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2016年12月15日 (木)

■映画と夜と音楽と…755 音のない世界で生きること


【マラソンマン/奇跡の人/愛は静けさの中に/エール!】

●耳鼻咽喉科の診察用椅子も歯医者の椅子に劣らない拷問器具になる

一年ほど前から耳鳴りがひどくなった。特に左の耳である。三年前、定期検診で左の耳の「聴力低下」を指摘され、その後、毎年、左耳は「聴力低下」の判定結果が出る。低い周波数の音か、高い周波数の音が聞こえにくくなっているのだろう。年齢と共に聞こえる音域が狭くなるのかもしれない。しかし、聴力の低下は、「老化」だとあきらめていた。赤瀬川原平さんの言い方にならえば、「老人力がついた」ことになる。物忘れをしたり、耳が遠くなったり、歯がガタついたり、歩行に時間がかかるようになると、立派な老人力がついたわけである。

しかし、起きている間、四六時中耳鳴りがしている状態は不快だった。「耳鳴りよ、耳鳴りよ、今日もまたおまえと私が残ったね」と歌ってばかりもいられない。四国から自宅に帰って以来、ここ数週間で特にひどくなった気がするのはなぜだろう。耳鳴りの原因は、ストレスの場合もあるという。家庭にストレスがあるのだろうか。とうとう我慢できず、先日、近くの耳鼻咽喉科を受診した。医者嫌いの僕が待合室で一時間近く待って診てもらったのだから、よほど耐え難かったのだ。それと、耳が聞こえなくなる不安も現実のことに思えたからだった。

今年九十一になった父は両耳に高価な補聴器を入れているが、僕の言葉をまったく理解しない。聞こえないのだ。母親は片耳に補聴器を入れると多少は聞こえるらしく、何とか会話が成り立つけれど、実家の裏で暮らしている間、父とはほとんど筆談だった。あるいは、父のアイフォンにメールを送るしかない。父が耳が遠くなるのは、早かった。二十年前には、すでに補聴器の世話になっていたのではないか。現在よりは聞こえていたらしいが、七十歳前後でかなり耳が聞こえなくなっていたと思う。

僕は子供の頃から、父親の方に似ていると言われてきた。父と十いくつ離れた叔父がいるけれど、その叔父の子供の頃にそっくりと親戚の間でよく言われた。ということは、父の遺伝が強いのだ。だから、僕も五年もすれば耳が聞こえなくなるのだろうかと心配になる。それに、僕は子供の頃、中耳炎で長く医者に通った。耳の炎症を冷やすために耳朶の周りに湿布薬を含ませたガーゼを巻き、三角形のビニールカバーをして生活していた。そのカバーには三カ所にヒモがついていて、頭の上をまわし顎の下で結んでいた。子供心に、ひどくカッコ悪いと思ったものだ。今は、そんな姿の子供を見かけない。治療法が変わったのだろう。

そんなわけで、一度診てもらえば安心する(?)のではないかと思い、思い切って重い腰を上げて耳鼻咽喉科の門をくぐった。ネットで調べた最も近い病院の耳鼻咽喉科の先生は女医さんとのこと。それも、ハードルを低くした要因かもしれない。その日も起きたときから耳鳴りがおさまらず、待合室で座っている間にもキーンという音が耳の奥で続いていた。診察の結果は「中耳に問題がある。耳抜きができないでしょ」とのこと。治療はまず左の鼻に空気を通し、細長い金属の鉗子のようなものを耳管と喉と鼻腔が一緒になるところに差し込み、空気を噴出しながら薬を吹き付けるという。「動くと危ないので動かないこと。少し痛いです」と女医は言った。

そのとき、僕は「マラソンマン」(1976年)を思い出した。何十年前であっても、あのシーンは絶対に忘れられない。歯医者の椅子に座らされたダスティン・ホフマンが元ナチの医者ローレンス・オリビエに拷問されるシーンだ。ダスティン・ホフマンは麻酔なしで歯を削られるのである。あの、歯を削る機械がキーンと回転する音は、まるで耳鳴りの音のようではないか。耳鼻咽喉科の診察用椅子も、歯医者の椅子に劣らない拷問器具に変わる。ホントに痛かったし、治療が数十秒だったから我慢できたけど、あれを数分続けられたら「勘弁してください。何でもします」と僕は言うだろう。

