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2017年2月16日 (木)

■映画と夜と音楽と…760 かの国の大統領に見せたい映画


【扉をたたく人/正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官/天国の門/愛と哀しみの旅路】

●9.11以降のアメリカの移民政策がどれほど厳しくなっていたか

たったひとりの愚かな男の言動が世界を混乱に陥れている。アメリカ合衆国大統領は、それほどの権力と影響力を持つのか。日本には「××に刃物」ということわざがある。「民主的な選挙で選ばれた大統領」だと言うが、ヒトラーだって選挙で選ばれたのだ。「シン・ゴジラ」(2016年)で描かれたように、「かの国」に振りまわされるものの「かの国」に追従するしか生きる途がない日本は、尻尾を振ってご機嫌をとるペットのようにすり寄っている。しかし、かの国の大統領は、日本を従順な手下としか見ていないのではないか。日本が何かを主張すると、とたんに切れて感情を爆発させる気がする。その愚かな男の機嫌を損ねることを、日本の政治家たちはまるで腫れ物にさわるように怖れている。

愚かな大統領に見せたい映画がある。それを見て改心するほどの理性と知性を彼が持っているとはとても思えないが、9.11以降のアメリカの移民政策がどれほど厳しくなっていたか、その映画は教えてくれる。厳しい移民政策に対するアンチとして、その映画は作られたからだ。今、それ以上に移民や難民に対する厳しい対応を行おうとしているかの国の大統領は、その映画を見て己を恥じるがいい。もちろん、恥を知る気持ちなど彼は持ち合わせていないだろうし、僕がこんなことを書いても何の影響も与えないけれど、少なくとも心ある人はこの映画を見て何かを感じるに違いない。アメリカにだって、無謀な大統領令を阻止しようとする人々がいるのだから----。

リチャード・ジェンキンスは脇役として多くの映画に出ているが、「扉をたたく人」(2007年)で初めて主演をつとめたのではないだろうか。この作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、一躍注目された。僕も顔は知っていたが、この作品で名前を憶えた。もちろん、映画がとてもよくできていたからだ。彼が演じたウォルターは著作も数冊ある大学教授で、社会的な成功者である。コネチカットの大学近くに立派な自宅があるし、ニューヨークには広いアパートメントを所有している。しかし、ピアニストだった妻を亡くし、今は心を閉ざして生きている。期限に遅れたレポートを受け取らないほど学生には厳しいくせに、自分は毎年同じ講義ノートを使っている。仕事に対して熱意を失っている。

彼は、ニューヨークでの学会に出席することになる。数ヶ月ぶりにニューヨークのアパートに戻ると見知らぬ荷物があり、人が住んでいる気配がある。浴室の扉を開けると若い黒人女性がバスタブに浸かっていて悲鳴をあげ、アラブ系の青年が飛び出してくる。ウォルターが自分が持ち主だと鍵を見せると、青年は警察に通報したかどうかをしきりに気にする。黒人女性は「やっぱりだまされたのよ」と青年を責める。青年はシリアから難民申請をしてアメリカにきたタレクで、申請が認められず今は不法滞在をしているとわかる。女性は恋人のゼイナブで、彼女もセネガルからきた不法移民である。彼らはだまされて部屋代を払い、ウォルターのアパートに二ヶ月も住んでいた。

警察沙汰になるのを嫌い詫びを言って出ていく、大きな荷物を持つふたりの姿を見ていたウォルターの心を何かが動かし、しばらくいてもいいと口にする。そこから奇妙な共同生活が始まる。タレクはジャンベというボンゴのような打楽器の奏者で、ある夜、ジャズクラブで彼の演奏を聴き、ウォルターはリズムを刻む心地よさに浸る。ある日、アパートに帰ったウォルターは置いてあったジャンベをたたき始め、ウォルターから手ほどきをうけることになる。それをきっかけに親しくなったふたりは、公園でジャンベを演奏したりする。しかし、その帰りの地下鉄でタレクは警官の不審尋問に遭い、いきなり逮捕されてしまう。

タレクが移送されたのは、クィーンズ地区にある移民局が管理する拘置所だった。自らも不法滞在であるゼイナブは面会にいけず、ウォルターがタレクの面会にいく。ミシガンに住んでいるタレクの母親マーナも不法移民で、連絡がないタレクを心配してニューヨークにやってくるが、やはり面会にはいけない。ウォルターは弁護士を雇い、タレクを助けようと奔走する。その弁護士もアラブ系移民で、「タレクの処遇は厳しいものになるかもしれない」と報告し、それに対して「あなたに子供はあるの?」と辛辣に問うマーナに「ふたりいる。それに二十三年暮らしていたのに強制送還になった伯父も」と答える。彼自身もグリーンカード(永住権)を取得するのに苦労したのだ。

ずっと感情を表さなかったウォルターが移民局の拘置所に面会にいき、タレクがすでに送還されたと知ったときの感情の爆発が心を打つ。同時多発テロ以降の厳しい移民政策に対する批判が、スクリーンから迸る。翌日、「あの子のそばについていてやりたい」というマーナを空港に送るウォルターは、「あなたも出てしまえば、もう帰ってこれない」と言う。二〇〇七年の制作だから、同時多発テロから六年、今から十年前の映画だった。監督は俳優として映画に出ていたトム・マッカーシー。この映画の脚本監督で注目され、昨年は「スポットライト 世紀のスクープ」(2015年)の脚本監督で高く評価された。

