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2017年5月

2017年5月25日 (木)

■映画と夜と音楽と…773 描かれ続けてきた「男たちの愛」



【怒り/ブエノスアイレス/日曜日は別れの時/御法度】

●三つの物語が重なり合い錯綜し映画は進んでいく

「怒り」(2016年)を見て一番心に沁みたのは、妻夫木聡と綾野剛が演じたゲイ・カップルの物語だった。特に綾野剛の表情や細かな動きがすごい。終始、正体のわからない表情を浮かべている。もしかしたら残虐な殺人犯かもしれないと観客に思わせなければならないし、自信のなさそうな曖昧な表情と中性的な仕草が本当のゲイじゃないかと思わせる。

以前から、うまい人だと思っていたけれど、「怒り」に出ている芸達者な人たちの中でも特に印象に残る演技だった。そのせいか、ラストで妻夫木聡が涙を流すシーンで、僕も一緒になって泣いてしまった。妻夫木聡と綾野剛は激しいセックスシーンも演じていて、ウォン・カーウァイ監督「ブエノスアイレス」(1997年)のレスリー・チャンとトニー・レオンを思い出した。

「怒り」は冒頭、八王子の住宅のバスルームで殺されている夫婦のシーンから始まる。壁も床も、いたるところ血まみれである。ピエール瀧と三浦貴大の刑事が室内を調べている。壁に「怒」と大きな血文字が描かれているのを若い刑事が発見する。不気味なオープニングシーンだ。すぐに話は一年後に飛び、三つのエピソードが並行して描かれる。

まず、家出して歌舞伎町の風俗店で働く娘(宮崎あおい)を見つけて連れ戻しにきた、千葉の漁港で働く父(渡辺謙)が登場する。娘は父と漁港に戻り、そこでフラッとやってきてアルバイトとして働いている若い男(松山ケンイチ)と恋に落ちる。父は男の素性を怪しみながらも、ふたりが一緒に暮らすのを認める。

一方、ゲイを公言して都会暮らしをしているエリートらしき男(妻夫木聡)が登場し、ゲイたちの集まる場所でひとりの若い男(綾野剛)を拾う。彼を自宅に連れ帰り、「おまえを信用していないんだ。この部屋のものを盗んでいなくなったら通報するぜ。ゲイがばれるのを嫌って泣き寝入りする奴もいるけど、俺、そういうのないから」と挑戦的に言う。

その言葉に「ありがとう。僕を信用してくれて」と綾野剛は答える。確かに、妻夫木聡は口とは裏腹に、彼に深い愛情を感じ始めている。妻夫木聡の母親は死を迎えるためにホスピスに入っているが、綾野剛は勤めている妻夫木の代わりに彼女を献身的に看病する。妻夫木は母の葬儀の後、綾野剛に「一緒に墓に入るか」と口にし、相手の反応を見て「冗談だよ」と打ち消す。

沖縄の孤島に現れたのは、謎のバックパッカーの男(森山未來)だ。ある日、少女(広瀬すず)は友人の少年に頼んで、無人島へ船で連れていってもらうが、誰もいないと思っていた島でキャンプしている男と出会い驚く。食料や水をどうしているのか気になった少女は、誰にも言わずに再び島へ男の様子を見にいき仲良くなる。

ある日、少年と那覇市へ映画を見に出かけた少女はバックパッカーの男と出会い、少年と三人で居酒屋で食事をする。飲み慣れない泡盛を飲んだ少年は酔ってふらふらといなくなり、バックパッカーの男と別れた少女は夜の那覇市を探しまわるが、アメリカ兵たちのたまり場の飲み屋街に迷い込んでしまう。

こうして東京のゲイ・カップル、千葉の漁師町の若い男女、沖縄の少年少女と謎の男の三つの物語が錯綜しながら進んでいく。観客には、三人のうちの誰かが残虐な殺人者なのだとほのめかされる。綾野剛には、犯人の特徴とされる三つ並んだほくろがある。逃亡中に整形手術をした病院の、監視カメラに写っている犯人の姿が松山ケンイチに似ている。妻夫木聡は、綾野剛を疑い始める。渡辺謙も松山ケンイチに疑惑の目を向け、姪(池脇千鶴)に相談する。

