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2017年2月 9日 (木)

■映画と夜と音楽と…759 死者を弔う


【秋日和/海街diary/女の座】

●母との会話から忘れていた街並みが甦った

母親が入院したと兄から連絡があり、三週間ほど前から四国に戻っている。実家の裏の一軒家で暮らしているが、昔の家で断熱材など入っていないから寒くてたまらない。エアコンは一階にしかないし、暖まるのは一部屋だけだ。夏に二階にベッドを上げてしまったのだが、この時期は明け方になると二階は特に冷える。顔が冷たくなって目覚め、温度計を見ると室温が三度になっていたことがある。凍死しゃうぞ、と思った。それで、天気予報で翌日の最低気温を確認し、このところ加湿機能のあるヒーターをつけたまま一階のソファで寝ている。予定では、最も寒い時期には自宅のマンションにいるはずだったのだ。その大寒の時期に、高松で暮らしている。

母は脊椎の圧迫骨折で、暮れからコルセットを付けて寝ていたという。その知らせはなかったが、一月中旬に痛みがひどくなり救急車で入院し、兄から連絡が入った。入院したのは、自宅から歩いても五分の外科である。連絡をもらって三日後に帰郷し、病院をのぞくと母はベッドで寝たきりだったが、頭ははっきりしているようだった。九十を過ぎているので、入院して寝たきりになるとボケることがあると聞いたこともある。年寄り特有のくどさと忘れっぽさは前のままだが、話すことの辻褄は合っている。その点では安心した。

翌日から、午前と午後の散歩のときに病院をのぞいている。僕が顔を出すと、母の昔話が始まる。自分では記憶をたどったことはなかったが、小学生の六年まで住んでいた家の近所の話につきあっていると、忘れていたはずの光景や店の名前が甦ってきた。八百屋はミヤモトだったし、内科・小児科の病院はノダ医院だった。女医さんでやさしかったのを憶えている。夏になるとかき氷を売っていた、角の家の名前がどうしても思い出せなかった。もっとも、母はかき氷屋の存在そのものを憶えていなかった。

母の話はとりとめがない。子供の頃の話から戦争中の話へと飛ぶし、いつの間にか、結婚し子供が産まれた頃に話が移っている。昨年の暮れに五歳年上の兄を亡くしたのが思い出話のきっかけになっているようだった。祖父は母たちを生んだ最初の妻を早くに亡くし、何度か妻を迎えた。最後の子供は六十のときに産まれた娘で、僕には叔母に当たるが十歳ほど年下になる。僕の祖母が産んだ子供は、伯父と母と母の下にふたりの妹がいるのだが、母はそれ以外に五人の子が亡くなっていると言う。何だか「おしん」の思い出話を聞いている気分である。

九十年も昔のことだから無事に育つ子は少なかったのだろうが、早死にしたと聞いていた祖母が十人近く子を産んでいたのは驚きだった。その全員の名を母は憶えていて、ひとりひとり指を折りながら、まるで弔うように口にした。無事に育った兄と自分とふたりの妹がいたのに、妹のひとりは十年近く前に亡くなり、今度は九十六歳で兄が亡くなった。祖父は新しい家庭を持ったから、五歳年上の兄が父親代わりだったと母は泣く。その伯父は十代半ばで満州に渡り、満鉄に八年勤め、二十五で終戦を迎えた。戦後はずっと郵便局に勤めていたはずだ。伯父はふたりの子供を持ったが、ふたりとも障害があり、下の子は特にひどく生涯歩くことはできなかった。ふたりとも親より先に亡くなっている。

