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2017年8月

2017年8月31日 (木)

■映画と夜と音楽と…784 西川作品にまつわる××について



【蛇イチゴ/ゆれる/ディア・ドクター/夢売るふたり/永い言い訳】

●女性監督が活躍する日本映画界の中でもトップランナーか

三回、夏休みで「映画と夜と音楽と----」を休載した。今回から再開するのだけれど、これで十九年目に入ることになる。メルマガ「日刊デジタルクリエイターズ」に毎週、映画コラムを書き始めたのが一九九九年の八月下旬だった。「日刊デジタルクリエイターズ」の夏休み明けからのスタートだったのである。最初は「デジクリトーク」として始まったが、途中からタイトルを「映画と夜と音楽と----」に変えた。「あなたと夜と音楽と----」をモジっているのだが、大した意味はない。また、数年前にメルマガ連載をやめて、自分のブログで書き続けることにした。それにしても、丸十八年間を書き続けてきたのかと思うと、ちょっと感慨深いものがある。何しろスタートしたのは二十世紀だったし、僕もまだ四十代だったのだ。

夏休みの間に読んだ本の一冊に、西川美和監督の「映画にまつわるxについて2」がある。西川監督は数年に一本しか作らない(作れない)ので、本編としては「蛇イチゴ」(2003年)「ゆれる」(2006年)「ディア・ドクター」(2009年)「夢売るふたり」(2012年)「永い言い訳」(2016年)の五本しかない。西川監督の新作が公開されると僕は必ず見ているわけだから、たぶん作品を評価しているのだろうけれど、好きな監督かというと何となく違う気がする。たとえば、同世代の女性監督としては、「かもめ食堂」(2006年)の荻上直子監督(1972年生まれ)、「百万円と苦虫女」(2008年)のタナダユキ監督(1975年生まれ)の作風については僕は明確に好きだと言えるのだが、西川美和監督(1974年生まれ)の作品については、単純に「好きな映画」と言いにくいのだ。

西川監督作品はどれも評価が高く、いろいろな映画賞も受賞している。キネマ旬報ベストテンに入る作品ばかりだ。「ゆれる」は二位だったし、「ディア・ドクター」は一位だった。それに、自ら脚本を書くので、脚本での受賞も多い。それを小説化すると、三島由紀夫賞の候補になったりする。初めて先に小説として書いた「永い言い訳」は直木賞候補作品となり、それを自ら脚本にして映画化する形になった。今のところ小説作品だけである「その日東京駅五時二十五分発」は、広島出身の彼女が書かずにいられなかったのだろうが、文学の世界で高い評価を受けている。才媛である。うらやましいほどの才能だ。

誤解しないように念を押しておくと、僕も西川監督作品は高く評価しているし、新作を楽しみにしている。公開されると必ず見る。しかし、どこかに微妙な違和感のようなものを感じるのだ。雨上がり決死隊の宮迫が主演した「蛇イチゴ」以来、その微妙な何かが僕をして「西川監督作品が好きだ」と断言させないのである。それは、いったい何なのだろう、と永く思ってきたが、エッセイ集「映画にまつわるxについて2」を読んで、何となくわかった気がした。この本は「永い言い訳」を発想し、小説を書き、それを映画化していく数年間を、自らが赤裸々(ここまで書いていいのかなと思うくらい)に明かす、文字によるメイキング(製作舞台裏)の公開だった。映像によるメイキングと違って、監督のメンタルな部分が明かされているのが、とてもおもしろい。

それで、僕が何を納得したかというと、「この人は非常に頭がいい」ということだった。文章は明晰で、自己についても謙虚や自惚れとはまったく異なるレベルで客観的であり、分析力は確かで、必要なら己の生活や過去の失敗などを明かすことができ、それを無理に茶化して道化を演じることもない。たぶん優等生だったのだろうと思ったら、僕が二度失敗した早稲田大学第一文学部の出身だった。エッセイの中で、大学生の時にカメラマンのアシスタントをしていたと書いていたので、てっきり日芸写真学科とか専門学校かと思っていたのだ。僕は早稲田一文出身者には無前提的に降伏することにしているので(会社員時代に信頼していたスタッフふたりは、共に早稲田一文出身だった)、そのエッセイを読んで感心してしまったのだった。

●是枝裕和監督は入社試験の面接で彼女の才能を見抜いたのか?

これは西川監督自身も書いていることだが、彼女は映像制作関係の仕事を志望して、いくつかの会社を受けた。そのひとつがテレビマンユニオンであり、その入社試験の面接官が今や日本を代表する監督になった是枝裕和さんだった。テレビマンユニオンの試験は落ちだが、是枝監督から「フリーでいいのなら仕事をしないか」と電話があり、是枝監督や諏訪敦彦監督などの現場を経験する。是枝監督作品では監督助手的なポジションとして、監督がオッケーを出したシーンにダメ出しをしたりする役だったという。二十代半ばでそんな得難い経験をし、是枝監督の勧めもあり、二十八歳で脚本監督を務めた「蛇イチゴ」(制作は是枝監督)でデビューし、新人監督に与えられる栄誉や賞をほとんど獲得した。

もちろん、西川監督本人の才能と実力(二十八歳で大勢のスタッフを指揮するのは力業だと思う)があったのは間違いないが、是枝監督がそれを見抜いたことを凄いと僕は思ってしまう。是枝監督は、二十三歳の就職志望の女子大生の中に何を見いだしたのだろう。「こいつは才能があるぞ」と確信したのだろうか。出版社に勤めていた頃、僕はリクルート担当者として多くの面接を経験した。数え切れない若者たちを見た。最終的には面接官たちの討議によって合格者が決まるのだが、その討議は常に紛糾した。全員が一致して推すことはほとんどなく、面接官によって推薦者はバラバラだった。僕が推した人の中にも、その後、あまり活躍しなかったり、編集者として不向きだったりという人物はいた。そんな時、面接官たちは「人を見るのはむずかしいな」と嘆きあったものだ。

