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2016年5月

2016年5月26日 (木)

■映画と夜と音楽と…728 気遣いする人々


【櫻の園/海街diary】

●十代の少女たちの揺れ動く心が深く印象に残った作品

昨年、僕が最も公開を楽しみにしていた映画は、是枝監督の「海街diary」だった。どんなドラマチックな物語であっても、日常としてそれを描く是枝監督のスタンスが僕は好きだった。今まで、親に棄てられた子供たちが生きていく物語、あるいは我が子が取り違えられたことを知った親たちの物語などを描いてきた是枝監督だが、そんな異常な状況の中でも人々は日常を生きるのだと教えてくれた。黒沢映画のように、声高に、扇情的に描くこともできるだろうが、それは是枝作品とは真逆の作品になるだろう。

そんな是枝監督が吉田秋生の「海街diary」を原作に選んだのだ。これが待ち遠しくなくて、何を待つというのか。吉田秋生は悪魔的な美少女を登場させた「吉祥天女」や「夜叉」、まるでハリウッド映画のようなアクション満載の「バナナフィッシュ」などの作品もあるが、「櫻の園」「河よりも長くゆるやかに」という日常を繊細に(もちろん「吉祥天女」も「バナナフィッシュ」も繊細さでは同じだが)描いた名作もある。「海街diary」は、彼女の作品群の中では後者に含まれるものだ。四人姉妹の日常を繊細に描き出している。

最近のマンガはほとんど読んでいないが、少女マンガと言われるジャンルにも好きな作品は多い。最初に好きになったのは、樹村みのりだった。その後、萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子の御三家も読んだし、「ヴェルサイユのバラ」も読破した。「日出処の天子」を始めとして山岸凉子作品もかなり読んだし、「ガラスの仮面」には完全にはまってしまった。吉田秋生作品は、樹村みのり作品に通じる繊細さを感じて読み始めたことを憶えている。ある新人文学賞をとった作品が、「河よりも長くゆるやかに」の影響を指摘されたのは、その頃だった。マンガが純文学に影響を与えるようになったのだ。

さて、「海街diary」は僕の過大な期待にもかかわらず、期待以上の作品だった。特にドラマチックなことは起こらない。ちょっと複雑な家族関係がベースにあって、それが様々な人間関係を引き起こしドラマを構成するが、それぞれの人物が内省的で(外見はがさつそうに見える人物でも)、相手を傷つけたのではないかと気遣いながら生きている。今の自分の言葉や態度が相手にどう受け取られたのか、それを常に意識しながら生きている人々が登場する。

以前、樹村みのり作品について書いたときにも、僕は同じことを指摘した。ずいぶん昔に書いたので、自分でも読み返してみたくなり、「映画がなければ生きていけない」の第一巻を開いてみた。「たとえ40-0でも諦めるな!」と題したそのコラムには、珍しく映画の話が出てこない。樹村みのりの「40-0」という短編マンガについてだけ書いており、いかに僕が樹村作品を好きかと言い続けている。その中で、僕はこんなことを書いていた。

----樹村みのりのマンガの主人公たちは、みんな繊細で傷つきやすく、人の心の動きに敏感で心優しい。彼らは一時の感情で放ってしまった自らの言葉にさえ傷つくのである。

----樹村みのりの主人公たちは、男も女も少年も少女もガラスの心を持ち、他人への優しさに充ちているのに、己の優しさによって傷ついたり、他人の心遣いの奥の気持ちを読みとって傷ついたりする。

----樹村みのりさんは、おそらく「相手が今、自分の言葉に対してどう思っただろう」と相手の気持ちを読み取りながら会話をするタイプの人なのではないだろうか。また、相手の一言一言に本当の意味を読み取ろうとする。そうでなければ、あんな主人公たちを創り出すことはできないはずだ。

「海街diary」を見ながら僕が感じていたことは、僕が十五年前に書いた文章の中にすでにあったのだ。昔、「櫻の園」(1990年)を見て思ったのも、同じことだったのかもしれない。十代の少女たちの揺れ動く心が深く印象に残った作品だった。奇跡的な作品と言ってもいい。「海街diary」の四姉妹も、「櫻の園」の少女たちのように、揺れ動く心をときには持て余しながら、日常を生きていた。

●足の裏のアップから始めた理由は何だろう

映画をどのように始めるかは、作家の重要な意図によるものである。「海街diary」は次女ヨシノ(長澤まさみ)の足の裏および足首のアップから始まる。もちろん素足だ。キャメラは美しい脚(長澤まさみは美脚で評判だ)をなめるように描き、彼女が男と寝ている様子を映し出す。スマートフォンが振動し、ヨシノが手を伸ばし画面を見る。ゆっくりと起き出し身支度をする。男が目覚め、枕元の数枚の一万円札をつかみ「バイト代入ったら」と言うと、「いつでもいいよ」とヨシノがキスする。ラブラブなのだ。

鎌倉の海を見ながら朝帰りをしたヨシノに、三女のチカ(夏帆)が長女のサチ(綾瀬はるか)の様子を小声で教える。そこへ不機嫌な顔で小言を言いながらサチが登場する。昔、家を出た父親が亡くなり、ヨシノとチカで山形での葬儀に出ろと言う。父親は女を作って家を出たが、その女性と死別し、別の女性と暮らしていた。「私たちの妹がいるみたい」とサチが言う。ここまでで、彼女たちの性格が描き分けられ、人間関係を理解させてしまう。しっかり者の長女、奔放な次女、末っ子で自由に生きている三女、そんなことが自然とわかる。見事な演出だ。