まったく異なる物語が重なり合い、錯綜し、クライマックスに向かって映画は進んでいく。それぞれ劇的な展開があり、様々な謎と疑惑が提出され、やがて終局を迎える。そのラストの高まりが感動的だったのが僕にとってはゲイ・カップルの物語で、僕は妻夫木聡と一緒に涙を流してしまった。妻夫木聡と綾野剛の熱演が報われたのだ。

●ゲイ役ばかりくるようになったらどうする、綾野剛

「怒り」に出ている役者はみんなうまいけれど、改めて池脇千鶴のうまさに感心した。渡辺謙の姪の役で「おじさん」と呼んでいる。娘に甘い父の代わりに、娘にも厳しいことを言う。しかし、そこに深い愛情を感じさせるのだ。数シーンにしか登場しないが、「もしかしたら、おじさん、愛子は幸せになんかなれないと決めつけてない?」と渡辺謙に説教(忠告?)するいいシーンがあり印象に残る。

それとはまったく次元の違う感想だが、男同士でディープなキスをする妻夫木聡と綾野剛を見ながら、「役者も大変だな」と下世話なことを思ってしまった。綾野剛は同じ吉田修一原作の「横道世之介」(2012年)でも勘の悪い世之介にハッテンバの公園にまでついてこられ、「俺は男しか愛せないんだ」とカミングアウトする。「今後、ゲイ役ばかりくるようになったらどうする。綾野剛」と、僕は余計な心配をした。

ハリウッド映画で初めて男同士のキスシーンを出したのは、ジョン・シュレシンジャー監督の「日曜日は別れの時」(1971年)だった。監督自身がゲイで、前作の「真夜中のカーボーイ」(1969年)も金持ち女相手のジゴロになって儲けるつもりで、ニューヨークに出てきたカウボーイ(ジョン・ボイド)が男娼になる物語だった。カウボーイはホームレスの男(ダスティン・ホフマン)と知り合うのだが、そのふたりの関係もホモ・セクシャルな匂いがした。

当時、日本で「ゲイ」という言葉は一般的ではなく、女性の同性愛者は「レズ」、男の同性愛者は「ホモ」と呼ばれた。その頃、僕は同性愛の存在をまったく知らなかった。高校二年の時に読んだ大江健三郎の短編に同性愛をテーマにした作品があり、同性愛の存在そのものを知らない僕はその短編が理解できず、大人びていた友人に「『つきあってください。人間同士の愛です』というセリフが出てくるけど、あれはどういう意味なんだ?」と訊き、初めて男同士の愛というものを知ったのだった。

その後、大江健三郎の影響を受けた漫画家・宮谷一彦の作品で、ビジュアルとして男同士のセックスシーンを目にして激しい衝撃を受け、愛読していた司馬遼太郎の「新選組血風録」の中の一篇「前髪の惣三郎」を読んで「衆道」の存在を知った。ちなみに、後年、大島渚監督は「前髪の惣三郎」を「御法度」(1999年)として映画化し、新選組内部の男色関係を赤裸々に描いた。

●僕は様々な分野で活躍するゲイの人と会った

僕自身が男にとって欲望の対象になるのだと気づかされたのは、上京して映画館通いをしていた頃、今はなくなった新宿伊勢丹の向かいの地下にあった映画館で痴漢に遭ったときだった。たぶん、フェデリコ・フェリーニの映画(「81/2」だったと思う)を見ていたときだ。僕の尻を誰かが触っているのに気づいた。

最初、僕は女性に間違われたのだと思った。当時、十八歳の僕は痩せていて、ヒョロヒョロとした体型で五十キロの体重しかなく、ウエストも七十センチを切っていた。僕は振り向き、男であることをアピールし再びスクリーンを見つめたが、今度は僕の背後で荒い息が聞こえてきた。気味悪くなった僕は、席を移った。それでも、自分が同性愛の対象と見られたのだとは気づかなかった。

初めて男性に誘われたのは、すでに結婚していた二十代半ばのことだった。かみさんと映画を見た帰り、新宿三丁目にあった地下のトイレ(後にハッテンバだと知った)に入った。用を足していると、横からの視線を感じて顔を向けた。隣で用を足していた、三十過ぎくらいのサラリーマン風の男性と目が合った。相手は、ニコリと笑った。僕は、無表情で視線を戻した。