昔の映画会社では監督の元に数人の助監督が付き、その中から監督に育つ人が出てくる。たとえば、木下恵介監督門下では小林正樹監督、吉田喜重監督、勅使河原宏監督、脚本家の山田太一さんなどがいる。しかし、現在の映画界の状況で、是枝監督と西川監督のような師弟関係は珍しい。西川監督はエッセイ集の中で是枝監督を「師匠」と書いているし、二十代半ばの自分を是枝監督は助手として常に身近に置いていたことで、自分が「マスコット的存在」あるいは「愛人」として見られていたのではないかとさえ書いている。気負いも衒いもなく、そうすんなり書けるのが凄いなあ、とまた感心してしまう。自身を冷静に分析し、客観的に見ることは、なかなかできることではない。

ということから、僕が西川監督作品に感じる「かすかな違和感のような何か」が何となく僕にはわかってきたのだ。つまり、それは「西川監督作品が理知的過ぎるのではないか」ということだった。もっと、くだけた言い方をすると「西川美和監督作品には、どこか理屈っぽさを感じる」のである。それは、もしかしたら西川監督が自身の発想(自分が見た夢が元だったりするという)を徹底的に分析し、膨らませ、集中して脚本化(小説化)し、すべての登場人物の生い立ちまで作り上げ、完全な世界を構築した上で映像化しているからかもしれない。現場で演出をするとき、彼女の中には、ひとつの世界が完成しているのだ。すべての登場人物は、生まれてからそのシーンに登場するまでの人生が把握されているのである。

しかし、それは、ある種の不完全さが醸し出す、曖昧さやゆるさを許さないのではないか。「蛇イチゴ」の賽銭泥棒で暮らしている行方不明だったやくざな長男が、自分の祖父の葬儀にぶつかり家族と再会してしまうという設定には、ナンセンスでバカバカしいおかしさがあるし、「ディア・ドクター」の過疎の村の偽医者に心酔する若い医者という設定にも、同じようにナンセンス喜劇の要素がある。「夢売るふたり」での焼けた店を再建するために、夫婦で結婚詐欺を始めるという設定も同じである。それを喜劇にすることも可能だけれど、どちらかと言えば西川監督は、そんなブラックな喜劇的設定からシリアスな方向にいくことが多い。ユーモアはあるのだけれど、作品としては「笑えない」方向にいくのだ。そこには、人間に対する冷徹な(見方によっては意地悪な)視線がある。

●西川監督は「嘘」を物語を進める原動力としてきたが---

高く評価された二作目「ゆれる」は、笑える要素などまったくないシリアスな作品だった。その作品からは、キリキリと見る者に強く迫るものをぼくは感じた。見るのが、つらくなったのだ。田舎で暮らす兄(香川照之)と都会で派手な生活を送る売れっ子カメラマンの弟(オダギリジョー)。兄が好きだった女(真木よう子)を気まぐれのように抱いて棄て都会に出た弟。その女を自分が営むガソリンスタントで雇い、ずっと保護してきた兄。ある日、弟が母親の一周忌で帰ってくる。ガソリンスタンドで昔の女と出会った弟は、その夜に女と再び関係を持つ。翌日、兄弟と女は吊り橋のある渓谷にいく。女は弟と一緒に東京へいくと言い出す。弟が写真を撮っていると、兄と女が吊り橋の上にいる。そして、女が落ちる----。兄は、女を突き落としたのだろうか。そんな物語である。

僕が最初に見た西川監督作品が「ゆれる」だった。映画を見て、理解できない何かが残った。それを知りたくて、僕は小説化された「ゆれる」を買った。カバーは吊り橋の写真である。しかし、小説は映画とはまったく異なるものだった。第一章は「早川猛のかたり」となっていて弟の一人称、第二章は「川端智恵子のかたり」で吊り橋から落ちて死ぬヒロインの一人称、第三章は「早川勇のかたり」で兄弟の父親の一人称、第四章は「早川修のかたり」で兄弟の伯父の一人称、第五章で再び「早川猛のかたり」で弟の一人称に戻り、第六章で「早川稔のかたり」で初めて兄の一人称になる。第七章で「早川猛のかたり」になり、物語はクライマックスを迎える。そして、エピローグ的に第八章「岡島洋平のかたり」で兄弟を等しく見る人間の視点を提出する。実に巧妙に設計された小説だった。

映画「ゆれる」と小説「ゆれる」は、まったく別のものである。同じ主題が展開されていても、まるで違う解釈が生まれる。やっぱり、西川美和はただ者ではない、という思いが強くなった。そして、小説「永い言い訳」が出版されたとき、僕はそれを手に取ったのだった。その書き方も、不思議な構成になっていた。それを映像化するときには、逆にシンプルにせざるを得ない。だから、映画化された「永い言い訳」の方がずっとわかりやすくなっている。そして、「映画にまつわるxについて2」を読むと、監督は手の内をすべて晒している。そのうえで、僕は映画化された「永い言い訳」を見た。そして、今まで西川作品に感じていた「違和感のようなもの」が薄まっているのに気づいた。

