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2016年8月25日 (木)

■映画と夜と音楽と…739 故郷の訛もいつしか消えた



【青春デンデケデデケデケ/父と暮せば/細雪/悪名/仁義なき戦い/青葉繁れる/祭りの準備】

●長い東京暮らしでディープな讃岐弁に反応できなくなった

実家の両親は今年そろって九十一なのだが、まだまだ元気で自分たちのことは自分たちでしている。なまじ手伝おうとすると、嫌がられてしまう。それはそれでありがたいことなのだが、具合が悪くなっても自分たちで始末しようとするから心配になることもある。先日、母親の足の具合が悪くなり、父が代わって食事の支度をしていた。その翌日、今度は父親が高血圧で起き上がれなくなった。そこで、僕は夕食のおかずを作りタッパーウェアふたつに詰めて届けたのだが、母親は「食べるもんは、ようけあったんや/食べるものは、たくさんあったのよ」と、あまりありがたがらない。「まあ、そのうち食べて」と言いおいて冷蔵庫にしまい、「フン、何だよ」と思いながら(?)裏の家に帰った。

毎日、午前中に一度は実家に顔を出すようにしている。実家の二階には兄夫婦が同居しているので心配はしていないが、やはり一度は様子を見ておきたいのと、新聞を読むのも目的のひとつだった。ひとり暮らしを始めてから、僕は新聞を取っていないのだ。それに、今では実家の猫の散歩につきあうのも日課になった。だから、その翌日にも僕は実家に顔を出し、両親の様子を見てから新聞を読み、猫と戯れ、帰ろうとした。そのとき、母親が「ものご、持っていにまい」と讃岐弁で言った。四十五年間の東京暮らしのせいか、僕は瞬間的に「ものご」という言葉に反応できなかった。一瞬後、「ああ、タッパーウェアのことね」と思った。「ものご」とは「入れもの」のことだ。「入れものを持って帰りなさい」と母は言ったのだ。「いぬ/帰る」「いね/帰れ」「いにまい/帰りなさい」となる。

少し前から琴平電鉄(通称コトデン)が車内や駅で「讃岐弁マナーキャンペーン」というものを展開している。「せっとるけん、こんもにして/混んでいるので(音量を)小さくしてください」とか、「おっりょんのに/降りているのに」とか、「ぐるり見てんまい/周りを見てごらんなさい」といった讃岐弁のコピーにイラストを添えて、車内マナーを教えるポスターが貼られている。僕は電車に乗るたびにしみじみと眺めるのだが、中には「こんな讃岐弁あったかな?」と思うものもある。以前にも書いたが、「青春デンデケデケデケ」は讃岐弁で会話が書かれ、その後に標準語の翻訳がついた小説で話題になった。作者の芦原すなおさんは、香川県の西部、いわゆる西讃の出身だと聞いた。

「青春デンデケデデケデケ」は文芸賞を受賞して、そのまま直木賞を獲得したと思う。団塊世代の青春物語で、ベンチャーズのエレキサウンドに雷に打たれたようにいかれてしまった主人公が、仲間を集めてバンドを結成する物語だ。僕も世代が近いのと、似たようなことを高校時代にやっていたので、共感した部分も多かった。大林宣彦監督が映画化(1992年)し、香川県でロケをした。大林監督は尾道出身なので、瀬戸内海を挟んだ四国の青春に興味があったのかもしれない。映画は異常に細かいカット割りと、やはり讃岐弁が特徴だった。母親役の根岸季衣が「しゃんしゃんしまい/さっさとやりなさい」と言ったのをよく憶えている。

しかし、原作を読んだとき、僕は「こんな讃岐弁、使わないぞ」といくつか違和感を持った。まず、最初の章のタイトルにもなっている「どんどろはん」である。「雷」のことを指すのだが、「どんどろはん」なんて聞いたことがない。それに「あんじゃるい/気持ち悪い」という言葉もよく出てくるのだが、僕は言ったことがないし聞いたこともない。僕の両親は東讃の出身だし、僕も高松市内で育ったが、高松はどちらかと言えば東讃地区になるのではなかろうか。「どんどろはん」という言葉を聞いたのは、井上ひさしの戯曲「父と暮せば」を黒木和雄監督が原田芳雄と宮沢りえで映画化(2004年)したときだった。広島弁では、雷のことを「どんどろはん」と言うらしい。

