してきた男

■藤崎一馬 ソ連情報収集を目的としたF機関のリーダー
■渡辺三郎 F機関の知恵袋 顎髭のジャズ・プレーヤー
■上島隆平 F機関の利け者 凍傷で指を失くし常に手袋をしている
■東金光一 F機関の事務方 メガネをしている
■神谷恂一郎 F機関で最も若くムードメーカーだったがシベリアで死亡

■山村善兵衛 元特高刑事
■新城玄太 警視庁公安部の新人刑事

 


■1952年12月24日 東京・浅草

戦後八回目のクリスマス・イブだった。

昭和二十年十二月、マッカーサーの執務室があった第一生命ビルの皇居に面した入口には、大きな「Merry Xmas」の文字がネオンサインのように吊るされ、両脇にはそれぞれ色とりどりに飾られたクリスマスツリーが立てられた。ほんの四カ月前まで空襲に脅えていた人々の目には、その鮮やかさが眩しかった。

クリスマスを祝う風習は、やがて日本人の中にも浸透した。昭和二十五年四月、注目の新鋭監督・黒澤明が三船敏郎と山口淑子を主演にして「醜聞(スキャンダル)」という映画を公開したが、その中で派手なクリスマスの賑わいが描かれている。人々はダンスホールに集い、乾杯を重ね、踊っていた。東京の歓楽街の描写だとはいえ、戦後四年も経てば人々はクリスマスを楽しむようになっていた。

もっとも終戦直後の日本人は、クリスマスどころではなかった。人々は餓死しないために、生き抜くために精いっぱいだった。翌年はいくぶん落ち着いたクリスマスになったが、それでも街には戦災孤児、復員兵、引揚者があふれていた。しかし、今、終戦から七年後の商店街ではジングル・ベルが鳴り響き、人々がクリスマスの買い物に集まっている。
 
十九歳の井上涼子は浅草の街の賑わいを見ながら、終戦後の七年間のクリスマスを思い出していた。十二歳で迎えた終戦。父は、南方に送られたまま消息不明だった。戦死の公報は届かず、昭和二十年のクリスマスの頃、母は復員局に日参する日々だった。あの年の暮れから翌年にかけて、どうやって生き抜いたのか、と涼子は思う。

結局、父は帰ってこなかった。母は生活のために知人の美容院を手伝い始め、美容師の免許も所得し、今では故郷の水戸に帰り自分の店を持っている。腕のよさを認められ、常連客もついた。だから、涼子への仕送りも滞ったことはない。涼子は中学校を卒業し、母を説得して松竹音楽舞踊学校に入学した。それから三年、憧れだった松竹歌劇団(SKD)への入団も叶った。
 
戦前、「男装の麗人」水の江滝子という大スターを生み出した松竹歌劇団だったが、戦争中、本拠地である浅草国際劇場も軍需工場として接収され、レビューどころではなくなった。しかし、終戦後の十一月、歌劇団は再開し、現在は年間で何百万人もの観客が訪れる人気を誇っていた。現在の浅草の賑わいには国際劇場が大きく貢献しており、観光バスが何台も劇場前に駐まっている。
 
中でもSKDの「スリーパールズ」と名付けられた、涼子の三人の先輩は人気を集めていた。そのひとり、淡路恵子は松竹音楽舞踊学校在学中に見出され、黒澤明監督の「野良犬」で女優としてデビューした。犯人を演じた木村功の恋人でレビューの踊り子役だった。もうひとりの草笛光子も女優デビューが近いと噂されている。
 
国際劇場の前には、深草笙子を加えたスリーパールズの写真が飾られていた。美しい脚を惜しげもなく見せ、ガンベルト、カウボーイブーツ、カウボーイハットという西部劇スタイルで、三人が拳銃を構えている。大きく露出した胸や肩もまぶしい。涼子も早く、彼女たちに追いつきたいと思った。
 
涼子は国際通りをまっすぐ歩いて、田原町にある「平和荘」と名付けられたアパートへ向かっていた。そのアパートから、毎日、国際劇場まで歩いて通っている。一緒に住んでいた友人は、レビューを諦めて男と暮らすために出ていった。部屋代が倍になったわけで、踊り子仲間の何人かに同居しないかと声をかけているところだ。今月中に決まらないと、もっと安い部屋を探す必要がある。

「平和荘」は地下鉄田原町駅を越えて上野方面に向かい、大通りから一本裏の路地を入ったところに建っている木造二階のアパートだった。朝鮮戦争が起こる少し前に建てられたもので、安普請ではあるもののまだ築三年ほどである。最近は周囲も立て込んできた。それでも、まだところどころに原っぱが残っており、木材や土管を積み上げてあったりするが、それらも含めて子供たちの遊び場だった。

涼子は「平和荘」の玄関が見えるところに立ち止まり、その木造アパートを見上げた。一階の北側の手前に共同炊事場があり、洗濯場を配置した奥に男用の朝顔と個室便所がふたつあった。南側には六畳の部屋が二室並んでいる。二階には真ん中に廊下があり、南北に四畳半が二室ずつ並び、さらに西端に三畳の部屋がある。
 
一階の玄関寄りの六畳には、タクシー運転手の一家四人が住んでいた。夫婦とも四十代くらい。中学二年生の女の子と小学五年生の男の子がいた。奥の六畳は雨の日になると便所の匂いが立ちこめるので人気がなく、しばらく空いていたが二週間ほど前に埋まったという。
 
入ったのは、三十代後半の男性だと聞いた。しかし、引っ越しの挨拶もなく、まだ顔を合わせていない。タクシー運転手の妻によると、「苦み走ったいい男だが、愛想がない」ということだった。
 
二階南側手前が涼子の部屋で、隣が近所で飲み屋をやっている花井光子の部屋だった。花井光子は二十代後半のあだっぽい美人女将だった。いつも着物姿で、襟足の美しさに涼子も見とれることがあった。どこか崩れた感じが男たちをそそるのか、店は繁盛しているらしい。
 
西端の三畳に住んでいるのは、進藤栄太という四十年輩の独身男だった。今は近くの印刷工場で働いているが、二年前の夏、レッドパージで新聞社を追われたと聞いた。進藤の向かいの北側の三畳には、三浦良太という十六歳の少年が住んでいる。
 
年が近いせいか、涼子が越してきたときから良太はよく話しかけてきて、彼の身の上にも詳しくなった。良太は終戦三月前の山の手空襲で家族を亡くし、戦災孤児になって上野近辺にたむろしていたが、その秋、政治犯の解放によって出所してきた進藤に引き取られた。
 
中学を出るのと進藤が職を追われるのが重なり、良太は印刷工場で働くことにした。それまでふたりで住んでいた部屋も出なければならなくなり、今は三畳の部屋を別々に借りて住んでいる。職探しをしていた進藤は、今は良太と同じ工場で働いていた。工場主は進藤が戦時中に「赤」として刑務所にいたことも承知で雇ってくれたのだ。
 
涼子の部屋の向かいに住んでいるのが柿沢恵子で、三十半ばを過ぎているように見えるが、毎日、夕方になると妙に派手な化粧で出かけていき、朝になると戻ってきた。いつも鬱々とした顔で笑ったことがない。涼子と顔を合わすと挨拶することもなく下を向き、黙って横をすり抜けていく。
 
