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2016年9月

2016年9月29日 (木)

■映画と夜と音楽と…744 どうせ俺らのいく先は----


【網走番外地/刑務所の中/極道めし/ショーシャンクの空に/ロンゲストヤード/暴力脱獄】

●子供の頃に高松刑務所の周囲を自転車で走りまわった

刑務所とは、一生縁がない方がいいに決まっている。しかし、小学生の頃、僕は学校の近くの高松刑務所の周囲が遊び場だった。高い塀の周りを、友だちと自転車で競争をして遊んでいた。ときどき、受刑者の人たちが刑務官に監視されながら屋外作業をしているのを見かけた。罪の軽い人たちなのだろうか。周辺の清掃作業をしていることが多かった。僕は松島小学校に通っていたのだが、高松刑務所は通称「松島大学」と呼ばれ、「悪いことばかりしてると、松島大学にいくことになるよ」というのが、親のしつけ(脅し?)の言葉だった。

高松刑務所では、受刑者たちが様々な作業に従事していた。特に木工製品は造りがよくて、安価だという評判だった。そこで、兄が小学校四年になったとき、父は兄の学習机を高松刑務所から購入した。ある日、僕の家の前にオート三輪が停車し、兄の学習机と椅子が降ろされた。作業していたのは、作業服のような囚人服を着た受刑者だった。運転していたのは、たぶん刑務官なのだろう。それは、頑丈で立派な机と椅子だった。その証拠に、その机は半世紀以上経った今もまだ母屋に残っている。数年後、町の家具屋で買った僕の学習机は十年ほどで天板が反り、椅子の脚は抜けてしまったというのに----

先日、四国新聞に「第20回四国の矯正施設が一同に集まる四国矯正展」というチラシが入っていた。サブタイトルは「更正への第一歩----社会とともに」となっている。「一同に集まる」は、たぶん「一堂に集まる」の間違いだと思う。その場合は、「一堂に会する」とした方がよいと思うけれど。九月の週末の二日間、高松刑務所を開放して自由に見学ができ、矯正行政についてパネルでの紹介があり、性格検査体験(犯罪を犯しやすい性格かどうか判定してくれるのだろうか)や「ちびっこ刑務官・ミニ制服写真撮影会」などが催されるらしい。刑務官の制服かあ。微妙だな。それに、ステージイベントもある。

販売物で目を引くのが「網走監獄和牛販売」だった。もしかしたら網走監獄(もうなくなったと思ったけど)では、受刑者が酪農を営んでいるのだろうか。それにしても、やはり一般的に有名なのは「網走刑務所」なのだなあ、と感慨深く感じた。一時期、刑務所について少し調べたことがあるが、僕が興味を持ったのは、重罪犯が収監されているという府中刑務所、死刑執行場がある宮城刑務所などである。一度、前橋にいったとき、利根川沿いの群馬刑務所を見て、赤煉瓦の塀が美しかったのを憶えている。

さて、高松刑務所の催しの「刑務作業製品展示即売コーナー」で紹介されている製品は様々あって、こんなにいろんなものを作っているのかと思った。公益財団法人「矯正協会刑務作業協力事業団」や「全国の刑務所作業製品生産刑事施設」などが共催・協賛に入っているから、全国からの製品がそろっているのかもしれない。少なくとも四国四県は参加しているのだろう。徳島刑務所、高知刑務所、松山刑務所と、各県にひとつずつあるとは思っていなかった。四国少年院、高松少年鑑別所(先日、散歩の時に前を通った)なども共催だった。

どんなものがあるかというと、石鹸、ベルト、かご、巾着、携帯用袋、ブックカバー、クッション、陶器、ランチョンマット、コースター、メモ帳、銘々皿、お椀、まな板、トートバッグ、バーベキューコンロ、と脈絡なくそろっている、やはり、木工品は主流らしく、民芸家具、整理箱、書棚、ちゃぶ台、木箱、犬小屋などは写真入りで紹介されている。驚いたのは「お墓」だった。写真も載っている。お墓の制作を受注するというのだろうか。名前はもちろん彫り込んでもらえると思う。凄いなあ。

●刑務所もので最も有名なのは「網走番外地」だろうか

日本で刑務所ものというジャンルの映画で知っているのはと訊くと、おそらく多くの人が「網走番外地」(1965年)と答えるだろう。僕は、高倉健が演じた主人公の名前をソラで言える。タチバナ・シンイチ。橘真一と書く。大ヒットしてシリーズ化されたが、網走刑務所が舞台なのは一作めだけで、二作めからはヤクザの主人公が網走刑務所に入っていたことを回想するシーンくらいしか、刑務所のシーンは出てこない。しかし、一作めは凝り性の石井輝男監督らしく、刑務所内の様子がしつこく描かれる。雑居房だから、それぞれの囚人の個性も描き分けられる。

人気が出たのは、嵐勘寿郎が演じた老受刑者である。最初はおとなしい長期刑の老人として登場するのだが、主人公を救う場面で「八人殺しの鬼寅」と呼ばれた男だとわかる。どんな世界にも有名人はいるわけで、刑務所に入るような人物たちの世界では、八人も殺したという鬼寅は、一目おかれる(尊敬される、あるいは怖れられる)存在なのである。石井輝男監督は九年後に「直撃地獄拳」と「直撃地獄拳 大逆転」を作るが、主人公の三人組(千葉真一、佐藤允、郷鍈治)はラストで網走刑務所に送られ、そこで八人殺しの鬼寅に出会う。自作のパロディ、あるいは楽屋落ちをやっているのだ。

「網走番外地」は、後半、年季の入った悪党(南原浩治)と手錠でつながれていたので、やむなく一緒に脱獄することになった橘真一(高倉健)が大雪原を逃げるシーンが印象的だ。その頃から、高倉健は「寒いところ映画」のヒーローになった。たぶん本人もそのことを気にしていて、寒いところでロケする企画は優先的にオーケーしたのではあるまいか。「網走番外地」に始まり、「八甲田山」「南極物語」「鉄道員」などスタッフが雪の中で何度か死にそうになったほど過酷なロケだったと聞く。その他、「夜叉」も画面は寒い。その寒いロケの最中、健さんはずっと立ちっぱなしで、火にもあたらないという伝説が生まれた。

最近の作品では、刑務所の中を実録風にきちん描いた「刑務所の中」(2002年)がおもしろかった。拳銃を持っていたので銃刀法違反などで実刑を受けた漫画家・花輪和一が出所後、実体験を元に描いたマンガ「刑務所の中」が原作である。ひとつひとつの描写がリアルで、実際の刑務所はこういうところなのか、と感心しながら見ていた。監督は崔洋一だから、見応えのある作品に仕上げた。受刑者番号222番(刑務所内では刑務官から番号で呼ばれる)の花輪を演じたのは名優、山崎努だった。同房の受刑者は、香川照之、田口トモロヲ、松重豊、村松利史と曲者ぞろいだ。

