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2017年1月26日 (木)

■映画と夜と音楽と…757 プリンセス・レイアは戦うヒロインだった



【スター・ウォーズ/スター・ウォーズ フォースの覚醒/ブルース・ブラザース/ハリウッドにくちづけ】

●メリル・ストリープは「友人で親愛なる去りしレイア姫」と言った

メリル・ストリープがゴールデン・グローブ賞での受賞スピーチでトランプ批判をしたことは世界的なニュースになったけれど、その最後は「私の友人で親愛なる去りしレイア姫がかつて言ったように、砕かれたハートをもってアートにしましょう」という言葉で締めくくられた。プリンセス・レイアことキャリー・フィッシャーは昨年の暮れ、十二月二十七日に飛行機の中で心臓発作を起こし、そのまま亡くなった。六十歳では早すぎる。「スターウォーズ・フォースの覚醒」(2015年)で久しぶりにレイア役としての姿を見たのに残念だ。

ところで、メリル・ストリープが「友人で親愛なる去りしレイア姫」と言ったとき、「ああ、そうか。メリル・ストリープは『ハリウッドにくちづけ』で、キャリー・フィッシャー自身を演じていたな」と僕は思い出した。メリル・ストリープはキャリー・フィッシャーよりかなり年上だと思っていたので、最初はふたりの結び付きがピンとこなかったのだ。調べてみると、メリル・ストリープの方が七歳年上だったけれど、女優として日本で知られたのはキャリー・フィッシャーの方が早かった。彼女は、日本でも公開前から大騒ぎになった「スター・ウォーズ」(1977年)のヒロインなのである。メリル・ストリープは、まだ「ディア・ハンター」(1978年)さえ公開されていなかった。

「スター・ウォーズ」の日本公開は、アメリカ公開の翌年一九七八年の夏だった。アメリカでの評判が凄くて、雑誌(「スターログ」など)が大々的に特集したりした。「キタキツネ物語」(だったと記憶している)が大ヒットして儲かったフジテレビの映画製作チームはジェット旅客機をチャーターし、スタッフ全員でアメリカまで「スター・ウォーズ」を見にいったという話まであった。待ちきれない人たちの間では「スター・ウォーズ」をアメリカまで見にいくことが流行し、帰国して自慢そうに映画について報告した。テレビに登場する映画リポーターと称する人たちも、「冒頭の宇宙船のシーンが凄い」とか、「ライト・セーバーという光るサーベルでの戦いが美しい」などと喋り散らした。

勤めて二年目、結婚して一年半の僕にはアメリカまでいく資金も時間もなかったから、そんな騒ぎを横目に見て「チッ、どうせ特撮を売り物にしたスペースオペラだろ」と皮肉な笑みを浮かべて切り捨てた。「子供だましみたいなものさ」と、あまり振りまわされないようにしていた。会社の先輩と後輩にSF映画好きがいて、あまりに騒ぐので反発したこともあったのだろう。しかし、社会現象になるほど騒がれれば、気にならないわけがない。翌年の夏休みを当て込んで公開された「スター・ウォーズ」は大ヒットしたが、僕は世間が静まり始めた頃に人目を忍んで(?)見にいった。そして、ファーストシーンから圧倒された。

銀河系を舞台にした正邪の戦いという物語の設定はシンプルなので、冒頭で背景を説明し、いきなり巨大な宇宙船の腹を見せるというハッタリは成功していた。あれで、観客は物語の中に引き込まれる。巨大な宇宙船に小さな宇宙船が引き込まれ、邪悪そうなダースベイダー(あの息と声!)が登場し、可憐なプリンセス・レイアが捕らわれる。プリンセス・レイア役に最後まで残ったのがキャリー・フィッシャーとジョディー・フォスターだったそうだが、日本ではほとんど無名だったキャリー・フィッシャーに決まったから、プリンセス・レイアの新鮮さが映画にマッチし、キャリー・フィッシャー=プリンセス・レイアになったのだ。

しかし、三年後、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(1980年)が公開されたとき、三年間での容貌の変化に僕は戸惑った。少女の面影を残していたキャリー・フィッシャーは完全な大人の女性になったわけだが、プリンセス・レイアが初めて登場したときには僕はちょっと唖然とした。同じように、美少年の雰囲気を持っていたルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルも、少年から大人になってしまい容貌が変わっていた。「おまえは、桜木健一か」と、僕はスクリーンに向かって突っ込んだものだ。テレビ「柔道一直線」で有名になった桜木健一も、その後は「仁義なき戦い」のチンピラ役が目立ったくらいで、あまり見かけなくなっていたけれど----。

●キャリー・フィッシャーは麻薬中毒を克服し文才を発揮して六十年を生きた

「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」と同じ年に作られたヒット映画「ブルース・ブラザース」(1980年)に出演したキャリー・フィッシャーは、強烈な印象を僕に残した。「おいおい、あれがプリンセス・レイアかい?」と思ったものだ。ジョン・ベルーシを機関銃で撃ちまくるクレイジーな元カノ役である。後に知ったのだが、キャリー・フィッシャーが麻薬におぼれることになったのは、もしかしたらこの映画でジョン・ベルーシと共演したことがきっかけになっているのだろうか。ジョン・ベルーシは薬物の過剰摂取で死んでしまったが、キャリー・フィッシャーは麻薬中毒を克服し、文才を発揮して六十年を生ききった。

キャリー・フイッシャーが自らの麻薬中毒になった経験と、世界中で誰もが知っているミュージカル・スターだった母親との葛藤を小説にして発表したのは、「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」(1983年)から六年後のことだった。日本で翻訳が出たのは一九八九年の晩秋である。朝日新聞の書評欄で紹介された「崖っぷちからのはがき」という本が、キャリー・フイッシャーが書いた自伝的な小説だと知って僕は驚いたものだ。その年の暮れ、僕は久しぶりにキャリー・フイッシャーをスクリーンで見た。彼女はヒロインの友人役だった。その映画「恋人たちの予感」(1989年)では、ヒロイン役のメグ・ライアンが輝いていた。