僕は早々にトイレを出たのだが、かみさんも女性用に入っていたので、トイレを出たところの柱にもたれて待つかたちになった。先ほどの男性が出てきて、ハッとした表情になった。まずい、と僕は思った。勘違いされたのだ。男性は一度は僕の前を通り過ぎたが、引き返してきて僕の前に立った。ますます、まずい----と僕は思った。「ねえ、お茶飲まない?」と彼は言った。

本当にまずいぞ、と僕はあわてた。何て断ればいい? 相手を傷つけずに断るにはどうすればいい? 僕は同性愛の人に偏見を持っていないと伝えつつ、どう断ればいいのだ、とパニックに陥った。ハリウッド映画に登場する乱暴なホモ嫌いのアメリカ男なら、「失せやがれ、このホモ野郎」とでも言うのかもしれないが、そんなことを言ったら自らの性的嗜好に後ろめたさ(当時はまだまだ偏見がひどかった)を抱いて生きているであろう目の前の男性に、永遠に残る精神的な傷を与えてしまう(とまでは考えなかった)。

結局、僕の口から出た言葉は、「ツ、ツ、ツマを待ってますから」だった。「せっかくのお誘いではありますが、僕は結婚していてストレートなのです。誤解させるように柱にもたれて待っていて、ヘンに期待させてしまったみたいで、大変に申し訳ありませんでした。ご容赦いただきたい」と伝えたつもりだったが、緊張して吃音になった。

あれから四十年が経って、僕は様々な分野で活躍するゲイの人と会った。デザインや映像・写真関係の専門誌を出している出版社で働いていたので、僕が出会った人の中にはグラフィックデザインの神様と言われている人もいた。高名な写真家もいた。高倉健やカトリーヌ・ドヌーヴのヘアメイクを担当したヘアメイクアップ・アーティストもいた。もちろん、誰もが知っている映画評論家もいた。みんな、穏やかで知的で物腰のやわらかな人たちだった。彼らは、そろって静かに話した。

今、国や州や区(渋谷区!!)によっては同性婚も認められるようになり、同性愛(最近はもっと広い意味で「性的マイノリティ」というのかな?)に対する偏見も徐々になくなりつつある。とても、よいことだと思う。そんな偏見をなくすことに、映画も少しは役立ってきたのではないだろうか。ルキノ・ヴィスコンティ監督(バイセクシャルを公言していた)の「ベニスに死す」(1971年)を始め、「男たちの愛」は様々な作品で描かれ続けてきたのだから。

2017年5月18日 (木)

■映画と夜と音楽と…772 川島雄三作品で輝いていた女優



【夜の牙/昨日と明日の間/あした来る人/銀座二十四帖】

●原節子と同年代の女優だった月丘夢路の死

先日、月丘夢路さんが九十五歳で亡くなったという訃報が新聞に載った。原節子の死ほど大騒ぎはされず、テレビニュースでも取り上げたところはほとんどなかったのではないか。世代的には、原節子とほぼ同じである。調べてみると一歳だけ年下だった。小津安二郎監督の「晩春」(1949年)では、原節子の親友の役をやっている。

「晩春」の原節子は父親(笠智衆)の再婚話に反発して友人のところにいき、「不潔だわ」と心の中の思いをぶちまける。その気の置けない友人役を月丘夢路は演じて印象に残る。巨匠と言われる監督の作品にはあまり出なかった人だが、映画史上の名作「晩春」によってスクリーンに若き日(といっても二十八歳だけど)の面影を残すことになった。

僕は昔から、成熟した女性に惹かれる傾向があったのかもしれない。子供の頃に見た月丘夢路は「和服を着た大人の女性」として記憶に残っている。月丘夢路は、戦後に遅れて製作を再開した日活の専属になった。石原裕次郎が登場して日活が全盛期を迎える前、日活の屋台骨を支えた人気女優だった頃の彼女を鮮明に憶えている。

石原裕次郎が登場した後、初期の裕次郎作品ではヒロインも演じている。裕次郎の初期作品の相手は、ほとんどが後に結婚することになる北原三枝である。ムード・アクションになると、浅丘ルリ子との黄金コンビが成立する。月丘夢路が出演した裕次郎作品は数本あるが、最も記憶に残っているのが「夜の牙」(1958年)だ。