「刑務所の中」を見ると、雑居房のしきたり、一日の暮らし、作業場でのルール、廊下を歩くときの歩き方や速度、列の整え方など、事細かに決められているのがわかる。受刑者は社会のルール(決まり事、法律)を破った人間たちだから、刑務所ではすべてのことが決められており、それを守らせることで矯正しようという考えらしい。作業中にトイレにいくときは、手を挙げて刑務官の許可をもらい、駆け足でいく。フラフラ歩くなんてことはできない。ただ、主人公は刑務所の中の穏やかな生活に次第に慣れていく。規則を守ってさえいれば、他のことを考えなくてよいのだ。

●刑務所生活は隠居生活と共通しているのではないか

「刑務所の中」で描かれた刑務所生活を思い出すと、「何だ、僕の今の生活とほとんど変わらないじゃないか」と思った。実家の裏でひとり暮らしをする僕の今の生活は、朝、五時に起きてパソコンを立ち上げ、メールやネットバンキングのチェックをし、五時半にゴミ出しを兼ねて散歩に出る。一時間ほど歩いて帰宅し、洗濯機をまわしながらシャワーを浴びる。朝食の準備をしながら洗濯を終え、物干しで干すと掃除を始める。終わると九時か十時。実家にいって両親の様子を見ながら、新聞を読み、猫と遊んで帰宅すると十一時を過ぎている。昼食の準備をして、食事して洗い物をすます。午後は読書か原稿書き。八時には寝てしまう。そうか、刑務所生活は隠居生活と同じなのか。

ただ、今の僕の生活と刑務所生活の違いは、食べようと思えば食べたいものが食べられることだ。刑務所では、食べたいものは食べられない。決められた食事だし、味付けも自分好みにできるわけではない。受刑者の一番の楽しみが食事だとすれば、食べ物が自由に食べられる(値段をいっさい考慮しなければだけど)のは、ありがたいことだと思う。特にそう思ったのは、「極道めし」(2011年)を見たからだった。これもグルメマンガ「極道めし」が原作である。食べ物をテーマにして、ここまでの物語を作れるのはたいしたものだと脱帽した。

主人公(永岡佑)はケチなチンピラ。自分を慕ってくれた純情可憐な女(木村文乃、この映画で彼女を見て以来、僕はファンになりました)を泣かせ、つまらない罪で懲役三年を喰らい、刑務所に入ってくる。入れられた雑居房には、労名主のような怖い顔をした麿赤児(最近は、大森南朋のお父さんと説明しなければならないか?)、よく喋る調子のよい勝村政信など四人がいる。最初、彼らと距離を置き、反発していた主人公だが、正月が近づき、彼らが始めたゲームに興味を持つ。彼らは、年に一度のお節料理を賭けて、それぞれが人生で一番うまいと感じた食べ物の話をする。その話を聞いて、何人が喉を鳴らすかで判定するのだ。

それぞれが語る食べ物のエピソードが、彼らの今までの人生を浮かび上がらせる。最初は聞いていただけの主人公も、とうとう自分が今までの人生で最もうまいと思った食べ物のことを話し始める。しかし、それは自分の人生を後悔することだった。強がっていた主人公も、自分がつまらないことで人生を誤ったことを自覚する。思い知る。たった一度、恋人が作ってくれたラーメン。あれほどうまい食べ物を食べられるのなら、もう一度やりなおせるのなら----と思い始めるのだ。やがて、刑務所を出た主人公は、思い出の食べ物を求めて、かつての恋人の元を訪れるが----。

日本映画の刑務所ものは、どうしても情緒的になってしまうけれど、ハリウッド映画はまったく違う。僕はアメリカの刑務所映画は、「ショーシャンクの空に」(1994年)「ロンゲストヤード」(1974年)「暴力脱獄」(1967年)がベストだと思っているが、どれも見終わって爽やかな風が吹き抜けた気持ちになる。その三本については、「屈服しない男たち」(「映画がなければ生きていけない2003-2006」291頁)というコラムで詳しく書いたから省くけれど、どれもおすすめ作品だ。「ショーシャンクの空に」は見た人も多いだろうが、「ロンゲストヤード」も必見です。

2016年9月22日 (木)

■映画と夜と音楽と…743 不機嫌な顔のヘレン・ミレン


【クィーン/終着駅 トルストイ最後の旅/RED/ヒッチコック/マダム・マロリーと魔法のスパイス/ホワイトナイツ・白夜/黄金のアデーレ 名画の帰還】

●ヘレン・ミレンは二十歳頃から舞台でシェイクスピアなどを演じていた

ヘレン・ミレンという女優を初めて認識したのは、「クィーン」(2006年)でアカデミー主演女優賞を受賞したときだった。六十を過ぎての受賞である。ダイアナ妃が事故死した前後のエリザベス女王を描いた作品で、実在の人物を演じる場合はどれだけ似ているかということで見られることが多いが、女王らしさがよく出ていたのだろう。話し方も重要なのだろうが、僕に英語のニュアンスはわからない。ただ、イギリス出身の女優でないと演じるのは難しいのではないか。ヘレン・ミレンは二十歳の頃から舞台に立ち、シェイクスピアものなどを演じていたという。

ヘレン・ミレンは一躍注目されたのか、その後の十年間、途切れることなく出演作が公開されている。文豪トルストイ(クリストファー・プラマー)の最期の日々を描いた「終着駅 トルストイ最後の旅」(2009年)では、悪妻と言われる気の強い妻ソフィーを演じ、「RED」(2010年)では元イギリス情報部員のスナイパーを演じた。引退した凄腕の老エージェントたちが登場するアクション映画で、ヒットしたらしく続編「REDリターンズ」(2010年)も作られた。ヘレン・ミレンは凄腕の殺しのプロで、キツネ顔の彼女にはよく合っていた。大きなライフルを構え、スコープを覗く姿が似合っていた。

アンソニー・ホプキンスがヒッチコック監督を演じた「ヒッチコック」(2012年)では、ヒッチコックの妻アルマを演じている。ヒッチコック夫人は強烈な個性の人で、彼女の協力があったからヒッチコックはあれだけの名作を残せたのだ。アルマ夫人は、映画編集者であり脚本家でもあったから、企画段階からチェックし夫に自信に充ちたアドバイスをした。「ヒッチコック」は「サイコ」(1960年)を作ったときの夫妻の関係を描いているのだが、ヘレン・ミレンは気の強い、ある意味では夫を支配しようとしている妻を演じた。目がつり上がり、突き放す視線で冷たい表情ができるヘレン・ミレンは、こういう役がホントによく似合う。

そういえば、ニコール・キッドマンがグレース・ケリーを演じた「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」(2014年)にも冒頭にヒッチコック監督が登場した。ヒッチコックは「マーニー」(1964年)のヒロインを、引退したグレース・ケリーにオファーする。しかし、モナコ皇国はフランスとの難しい交渉が進行していて、グレース王妃は夫であるレーニエ公を支えなければならず、出演に気を惹かれながらもあきらめる。「マーニー」は、結局、「鳥」(1963年)のティッピ・ヘドレンをヒロインにして、007シリーズで人気が出たショーン・コネリーを起用して映画化された。それにしても、ヒッチコックは金髪女優が好きだったが、グレース・ケリーはその中でも特別だったようだ。