タクシー運転手の妻によると、「あの人は通いの娼婦で、毎日、吉原の店にいっているらしい」という。本当かどうかはわからない。「満州から引揚げる時に、ひどい目に遭って自棄になってんじゃないの」とタクシー運転手の妻は続けた。それも、真偽のほどは不明だ。
 
柿沢恵子の隣の部屋にいるのは、正体不明の五十がらみの男だ。名前は神崎辰之助という。涼子も時たま顔を合わすだけで話したことはない。これもタクシー運転手の妻から聞いた噂話だが、「元憲兵で、戦後、闇屋で儲けたらしいが、今は何をやっているかわからない」ということだった。
 
アパートの住民の顔を思い出しながら涼子が見上げていると、玄関の観音開きの扉が開いてタクシー運転手の妻が七輪を抱えて出てきた。玄関前の空き地に七輪を置くと、すでに火種が入っているのか、バタバタと団扇で火を熾し始めた。アパートの前に立っていた涼子に気付いて「お帰り」と言った。

「ただいま」と、涼子は反射的に答える。
「今日はクリスマス・イブでしょう」と、タクシー運転手の妻が言う。「あんなもの、西洋のもんじゃないの。なのに、うちの子、ふたりともプレゼント期待してるのよね。枕元に靴下吊ってるの」
「子供たちには、サンタがくる日ですからね」
「うちには、こないわ。景気悪いし」

二年半前に朝鮮戦争が始まり、日本は軍需景気に沸いた。GHQの影響でクリスマスを祝う習慣も定着し、デパートでもクリスマス商戦が行われている。寝ている子供たちの枕元にクリスマス・プレゼントを置く家庭が増えていた。しかし、今夜はタクシー運転手としては稼ぎ時だから、一家でクリスマス・イブを祝うなどできるはずもない。

「子供たちが、がっかりしますね」
「そうねぇ」と、タクシー運転手の妻は少し考え込んだ。
 
その時、観音開きのアパートの扉が開き、男が出てきた。手に楽器ケースを提げている。国際劇場の楽団員たちを見慣れているので、涼子は大きさからしてアルトサックスだろうと推察した。涼子は初めて見る男である。三十後半くらいだろうか、一階奥の部屋に入居した男だとすれば、確かに「苦み走った」感じだった。背が高く、痩せている。

「あら、梶さん」と、タクシー運転手の妻が声をかけて立ち上がる。「こちら、二階一号室の井上涼子さん。SKDの踊り子よ」
梶という男が改めて涼子に視線を向けた。軽く頭を下げる。
「井上涼子です」と、涼子は頭を下げた。
「梶幸兵です」と、男はぶっきらぼうに言うと、涼子の横をすり抜け足早に路地を曲がって大通りに向かった。

「越してきて二週間になるのに、ほとんど部屋にいないのよ。荷物だってほとんどない。もちろん、家具なんて何もないわよ」と、噂好きのタクシー運転手の妻が言う。
「夜もいないの?」
「明け方に戻ってくるわ。午前中、部屋にいて午後から出かけてるみたい。うちのも不規則でしょ。だから、起きて待っていたりするから、気が付くの。でも、今日は出かけるのが少し遅いわね」
「何してる人かしら?」
「バンドマンよ。米軍キャンプや盛り場のキャバレーをまわってるみたい」

劇場では、踊り子たちは楽団員たちによく誘われる。恋愛は禁止されているのだが、若い男女が集まっているのだ。若い楽団員と隠れて付き合っている仲間もいた。涼子も誘われるが、うわっついた軽薄さを見せる楽団員には魅力を感じなかった。もしかしたら、彼らは軽薄さを演じているのではないかと思うこともあったが、それでも仲間内の業界用語で喋る男たちの軽さが好きになれなかった。
 
しかし、梶という男はあまりバンドマンらしくなかった。涼子を見た鋭い視線に、それを強く感じたのかもしれない。それに、楽器ケースを持つ手に力が入っていた。重みが違うように見えた。アルトサックスの重さは想像できるが、あの持ち方はもっと重いものを持っているようだった。涼子は、そんなことが妙に気になった。

■1952年12月24日 東京・新橋

〈あの男だ。間違いない〉

進藤栄太は、今すれ違った男の背中を見つめて思った。ハンチングを目深にかぶってはいたが、間違いなくあの男だった。何年経っても忘れられない顔。それに、あの目。ハンチングの下の鋭く光った目が、すれ違った瞬間、栄太の記憶を一瞬で甦らせた。両手を縛られ天井から吊るされた栄太を、竹刀で殴り続けた男。ささくれだった竹刀は、栄太の左足に刺さり腱を切断した。栄太は、十年後の今も左足を引きずって歩いている。

だが、相手は栄太の顔を真っ正面から見たはずなのに、その目には何の感情も浮かばなかった。数え切れないほどの思想犯を取り調べ、拷問したのだろう。栄太のことなど忘れてしまったに違いない。それに、終戦からでも七年が過ぎた。栄太が逮捕され、拷問されたのは太平洋戦争が始まった翌々年、昭和十八年の夏だった。そのまま「赤」のレッテルを貼られ、府中刑務所に服役した。解放されたのは、終戦の年の十月である。

解放の日、共産党結成メンバーとして生き残ったひとりで、二十年近くも拘禁されていた徳田球一を迎える数百人の人々が刑務所前に集まっていた。だが、単なる反戦主義者だった栄太は、共産党員たちのような晴れやかな気分になれず、ひとり母が待つ牛込のバラックに戻った。その母も空襲で焼け出され、終戦後の食糧不足と長年の無理がたたっていたのだろう、息子の顔を見るとすぐに息を引き取った。

たったひとりで母を送り、傷心と孤独感を抱えて上野近辺を歩いている時、道端でぐったりしている少年に目が留まった。上野の地下道では一晩に何人もの戦災孤児が衰弱して死んでいくというから、そんな光景は珍しくもないのか、人々は目もくれずに歩いていく。だが、その時の栄太は少年を見過ごすことはできなかった。母の命が消え、今、まだ幼さの残る少年の命も消えようとしている。

栄太は、少年を抱きあげて病院へ連れていった。栄養失調による衰弱と診断され、数日の入院の後、栄太は少年を空襲で焼け出された母が借りていたバラックに引き取った。少年は三浦良太という名で、もうすぐ十歳だと言った。少年を育てる目的ができたためか、ようやく栄太は改めて人生を始める気になった。三十三歳の晩秋だった。
 
かつての勤め先の新聞社を訪ねると、戦時中に反戦を訴えた自由主義者の栄太は、今では信念を曲げなかった英雄扱いだった。英雄を復職させないわけにはいかないな、と人事課長は言った。しかし、それから五年、朝鮮戦争が始まり、時代の空気は百八十度転換した。かつて一度も共産党員であったことはないが、栄太は「赤」としてレッドパージに遭い、職場を追われた。