●いくつかのストーリーでアメリカの移民難民問題の複雑さを描く

同時多発テロ以降の厳しくなった移民政策を多層的に描いたのが、「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」(2009年)だった。いくつかのストーリーが平行して展開され、アメリカの移民難民問題の複雑さを描いている。ハリソン・フォードが演じたのは、I.C.E.(移民税関捜査局)に勤める捜査官である。彼は不法移民を取り締まるのが仕事だが、移民たちの事情に同情的で、仲間からは「彼らに甘すぎる」と言われている。ある日、縫製工場に抜き打ちで調査に入り、捜査官たちは逃げまどう不法移民たちを逮捕する。

しかし、彼は隠れた場所で「見逃してほしい」と必死の目をするメキシコ人女性を捕らえられない。彼女を見逃したものの別の捜査官に逮捕されたメキシコ人女性の言葉が気になり、彼女が残したメモを手かがりにして彼女の幼い子供を見つける。ハリソン・フォードは彼女のメキシコの住所を探し出し、幼い子供をそこに連れていくが、彼女はアメリカに残してきた子供が心配で再びアメリカに不法移民として入っていた。かの国の大統領が壁を作って防ごうというメキシコからの不法移民である。

また、オーストラリアからやってきた女優志願の女性がいる。彼女はグリーンカードを得ようと移民局に日参しているが、なかなか実現しない。そんなとき、移民審査官(レイ・リオッタ)と知り合う。彼は自分と寝れば、グリーンカードを発行してもいいと言い、彼女は承諾する。移民審査官の権力を使って女性を口説く卑劣な男というのは、いつものレイ・リオッタの役柄である。しかし、恋人もいるのにそんな提案を受け入れるほど、グリーンカード取得というのは厳しく困難なのだろうか。

また、学校で作文のテーマに同時多発テロを選んだバングラデシュ出身のイスラム教徒の少女は危険分子と見なされて、家庭にFBIの捜査が入り、家族全員が不法滞在とされて拘束される。彼らの弁護を引き受けた人権派の女性弁護士(アシュレイ・ジャッド)は政府機関を相手に交渉するが、壁は厚い。イスラム教徒の一家に対する偏見も根強い。一方、ハリソン・フォードの同僚でイラン人の一家がいる。アメリカで成功した一家であり、永住権も取得しているが、一家の娘が殺害される事件が起きる。といったように様々なストーリーが描かれるのだが、すべてに関係するのが9.11以降に(特にイスラム系の人々に)厳しくなったアメリカ合衆国の移民・難民政策である。

二十七年前に作られた「グリーンカード」(1990年)では、まだグリーンカード(永住権)を恋愛ドラマのモチーフとして成立させる余裕があった。オーストラリア出身のピーター・ウィアー監督は、フランス人のジェラール・ドパルデューを主演にアンディ・マクダウェルとのラブロマンスを作る。独身者は入居できない広いガーデンのあるアパートメントに入居したいプロンディ(アンディ・マクダウェル)は、グリーンカード(永住権)がほしいフランス人のジョージ(ジェラール・ドパルデュー)と書類だけの偽装結婚をするが、移民局が調査にくるというので同居しなければならないはめになる。よくあるシチュエーション・コメディの設定だが、よくできた作品だった。しかし、今、グリーンカードをこんな風には描けないかもしれない。

アメリカは「移民の国」と言われる。しかし、先に新大陸にきた移民たちが、次にやってきた移民たちを排斥しようとした負の歴史もある。それはアメリカ史の恥部として、アメリカ国民は目を背けてきた。「天国の門」(1981年)では後から移住してきたロシア・東欧系の農民たちが、先に西部にやってきて成功している牧場主たちに迫害され殺害された歴史が描かれ、アメリカの観客の反感を買った。また、マーチン・スコセッシ監督も「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2001年)で、元は移民だがアメリカ生まれの世代になった住民たちが新参者のアイルランド系移民を排斥し、対立した歴史(原作はノンフィクション)を描いた。

かつて日系移民も「安い賃金で文句も言わず働く」ことで白人たちに嫌われ、日本人をターゲットにした差別的な移民法が成立した。さらに、カリフォルニア州を皮切りに日系移民は土地の所有ができないという法律が次々に成立した。そして、日本軍の真珠湾攻撃の二ヶ月後、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトは大統領令を出し、日系移民の強制収容を実施した。日系移民は財産を没収され、トランクひとつだけを許され、砂漠のキャンプに集められた。その数は十二万人とも言われる。この大統領令が間違いだったとアメリカ合衆国が認め日系人たちに補償をしたのは、戦争が終わって四十年も経ったレーガン大統領のときだった。日系移民への迫害が描かれた「愛と悲しみの旅路」(1990年)や「ヒマラヤ杉に降る雪」(1999年)も、かの国の人々に改めて見てもらいたいものだ。

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