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2017年1月12日 (木)

映画で振り返る「昭和の日本」-------夜間高校の時代・後編


年末年始は「映画と夜と音楽と...」を休みます。以下はセミナー「映画で振り返る昭和の日本」の講義ノートです。1回が長いため、前後編にわけました。なお、内容は高松市在住の受講生を想定していることをご了承ください。

■高校進学が夢だった----------------夜間高校の時代・後編

「キューポラのある街」では、主人公ジュンの高校進学の問題が大きなテーマです。ジュンの家は、父親が埼玉県川口の鋳物工場で働いていましたが、ある日、クビになります。父親がクビになると、その日から暮らしが成り立たなくなるようなその日暮らしです。母親は家で内職に励んでいますが、大した収入にはなりません。そういえば、当時は多くの家で母親が内職をしていましたね。

貧乏人の子沢山と昔から言われますが、中学三年生のジュンを筆頭に、小学生のタカユキ、その下に次男がいるのに、父親がクビになった日、母親は四人目の赤ん坊を生みます。父親は後に水戸のご老公になる東野英治郎です。母親は杉山とく子という地味な脇役女優が起用されました。

小学生のタカユキを演じたのは、この映画で名子役と言われるようになった市川好郎です。彼は「いつでも夢を」にも、浜田光夫の弟役で出ています。大人になっても東映のやくざ映画などに出演していましたが、いつの間にかいなくなりました。子役は大成しないといいますが、坂上忍はなぜかブレイクしています。

ジュンはスーパーマンというあだ名の担任教師に、「高校はどうするんだ」と訊かれ返事に困って沈黙します。教師は「何か困ったことがあったら、先生に話すんだぜ」と優しい言葉をかけます。先頃亡くなった加藤武の若き日の姿です。若いときもごつくて、あまり変わりません。加藤武や小沢昭一は今村昌平と麻布中学で同級生だったこともあり、今村一家ですからこの映画にも出演したのでしょう。小沢昭一などワンシーンに登場するだけで、ほとんどカメオ出演です。

当時、鳩を飼育することが流行しました。恥ずかしながら私も兄と一緒に二階の外に鳩小屋を作り、鳩を何羽か飼っていました。「キューポラのある街」でもタカユキと弟が鳩を飼育しています。遠くへ連れて行って、鳩を放つという訓練をしています。次第に遠くしていくのです。

タカユキは学校で禁止されている鳩の売買をして小遣い稼ぎをしています。その売買のトラブルが元で、高校生に屑鉄の盗みをさせられるというエピソードがあります。それを知ったジュンが相手と話をつけるのですが、その時に鳩一羽の値段が900円です。ジュンは分割で返すと交渉します。

当時、900円は子供にとって大金です。この映画より2年ちょっと早く公開された大島渚監督の監督デビュー作「愛と希望の街」(1959/11/17公開)は、オリジナルのタイトルが「鳩を売る少年」です。冒頭、街角で靴磨きに並んで鳩を撃っている中学生がいます。その貧しさに同情したブルジョアの女子高生が鳩を買おうとして「800円」と言われ、「あら、高いのね」と思わず口にします。

少年は「デパートで買うと1000円はします」と答えます。デパートで鳩を売っていたのですね。この「愛と希望の街」も貧しい母子家庭の少年の高校進学問題が大きなテーマでした。「愛と希望の街」の少年は鳩を売った金で食料品を買います。八百屋の店先に、「タマネギひと山20円」「ソーセージ1本15円」と出ています。

鳩の話をつけた後、ジュンとタカユキは中華屋で食事をしますが、その時に「あたい、高校いくよ。どんなことがあっても」と宣言します。その後、ジュンが志望高校を見にいくシーンがありますが、その時の吉永小百合の表情を見ると、「高校進学が夢だった」時代があったことがよくわかります。

父親は仕事がなくやけ酒ばかり飲んでいます。ある夜「ダボハゼの子はダボハゼだ。中学出たら、みんな働くんだ」と父親は怒鳴ります。しかし、「あたいは、タボハゼじゃないよ」とジュンは、自分の人生を切り開こうと努力します。

ところが、父親が復職し、ジュンが高校にいけるようになった時、ジュンは父親に頼らず自立して学ぶために、大きな会社の工場で働きながら定時制高校に通う道を選びます。「そんなこと言ったって夜間じゃ----」と言う父親や浜田光夫を説得します。定時制高校が肯定的にとらえられています。

これは「いつでも夢を」も同じで、勤労学生をたたえる風潮が当時あったことの証明でしょう。偉いな、彼らは----という雰囲気でしょうか。ちなみに鋳物工場で働きながら組合活動をやっている浜田光夫は、高校にいけなくてグレた過去を持っています。

「キューポラのある街」を現在の視点で見て違和感を感じるのは、朝鮮人問題かもしれません。ジュンと仲のよい同級生ヨシエと、タカユキの子分のサンキチは姉弟です、父親は在日朝鮮人で、母親は日本人です。ジュンの無学な父親は「朝鮮人とつきあうな」と頭ごなしに言い、ジュンの反発を買います。時代は北朝鮮の帰国運動の頃で、新国家建設のための帰国運動が盛り上がっています。