「永い言い訳」は、二十年連れ添った妻が友人とバス旅行に出て事故で死んだとき、妻の留守に女性編集者と自宅でセックスしていた小説家の物語である。主人公の衣笠幸夫(本木雅弘)は売れている小説家だが、本名が有名な野球選手と同じなのでペンネームにしている。二十年連れ添った美容師の妻(深津絵里)は、結婚以来ずっと「サチオくん」と呼んでいて、そのことにサチオは苛立つ。妻に髪をカットしてもらいながら、「編集者がきたときくらいは、サチオくんと呼ぶのをやめてほしい」と言う。その後、妻が親友とバス旅行に出かけると、サチオはすぐに愛人を自宅に招き入れる。ふたりは、夫婦のベッドでセックスする。翌朝、ふたりがソファで睦みあっていると、妻が事故で死んだと警察から連絡が入る。

旅行会社が開いた遺族への説明会で、サチオは感情をむき出しにして「妻を返してくれよ」と叫ぶ男と出会う。一緒に死んだ妻の親友の夫で、トラック運転手の陽一(竹原ピストル)である。彼には小学六年生の息子と就学前の娘がいる。彼らをフランス料理屋に招待したサチオだが、娘が甲殻類アレルギーで大騒ぎになり、陽一は娘を連れて病院へ走る。息子を預かったサチオは彼らのマンションにいき、息子が母親の死で中学受験をあきらめたことを知る。娘と帰ってきた陽一にサチオは「彼はあきらめきれてないよ」と言い、仕事で留守が多い陽一に代わって、自分が子供たちの面倒を見に通ってもいいと提案する。ノートとパソコンさえあれば仕事はできるのだと----。

「蛇イチゴ」では「おいしい蛇イチゴがある」という嘘が象徴的に提出され、「ゆれる」では女をつり橋から突き落としたのかどうかという虚実が描かれた。「ディア・ドクター」では偽医者の嘘が、「夢売るふたり」は結婚詐欺という嘘が、物語を進める原動力になった。しかし、「永い言い訳」では設定の中心に「嘘」は存在しない。もちろん、人間を描くときに「嘘」は重要な要素だが、「永い言い訳」の物語を進めるのは「残された者の後ろめたさ」である。妻が死んだときに他の女とセックスしていた男、その妻の死を悲しめない男、彼は「死んだ人間の復讐」を感じているのだ。そんなダメ男の心情が、妻が死んで以来、髪を伸ばしっぱなしにしている主人公から伝わってきた。

2017年8月24日 (木)

■イタリアの巨匠たちの作品には喚起的な映像があふれている

今週も夏休みで「映画と夜と音楽と----」は休載します。
以下は、八年ほど前、ある写真雑誌の依頼で書いたものです。

■イタリアの巨匠たちの作品には
 いつ見ても写真が撮りたくなる喚起的な映像があふれている

閃光がスクリーンを裂く。フラッシュの発光音、チャージする音が続く。絶え間なく響くのはシャッター音だ。フィルムを巻き上げるモータードライブの音が間を埋める。美しい女がスタジオの床に横たわり、身悶えするように蠢く。女に馬乗りになりカメラを構えた男は、ファインダーから目を離さずシャッターを押し続ける。

まるで狂った二匹の獣が絡み合うような、激しいスタジオ撮影を終えた若き写真家は、一変して静かな男になり小型カメラを抱えて街に出る。彼は公園で抱き合うカップルを撮影し暗室でプリントすると、男女の背後の茂みに死体のようなモノが写っているのに気付く…。彼は、その部分をどんどんブローアップしていく。

それは、鮮烈な視覚体験だった。ロンドンがファッションの発信源だった頃の映画。一九六七年七月、その映画を見た少年はひと夏をアルバイトでつぶし、念願の一眼レフを手に入れた。モータードライブが装着できるキヤノンF1には手が届かず、FTbと刻印されたカメラで満足するしかなかったけれど…。

映画「欲望」(原題は「ブローアップ」)を見て写真家になった人を、少なくとも三人は知っている。それほど、冒頭の撮影シーンは強いインパクトを観客に与えた。さらに暗室作業を魅力的に描いたミケランジェロ・アントニオーニの名は、写真界に多大な貢献をした人間として記憶されるべきだろう。

その十数年後、日本の広告写真やファッション写真に影響を与えたのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督だった。ヨーロッパの王侯貴族の物語「ルードウィッヒ 神々の黄昏」は、イタリア貴族の生まれだったヴィスコンティにしか描けない絢爛たる絵巻だった。

イタリアには、もうひとりの巨匠がいた。フェデリコ・フェリーニ…。後年の奔放な映像を作り出す才能は、空を飛ぶキリスト像から始まる「甘い生活」ですでに花開いていた。モノクローム時代のフェリーニの映像は喚起的だ。

彼らより世代は若いが、イタリア出身にはベルナルド・ベルトルッチ監督もいる。撮影監督ビットリオ・ストラーロのゾクゾクするような映像が素晴らしい「暗殺の森」一本だけでも、彼の名は世界の映画史に残るだろう。まだ現役のベルトルッチは、更なる傑作を生み出すかもしれない。

■ミケランジェロ・アントニオーニ作品
「欲望」(1966年)
アントニオー二の世界では、すべてのことが不確かだ。主人公の写真家は、「存在するもの」に確信が持てなくなり、自らに問う。「写っているものは、本当に存在しているのか?」

「太陽はひとりぼっち」(1962年)
愛は不毛だ、とアントニオー二は言う。愛は失われ、新たな愛が生まれかかるが、再び失われる。ラストシーンの無人のカットが、心の中の何かを掻き立てる。「日蝕」というタイトルが喚起的だ。

■ルキノ・ヴィスコンティ作品
「ルードウィッヒ 神々の黄昏」(1972年)
城の佇まい、登場人物たちの背景を彩る館の装飾、家具のひとつひとつ、衣装デザインの見事さ、馬車や器などの大道具小道具など、すべてが完璧な美術品のような映画だった。