ヨシノとチカが田舎の駅に着くと、中学生らしいセーラー服の少女スズ(広瀬すず)が迎えにきている。案内された温泉宿で父親は働いていたという。葬儀に出ると、スズは幼い弟(義母の連れ子)の面倒を見ながら、中学生とは思えないほどかいがいしく働く。義母は泣いているだけだ。そこへ、看護師のサチが夜勤明けで友人に車で送ってもらったと言って姿を現す。喪主の挨拶を誰がするかという話になり、喪主の義母は泣いてばかりで「できない」と言い出し、親戚の男が「スズちゃんにやってもらおう」と言う。サチは「それはいけません。これは大人の仕事です」と口を出す。

そういったひとつひとつのエピソードが、姉妹たちのキャラクターを伝えてくる。スズが「しっかりした少女」だと誰にも思われていること、サチが責任感の強い真面目な性格であること、奔放で言いたいことを言うヨシノは優しさをぶっきらぼうな態度で示すこと、天然キャラのようなチカは見かけと違って優しい心遣いができること、などが伝わるのだ。そして、複雑な環境で育ってきたスズが自分の心を隠し、大人たちの様子を見て気遣いをしながら生きてきたこともうかがえる。

葬儀を終えて鎌倉に帰ろうとしていた三姉妹は、父の机にあったという写真を持って追ってきたスズに「この街で一番気に入っている場所」に連れていってもらい、スズが「お父さんとよくきた」という見晴らしのよい高台が鎌倉の風景によく似ていることに気づく。そして、駅での別れ際、サチは突然、スズに「鎌倉で一緒に住まない?」と誘う。ヨシノもチカもためらうことなく同意し、迷っていたスズは電車のドアが閉まる瞬間、「いきます」と口にする。ここまでが、プロローグだった。すぐにスズの引っ越しになり、海に近い鎌倉(江ノ電の極楽寺駅の近くに家がある)で暮らす四人姉妹の日常が淡々と綴られていく。それが素晴らしい。

●世代の違う四人の女優が魅力的に印象的に描かれる

世代の違う四人の女優が、それぞれに印象的だ。三十前後なのだろうか、しっかり者でキャリアを積んだ看護師である長女のサチは、見込まれて新設される終末医療の担当に誘われる。鬱病を患う妻がいるが、サチと恋愛関係にある医師(堤真一)は、「亡くなるのがわかっている患者さん相手だから、よく考えろよ」と忠告する。しかし、真面目なサチは患者と真剣に向き合おうとするようなタイプだ。コメディエンヌ的演技が好評な綾瀬はるかだが、サチのキャラクターはとても合っていた。

ヨシノは冒頭から描かれるように、またチカからからかわれるように「酒と男」で生きてきたらしい。二十代半ばで地元の地方銀行か信用金庫で働いている。言葉遣いは少し乱暴で、男っぽいところもある。サチと喧嘩ばかりしながら、一方で細やかな心遣いを見せる。脚線美が自慢の長澤まさみは美しい脚を惜しげなく見せてくれるが、役柄からか、あまりセクシーな印象ではない。さっぱりした男っぽいキャラクターとして記憶に残った。

チカは二十歳前後だろうか、地元のスポーツ洋品店の店員をしている。十五年前に家を出た父親のことはほとんど憶えておらず、スズに「今度、お父さんのこと教えてね」と屈託なく口にする。父が釣りが好きだったと聞き、釣り好きのチカは喜ぶ。恋人なのかどうかわからないが店長とは仲がよく、一緒に地元の少年サッカーチームのサポーターをやっている。そのチームは中学生までは女子も入れるので、サッカーをやっていたというスズを入会させる。末っ子だと思っていた自分に妹ができたのがうれしいのだろう。夏帆がかなり作り込んだキャラクターを嬉々として演じている。

スズは耐える子だ。まだ十代半ばなのに、様々なことに耐えてきたらしい。三人の腹違いの姉たちと暮らすことになっても、自分の母親が彼女たちの父親を奪って家庭を壊したのだと常に思っている。姉たちの優しさにふれるたびに、自分の居場所は「ここでいいのだろうか」と考えている。自分の存在が、自分の言葉が、誰かを傷つけているのではないかと気遣っている。スズは何度「傷つけたみたい」と口にするだろう。まだ十四や十五の少女なのに、相手を気遣う表情はもう大人だ。サッカーをやっているときだけ、解放されたような顔をする。

「海街diary」の中で四人の姉妹は、それぞれ「傷つけたみたいね」と頻繁に口にする。人はどんなにやさしくても、人を傷つけることがある。そんな意図はなくても、何でもない言葉が相手の胸を刺すことがある。繊細な神経の持ち主は、自分の言葉や存在が誰かを傷つけることがあるのを知っている。だから、人との関係の中で相手を傷つけまいと気遣いを見せる。そんな風に生きることは、とてもしんどいことだけど、そんな優しい人間たちが、世界を生きるに値するものにするのだ。