●井上ひさしは方言にこだわった作家だった

井上ひさしは、言葉にこだわった作家である。本人が東北の出身だったからだろうか、方言にこだわり様々な作品を残した。代表的なのは「吉里吉里人」だろうか。「吉里吉里語」というものを作ってしまった。「父と暮せば」も、すべて広島弁で会話が進む。井上ひさしと方言で思い出すのは、NHKで何回か放映した連続ドラマ「国語元年」である。明治維新、東京には様々な地方人が集まる。新政府の中心は、薩摩と長州だから薩摩弁と長州弁が飛び交う。そこに会津弁やら江戸弁が加わる。その当時、江戸人は薩摩弁を理解し得たのだろうか。たとえば歯切れのいい江戸弁を喋る勝海舟と薩摩弁の西郷隆盛が、江戸城明け渡しをめぐって会談したとき、現在のプーチンと安倍の会談のようにそれぞれに通訳が必要だったんじゃないだろうか。

会津藩は京都守護職を命じられ、さらに新撰組のパトロンになり、尊皇攘夷の浪士を取り締まり斬りまくったから官軍に憎まれ、戊辰戦争で徹底的に攻められ、白虎隊の悲劇なども生まれた(今も会津人は長州・薩摩を敵と思っているらしい)が、そもそも薩摩や長州の人間の言葉は理解しにくかったのではないか。会津弁も独特の訛があり、特に西の人間には通じにくかったかもしれない。「国語元年」には会津弁を喋る佐藤慶が出てきたが、彼は会津出身で普段の会話のときには会津弁の訛があったと聞いたことがある。百五十年前、ネイティブな会津弁スピーカーと生粋の薩摩弁スピーカーが初対面で会話して、コミュニケーションが成立したとは、僕には想像できない。

「メジャーな方言」というのは概念矛盾だと思う。しかし、関西弁は今や誰でも知っている言葉なのだけど、標準語からすれば方言扱いになる(?)。正確には大阪弁というべきだろうと思うが、その中には船場言葉もあれば、河内弁もある。船場言葉が聞けるのは、市川崑が監督した谷崎潤一郎の「細雪」(1983年)だ。「こいさん、たのむわ」という冒頭の言葉で、その世界に入ってしまう。河内弁が聞けるのは、勝新太郎と田宮二郎がコンビを組んだ「悪名」(1961年)シリーズである。昔、僕は今東光の原作小説を読んだのだが、主人公の朝吉はもっとバカなチンピラだった気がする。確かに河内弁で全編貫かれていて、独特の雰囲気を醸し出していた。

大阪・京都はかつて日本の中心だったので、京都弁も方言という気はしない。明治維新以降、方言で有名になったのは、南から見ていくとやはり「ごわす」の薩摩弁、「おまえくさ」の博多弁、「おえりゃせんのう」とか「ぼっけえきょうてぇ」の岡山弁、夏目漱石の「坊ちゃん」のおかげで何とか名を残す愛媛弁、夏目雅子の「なめたらあかんぜよ」の啖呵で有名な「鬼龍院花子の生涯」(1982年)のおかげで全国区になった土佐弁、近畿地方はとばして、語尾が「だぎゃあ」と聞こえる名古屋弁、関東はとばして、東北弁、中でも「津軽じょんがら節」(1973年)などの情緒にあふれた津軽弁が人気があるようだ。