街の片隅の診療所で医者をやっている裕次郎は、場末の人間たちに人気がある。やくざには「兄貴」と呼ばれ、若い女スリ(浅丘ルリ子)にも慕われている。しかし、ある日、自分が死んだことになっていることに気づく。一体、誰が、なぜ----という展開になるのだが、裕次郎作品としては珍しい本格的なミステリなので印象に残る。

謎解きとサスペンスがあり、楽しめる作品だ。監督は前年に「勝利者」「鷲と鷹」「嵐を呼ぶ男」を撮り、裕次郎を不動の人気者にした井上梅次である。「夜の牙」は、大ヒットした「嵐を呼ぶ男」に続いて、井上・裕次郎コンビが作ったものなのだ。その職人監督・井上梅次と結婚していたのが月丘夢路だった。

月丘夢路は宝塚出身だった。名前からそうではないかと思っていたが、死亡記事にはっきりと書かれていた。戦争中の作品で銀幕デビューし、戦後すぐの頃から活躍した。その頃の宝塚出身者としては、淡島千景、八千草薫、新珠三千代などがいるが、月丘夢路は彼女たちよりは先輩で同期には乙羽信子と越路吹雪がいた。ちなみに乙羽信子と越路吹雪は親友だったという。

同じ頃、松竹歌劇団(SKD)出身の女優もたくさんいた。黒澤明監督「野良犬」(1949年)で銀幕デビューした淡路恵子を始め、草笛光子、芦川いづみ、桂木洋子、野添ひとみなど幅広くいて、映画界には貢献した。少し後の世代になると、倍賞千恵子と倍賞美津子の姉妹が有名だ。

戦後遅れて製作を再開した日活は、スタッフやキャストを多く松竹から引き抜いた。今村昌平監督(小津監督の「東京物語」の助監督を務めている)や鈴木清順監督なども松竹からの移籍組だ。同時に女優陣も何人かが移籍した。北原三枝も月丘夢路も松竹から日活に移った女優である。このふたりは松竹の大ヒット作「きみの名は」(1953~1954年)で重要な役を演じている。

月丘夢路は川島雄三の松竹時代の作品「昨日と明日の間」(1954年)に出演し、川島雄三監督と共に日活に移籍する。この作品の原作は井上靖で、航空会社を立ち上げようとする若き起業家(鶴田浩二)のキャラクターが興味深い。戦後九年、日本が明るい未来に向かっていた頃の空気感がよく描かれていた。主人公につきまとう奔放な昔の恋人(淡島千景)に対して、品があり謎に充ちた人妻を月丘夢路が演じた。

●川島雄三監督作品に出た月丘夢路が印象的だった

現在でも日本映画界の巨匠と言えば、黒澤明、小津安二郎、木下恵介、市川崑、溝口健二、成瀬巳喜男などが挙げられる。それらの監督と月丘夢路はあまり縁がなく、出演作は「晩春」「二十四の瞳」(1954年)くらいだろうか。僕が月丘夢路が好きなのは、川島雄三監督作品に出た彼女が印象的だったからだ。「昨日と明日の間」に続いて、ふたりは日活で「あした来る人」(1955年)と「銀座二十四帖」(1955年)を作る。

十本足らずだが、日活時代の川島作品には駄作がない。北原三枝を使った「愛のお荷物」(1955年)、北原三枝と新珠三千代が出た「風船」(1956年)、新珠三千代の代表作になった「洲崎パラダイス 赤信号」(1956年)、南田洋子のメロドラマ「飢える魂」「続・飢える魂」(1956年)、そしてあの「幕末太陽傳」(1957年)に至る。

日活時代の川島作品に出演した女優は、月丘夢路、北原三枝、新珠三千代、芦川いづみ、南田洋子、左幸子などである。現在から見ると、多彩な女優陣だ。その中でも、月丘夢路は「和服」のイメージであり、「人妻」役が多かった。「飢える魂」「続・飢える魂」のヒロインは南田洋子なのだが、僕はよく月丘夢路と混同する。南田洋子がずっと和服で登場するのと、不倫の恋に身を灼く人妻役だからだろう。もしかしたら、川島監督も月丘夢路をイメージしていたのかもしれない。

ちなみに「飢える魂」は、小林旭のデビュー映画である。しかし、DVDソフトのパッケージに小林旭と南田洋子をあしらっているのは、いかがなものかと思う。やはり主役の三橋達也を出すべきではないだろうか。この頃、三橋達也は日活の主演男優だった。裕次郎出演の「勝利者」は、三橋達也の主演作である。その後、東宝に移籍し、主演したり脇にまわったりして、高齢で亡くなるまで現役を続けた。