四人姉妹だけではない。この映画に出てくる食堂のおばさん(風吹じゅん)も、喫茶店の主人(リリー・フランキー)も、信用金庫の融資課長(加瀬亮)も、みんなそんな優しい人間たちだ。静かな口調で話し、どんな人に対しても気遣いを見せる。父と母のことを知りたいのに、姉たちを気遣って何も訊かないスズに、リリー・フランキーは「お父さんのこと訊きたくなったら、そっと訊きにおいで」と耳打ちする。何という気遣いか。

誰もが、人を傷つけたくないと思っている。人がささいなことで傷つくことを知っているからだ。そして、世界が悪意に充ちていることも知っている。だから、自分だけは善良であろう、人を貶めることや非難することはすまい、と戒めている。人の悲しみや辛さを、自分のことのように感じようと思っている。「海街diary」は、そんな人たちの物語だった。ああ、こんな人間に生まれたかったなあと、見終わってしみじみ思った。

2016年5月19日 (木)

■映画と夜と音楽と…727 乱歩賞という病


【黒とかげ/江戸川乱歩の陰獣/盲獣/殺人者はバッヂをつけていた】

●この一カ月ほど原稿が書けなかった理由とは

この一ヶ月ほど、ほとんど原稿が書けなかった。始まりは、四月六日にかかってきた電話である。「講談社の者ですが」と相手が言ったとたん、「ああ、最終候補に残ったな」と思った。二年ぶりに江戸川乱歩賞に応募していたからだ。四月初旬に三次選考会があり、そこで最終候補が五点に絞られ、候補作品として残った作者には連絡があることは知っていた。だから、割に冷静に対応できたのだ。

電話を切ってから、「最終選考に残ったぞ」と片手を振り上げて独り言を言った。八年前に初めて応募したときは、三次選考会でふるい落とされた。その翌年も三次選考会で落ちたから、最終選考には残れなかったのだ。その翌年は、二次選考の段階で落ちた。今回は、五度めのチャレンジだった。いつもは五作品が残ることが多いのだが、今回は四作品だという。そんなことも、どういう理由だったのだろうと気になった。応募作品のレベルが低かったのか、ダントツの本命作品があるのか。

最終選考は五月十六日、電話があった日から四十日も先のことだった。選考の中間経過が発表になる「小説現代五月号」の発売までにも三週間近くあった。その間、今野敏、池井戸潤、有栖川有栖、湊かなえ、辻村深月といった選考委員の方たちがじっくりと候補作を読み込むのだろう。自分の作品がどう読まれるのかは気になるが、選考委員の選評が出るのは六月末発売の「小説現代七月号」である。かなり辛辣な評を書かれる作品もあるから、覚悟しておく必要があるだろう。

四月半ばに四国の実家に戻った僕は、毎日、家事をするくらいしかできなかった。単純に、掃除、洗濯、料理をしていると気持ちが安定した。四月二十五日には「小説現代五月号」を購入した。確かに僕の名前と作品名の上に最終候補作の印である二重丸が付いていた。最終選考に残ったとの連絡の後、講談社には「自作未発表作品で二重応募はしていない」という誓約書を出したのだけれど、「もし受賞した場合は筆名に」ということにしてもらい、最終選考前に講談社が出したマスコミ向けニュースリリースでは筆名になっていた。

ネット時代になると、様々な情報がヒットする。「文学賞」のデータベース・サイトがあり、そこにはどの人が何回応募し、どのレベルまでいったかという情報が出ていた。四作品の作者の中で光月涼那さんという方は、十一年前に最終候補になり、今回は二度目の最終候補だが、その間、応募をし続けて一次選考、二次選考に残り続けてきた方だとわかった。十一年間、毎年、応募するのは凄い。ネットでも「乱歩賞をめざす」というブログをやっていたらしい。僕も五回目の応募だったが、上には上があると感心した。

「設計趣旨」という仮題で応募した方は、建築設計士が本業らしいというのも判明した。初めての応募で最終選考に残ったようだ。凄いなあと思う。さっぱりわからないのは、犬胤究という方の「QJKJQ」というタイトルの作品だった。名前もタイトルも、すでに大きな謎になっている。内容もさっぱりわからない。これぞ、究極のミステリか、と思った。結局、最終的には犬胤さんの「QJKJQ」が受賞したが、一体どんな作品なのだろうと今もって謎である。当選作は八月に単行本になる。通例だと巻末に最終選考の選評も掲載される。どちらにしても、読まねばならない。

それにしても、長い四十日だった。スペイン料理のシェフである兄貴分のカルロスが「受賞連絡待ちというヤツをうちの店でやれよ」と言うので、最終選考の日は渋谷のラ・プラーヤで待つことにしたのだが、高松で自主上映を続けている「映画の楽校」の百回記念での講演を以前から頼まれており、それが五月八日にある。そういうことでとりあえず四月半ばに四国にいき、最終選考の三日ほど前に自宅に帰ってきた。その間、中途半端な状態で何も手につかない。本も読めなかったし、映画もロクに見ることができなかった。

●野沢尚さんも最後は神頼みの心境になったのだろうか

昔、NHKで野沢尚さんを主人公にしたドラマを見たことがある。あれは、野沢さんが亡くなった後に作られたものだったろうか。たぶん、そうだろう。野沢さんの死は衝撃的だったし、売れっ子のシナリオライターであり、乱歩賞を受賞した人気作家の死でもあった。そのドラマでは、すでに人気ライターだった野沢さんが、乱歩賞の最終選考の日に近所の神社で「受賞しますように」とお祈りをするシーンがあった。

