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2016年6月 2日 (木)

■映画と夜と音楽と…729    溌剌と弾むように生きる


【フランシス・ハ/男性・女性】

●「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」を聴いたとき

昨年、四国の仕事場(と称している家)にいる間、テレビがなかったので、毎朝、インターネットでNHKラジオを聴きながら朝食を摂っていた。午前八時からの番組で女性アナウンサー(ハスキーな声で笑うのがとてもよい)は毎日同じだが、男のパーソナリティは交代する。ダイヤモンド・ユカイ、宮沢章夫、高橋源一郎などである。僕は、特に高橋源一郎さんの曜日を楽しみにしていた。その中に「今週の一冊」みたいなコーナーがあり、高橋さんオススメの本を読み上げてくれるのだ。

一般視聴者を相手にしていることを意識してか、小説を取り上げることはあまりなく、ちょっと変わった本を教えてくれるし、その独特の読みとり方が面白くて聞き入ったものだった。その中で、僕が全く知らずにいた素晴らしい本を教えてくれたとき、高橋源一郎という作家を僕は尊敬した。昔から僕は高橋さんの作品より、その言動および新聞の論壇時評などの独特のオピニオンを好んできたが、その本を選んだ(そして、すべて読み上げてくれた)見識と目配りに感心したのだった。

その本は「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本だった。2012年にリオデジャネイロで行われた地球環境について話し合う国際会議で、ウルグアイのムヒカ大統領が行った演説を採録したものだという。その演説を読み上げる高橋源一郎さんの声を、僕はじっと真剣に聴いた。ときどき、つかえながら高橋さんは読み切り、感想を述べる。ムヒカ大統領という人は、大統領公邸には住まず、古びた愛車を自分で運転してどこでもいくような人だと紹介する。そのスピーチは、昨年、最も印象に残った言葉だった。ひどく得した気分になった。

そのムヒカ大統領が、先日、来日した。テレビのワイドショーが「世界一貧しい大統領」として時間をとって紹介し、日本でも多くの人が彼を知ることになった。朝日新聞でも大きな記事で取り上げていた。そんな報道を見ながら、僕は「世界一貧しいという言い方は適当ではない。むしろ、不適切である。世界一質素な大統領と呼ぶべきであろう」と、テレビ番組が「世界一貧しい大統領」というたびにテレビ画面に向かってダメ出しをした。別の言い方をすれば「世界一清貧な大統領」である。中野孝次さんの「清貧の思想」を思い出した。

そんなムヒカ大統領に比べると、現在騒がれている東京都知事の話題は情けなくなるほどのみみっちさである。海外出張で豪華な部屋を利用しないと「都知事としてみっともない」とか、公用車で別荘に毎週末に通っていたとか、政治資金を私的に使用していたとか、そんなニュースを見ると日本の政治家のレベルの低さに絶望的になる。自分が住んでる家を自分の政治団体の事務所にしていて、毎月、奥さん名義の口座に家賃として四十数万円を振り込んでいたとか、判明する事実が悲しくなってくる。みっともない。日本人として恥ずかしい。穴があったら入りたい。アルゼンチンまでもぐりたい。

●どんな仕事も自信や誇りといったものをもたらせてくれるが

----モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ。

なるほどな、と思う言葉がムヒカ元大統領から次々に出てくる。僕も「足を知る」人生を送りたいと思っているが、それができているかどうかはわからない。しかし、特に何かをほしいと思っているわけではない。とりあえず食うには困らないだろうからと、六十三でリタイアし年金生活者になった。ときどき外で酒を飲むけれど、毎食、自分で料理して食事をし、散歩し、読書し、映画を見て過ごしている。原稿を書くのも趣味みたいなものだ。四国にいるときは庭で野菜作りなどやったが、今年は短期間でいったりきたりしたので、野菜作りは見送っている。

今の時代、僕の年齢で老け込むのは早すぎると言われることもあるが、やるべきことはやったと思っている。以前にも書いたように、「やりたいことをやる」というより「やりたくないことはやらない」生活をしようと思った。家族を含め生活のために金を稼がねばならず、金を稼ぐためにはやりたくないことをやらねばならない。仕事とはそういうものだし、どんな仕事も何かを我慢しなければならない。もっとも、どんな仕事も取り組む姿勢によって喜びをもたらせてくれるものだとは思う。それに、どんな仕事も続ければ、自信や誇りといったものをもたらせてくれる。

若い頃、僕は自分の仕事に自信も誇りも持てなかった。その仕事を四十年も続けることになるとは夢にも思っていなかった。他に自分の夢があったのだ。振り返れば、もっとのびのびと日々を過ごしていればよかったと思うけれど、そんなことは今だから思えるのだろう。四十年前の僕は、金もなく、自信もなく、将来への不安を抱えて日々を鬱々と生きていた。人生のとば口に立っていた二十代の僕が、何もわかっていなかったのは仕方がないと思う。その後の経験が今の僕を作っている。そのことによって、成長したのかどうかはわからない。相変わらず、自分の性格がイヤになることは多い。自己嫌悪ばかりの日々である。

