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2016年8月 4日 (木)

■映画と夜と音楽と…738 猫・猫・猫


【男と女/ヒマラヤ杉に降る雪/仁義/ロング・グッドバイ/レンタネコ】

●猫好きになったらジャコメッティの言葉が好きになった

男「彫刻家のジャコメッティは知ってる?」
女「知ってるわ」
男「彼はこう言った。『火事になったら一枚のレンブラントより猫を救う』」
女「そして『後で放してやる』----素晴らしいわ」
男「そうだね。芸術より人生だ」

ドーヴィルの海岸を散歩しながら、男と女はそんな会話をする。男はレーサー、女はスクリプター。ドーヴィルの寄宿制の学校にそれぞれ子供を預けており、ある日、面会にきて列車の時刻が過ぎてしまったとき、男は教師に頼まれて女をパリまで車に乗せる。女はスタントマンだった夫を事故で亡くし、男はレース中に瀕死の重傷を負ったとき、精神的にダメージを受けた妻が病院の屋上から飛び降りた。そんな中年の男と女の恋愛を、観客のイメージを喚起する映像で見せたのが「男と女」(1966年)だった。

映像の素晴らしさは、今見ても色褪せていない。クロード・ルルーシュは監督としてより、キャメラマンとしてのセンスが抜群だ。この映画が作り出した三百六十度回転ショットはその後、多くの模倣を生んだが、海岸を犬をつれて散歩する老人のショット、夕陽に映える海岸をその犬が狂ったように跳ねまわるショットなど、映像詩のようなイメージショットが忘れられない。そこに、フランシス・レイ作曲のあまりにも有名になったスキャットがかぶさる。それだけで、スクリーンに埋没する。

しかし、久しぶりに「男と女」を見た僕が括目したのは、冒頭に書いた男と女の会話だった。今年、一月に自宅に帰ったときに我が家にいた仔猫を見て以来、僕はどんどん猫好きになり、今まで何度も見た映画の中の猫の登場シーンを新鮮に振り返ったりするのだ。猫に関心がなかったときには、完全に見過ごしていたシーンである。ということは、登場人物の感情も見過ごしていたということだ。猫を飼っている登場人物(特に孤独に暮らす初老の人物)を、僕はより深く理解できるようになったのである。

たとえば、「ヒマラヤ杉に降る雪」(1999年)に登場する日系人に対する差別をまったく持たない老弁護士(マックス・フォン・シドー)は、かわいい猫を飼っているシーンがあるのだが、その猫に対する慈愛に充ちた表情は、この人物の心根の優しさを表していたのだなと気付いたし、僕はその猫が「アメリカン・ショートヘア」という種類だということまでわかるようになった。現在、最も人気のある猫の種類だという。今の僕は、どんな猫でもかわいいと思うが、確かにアメリカン・ショートヘアはかわいい。

また、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「仁義」(1970年)の初老の警部(ブールヴィル)は、一人暮らしで数匹の猫を飼っている。孤独な部屋へ帰った彼が最初にやることは、猫たちに餌を準備することであり、器に水を注ぎ足すことである。パリのナイトクラブのオーナー(フランソワ・ペリエ)の息子を卑劣な罠を仕掛けて逮捕し、息子の釈放を餌にオーナーに密告と裏切りを強要する冷酷非情な警察官である彼をなぜ猫好きにしたのか、改めてメルヴィル監督の意図を分析したくなった。

●朝の散歩をしているうちにいろんな猫が気になり始めた

大昔、僕が猫好きではなかった頃に読んでも面白かった長田弘さんの「猫に未来はない」と「サラダの日々」を読み返していたら、「男と女」のジャッコメッティの言葉が「猫に未来はない」の巻頭に、「火事になったら、一枚のレンブラントより一ぴきのねこを救おう。そしてその後で、そのねこを放してやろう」と引用されていた。アルベルト・ジャコメッティは、よほどの猫好きなのだろう。気持ちはわかる。

僕は仔猫の世話をするうちに、猫と暮らすことがどういう意味を持つのかを知った。一日中、自分の部屋のドアを開けておく。夜、寝ているときにモソモソと仔猫が入ってきて一巡して出ていくこともある。僕の部屋の押入で寝ていることもある。僕の部屋の本棚を登り、天井すれすれのところをゆっくり歩いていることもあった。部屋の中だけで飼っているので、網戸の前に猫座りしてじっと外を眺めている姿を見ると、何だか胸が切なくなるし、不憫に思えてくる。

猫についての体験と知識が増えるにつれ、僕は野良猫(最近は地域猫というのかな)にも感情移入し始めた。早朝の散歩をしていると、今まで気付かなかったのに、いろんな猫を見かけるようになった。そのたびに、僕は「ちゃんと食べているのだろうか」と心配になる。立ち止まり、屈み込み、猫に話しかけている。ほとんどの猫は、じっと止まって警戒しながら、僕を見つめる。僕が立ち上がったり、一歩踏み出すとサッと逃げる。そんな姿を見ると「ひどい目に遭って、警戒心が強くなったのだろうなあ」と、また不憫さが募る。

早朝の散歩コースはいろいろ変えていて、ある日、利根川沿いを歩いていたら、集団の猫に出会った。十数匹はいたと思う。よく見ると、奥の方に生まれたばかりの仔猫たちがいた。しかし、一匹の白い親猫が僕の顔を見つめて、威嚇するように口を開け牙をむいた。本当に怖くなるほどだった。子供たちを守るために、あんなに威嚇したのだろう。僕が立ち止まって仔猫たちの様子を見ようとしたので、「あっちへいけ」と必死で立ち向かってきたのだ。その母親の心情に、また泣きそうになった。ただし、翌日から散歩のコースを変更した。