さて、ヘレン・ミレンはラッセ・ハルストレム監督の「マダム・マロリーと魔法のスパイス」(2014年)でも、プライドが高く意地の悪いレストランの女主人を演じた。インドからフランスにやってきた移民一家は、田舎町でカレーレストランを開くが、その向かいには古くからあるフレンチ・レストランが建っていた。ミシュランの一つ星を獲得した由緒あるレストランで、そのことをオーナーのマダム・マロリーは誇りにしている。逆の言い方をすると、エスニックなインド料理屋など見下しているのだ。こういう役をやらせると、ヘレン・ミレンは、はまる。やっぱり、意地の悪そうな顔なのだ。

●「ホワイトナイツ/白夜」の若きヘレン・ミレンが実に美しい

ヘレン・ミレンに関してはずっと「意地の悪そうな尖った顔」と思っていたが、彼女が三十代で出演した「ホワイトナイツ/白夜」(1985年)を見て、その考えを改めた。映画もよくできているが、ヘレン・ミレンが実に美しい。彼女が演じたのは、ソ連から西側に亡命した天才ダンサーであるニコライ(ミハイル・バリシニコフ)の元恋人役だった。

東京にいくはずが、故障でソ連のシベリア地方の空港に緊急着陸した旅客機に乗っていたニコライは、身分証明書などを着陸前に廃棄する。ソ連で名前が知れると、逮捕される危険があるのだ。しかし、KGB大佐に正体がばれて、アメリカに亡命した反逆者として逮捕される。そのニコライと八年ぶりに再会するのが、かつて恋人だったガリナ(ヘレン・ミレン)だった。ヘレン・ミレンは父親がロシア系なので、この役をオファーされたのだろう。

ニコライを見張るのは、ベトナム戦争に反対してアメリカからソ連に亡命した黒人のタップダンサー・レイモンド(グレゴリー・ハインズ)である。ふたりは反発しあうが、やがてそれぞれのダンスの素晴らしさを認め、そろってアメリカ大使館に逃げ込もうとする。しかし、KGB大佐の厳しい監視の目が光っていた。ちなみに、KGB大佐を憎々しげに演じるのは、ポーランド出身の映画監督イエジー・スコリモフスキーだ。役者としては「イースタン・プロミス」(2007年)でもヒロインのロシア系の叔父の役で出ていた。ロシア人役が必要なときには、便利に使われているようだ。

「ホワイトナイツ/白夜」は映画としてもよくできているが、本物のトップダンサーであるミハイル・バリシニコフとタップの名手グレゴリー・ハインズの芸がたっぷりと見られるのがうれしい。ときどき、僕はそのダンス・シーンだけを見たくなる。オープニングシーンでもバリシニコフのダンスはふんだんに見られるし、後半、ハインズとふたりで踊るシーンも延々と続いて楽しくなる。トップダンサーのダンスは美しいの一言だ。バリシニコフがジャンプするとき、その体の線は足の先から手の先までうっとりするほどである。背筋もきれいに延びている。僕はバレエに関しては門外漢だが、凄いというのはわかった。

一方、グレゴリー・ハインズのタップダンスも負けていない。フレッド・アステアのタップダンスはずいぶん見たが、ハインズはアステアと違ってアグレッシヴなダンスだ。ジーン・ケリーに近い。躍動的で動きが大きい。見ていると、リズムが乗り移る。そのシーンだけ見たいと思う至芸が登場する作品がいくつかあるが、僕にとってはまず年老いたチャップリンとバスター・キートンの舞台がたっぷりと見られる「ライムライト」(1952年)があり、次に見たくなるのが「ホワイトナイツ/白夜」のバリシニコフとハインズのダンスシーンである。ずっと見ていたいと思うほど素晴らしく、美しい。

●絵を取り戻そうとするのは過去の幸せな記憶を取り戻すこと

ナチの手を逃れてアメリカに亡命し数十年経ったユダヤ人の老婦人をヘレン・ミレンが演じた、「黄金のアデーレ 名画の帰還」(2015年)を大変おもしろく見た。事実に基づく物語だという。オーストリアの画家グスタフ・クリムトの作品に関する実話で、改めてクリムトの絵を見直したくなった。

四十年以上前だが、大学生のときに中央公論社から出ていた「日本の絵画」「世界の絵画」から好きな画家を選んで数冊買った。その「エコール・ド・パリ」の巻だったと記憶しているけれど、クリムトの代表的な作品が載っていた。「キンキラキンだなあ」というのが最初の印象だった。エゴン・シーレの作品などもそうだが、世紀末のヨーロッパの退廃の香りがした。

その画集を買った頃、代表的な作品である「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」はオーストリアの美術館が所蔵していたはずだ。しかし、二〇〇六年、長い法廷闘争の末、裁判所はアデーレの姪であるマリア・アルトマンに所有権があることを認めた。その結果、その絵画作品は156億円で落札され、現在はニューヨークのギャラリーに展示されている。「黄金のアデーレ 名画の帰還」は、マリアと彼女の弁護士ランドール・シェーンベルク(音楽家シェーンベルクの孫)を主人公にして、ふたりが紆余曲折を経て絵画を取り戻すまでが描かれている。

実業家の叔父がクリムトを支援して描かせた叔母の肖像を姪が取り戻そうするのだが、「黄金のアデーレ 名画の帰還」が感動的なのは、その動機が封印してきた過去を取り戻そうとすることから発しているからだ。バウアー家の次女だったマリアは、大広間にかけられていたクリムトが描いた叔母の肖像画を見て育った。

子供のいなかった叔父夫婦は一緒に住んでいたから、彼女にとっては父母がふたりずついるのも同然だったのだ。しかし、彼女の結婚式の直後にオーストリアはナチスを迎え入れ、ユダヤ人たちは排斥される。アデーレを亡くし独り身だった叔父は先にマリアの姉を連れて脱出したが、父母とマリアと夫は逃げ遅れる。

やがてナチがやってきて、バウアー家の絵画や財産は没収される。ナチが奪ったクリムトの絵は美術館に収蔵され、戦後、そのままオーストリアの美術館が保有している。それをナチに奪われたものだとして、マリアは弁護士シェーンベルクを通じて返還を申し出るが、オーストリア政府は応じない。

マリアは絵画を取り戻すためだとしてもウィーンにいくことを頑なに拒んでいたが、自分の過去に向き合うために六十年近く訪れていないオーストリアの土を踏むことを決意する。過去が甦る。アメリカで六十年近く暮らしてきたのに、二十数年暮らしていたウィーンでの生活が彼女の記憶の底からまざまざと甦ってくる。マリアが過去を封印してきたのは、病気の父と母を残して夫とふたりでアメリカに逃げてきたからだった。父母に送り出されたとはいえ、やむを得ずだったとはいえ、彼女は父母を置いて逃げたのだ。