「熊座の淡き星影」(1965年)
他にも代表作はあるのだが、この作品には強く惹かれる。タイトルも好きだ。モノクロームで描かれる夜のシーンの陰影の深さは、若きクラウディア・カルディナーレをさらに美しく見せる。

■フェデリコ・フェリーニ監督作品
「甘い生活」(1959年)
冒頭、キリスト像を吊り下げたヘリがローマの上空を飛び、ハリウッドのグラマー女優はドレス姿で噴水に入る。モノクロームの世界は、イメージを膨らませてくれるものがある。

「8 1/2」(1963年)
最近、ハリウッドでミュージカル「NINE」としてリメイクされたが、オリジナルはカーニバルのような映画だ。主人公の映画監督はフェリーニ自身か。目がくらむような映像が続く。

■ベルナルド・ベルトルッチ監督作品
「暗殺の森」(1970年)
名手ビットリオ・ストラーロは、ダンスホールで見事な照明のワザを見せ、白い雪の積もる暗い森の中で真っ赤な血を描き出す。ドミニク・サンダの美しさは、ストラーロによって永遠に刻み込まれた。

「シェルタリング・スカイ」(1990年)
なぜか、この映画のジョン・マルコヴィッチとデブラ・ウィンガーが好きだ。アフリカの砂漠の映像が美しく、登場人物たちと共に彷徨したくなる危険な映画。愛もさまようしかないのか。

2017年8月17日 (木)

■映画は理想を描きたい


以下は、昨年、高知の県立美術館ホールでの「ヒマラヤ杉に降る雪」上映会で依頼されて、一時間ほど話をした時のノートです。そう言えば、最近、サム・シェパードも亡くなってしまいましたね。

■映画は理想を描きたい

十数年ほど前のことですが、アメリカの映画協会が映画史上のヒーローの投票をし、順位をつけたことがあります。そのとき、インディ・ジョーンズもジェームズ・ボンドもランボーもおさえて一位になったヒーローは、アティカス・フィンチという人物でした。みなさん、ご存知ですか。

彼は南部の弁護士です。一作しか登場しませんが、良識的なアメリカ人の誇りとなっています。彼は、ハーパー・リーが書いた「アラバマ物語」の主人公です。映画化されたのは、一九六二年。まだ、南部では『ホワイト』と『カラード』という表示がレストランやバスやトイレなどに貼られていた時代です。日本人も、もちろん『カラード』になります。

私が 「アラバマ物語/to kill a mockingbird」を初めて見たのは、小学生の高学年だったと思います。テレビ放映でしたが、いたく感動しました。原作は暮らしの手帖社から今も発売されています。原作本の表紙は、映画で主人公の娘スカウトを演じた少女の写真です。映画は、大人になった主人公が少女時代を回想する形で語られます。

一九三二年、大恐慌まっただ中のアメリカ南部が舞台です。スカウトは六歳。少し年上の兄がいて、父親は弁護士。面倒見のよい黒人のハウスキーパーがいて、子供らを厳しくしつけています。

父親を演じたのがグレゴリー・ペックです。「ローマの休日」からほぼ十年、ペックは少し歳を取って落ち着いた感じになり、相変わらず誠実そうな人柄をスクリーンで見せてくれます。ペックは長く大根役者(アメリカではハム)と言われましたが、「アラバマ物語」のアティカス・フィンチ役で、ようやくアカデミー主演男優賞を獲得します。

「アラバマ物語」でペックが演じたのは、妻に先立たれてふたりの子供を育てながら田舎町で弁護士を営む男です。彼には知性と教養があり、真面目で誠実な人物です。穏やかで落ち着いた話し方をし、感情を露わにせず、そのくせ堅物ではなくユーモアに満ちています。

子供たちには愛情に溢れた理解のある父親だし、誰にも偏見を持たず公正に接しています。また、町の中に現れた狂犬を射殺するシーンでは、射撃の名手だったことが判明しますが、そのことを誇らない奥ゆかしさも描かれます。

彼はリベラルな考え方をする人間で、「偏見」という頑迷な呪縛から解放されています。一九三〇年代のアメリカ南部の白人としては、とても珍しい存在かもしれません。彼は黒人の青年が白人女性をレイプしたとして告発されている事件で、判事の頼みによって黒人の弁護を引き受けます。

一九三〇年代のアメリカ南部。その頃、黒人たちがどのように迫害され差別されていたのか私にはわかりませんが、白人たちのリンチに遭い木に吊るされた黒人の死体を「奇妙な果実」と歌ったビリー・ホリディの名曲「ストレンジ・フルーツ」が録音されるのは一九三九年のことでした。

誰も引き受け手のなかった黒人レイプ犯の弁護を父親が引き受けたがために、主人公の少女は学校でいじめられ、彼女は「なぜ、引き受けたの」と父親に問います。まだ幼い娘に父親は「自尊心を保つため」と正面から答えます。

それは彼の信念であり、生き方のスタイルです。困難な弁護になることはわかっているし、町の人々から非難されるだろうことも予想できました。だが、彼は引き受けます。なぜなら、自尊心をなくさないでいたいから----

無知と偏見と愚かさと、いわれのない敵意に充ちた南部社会の中でペックは誇りを失わず、「黒人びいきめ」と唾をかけられても毅然とした態度を崩しません。ペックが演じる弁護士は、私が考える理想の人物でした。

そんな非の打ちどころのない人物は、とかく聖人のように描かれ血肉の通わない非人間的なものになってしまいがちですが、ペックはそんな理想的な人物が現実の世界で生きているのだと思わせてくれます。