戦前の経歴もあり、「赤」のレッテルが貼られた栄太には、どこの職場の扉も閉じられたままだった。良太はそんな栄太の様子を見て進学を諦め、働きに出ると言い出した。見つけてきたのは、下町にある印刷工場だった。「おじさんのことを話したら、『働く気があるんならいつでも歓迎する』って」と良太が言い、栄太はふたりで借りていた神楽坂の下駄屋の二階を出て、田原町のアパートに部屋を借り町工場に通うことにした。

それから、そろそろ二年になる。今日は良太へのクリスマス・プレゼントを買おうと、新橋まで足を延ばしたところだった。新橋駅前のマーケットは夕方を迎え、ますます賑わっていた。終戦直後のような騒然とした様子は見せていないが、多くの人間たちの熱気が今もマーケット全体を覆っていた。歩いている人々の顔にも、あの頃のような切迫感はない。戦後七年、独立した日本が初めて迎えるクリスマスだ。町中が沸き立っていた。
 
その時、どこからか津村謙が唄う「上海帰りのリル」が流れてきた。昨年の夏にレコードが発売されて大ヒットし、今年の春には映画「上海帰りのリル」が封切られた。水島道太郎と森繁久彌、それに香川京子という新人女優の三人が楽しそうに唄う上海のクラブのシーンが栄太の記憶に残っている。音楽は、烏森の飲み屋街の方から流れてくるようだ。そう思って振り返った瞬間、あの男とぶつかりそうになったのだった。
 
栄太が昔のことを思い出していたのは、一瞬だった。ハンチングを被った男の背中を見失わないように、栄太は後を尾け始めた。ダンスホールにでも向かうのだろうか、手を組んだ男女が立て続けに歩いてくる。お堀沿いのビルに入っている勤め先から、新橋駅周辺をめざしているのだろう。若い男女だけではない。中年男の集団も、これから飲みにいくという華やいだ雰囲気をまき散らしていた。
 
ハンチングの男の名前は、山村善兵衛といった。元特高刑事である。栄太を拷問した十年前、三十半ばの血気にはやる若手刑事だったが、今は四十半ばになっているはずだ。栄太は頑として共産党員であることを否定したため、山村は意地になって栄太を痛めつけた。栄太は道場で何度も投げつけられ、取調室で吊るされた。山村は転向を迫った。「おまえら、赤の連中は売国奴だ」と耳元で何度も怒鳴られた。
 
山村はお堀端に出ると、お堀に沿って歩いていく。公官庁が集中する霞ヶ関の方へ向かっている。勤めを終えた役人らしき人々が向かってくる。彼らも一様に浮き立つような雰囲気を漂わせていた。その人々の群れを割って山村は歩いていく。十メートルほど後ろを栄太は尾いていった。もしかしたら----と、もう栄太は予想していた。
 
山村は予想通り、桜田門にくると警視庁の建物に吸い込まれるように入っていった。戦後、特高警察は組織そのものがなくなり、ほとんどの人間が公職追放になった。昭和二十二年の暮れには新しい警察法が公布され、民主化された警察になった。しかし、旧内務省の人間たちは占領中も国家警察の必要性を訴え続けていたという。
 
彼らは、日本が独立するのを待っていたのだ。講和条約が結ばれた昨年の九月八日、政府はさっそく旧特高関係者三三六名の公職追放解除を発表した。今年、四月二十八日に講和条約が発効すると、彼らはすぐに暗躍を始めた。準備は整っていた。彼らはGHQの決定を次々に覆し、警視庁に公安部を復活させた。そして、追放されていた特高経験者たちを復帰させたのだ。今、警察は各地方自治体の管轄になっているが、中央集権的な国家警察の役割を担うのが公安警察だった。

〈あの男、警視庁公安部に復帰したに違いない〉
進藤栄太は警視庁の建物を見つめて、そうつぶやいた。左足が疼き始めた。

■1952年12月24日 東京・立川

大きな体育館だった。正面にステージがあり、屋内での式典もできるようになっている。その広い体育館の床が見えないほど人々があふれていた。アメリカ兵とそのパートナーである。ほとんどが夫婦か、その子供たちだった。独身の兵士たちは、基地の周辺にある怪しげなバーやダンスホールに繰り出していた。
 
ここに集まっているのは、基地内の住宅に暮らす兵士とその家族たちである。中央はダンスのために広く空けてあり、壁際に沿ってテーブルと椅子が置かれていた。隅にバーコーナーがあり、様々な飲み物が提供されていた。立花かおりは、父が率いるバンド「ダンシング・キャッツ」がクリスマス・ナンバーばかり繰り返しているのをステージの袖から見ていた。もうすぐ、自分の出番だった。

父はバンドを組んで進駐軍キャンプを巡り始めた頃から、「チャーリー・立花」と名乗っていた。父は終戦の翌年から、バンド仲間たちと進駐軍キャンプをまわり始めた。戦前にジャズマンだった父が徴兵され、母親は昭和二十年三月の下町空襲で死亡した。五歳だったかおりは隣家の主人に助けられ、そのまま育てられていた。終戦の翌年、フィリピンから奇跡的に復員してきた父は、かおりを引き取り男手ひとつで育てた。

そして、十二歳になった今年から、かおりは歌手として父と一緒に米軍キャンプをまわり始めた。愛称は「ルーシー」。今年一月に「テネシーワルツ」でレコードデビューした「江利チエミ」が進駐軍キャンプで歌い始めたのも十二歳の時だったという。「エリー」の愛称で人気が出て、それを芸名にした。「テネシーワルツ」は大ヒットし、江利チエミは立て続けにレコードを出している。つい先日も「サイレント・ナイト」と「ジングル・ベル」をカップリングしたレコードを出したばかりだ。

私もいつかレコードを出せるだろうか、とかおりは思う。小学校を卒業した今年の春から、米軍キャンプを中心にステージに立ってきた。「テネシーワルツ」でも「センチメンタル・ジャーニー」でも、かおりが歌うと兵士たちは立ち上がって「ブラボー」と言ってくれる。それは、大きな自信になっていた。

ウッドベースを弾く父が、ステージ脇のかおりを見てうなずいた。出番だ。バンドが「聖者が街にやってきた」のイントロを始める。父が「ルーシー・タチバナ~」と語尾を長く延ばして紹介する。ステージ衣装の裾をひらめかしてかおりは出ていく。大きな拍手が起こった。体全体でスイングしながら、かおりは歌い始めた。

爆発音は、その時に起こった。地響きと共に、ドーンという音が聞こえたのだ。体育館の窓ガラスがビリビリと震える。体育館にいた全員が、一瞬、動きを止めた。不安そうにキョロキョロと首を振る。ステージの上から見ると、その動作が妙におかしかった。すぐに誰かの叫び声がして、誰も彼もが喚き始めた。体育館に声がこもり、すごい騒音になる。将校らしいアメリカ人が何人か走り出ていく。

かおりたちはステージの隅で、ひとかたまりになっていた。父が「何事だ?」と口にしたが、誰も答えられない。かおりは、父の腕にしがみついていた。爆発音は幼い頃に経験した空襲の記憶を呼び覚ましたのだ。爆弾が落ちてくる音、爆発し燃え広がる焼夷弾の音、鼻を突く匂いと耐えられないほどの熱さ。紅蓮の炎にあぶられ、真っ赤になった世界。火の粉が降り注ぎ、チリチリと自分の髪の毛が焼ける。

