« ■映画と夜と音楽と…780 激しい恋は「猫の恋」 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…782 落ちぶれる »

2017年7月20日 (木)

■映画と夜と音楽と…781 裕次郎に導かれて----



【赤い波止場/赤いハンカチ/二人の世界】

●八月末をもって閉館するという挨拶文が張り出されていた

小樽築港駅を出ると広いコンコースがあり、そこから広大な敷地のショッピングモールにつながっていた。その自動ドアを入り、延々と続くモールの中を歩き続けた。冷房の効いた中を歩けるのがありがたい。五百メートルほど歩いたところにあるイタリア料理店で昼食を摂り、再びモールの中を歩き始めようやく抜けきると、北海道だというのに強い日差しに晒された。見渡すと、多くのヨットが陸揚げされているマリーナがあった。海に係留されているヨットも多い。美しい光景だった。その手前に、体育館のような大きな建物があった。駐車場も広い。かみさんが「あそこよ」と言った。

見ると建物の壁面に「yujiro」というレリーフがあった。「あれだ」と僕は叫んだ。まさか、そんなに大きく立派な建物だと思っていなかったのだ。しかし、考えてみれば日本で最も人気があった映画スターの記念館である。それくらいの規模であっても当然なのだった。広い駐車場の端、記念館の入口の横には大きなヨットが太い柱に貫かれて宙吊りになっている。あれは、きっと裕次郎が愛した自身のヨットに違いない。僕とかみさんは、北海道では百年ぶりだという暑さの中、「石原裕次郎記念館」に向かって歩き始めた。

僕には、記念写真を撮る習慣がない。しかし、そのときばかりは違った。石原裕次郎記念館の入口を背景にして、「写真、撮ってあげるわ」というかみさんの言葉に素直に従った。僕自身のカメラはうっかりバッグに入れたまま駅のコインロッカーに入れてきたので、かみさんのスマホでの撮影である。恥ずかしかったが、僕は入口の前に立った。その後、僕は記念館の中に入った。そこには、石原まき子さん(北原三枝と名乗っていた美しい姿が甦る)の署名入りの「みなさまへ」という挨拶文が張り出されていた。八月末をもって閉館するという内容だった。

ことの起こりは、四国の実家から千葉の自宅に戻る途中、今年は山陰をまわって帰ろうと思い立ち、自宅のかみさんに連絡したときだった。国内も海外もあちこちいっているかみさんは、「夏だったら北海道がいいんじゃない」と言う。「北海道?」と、まったく想定していなかった僕は驚いたが、北海道には仕事で一回いっただけだし釧路に飛んで道東をまわっただけだな、と思いめぐらした。その瞬間、小樽だ、と頭の中で声がした。思わず「裕次郎記念館がある」と口にしていた。「小樽って、札幌・小樽コース?」と、かみさんは気の乗らない返事だった(後で知ったが、かみさんは小樽・札幌・富良野・旭山動物園はいったことがあったらしい)。

電話を切った後、しばらくしてかみさんからメールが入った。「石原裕次郎記念館は今年の八月いっぱいで閉館だって。もう、小樽にいくしかないね」という文面だ。これはきっと、石原裕次郎様のお導きに違いないと僕は思った。一度はいかねば----と思いつつ、二十数年間いくことがなかった僕を、裕次郎の魂が呼んだに違いない。そういうことで、七月十一日の夕方、僕は小樽駅に降り立ったのだった。小樽駅の今は使われていない四番ホームは「裕次郎ホーム」と名付けられ、裕次郎の等身大の写真がモニュメントとして立てられていた。その横に立ち、小樽にきた感慨に僕が耽っていると、何とホームのスピーカーから「きみの横顔すてきだぜ~」と「二人の世界」が流れてきた。

