« ■映画と夜と音楽と…789 誰も信じられない世界 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…791 痛いぞ、北野武監督作品 »

2017年10月12日 (木)

■映画と夜と音楽と…790 祝!! カズオ・イシグロ



【日の名残り/わたしを離さないで/上海の伯爵夫人】

●女中頭への秘めた慕情を仄かに描き出し人生の重みを感じさせる

カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞した。両親とも日本人だが、本人は英国籍を取得し、ずっと英語で小説を書いている。確か、五歳までは長崎で育ったはずだ。父親の仕事の関係でイギリスに渡り、そのままイギリスで暮らしている。アンソニー・ホプキンスが主演した「日の名残り」(1993年)の原作者として映画ファンには知られている。「眺めのいい部屋」(1986年)や「モーリス」(1987年)など、ジェイムズ・アイヴォリー監督は古い時代のイギリスを格調高く描く人だが、「日の名残り」もその一本である。アンソニー・ホプキンスがイギリスの執事という仕事を重厚に演じ、女中頭(エマ・トンプソン)への秘めた慕情を仄かに描き出し、人生の重みを感じさせる作品だった。

カズオ・イシグロのもうひとつの代表作として「わたしを離さないで」がある。僕が買ったハードカバーは、すでに十刷を越えていたと思うから、当時、日本でもベストセラーになっていたのだろう。翻訳小説が売れない中では珍しいことだった。それから、しばらくしてキャリー・マリガン主演の「わたしを離さないで」(2010年)が公開された。僕が初めてアンドリュー・ガーフィールドを記憶にとどめた映画である。ところで、今回の受賞のニュースで新聞やテレビが、日本でも劇化やテレビドラマ化された「わたしを離さないで」を紹介していたが、どのニュースも内容紹介でネタバレをやっていて「いいのかい」と僕は思った。初めて読むとき、「あのこと」を知らないで読むのと知って読むのとでは、大きな違いがある。

「わたしを離さないで」は、大人になり、自分の運命を知り、そのことを受け入れ、あらかじめ決められていた仕事に就いている若い女性の語りで始まる。奇妙な仕事が語られ、子供時代の集団生活をしていた学校時代が回想され、徐々に「あのこと」が明らかになっていく過程が重要なのではないだろうか。確かに、最初の章からある予感がある。しかし、「あのこと」は明確には書かれていない。ただ、奇妙な仕事に、奇妙な呼称がついているだけだ。ヒロインは、仲のよかった少年と少女の今を語り、彼らに会いにいき、不思議な会話を交わす。その会話や子供時代の回想から、「あのこと」が次第に浮かび上がる仕掛けになっているのだが、勘のいい人は早くにわかってしまうかもしれない。

僕は何の情報もなく読み始めたので、「あのこと」を明確に読みとったのは半ばまで読み進んだときだった。もちろん、それまでにある予感はあったし、「もしかしたら----」と思ってはいた。しかし、明確に「あのこと」がわかると、それまでの奇妙な会話や子供時代の不思議な出来事が、まったく別の意味を持って立ち上がってくる。それによって、描かれる世界を深い悲しみが覆うのだ。ヒロインが仲間たちとある町にいき、そこで古い音楽のテープを手に入れ、そのテープの音楽を聴くというだけのエピソードが印象深く心に刻まれるのは、「あのこと」が背景にあるからだ。その曲がタイトルになった「ネバー・レット・ミー・ゴー」である。

「わたしを離さないで」の映画版は、小説と違って最初からヒロインの環境や生活を映像で見せることになるので、早くから「あのこと」は観客にわかるだろう。それでも、「あのこと」が次第に描き出される形になっているから、それによってヒロインたちの深い悲しみが伝わってくるのだ。しかし、やはり、あの全編に漂う悲哀感は、カズオ・イシグロの文章を読むことで(翻訳だったけど)強く印象付けられるものだろう。「わたしを離さないで」を読みながら僕は、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を思い出した。映画化された「ブレードランナー」(1982年)と違い、原作にはある深い悲しみが描かれている。主人公は狩られる側に感情移入していくし、次第に自分自身のアイデンティティが崩れ始める。それが映画ではストレートに伝わってはこなかった。

●「上海の伯爵夫人」は戦前の上海の雰囲気が魅力的だった

カズオ・イシグロが脚本を書いた映画に「上海の伯爵夫人」(2005年)がある。一九三六年の上海を舞台にしている。翌年、第二次上海事変が起こる。日中戦争の本格的な始まりだ。当時、上海にはフランス租界など列強の進出があり、国際都市として様々な国の人物がいた。もちろん、日本人も多く進出していた。スビルバーグ監督が「太陽の帝国」(1987年)で描いたのと同じ頃の上海である。「上海の伯爵夫人」の主人公ジャクソン(レイフ・ファインズ)はイギリス人で、ある事件で家族を失い自らは盲目となり、抜け殻のようになって上海をさまよっていた。そんなある日、あるクラブでジャクソンは亡命ロシア貴族のソフィア(ナターシャ・リチャードソン)と出会う。

