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2017年10月 5日 (木)

■映画と夜と音楽と…789 誰も信じられない世界



【われらが背きし者】

●いつ何が起きるかわからない不安感が消えない映画

ジョン・ル・カレ原作の映画化「われらが背きし者」(2016年)は、全編、緊張感を感じる映画だった。サスペンスフルというより、いつ何が起きるかわからない不安感が消えない。手に汗握るというのではない。何でもないシーンでも、身を乗り出してスクリーンから目を離させない力がある。原作が持つ力なのだろう。つまり、ストーリー自体に読者(観客)を鷲掴みにする魅力があるのだ。そして、何が起こっているのか、これから何が起こるのか、常に先を知りたいという強い欲求が湧きあがる。原作者が制作総指揮に加わっていることも、スクリーンを凝視させ続ける力を生み出すことに寄与しているのかもしれない。

ジョン・ル・カレの小説を初めて読んだのは、中学生のときだった。もう、五十年以上前になる。初めて買ったハヤカワ・ノヴェルズの新刊「死者にかかってきた電話」である。ル・カレの処女作だ。すでに、世界的ベストセラー「寒い国から帰ってきたスパイ」は日本で翻訳され、「スパイ小説の金字塔」のキャッチフレーズで版元は売っていたが、僕は順番に読まなければならないという幼い潔癖さによって、ちょうど翻訳されたばかりの第一作から読み始めたのだ。しばらくして、二作目の「高貴なる殺人」が翻訳され、それも読了した僕はようやく「寒い国から帰ってきたスパイ」を読む資格を得たのだった。

ちょうど、「寒い国から帰ってきたスパイ」が映画化されたときだった。アレック・リーマスを演じたのはリチャード・バートンだったが、ヒロインはクレア・ブルームというあまり美人ではない女優だった。彼女がチャップリンの「ライムライト」(1952年)のヒロインだったことなど僕は知るよしもなく、「なぜ、もっと美人女優を使わないのだ」と不満に思っていた。もっとも、僕が映画化に関して不満だったのは、邦題が「寒い国から帰ったスパイ」(1965年)だったことだ。なぜ、「帰ってきたスパイ」ではないのか、と「ザ・スパイ・フー・ケイムイン・フロム・コールド」と、習い始めたばかりのカタカナ英語の発音で僕は怒りを表明した。

しかし、次に翻訳されたル・カレの「鏡の国の戦争」(映画化されたのは1968年)は、中学生には難しすぎた。当時、ミステリマガジンで書評を担当していた石川喬司さんは、ル・カレの小説を「アタマ・スパイ」と名付けた。リアルなスパイの世界を描いているのかもしれないが、十代半ばだった僕には「ジェイムズ・ボンド」や「ナポレオン・ソロ」の方が向いていたのである。そして「ドイツの小さな町」に至り、僕はついに読み通すことができず、以降、ル・カレの新作を敬遠することになった。その結果、スマイリー三部作も読まなかったし、何十年ぶりかで買った「リトル・ドラマー・ガール」も読み通すことができなかった。

ル・カレを再び読んだのは、「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」だった。その映画化作品「裏切りのサーカス」(2011年)がよくできていたからだ。そして、「誰よりも狙われた男」(映画化は2013年)、なぜか版元が岩波書店に変わった「われらが背きし者」(映画化は2016年)と続けて読んでいる。相変わらずのル・カレ節。五里霧中で読み進むと、少しずつ霧が晴れていく感じである。ル・カレの原作で映画化されたものは、調べると十二本。テレビドラマ「高貴なる殺人」を除いて、僕はすべて見ていた。日本未公開だった「死者にかかってきた電話」(1967年)も数年前、WOWOWで放映されたときに見た。その結果、僕は「ル・カレ原作に外れなし」と改めて確認した。特に二十一世紀になってからの作品は、どれも名作ぞろいと言えるだろう。

●プロローグで描かれた残虐な殺人がどうつながるかという興味

二十一世紀になって最初に映画化されたル・カレ原作の「テイラー・オブ・パナマ」(2001年)はジェフリー・ラッシュが好演していたし出来もよかったが、グレアム・グリーン原作でキャロル・リード監督の「ハバナの男」(1960年)に似ている気がした。もしかしたら、ル・カレはグレアム・グリーンにオマージュを捧げていたのだろうか。「テイラー・オブ・パナマ」はル・カレが制作総指揮だが、脚本も彼自身が担当している。続く「ナイロビの蜂」(2005年)は、主人公(レイフ・ファインズ)の殺される妻役のレイチェル・ワイズが印象に残る。レイフ・ファインズは外交官の役で、こういう役をやると似合う。

それからずいぶん経って、「裏切りのサーカス」(2011年)をル・カレは制作総指揮した。ル・カレ、八十歳のときである。七〇年代に発表したジョージ・スマイリー三部作の一作目「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」が原作で、タイトルもそのままなのだけれど、わけのわからない邦題になった。「サーカス」が「イギリス情報部」を指す言葉だと知らないと、この邦題は意味不明だ。映画の中ではしきりに「サーカス」という言葉が飛び交う。「裏切りのサーカス」も、全編、緊張感の漂う作品だった。不穏な空気が常に流れている。ホラー作品のような不気味さが漂う。