野沢さんは、四十一回から三回連続で乱歩賞の最終候補になり、三度目に「破線のマリス」で受賞した。三度目の乱歩賞の最終選考のとき、散歩の途中、神社で本気で祈る姿が印象に残っている。さすがに三度は落ちたくなかったのだろう。そのドラマは、遺族の証言を元に再現したものだったらしいので、おそらく事実なのだろうなと思ったものだった。そのドラマを見た頃は、僕自身が乱歩賞に応募することなどは考えていなかった。五百枚を超える長編ミステリを書く能力が自分にあるとは思えなかった。

もちろん若い頃から「小説を書きたい」という気持ちはあり、二十代には「文学界新人賞」に何度か応募して一次選考を通ったと喜んでいた。その頃の僕は、今の僕を見て「純文学志向から逃げた、堕落した」と言うかもしれないが、元々、エンターテイメント志向は強く、中学生のときには創元推理文庫と早川ポットミステリばかり読んでいた。おまけに、常盤新平さんが編集長をしていた「エラリー・クィーンズ・ミステリマガジン」を定期的に買っていたのだ。

大学生の頃には、ル・クレジオ(数年前、ノーベル文学賞を取りましたね)やロブ・グリエやビュトールといったヌーヴォー・ロマンの作家たちと一緒に、アリステア・マクリーン、ハモンド・イネス、デズモンド・バグリィ、ギャビン・ライアルを愛読した。もちろん、ジャック・ヒギンズも好きだった。こんな冒険小説はとても自分には書けないな、と思ったものだ。後に僕が映画の本で冒険小説協会の特別賞をもらえたのも、この辺の基礎教養(?)がコラムの端々に出てくるからだろう。

さて、今回は江戸川乱歩つながりで、乱歩原作の映画化作品を取り上げてみようかと調べてみたけれど、あまりオススメの作品がない。深作欣二監督の「黒とかげ」(1968年)とか、加藤泰監督の「江戸川乱歩の陰獣」(1977年)くらいしか思いつかない。前者は丸山明宏(現在は三輪明宏)の女賊・黒とかげと木村功の明智小五郎という配役だ。後者は、あおい輝彦と香山美子である。どちらも、乱歩独特の耽美的な世界の中で、怪しい物語が展開する。

加藤泰作品を深く深く愛する僕なのだが、「江戸川乱歩の陰獣」には少し戸惑った記憶がある。松竹で映画を撮っていた時代の作品で、「人生劇場」(1972年)「花と龍」(1973年)「宮本武蔵」(1973年)などが続き、乱歩作品の映画化に至る。「江戸川乱歩の陰獣」の後、加藤監督は劇映画としては東宝で撮った「炎のごとく」(1981年)しか残せなかった。また、僕の好きな増村保造監督が緑魔子を主演にして「盲獣」(1969年)を撮っているが、こちらもタイトルからして怪しい作品だ。

●昔のミステリ映画を見て「シンプルでいいな」と実感した

先日、「殺人者はバッヂをつけていた」(1954年)がWOWOWで放映された。キム・ノヴァクのデビュー映画だ。主演は、僕らの世代にはテレビドラマ「パパ大好き」が懐かしいフレッド・マクマレイである。よきパパを演じたフレッド・マクマレイだが、映画史的には美女に溺れて犯罪者になる役で残っている。ひとつは「深夜の告白」(1944年)であり、もう一本が「殺人者はバッヂをつけていた」である。「深夜の告白」はレイモンド・チャンドラーがシナリオを書いたことで有名だ。チャンドラーは監督のビリー・ワイルダーと喧嘩ばかりしていたという。

さて、「殺人者はバッヂをつけていた」を見ていたら、原作者としてトマス・ウォルシュの名が出た。もちろん、この映画がトマス・ウォルシュの二作目の長編「深夜の張り込み」を原作にしているのは知っていたが、タイトルロールに「トマス・ウォルシュ」と出てくると、感慨深いものがあった。僕が創元推理文庫に熱中していた頃に、愛読した作家だったからだ。もう五十数年前になる。

今ほど警察小説は盛んではなかったが、僕はウィリアム・P・マッギヴァーンやヒラリー・ウォー、ベン・ベンスン、エド・マクベインなどの警察官を主人公にしたミステリを愛読した。トマス・ウォルシュもそのひとりだった。だから、トマス・ウォルシュの文庫本は今も整理できず、本棚に並んでいる。中学生で読んだ本は強い影響を与えるものらしい。記憶も鮮明だ。当時、僕は悪徳警官という存在を想像もしなかったから、警察官が犯罪を犯すことに衝撃を受けた。

しかし、原作のタイトルはネタをばらしていないが、映画の邦題はモロにネタバレになっている。当時、観客から文句は出なかったのだろうか。懐かしくなった僕は「深夜の張り込み」の文庫を取り出してみた。初版は一九六一年。文字がやたらと小さい。カバーの袖に登場人物リストが印刷されているが、何と七人だけである。本も薄く、230ページ弱で終わっている。