振り返ってみると僕は様々な映画のおかげで、けっこう方言に詳しくなった。中でも映画が有名にしてしまった方言は、広島弁ではないだろうか。「仁義なき戦い」(1973年)シリーズで有名になった広島弁は、日本中のやくざがあんなしゃべり方をするのではないかと錯覚を起こさせる。「わしゃあよう」と語りかけ、「じゃけんのう」で終わる。あれは、第一作の舞台になった呉の言葉ではないのだろうか。だいたい「たま、とっちゃるけんのう」というのは、正式な(?)広島弁なのだろうか。しかし、「父と暮せば」の広島弁と共通している言葉も多いので、広島のネイティブ・スピーカーはあのように話しているのかもしれない。

●讃岐弁の用例を少しずつ採取し始めたのだけど----

高松で生活するようになって、少しずつ讃岐弁の採取を始めた。ノートにメモ程度に書くくらいだが、始めてみると「そうそう、昔、こう言っていたな」と懐かしい。讃岐弁は方言の中でもマイナーで有名ではないが、そこで育った人間には大切なものだ。東京あたりでは語尾に「ね・さ・よ」をつけることが多い。「あのね」「あのさ」「あのよ」という具合だ。讃岐弁では、それが「の」になる。「あんの」「ほいでの」という使用例が散見される。昔、東京からきた気取った転校生が「言葉が汚い」と作文に書いていた。確かに、語尾に「の」をつけると何だか濁った感じになる。

先日、街角で「まっついや」という言葉を耳にした。「ついや」と僕も言っていた。「同じ」という意味である。「ついや」とは「同じである」になり、「まっついや」は「まったく同じである」という意味だ。おそらく「対(つい)」からきたのではあるまいか、と僕は推理している。また「さら」という言葉がある。「新しいもの」あるいは「新品」のことである。「まっさら」とは、「まったくの新品」という意味だ。それから類推すると「まっ」が頭につく場合は「強調」なのだろう。標準語では「真っ白」という言い方があるから、この場合の「まっ」は「真」ではないのか。「真に同じである」あるいは「真に新品である」が、讃岐弁では「まっつい」「まっさら」となるのではないか。

まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか、という人は多いと思うけれど、何となくそんなことを考えているのは楽しい。今は、「こすい」とか「へらこい」、あるいは「がち」という言葉の発生について興味が湧いている。「こすい」とは「ずるい」に近いが、少しニュアンスが違う。標準語でも「こすっからい」という言葉がある。「がめつい」(これも「がめつい奴」という芝居で有名になった関西弁)という意味も少し入るのではないかと思う。「へらこい」は「欲張っている」というニュアンスに、「汚い、卑劣」という意味が加わった讃岐弁だろうか。「へらこげな奴」「こすげな奴」と香川県で言われたら、絶対に怒らなければいけない。

「がち」は、どう説明すればいいだろうか。「がちげにせんの」と子供の頃に食べ物を前にしてよく叱られたものだ。そのシチュエーションから類推すると、「餓鬼」という言葉が浮かんでくる。「腹ぺこで、待ちかねて食べ物に群がる餓鬼」のイメージである。それから推察して「がちげにせんの」を翻訳すると、「腹ぺこの子供が食べ物に群がるような浅ましい真似はしないのですよ」という意味だろうか。しかし「がち」の語感と「餓鬼」はかなり違う。「がちんこ」とか「がちで」と最近はテレビでも使われるが、あの「がち」とは違うと思う。そんなことを考えていると、謎は深まるばかりである。

「青春デンデケデケデケ」のように地方の青春を描くとき、方言は大事な要素になる。たとえば井上やすしが仙台での青春を描いた「青葉繁れる」(1974年)を岡本喜八監督はいきいきと映画にしたし、昭和三十年代に土佐中村の近くの漁村でシナリオライターを夢見る青年を描いた、中島丈博のシナリオを黒木和雄が監督した「祭りの準備」(1975年)など、方言の会話がいっそうの効果を上げた。方言が表わす地方性が、よけいに切なさを漂わせる。地方から上京して夢を叶える、というベクトルが働いていた時代が確かにあった。それは、僕が上京する頃(1970年)にも残っていた。しかし、上京して方言の訛が失われていくことが、彼ら(僕を含めて)の「ある人生」を象徴していたのではないだろうか。

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