新しい散歩コースには途中に親水公園があり、そこで三匹の野良猫を見つけた。茶色の猫は警戒心が強くないらしく、僕が二メートルくらいまで近づいても逃げなかった。白と黒のまだら猫は相当に警戒していて、僕の姿を遠くに見ただけで姿を消した。キジトラの猫は中間で、五メートルほどまで寄っても大丈夫だった。彼らを見て僕が心配したのは、やはり「ちゃんと食べているのだろうか」ということだった。翌日、僕は猫の餌をビニール袋に詰めて持参した。

最初は警戒していた三匹も一週間が過ぎる頃には、僕の顔を見るとニャアニャアと鳴きながら一メートルあたりまで寄ってくるようになった。僕は餌を置き、少し離れる。猫たちは警戒しながら寄ってきて、餌を食べる。そんなことを一ヶ月も続けていた。その間に、餌をやっているのが僕だけではないことを知った。ひとりは初老の男性だった。また、ふたりの中年女性は、毎日のように餌を持ってきているらしい。僕のように雨が降ったら散歩に出ないというのではなく、きちんと毎朝、餌を与えているようだった。

七月に入ると、また、四国の実家の裏で暮らすことにしていたから、僕が餌をやり始めてしまった公園の三匹の猫のことが心配だった。僕は六月だけ毎朝、餌を持ってきた気まぐれな猫爺にすぎないのだけど、とりあえず猫たちは猫好きの人々のおかげで何とかなるのだろうと安心した。しかし、早朝、人があまりいないときには、野良猫をかなり見かけたから、僕が心配しなくても彼らはたくましく生き抜いているに違いない。すべての猫の面倒を見るわけにはいかないのだ。にわか猫好きなどいなくても、きっと彼らは立派に生きていくだろう(と思いたい)。

●一人暮らしの家で一緒に暮らす猫が三カ月だけほしい

猫ブームだという。テレビでも猫が出てくる番組が増えたし、コマーシャルにやたらに猫が出てくる気がする。娘が昨秋、棄てられた仔猫を拾ってきて、我が家もにわかに猫好きになったのだが、かみさんに「うちもブームに乗り遅れていないな」と言うと、あっさり「そうね」と返された。ブームと、どこかでシンクロしてしまったらしい。ホームセンターのペットコーナーに頻繁に寄るし、かみさんと娘はいくつかの動物病院にいき、「やっぱり、あそこの先生がいいわね」などと言っている。

エリオット・グールドがフィリップ・マーロウを演じた「ロング・グッドバイ」(1973年)の冒頭、飼い猫のために深夜にマーロウがキャットフードを買いにいくエピソードがある。しかし、いつものキャットフードがなく、仕方なく別のキャットフードを買って帰り、いつものキャットフードの缶に入れ替えて猫をだまそうとする。しかし、猫は食べない。そんなエピソードを僕は何も考えずに見ていたし、「そんなあ、どんなキャットフードでも同じでしょ」などと思っていた。

しかし、猫を飼ってみてわかったのは、そのエピソードが本当だということだった。餌が変わると、猫が見向きもしないことがある。猫は、よくわかっているのだ。また、かみさんによると、最初の頃、猫のトイレ用の砂を安いものに変えたところ、そのトイレを使わなくなったので、あわてて元の高級な砂に戻したということである。環境や食べ物が変わることを嫌がる人もいる。猫も同じなのだ。そんなことがわかってくると、さらに猫に対する愛着が湧いてくる。

そんな風だったから、家族と別れて生活することには特に感慨もなかったくせに、僕は猫と別れて暮らすのが辛くなった。かみさんに「四国に連れていこうかな」と冗談めかして言ってみたが、飼い主は娘であり、あんたには権利はないと却下された。最後に、「実家のタマが待ってるでしょ」と付け足した。確かに、実家には両親が物置で飼っている猫と、兄夫婦が二階で飼っている猫がいる。実家の猫は、今では僕にもすっかりなついているし、二階の猫も人なつっこい。しかし、僕は一人暮らしの家で一緒に暮らす猫がほしいのだ。

そう言えば、「レンタネコ」(2011年)という、猫好きになった今から思えば素敵な映画があった。市川実日子が演じるヒロインはたくさんの猫を飼い、リヤカーを引いて街を歩き猫をレンタルしている。単身赴任している中年男(光石研)も猫を借りる客のひとりだった。あんな商売をしている人、いないだろうか。とぼけた味わいが忘れられない「かもめ食堂」(2005年)や「めがね」(2007年)を撮った荻上直子監督作品だった。荻上作品のテイストが僕は好きなのだが、「レンタネコ」以降、五年も新作を撮っていないみたいだ。

ちなみに、私立探偵フィリップ・マーロウは原作では猫は飼っていなかった。原作者のレイモンド・チャンドラーは猫好きで、愛猫タキを抱いている写真が残っている。それを知っていたシナリオ・ライターが「ロング・グッドバイ」で、マーロウに猫を飼わせたのだろう。ちなみに、このところチャンドラーの長編の新訳を出し続けている村上春樹さんも猫好きだ。奥さんの陽子さんも猫好きで、彼女が撮影した猫の写真がたくさん村上さんのエッセイ集には掲載されている。

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