私は「アラバマ物語」を何度見たかわかりませんが、十七年ほど前からは「アラバマ物語」を見ると、私はもうひとりの父親を思い出すようになりました。「ヒマラヤ杉に降る雪」(一九九九年)の主人公(イーサン・ホーク)の父親(サム・シェパード)です。

第二次大戦に出征し日本軍と戦って片腕を失った主人公は島へ帰り、父親が発行し続けた新聞社を継いでいます。彼は社主であり記者であり印刷工でもあります。ある日、彼は日系人の漁師が殺人罪で起訴された法廷を取材する。太平洋戦争終結から間もない頃、日系人に対する偏見はまだ払拭されていません。

その被告人の妻は、今でも彼が愛している日系女性です。彼は少年時代から彼女に憧れ、いつか森の中で密会する間柄になっています。しかし、日系人と白人という違い、太平洋戦争の勃発、その後の日系人の隔離政策などによって彼らは結ばれない。

WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)っぽいイーサン・ホークと工藤夕貴のラブシーンは見ていて少し違和感がありますが、描き方に工夫があり見応えのあるラブストーリーになっています。特に少年少女の時代のエピソードは心に沁みるものがあります。

主人公の父親は戦前から島の新聞社を運営しています。彼はリベラルで公正で、偏見からは最も遠いところにいる人物です。時は一九四一年を迎え、真珠湾攻撃が起こり、日系移民たちが迫害される。その時、公正な立場から日系移民には何の罪もないことを彼は自分の新聞でキャンペーンを張ります。

しかし、そのことによって新聞は購読拒否に遭い経営難を迎える。彼の家には嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってくる。自宅に石を投げ込まれる。「日本人びいき」と町では誹られる。しかし、彼は自分の信念を曲げない。日系人がアメリカ政府の命令によって強制収容され、自分の土地を奪われることを彼は正義ではないと説きます。

その父親も死に、主人公は父親の偉大な幻影を感じながら同じ道を歩んでいます。取材先で出会う人々は「立派なお父さんだった」と彼に言う。誇らしい反面、彼は自分自身に忸怩たるものを感じている。彼にとって父は決して越えられないライバルなのです。彼は独自に調査を続け、殺人で告発されている日系人の漁師にとってのある事実を発見します。彼は、その事実をどうするでしょう。それが、サスペンスを醸し出します。

彼は日本人の攻撃で死に瀕し片腕を失った。彼の恋人は日系の男に奪われた……。彼は日系人に対する自らの感情を手探りします。〈俺は日本人を憎んでいるのだろうか……〉と。その時、彼は思ったはずです。〈父だったらどうするだろう〉と。彼にとって父親は指針です。あるいはひとつの価値観です。理想を求めた父親の生き方は、間違いなく子供に伝わっています。

「アラバマ物語」は黒人に対する迫害と偏見、「ヒマラヤ杉に降る雪」は日系人に対する迫害と偏見がテーマになっています。共に法廷ドラマを核に物語が進行し、意外などんでん返しがあり、悲しくせつない結末があります。

この両方の映画に共通して出てくる醜い人間たちがいます。偏見に凝り固まり、己の欲に無自覚な人間たちです。黒人の弁護を引き受けたグレゴリー・ペックを誹る男たち、日系人を正当に扱ったゆえにサム・シェパードを非難する狭量な人間たち、日系人の弱みにつけ込み土地をだまし取り「だってあいつらは敵国の人間よ」と自己を正当化して恥じない女たちです。

グレゴリー・ペックはユダヤ人に対する偏見をテーマにした「紳士協定」(一九四七年)という映画にも出演しています。ジャーナリストの役で、彼はユダヤ人に対する偏見をレポートするために「実は僕はユダヤ人」という嘘のカミングアウトをして人々の反応を見ます。そのことによって、彼はひどい迫害、選別、差別を受けるのです。

見るからにWASP風なペックだから、ユダヤ人だとわかってからの相手の態度の変化が見られるのがこの映画の面白さです。彼らは豹変します。偏見を持つ人々は普段は紳士や淑女然としていても、相手がユダヤ人だとわかった途端にソワソワし落ち着かない。皆、一様に醜い表情に変わります。

人種偏見はアメリカだけの話ではありません。コリアン・ジャパニーズを自称する金城一紀の直木賞受賞作「GO」の中に出てくる恋人の父親は、金持ちでインテリで教養もありリベラルな振りをしていますが、「韓国人の血は汚れている」と平気で口にする、やはり醜い人間です。

主人公は、日本人の恋人に在日韓国人であることを告白できない。初めて彼らがセックスをしようとする直前、主人公はそのことを告白します。その時、ヒロインは心ではわかっていても、肉体が相手を拒絶していることに気付きます。「GO」は若いふたりが、偏見という実体がないくせにやっかいなものをどう乗り越えるかがテーマでした

2001年9月11日のニューヨーク貿易センタービルへのテロ事件以来、アメリカではアラブ系移民に対する緊張感が高まったそうです。真珠湾攻撃後の日系人に対する迫害を、そのことに重ねて論じるジャーナリズムもありました。半世紀以上たっても、人間の社会はそうしたことを未だに乗り越えられません。

映画はそんな人間の醜悪さを具体化して見せてくれます。「黒人びいきめ」とペックの顔に唾を吐きかける白人男の醜さ、黒人をリンチしようと集まってくる白人たちの下卑た顔、「白人のくせに日系人の味方をするのか」とサム・シェパードの家に石を投げ込む人間たちの卑劣さ、それを映像の力で見せてくれます。

「アラバマ物語」を見て、偏見に満ちた男たちに感情移入する人間はいないと思います。「ヒマラヤ杉に降る雪」を見て、自分もサム・シェパードの家に石を投げ込みたいと思う人間はいないでしょう。

私は、映画や本の効用を信じている人間です。そして、映画は理想を描くべきだとも思っています。私が神と仰ぐフランスの映画監督ジャン・ピエール・メルヴィルはこう言っています。

──映画は夢を描くものだ。
私の映画は、もし私だったらこういうふうに行動したいという願望から作られている。

ギャングが主人公なら「こうありたいギャング」を描き、殺し屋が主人公なら「こういう風に行動したい殺し屋」を描いたメルヴィルです。そういう広い意味で、僕は映画は理想(夢)を描くべきだと思っています。理想(夢)を求めないで、どうして人間は成長できるでしょうか?