●叔父の四十九日で三十年ぶりに会った親戚の人々

四国に帰った週末に、伯父の四十九日があった。一年ほど前、母を車に乗せて伯父に会いにいき、そのときが結局は最後になった。伯母はデイサービスにいっていたので、そのときには会えなかったから、四十九日に会うのが三十年ぶりになる。小学生の頃、よくひとりで泊まりにいき可愛がってもらった伯母である。母方の祖父の葬儀で会ったのが最後だと思う。そのとき、母の異母妹で僕より十歳ほど年下の叔母に当たる人とも会った。そのときが初対面だった。僕は十八で上京し、ずっと東京で勤めていたので、親戚づきあいはほとんどしていない。故郷にいれば、冠婚葬祭はいろいろあって、何かと親戚たちと顔を合わすことになる。

四十九日の日は雪が舞うような荒れた天候だったが、二度めになる伯父の家への道を軽快に運転した。伯父の家のすぐ近くに父親の実家があり、そちらにも法事に出る父を乗せていったから一度も迷うことなく到着した。玄関の戸を開けて、「こんにちは、進です」と言った瞬間、「進ちゃんな」と伯母の声が返ってきた。座敷から伯母の顔がのぞいた。変わらない、というのが最初の印象だった。下半身が悪くて歩けなくなっていると聞いていた通り、板敷きの廊下を這うようにして玄関にやってきた。昔から肥えた体で、いつも明るい伯母だった。「肝っ玉かあさん」の京塚昌子に似ている。しかし、伯母の方は「何も知らんでおうた(会った)ら、わからんな」としみじみと僕の顔を見た。

田舎の家の仏間は広い。隣室とのふすまを外しているから、二十人くらいが座っても余裕がある。僕の後から母の一番下の妹にあたるU子叔母が長女と一緒にやってきた。彼女は従姉妹になるが僕よりかなり若く、会うのは初めてだった。母の異母妹で僕より年下の叔母は、夫と長女と一緒にやってきた。彼女は小学校の先生である。「初めまして」と言うので、「おじいちゃんの葬儀で会いました」と答える。僕の祖父は彼女の父親になるわけで、八十七で亡くなった。もう三十年前のことだ。やがて、僧侶がふたりやってきて袈裟を身につけ、仏壇の前に正座し、読経が始まった。途中、二度の中休みはあったけれど、二時間近く読経は続いた。僕は正座をやめて、胡座を組ませてもらった。

●生まれ故郷にいると親戚づきあいは続いていただろう

七回忌のシーンから始まる映画は、小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)である。昔の映画には法要シーンがよく登場した。それだけ、人々がきちんと冠婚葬祭の行事を行っていたのだろう。最近の映画では「海街diary」(2015年)が四人姉妹の祖母の法事や墓参りを描いていたが、日常のディテールを丁寧に綴った作品だからだろう。家族の関係を描くのには冠婚葬祭が適している。父と別の女性の間に産まれた妹(広瀬すず)を引き取った三人の姉(綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆)の物語だが、姉たちの母方の祖母の法要に広瀬すずは「私、出てもいいのかな」と口にする。彼女の母が三人の姉の母(大竹しのぶ)から夫を奪ったからだ。

「海街diary」は次女ヨシノ(長澤まさみ)が男の部屋から朝帰りすると、長女のサチ(綾瀬はるか)に「父親が亡くなった知らせが届いたからいってきて、チカ(夏帆)をつけるから」と言われるところから始まる。父親は愛人を作って家を出たが、その女性が亡くなり、別の女性と一緒になり、山奥の温泉旅館で働いていたのだ。父には娘(広瀬すず)がいて、後から葬儀にやってきたサチを含めた三人は、その妹に「鎌倉で一緒に住まない?」と誘う。しかし、父親の葬儀のシーンも、鎌倉での祖母の法要シーンも、前後のエピソードは描かれるが、葬儀や法要そのもののシーンは省かれていた。読経のシーンを描いても仕方ないと思ったのだろうか。