その後、フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作になった「誰よりも狙われた男」(2013年)を経て、「われらが背きし者」に続く。どちらも制作総指揮としてル・カレがクレジットされている。八十を過ぎても旺盛な創作欲を見せるル・カレだが、映画化にも強い意欲があるのだろう。「われらが背きし者」の原作は、テニスのシーンから始まったと記憶しているが、映画はプロローグとして残虐な殺人が描かれる。空中で回転する黒人ダンサーから始まり、それがバレエ公演だとわかる。それを見ている母と娘らしいふたり連れがいる。一方、年輩の男と彼より少し若い男が出会い、抱擁をする。親しい間柄らしい。

シーンは変わり「モスクワ」とクレジットが出て、大勢の男たちがテーブルについている。先ほど年輩の男と抱擁していた男が、書類にサインをする。次のシーンは雪原の中の一本の道を走る高級車だ。先ほどサインした男が妻と娘(バレエ公演を見ていたふたりだ)を乗せて走っている。その先で事故なのだろうか、トラックが停まっていて、その横にパトカーらしき車がある。銃を構えた警官とおぼしき男が立っている。男が車を停めると、警官がやってくる。銃を構えた警官が立っているのを見た頃から、僕にはすでに予感があった。たぶん、どんな観客も、そこに不穏な空気を感じるはずだ。案の定、男と妻はいきなり射殺され、娘は車を逃げ出す。警官が笑みを浮かべて「コートを忘れてるぞ」と呼びかける。娘が振り向くと、警官は無慈悲に射殺する。

●一体何が起こるのだろうという強い関心が湧き起こる

本編は、「モロッコ」のクレジットと共に始まった。ユアン・マクレガーが黒人女性と寝ようとしている。しかし、黒人女性は「やっぱりダメ」と言って身を離す。次のシーンは、高級レストランでテーブルに向かうユアン・マクレガーと黒人女性だ。ふたりの間には気まずい空気が流れている。他に数人のロシア人らしき男たちがいて、高価なシャンパンを飲んでいる。その中で大きな声で話しているのは、プロローグで殺された男を抱擁していた年輩の男である。その男ディマは、黒人女性に置いてきぼりにされたユアン・マクレガー(ペリーと名乗り、ロンドンの大学で詩を教えていると言う)を強引に自分のテーブルに誘う。

この冒頭から、一体何が起こるのだろうという強い関心が湧き起こる。年輩の男は愛想はいいが、何となく不気味で怪しい。彼についているボディガードのような男たちも正体不明だ。しかし、ディマと名乗った男は、再び強引にペリーをパーティに誘う。断ったペリーに、男は賭を提案する。男が勝ったら、ペリーはパーティにいかなければならない。ディマはペリーにカードを見せろと言い、ディマは一瞬見たカード番号を当ててみせる。特殊な能力だが、これも後半の伏線になっている。ペリーは派手なロシア式パーティに同行し、美しい女に紹介される。しかし、その女も妙に謎めいている。だいたい、そのパーティの出席者たちが怪しい。タトゥーだらけのロシアン・マフィアのような男がいる。

こんな風に、始まった途端、スクリーンは緊張感に充たされ、不穏な雰囲気が漂い、怪しい男たちが跋扈する。何が目的なのか、主人公は何に巻き込まれるのか、不安に感じながらも、早く物語が進まないかと気が急く。プロローグで描かれたエピソードが、いつ本編とつながるのかが気になって、スクリーンから目が離せない。しかし、意外に早くプロローグの謎はディマによって明かされる。ところが、それからがメインの物語になっていくのだ。後は、ハラハラしながら見続けるしかない。怪しい男に見えていたディマに、いつの間にか感情移入している。それは、ペリーがディマに友情を感じ始めているからに違いない。つまり、観客はペリーに感情移入するが故に、緊張感を強いられるのだ。

「寒い国から帰ったスパイ」以来、ル・カレ作品にはスパイとして敵方に潜入する物語が多い。映画化された中でも女優がスパイに仕立てられる「リトル・ドラマー・ガール」(1984年)があり、出版社の社長がイギリス情報部の依頼でソ連に潜入する「ロシア・ハウス」(1990年)があった。「われらが背きし者」もそのひとつだが、ここでは相手が血も涙もない極悪非道なロシアン・マフィアであることで、擬装工作がいつバレるかというハラハラドキドキの度合いが高まることになる。加えて、イギリス情報部内の権力争いが描かれ、いつ裏切られるかわからないというサスペンスも醸し出される。

スパイ・ストーリーの基本は「誰も信じられない。誰もがいつ裏切るかわからない」ということだ。その中に詩を教えている素人のプロフェッサーが妻と共に巻き込まれ、友情を感じた相手のために命をかけて戦うことになる。彼をサポートしているはずのイギリス情報部だって信用できないのだ。その怖さが、「われらが背きし者」を見ている間、観客に緊張感を強いる。ホッと息つく暇もない。ああ、やっと救われたかと思った瞬間、ル・カレによって裏切られる。作者が登場人物に対して無慈悲であればあるほど、物語はおもしろくなる。意外性に充ち溢れる。そんなどんでん返しの場面で、ユアン・マクレガーのアップになる。その表情だけで、観客は何が起きたのかわかる。相当、すれっからしの観客である僕も呆然とした。

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