昔のミステリは、これくらいの長さでよかったのだ。しかし、今、読んだら単純すぎるかもしれない。銀行強盗犯の情婦を三人の刑事が張り込み、犯人が奪った金に目がくらんだひとりの刑事が犯人を殺して金を奪おうとする物語である。それを映画は脚色し、九十分弱をハラハラさせながら見せる。まず、ふたりの男が銀行を襲うシーンがある。抵抗した警備員を射殺し、大金を奪って逃亡する。次のシーンは、映画館から出てくる美女。彼女は車に乗るが、エンジンがかからない。

キム・ノヴァクが美しく、引き込まれる。男(フレッド・マクマレイ)が登場し、車が故障していると言う。修理屋を呼ぶために、ふたりで電話のあるバーに入る。男が女を誘う。ふたりは男の部屋にいき、抱き合う。そのふたりがどういう関係で、どう物語が展開するのかと観客の興味をかきたてる。場面が変わると、警察の部屋に刑事が集まっている。フレッド・マクマレイが入ってきて、彼が刑事だとわかる。原作は、警部の部屋に刑事が集合するところから始まるから、映画の方が明らかに「つかみはオッケー」である。

嬉しいのは、刑事たちが監視するキム・ノヴァクの隣室に住む看護師役でドロシー・マローンが登場することだ。彼女は物語のキーになる人物で、大変に重要な役である。最初、刑事が覗く双眼鏡の中の映像でしか出てこないので、ドロシー・マローンとはわかりにくいが、やがて物語を展開させる役として関わってくる。やっぱり、昔のミステリはこれでよかったんだよな、と見終わって羨ましくなった。映画としてもシンプルで面白い。だが、今、こんな単純なストーリーで乱歩賞に応募したら、一次選考でハネられてしまいそうである。やれやれ、複雑な世の中になったものだ。

2016年5月11日 (水)

■映画で振り返る昭和の日本----赤線の時代/後編

ゴールデンウィークは「映画と夜と音楽と...」を休みます。以下はセミナー「映画で振り返る昭和の日本」で話をするための講義ノートです。1回が長いため、前後編にわけました。なお、内容は高松市在住の受講生を想定していることをご了承ください。

■映画で振り返る昭和の日本----赤線の時代/後編

前編は長い前振りになりましたが、戦後十数年まで「赤線」は公的に認められた娼婦たちの職場であったことを理解しておかないと、「洲崎パラダイス 赤信号」や「赤線地帯」はよくわからないと思います。昭和33年頃の日本は「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長に向かって走り始めた頃です。昭和33年の暮れには、東京タワーが完成します。一作目の「三丁目の夕日」で描かれたのが昭和33年でした。あの映画と違って、暗い裏の歴史もあるわけです。

石原裕次郎がデビューした「太陽の季節」が公開されたのが昭和31年5月です。「洲崎パラダイス 赤信号」封切りの二週間ほど前、7月12日に裕次郎の初主演映画「狂った果実」が同じ日活の映画館で公開されます。昭和32年には「勝利者」「嵐を呼ぶ男」と大ヒット作が出て、昭和33年には「錆びたナイフ」「陽のあたる坂道」が公開されます。裕次郎ブーム全盛でした。

ミゼットやスバル360が発売になって、マイカー時代が始まります。ダットサン、トヨペット、スカイラインなども発売されます。ロカビリーが流行し、ウェスタンカーニバルも始まります。当時、キャーキャーと歌手たちを追っかけていた女性たちが、今は70半ばでしょうか。そう考えれば、当時、赤線で生活していた女性たちも同じくらいです。

さて、映画を見てみましょう。タイトルバックは洲崎の店で客を引く女たちの姿を移動撮影した映像に女たちの嬌声がかぶります。モノクロですが、毒々しさを感じさせるネオン、露出した肌をこれみよがしに見せて男を誘う女たち。まあ、今も歓楽街はこんなものかもしれません。タイトルが終わると、たばこを買う女の手。女は隅田川にかかる勝鬨橋の欄干にもたれて行き暮れている男にたばこを渡す。「ねえ、これからどうするの?」と女が言い、男が途方に暮れた顔をする。

ふたりが深い仲であること、金が底をついて今夜泊まるところのあてもないこと、などが会話からわかる。女が愛想を尽かし、ひとりでバスに乗ると、「勝手にどこへでもいけ」と言っていた男が急に心細くなって追いかけてバスに乗る。女は新珠三千代、男は三橋達也です。義治という男を演じた三橋達也が優柔不断で、未練がましくて、頼りなくて、どうしょうもないのですが、なぜか共感してしまうのです。

ふたりはバスで洲崎にいきます。その時、男が「あそこへいったら、昔のおまえに逆戻りじゃないか」と口にして、女が特飲街の店にいたことがわかります。バスは永代通りを走りますが、都電が走っているのがわかります。ふたりはバスを降りて、洲崎橋にやってくる。「洲崎パラダイス」と描かれたネオン看板が目立ちます。そこから先にいけば、また昔に戻ってしまう。しかし、女、蔦枝と言いますが、彼女は橋の手前にある飲み屋に入る。金もないのにと心配する義治を尻目に、蔦枝は女将(轟夕起子)にふたりの働き口を相談する。

結局、蔦枝はその飲み屋「千草」の酌婦になり、義治は女将が見つけてくれた近くのそばやの出前持ちになる。そばやには小沢昭一の先輩の出前持ちと芦川いづみが演じる店員タマコがいます。タマコは何かと義治を気にかけ、親切にしてくれる。しかし、義治は腐れ縁の蔦枝と別れられない。