●「音」の記憶だけで少年時代からの生涯を描いた開高健の小説

目を瞑ると視覚を休めることはできるが、聴覚は休むときがない。そういう意味では、嗅覚も触覚も同じだけど、視覚と聴覚は人間の五感の中でも大事だし働き者だと思う。さらに耳はどんな音も聞いてしまうが、人間の聴覚には聞きたいものを選び出す能力があるらしい。雑踏の中で友人が話す言葉を聞き取れるのは、そうした選別能力のおかげだという。補聴器をしている人の話を聞くと、雑踏の中での会話が一番わからないそうだ。人の声も雑音も同じ音のレベルとして受信するからだろう。人間の能力は不思議である。

開高健に「耳の物語」という長編小説がある。少年時代から大学卒業までを描いた「破れた繭」、寿屋(サントリー)に入社し芥川賞を受賞して作家になった執筆時までを描いた「夜と陽炎」の二巻本として新潮文庫から出ていたが、その後、文庫ぎんが堂で一冊にまとまった。開高健は自伝的(十九歳で父親になった)小説をたくさん書いているけれど、「耳の物語」は聴覚の記憶を中心にした自伝小説である。文庫の裏表紙には「幼い日の耳に残る草の呼吸、虫の羽音。焼夷弾の不気味な唸り。焼け跡の上を流れるジャズのメロディ。妻と娘が浴びせかける罵声。アラスカで聞いたバロックの名曲----。『音』の記憶をたよりに生涯を再構築」とある。

開高健と言えば、味覚の人である。昔、「新しい天体」というグルメ小説を読んだら、描き出される食べ物をすべて食べたくなった。今でも、その中で紹介されたタレで食べるたこ焼きの「明石焼き」、宍道湖で獲りたての白魚を辛子醤油につけて食べる「踊り喰い」などを憶えている。短編「ロマネ・コンティ」を読めば高価なワインを飲みたくなるし、アマゾンやゴビ砂漠の旅行記を読めば、その土地で食べる豪快な食事を実際に食べたくなる。その開高健が聴覚の記憶を連ねた「耳の物語」は、「輝ける闇」「夏の闇」ほどの感銘深さはないが読んでみると不思議な世界が体験できる。

「耳の物語」を読んで、僕も自分の耳の記憶を探ってみたことがある。しかし、いくら甦らせようとしても、最初の音の記憶がわからない。五、六歳の頃に親戚の誰かが口にした言葉が浮かんできたり、ラジオ放送の断片が浮かんできたりしたものの、明確に思い出せるものがない。小学生の後半くらいからは、あのときにこんな音楽が流れていたとか、あのときにこう言われたといった記憶を時系列で浮かべることができる。テレビ番組の主題歌などを人々が懐かしがるのは、それが耳の記憶だからだろう。僕も「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」の主題歌が、当時の音で甦る。中学生の頃に商店街のスピーカーから流れていたシルヴィー・バルタンの「アイドルを探せ」も甦ってきた。

映画だって音の記憶から甦る場合がある。トーキーになって以降、映画を構成するのは映像と音である。視覚と聴覚を働かせなければ、映画は楽しめない。映画の音には、セリフやナレーション、効果音、音楽がある。その中で特に映画の記憶と密接に結びつくのが音楽だ。「太陽がいっぱい」のニーノ・ロータが作った音楽を思い出すと、十三歳の僕自身の姿が甦る。「サウンド・オブ・ミュージック」や「HELP!四人はアイドル」なども、僕の中学生時代の思い出だ。だから、聴覚に傷害を持つ人の「音のない世界」のことは想像もできなかった。

●映画の中の描かれ方が違ってきたのは人々の意識の変化か?

ヘレン・ケラーは戦前に日本を訪れ、「見えず・聞こえず・話せない三重苦の人」なのに健常な人に勝る偉業を成し遂げた女性として日本人を驚かせた。それから何十年かして「奇跡の人」(1962年)が公開された。タイトルはヘレン・ケラーその人を指すのだと僕は思っていたが、原題(直訳すれば「奇跡の労働者」)を知って、幼いヘレンに文字を教え知性を甦らせたサリヴァン先生がタイトルになっているのだとわかった。確かに、視覚と聴覚を失い、その結果、言葉を理解できず話せない少女に言葉を教えることは奇跡的な仕事である。だからこそ、井戸端で水を手に受けたヘレンが「ウォーター」の意味を理解する瞬間が感動的なのだ。彼女には触覚しかない。あのシーンを思い出すと僕はいつも、人間はすばらしいと実感する。