父は片手でベースを支え、片手でかおりを抱きしめた。「大丈夫だ」と耳元で囁く。その時、騒然としたままの体育館に司令官らしき軍人が入ってきた。マッカーサー元帥のようにラフな態度だったが、どことなく威厳を感じさせるものがある。その軍人はステージに上がり、先ほどまでかおりが歌っていたマイクの前に立ち、「ビー・クァイエット」と一喝した。それでもおさまらない。騒然としたままだった。
 
司令官はバンドに向かって何か言った。父がうなずいて、バンドマンたちに指示を出す。トランペットのジェームス・鈴木が「星条旗よ永遠なれ」のフレーズを高々と吹き始めた。ドラムスとベースがリズムを刻み、ピアノがコードを弾く。トランペットの音が響くと、人々は口を閉じ立ち上がった。片手を胸に置く人々がいた。敬礼をする兵士たちもいる。全員が直立し静粛になると、司令官は再びマイクの前に立った。

「基地内で破壊工作があった。滑走路の一部が爆破され、爆撃機一機が破壊された。幸い弾薬庫からは遠く、おそらくこれ以上の被害は出ないだろう。今、調査中だが、人的被害はないと思われる。ただし、他に爆薬が仕掛けられていないか、調べさせている。爆発物処理班が出動した。一応の調査が終了するまで、ここを出ないように。安全が確認されたら、改めて報告する。以上だ」
 
英語に堪能なジェームス・鈴木が、後でかおりに教えてくれた司令官の言葉はそのような内容だった。時限爆弾だったのだろうか。誰が仕掛けたのだろうか。でも、簡単には基地内には入れないはずだ。ただし、クリスマス・パーティのために、今夜は何組かのバンドが入っていた。ダンシング・キャッツ以外にもジャズのビッグ・バンドと踊り子チームが同じトラックに乗って基地に入った。米軍とコネクションのあるプロモーターの手配だ。
 
バンドメンバーは疑われていないのか、MPによる取り調べは意外とあっさり終わった。かおりも「何か変わったことはなかったか」と日系二世の通訳を通じて訊かれたが、その時には何も思い出さなかった。父たちもひと通りの取り調べで終わったし、ビッグ・バンドの連中も踊り子たちも簡単な質問を受けただけだったと、幌を張った帰りのトラックの荷台で話していた。
 
しかし、そのトラックの荷台にいる人数が、きた時よりひとり少ないのにかおりは気付いた。ビッグ・バンドのメンバーは十五人だった。しかし、今、彼らは十四人しかいない。基地の入り口の検問所でトラックはチェックを受けたが、「バンドマンと踊り子」と申請するだけで通過できた。人数までは確認していない。
 
楽屋に入り、わいわいと賑やかに準備が始まり、衝立の裏で踊り子たちと一緒にステージ衣装に着替えていたかおりは、衝立から顔を出した時、ビッグ・バンドのメンバーらしきひとりが楽器ケースを抱えて楽屋から出ていくのを見た。サックスのケースだったのは覚えている。その人はドアの前に立ち、準備をしている仲間たちを振り向いてから出ていった。
 
でも、あの人は本当にメンバーだったのだろうか。あの楽器ケースには、何が入っていたのだろう。目の前で踊り子たちを相手に賑やかに喋っているビッグ・バンドのメンバーたちを見ながら、かおりは〈この人たちは、乗ってきた時よりひとり減っているのに気付いていないのだろうか〉と考えていた。

 

 

2024年8月17日 (土)

■「スターリンの暗殺者」について

 

「ふきこぼれるように何かを書きたい」と、二十代の中上健次は思った。まだ何者でもなかった中上は羽田でのきつい仕事を終え、アルバート・アイラーのサックスが咆哮するジャズ喫茶の隅のテーブルで、ノートに細かな字でカリカリとボールペンを走らせていた。

そんな時期が僕にもあった。しかし、いつの間にか消え去ってしまった。若くして結婚したから日々を生きるのに大変だったのは間違いないけれど、それが原因ではなかったと思う。たぶん、きちんと大人になるべき時期を迎えたのだろう。編集者としての仕事、労働組合運動、三十代はほとんどそれで時間を費やしたし、子供も立て続けに生まれた。四十代になると責任も大きくなった。

しかし、それでも細々と個人的な文章は書いていた。定期的に原稿を書くようになったのは、四十半ばからだったろうか。先輩の編集者が会社を辞めてネットの世界に入り、ネットマガジンやメールマガジンを始め、原稿依頼を受けた。書いているうちに映画コラムが人気を得て、毎週、書くことになった。

その結果、五十半ばで分厚い二冊の本として出版でき、日本冒険小説協会の特別賞ももらって人気作家の大沢在昌さんと対談することになり、そのとき「ソゴーさんは、小説は書かないの」と訊かれ、改めて書いてみようかと思い、大沢さんが選考委員だった乱歩賞を目標にした。

若い頃は純文学志望で「文学界新人賞」に応募して二次選考通過までの実績はあったが、初めて乱歩賞応募を決めると五百枚を越える長編ミステリが三カ月で書けてしまった。五十過ぎまでの読書と経験、それに仕事を含めた原稿書きの日々が無駄ではなかったのだろう。

初めての長編ミステリは、三次選考の二十数編に残った。翌年、二作目を応募すると再び三次選考の二十編ほどに残った。翌年も一編を仕上げ、四回目の応募作が最終選考の四編に選ばれた。そのときの受賞者である佐藤究さんは数年後に直木賞を受賞したから、「まあ、俺の作品もそれなりのレベルではあったのだろう」と自分を納得させた。

分厚い映画エッセイは七冊も出したけれど、小説を書くのは趣味のような形で続けてきた。乱歩賞向け長編の初期三編は電子書籍で出し、昨年、ハードボイルド・ミステリ「赤い死が降る日」は出版することができたが、それで目標を失ったのか、以後、小説は書いていない。しかし、かつて書いたものの出版できないものがまだ何編もある。

乱歩賞最終候補になった「キャパの遺言」は政治的主張が強いと選考委員たちには批判されたものの書き直すつもりはない。ただ、そのときに調べたことをベースにして、「天皇への密使」「スターリンの暗殺者」という「昭和史三部作」を仕上げた。「キャパの遺言」は日中戦争を撮影したロバート・キャパの物語、「天皇への密使」は日系二世の米軍兵士が戦時下の日本に潜入する終戦秘話、「スターリンの暗殺者」は日本独立と朝鮮戦争を扱った。

時代考証的なことに苦労したせいか、誰かに読んでもらいたいという気持ちは強く、「天皇への密使」は数年前、このブログで連載した。しかし、「スターリンの暗殺者」は公表のあてもなく、もう何年間もハードディスクの中で眠ったままだ。いろいろ資料を調べて書くのは楽しかったし、内容は日本冒険小説協会の内藤陳会長が生きていれば、きっと楽しんでくれたと思う。