彼女が自宅の壁にあった叔母の肖像画を取り戻そうとしたのは、かつて家族が一緒に暮らし幸せだった一族の思い出を取り戻すためなのだ。そのことが、頻繁に挿入される過去の映像から伝わってくる。渋い色調で描かれる過去のシーンはサスペンスもあり、手に汗握るエピソードになっている。映画的に誇張されているのだろうが、マリアと夫はギリギリのタイミングでウィーンを脱出する。だから、現在のシーンが生きてくる。

絵画の返還を勝ち取ったラストシーン、過去の幸せな思い出の中に自然に溶け込んでいく年老いたヘレン・ミレンの表情がいい。さすがに七十を越えて老けてしまったけれど、シャープな顔は健在だ。ずっと見せていた厳しく不機嫌な表情と辛辣な言葉遣いが、ラストシーンの優しくやわらかな表情で昇華する。名演と言わなければならない。

2016年9月15日 (木)

■映画と夜と音楽と…742 扇動する政治家たち


【シンドラーのリスト/プライベート・ライアン/アミスタッド/ブリッジ・オブ・スパイ】

●ルーカスとスピルバーグが映画館を遊園地に変えてしまったのか

もうずいぶん昔のことになるが、「ルーカスとスピルバーグが映画館を遊園地に変えてしまった」と言われたとき、なるほどうまいことを言うものだと思った。その言葉には批判的なニュアンスが含まれており、その批判をもっともだと僕は思ったのだ。「スターウォーズ」(1977年)と「ジョーズ」(1975年)の世界的な大ヒットは、その後のハリウッド映画を変えてしまったのは間違いない。さらに、コンピュータ・グラフィックスの進化が現在のハリウッド大作に大きく影響した。

スピルバーグが初めて作品的に評価され、「こんな映画も作れる監督だったのか」と目を見張らせたのは、「カラーパープル」(1985年)だった。しかし、いくつかの部門でアカデミー賞にノミネートされたものの、受賞には至らなかった。その後、スピルバーグは「ジュラシック・パーク」(1993年)のような完全なエンターテインメント路線と、「シンドラーのリスト」(1993年)や「プライベート・ライアン」(1998年)といったシリアス路線を作るようになる。

しかし、僕は「シンドラーのリスト」も「プライベート・ライアン」も世評ほど評価できなかった。どんなにシリアスなテーマを扱っても、莫大な制作費を回収するために世界的にヒットさせなければならないスピルバーグが背負う宿命には同情するが、彼が本質的に映像的エンターテイナーであるがために、どうしても観客を驚かそうとするケレンやハッタリが目に付くからである。たとえば「カラーパープル」でウーピー・ゴールドバーグがダニー・グローヴァーに命じられて髭を剃るとき、まるでヒッチコック作品のようなサスペンスを僕は感じてしまった。

また、「シンドラーのリスト」では、強制収容所の所長(レイフ・ファインズ)が所長室の窓から無造作に収容所内を歩いているユダヤ人収容者を狙撃したとき、僕はものすごいショックを受けたものだった。しかし、そのとき僕はスピルバーグの計算を感じたのだ。ここで、観客へ衝撃を与えたいと彼は考え、そのように撮影したのだろうと想像した。また、「プライベート・ライアン」ではノルマンディー上陸の場面の臨場感が「まるで本物の戦場にいるようだ」と話題になったけれど、そこにも僕はスピルバーグの「観客を驚かせたい」という計算を感じてしまったのだった。

僕は「激突」(1971年)以来、ほとんどのスピルバーグ作品を見ているし、そのうまさには感心している。また、「レイダース 失われた聖櫃」(1981年)では、そのエンターテインメントぶりに感心し、最後まで映画館の椅子から身を乗り出して見続けたものだったが、魂を震わせ心底からのめり込むように見た作品はなかった。唯一、「アミスタッド」(1997年)でそんな感じがあったかもしれない。しかし、あの作品も最後は、なぜかアクション映画になってしまった。

そんな僕が、「ブリッジ・オブ・スパイ」(2015年)には身を乗り出し、二時間以上の上映時間を忘れて見入ったのだった。トム・ハンクスのうまさもあるが、冷戦時代の再現、渋く抑えた色彩設計、ドラマ作りのうまさ、それに何といってもソ連のスパイを演じたマーク・ライアンスの魅力など、様々なことが重なって見事な作品になっていた。主人公の弁護士の人物像に共感できたこともある。僕は子供だったが、かろうじて米ソの緊張が最高潮に高まっていた六〇年前後の時代の空気がわかる世代に属していることもあっただろう。「ブリッジ・オブ・スパイ」は、僕に様々なことを考えさせる作品だった。特に、現在の世界に(もちろん日本にも)蔓延する排他的な空気について、僕は考えさせられたのだった。

●米ソの対立は激化し核戦争の脅威が現実のものになっていた

一九五七年、米ソの対立は激化し、冷戦は世界に核戦争の脅威を現実のものにしていた。僕も子供の頃、米ソ間で第三次世界大戦が起こり、日本にもソ連から水爆が飛んでくると思っていた。アメリカでは、それはもっと現実のものとされ、学校では子供たちにソ連が攻めてきたときの対応を教えていた。以前にも書いたが、ボブ・ディランの自伝の中にも出てきた話だ。「ブリッジ・オブ・スパイ」の中でも、そんな描写がある。主人公の弁護士ドノヴァンの息子は学校で原爆実験の記録映像を見せられ、ソ連が攻撃してきたときにどうすればよいかを教えられている。息子は「ソ連のスパイなのに、なぜお父さんは弁護するの?」と素朴に質問する。教育という名の洗脳である。

映画は、ソ連のスパイのアベルが逮捕されるところから始まる。弁護士ドノヴァンは、そのスパイの弁護を引き受けざるを得なくなる。「人々から憎まれる」と言いながら渋々引き受けた弁護だったが、誰でもが弁護される権利があることを証明するために懸命な努力をする。判事が「あいつはソ連のスパイだ。権利なんてない。評決は決まっている。形だけの裁判だ」とまで言っても、FBIが逮捕時に令状を持参しなかったことから「逮捕は無効」と主張し、国中を敵にまわす。自宅を銃撃され、警護にきた警官は「なぜ、あんな奴を助けようとする」と難詰する。

その時代の雰囲気が伝わってくる。戦後、アメリカでは共産主義の恐怖が必要以上に宣伝され、マッカーシー上院議員のような扇動政治家が登場する。彼は「国防省には大勢の共産主義者がいる。私はリストを持っている」などと主張し、大衆の恐怖心を煽った。ミッキー・スピレーンは自作のマイク・ハマー・シリーズで、共産主義者をアメリカを滅亡させようと画策する犯罪者として描いた。まるで、イスラム教徒はテロリストだと断罪するかのようだった。振り返ってみれば、マッカーシー上院議員は、何とトランプ大統領候補に似ていることか。