同じように僕が忘れられない聾唖者の物語に、「愛は静けさの中に」(1986年)がある。「奇跡の人」と同じく原作は舞台劇である。島の聾学校に赴任した教師ジェイムズ(ウィリアム・ハート)は、学校の雑用係として働くサラ(マーリー・マトリン)と出会う。彼女は聾学校の生徒で優秀だったが、今は堅く心を閉ざしている。ジェイムズはサラに惹かれ、やがてふたりは愛し合うようになる。一緒に暮らし始めたふたりだが、サラにはジェイムズは自分を愛しているのではなく、憐れんでいるのではないかという疑念が消えない。

「愛は静けさの中に」は実際の聾唖者であり、映画出演は初めてのマーリー・マトリンをヒロインに抜擢し大成功した。彼女は、この作品でアカデミー主演女優賞を受賞し、手話で挨拶する姿を観客たちはステンディング・オベイションで称えた。しかし、同じく主演男優賞を受賞したウィリアム・ハートは、長時間演台を独占してしゃべりまくり、観客をシラケさせた。映画の役が感動的だっただけに、受賞挨拶を利用して己の考えを主張するウィリアム・ハートの姿は共感を呼ばなかった。同世代(理屈っぽい世代だ)の俳優としてウィリアム・ハートが好きだった僕は残念に思った。

昨年、「エール!」(2014年)というフランス映画を見た。フランスの田舎で農業を営むペリエ一家は父母とポーラと弟の四人家族だが、両親と弟は聴覚障害者である。家庭内では手話で会話し、ポーラは家族と村の人たちとの意志疎通の手助けをしている。買い物にも一緒にいき店の人に手話を通訳するし、父親が村長の方針に反対し選挙に立候補したときには、父親の手話での演説を通訳する。家族でひとりだけ耳が聞こえるから、彼女にはいろんな負担がかかってくる。しかし、まだ十代半ばの少女だ。自分がいなければ家族が困るとわかっていても、様々な悩みが生まれることになる。

ある日、音楽教師がポーラの声に驚く。彼女の音楽的才能を見い出し、その歌声は奇跡的だと絶賛する。彼女が淡い恋心を抱いていた男子生徒とふたりでデュエットすることになり、ポーラは家族に内緒で練習を続ける。教師はパリの音楽学校のオーディションを受けることを強く勧め、ポーラは迷いながらも受験を決意する。しかし、彼女の歌声を聴けない(才能を実感できない)家族は理解を示さず、ポーラも自分がいなくなれば家族が困ることになると思いオーディションをあきらめる。しかし----、という物語である。この作品では、聴覚障害の父母と弟が普通に描かれていて、僕は好感を抱いた。

かつては、障害者に対して過剰に思い入れた作品が多かった。センチメンタリズムに彩られた描き方だった。しかし、世の中の意識が変化したせいか、聴覚障害があるとしても、それは「怒りっぽい人」「涙もろい人」のような性格描写と同じような捉え方で、「耳は聞こえません。それが何か?」という感じの描き方になっている。「愛は静けさの中に」では、「耳が聞こえないことに対する同情を、男は愛だと思っているのではないか」という疑念が聴覚異常のあるヒロインを苦しめた。その中から、「障害者の真の意味での精神的自立とは?」というテーマが浮かび上がってきた。まだ、社会に対してそんなメッセージを送らなければならなかった時代だった。

しかし、二十八年後に制作された「エール!」が描く世界はまるで違った。両親はあけっぴろげで、子供たちの前でも手話で愛を交わしセックスについて話をし、弟は耳が聞こえないことを利用(ちょっと問題ある言葉かもしれないが、まあそんな感じなのだ)して姉の友だちを口説き、ちゃっかりセックスするし、ポーラはそんな家族を負担に思ったり、時には怒鳴ったりする。「エール!」を見ていると、耳が聞こえないことはちょっと不自由だけど、聞こえる人とそんなに大きな違いはないよ、と思えてくるのだ。たぶん、人々の意識が「障害者は特別な存在ではない」という認識に変わってきたのだろう。そういう変化は、僕には歓迎すべきことに思える。

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