「何だ、こんなもの」と思う人もいるだろうけど、自分のブログに掲載するのだから「ご勘弁、ご容赦」と言うしかない。ということで、次週から「スターリンの暗殺者」を掲載したいと思います。こんな話です。


----朝鮮戦争を長期化させろ!
スターリンの命を受けた暗殺者は独立直後の日本に潜入する。
米軍基地爆破、李承晩狙撃、そして次の標的は---。


講和条約が発効し日本が独立した昭和27年(1952年)、朝鮮戦争は一進一退を繰り返し、国連軍と北朝鮮・中共軍の間で休戦交渉が断続的に続いていた。その年の暮れ、浅草のアパートに梶と名乗る男が入居した。バンドマンと称し、米軍キャンプで演奏しているという。その頃、米軍基地での爆破工作が連続して起きていた。

日本が独立し、かつての特高警察官や憲兵、あるいは陸軍中野学校出身者、特務機関に所属していた人間たちが復活し、新設された警視庁公安部、公安調査庁や内閣情報室などに配属された。そのひとり警視庁公安部の山村は米軍基地爆破の調査を命じられるが、大晦日、横須賀基地周辺で大規模な爆破テロが起こり、数十名の米軍兵士が死ぬ。

同じ頃、かつて満州で対ソ情報収集に従事していたF機関のリーダーだったFは、「ヴォールク」と呼ばれる暗殺者の破壊工作を阻止するため日本に潜入する。終戦直前、ソ連の対日参戦情報を得るためにソ連に潜入したF機関の五人は拿捕され、Fは仲間たちの帰国を条件に共産党政治局幹部専属の情報員としてソ連に残ったが、スターリンの「朝鮮戦争長期化方針」に反対する幹部の命令で「ヴォールク」の妨害を命じられたのだ。

かつての部下たちの協力で、Fは昭和28年早々に開かれる吉田茂と李承晩会談を狙う「ヴォールク」の動きを察知するが、李承晩への狙撃を許してしまう。さらに「ヴォールク」の次の狙いを探ったFたちは、二月末に後楽園球場で行われる「日米親善野球」でのテロを予測する。

球場には、メジャーリーグのスター選手たち、スター選手のひとりと結婚し新婚旅行として来日したハリウッドの女神、また、朝鮮戦争終結会談のために新大統領アイゼンハワーの意向を受けてやってくる新国務長官が勢ぞろいすることになっていた。

2024年8月10日 (土)

■日々の泡----「女なのに」と反応する男たち

 

「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」(2022年)の紹介文を読んだとき、「えっ、シモーヌ・ヴェイユって思想家だろ」と思った。僕が大学生の頃(70年代初め)、シモーヌ・ヴェイユの再評価が起こり彼女に関する本も何冊が出た。僕も数冊を読んだが、彼女自身の著作は読んでいない。ドイツでナチスが勃興した頃、フランスで教師をしていたシモーヌ・ヴェイユはドイツ共産党を批判する。しかし、彼女は大戦中にロンドンで若死にしたはずだ。

したがって、「シモーヌ」という映画で描かれた女性は別人である。そう思いながら見たのだが、僕は全くの不勉強で戦後のフランス政界、あるいは欧州議会の重要な政治家だったシモーヌ・ヴェイユを知らなかった。フランスでは敬愛されているらしく、先日のパリ・オリンピック開会式でも女性解放に尽力したひとりとして紹介されていた。映画は、おそらく彼女の回想録をベースにしている。シモーヌ・ヴェイユが死んだのは2017年。国葬になったという。欧州議会の初めての女性議長となった人物である。

冒頭、彼女の保健相としての最も重要な実績である人工中絶を認める法案(ヴゥイユ法と言われた)を巡る激しい国会討議が描かれる。票読みが行われる。成立するかどうか、秘書たちが悲観的な読みを伝える。男の議員たちの反対意見は激烈だし、感情的だ。女性たちの立場には立たない。宗教的で抽象的だ。シモーヌは冷静に反論する。闇の堕胎がはびこり、多くの女性たちが死んでいる。医療行為として認めるべきだと。

法案は通り、シモーヌは女性解放の旗手となる。そこから、幸せな少女時代、家族と共に収容所に送られた時代(1944年に16歳で捕らわれる)、戦後に政治学院で夫と出会い子供ができた頃、弁護士になり政治と関わるようになり保険相になった頃、欧州議会の議長になった頃、引退し回想録を執筆していた頃に収容所を子供や孫と再訪するエピソードなどが時制を越えて描かれる。戦後のシモーヌの活動の原点になったナチの収容所時代が最も多く描かれるのは当然だと思う。

父親と兄とは収容所に送られる途中で別々になり、戦後も行方不明のふたりの消息を調べ続ける。姉と母親とはずっと収容所で一緒だったが、母親は死に姉とふたりで生還する。もうひとりの姉はレジスタンスに参加して生き延びていた。シモーヌは学び弁護士資格を取って政府の監察官となって劣悪な刑務所の改善に取り組む。アルジェリアでの軍の刑務所での拷問を指摘し、アルジェリア人の政治犯の扱いを改善させたことによって名前を知られ、やがて保健相にと要請される。

ヴェイユ法が成立したのは1974年。その後、欧州議会に希望を託し議長に選出されると、ヨーロッパの平和のために尽力する。その頃には、彼女を「女のくせに」と非難する人間はいない。時代も変わったのかもしれない。しかし、戦後(50年代から60年代)に彼女が頭角を現していた頃、男たちの偏見と憎しみが彼女に向けられる描写には、「あの時代の男たちならそうかもしれないな」と思いつつも、その理不尽な対応に見ていて腹が立ってきた。「女のくせに」と言う男たちの態度は醜かった。

先日、こんなことがあった。友人と飲んで駅に向かって歩いているとき、友人が「今の見たか?」と言う。「えっ、何?」と答えると、「今、すれ違った女、たばこをスパーと吹かしながら歩いてた」と呆れたように言う。僕は急に思いついたように、「そりゃあ、歩きたばこはよくないけど、相手が男だったらそんな風に言うか?」と切り返した。ちなみに友人はマナーは守っているが喫煙者である。「男だったら、そんな風には反応しないだろ」と僕は続けた。それから、こんな意味のことを口にした。

悪意はなくても、少なくとも「女なのに」という意識があるからそんな反応になるのではないか。どんな人も(もちろん僕も)深層にある様々な偏見から逃れられない。偏見をはぐくむ要素には時代や環境もある。だから、「男である俺たちは、みんなが男だと思えばいいのだ」と思う。「男だったら許せるか」と問いかけ、許せるとなれば、それは女性に対する差別的反応だということだ。男なら許せて女ならひっかかるというのは、典型的なジェンダーギャップである。本当は、もっと簡単に言ったのだが、まあ、そんなことを口にした。

実際には男と女が存在するし、人類の長い歴史があるので、そう簡単にはいかないだろうが、「みんな同じ存在」と思えれば、様々な差別も偏見も今よりはましになるのではないか。「誰かを責めたくなったときにはだな、相手も自分と同じ存在だと言い聞かせるのだ」と、まるで「グレート・ギャツビー」の冒頭のニック(語り手)の父親のアドバイスのようなフレーズが浮かんできた。