●裕次郎には様々な世代のファンがいて思い入れのある作品が違う

石原裕次郎記念館に展示されているリストで、裕次郎が出演した映画作品が一〇二本だと知った。出演作の中には、ボクシング部員としてワンシーンだけ出たデビュー作「太陽の季節」(1956年)、ハリウッド映画「素晴らしきヒコーキ野郎」(1965年)、勝新太郎主演の「人斬り」(1969年)、ワンシーンだけ出た「戦争と人間 第一部 運命の序曲」(1970年)、友情出演として出た最後の出演作「凍河」(1976年)などもあり、主演作となると九十数本になる。七〇年代半ばからは、「太陽にほえろ」「大都会」「西部警察」といったテレビシリーズばかりになる。亡くなったのは三十年前の七月十七日、享年五十三歳だった。

一〇二本のリストを、僕は「見た」「見ていない」と数えていった。実に七十四作品を見ていた。たぶん、初めて見たのは父に連れられていった「風速40米」(1958年)だと思う。六歳の夏である。これは間違いない。その映画での裕次郎の登場シーンは鮮明に憶えている。北原三枝などの女子学生たちが山で嵐に遭い、山小屋に逃げ込む。そこに先にいるのが石原裕次郎で、彼の足の長さを強調するために脚から登場し、股越しショットで女子学生たちが捉えられる。後に見直して、僕は自分の記憶の正しさを確認した。最後の出演作「凍河」は五木寛之の原作で、若い精神科医と繊細な女性患者の恋物語だが、僕は見ていない。だから、スクリーンで最後に見た裕次郎は「反逆の報酬」(1973年)になる。

石原裕次郎記念館でも感じたことだが、長く活躍した裕次郎は様々な世代のファンが存在し、それぞれが大切な作品を持っている。僕より十歳上の世代は、初期裕次郎作品に非常に思い入れを持っている。映像作家のかわなかのぶひろさん、写真家の丹野清志さんなどである。初期の裕次郎作品で最もヒットしたのは「嵐を呼ぶ男」(1957年)だが、作品的な完成度で言えば「俺は待ってるぜ」(1957年)「錆びたナイフ」(1958年)「赤い波止場」(1958年)がベスト3だろう。主題歌は、すべてヒットした。かわなかさんは酔うと必ず「赤い波止場」を唄う。「裕次郎を殺してはいけない」という会社の方針があったから、ラストシーンで裕次郎は逮捕されただけだった。しかし、裕次郎に初めて手錠をかけたとして話題になった。裕次郎自身は作品の中で死にたかったが、会社が許さなかったのだ。初めて死ぬことができたのは五年後、「太陽への脱出」(1963年)だった。

僕より十歳若い世代は、「太陽にほえろ」以降の石原裕次郎が印象に残っているらしい。僕も石原プロ制作のテレビドラマは見ていたけれど、映画の裕次郎のよさは、どのシリーズでも出ていなかった。石原プロの社長であり、ドラマの中では中間管理職になった裕次郎は、部下たちの活躍を温かい目で見守る存在でしかなかった。だから、印象に残っているのは、若き松田優作であり、渡哲也である。特に倉本聰がほとんどの脚本を書いた「大都会 闘いの日々」の渡哲也(大病から復帰したばかりだった)は素晴らしかった。妹を演じた仁科明子の可憐さも忘れられない。あの頃、まさか松方弘樹と結婚するとは夢にも思っていなかった。

僕より若い世代には「西部警察」への思い入れが強いのかもしれない。石原裕次郎記念館でも「西部警察」関連の展示は多かったし、アニバーサリーショップでも「西部警察」関連グッズが取りそろえられていた。それに車である。「西部警察」で使用されたスポーツカーや特別仕様の車、それに撮影機材などが豊富に展示されていた。それだけ石原プロとして力を入れていたのだろうが、アクション偏重でドラマとしての味わいは薄くなっていったと僕は思う。車を爆発させたり燃やしたり、刑事がショットガンを撃ちまくったり、テレビとしては画期的だったかもしれないけれど、僕は地味な刑事ドラマだった「大都会」が好きだった。