さて、井上靖が紡ぎ出す物語の登場人物としてはおなじみの「ブルジョワのミステリアスな人妻」は、清楚でありながら妖艶さを見せる存在だ。夫は金持ちで何不自由のない生活を送りながら、充たされない思いを抱いて生きている。彼女は情熱的な人物に出会い、夫にはないものに心惹かれていく、というのが割に多いパターンだった。

戦後、井上靖が注目されるきっかけになった「猟銃」もそんな物語だったけれど、それ以降、井上靖はベストセラー作家として戦国物、恋愛物を多く書いた。後にノーベル賞受賞まで噂される文豪になったが、現在では当時のベストセラー小説(たとえば「その人の名は言えない」など)はほとんど入手できない。しかし、そんな小説を映画化するとき、ヒロインのイメージは月丘夢路がぴったりだった。

●シリアスな物語を喜劇腸に仕上げる不可思議な演出

「昨日と明日の間」の主人公は旅先で人妻らしき謎の女性と出会い、その後、彼女が自分が航空会社に投資を依頼している関西財界の大物(進藤英太郎)の夫人だと知る。その夫人との関係がどうなるのか、航空会社の起業は順調にいくのか、という興味でドラマは進むのだが、主人公は井上靖の小説ではおなじみの情熱型の青年だ。

同じように「あした来る人」も、冒頭、東京に向かう列車の中で人妻である月丘夢路が知り合うのは、「かじか」を研究している若い学者(三國連太郎)だ。彼は知り合った月丘夢路の気持ちも考えず、東京に着くまで「かじか」についてまくしたてる。話の内容はまったくわからないものの、その情熱と勢いに月丘夢路は好意を持つ。そして、研究のための資金援助になるかもしれないと、自分の父親(山村聰)を紹介する。

山村聰は関西財界の大物経済人で、成功した人間だ。訪ねてきた三國の援助は断るが、その研究に関連する事業をやっている関西の経済人を紹介する。東京と関西(たぶん芦屋に住んでいる)を行き来している山村聰は、若いデザイナー(新珠三千代)のパトロン(純粋な後援者)になっていて彼女の銀座の店に出資している。恋愛関係はないのだが、それが山村聰の一種の道楽なのだ。

一方、娘の月丘夢路の夫(三橋達也)は山岳家で、仲間とヒマラヤ遠征を計画しており、その費用の援助を山村聰に頼んでくる。たまたま三橋達也は新珠三千代と知り合い、彼女の店の二階を遠征隊の準備のための事務所として借りることになる。一方、月丘夢路は夫に対する不満からか、三國連太郎の「かじかバカ」ぶりに惹かれていく。

しかし、ここに出てくるふたりの男は、「かじか」の研究と山登りというように対象は異なるが、どちらもひとつのことに夢中で情熱を傾けているという意味では、よく似たキャラクターだ。しかし、月丘夢路は三國連太郎に惹かれ、新珠三千代は三橋達也に惹かれていく。そこに、月丘夢路の父親で新珠三千代のパトロンである山村聰がからんでくるという複雑な関係になる。

そんな複数の男女の関係を川島雄三監督は見事に整理し、人間関係のおもしろさを描き出した。夫婦がそれぞれ別の男女に惹かれるというダブル不倫になりかねない物語だが、何しろ六十年も前の話だから淡いプラトニックな恋愛劇になっている。たぶん、そういうところが僕の好みに合っているのだと思う。

「あした来るひと」では、月丘夢路はずっと和服だった。新珠三千代が服飾デザイナーとして洋装を通すから、対比という意味でもずっと和服にしたのかもしれない。どちらかと言えば、月丘夢路はくっきりとした顔立ちの派手めの美人である。性格的にも、はっきりした役をやっている。そのキャラクターと和装の取り合わせが印象的だった。

同じく川島雄三監督と組んだ「銀座二十四帖」でも、月丘夢路は和装を通す。こちらは夫と別れている娘のいる役だった。タイトルバックに流れるのは、森繁久彌が唄う「おいらは銀座の雀なのさ~」である。ナレーションも森繁が楽しそうに担当している。森繁の喜劇調の語りが、この映画のトーンを大きく左右する。