 

 

2024年8月 3日 (土)

■日々の泡----日本的ハッピーエンド

 

役所広司主演の「ファミリア」(2023年)を見終わったとき、「そうか、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』をやりたかったんだな」と思わずつぶやいた。途中までは、ラストに役所広司の大爆発(殴り込みなど)があるヤクザ映画の変形みたいな物語かなという予想が浮かんでいたのだけれど、あっさり覆され、さらに「一ヶ月後」というタイトルが入るエピローグ・シーンまであり、一種のハッピーエンドだった。

焼き物の里で何十年も陶芸をやっている男・誠治がいる。冒頭ののぼり釜が火を噴き出すシーンが印象的だ。そこへ海外で仕事をしている息子・学(吉沢亮)が新妻ナディアを伴って帰郷する。海外プラントに従事する息子は、食堂で働いていた現地の娘を見初めて妻にしたのだ。彼女はアフリカ出身で、紛争のために家族を亡くし、難民キャンプで英語を身につけ日本企業の社員のための食堂で働いていた。

学は叔父夫婦から誠治が荒れていた昔のことを聞く。「妹と出合って人が変わった。それから陶芸に夢中になったんだ」と言う。ここで、誠治が荒事に慣れていることが伏線として伝えられる。彼らの工房の近くの団地がブラジル人たちのコミュニティになっていて、町には多くのブラジル人たちがいる。そう言えば「孤独のグルメ」でブラジル人が多く暮らす町に出かけたゴローがブラジル・レストランに入るエピソードがあったなあ、と思い出す。「マイスモールランド」(2022年)では、埼玉県川口市に多く暮らすクルド人たちが描かれていたことも----。

ブラジル人の若者たちを目の敵にする半グレたちがいる。町の歓楽街を牛耳る男の息子がリーダーである。彼の妻子が幼稚園のバスを待っているときに、夜通しパーティを終えて酔っぱらったブラジル人たちが乗った車が突っ込み、ふたりとも死んだという話が誠治の幼なじみの刑事(佐藤浩市)によって語られる。ブラジル人の若者は半グレたちに追われて誠治の工房に逃げ込み助けられる。若者の幼なじみの少女がお礼にやってくる。彼らと誠治たちの交流が始まる。

半グレたちの追及は残虐を極める。ひとりは拉致されて海外に売られる。おそらく臓器売買だろう。ひとりは泥酔させられ、川で溺死させられる。誠治の釜を手伝うブラジル青年と恋人の少女も狙われ、少女は「ソープに沈める」と脅される。そんな頃、海外に戻った学のプラントがテロリストたちに占拠され、誠治は息子と嫁の死を知らされる。誠治と幼なじみの刑事の会話で、彼らが養護施設出身だとわかる。彼らにとって「家族」は特別な意味を持っている、という伏線。

ブラジル人の恋人たちは、心中を決意するまで追いつめられる。それを察した誠治は何かを決意する。ここまでくると、昔、鳴らした荒くれ者が息子夫婦を亡くし、唯一守るものとして残った自分を慕ってくれるブラジル人の恋人たちを守るために、反グレたちに殴り込みをかける展開になるのではないかと予想するじゃありませんか。事実、誠治は反グレのサブ・リーダー格の男を襲い指を折って問い詰め、ブラジル人の若者に酒を飲ませて溺れさせたことを吐かせる。

「グラン・トリノ」(2008年)ではフォードの工場で勤め上げ、妻を亡くしリタイアしているイーストウッドが、いつの間にか自宅の周囲にアジア人たちが増えたことを嘆くシーンがある。隣に越してきたモン族一家を「米喰い人種」などと言う。その一家の息子は同じモン族のギャングたちに脅され、イーストウッドが大切に保管している車「グラン・トリノ」を盗もうとして失敗し、姉が弟を連れて詫びにくる。イーストウッドとモン族の姉弟の交流が始まる。

モン族の姉弟がモン族のギャングたちに脅されていることを知ったイーストウッドは、彼らのネグラを訪れひとりを押さえつけて「彼らに手を出すな」と脅す(まるでダーティ・ハリーである)が、その報復として姉が襲われ暴行される。自分のやり方が通用しない若いギャングたちにどう対応すればいいのか、自分の軽率な脅しがかえって事態を悪化させたことを知ったイーストウッドは、自分の価値観を変えざるを得ない。やがて、衝撃的なラストシーンがやってくる。

「グラン・トリノ」は、公開時、そのショッキングなラストを売り物にした。「衝撃のラストは誰にも話さないでください」的な広告である。ただ、後半になって予測はつく。イーストウッドが得意にしてきた悪党に対するコワモテが通用しないことは、現実の世界で生きている人間には当然のことなのだ。現実は、いろいろと理不尽で、ときに残虐でさえある。だから、日本的ハッピーエンドにせざるを得なかった「ファミリア」の終わり方も理解はできる。

 

2024年7月27日 (土)

■日々の泡----昔愛読した作家たち

 

若い人が書いた小説が読めない。というか、自分より年下の作家の作品が読めない。十数年前までは話題になった作品に手を出すこともあったが、最近はもう「どうでもいいや」という気分である。新書や専門書などはそうでもなく、若い学者や研究者の本は積極的に読んでいる。ただし、映画評論などは若い筆者のものは読めない。年上の著者には敬意を表しているので、今も精力的に本を出す蓮見重彦さんの本はきちんと読んでいる。

これは信頼感の問題だろうか。蓮見さん、山根貞夫さん、佐藤忠男さん、川本三郎さんなどの著作は愛読した。若い頃、双葉十三郎さんにお世話になったが、実はあまり読んでいない。淀川長治さんにも会ったことはあるのだけど、著作はまったく読んでいない。映画関係の本はかなり持っていたのだが、今年、すべて処分してしまった。高松に持ってきていた本もすべて古書店に引き取ってもらった。

しかし、手元に本がなければ生きていけない人間なので、高松の実家にいる間は定期的に図書館に通っている。市立図書館が母の入院している病院の近くなので週に一回、母の面会(といっても15分間、寝顔を見ているだけだが)の後に図書館に寄っている。この間までは哲学関係の新書と歴史の本、海外ミステリ、海外の古典作品など五、六冊を借りていたけれど、先日、昔愛読した作家の作品を読み返そうと思って丸谷才一、山口瞳、吉行淳之介の著作を借りてきた。

吉行淳之介は全集の第一巻(処女作「薔薇販売人」からの初期短編が収められている)、山口瞳は絶筆になったエッセイ「江分利満氏の優雅なサヨナラ」、丸谷才一は「エッセイ傑作選」の一と二である。それに早川ポケットミステリの最新刊を借りてきた。若い女性作家である。海外作家については若いことは気にならないらしい。新潮社のクレストブックスはよく読んでいて、先日も若いイタリア人作家の「帰れない山」を読んだ。

