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2016年12月22日 (木)

映画で振り返る「昭和の日本」-親子断絶の時代・前編


年末年始は「映画と夜と音楽と...」を休みます。以下はセミナー「映画で振り返る昭和の日本」の講義ノートです。1回が長いため、前後編にわけました。なお、内容は高松市在住の受講生を想定していることをご了承ください。

■昭和28年に封切られた二本の映画------親子断絶の時代・前編

日本映画のオールタイムベストワンに選ばれたり、海外ではイギリス映画協会が10年ごとに選出する「映画監督が選ぶベストテン」で2002年度に一位に選ばれるなど、高い評価を受けているのが小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)です。最近も山田洋次監督が「東京家族」というタイトルでリメイクし、小津監督にオマージュを捧げました。

私は日本映画のベストワンとしては、「東京物語」、成瀬巳喜男監督の「浮雲」のどちらを挙げるか迷うところですが、ベスト5なら「東京物語」「浮雲」「幕末太陽傳」「秋津温泉」などを迷わずに選びます。他に黒澤明作品を一本くらい入れるかもしれません。

「東京物語」は昭和28年、1953年11月3日に公開されました。日本が独立し、GHQの検閲がなくなって一年半です。黒澤明監督の「七人の侍」は翌年の四月公開ですから、「東京物語」公開時にはまさに撮影真っ盛り。当時、日本の映画界は観客も増え続けており活気を呈していました。

昭和28年は、どんな年だったか、検証してみましょう。

1月17日付けの朝日新聞で「意表に出る演技、代表的アプレ芸人」と紹介された芸人がいます。トニー谷です。これがマスコミ初登場でした。この後、トニー谷は日本中の人気者になります。「ざんす、ざんす、さいざんす」という言葉遣いも流行しました。そろばんをギターのように抱えたりしてチャカチャカ鳴らして踊る、変な芸人でした。

私が憶えているトニー谷は、ずっと後にテレビ「アベック歌合戦」の司会をやっている姿です。「あなたのお名前なんてぇーの」とか、「そもそもふたりの関係は?」と歌い踊りながら質問します。それに対して出演したアベック(今ならカップル?)が、「恋人同士でございます」なんてヘンな節をつけて答えます。舟木一夫と松原智恵子が主演した映画では、この番組に出るふたりが見られます。それくらい全国的に有名でした。ただし、今見ると、ちょっと恥ずかしいですね。

1月9日には今井正監督の「ひめゆりの塔」が公開され、大ヒットします。GHQの検閲があった占領中には描けなかった、その時点から八年前の沖縄戦の物語です。1月末には五味康祐と松本清張が芥川賞を受賞します。後に五味康祐は剣豪小説ブームを生み出し、松本清張は社会派推理小説ブームを生み出します。2月1日にはNHKがテレビの本放送をスタートさせます。街頭テレビが設置され、今から見れば、小さくて解像度の低いブラウン管に大勢の人が群がりました。NHKの「ジェスチャー」もスタートします。

政治の世界では吉田茂が「バカヤロー」と言って、国会が解散。海外ではソ連のスターリンが死に、7月末には3年1ヶ月ぶりに朝鮮戦争が休戦になります。それ以来、38度線を境にしての休戦状態が、今も続いているわけです。8月には民放の日本テレビが放送を開始。9月になると、ソ連書記長としてフルシチョフが登場します。この後、フルシチョフはスターリン批判を行い、粛正や暗殺などスターリンの悪行を暴き、ソ連は「雪解け」と言われます。

「東京物語」が公開された11月3日、国会では吉田茂首相が「自衛隊は憲法内での軍隊。しかし、戦力ではない」と答弁し、「戦力なき軍隊」と言われ、その年の流行語になります。「××なき××」と言い方はいろいろ言い換えられました。12月24日には奄美群島返還の日米協定の調印が行われ、八年ぶりに奄美群島が日本に戻ってきました。翌日のクリスマスの日、日本初のスーパーマーケット「紀ノ国屋」が青山にオープンします。

そんな時代を背景にして「東京物語」は制作されましたが、物語の大きなテーマは「親と子の関係」「家族の崩壊」でした。具体的に言えば「年老いた両親と成人した子供たち」の関係です。これは普遍的な課題ですが、戦後のモラルの変化を敏感に読みとった制作者たちの問題提起でもありました。すでに、家族関係は大きく変わろうとしていたのです。二十年ほど後、核家族という言葉が生まれ、やがてその言葉も死語になりますが、戦後の家族というものの変化の兆しを描いた作品かもしれません。

物語は尾道から年老いた両親が上京するところから始まります。東京には医者を開業している長男と美容院を開いている長女、それに戦死した次男の嫁がいます。また、大阪に三男がいて、尾道で両親と同居して教師をしている末の娘がいます。長男の家族は妻とまだ小学生の息子がふたり、長女のところには髪結いの亭主がいます。子供たちは自分たちの生活に精一杯で、両親の相手をしている余裕がない。別に邪険にしているつもりはないけれど、相手もできないというので、金を出し合い二人を熱海に静養にいかせますが、旅館がうるさくて老人二人はそそくさと東京に帰ってきてしまいます。

老夫婦は「私たちはなんぼかましですよ」と、言い聞かせるように子供たちのことを認めようとします。『長男は医者だし、長女は美容院をきちんとやっているし、戦死したのもひとりだけだし」と言い聞かせながら、「わたしたちゃ、なんぼかましですよ」と老いた母が言うとき、その言葉の裏には大きな落胆があると感じさせます。老いた母親役の東山千栄子が言う「ながいっきゃ、するもんじゃのう」という言葉も、年老いてこんな子供たちを見るのなら長生きなどしたくなかったという意味に聞こえてきます。それが、演出のうまさです。

結局、親身になって相手をしてくれたのは、戦死した次男の嫁の原節子だけでした。老人たちは大阪に寄って三男を訪ねますが、母親の具合が悪くなり、尾道に帰った途端に亡くなります。原節子を含めて子供たちが尾道に集まり、通夜・葬儀が続きます。葬儀を抜け出した三男が、しみじみと「孝行をしたいときには親はなし、さればとて墓に布団はきせられず」とつぶやくように、子供たちだってそんなにひどいわけじゃない。しかし、成人し自分の家族や生活を持った子供にとって、年老いた親は荷物になるということを、明確に描き出します。

超がつく高齢者社会を迎え介護が大きな問題になる現代から見れば、まだまだ深刻そうには見えませんが、「親の面倒を見ること」や「親子の断絶」は、いつの時代にもあることです。「東京物語」は、そんな普遍的なテーマを静かに感じさせるが故に、60年以上たった今も名作として高く評価されているのでしょう。

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