2017年8月10日 (木)

■「若者たち」が見た夢/夢を見るから人間なのだ


今週は夏休みです。「映画と夜と音楽と----」は休載します。
以下は、十年前に「団塊パンチ」という飛鳥新社が出していた雑誌に頼まれて書いたものです。

■「若者たち」が見た夢/夢を見るから人間なのだ

三十数年前のことだが、四年ほど阿佐ヶ谷に住んでいた。一度は阿佐ヶ谷に住みたかったからだ。阿佐ヶ谷という地名は、永島慎二の「若者たち」という漫画で初めて知った。

僕の手元に、今でも「永島慎二集」という立派な函入りの作品集がある。一九七〇年、高校三年生の冬に買ったものだ。その作品集の中に「若者たち」が収録されていた。漫画家の村岡栄が街で詩人を自称する青年と歌手をめざす青年を拾うところから始まる青春物語である。彼らが住んでいたのが、阿佐ヶ谷の安アパートだった。

「嵐」の面々が出演する「黄色い涙」(2007年)の原作が「若者たち」だと知ったとき、何をおいても見にいかねばと思った。脚本は市川森一。永島慎二の漫画に過剰な思いを抱いて脚色したに違いない。映画は永島慎二への献辞で始まる。二〇〇五年六月の永島慎二の死を知って、この映画は企画されたのではあるまいか。主人公の村岡栄介(二宮和也)には永島慎二が投影されている。

昭和三十八年(一九六三年)、東京オリンピックの前年、まだ戦後の風俗が色濃く残っていた頃の話だ。その時代を再現するために町並みが組まれ、木造の阿佐ヶ谷駅が作られ、懐かしい歌が流れる。新宿駅では傷痍軍人がアコーディオンを弾いているし、ロバのパン屋が蒸かしパンを売っている。

米屋のご用聞き(松本潤)が食堂の娘(香椎由宇)から借りていた「映画の友」一月号の表紙はキム・ノヴァックである。食堂の娘が歌手志望の青年(相葉雅紀)に振られて入る映画館では、小林旭の「南国土佐を後にして」が上映されている。

しかし、この映画は「ALLWAYS 三丁目の夕日」のように過ぎ去った昭和を再現し、観客のノスタルジーにのみ訴えるような作品ではない。普遍的なドラマがある。昭和三十八年であっても、二十一世紀であっても、人は夢を見る。そのことが「黄色い涙」のテーマなのだ。

思えば、永島慎二は「夢を見ること」を描き続けた作家だった。この映画の中で村岡栄介が描く作品として使われたのは「かかしがきいたかえるのはなし」という永島慎二の代表的な短編だ。それは「夢を持った悲しみ、夢を追い続ける苦しみ」を描いた珠玉の名作である。

人は夢を見る。逆に言えば、夢を見るから人間なのだ。そして、誰にも夢を見るだけで生きていられた時代があった。漫画家になる夢、歌手になる夢、小説家になる夢、画家になる夢…、四人の若者たちは阿佐ヶ谷のぼろアパートの一室で共同生活をしながら、それぞれの夢に向かって生きている。彼らは恋をし、挫折し、妥協し、やがて大人になる。

しかし、栄介はかたくなに己の夢にこだわる。漫画家の夢を棄てない。ひと夏かかって描き上げた作品を編集者に一蹴され、その夜、母親の危篤の電報を受け取って帰郷する夜汽車の中で、その作品を隣のボックスの少年に渡すシーンに漂う切なさは、彼がこだわり続ける漫画があるが故により高まる。

彼は単に漫画家になりたいのではない。自分が理想とする漫画が描ける漫画家になりたいのである。貧乏しようが、飢えようが、彼は妥協しない。そんなかたくなさを秘めながら、心優しいまじめな普通の青年を演じた二宮和也がとてもいい。

僕としては、栄介の病気の母親を演じた松原千恵子が懐かしかった。相変わらず痩せていて、切なそうな泣き顔は健在だ。かつて日活映画のヒロインを演じた松原千恵子が重ねた長い長い年月に思いを馳せながら、己の夢はどこへいったのだ、と劇場を出ながら僕はつぶやいていた。

2017年8月 3日 (木)

■映画と夜と音楽と…783 大量虐殺者の素顔



【アイヒマン・ショー:歴史を映した男たち/ハンナ・アーレント/サウルの息子】

●十歳にもならない小学生たちも「アイヒマン」という名前を知っていた

アイヒマンが何者か知らないのに、「アイヒマン、アイヒマン」と口にして騒いだ。人の名前だとは思えず、何かの怪物だと思っていた節もある。それがユダヤ人を大量虐殺したナチの将校だと理解したのは、ずいぶん後のことだ。それでも、当時、十歳にもならない小学生たちも「アイヒマン」という名前を知っていた。一九六一年の初夏。僕は小学四年生で、まだ九歳だった。前年の暮れ、教室の後ろでおしくらまんじゅうをしながら、意味もわからず「アンコ反対、アンコ反対」と騒いでいたのと同じだった。その頃、僕らがテレビで夢中になっていたのは「月光仮面」や「七色仮面」「少年ジェット」などだった。しかし、もしかしたらイスラエルで行われていた「アイヒマン裁判」の映像は、日本のテレビニュースでも流れたのかもしれない。