反動政治家の扇動に乗って、大衆はソ連を脅威とみなし憎んだ。だから、アメリカ合衆国に潜入していたスパイを憎悪し、彼を死刑にせよと叫ぶ。メディアも同調した集団ヒステリーである。そんな中、人権を守り、ソ連のスパイだとしても弁護される権利は憲法で保障されていると主張するドノヴァンの言葉は、誰の耳にも届かない。彼の弁護で死刑を免れ、三十年の刑になったアベルは、数年後、アメリカのスパイ機がソ連領空で撃墜され、逮捕されたパイロットとの交換要員にされることになる。その交換の交渉人として、ドノヴァンは指名される。彼は壁が建設されたばかりの東ベルリンに入り、ソ連および東ドイツとギリギリの交渉を始めるのだ。

●政治の本質は直接的な意味でも比喩的な意味でも「敵は殺せ」

僕らの世代では必読書だった埴谷雄高の「幻視の中の政治」では、「政治の本質は『敵は殺せ』」だと書いてあった。それは、文字通り「殺す」ことでもあるが、比喩的な意味でも「殺す」ことなのだと僕は理解した。ファシズムが支配する独裁権力の世界では、ひとりの権力者が自分の考えと反する敵たちを処刑してきたのを僕らは知っている。現在でも、ある国ではそんな状態が続いている。民主主義の世界では実際に殺されることはない(と思う)が、政治の世界で「敵は殺せ」という論理が生きているのは同じだ。その方法が、現実的な処刑ではなく、投票あるいは多数決という形を取っているだけなのである。

たとえば、小泉首相がやった「郵政民営化選挙」である。あのとき、小泉首相は自分の考え(郵政民営化)に反対する勢力を「抵抗勢力」と名付けて敵(攻撃する対象)と見なした。その敵を選挙で敗北させるために、選挙区に刺客(比喩だとはいえ、各メディアは「刺客」という言葉を使用した。的確だったのだ)を送り込んだ。落選した「郵政民営化反対」の政治家は、政治的には殺されたのである。「敵(反対する勢力)は殺す」のが、政治の世界なのだと改めて思う。結局、憲法改正か遵守か、原発推進か廃棄か、それぞれの考えの立場を鮮明にして政治家となるのなら、自説を実現するために反対する人間たちに数で勝つ(殺す)必要があるのだ。

先日の都知事選挙でも、当選した小池知事の選挙の手法を「小泉直伝の劇場型選挙」と自民党幹部は言った。自民党都連という敵を作り、彼らが都政を不透明にしている元凶というイメージを大衆に抱かせる。そのうえで、自民党幹部たちを悪役にする。小池候補の考え方や政治的ポジションには危うさを感じている僕でさえ、途中から小池候補が圧勝するだろうと予想した。明確な敵を作り、大衆を煽り、正義はこちらにあるというイメージを醸し出すことで、多くの人々はなびくのかと改めて思った。何と、人々は扇動されやすいことよ。その手法を明確に使っているのが、排外的なスタンスを鮮明にしているドナルド・トランプだ。彼は、人々が心の中で思っていても口に出せない様々な対象を攻撃し、人々の後ろめたさに正当性を与え、大衆の浅ましさを煽る。

共和党の大統領候補になってからも、トランプの扇動する発言は止まらない。人種差別的であり、排他的であり、人々の対立を煽る発言を繰り返す。僕はトランプが正式に大統領候補になったことに驚くしかないのだが、そこには彼を支持する多くの大衆がいるわけで、実際にはそのことに驚いている。正気とは思えない。トランプは様々なものを攻撃することで、自分たちが言いたかった本音を言ってくれていると思わせた。それによって、熱烈な支持を得ている。だが、その本音は欲求不満の酔っぱらいが、酒場で怒鳴り散らしている内容に等しい。「メキシコは犯罪者を送り込んでいる」「イスラム教徒はテロリストだからアメリカへくるな」など、まともな人間なら素面ではとても口にできない。

共和党支持者のクリント・イーストウッドは、「言葉を自粛する現状を打破した意味で、ドナルド・トランプを評価する」という本気なのか皮肉なのかわからないコメントを出したが、確かにイーストウッドの説には説得力があった。イーストウッドは、「人種差別的な言辞に神経質になりすぎたために社会は何かを失った」と言うのだ。それは日本でも同じだ。差別に神経質になりすぎたために、様々な言葉が使用禁止になった。いわゆる「言葉狩り」である。「盲縞」や「隠亡」という言葉が出るので、テレビで古典落語が演じられることはなくなった。それは差別問題の本質ではないと思うのだが、そんな表面をつくろうだけの社会なっているのは間違いない。イーストウッドは、トランプの暴言を支持することでそこを指摘したのだろう。

だが、それは一方でヘイトスピーチを繰り返して恥じないような人たちを作り出すことではないのか。あの「障害者は世の中に不要だ」と主張した大量殺人者のような考えを生み出すことになるのではあるまいか。「優生保護法」があった日本では、元々、そういう考えを抱く下地があった。事件の後、犯人の主張に「正論だ」とコメントする人間たちがネットに現れたという。人は、自分と違うものを排斥しようとする。それが様々な障害を持つ人たちや、社会的セイフティネットに頼らなければ生きていけない人たちを排斥するようになったら、社会はお終いだと思う。誰もが、多かれ少なかれ社会的な下支えがなければ生きていけない存在なのだ。自分だけは誰にも頼らず、自己責任で生きていると思っている人がいたら、それは大いなる勘違いである。人は社会的な存在だ。様々な目に見えない何かが、人々のつながりが、すべての人を支えている。

2016年9月 8日 (木)

■映画と夜と音楽と…741 恋する監督たち


【執炎/夜明けのうた/愛の渇き/あかね雲/心中天網島/shall we ダンス?/川の底からこんにちは/上海から来た女/アニー・ホール/カイロの紫のバラ】

●浅丘ルリ子を思い浮かべたのは倉本聰さんの最新刊を読んだから?