主人公は、銀座で花屋をやっている三橋達也だ。花屋の店員役でデビューしたばかりの浅丘ルリ子が出演している。ある日、三橋達也は銀座のギャラリーで一枚の絵を見る。その絵に描かれていたのは、若き日の月丘夢路だった。三橋達也は銀座の外れに住む月丘夢路と知り合う。その家には大阪から姪の北原三枝が出てきているのだが、彼女は旅館の前で毎日絵を描いている大阪志郎と知り合う。彼は警察官で、その旅館を見張っているらしい。一方、三橋達也は銀座の夜の世界に探りを入れ始める。

こういった犯罪がらみの物語なのだけれど、森繁のナレーション、北原三枝と大阪志郎の軽快なやりとりなどで、明るい作品に仕上がっている。川島雄三は月丘夢路と三橋達也の大人の恋愛感情と、大阪志郎と北原三枝の軽快でカラフルな現代風恋愛の両方を描き、シリアスな物語を喜劇調に仕上げるという器用で不可思議な演出をしている。ラストに悪玉の死があるのに後味がいい。やはり、鬼才(奇才?)というべきだろう。

2017年5月11日 (木)

■映画と夜と音楽と…771 結局、やっぱり酒井和歌子様



【切腹/人間の條件/日本の青春/いのち・ぼうにふろう】

●昨年に生誕百年を迎えた日本映画の巨匠

岩波書店から昨年末に発行された「映画監督 小林正樹」というぶ厚い本を読んだ。昨年は、小林正樹監督の生誕百年で、没後二十年の節目だったという。一九五二年に「息子の青春」で監督デビューし遺作になった「食卓のない家」(1985年)まで、上映時間が九時間を超える「人間の條件」六部作を一本と数えれば全部で二十作品。寡作な映画監督だった。僕は初期作品は見逃しているけれど、九作めの「黒い河」(1957年)から「人間の條件」(1959年~1961年)「からみ合い」(1962年)「切腹」(1962年)「怪談」(1965年)「上意討ち--拝領妻始末」(1967年)「日本の青春」(1968年)「いのち・ぼうにふろう」(1971年)「化石」(1975年)まで、どれも好きな作品として深く記憶に刻み込まれている。

ただし、膨大にあった記録フィルムを膨大な時間を使って整理し編集した「東京裁判」(1983年)は277分という長さに怖れをなし、公開時に気になってはいたものの見逃してしまい、未だに見ていない。また、円地文子の小説を映画化した「食卓のない家」は、一九七二年に起きた浅間山荘事件と連合赤軍事件を題材にした作品なので、公開当時(事件から十年以上が経過していたが)ではまだ見る気にはなれなかった。実際の事件に取材したもので、浅間山荘に立て籠もって警官や民間人を殺し、多くの仲間を「総括」の名でリンチして殺した、犯人の学生たちのひとり(中井喜一)の父親(仲代達矢)を主人公にして物語が展開する。

浅間山荘の攻防とその後に判明したリンチ殺人事件は、あまりの凄惨さで日本中にショックを与えた。逮捕された学生たちは鬼畜のように報道され、その家族にも厳しい非難の目が注がれた。ある学生の父親は自殺したのではなかっただろうか。そんな中、息子は独立した人格であり、家族が詫びる必要はないという姿勢を貫いた父親がいた。彼の主張はメディアで流れ、多くの人が彼を非難した。息子が犯した大罪を父親が詫びるのはあたりまえ、という日本的な感情論が彼を取り囲んだ。そんな状況になったら、家族は崩壊する。円地文子はそれを小説にし、小林正樹が映画化した。今なら、僕も冷静に見られると思うけれど、その映画に出資したのはバブル期に全盛だった貸しビル業者で、彼は「食卓のない家」のDVD化を頑なに拒否しており、現在、見ることができない状態だという。

小林正樹監督は、日本を代表する四人の監督が結成した「四騎の会」のひとりだった。他の三人は、黒澤明、木下惠介、市川崑である。一般的には、小林正樹監督の名が最も知られていなかったのではないか。それに、四人の中では一番の年下(最年長の黒澤と六歳違い)だった。今回、改めて小林正樹監督へのインタビュー、スタッフやキャストの証言、詳細なフィルモグラフィーを読んで、改めて僕はその四人の中では小林正樹監督作品が最も好きだと認識した。監督は自身のベスト作品を「切腹」と言っているが、これは異論のないところだろう。