「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」(2015年)は、アイヒマン裁判をテレビ中継し、その映像を世界中に配信した男たちの物語である。今も記録映像として残るアイヒマン裁判の様子は、彼らによって撮影されたのである。もちろん、この映画にも実際のモノクロームの記録映像がふんだんに使われている。カラーの横長画面がスタンダードサイズのモノクロ画面に頻繁に切り替わるが、そんなことはまったく気にならない迫力が画面から伝わってくる。また、検事側の証人として出てきたホロコーストを生き延びたユダヤ人たちの証言は、記録音声として俳優たちが演じるフィクション部分に重なるが、その衝撃的な内容は強く見る者に迫ってくる。

アメリカ人テレビ・プロデューサーのミルトンがイスラエル政府にアイヒマン裁判のテレビ中継の許可を取るところから物語はスタートした。前年、アルゼンチンでイスラエルの諜報機関(モサド?)によって逮捕されたアドルフ・アイヒマンのニュースは世界を駆けめぐり、彼がイスラエルのエルサレムの法廷で裁判に掛けられることは大きな話題になっていたのだ。日本からも新進気鋭の芥川賞作家である開高健がイスラエルにわたり、アイヒマン裁判を傍聴しその記録をまとめた。開高健は、その後、アウシュビッツ収容所を訪ね、さらに東欧諸国をまわり、岩波新書で「声の狩人」「過去と未来の国々」というルポルタージュを発表する。

時代は一九六一年だ。まだまだテレビの映像技術は発達していない。しかし、ミルトンは世界中にアイヒマン裁判の様子を知らせることに情熱を燃やす。彼はディレクターに赤狩りで仕事を失ったドキュメンタリー映画監督レオ・フルヴィッツを起用し、中継実現に向けて邁進する。中継を可能にするには判事三人の了承が必要で、テレビカメラを目立たなくするために壁を改造し、テレビカメラを隠してしまう。また、現地スタッフも揃えるが、その中には収容所から生還した年輩の人物もいる。しかし、ミルトンの元には「中継を中止しないと家族は皆殺しだ」という脅迫状が届く。戦後十六年、まだまだ「ナチの残党」などと騒がれていた頃である。

裁判が始まる。画面には、実際の映像が多用される。アイヒマンによく似た俳優を使っており、本物のアイヒマンと切り替わっても違和感なく見られる。カラーからモノクロになるのに、この辺の編集は見事だ。監督のレオはアイヒマンの正体を映像で捉えようと、次第にのめり込んでいく。「なぜ、アイヒマンばかり映す?」と責められ、アイヒマンの人間的な反応を捉えたいと彼は答える。アイヒマンは収容所から生還した証人たちの体験を聞きながら、まったく反応を示さないのだ。中継スタッフの中には、証人たちの話を聞いて胸を詰まらせ、気分を悪くする人間さえ出ているというのに----。「おまえは、何者なのだ」とレオは、ブラウン管に映るアイヒマンにつぶやく。

●「アイヒマンは思考を停止し命令に従っただけの凡庸な小役人」か

アイヒマン裁判を傍聴し発表した文章によって、非難を浴びることになったのは、哲学者のハンナ・アーレントである。彼女自身もナチスの強制収容所を逃れ、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人である。その伝記映画が「ハンナ・アーレント」(2012年)だった。ドイツ、ルクセンブルク、フランスの資本によって製作され、ドイツ人の女性監督によって演出され、ドイツ人女優によって演じられた。ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判を傍聴し、人々が「ユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンは怪物」と思いたがるのに対して、「アイヒマンは思考を停止し命令に従っただけの凡庸な小役人」と書いた。いわゆる「悪の凡庸」である。

それは、アイヒマンが裁判の間ずっと言い続けた「私は命令に従っただけであり、私に責任はない」という主張を肯定したと受け取られたのかもしれない。また、ハンナ・アーレントはユダヤ人の中にもナチ協力者がいたことも指摘した。それも、「すべてのユダヤ人が犠牲者だった」と主張する(したい)ユダヤ人社会の反発を招く。世界中から、ハンナ・アーレントに対しての非難が湧き起こる。しかし、彼女が主張したかったのは、同じ状況に追い込まれれば、「誰でもがアイヒマンになってしまう可能性がある」ということだったのではないか。彼女は裁判の間中、アイヒマンを観察し続け、そのことを感じ取った。だが、当時、特にユダヤ人たちにとって、そんな主張をする人間はナチを擁護しているとしか思えなかったのだろう。

ハンナ・アーレントは「ナチは私たちと同じように人間である」と書いたが、「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」のレオも「なぜ、被告席のアイヒマンばかりを映すのか。なぜ、悲惨な体験をした証人たちに迫らないのか」と問われ、「アイヒマンがどういう人間か知りたい。私たちは誰でもがファシストになる可能性がある」と答える。それは、ハンナ・アーレントと同じ問題意識であり、自分の中の「内なるアイヒマン」に対して自覚的であり、ユダヤ人大量虐殺という歴史的犯罪を自分たちの問題として捉えようとしたからである。しかし、現地採用の年輩スタッフは「私は絶対にファシストにはならない」と頑なに主張する。彼自身、収容所の生き残りだったのだ。彼は、被害者意識に凝り固まっている。