ムヒカさんは長い長い独房生活を経験することで人生の真実を学んだという。六〇年代から七〇年代にかけての軍事政権下、平等な社会を夢見て都市ゲリラのメンバーとなり、武装闘争に加わった。投獄四回、脱獄二回、銃撃戦で重傷を負ったこともある。十四年近く収監され、十年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえず辛い日々だった。「独房で眠る夜、マット一枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もない中で抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、今の私はないね」と語っている。

----人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになる。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ。

若い頃、人は多くの失敗をする。後悔を重ねる。ムヒカさんも理想に燃えてゲリラ活動に身を投じたけれど、敵と殺しあうこともあったし、自らも傷を負った。独房での長い生活が彼を哲学者にしたのだろうが、それは経験と思索がなければ育たなかったものだ。だとすれば、どれだけ寄り道をし、失敗をするか、様々な経験をする機会を持つか、というのが若い時期に求められることなのだろうか。もっとも、青春時代は、中途半端で、迷ってばかりいて、自分が何をしたいのかもはっきりしない時期である。そんな中で、どれだけ溌剌と生きていたか。青春時代がはるか昔に過ぎ去った人間である僕には、溌剌と生きられなかった後悔だけが残っている。

●いきあたりばったりに生きているような青春だが----

去年、ひどく印象に残る映画を見た。モノクロームの映像が美しい作品だった。映画が始まると、いきなりふたりの若い女性が争っている。喧嘩のマネをしているのだ。カットがポンポンと飛ぶようにつながり、僕は若い頃に夢中になって見たゴダールの「男性・女性」(1965年)を連想した。同じモノクローム作品ということもあったのかもしれない。その作品の中に確か「ジャン・ピエール・レオー」という名前が出てきたので、監督も「男性・女性」を意識していたのかもしれない。ジャン・ピエール・レオーはヌーヴェル・ヴァーグを象徴する俳優で、「男性・女性」の主人公を演じた。

その作品は「フランシス・ハ」(2012年)という奇妙なタイトルを持っていた。その意味は最後に明かされるのだが、そのシャレた結末に僕はひどく感心した。最近、これほど監督の才能を実感した作品はない。映画全体を貫く軽やかさは、出そうとして出せるものではない。映画全体のテイストが絶妙なのだ。青春映画と言えば青春映画なのだろうが、ヒロインの生きる姿が生き生きと伝わってくる。ああ、こんな風に若い時代を送れたらよかったろうに、と羨ましくなった。

モダンダンサーをめざしているフランシスは、編集者である親友のソフィーと一緒に暮らしている。ある日、恋人から一緒に住もうと言われ、「私が部屋を出たらソフィーが困る」と断る。しかし、その話の流れで恋人と別れることになる。恋人より親友を優先したのだが、ソフィーの方は「恋人と暮らすことになった」とあっさり部屋を出ていってしまう。生活用品も持っていかれたので、フランシスはお湯を沸かすのさえ苦労し、「あのヤカンは私が買ったものよ」と電話でソフィーに大声を挙げたりする。

映画は何章かに分かれていて、それぞれフランシスが住むことになる場所と番地が章立てに使われる。ソフィーと別れたフランシスは、高い家賃が払えないので住むところを探す。たまたまパーティで知り合った男友達の部屋へ行くと、彼は男のルームメイトと住んでいるが、もうひと部屋があいている。彼らはふたりとも金持ちの芸術家肌で、フランシスとも気が合う。フランシスは彼らと暮らすことになる。端から見れば奇妙な三人の男女の生活だが、天真爛漫なフランシスのキャラクターが溌剌としているから、自由で自然なライフスタイルが羨ましくなる。

ある日、フランシスはダンスグループの主宰者からクリスマスの発表会での出番はないと宣言される。彼女は、フランシスのダンサーとしての資質を買っていないようだ。失意のフランシスは父母の元でクリスマスを過ごし、手持ちの資金も尽きたので母校の大学の寮に住んで、ウェイトレスの仕事を始める。その頃、ソフィーは恋人の赴任先である東京にいるのだが、母校のパーティにふたりで現れフランシスと再会する。このとき、先にソフィーを見つけたフランシスが、ソフィーに見つからないように隠れたりするのは、ウェイトレスをしている自分を見られたくないからだろう。

その後、フランシスはダンサー仲間の部屋に転がり込んで居候したり、彼女の友人がパリにアパルトマンを持っていると聞けば、いきなりパリにいってみたり、何だか衝動的に行動しているように見えるが、二十七歳という中途半端な年齢を持て余しているのかもしれない。やがて、フランシスは振り付けに自分の将来を見い出し、新しいアパートにも引っ越す。そこで、タイトルの意味が明らかになるのだけれど、それは爽やかな笑いを誘い、フランシスの未来の明るさを伝えてくる。

こんなに爽やかで、ほろ苦くて、青春時代の中途半端さと迷いを描き出す監督なのだから、きっと充実した(常に自分を失わない)青春時代を送ったのだろうなと思う。自分の言動に内省的で、自覚的に生きてきたに違いない。僕が数十年かかって学んだことを、すでに会得している。才人というのは、こんな映画を撮れる人のことなんだろう。フランシスを演じたグレタ・ガーウィグの存在なくしては成立しない作品ではあるけれど----

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