しかし、蔦枝は「千草」の常連で、特飲街にいく前にいっぱいひっかけにくる河津清三郎の金回りのよさと男らしさに気を惹かれる。河津清三郎は大型のスクーターに乗っていて、そこに店名が描かれています。彼は秋葉原に店を持つ男で、ラジオ・テレビを扱って大変に景気がいいんですね。スクーターを見た蔦枝が「高いんでしょ。一万はするんじゃない」と言い、河津が「まさか」と答えるので当時の物価がうかがえます。

ちなみに、河津清三郎の勘定がお銚子三本とつまみで250円です。この店は貸しボートもやっていて、一時間500円らしい。そばやの店内には「もり・かけ25円」と張ってあります。さぬきはうどんが安いので比較しにくいのですが、現在、東京都内のそばやで「もり・かけ」は600~800円でしょうか。20倍以上にはなっていると思います。

先ほどマイカー時代が始まったと言いましたが、その前はスクーターやオートバイが主流でした。荷を運ぶのはオート三輪。自転車に横付けというリヤカーのようなものを設置して魚などを売りに来ていました。私の父はタイル職人の親方をやっていまして、当時はオートバイのタイヤカバーの上の背鰭のようになっていた部分に「十河タイル」と描いていました。私はガソリンタンクの上にまたがって乗っていたものです。

「千草」の女将・轟夕起子には子供が二人います。この子供が出てくると、まるで自分が登場したような気がしました。下の子と私は同じくらいでしょうか。同じような格好をして、チャンバラごっこをしたり、こちら(高松)ではパッチンと言っていましたが、兄弟で畳の上でメンコをやったりする。雨が降ってきて、子供が「母ちゃん、雨だよ」と言うと、轟夕起子が雨漏りを受けるものを畳に置く。懐かしい光景です。

轟夕起子の亭主は「中の女」とできて家を出ています。もう四年になる。しかし、ある日、突然戻ってくる。それをいそいそと受け入れる女将を理解できないと、そばやのタマコが言う。彼女は清純で健気で健康的な発想をする存在で、大人の男女の結びつきがまだ理解できません。でも、義治への好意から、河津清三郎の囲い者になって去った蔦枝が、義治に未練があってそば屋に顔を出したときも親切にする。

その後、いろいろありますが、結局、ふたりはよりを戻し、再び、勝鬨橋の欄干にもたれて行き暮れます。それでも、冒頭よりは少し希望が見えていて、腐れ縁でも続いていくのかという未来を伺わせて終わります。

腐れ縁の男女を描いた日本映画の傑作に成瀬巳喜男監督の「浮雲」があります。私は黒沢作品より、小津さんの「東京物語」より、「浮雲」を日本映画のオールタイムベストワン、最高傑作と評価しているのですが、一番最初に見た十代の時は「凄いけど、こんな関係はイヤだ」と思いました。ただ、熱く焼けた火箸を押し当てられたような衝撃を受けました。人間の真実、男女の本質を教えられた気がしたものです。しかし、ずっと怖くて見られなかった。それを40を過ぎて見たら、その腐れ縁のずるずると引っ張る男女関係がすんなりと落ちたのです。男と女だから、何でもありだと理解できました。

この「洲崎パラダイス 赤信号」もくっついたり離れたり、自分はほかの男と寝ながら元の男に嫉妬したり、どちらもだらしないし、みっともない。それでも、そうだよなあ、という共感が湧きます。男は優柔不断で、生活力がなく、身勝手で、たよりなく、嫉妬深い。自己を憐れみ、拗ねて同情を引く。甘えているのに、高飛車だったりする。女は浮気性で、だらしがなくて、金遣いが荒くて、男に媚態を見せるのを何とも思っていない。まあ、マイナスばかりの男と女ですが、人生ってそんなもんだよなあ、という気がしてくる。

黒沢映画みたいに立派なメッセージはないし、小津映画のように達観した無常感みたいな悟りはない。川島監督は冒頭で紹介したように「日本軽佻派」を名乗り、軽佻浮薄を前面に出す韜晦的な人でした。立派なこと、まじめなことを正面だって言うと照れる人だったのではないかと思います。露悪的で含羞に充ちた作風、卑俗にしてハイセンスと言われました。その特徴をもっとも表しているのが、「幕末太陽傳」の居残り佐平次ことフランキー堺の名台詞ではないでしょうか。裕次郎の高杉晋作に斬られそうになって、彼はこう言います。

----百姓町人から絞り上げたお上の金で、やれ攘夷の勤王の、と騒いでいりやすむでしょうが、こちとら町人はそうはいかねぇんだ。てめぇひとりの才覚で世渡りするからにゃ、首が飛んでも動いてみせまさぁ。

ちなみに高杉など幕末の若者たちを当時の太陽族と見立てて「幕末太陽傳」というタイトルになったそうですが、その頃は石原慎太郎の芥川賞作品「太陽の季節」が社会的な話題になり、映画化されて石原裕次郎がデビューし、「太陽族」が大人たちの顰蹙を買っていました。1956年、昭和31年にはジェームス・ディーンの「理由なき反抗」が公開され、エルヴィス・プレスリーが「ハートブレイク・ホテル」で登場します。若者たちの反抗に注目が集まっていました。