一九一七年にロシア革命が起こり、多くのロシア貴族が満州や中国に逃げてきていた時代だ。革命から十九年後の上海。ソフィアは子供の頃に父母や叔母たちと共に逃げてきたのだろう。ソフィアは旧ロシアでは貴族だったのだが、家族を養うためにクラブ・ホステスとして働いていた。ソフィアの叔母を演じているのがヴァネッサ・レッドグレーブだった。一方、ジャクソンは日本人の実業家であるマツダ(真田広之)と出会う。しかし、謎めいた言動をするマツダは、何を考えているのかわからない。ジャクソンは賭で大金を得、クラブを開き「白い伯爵夫人」と名付け、ソフィアを店に雇い入れる。ふたりは惹かれあっているのだが、過去に深い傷を負っているらしいジャクソンは心を開かない。やがて「白い伯爵夫人」には、国民党、日本軍、英米の情報部員などが集まり、複雑な政治状況を反映した謀略の場になる。

僕がレイフ・ファインズを気にいっているためか、「上海の伯爵夫人」は、ストーリーの細かなところは忘れてしまったが、とても好きな映画だ。印象的なシーンがいくつか記憶に刻み込まれている。映像は格調高く、美しい。戦前の上海の雰囲気が魅力的だった。この時代の上海を描いた映画は何本も見ているが、無国籍都市の雰囲気があって、思わずディック・ミネの「夜霧のブルース」や「上海帰りのリル」などを歌いたくなる。冒険小説の舞台にも向いているらしく、生島治郎さんの「黄土の奔流」も上海の租界のナイトクラブから始まったと記憶している。生島さんは上海生まれだった。僕の父も上海で終戦を迎えている。日本人にはなじみのあった都市である。

戦前の上海はロマンチックで創作欲をそそるのか、カズオ・イシグロは「わたしたちが孤児だったころ」で、やはり戦前の上海を舞台にしている。「上海の伯爵夫人」の方が「わたしたちが孤児だったころ」より後だから、小説を書くために調べた上海を舞台にして脚本を書いたのかもしれない。「わたしたちが孤児だったころ」は、上海の租界で暮らしていた主人公が十歳のときに両親が行方不明になり、イギリスに連れ戻された主人公はホームズのような探偵になって、両親の失踪の真相を探るために再び上海に戻るという物語だったと思う(けっこう昔に読んだので、ちょっとあやふやだけど)。

●ヴァネッサ・レッドクレーブとの母娘共演作は「上海の伯爵夫人」だけ?

「上海の伯爵夫人」が印象に残っている理由のひとつは、ヴァネッサ・レッドグレーブと実娘のナターシャ・リチャードソンが共演しているからだ。ナターシャ・リチャードソンは、ヴァネッサ・レッドグレーブとトニー・リチャードソンとの間にできた娘である。トニー・リチャードソンと言えば、僕らの世代では忘れられない監督だ。三十歳のときに「怒りを込めて振り返れ」(1958年)を発表し、続いて「土曜の夜と日曜の朝」(1960年)「密の味」(1961年)「長距離ランナーの孤独」(1962年)と、「怒れる若者たち」ムーブメントを映画の世界から発信した人である。六〇年代には、「ラブド・ワン」(1965年)「マドモアゼル」(1966年)「ジブラルタルの追想」(1967年)と絶好調だった。

一方、ヴァネッサ・レッドグレーブと言えば、英国演劇界の名優の血を引く名女優だ。お父さんはマイケル・レッドグレーブである。僕の印象に残っているマイケル・レッドグレーブは、「長距離ランナーの孤独」の少年院の偽善的な校長である。名優マイケル・レッドグレーブは、ローレンス・オリヴィエと同じようにナイトの称号を女王陛下から授けられた。息子のコリン・レッドグレーブも次女のリン・レッドグレーブも俳優として活躍した。つまり、ナターシャ・リチャードソンはマイケル・レッドグレーブの孫で、日本で言えば梨園のお嬢様である松たか子(叔父が中村吉右衛門だもの)みたいなものである。

そのナターシャ・リチャードソンはリーアム・ニーソンと結婚し、ふたりの子供をもうけた。しかし、「上海の伯爵夫人」から四年後、スキー場での事故で亡くなってしまう。まだ、四十六歳だった。ナターシャ・リチャードソンの代表作というと、やはり「上海の伯爵夫人」になるのだろう。実母だけではなく、実の叔母のリン・レッドグレーブも出演していた。それにしても、弟のコリンも妹のリンも亡くなり、娘のナターシャにも先立たれたヴァネッサ・レッドグレーブだが、八十の今も現役女優としてがんばっている。イギリス映画の老女役というと、ヴァネッサか、マギー・スミスか、ジュディ・デンチといったところだが、それぞれ持ち味が違うのが凄い。

« ■映画と夜と音楽と…789 誰も信じられない世界 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…791 痛いぞ、北野武監督作品 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/65907063

この記事へのトラックバック一覧です: ■映画と夜と音楽と…790 祝!! カズオ・イシグロ:

« ■映画と夜と音楽と…789 誰も信じられない世界 | トップページ | ■映画と夜と音楽と…791 痛いぞ、北野武監督作品 »

無料ブログはココログ
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30