ただし、「切腹」によって、小林正樹監督は黒澤路線にいくのではないかと、公開当時は思われていたらしい。それは僕には意外だった。「切腹」には、敗者の視線、低い位置からの視点がある。それは黒澤作品には、絶対に存在しないものだ。その後の小林作品に三船プロで撮った「上意討ち--拝領妻始末」があるので、よけい黒澤路線に似ていると思う人がいるかもしれないが、剣の達人とはいえ家付きの妻に気をつかって生きる婿養子を演じた三船敏郎は、黒澤作品とはまったく違うキャラクターになっている。

昔、僕は小林正樹監督がたいして歳の違わない木下惠介監督の助監督をやっていたと知って意外に思ったことがある。作風が全く違うからだ。しかし、初期作品を見ると松竹の伝統的ホームドラマを撮っているし、木下惠介の脚本を元にした作品もある。僕が見た「黒い河」が、当時の松竹作品としては異色だったのだ。僕が「黒い河」を見たのは、公開から十数年後のことだった。東京に出てきてすぐ、銀座並木座という名画座で見た。有馬稲子が美しく、仲代達矢が演じたやくざに目を付けられ、犯されて彼の情婦のようになってしまうのが納得いかなかった。彼女はまじめな学生(渡辺文雄)に好意を持っていたのに----と、若い僕は憤慨したものだ。

●まとめて上映すると九時間以上かかる作品がヒットした

「人間の條件」は「第一部・純愛篇」「第二部・激怒篇」が公開され、十ヶ月後に「第三部・望郷篇」「第四部・戦雲篇」が公開。その一年二ヶ月後に「第五部・死の脱出」「第六部・廣野の彷徨」が公開された超大作で、まとめて上映すると九時間以上かかる。しかし、僕が大学生の頃には、公開から十数年が過ぎていたけれど、繰り返しどこかで「人間の條件」一挙上映が行われていた。オールナイト上映も頻繁にあった。梶(仲代達矢)と妻の美千子(新珠三千代)が抱き合うポスターを、今も僕は思い出す。しかし、その長さに怖れをなし、「人間の條件」(原作は高校生のときに読んだ)も僕はなかなか見ることができなかった。

意を決して(覚悟を決めて)見た「人間の條件」は素晴らしかった。鉱山での朝鮮人や中国人鉱夫の処刑や軍隊内の陰湿ないじめも描かれるが、梶という主人公のある種のさわやかさが全編にあふれていて、見終わっても暗く落ち込むことはない。描かれるのは暗い戦争の時代であり、あくまでヒューマニストであろうとする梶の生き方は苦難に充ちているけれど、どこかに希望がある。夫婦の愛の美しさがある。落後する初年兵をかばい続ける梶の強さが見る者を力づける。今回、「映画監督 小林正樹」を読んでわかったのは、梶には小林監督自身が色濃く投影されているということだ。そして、「黒い河」で印象的な役に抜擢された仲代達矢は、その後の小林作品に欠かせない役者になった。

僕が初めて見た小林正樹監督作品は、「日本の青春」だった。なぜ、僕がその映画を東宝の封切りで見ているかというと、酒井和歌子が出ているからだった。その年の三月、「さらばモスクワ愚連隊」と「めぐりあい」の二本立てを見にいき、「めぐりあい」の酒井和歌子にすっかり夢中になった十六歳(高校二年生)の僕は、彼女の出演映画の追っかけになっていたのである。それと、当時、僕は遠藤周作の作品を愛読していて、シリアスな「沈黙」からユーモア小説の「どっこいショ」(表紙のイラストは柳原良平だった)まで幅広く読んでいた。「日本の青春」は、その「どっこいショ」が原作なのだった。しかし、「めぐりあい」と同じく酒井和歌子が黒沢年男と恋人同士を演じた「日本の青春」は、暗く重厚な作品だった。