「崖っぷちからのはがき」は「ハリウッドにくちづけ」(1990年)として映画化され、キャリー・フイッシャー役をメリル・ストリープ、母親のデビー・レイノルズ役をシャーリー・マクレーンが演じ、新旧ふたりの名女優の演技合戦が話題になった。キャリー・フイッシャーは自ら脚本も書いた。監督はマイク・ニコルズ。母娘の複雑な関係、心理的なやりとり、お互いの葛藤などを細かく描写する名監督である。僕はデビー・レイノルズと言えば「雨に唄えば」のヒロインしか浮かばなかったが、彼女が人気歌手のエディ・フイッシャーと結婚しキャリー・フイッシャーを生み育てたことを、その映画を見て実感した。

ちなみに、父親のエディ・フイッシャーの結婚歴は凄い。エリザベス・テイラー、コニー・スティーヴンス、デビー・レイノルズの三人を妻にしている。美女ばかりだ。そんな父親と母親を持ったキャリー・フイッシャーは、ハリウッドのサラブレッドだった。プリンセス役としては、最適だったのではあるまいか。「スター・ウォーズ」でプリンセス・レイアを演じ、薬物依存から立ち直り、女優として仕事を続け、また、脚本の執筆も行った才女である。残念ながら十二月二十七日に六十で亡くなったが、母親のデビー・レイノルズも娘の後を追うように翌日の二十八日、突然に亡くなった。娘の葬儀の相談をしているときだったという。

昨年の暮れ、僕は毎日続いた訃報に驚いてばかりいた。キャリー・フイッシャーに続くデビー・レイノルズの死には、「娘が呼んだのだろうか」と思い、その翌日の二十九日、根津甚八の六十九歳の死を惜しんだ。石井隆監督作品「GONINサーが」(2015年)で別人かと思うほど容貌が変わってしまった根津甚八を見て、僕は目を疑った。それが、彼の最後の映画出演になってしまったのだ。唐十郎の紅テントに出ていた根津甚八を見たことがなかった僕は、「娘たちの四季」というテレビドラマで初めて彼を見て、何という存在感を見せる役者かと驚いたことを今も憶えている。長女役の夏圭子の相手のCМディレクター役だった。有名な遺書を残し自殺したCMディレクター杉山登志をモデルにしているのではないかと僕は思った。

●ヒュー・グラントが「最近のハリウッドは戦うヒロインばかり求められる」と嘆く

コメディ出演が多いトボケた二枚目ヒュー・グラントがアカデミー賞女優マリサ・トメイを相手役にして出演した「Re:LIFE~リライフ~」(2014年)は「ノッティングヒルの恋人」ほど長く愛される作品にはならないだろうが、ヒュー・グラントらしい演技が見られる楽しい作品だった。十数年前にアカデミー脚本賞を受賞した名作を書いたヒュー・グラントは、その後は鳴かず飛ばずで、今はまったく仕事がない。エージェントから遠い州のカレッジでシナリオ創作コースを教える仕事を紹介され、嫌々ながら生活のために講師を始めることになる。その映画の中で、ヒュー・グラントは「最近のハリウッドは、戦うヒロイン、強い女ばかりが求められる」と嘆く。そのセリフに僕は笑ってしまった。

ハリウッド映画で「強い女」と言われて、真っ先に浮かぶのが「エイリアン2」(1986年)のリプリーことシガニー・ウィーヴァーである。一作めの「エイリアン」(1979年)でも彼女は孤軍奮闘したったひとり生き残ったが、「戦うヒロイン」と言えば「エリイアン2」が強烈な印象を残す。少女をエイリアンにさらわれたリプリーが手榴弾や銃を装備するシーンでは、僕はスタローンの「ランボー」(1982年)やシュワルツネッガーの「コマンドー」(1985年)を連想した。監督のジェームス・キャメロンは戦うヒロインが好きらしく、「アビス」(1989年)のメアリー・エリザベス・マストラントニア、「ターミネーター2」(1991年)のリンダ・ハミルトンなどを創り出した。

しかし、ハリウッド映画のヒロイン像を変えたのは、「スター・ウォーズ」のプリンセス・レイアことキャリー・フィッシャーではなかったか。それまでのプリンセスは、男たちに守られるか弱い女性だった。強いヒーローと聖なる女性という構図である。七〇年代のウーマン・リブによってハリウッド映画におけるヒロインの描かれ方も変わり始めていたが、「戦うヒロイン」がはっきりと登場したのはプリンセス・レイアだったのではないだろうか。六〇年代後半から始まったニューシネマでは「弱い男」「泣く男」たちが描かれ、「自立するヒロイン」が登場した。しかし、シリアスなドラマが多く、スペースオペラのような作品で「戦うヒロイン」が登場するまでには至らなかった。

今も、僕は憶えている。ルークが宇宙船の狭い部屋に閉じこめられていたプリセス・レイアを救い出したとき、プリンセス・レイアは先頭に立って銃を構え宇宙船の中を走っていったことを。彼女はルークやハン・ソロを従えた戦うヒロインだったのだ。その流れは、「スター・ウォーズ フォースの覚醒」のヒロインへとつながっている。プリンセス・レイアことキャリー・フイッシャーはハリウッドのサラブレッドであり、ハリウッド映画に多大な貢献をした。現在では六十年は短いけれど、メリル・ストリープに「親愛なる去りしレイア姫」と惜しまれる人生である。充実した人生だったのではないか。

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