戦中派の大人たちが「平和な時代が生んだ不良少年たち」を認めないのは、わかる気がします。戦争中の緊張感や一体感を懐かしむ気分も、その頃から生まれたのかもしれません。その意識が「平和が続いて日本がダメになった」なとど言い出す人間を生み出したのかもしれません。それは、平和が続いたのが原因ではないのですけれど----

2016年5月 5日 (木)

■映画で振り返る昭和の日本----赤線の時代/前編

ゴールデンウィークは「映画と夜と音楽と...」を休みます。以下は予定していたセミナー「映画で振り返る昭和の日本」のための講義ノートです。1回が長いため、前後編にわけました。なお、内容は高松市在住の受講生を想定していることをご了承ください。

■映画で振り返る昭和の日本----赤線の時代/前編

私は、川島雄三という監督が大変に好きです。日本映画のオールタイムベストテンを選ぶと、今も黒澤明監督の「七人の侍」か「生きる」、小津安二郎監督の「東京物語」に続いて、川島雄三監督の「幕末太陽傳」があがります。それに成瀬巳喜男監督の「浮雲」、溝口健二監督の「西鶴一代女」あたりが入ってきます。黒澤、小津、溝口、成瀬は巨匠という感じですが、川島雄三はあまりそんな感じがしません。

川島雄三監督は1918年、青森県の下北で生まれました。今で言う筋萎縮症だったのでしょうか、歩くのに障害があり、自分が長生きできないのを知っていたようですが、大変にダンディな人でした。明治大学を出て松竹大船撮影所に入所。吉村公三郎、清水宏、小津安二郎、木下恵介などの助監督を経て、1944年、昭和19年に織田作之助原作の「還って来た男」で監督デビューします。戦後、日活、東宝、大映と映画会社を渡り歩いて、45歳で亡くなるまでに50本の作品を撮ります。

川島監督は「日本軽佻派」を名乗り、口癖は「花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ」でした。これは井伏鱒二が中国の漢詩を訳したものの後半です。確か、「このサカヅキを受けてくれ、どうぞなみなみ注がせておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」というものだったと思います。この訳詩は井伏鱒二原作の川島監督作品「貸間あり」でも使われています。

川島監督の傑作と言えば若き石原裕次郎や小林旭が出た「幕末太陽傳」ですが、この時の助監督が今村昌平と浦山桐郎でした。日活時代の「愛のお荷物」「あした来る人」「銀座二十四帖」「風船」なんかも、私は大好きな映画です。「飢える魂」「続・飢える魂」というメロドラマも撮っているのですが、これで小林旭が端役でデビューしています。大映では若尾文子主演の「女は二度生まれる」「雁の寺」「しとやかな獣」が傑作です。その他、東宝で撮った山本周五郎原作の「青べか物語」も私は好きです。

今日は川島雄三作品の中で「幕末太陽傳」と並び称せられる「洲崎パラダイス 赤信号」を見ていこうと思います。「幕末太陽傳」の前年に作ったもので、1956年、昭和31年7月31日に公開になりました。監督自身は「自分の作品の中で一番好きなもの」と言っていますが、「幕末太陽傳」に比べあまり取り上げられないのは、特飲街、つまり赤線を扱っているからかもしれません。もっとも、「幕末太陽傳」だって品川の郭に主人公の佐平次が居残りをする話なのですが、時代劇ということで性産業の生々しさが薄まっているのかもしれません。

さて、今回は口にするのは少しはばかりますが、「赤線の時代」というタイトルで話をしたいと思います。なぜなら、「洲崎パラダイス 赤信号」が公開された時期が「売春防止法」が成立した時だったからです。「洲崎パラダイス 赤信号」公開に先立つ3月18日に大映映画「赤線地帯」が公開されました。劇中、売春宿の主人・進藤英太郎が売春防止法の成立が流れたニュースを聞いて喜ぶシーンがあります。

この作品は、結局、巨匠・溝口健二監督の遺作になりました。若尾文子、木暮実千代、京マチ子など錚々たる女優陣が出演していますが、当時の性産業の実態が生々しく描かれています。私が驚いたのは、小暮実千代が演じた通いの娼婦です。亭主と子供がいるのに、体を売るために通ってきています。それで亭主と子供を養っている。実際にそういう娼婦がいたのでしょう。また、完全に金儲けと割り切って客に金をつかわせる若尾文子の若い娼婦も印象的でした。

日本映画は、昔から男優はやくざ、女優は娼婦を演じることが多かったのです。股旅やくざから明治の侠客、戦後やくざまでアウトローが主人公の映画はヤマのようにあります。最近は少し変わってきましたが、現在、年輩の大女優たちは一度は娼婦を演じています。若尾文子はもちろん、岩下志麻などもです。吉永小百合だって「動乱」で娼婦を演じ、高倉健に「私を買ってよ」と言います。最近、僕が感心した娼婦役は、「そこのみにて光り輝く」の池脇千鶴です。ちょっと前まで清純派だと思っていましたが、よい女優になりました。キネ旬一位など、作品も高く評価されました。

「洲崎パラダイス 赤信号」の原作は、芥川賞作家・芝木好子です。また、溝口の「赤線地帯」も「洲崎の女」など同じ芝木好子の小説を元にしています。洲崎とは現在の東陽町付近で、近くには木場や夢の島がありました。映画の中でも埋め立ての土砂を運ぶトラックが出てきますが、当時から夢の島の埋め立てが進み、現在の新木場や葛西臨海公園、あるいは若洲のゴルフ場などになっています。ひと駅隣は舞浜駅で、東京ディズニーランドがあります。ディズニーランドは名前に東京とついていますが、実は千葉県になります。

