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2017年9月14日 (木)

■映画と夜と音楽と…786 権力者はメディアを嫌う



【大統領の陰謀/ニュースの真相】

●権力者は裸の王様になることが最も愚かであると僕は教えられたが----

加計学園問題で「行政がゆがめられた」と前文部科学省事務次官の前川さんが新聞で証言すると、すぐに読売新聞が前川さんが事務次官時代に出会い系バーに通っていたということを大きく報じた。これは、後に前川さんが現役時代に警察官僚あがりの自民党代議士を通じて注意されたことがあると証言し、官邸から情報が出たと推察されることになる。

読売新聞(かつて滝田ゆうは読捨新聞と称した)の記事の後、官房長官は記者会見で「文科省の天下り問題で責任をとって辞めるべきときに、地位に恋々としていたような人」と、前川さんに対する人格攻撃をした。人格攻撃をして「胡散臭い人」のイメージを植え付け、「そんな人の言うことは信用できない」という印象操作(首相が××のひとつ覚えのように口にした)を狙ったのだ。権力がひとりの人間をつぶそうとした露骨な行為だった。

そんな露骨な権力の意図が成功したのが、沖縄返還を巡る日米の秘密協定をスクープした毎日新聞の「西山記者事件」だった。沖縄返還に伴い発生する莫大な経費を日本が肩代わりするという、日米の密約を証明する資料を毎日新聞の西山記者が入手し、野党議員にリークした事件である。政府はその資料の存在を認めたが、その入手方法に問題があるとした。

西山記者が外務省の女性事務官と「情を通じ」(当時、そう表現したと記憶している)不正に入手したもので、公務員法違反などで起訴したのだった。当時、僕は二十代だったが、あのときの手のひらを返すような世間の反応をよく記憶している。世紀のスクープがいつの間にか男女の痴情事件に変わり、日米の密約のことはどこかへ消えてしまった。日米の密約こそが問題だったんじゃないか、と僕はいきまいたものだった。

西山事件のときの宰相は佐藤栄作だった。現首相の祖父の弟である。現首相もメディアを選別し、自分に批判的なメディアを攻撃し、ときには総務省の放送行政を通じてテレビ局へ圧力をかけたりするが、佐藤栄作もメディアを選別した。露骨にメディアの選別を実行した最初の宰相かもしれない。彼は長期政権を終えるとき、記者会見場から新聞記者たちを追い出し、テレビカメラだけを残させたのだ。

新聞は自分の言葉を正確に伝えないが、テレビカメラは自分が話すことをストレートに国民に伝えてくれるからというのがその理由だった。現在、アメリカのトランプ大統領が自分に批判的なメディアを「フェイクニュースだ」として選別し、自分に迎合的なメディアを優遇しているけれど、日本の首相だって同じだったのだ。トランプと違い、日本の現首相はもっと巧妙にメディア選別、メディア・コントロールをやっている。メディア側が自主規制する形で、政権に迎合しているのだ。

要するに、権力者は自分が批判されることが嫌いなのである。僕は、少年の頃、権力者は裸の王様になることが最も愚かであると教えられた。そのためには、周囲にイエスマンを配置してはならない。「王様は裸だ」と指摘してくれる人材を置かねばならない。それが、人の上に立つ人間の度量である。そう学んだ。だから、自分に批判的なものには、謙虚に耳を傾けなければならない。一国の首相であるなら批判的なメディアをこそ歓迎し、自分の政策や方針に迎合的であったり、提灯持ち的なメディアを喜んでいるのは意味がない。

しかし、そう考える権力者は見たことがない。現首相は選挙の応援演説で批判的な人たちに向かって、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言った。テレビのワイドショーのコメンテーターも、現政権の露骨な提灯持ちジャーナリストばかりが目立つ。これは、テレビ局側の配慮なのだろう。政権に睨まれて放送免許を取り消されたら、元も子もないのだ。現場だって、忖度する。

●アメリカのジャーナリズムは日本よりはましだと思っていたけれど---

アメリカのジャーナリズムは、日本よりはましだと思っていた。ジャーナリズムは、権力のチェックが使命である。権力は堕落する。これは間違いない。常に厳しい批判にさらされることで、その堕落を少しは防ぐことができるのだ。「大統領の陰謀」(1976年)などを見ると、アメリカのジャーナリズムの気骨に感心する。しかし、「ニュースの真相」(2015年)を見ると、権力とメディアの関係は日本とそう変わらない気がしてきた。

テレビ局の経営者は、ニュースの真相よりはテレビ局の利益と存続を優先するし、政界との結びつきもある。彼らは、ニュース番組の現場スタッフの真相を突き詰める熱意を削ごうとすることもある。現場への圧力だ。テレビ局にしろ、新聞社にしろ、営利企業である限り、それは起こる。

「60ミニッツ」というニュース番組は、アメリカ三大ネットワークのひとつであるCBSの看板番組である。長年、そのキャスターを務めたダン・ラザーは、アメリカで最も信頼される人物のひとりだった。「ニュースの真相」では、そのダン・ラザーをロバート・レッドフォードが演じている。説得力のある話し方、落ち着いた雰囲気、包容力を感じさせる物腰、深い知識と教養、レッドフォードがアメリカで最も信頼されたキャスターを存在感たっぷりに見せる。