●裕次郎作品には海外作品を換骨奪胎した翻案ものが多い

僕の世代にとって最も思い入れの強い裕次郎作品は、何といっても「赤いハンカチ」(1964年)である。「おとーふやさーん」「おいしんですのよ、私のおみおつけ」というセリフでニヤリとできるのは、僕らの世代だと思う。この何でもないセリフを、矢作俊彦さんは何度も自分の小説の中に登場させている。その他には「夕陽の丘」(1964年)「二人の世界」(1966年)がある。いわゆる中期裕次郎の「ムードアクション」と呼ばれる作品群だ。ほんの数年間に、石原裕次郎の代表作が数多く作られた。最も知られているのは「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)だろう。

「太った裕次郎は我らの敵だ」と書いた矢作俊彦さんは、少し太り始めた裕次郎が演じたムードアクションの主人公たちが大好きなのに違いない。初期作品の「リンゴォ・キッドの休日」ではフェリーノ・ヴァルガスという人物を登場させ、「二人の世界」へのオマージュを捧げた。さらに二十五年後、高い評価を得た「ららら科學の子」では物語の下敷きとして「二人の世界」を使い、この裕次郎映画に対する深いこだわりを感じさせた。大沢在昌さんも「二人の世界」を見たとき、日本離れしたハードボイルドなキザなセリフが、石原裕次郎の口から出ることで現実のものとして定着している日活(無国籍)ムードアクションの世界に感心したという。

「二人の世界」は日本へ向かう豪華客船の中で、フィリピン国籍のフェリーノ・ヴァルガス(石原裕次郎)と戸川玲子(浅丘ルリ子)が出会うところから物語が始まる。その船にはヴァルガスを探る日本人の週刊誌記者である川瀬(二谷英明)が乗っている。川瀬は、フェリーノ・ヴァルガスが十五年前に殺人犯として海外逃亡した北条修一ではないかと疑っているのだ。フェリーノ・ヴァルガスこと北条修一は、時効が迫る中、無実を晴らすために日本に向かっているのである。矢作俊彦さんの「ららら科學の子」は、学生運動で罪を犯して中国に逃亡していた主人公が日本に戻ってくる物語だった。

それにしても、裕次郎作品には海外作品を換骨奪胎した翻案ものが多い。「赤い波止場」はジャン・ギャバン主演のフランス映画「望郷(ペペ・ル・モコ)」(1937年)の翻案である。「帰らざる波止場」(1966年)は、フランソワーズ・アルヌール主演のフランス映画「過去を持つ愛情」(1954年)の翻案だ。妻を殺した男と夫殺しの疑惑をもたれている女との恋愛劇。それを、誤って恋人を射殺したピアニスト(石原裕次郎)と富豪の夫を殺した疑惑で刑事につけまわされている女(浅丘ルリ子)に置き換えた。さらに石原裕次郎記念館でも人気だった「夜霧よ今夜も有難う」は、ポスターに「甦るカサブランカの世界」と書かれているように、完全に「カサブランカ」(1942年)の翻案である。

そんなことを思い出しながら、記念館をじっくりと僕は見た。二時間近くが経っていた。僕は、完全にミーハーなファンになっていた。展示室を抜けると、アニバーサリーショップだった。「yujiro」のサインが入ったグッズがたくさん売られていた。普段、記念品というものを買わないのだが、僕はじっくりとグッズを見てサインが刻印されたキーホルダーと、裕次郎作品のリストが印刷された「石原裕次郎 想い出の映画手拭」を買った。それは「石原裕次郎記念館」特性のビニール袋に入れられ、「yujiro」のサインが印刷されたシールで閉じられている。中身を取り出すためには、そのシールを破らなければならないが、もったいなくて破ることができない。もう一枚買っておくべきだったなあ。

« ■映画と夜と音楽と…780 激しい恋は「猫の恋」 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…782 落ちぶれる »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/65557747

この記事へのトラックバック一覧です: ■映画と夜と音楽と…781 裕次郎に導かれて----:

« ■映画と夜と音楽と…780 激しい恋は「猫の恋」 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…782 落ちぶれる »

無料ブログはココログ
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30