芝木好子が洲崎を舞台にして小説を書いたのは、洲崎の特飲街(特殊飲酒業の街という意味でしょうか。いわゆる公認された娼婦がいる街、通称「赤線」です。赤線と呼ばれるようになったのは、警察が地図に特飲街を赤い線で囲ったからとのことです)の中にある「花菱」という店の女経営者が女学校の同級生だった縁で、取材に通うようになったからです。女性の目で、夜の女たちを冷徹に描き出しています。さらに溝口監督は容赦なく女性の醜い部分も描き出しますから、「赤線地帯」は男が見るとゾッとすることもあります。ああ、男はバカだなあと思うわけですが。

話は変わりますが、本当に男はバカだなあと思うことは多い。特に目の前にきれいな女性がいると、男の判断はだいたい狂います。ジャン・リュック・ゴダール監督は、かつて「げに悲しきは性欲なり」と叫んだそうですが、最初の恋女房アンナ・カリーナに棄てられ、二度目の奥さんアンヌ・ヴィアゼムスキーにも逃げられました。映画界の革命児ゴダールもカタナシです。しかし、基本的に彼の嘆きは正しいと思います。映画は「死」や「暴力」、「恋愛」を含んで「性」を描いてきました。それは、おそらく人間の本質的なものだからだと思います。

韓国との慰安婦問題がこじれて、慰安婦(海外はセックス・スレイブ、つまり性奴隷と表記しますが)という言葉が知られるようになりました。この慰安婦という発想は、どうも日本の権力者から抜けないようです。政府は今も隠したいようですけれど、日本がポツダム宣言を受諾して最初に心配したのが占領軍兵士たちの下半身の問題でした。つまり、日本女性の貞操を心配したわけです。占領されたら「女はレイプされ、男は殺される」という流言飛語が飛んでいた頃です。どうも、我が身の発想から日本人は抜けきれないようで、自分たちが他国を占領していた時に行ったことを振り返り、そう考えたのかもしれません。

敗戦の三日後、8月18日に内務省から全国の警察署長に「性的慰安施設、飲食施設、その他カフェー、ダンスホールなどの営業について積極的な指導を行い、営業に必要な婦女子は、芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密淫犯の者などを優先的にして、これを充足し、設備の充実を急げ」という秘密の通達が出されます。21日には、国務大臣の近衛文麿が警視総監を呼び、「可及的すみやかに慰安施設を充実させて、日本の娘たちを守ってもらいたい」と督促します。私がこの通達に腹が立つのは、そういう女性たちに対する差別意識が露骨だからです。

さらに腹立たしいのは、まだ停戦協定も結んでいない時から、まず心配したのがそんなことだった。それは実に素早く実行され、RAA(レクレーション・アンド・アミューズメント・アソシエイション)、特殊慰安施設協会は日本勧業銀行が一億円の特別融資をして、8月26日に発足します。その時の女性を募集する新聞広告が残っています。

----「新日本女性に告ぐ! 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の協力を求む。事務員募集。年齢18歳以上25歳迄。宿舎、被服、食糧など支給」

実に卑劣なごまかしです。こんなことを敗戦後の最初に行った日本政府ですから、今頃になって従軍慰安婦のことで責められても仕方がないと思います。当時、戦争未亡人や戦災で家族を失った若い女性はたくさんいました。そんな生活に窮している人たちを騙すやり方です。実際、この広告を信じて事務員だと思って応募した人は多かったのです。最盛期には、RAAは七万人の女性を擁していたそうです。

このRAAを描いた映画があります。新東宝の映画で、主演は、僕が子供の頃に昼メロの女王と言われた小畑絹子です。タイトルは「女の防波堤」というもので、進駐軍兵士の性欲を防波堤のように防いで、カタギの女性の貞操を守るという意味です。公開は昭和33年1月4日。売春防止法が施行されて八ヶ月後のことです。ただし、罰則を含んだ完全実施は、その年の4月からでした。

売春防止法は昭和31年5月に成立し、昭和32年4月1日に施行されます。ただし、一年間は転業の猶予を与えるということで、完全実施は1958年、昭和33年4月1日になりました。つまり、赤線廃止は昭和33年4月だったわけです。しかし、今では昭和33年、1958年まで日本に公娼(公認の娼婦)制度があったと知っている人は少ないと思います。

日本のおける公娼制度は、1193年、鎌倉幕府が「遊女別当」という特別な官職を設けたときに始まると言われています。これは芸能にたずさわる遊女を登録し、管理する売春統制担当役人でした。やがて江戸時代には吉原遊郭が有名になりますが、「幕末太陽傳」でも描かれたように品川にも遊郭がありました。

また、明治10年に近くに東京帝大が設立されたため、本郷にあった遊郭が移転した先が洲崎だったのです。以降、洲崎は遊郭として栄え、「吉原大名洲崎半纏」という言葉もあったそうです。吉原の客は金持ちが多かったのに対し、洲崎の客は職人が多かったのでしょう。木場が近く、いなせな職人が多くやってきたのではないでしょうか。たぶん料金も安かったのでしょう。(次回に続く)

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