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2016年8月18日 (木)

■映画で振り返る昭和の日本  未亡人の時代・後編



お盆時期は「映画と夜と音楽と...」を休みます。以下はセミナー「映画で振り返る昭和の日本」の講義ノートです。1回が長いため、前後編にわけました。なお、内容は高松市在住の受講生を想定していることをご了承ください。

■女性映画の巨匠----------------------------------未亡人の時代・後編

もう一本の未亡人が主人公の「鰯雲」は昭和33年9月の公開ですから、かなり現代に近い感覚があります。「おかあさん」から6年、映画はカラーのワイド版ですし、かなり時間がたった気がします。冒頭、新聞記者の「ご主人は戦争で?」という質問に、「ええ」と答える淡島千景に戦争の傷跡を感じますが、それ以降は戦争の影をほとんど感じません。世の中は未来に向かっているという雰囲気だったのでしょうか。

その年、すでに東京タワーが建設中ですし、野球では西鉄ライオンズの黄金時代でした。昭和31年から33年にかけて、日本シリーズでジャイアンツ相手に三連覇。三年連続で日本一になっています。監督は高松中学出身の三原侑です。クリーンアップは、豊田、中西、大下です。ちなみに私の小学生の同級生に中西太の甥がいました。昭和33年10月の日本シリーズで、西鉄は前半の三連敗から四連勝を果たして三連覇を達成しました。「神様、仏様、稲尾様」と言われたときです。

本田スーパーカブが発売され、フラフープが流行します。日清食品から「即席チキンラーメン」が発売になったのも、昭和33年8月25日ですから「鰯雲」公開の一週間前ですね。一食35円でした。翌年には年間6000万食が生産されました。冷蔵庫も一般家庭に入り始めたのか、この年、冷蔵庫用脱臭剤「キムコ」が発売になっています。

また、缶ビールもこの年の9月15日に初めて発売になりました。スチール缶使用の「缶入りアサヒ」です。プルトップ式の缶が出るのは昭和40年ですから、まだ七年後です。したがって、穴開けの道具が必要でしたが、アウトドアでもビールが飲めるようになり、画期的な出来事でした。350ミリリットル入り75円でした。

そういったことからわかるように、人々の生活は落ち着き経済的にも余裕が出てきます。そんな時代を背景にして作られた「鰯雲」は、東京近郊である神奈川県厚木を舞台にしています。今の厚木市は東京や横浜などに通勤する人たちのベッドタウンです。当時は農地ばかりでしたが、駅前に商店街があり、映画館や新聞社の支局があるような町でした。そうした風景も「鰯雲」に出てきます。

原作は和田傳の農民文学です。それを橋本忍が脚色しました。ヒロインは戦争で夫を亡くし、長男をひとりで育てている農婦です。口うるさい姑がいます。彼女の実家、本家は兄の中村雁治郎が継いでいます。戦前は地主でしたが、農地改革で田畑を減らされ、経済的には厳しい状態です。本家には跡継ぎの小林桂樹、次男で商業学校を出て銀行勤めの太刀川寛、その下に男が二人と女が二人という大家族です。

雁治郎は若い頃は家長の父親に逆らえず、最初の妻は働きが悪いと追い出され、二度めの妻も同じように追い出されてしまい、今は三度めの妻・清川虹子です。戦前、農家の嫁は貴重な労働力だったので、俵も担げない、苗も植えられない嫁は実家に返されることもあったらしい。

そんな父親の時代と、昭和33年当時の長男の結婚観の違いが描かれます。長男の小林桂樹が司葉子と見合いをし、結婚することになるのですが、みっともないことはできないと金もないのに見栄を張ろうとする雁治郎に対して、若い二人は友人たちを招いて会費制で披露宴を開こうとします。

ヒロインの淡島千景は女学校を出たしっかりした女性で、本家の兄の古い考え方と若い甥たちの考え方の両方が理解できます。自らトラクターを使い農地を梳き、経済的には彼女がひとりで支えているのですが、姑に仕えるつらさも知っています。そんな彼女は新聞記者・木村功が農家の実態を取材にきて知り合い、不倫関係になります。

淡島千景の女学校時代の友人で厚木駅前に料亭を出した新珠三千代は、店も繁盛しているしパトロンもいるので優雅に暮らしています。パトロンが設立した自動車教習所に通って免許を取り、まだ数少ない自家用車を乗り回しています。当時、女性ドライバーはまだ少ないのですが、数年後には「一姫、二トラ、三ダンプ」と言われる交通戦争の時代になります。

「鰯雲」は旧世代と新世代、戦前の制度やモラルと戦後の改革や新しい考え方が対立し、世代間の違いが描かれます。遺産相続、舅・姑の老人問題、結婚観、男女関係などです。分家のひとり娘・水野久美が大学へいくという話を聞いた本家の雁治郎が、分家の親に怒鳴り込むシーンがあります。「大学出の娘のところに婿にくる男はいない。おまえたちは百姓をやめるつもりか」というわけです。結局、本家のクレームで娘は大学をあきらめて洋裁学校に通います。

そんな風に今から見れば、とんでもなく封建的かもしれませんが、映画の中では民主主義や個人主義といった戦後の価値観にとまどう旧世代が存在します。今の目で見ればまだまだ戦前のモラル、「個人」ではなく「家」という考え方が強い時代だったと思えますが、現代のモラルが戦後十数年のこの時代あたりから定着してきたのがわかります。

明らかに、戦後は終わっています。映画の中に田圃の真ん中を走る小田急のロマンスカーが映ります。時代は豊かになり始めていたのです。雁治郎にしても、今は農地が削られて経済的に厳しいかもしれませんが、もうしばらくすれば農地を宅地に売って、土地成金になれるはずです。

さて、この映画の冒頭は新聞記者の木村功が淡島千景に農家の現状を取材するシーンです。成瀬映画らしく、具体的な数字が羅列されます。時代的なものがよくわかりますから、その部分を拾ってみました。

木村「養鶏の方は?」
淡島「卵は安くなりましたから、今はもう50羽ほどしか飼っていないんです。月3000円にもなるかしら」
木村「卵も我々買うものの身になると安くないんだが。米が16万8千円、麦と畑もので15万円、養鶏が年に3万から4万として、一年間の収入は35万8千円になりますかね」
淡島「そんなに?」
木村「大ざっぱな計算ですがね。米が七反、畑が五反、合計一町二反の農地を持っていると、だいたい3万程度の月給取りということになりますね。くいっぱくれはないし、こりゃ、割といいですね。」
淡島「そんな計算は無茶だわ。収入だけで、それに伴う支出がないんだもの」

淡島千景は経費・コストが計上されていないこと、農家の労働がいかに大変かを語ります。また、農家の嫁にきてがいないこと、自分の娘だったら農家などには嫁がせないといったことを言います。すでに、そういう時代になっていたのですね。

この当時の大学卒の初任給は、13,000円前後だとのことです。はがきは5円、かけそばが25円、映画の封切りが150円でした。「鰯雲」の中で本家の次男と分家の娘が映画館に入りますが、かかっていたのはスタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」でした。この年、映画館の観客動員数は、11億2700万人でした。ほぼ、毎月、全人口が映画を一本見ていたわけです。結局、その年がピークになり、翌年から次第に観客動員数は下がり続けます。

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