高校生のときに読んだ月刊COM掲載の「解放の最初の日」という樹村みのりさんのマンガが僕の中に深く刻み込まれている。ユダヤ人の少年がナチの強制収容所に入れられるが、ある日、ユダヤ人たちに対するナチの兵士たちの扱いを見て、「彼らを脅えさせてはいけません」と言い出し、自分ならもっとうまくやれると提案するのだ。彼の提案は採用され、彼は清潔さを保つためにと説明してガス室に同胞を送り込む。死体の処理も合理的に行い、積極的にナチに協力する。やがて、ナチは敗北し、収容所が解放される。しかし、その解放のトラックに乗っているのは、ナチに協力した者たちばかりである。中には、死体から金歯を盗んでいた者もいる。

「解放の最初の日」は、僕に人間社会の複雑さを教えた。「アンネの日記」などを読み、単純に「ユダヤ人はナチに迫害され虐殺された被害者」と思っていた僕は、ひどく衝撃を受けたものだ。実際に、収容所でそういう事実があったかどうかはわからない。樹村さんが史実を調べて描いたのかどうかも知らない。しかし、その短編は、人間社会の持つ業のようなものを感じさせ、普遍的な何かを描き出したのだと僕は思った。虐げられた者は、さらに自分より下の人間を作ろうとする。虐げられた者は、いつでも虐げる者に転換する。それが、人間という存在だ。私たちは、同じ状況に置かれれば、もしかしたらアイヒマンになるのかもしれない。そんなことを十六歳の僕は考えた。

●ユダヤ人たちを大量に処理する労働を手伝わされるユダヤ人収容者たち

昨年のキネマ旬報ベストテンに入った「サウルの息子」(2015年)というハンガリー映画が描いたのが、樹村みのりさんの「解放の最初の日」と同じ設定だった。「ゾンダーコマンド」という存在が映画の冒頭で説明されるが、それはユダヤ人たちを大量に処理する労働を手伝わされるユダヤ人収容者たちのことである。大量殺人とひと言でいっても、一日に千人というハイペースで殺すとなると、大変な労働力が必要になる。そこで、ナチの兵士たちは監視役になり、実際の労働はユダヤ人収容者の中から選んで行わせた。ゾンダーコマンドたちは、収容されたユダヤ人たちの衣服を脱がせて整理し、ガス室に追い込み、ガスが引くと大量の全裸の死体を運搬する。死体を積み上げて燃やしたり、大きな穴に放り込んで埋めたりする。重労働である。しかし、ゾンダーコマンドである間は生きていられる。

ゾンダーコマンドのひとりであるサウルは、ある日、ガス室で生き残った少年を見つける。医療室に運び入れると、ユダヤ人医師がいる。サウルは「死んだら遺体を私に渡してほしい」と頼み込む。しばらくして、少年は息を引きとる。それから、サウルの遺体への異常な執着が描かれる。その少年の遺体を彼は隠し、ユダヤ人収容者の間をまわってユダヤ教のラビを探そうとするのだ。サウルは「息子の葬儀をしてやりたい」と口にする。そのラビ探しが延々と描かれる。カメラはサウルひとりを描くように彼に迫り、背景ははっきりとはわからない。しかし、全裸の死体が物のように引きずられたり、死体の山が映ったりする。そのたびにゾッとするのは、キャメラワークにリアリティがありすぎるからだ。その世界に自分が入り込んだような気分になる。

まるで、サウルと共に収容所内をさまよっているかのようだ。そこでは様々なことを見聞する。新しく到着したユダヤ人たちは、収容所で行われていることを知っており、監視兵たちの言葉を聞かず一斉に騒ぎ出す。ナチ親衛隊の兵士たちが容赦なく銃撃する。人々はパニックになり、サウルも巻き込まれる。それでも、サウルは死んだ少年を息子だと思い込み、ユダヤ教式の弔いをラビに施してもらえなければ天国にいけないと、ラビ探しを続ける。ゾンダーコマンドはいくつかの組に分かれているが、その組の間には縄張り意識や対立がある。サウルの組の中には、反乱を画策している者もいる。サウルのラビ探しによって、収容所内の様々な動きが浮かび上がってくる。やがて、サウルの所属する組は近々、全員がガス室送りになるらしいと伝わってくる。

ユダヤ人の大量虐殺の細々した仕事はユダヤ人自身にやらせる、とナチが考えるのは当然だ。強制労働の対象が同胞の処分なのであるから、これほど残酷なことはない。しかし、それを担えば自分の命が長らえるのであれば、人はそれに従うだろう。日本人捕虜たちも、シベリアの収容所に長く強制収容されたが、そこでは同じようなことがあったという。胡桃沢耕史の直木賞作品「黒パン俘虜記」を読めば、日本人捕虜間の無惨な話に胸を締めつけられる。日本人捕虜たちの間で、生き残るための悲惨ないじめや裏切りがある。ソ連兵に取り入り、仲間を売り、自分だけは生き残ろうとする人間たちがいる。それは、どんな人間の集団でも起こり得ることである。

だから、戦後七十年以上が過ぎても、繰り返し繰り返し「ユダヤ人ホロコースト」の物語が作られるのだろう。「人間に、なぜそんなことができたのだろう」と問いつづけることで、普遍的な人類の業として捉えようとしているかもしれない。ナチが消滅した後もナチ的なものは存在しているし、復活の気配さえある。ひとつの民族を滅ぼす意図の下で行われた大量虐殺は、セビリア、ボスニア・ヘルツェコビナ、ウガンダなど様々な場所で起こってきた。今なら、アイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アーレントが指摘したことは、多くの人に理解されるかもしれない。「六百万人のユダヤ人を殺した男は思考を停止し命令に従っただけの小役人であり、私たちもアイヒマンになる可能性はある」と言われ、僕らは「絶対にない」と言い切れるだろうか。

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