先日、ふっと「浅丘ルリ子が最も美しい映画は、『憎いあンちくしょう』から続く一連の蔵原惟繕監督作品かなあ」と頭をよぎった。突然のことで、何かから連想したわけでもない。なぜ、そんなことが浮かんだのだろう。先日、浅丘ルリ子が何十年ぶりかで、元夫の石坂浩二と共演すると何かの見出しを見たからだろうか。あるいは、倉本聰さんの「見る前に跳んだ」という最新刊を読んだからだろうか。浅丘ルリ子と石坂浩二が結婚するきっかけになったのは、倉本聰さんが脚本を書いたドラマで共演したからだった。倉本さんの初エッセイ集「さらば、テレビジョン」の中に、石坂浩二とふたりで浅丘ルリ子邸へ結婚の申し込みにいくエピソードがある。

蔵原惟繕監督の「憎いあンちくしょう」(1962年)に出演して、明らかに浅丘ルリ子は変わった。「銀座の恋の物語」(1962年)も蔵原監督で石原裕次郎と浅丘ルリ子が主演しているが、「憎いあンちくしょう」のヒロインはそれまでの待っているだけの女ではなかった。主人公(石原裕次郎)をコントロールしようとする女だった。彼女はきちんとした自我を持ち、意志が明確で、男に従属することなく、逆に男と対立する形で対峙しようとする。後の浅丘ルリ子のイメージは、この作品で固められた。それは、たぶん蔵原監督の功績だ。

次作の「何か面白いことないか」(1963年)は「憎いあンちくしょう」と同工異曲の作品で前作を越えることはなかったが、ここで蔵原監督は石原裕次郎を除いた、浅丘ルリ子の単独企画を立ち上げる。「執炎」(1964年)「夜明けのうた」(1965年)「愛の渇き」(1967年)の三本である。大人になった浅丘ルリ子でなければ、主演できないテーマの作品だった。「執炎」は浅丘ルリ子百本記念映画であり、彼女のために作られた作品だった。相手役は、まだそれほど俳優として知られていなかった伊丹一三である。「夜明けのうた」はアンニュイな雰囲気を漂わせ、「愛の渇き」は三島由紀夫原作を得て若い未亡人の性に対する悶えを描いている。

今から振り返っても、この時期の浅丘ルリ子は美の絶頂にあった。それは、おそらく蔵原惟繕監督が浅丘ルリ子に恋をしていたからだと思う。日活関係者の回顧エッセイによれば、現実に蔵原監督と浅丘ルリ子は恋愛関係にあったという。その情熱がスクリーンに定着されたのだ。僕にも憶えがあるけれど、男は恋する女を美しく写そうとする。ファインダーの中で演技をする女優が、自分に向かって愛の言葉を囁いている気になる。女優が美しく写されたいと思ったら、監督に自分を恋するように仕向けることだ。これは、蔵原監督だけではない。他の監督も、同じである。

蔵原監督作品で女優としての美しさを引き出され、さらに大人の女優としての演技に開眼した浅丘ルリ子は、その後テレビドラマに進出し、人気を博した。倉本聰さんの脚本だった「二丁目三番地」、原田芳雄と共演した「冬物語」や「愛について」などで、映画で培った演技力を見せつけた。彼女がテレビ界に進出したのは、日活がロマンポルノ路線になったことによるものだったが、テレビドラマに出ることで全国的に全世代的に名を知られ、彼女は日本を代表する女優のひとりになった。おまけに、あまりうまくはなかったけれど、「愛の化石」というヒット曲まで生まれた。

●監督と女優の夫婦がいくつも名作を作ってきた

女優に惚れて映画を撮る。あるいは、映画を撮っている間に女優に惚れるということはある。あの強面だった大島渚だって、女優である小山明子に恋をして、隠れて逢瀬を重ねながら、「日本の夜と霧」(1960年)や「飼育」(1961年)を撮っていたのだ。同じく松竹ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた吉田喜重監督は「秋津温泉」(1962年)で岡田茉莉子と出会い、その最良の演技を引き出し、美しさを描き出し、結婚後、松竹から独立した後は岡田茉莉子だけを描くために作品を作り続けたのではないかとさえ思える。吉田監督にとって、岡田茉莉子は永遠のミューズ(創造の女神)だったに違いない。

彼らと同じ世代の監督に篠田正浩がいる。岩下志麻は篠田監督の初期作品「夕陽に赤い俺の顔」(1961年)や「わが恋の旅路」(1961年)でヒロインを演じているが、「暗殺」(1964年)あたりから岩下志麻の顔が変わり、結婚後の作品「あかね雲」(1967年)や「心中天網島」(1969年)の頃にその美しさの絶頂を迎えている。特に、自分たちのプロダクションでアートシアター・ギルド(ATG)と組んで制作した低予算の実験的な作品だった「心中天網島」の岩下志麻は、遊女と商家の女将の二役を演じて女優としての頂点を極めた。ファインダーの中の妻を見ながら、監督は改めて恋をしていたに違いない。

監督が恋する視線で女優を見つめた作品は、相当に多いのではないか。実際に恋愛関係でなくても、あるいは現実の夫婦でなくても、多くの場合、撮影している間、主演女優に恋をしている監督はいるのではないか。それが作品の力になり、女優は美しく輝き、作品自体の質を上げている。そんな風に思える作品は、いくつもある。本来は女優ではなかったから、せりふまわしや演技はうまくなかったけれど、「shall we ダンス?」(1996年)を見たときに草刈民代の姿(特にダンスシーン)が美しく撮影されていることに驚いた。ダンサーだから立ち姿は凛として美しいのだが、その美しさが最も際立つように撮られていた。

だから、映画が公開された後、周防正行監督と草刈民代が結婚したニュースが流れたとき、「やっぱりな」と思ったものだった。その後、寡作な周防監督はあまり作品を撮っていないが、「ダンシング・チャップリン」(2011年)を見ても、「終の信託」(2012年)を見ても、草刈民代が周防監督にとってのミューズであることがわかる。ある意味では、監督と女優の幸せな関係なのかもしれない。

石井裕也監督の「川の底からこんにちは」(2009年)を見たとき、ヒロインを演じた満島ひかりが物語が進むにつれ、どんどん輝き始めたのには感心したものだった。「どうせ私はこんな女ですから----」と自分を卑下して生きているヒロインは、家出してきた故郷に帰り、実家の家業を継いで再興をはかる。コメディタッチで描かれるから、ヒロインはかっこわるいし、物事はなかなかうまく展開しない。それでも、次第にヒロインは輝き始めるのだ。この映画を見た後、石井監督と満島ひかりが結婚したことを知ったけれど、このときも「やっぱりね」と思った。

僕が満島ひかりに注目したのは、「愛のむきだし」(2008年)だった。その後、「川の底からこんにちは」が評判になり、テレビドラマで主演をするようになって顔を知られるようになった頃、彼女が結婚していることはあまり知られていなかった。その後、どうなのかなと思っていたところ、最近、離婚したという。石井裕也監督は「舟を編む」(2013年)「ぼくたちの家族」(2013年)「バンクーバーの朝日」(2014年)など、どの作品も好調だからいいのだけど、新しいミューズを発見することを願っている。

●アキ・カウリスマキはカティ・オウティネンに恋をしている?