主演は、(もしかしたら初めて)シリアスな役に挑んだ藤田まことだった。彼は冴えない無気力な中年男で、特許事務所を開設しているが、部下たちからも軽んじられている。妻は口うるさく、浪人生の息子は反抗的だ。彼の青春時代は戦争のまっただ中で、下宿先の娘(新珠三千代)とは別れ別れになり、親友は戦死し、自身は軍隊で上官に殴打されて片方の耳が聞こえなくなっている。そして、現在の変化のない日常のシーンに戦争中の過去がインサートされる。そんなある日、浪人中の息子が防衛大学を受験すると言い出し、戦争の悲惨な経験を持つ主人公は猛反対する。

不思議なことに、僕は息子(黒沢年男)が防衛大学を受験すると言い出すきっかけになるシーンを、なぜかよく憶えている。町で知り合い、憧れを抱いた私服の男(菅貫太郎)が自衛官であることを知り、彼と話すうちに黒沢年男は「国を守る」意義に目覚める。五十年近く前に一度しか見たことのないそのシーンをよく記憶しているのは、たぶんいつも悪役を演じる菅貫太郎が青年に影響を与えるさわやかな男として登場したからだろう。しかし、そのエピソード自体には僕は共感しなかった。僕は理解できないのに吉本隆明の「共同幻想論」を脇に抱え、香川大学生が開くマルクス勉強会に参加するような高校生だったのだ。

●「日本の青春」は今では見ることのできない映画

「日本の青春」は小林正樹監督作品の中では、「食卓のない家」と同じように今はなかなか見られない。名画座にかかることもほとんどなかったし、今もソフト化されていない。だから、僕は四十九年前の六月に一度見たきりなのだ。主役は藤田まことだし、その初恋の相手である新珠三千代と再会し、現在の物語が動き始めるので、酒井和歌子の出演シーンはそれほどない。それほどないけれど、やはりもう一度見てみたい作品だ。酒井和歌子は黒沢年男の恋人役であり、彼女の父親(佐藤慶)は戦争中に藤田まことを殴った上官であり、現在は成功した実業家である。主人公は、再び彼と対決しなければならなくなる。

「日本の青春」が公開された頃、長期政権だった佐藤栄作首相は、自衛隊を増強し、第三次防衛計画が進行していた。世界中でステューデント・パワー(当時、メディアはそう名付けた)が爆発していた。フランスで五月革命が起こったのは、たったひと月前のことだった。復帰前の沖縄では、五月二日に嘉手納基地入り口で「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)のデモ隊とアメリカ兵が衝突し、五月末には日本大学で全学共闘会議が発足した。六月二日にはアメリカ軍のF4Cファントム戦闘機が九州大学の構内に墜落した。六月十六日には、国鉄横須賀線の電車内で時限爆弾が爆発し二十九人が死傷した。

こう書くと、一体どんな時代だったのだと思うけれど、世の中は何かと騒がしかったものの、今と同じようにほとんどの人は平和に生きていた。僕は大ヒットしたオリヴィア・ハッセー(後に布施明と結婚しましたね)主演の「ロミオとジュリエット」を見にいったり、「卒業」のヒットによって一般的にも知られるようになったサイモンとガーファンクルのレコードを買って聴いていた。ラジオからはピンキーとキラーズの「恋の季節」がひっきりなしに流れていた。前年の秋に来日したツイッギーが拍車をかけたミニブームで、若い女の子たちのスカートがやたらに短くなった。

そんなときに僕は酒井和歌子を目的に「日本の青春」(併映は森谷司郎監督の社会派ドラマ「首」だった)を見にいき、社会意識に目覚めたのだった。当時、「問題意識の低い奴」という罵り語が存在したが、僕はそう言われるのを恥と思った。そして、「意識の高い奴」は反権力を標榜し、左翼であらねばならなかった。だから、その頃の僕が「日本の青春」の青年に共感することはなく、戦中派の主人公を描いた反戦映画として見た。しかし、小林作品としてのベストは「切腹」だが、僕が一番好きなのは「いのち・ぼうにふろう」である。仲代もいいけれど、佐藤慶、岸田森、草野大悟、近藤洋介などがいい。そして、ラストのワンシーンにしか出てこない酒井和歌子がいい。それまで一度も登場しない(会ったことがない)彼女のために、無法者たちは命を懸ける。いのちをぼうにふるのである。

2017年5月 4日 (木)

お休みします

今週はゴールデンウィークで休みます。そう言えば、「ゴールデンウィーク」は映画業界が命名したものですね。今でも、ゴールデンウィークには大作が公開されるのだろうか。

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