「帰れない山」は映画版(2022年)も見ていて、作家を志す主人公の一人称の語りが気に入った。昔は、説明のためにナレーションを多用する映画に対しては「映像で見せればいいじゃないか」と思っていたけれど、最近は一人称の語りが入るのが妙に気に入っている。NHKテレビ小説みたいに誰でもわかるように説明的なナレーション(「××子は悲しく思うのであった」みたいな)だと腹立たしいが、囁くような呟くような一人称ナレーション(山田太一と倉本聰がテレビドラマで始めたといってもいい)は効果的だと思う。

話が逸れてしまったけれど、借りてきた本の著者紹介を改めて読んでいたら、吉行淳之介が大正13年(1924年)生まれ、丸谷才一が大正14年(1925年)、山口瞳が大正15年(1926年)に生まれていた。僕の父母が大正14年の丑年、義理の父母が大正15年の寅年の生まれだった。昔、読んでいた頃にはまったく気にしていなかったが父母と同じ世代だったのだ。両親には反発したが、同世代の作家からは大きな影響を受けたのだなと今更のように思った。

ところが、没年を見ると、丸谷才一だけが88歳の2013年まで生きているけれど、吉行淳之介は1994年に70歳で、山口瞳は1995年に69歳で亡くなっている。つまり、僕はすでに山口瞳と吉行淳之介の死んだ歳を過ぎているのだ。これは少なからずショックである。50歳になる前に自死した大学時代の友人は、その数年前に深夜に電話をしてきて「俺は、もう漱石の死んだ歳を追い越してしまった」と嘆いたが、その気持ちがわかった気がした。

吉行淳之介全集の全巻の内容を見ると、僕は八割ほどを読んでいた。丸谷才一の長編はすべて、短編も八割近く読んでいるはずだ。山口瞳の小説は「血族」しか読んでいないけれど、エッセイについてはほとんど読んでいる。三人の本を初めて読んだのは、高校生のときだった。僕は三人とも老成し完成された作家として受け取った。彼らの文章の意味するものを、僕は素直に吸収した。しかし、今、改めて読んでいると、批判的な感想が浮かんでくることがある。これは、僕が老いたということか。

 

2024年7月20日 (土)

■日々の泡----アメリカ大統領は命がけ?

 

トランプ狙撃事件の映像を見ていて、突然、スティーヴン・キングの「デッド・ゾーン」を思い出した。トランプが命惜しさに醜態を晒し支持者たちの支持を失うことを期待したが、残念ながらシークレット・サービスに囲まれながら血が流れるのもかまわず拳を振り上げる写真が流れ、ますます支持者の熱狂を掻き立てる結果になった。何しろ、トランプの背景では真っ青な空に星条旗が翻っているのだ。この写真だけで当選しそうである。

アメリカの大統領選挙は、どうかと思うことがけっこうある。人気投票みたいなイベントだからトランプのような危険なカリスマが登場することは予想できたし、どんな奴が当選するかわからないのに大統領の権限が大きすぎると思う。大統領制は独裁制に移行しやすい制度だ。プーチンを見ればわかる。人々はイメージで大統領を選びがちだし、狙撃事件でトランプは「狙撃されても負けない強い大統領」というイメージを確立した。共和党支持者の大好きな星条旗も青空にはためいている。

「デッドゾーン」(1983年)は、デヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化された。その人の体に触れると未来が見える能力を持ってしまった青年(クリストファー・ウォーケン)は、ある日、キャンペーン中の若き政治家と握手をし、瞬間的にその政治家が大統領になった未来を見てしまう。核のボタンを押せるアメリカ大統領は、世界を破滅させる力を持っている。彼が大統領になると世界は破滅することを青年は知ってしまう。

カリスマ性を発揮した政治家(マーティン・シーン)は、どんどん人気を得て大統領候補になる。彼の演説に民衆は熱狂し、酔ったようになる。まるでトランプだ。青年は彼を暗殺することを決意する。そして、演説会場。青年は狙撃の準備をして待機する。だが、青年は失敗し射殺されてしまう。ところが死ぬ瞬間、彼は自分の行動が未来を変えたことを知る。とても切ない映画だった。こめかみを撃ち抜いて死んでいく「ディア・ハンター」(1978年)のニックと同じく、クリストファー・ウォーケンの青く澄み通った瞳が印象に残る。

実録にしろフィクションにしろ、大統領暗殺を扱ったハリウッド映画は多い。実際に暗殺された大統領、あるいは暗殺されかかった大統領がけっこういるからだろうか。任期中に暗殺されたのは、16代のリンカーン、20代ジェームズ・ガーフィールド、25代ウィリアム・マッキンリー、そして35代のJFKだ。退任後に再出馬した26代セオドア・ルーズベルトも胸を撃ち抜かれたが一命を取り留めた。今回のトランプと似ている。僕はケネディ暗殺のニュースも、40代レーガン暗殺未遂のニュースも同時代として見ている。

人気のあるジョン・F・ケネディ暗殺を題材にしたものは、「ダラスの熱い日」(1973年)をはじめとして数多くあるし、それ以前の冷戦時代に製作されたものとしては「影なき狙撃者」(1962年)がある。「影なき狙撃者」はケネディ暗殺を予言していたような作品と言われた。「ダラスの熱い日」はケネディのリベラルな政策を阻止しようとした右派と軍の陰謀説を初めて映画にした。脚本を書いたのは赤狩りの犠牲者「ハリウッド・テン」のひとりだったドルトン・トランボだ。

ちょっと変わり種としては、リンカーン大統領暗殺で始まるジョン・フォード監督の「虎鮫島脱獄」(1936年)である。暗殺者ジョン・ブースは怪我をして逃亡中に医師マッドの手当を受けるが、それによってマッドは共謀者として捕らわれ、脱獄不可能な虎鮫島の監獄に送られる。名匠ジョン・フォードの演出と映像感覚はさすがに冴えている。90年近く以前の映画だが、今見てもハラハラドキドキでローキー調の映像も魅惑的である。

 

2024年7月13日 (土)

■日々の泡----セックスの上手下手について

 

30年以上前に読んだ自動車評論家の徳大寺有恒さんが書いた「運転術」という本の冒頭を未だに憶えている。40歳を過ぎて免許を取得した僕は、運転がうまくなりたかったのだ。あの本のおかげで運転については様々な知識を得て、それなりにうまくはなったけれど、冒頭の部分に「男はセックスと運転が下手と言われることに最も傷つく」と書かれていたことに、何となく反撥しながら納得した記憶がある。

その何年か前、柴門ふみさんのマンガを愛読していた。「東京ラブストーリー」が評判になるずっと以前のことである。女たちの飾らない本音、あるいは生態が赤裸々に描かれていたからだ。その作品群の中でも「女ともだち」シリーズは特にスゴくて、今でも忘れられないエピソードがいくつかある。その中の一話は、ラストシーンのコマさえ憶えている。

妹の視点で、子供もいる姉夫婦の実態が語られる。ある日、夫が妻に離婚を切り出す。理由は愛人がいるからだという。しかし、妻は応じない。夫が「別に好きな女がいるんだ」と繰り返すと、妻は「信じない」と答え、さらに「だって、あなた、セックス下手なんだもの」と畳みかける。最後のコマは夫の唖然とした顔だった。それを読んだ若き日の僕は「ミもフタもないな」と思ったものだ。