女優に恋をするというより、愛した女優を使わずにいられないらしい恋多き(要するに女好き)監督クリント・イーストウッドは、一時期、愛人のソンドラ・ロックばかりをヒロインにした。ソンドラ・ロックはカーソン・マッカラーズの小説「心は寂しい狩人」を映画化した「愛すれど心さびしく」(1968年)の聾唖の青年の生きるよすがになっていた寂しい少女役で僕の記憶に残っていたが、イーストウッドの「アウトロー」(1976年)で開拓者一家の娘を演じ、「ガントレット」(1977年)では一転して勝ち気な娼婦を演じた。さらに「ダーティファイター」(1978年)「ブロンコ・ビリー」(1980年)と続く。イーストウッドと最後の共演になったのは、「ダーティーハリー4」(1983年)だった。

一時期、本妻のマギーの家を出たイーストウッドとソンドラ・ロックは一緒に暮らしていたようだが、結局、最後は裁判沙汰になって別れた。ある本によると、ソンドラ・ロックは回顧録などを絶対に出さないという条件で、高額の和解金を受け取ったという。そんな話を聞くと、ちょっとさみしい。イーストウッドは、「許されざる者」(1992年)で娼婦たちの中の姐的な役を演じたフランシス・フイッシャーとの間に娘が生まれたり、その後、別の女性と結婚して子供をもうけたり、老境に入ってもいろいろと忙しい人生を送っている。若い頃から健康オタクだから、まだまだ新作が期待できるし、最新作「ハドソン川の奇跡」(2016年)も公開になった。

「ギルダ」(1946年)で有名なリタ・ヘイワースと恋をして結婚したのは、オーソン・ウェルズだった。アメリカの男たちの羨望の的だったに違いない。そのリタ・ヘイワースをヒロインにして、オーソン・ウェルズはフィルム・ノワールの傑作「上海から来た女」(1947年)を撮っている。主人公の船員をオーソン・ウェルズ自身が演じ、彼を誘惑し人生を狂わせる人妻をリタ・ヘイワースに演じさせている。もしかしたら、美しい人妻に惑い、疑い、振りまわされる主人公はウェルズ自身の思いなのだろうか。どちらにしろ、この映画でもリタ・ヘイワースは美しい。

恋する相手をヒロインに起用して、彼女の代表作を作ってしまうのは、やはり恋多き監督ウッディ・アレンだった。「アニー・ホール」(1977年)はダイアン・キートンの代表作であるし、「マンハッタン」(1979年)も忘れがたい。その後、ウッディ・アレンはミア・ファーローと恋に落ち、彼女の代表作「カイロの紫のバラ」(1985年)を作る。もっとも、その後、ウッディ・アレンとミア・ファーローも泥沼の訴訟合戦に陥ってしまう。恋をして蜜月時代があり、やがて情熱が冷めて憎み合い、最後は訴訟になるというケースは多いのだろうが、その結果、彼らは二度と一緒に映画を作らない。

そんなことと無関係なのは、アキ・カウリスマキとカティ・オウティネンである。ふたりがどういう関係なのかは知らないが、少なくともカウリスマキ監督は映画を撮るときにはカティ・オウティネンに恋をしていると思う。「パラダイスの夕暮れ」(1986年)から始まり、「マッチ工場の少女」(1990年)があり、「浮き雲」(1996年)があり、「過去のない男」(2002年)があり、「ル・アーヴルの靴みがき」(2011年)がある。三十年間、カティ・オウティネンはカウリスマキ作品のヒロインを演じ続けてきたのだ。カティ・オウティネンの出ないカウリスマキ作品なんて、考えられないじゃないか。決して美人ではないカティ・オウティネンだが、作品の中で彼女は輝き、美しい。あれは絶対、恋する監督の視線で描かれているからに違いない。

2016年9月 1日 (木)

■映画と夜と音楽と…740 男たちよ、幻想を棄てなさい


【リップスティック/八月の濡れた砂/告発の行方/ザ・レイプ】

●高畑淳子は香川県出身なので田舎の人間は肩入れする

高畑淳子は香川県の出身なので、こちら(高松)でも息子の事件で大騒ぎになり、僕の母などもひどく気の毒がっている。「あの人、香川県の出身やのに」と言う。そのことと今度の事件と何の関係がある? と思ったが、田舎の人間はそれだけで肩入れする。僕が高畑淳子が香川県出身だと知ったのは、七、八年前、「高松純情シネマ ほっこまい」という映画を新宿に見にいったときだった。「高松純情シネマ ほっこまい」は「さぬき映画祭」で優秀脚本賞を受賞し映画化されたもので、その監督をした高嶋弘さんから上映案内メールをもらったからだった。

その映画は高松でロケされていたし、高畑淳子が出演していたし、僕が高校三年生のときに軽音楽同好会に一年生で入ってきた藤原くんが出ていた。藤原くんは、今はプロのミュージシャンとして活躍している。僕も彼のベース・デュオのジャズCDを購入したことがある。上映が終わって高嶋監督と話をしていると、監督が僕の高校の三年後輩であることがわかった。僕が三月に卒業した後の四月に入学したので、重なってはいない。そのときに、「高畑も同級なんです」と教えてもらった。彼女は同級生の映画への友情出演だったのだ。高校生のときから「私は女優になる」と言っていたらしい。その後、彼女は中学も僕と同じだとわかった。桜町中学という優雅な名前の学校だった。

ただ、高畑淳子という女優はテレビ出演が中心なので、ある時期まで僕はあまり注目していなかった。昔、「金八先生」に出ていた記憶があるが、演技をきちんと確認したのは久しぶりに見た大河ドラマ「篤姫」の姑役だった。何だか騒がしい芝居をする人だなあという印象である。僕はあまりテレビを見ないので、高畑淳子の息子もほとんど知らなかった。事件を起こしてドラマが撮り直しだというので、「そんなに売れていたんだ」と初めて知った。写真を見ると、母親に似ている印象があった。こんな事件で知るのは、なんだかなあ、という感じである。

それにしても、ニュースを見ると大騒ぎになっていて、高畑淳子も親として謝罪会見を開いた。高畑淳子には同情が集まるだろうが、こんなにマスコミに騒がれると「強姦致傷」事件の被害者のことが気になった。相手が高畑某でなければ、新聞のベタ記事ですんだろう。注目されることもなかっただろうに、ネットでは興味本位のツィートなどが盛んらしい。まったくの別人だったらしいが、被害者の写真も流れたという。二十二歳の犯人に対して「四十代の女性」と報道されていたので、「四十代でもこんな美人だったら俺も----」という心ないコメントもあったらしい。

そんな騒ぎを見ていたら、「セカンド・レイプ」という言葉を思い出した。僕の記憶ではアメリカ映画「リップスティック」(1976年)が女性の側からレイプを描いた最初の作品だと思う。レイプをテーマにしていること、主演が文豪ヘミングウェイの孫娘であること、ラストが衝撃的であることから、当時、日本でも大きな話題になった。その中で、相手を告発したヒロインが裁判で被告側弁護士から追い詰められたり、陪審員に事件当時の状況を再現したりすることで再び傷つけられる「セカンド・レイプ」という言葉も知られるようになった。