ヒロインはプロデューサーのメアリー・メイブス。ケイト・ブランシェットが演じている。原作はメアリー・メイブスの手記であり、実際の出来事を描いている。そう思って見ると、この映画を作ったことが、アメリカの自由度を表している気がする。元大統領のスキャンダルである。存命の人も多い。まだいろいろ差し支えがあるはずだ。日本で同じテーマで制作することは無理だろう。

二〇〇四年、ジョージ・ブッシュが二期目の大統領選挙を戦っているときである。メアリー・メイブスはブッシュがベトナム戦争への派遣を逃れるために、コネを使って州兵のパイロットになり、さらにその期間中、特別に基地の勤務を免れていたという情報を得る。調査チームは、軍関係に強いチャールズ中佐(デニス・クエイド)、ジャーナリズムについて大学で教えていたルーシー、それにダン・ラザーに憧れてジャーナリストになったマイクである。

彼らの調査が始まり、ブッシュの軍歴について次第に明らかになる。テキサスの石油関係の重要人物に頼まれてブッシュの息子ジョージ(現大統領)を州の軍隊に入れたという議員のインタビューもとれる。そして、ブッシュが特別に基地での勤務を免除されていたことを示す文書を持っている元軍人が現れる。

しかし、その文書はオリジナルではなくコピーだった。そのコピーの真贋の鑑定を数人の専門家に依頼する。結果は半数の専門家が本物と判定し、半数がオリジナルではないので真贋の判定は不能という結果になる。また、メアリーはサインの筆跡鑑定を依頼し、本物との報告を受ける。そして、ダン・ラザーと共に上層部を説得し、放送に踏み切るのだ。

しかし、放送直後、ブッシュ陣営を支持するブログで文書に対する疑問を呈せられる。その文書が書かれた時代には存在しないフォントが使われているというのだ。その文書はワードによって作成されたもので、その時代にはワードは存在していない、したがって偽物だという告発だった。そこから、他のメディアによる告発も始まる。まるで、従軍慰安婦問題で朝日新聞が取材源の曖昧さを認めた後に起こった、朝日新聞バッシングを見ているようだった。

●ひとつの瑕疵を追求し本質の問題をすりかえるのが権力の手口

メアリーは次第に窮地に追い込まれていく。しかし、ダン・ラザーは揺るがない。メアリーへの信頼が、彼を迷わせないのだ。だが、文書を提供した中佐が入手経路を告白し、にわかに文書に対する信頼性が薄らいでいく。やがて、CBSは文書が偽物である可能性は否定できないという結論を出し、ダン・ラザーに番組中に詫びさせる。

ダン・ラザーは長く務めた「60ミニッツ」のキャスターを降板する。また、メアリーたちはCBSが依頼した外部の調査委員会による調査を受ける身になる。そのメンバーは保守系の人物が多く、番組は反共和党・反ブッシュに偏向していたのではないかという査問のようになる。メアリーの政治的ポジションも、過去にわたって調べ上げられる。

メアリーは捕虜になったイラク兵たちへの拷問があったことをスクープしたり、メディアとして反権力を貫いてきたプロデューサーだ。その過去の仕事が政権からは煙たがられ、憎まれていたのだろう。ここぞとばかりにバッシングを受ける。他のメディアも、彼女のスキャンダルを暴こうとする。この辺は、どこの国でも同じだなあと思う。溺れる人間に石を投げ、首吊りの足を引っ張るのだ。

メアリーは調査委員会に招聘されることになり、ダン・ラザーに紹介された弁護士に相談する。弁護士は「委員会に反論をするな」とアドバイスするが、結局、彼女は委員会メンバーの理不尽さに耐えられず、自説を展開する。ニュースの内容はおおむね真実だが、ひとつの文書の真贋が不確実だからと言って、ブッシュの軍歴に対する疑念までがなかったことになるのは納得いかないと----。こういう強いヒロインを演じると、ケイト・ブランシェットははまる。

メアリーのジャーナリストとしての信念は「質問しなければ、何もわからない」である。つまり「質問することで真実に近づける」と、彼女は思っているのだ。質問することが、ジャーナリストの仕事だと信じている。権力者たちは、質問されることを嫌う。一方的な発表だけで、すまそうとする。日本の官房長官の定例記者会見を見ていてもそうだ。

今年、その官房長官の定例会見で異変が起こった。東京新聞の女性記者の鋭く執拗な質問に、官房長官がタジタジになった。彼女が質問するのは、ジャーナリストとして当然のことだ。しかし、その女性記者は政権に嫌われ、先日の新聞によると政府が東京新聞に「不適切な質問があった」として抗議したという。いつもの現政権のやり方だな、と僕は思った。

首相を筆頭に、メディアへの抗議・攻撃・恫喝を繰り返してきたのが現政権だ。経営者に圧力をかけ、現場に自主規制を強いる。現場が政権の意向や経営者の考えを忖度し始めたらメディアは終わりだが、現場で働く人の多くはジャーナリストである前に勤め人である。我が身が大事だし、長いものには巻かれる。「ニュースの真相」を見ると、そこはアメリカでも基本的には変わらないらしい。

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