(単にモテなかっただけなので)負け惜しみになるが、僕はセックスに重点を置かないで生きてきた人間である。基本的精神の形成期に日本浪漫派的美意識に影響を受けたものだから、「女性とは寝ないことをもって尊しとする」生き方になってしまったのだ。これはもう時効なので書いちゃうけれど、30年以上昔、仕事の関係で知り合った女性と食事をすることになり話が弾んだ。店を出たのは10時過ぎだった。

その人と並んで駅にいき路線図を見上げて、「××さん、新宿方面ですよね」と確認すると、彼女は僕の腕をとって少しうつむき加減になり「忘れました」と答えた。一瞬、僕はどう答えればよいか戸惑ってしまい、困ったなあという感じで沈黙した。たぶん、そんなに長い沈黙ではなかったと思うけれど、僕が返事しないので彼女は僕の腕を振り払い「帰ります」と言って改札口に消えていった。

そんなヤボな人間なので、セックスが上手とか下手とかいう話題は苦手である。数年前に見た城定秀夫監督の「愛なのに」(2021年)はとてもおもしろかったし、高校生役の河合優実(現在、注目の女優として売り出し中です)がとてもよかったのだが、「ミもフタもないな」と思ってコラムには取り上げなかった。先日、配信でもう一度見て、やっぱりおもしろかったので少し書いておきたい。

古本屋を営む三十男の多田(瀬戸康史)がいる。ある日、文庫を万引きした女子高生(河合優実)をつかまえると、彼女から愛を告白され「結婚してください」とまで言われる。最初は取り合わなかった多田だが、毎日、ラブレターを持って通ってくる少女に心惹かれる。多田には学生時代にバイト仲間の一花(さとうほなみ)に告白した過去があり、今も引きずっている。その一花が結婚すると聞く。

一花は恋人と暮らし結婚準備を進めているが、相手は式場のウェディング・プランナーと定期的にセックスしている。ある日、男が浮気しているのに気付いた一花は「私も浮気する」と宣言して多田を呼び出す。多田とのセックスが「ものすごく気持ちよかった」一花は、「私が今から結婚しようとしている相手は、メチャメチャにセックスが下手なんじゃないか」と気付き、もう一度多田にセックスをねだり「結婚してもときどき抱いてほしい」と言い出す。多田は断る。

同じ頃、男の方は愛人に「セックス下手ですよね」と言われる。彼女は学生時代に学資を稼ぐために風俗で働いていたとかで、経験豊富だという。「下手とかって、別に早いわけじゃないし」と男が言うと、女は返事しない。「えっ、早いの」と男があわてる。「風俗とかいって、経験積むといいですよ」とアドバイスされ、「一花さんを大事にした方がいいですよ」と「セックス下手なのに結婚してくれるんだから、ありがたいと思わなくちゃ」というニュアンスで諭される。

やれやれ、と言うしかない。上手いか下手かは、比較する対象がなければわからない。ひとりしか知らない人は「そういうものか」で一生を終えるかもしれないが、これだけ情報があふれネットで簡単にエッチな映像を見られる現在、ポルノグラフィー並みの性的技法(?)も一般化している。性的弱者あるいはセックス下手の男には辛い時代である。しかし、僕の知っている人間の中にも性的強者(ひとりは初対面のとき「僕、セックス好きです」と自己紹介した)がいるけれど、七十を過ぎ体の衰えに反して性欲だけが衰えなかったら、それはそれでけっこう辛いのではないかと思う。

世の中に絶えて性欲なかりせば
日々の心はのどけからまし

 

2024年7月 6日 (土)

■日々の泡----ふたりの現代音楽家

 

早朝に目が覚めるものだから、このところ午前五時からNHK-BSで放映している「クラシック倶楽部」をかけることが多い。先日、ヴァイオリンで聞き慣れた曲が流れてきたので画面を確認すると、「めぐりあい/武満徹」とクレジットが出ていた。「えっ、主題歌も武満だったの」と思った。酒井和歌子初主演作品「めぐりあい」(1968年)の主題歌は荒木一郎が歌っている。ずっと荒木の作詞作曲だと思っていた。

同じ頃、やはりNHKの美術番組で武満徹が出ているのを見た。亡くなったのが1996年だから、もちろん昔のアーカイブ映像を流しているのだ。その一週間ほど後の「クラシック倶楽部」で男声テノール歌手が登場してオペラの「誰も寝てはならぬ」などを歌っていたが、突然、日本語で「死んだ男の残したものは」と歌い始めたので画面を見ると「谷川俊太郎作詞・武満徹作曲」と出ていた。「えーっ、作曲は武満だったのか」と独語した。

武満徹の創る曲は、もっと前衛的な「現代音楽」だと思っていたのだ。実験的な作品というイメージがあった。だから「めぐりあい」や「死んだ男の残したものは」などのメロディーがはっきりした作品はちょっと意外だった。映画音楽もたくさん担当しているが、やはり実験的なイメージが強い。特に時代劇ではメロディーではなく、イメージを掻き立てるような効果音的な音響設計が記憶にある。小林正樹監督「切腹」(1962年)や篠田正浩監督「暗殺」(1964年)などである。

武満徹が最初に手がけた映画音楽は、フランスのヌーヴェルヴァーグに影響を与えた(フランソワ・トリュフォーが映画評論誌「カイエ・ド・シネマ」で論評した)中平康監督の「狂った果実」(1956年)である。調べてみると手がけた映画作品は100本ほどあり、特に篠田正浩監督とは「乾いた湖」(1960年)以来、ほとんどの作品で組んでいる。僕が印象的に記憶しているのは、前述の「暗殺」と「心中天網島」(1969年)だ。また、小林正樹監督ともほとんどの作品で組んでいて、時代劇「いのちぼうにふろう」(1971年)の音楽も張り詰めたものを感じさせたのを憶えている。

武満徹の映画音楽が気になっていた頃、僕はもうひとりの現代音楽家の名前をスクリーンで知った。一柳慧である。1933年生まれで武満徹より三歳下だが、同世代といってもいいだろう。亡くなったのは2022年だから、武満より26年長く生きた。今回、ネットで調べてみて驚いたのは、オノ・ヨーコと結婚していたことだ。一柳と別れた後、ジョン・レノンと結婚したらしい。映画音楽に関しては武満と違って、一柳慧は15作品ほどを手がけただけらしい。

ただ、僕が一柳慧の映画音楽(というより映画の音響設計)を記憶しているのは、ATG(アートシアター・ギルド)で製作していた頃の吉田喜重監督作品をすべて担当しているからだ。「水で書かれた物語」(1965年)「さらば夏の光」(1968年)「エロス+虐殺」(1970年)「煉獄エロイカ」(1970年)「告白的女優論」(1971年)「戒厳令」(1973年)は、すべて一柳慧の仕事である。あの観念的な吉田喜重作品を音響でバックアップしたのだ。音だけ聴いたら実験的すぎるかもしれないけれど、官能的で喚起的な映像と共に見ると実に効果的だった。

 

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