●大騒ぎになり被害者はセカンドレイプに晒されるのではないか

興味本位な目で見られる性犯罪だから、被害者なのに落ち度があったように言われたり、被害者になったのが恥ずかしいことのように思われたりする。だから、被害者が告訴しなければ加害者が起訴されない強姦罪(強姦致傷になると被検察判断で起訴できるらしい)では、泣き寝入りする被害者も多いと聞く。しかし、最近、性犯罪に対する目が厳しくなっているし、勇気を出して相手を告発する女性も多くなってきたという。セクシャル・ハラスメントに対する意識もそうだが、フェミニズムの闘いが少しは浸透してきたのかもしれない。

先日、久しぶりに「八月の濡れた砂」(1971年)を見ていて、レイプ(僕は"強姦"という字に抵抗があり、レイプと書くことが多い)に対する社会的意識がずいぶん変わったなと実感した。四十年前のこの映画では性的に早熟な高校生(村野武範)と童貞の高校生(広瀬昌助)が出てきて、青春期の焦燥や社会に対する反発が性的なものを通して描かれる。冒頭、広瀬昌助は大学生四人に輪姦された後、浜辺に放り出される少女(テレサ野田)を助けるし、ラストはふたりの少年がヨットのデッキで少女の姉(藤田みどり)をレイプする。少女の姉は彼らが反抗する大人たち(俗物)の代表として描かれ、レイプにある意味を付与していた。

広瀬昌助はテレサ野田と親しくなるが、少女がレイプされたことにこだわり、義姉(懐かしの八木昌子)に「女の人って無理矢理やられて、相手を好きになることってある?」と訊いたり、少女と泳いで沖に出たとき「やられたときのこと、憶えてるか。俺、まだこだわってんだ」と言ったりする。これは、当時(今でも?)の男たちの意識をそのまま表したセリフだと思う。レイプに対して男たちの罪の意識が薄いのは、「女も楽しんだろ」という気持ちがあるからだ。今回の高畑某もレイプした後、自室のベッドで寝ていたという。朝になって警官がやってきて、初めて犯罪だったと自覚したのかもしれない。

この「レイプで女性も歓んでいる」というバカな意識は男には根強くあって、自分がレイプするときは相手を歓ばしていると思い、「スローなブギにしてくれ」の主人公のように自分の恋人がレイプされると「感じたか。感じたんだろ」と言って責めるのだ。これは、昔からポルノグラフィーやエロチックなシーンが多発する小説(たとえば昔の西村寿行や大藪春彦のアクション小説。なぜかふたりとも香川県出身)、ポルノ映画やアダルトビデオではイヤになるくらい描かれてきた幻想だ。下世話な言い方だが、「やってしまえば、女は服従する」という幻想を男たちに植え付けてきた。マッチョな男たちは、特にそんな意識が強い。

僕には、イヤな記憶がある。小学生の頃だった。テレビで松本清張原作の連続時代劇が放映され、遅い時間だったが僕はずっと見ていた。主人公は明朗闊達な正義の若侍。彼を慕う可憐なヒロインも登場した。ところが、卑劣で世渡りのうまい武士がいて権力に取り入り、ヒロインを無理矢理に犯してしまう。犯されたヒロインは主人公を慕いながらも、犯した男に惹かれ彼の手先になるのだ。五十年以上たった今も僕はそのことが許せず、その色悪的な武士を演じた津川雅彦(だったはず)が好きになれないし、「女はやってしまえば服従する」とうそぶくバカな男が大嫌いだ。

そうした男たちの「いい気なもんだ」的思い込みを打ち砕いたのが、「リップスティック」だった。ヒロイン(マーゴ・ヘミングウェイ)は、突然レイプされ、相手を告訴する。しかし、被告側弁護士はヒロインが誘った、あるいはそんな素振りを見せたと主張する。彼女の過去の男性との性関係を暴露し、ふしだらな女のイメージを陪審員に植え付ける。結局、「少々乱暴にセックスしたけど、女が誘ったと思えるところもあったし、男がそうなるのも無理ないね」という判断(アメリカではレイプが多いらしい。男の欲望に寛容なのか?)になり、男は無罪。しかし、その後に取ったヒロインの行動が男たちにショックを与えた。僕は男だけれど、この結末には「ざまーみろ、勘違いしてると痛い目に遭うよ」と思ったものだった。

●ジョディー・フォスターが演じたレイプされたふしだらな女の真実

女性の側からレイプという卑劣な犯罪を描くときは、どうしても「リップスティック」的な展開になる。十二年後の映画だが、この作品でアカデミー主演女優賞を受賞したジョディー・フォスターと、「トップガン」「刑事ジョン・ブック」のヒロインを演じたケリー・マクギリスが競演した「告発の行方」(1988年)も、レイプか同意があった性行為かが裁判で争われる。「リップスティック」から十二年経ったな、と思わされるのは、ジョディー・フォスターが扇情的なシーンを演じ、それによって酒場の男たちが次第に興奮していくのを正面から描いていることだった。

地方検事補(ケリー・マクギリス)は、レイプ事件を担当する。酒場で女性(ジョディー・フォスター)が三人の男に性的暴行を受けたというのだ。調べていくと、状況は被害者に不利なことばかり。女性はかなり酔っていたうえ、マリファナもやっていた。性的にはふしだらなイメージのある女性だった。男たちは「誘われた。同意があった」と主張し、裁判に勝ち目がないと判断した彼女は、過失傷害で司法取引に応じてしまう。しかし、被害者のジョディー・フォスターは検事補を非難し、あくまで男たちによるレイプだったし、男たちをけしかけた酒場の客たちも教唆した罪があると告発する。インテリの女性と崩れた女性、ふたりの対立と共闘が印象に残っている。

日本でフェミニストの立場からレイプを告発してきたのは、僕らの世代にとっては「レモンちゃん」こと落合恵子だった。「リップスティック」公開の数年後、作家になった彼女は「ザ・レイプ」という作品を上梓する。この本は話題になり、東陽一監督が映画化した。「ザ・レイプ」(1982年)は、人気女優だった田中裕子主演だった。セクシーさでは売っていなかった田中裕子(NHKテレビ小説「マー姉ちゃん」の長谷川町子役ですからね)だけど、ポスターでは薄物だけを羽織った姿でがんばっていた。この映画もレイプで加害者を告訴したヒロインが逆に苦境に立つという展開で、先行作品と同じ展開だった。

しかし、犯罪被害者が、それが犯罪だったことを証明しなければならないというのは、一体どういうことだろう。今回の高畑某の事件が起訴され裁判になった場合、これだけ注目されているのだからマスコミがまた群がるだろう。興味津々で裁判を傍聴するだろう。そのとき、逐一具体的に事件の状況が証言され、再現される。被害者は多くの人目に晒される。落合恵子は、「セカンド・レイプ」(1994年)という本も出版している。もう二十年以上前のことだ。しかし、世の中はほとんど変わっていない。男たちは、「イヤよイヤよもイイのうち」とか「イヤよイヤよと帯を解き」的な幻想を棄てなければならない。イヤなものは、イヤなのだ。強制的に暴力的に性行為を迫るのは、卑劣な犯罪なのだと自覚しなければならない。

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