小津監督の「秋日和」は、原節子の夫の七回忌から始まる。娘(司葉子)も成人している。夫の友人たち(中村伸郎、北龍二)が「アヤちゃん、きれいになっちゃって」などと言っている。そこへ故人の兄(笠智衆)がやってくる。挨拶が始まり、揃って寺の座敷に向かう。座布団が並べられていて、皆、神妙な顔で正座する。読経が始まり、友人のひとり(佐分利信)が遅れてやってくる。北竜二と目を合わせ会釈する。中村伸郎が少し身を乗り出し、「遅かったじゃないか」と小声で言う。佐分利信は「ちょっとね」と答え、中村伸郎が「今、始まったばかりだ」と教える。佐分利信は「じゃあ、早すぎたかな」とつぶやく。それだけのやりとりだが、やっぱり小津作品は味わい深いなあと思わせてくれる。

主人公を未亡人に設定することが多かった成瀬巳喜男監督だが、葬儀や法要シーンはそれほど多くない。「女の座」(1962年)のヒロインの夫の三回忌のシーンが浮かぶくらいだ。東宝の女優陣総出演のオールスター映画だから、登場人物が多く複雑だ。東京オリンピックのための高速道路が敷地を通るといった話が出てくるし、渋谷のラーメン店から近いらしいから都内にあるのだろう、古くからある荒物屋(タバコも売っている)が舞台である。隠居状態らしい老夫婦(笠智衆と杉村春子)がいる。杉村春子は後妻だ。先妻の長女が三益愛子で、夫(加東大介)とアパートを経営している。死んだ長男の妻が高峰秀子で、彼女には中学生の息子がひとりいる。

次男(小林桂樹)は渋谷でラーメン店をやっていて、いつも不機嫌な妻(丹阿弥谷津子)に頭が上がらない。先妻の次女(草笛光子)は、実家の庭に離れを建ててお茶とお花を教えており金まわりがいい。杉村春子が産んだのは、三人の娘(淡路恵子、司葉子、星由里子)である。淡路恵子は三橋達也と結婚し九州にいたのだが、ふたりで仕事を辞めて実家で居候を始める。高峰秀子の妹が団令子で、彼女はホステスのアルバイトをしながら演劇をやっている。杉村春子は息子を置いて離婚し笠智衆と再婚したのだが、三益愛子のアパートに入居した男(宝田明)が成長した息子だとわかり、一家に波風が立つ。

三益愛子の娘が東宝のヴァンプ女優だった北あけみで、宝田明の部屋に入り浸ったりしている。血はつながっていない草笛光子が宝田明に一目惚れするのだが、宝田明は高峰秀子に好意を寄せるので話はややこしくなる。独身のふたりの娘(司葉子と星由里子)にからむのが気象庁に勤めている夏木陽介だ。星由里子は渋谷の映画館のチケット売場に勤めているのに、彼女が好意を寄せる夏木陽介は「生まれてから一度も映画を見ていない」という設定がおかしい。これだけ多彩な人物たちが、一堂に会するのが高峰秀子の夫の三回忌である。小津の「東京物語」(1953年)の葬儀シーンも同じだが、冠婚葬祭を終えた会食シーンでは親戚や家族の関係が鮮明になる。

最近の映画で、そんなシーンがあまりなくなったと感じるのは、やはり現実を反映しているからだろうか。地方から出てきて都会生活をしている核家族は、親戚間の冠婚葬祭に出席する機会がほとんどない。僕は祖父母の葬儀以外は、母に頼んで僕の名で香典を包んでもらい弔電を送るだけだった。まして、法要など出席したことはない。同時に頼る親戚もなく、妻の大きな手術のときも待合室で僕はひとりで待っていた。何かあったときに相談する相手もいなかった。六十を過ぎてリタイアし故郷で過ごすことが多くなった途端、昨年から葬儀や法要への出席が多くなった。

ずっとこちらで暮らしていたら、まったく違う人生だったのだなと改めて実感している。しかし、こちらで暮らしていたら伯父にも頻繁に会えたかもしれない。もっと満鉄時代の話を聞いておくのだったと、四十九日の読経を聴きながら後悔することもなかったかもしれない。延々と続く読経を聴いていると、若い頃の伯父の姿が浮かんできた。

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