当時、北朝鮮は「労働者の地上の楽園」でした。ヨシエたちも北朝鮮へ帰国することになります。父親とヨシエとサンキチが出発するシーンが、この映画の大きなヤマ場で、公開当時の観客を感動させました。「新国家建設中だからビー玉なんかねぇだろ」と言いながらタカユキがサンキチに餞別のビー玉を渡すのは笑えます。フィクションですが、この人たちは、その後、どうなったのか、北朝鮮の実態を知った今は心配になります。

「いつでも夢を」は、工場の健康診断シーンから始まります。工員たちが我先にと診察室に向かいます。町医者の出張健診です。助手として娘のひかる、吉永小百合がくるので工員たちは騒いでいるのです。ひかるは「我が町の太陽」と呼ばれる明るい美しい娘。人気者です。行員のひとり勝利、浜田光夫が「ぴかちゃん、昨夜、学校休んだだろ」と言い、ふたりが定時制高校の同級生だとわかります。

健診の帰り、父親を荷台に乗せて自転車で走っているとき、乱暴な運転のトラックとぶつかりそうになり、怒鳴ってきた運転手、橋幸夫に吉永小百合は立て板に水の口調で啖呵をきります。よくある設定ですが、橋幸夫はこれでいかれてしまいます。

同級生の浜田光夫と橋幸夫の恋の鞘当てめいたものが始まるわけですが、中卒で働いているトラック運転手の橋幸夫は、働きながら定時制高校で勉強している浜田光夫を尊敬します。その時、「夜学」と口を滑らせて、浜田光夫に「定時制」と訂正されます。

定時制高校は四年です。浜田光夫は高卒資格を取り、大企業に入社して背広で仕事をするのが夢です。家は貧しくて、教育がないばかりに自分も職工風情にしかなれなかったことを悔やんでいます。強烈な上昇志向、大企業志向を発散させます。

吉永小百合は、そんな浜田光夫に「幸せってそんなことじゃないと思う」と反論し、授業の終わった後の教室で生徒全員を巻き込んだ議論が起こります。体の弱い松原智恵子も加わります。

その後、生徒たちが夜の道を「寒い朝」を歌いながら帰るところは、僕が好きなシーンです。先頭に自転車を押した吉永小百合、並んで浜田光夫、すぐ後ろを松原智恵子が歩きます。引いたショットになると、背景に巨大なコンビナートのような工場が映ります。巨大な煙突から煙が無防備に出ています。

「キューポラのある街」もそうでしたが、大工場が肯定的に描かれます。そこは労働者の生活を向上させてくれる「夢の工場」のような描かれ方です。まだ、公害問題などなかった時代の脳天気な描き方というのは、その後を知っている現在の視点からの批判になります。とにかく「いつでも夢を」の工場を背景にして全員で歌いながら帰るシーンは、理屈抜きで感動させます。

昭和38年の正月映画です。終戦から18年。明るい太陽のようなひかるにも暗い過去があることがわかります。彼女は戦災孤児。育ててくれた人も死に、目ばかりギョロギョロさせていたとき、和尚の紹介でやもめの町医者の養女になったのです。吉永小百合自身、東京の下町が大空襲にあった昭和20年3月10日の三日後に生まれています。

もし、吉永小百合が三日早く下町に生まれていたとしたら、生まれてすぐに戦災孤児になっていた可能性はあるわけです。もっとも、生後すぐの赤ん坊は生き残れなかったかもしれませんが。このように、大ヒット曲を元にした明るい調子の歌謡映画にも、戦争の影がさすのは、当時の映画ではよくあることでした。

そんな時代から、半世紀が過ぎました。我々の生活は豊かになったのでしょうか。貧しくて進学できないという人はいなくなったのでしょうか。今は高校進学は100パーセントに近くなっているでしょうが、中退も多いし、いじめの問題もなくなりません。大学進学、あるいは専門学校への進学者も増えています。

だからといって、経済的理由で希望の学校へいけない人もまだ存在しています。格差社会と言われるようになって、収入格差が教育格差になり、生涯賃金の差となる、などとも言われています。東大性の親の年収調査をしたら、裕福な家庭ばかりだったとか、家庭の収入と教育の関係は未だに大きいようです。奨学金の返済も滞ったり、卒業しても教育ローン返済に苦しんでいるという話も聞きます。

それでも、半世紀前よりはましになっていると慰めるより仕方がないのでしょうか。

ちなみに、「いつでも夢を」の監督は野村孝です。「いつでも夢を」と同じ年に石原裕次郎主演「夜霧のブルース」(1963年)という秀作を撮り、翌年、隠れた名作「無頼無法の徒 さぶ」(1964年)を撮ります。山本周五郎の原作を小林旭、長門裕之、浅丘ルリ子で映画化したものです。

映画ファンに最も人気があるのは「拳銃は俺のパスポート」(1967年)です。「拳銃」と書いて「コルト」と読ませます。宍戸錠主演の殺し屋映画で、最後の埋め立て地でのひとり対大勢の対決シーンは伝説になりました。ユーチューブで、そのシーンだけは見られます。おすすめします。野村監督は、2015年の5月5日に88歳で亡くなりました。

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