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2017年10月19日 (木)

■映画と夜と音楽と…791 痛いぞ、北野武監督作品

【アウトレイジ/アウトレイジ ビヨンド/アウトレイジ最終章】

●映画が半分ほど進んだときに「火事です」のアナウンス

数え切れないほど映画館には入ったけれど、映画の途中で「火事です。二階から火が出ました。落ち着いて脱出してください」というアナウンスがあったのは初めてだった。火災報知機の作動と共に自動的にアナウンスされるもので、どこか非人間的で機械的な響きだった。朝の九時五十分から始まった一番の回である。平日とはいえ、ヒット作らしく五十人近くの観客がいた。

しかし、そのアナウンスであわてた人はいなかった。全員、半信半疑という感じではあったが、すみやかに席を立ち、われがちに----というのでもなく、また整然にとも形容できない感じで(上映が終わって普通に出ていく風に)出口に向かう。僕は「マジか」などとつぶやきつつ彼らを見送り、まだひと組のカップルが残ったままなのを確認して会場を出た。そのカップルも席を立ったから、数分のうちに全員がアナウンスに従ったわけである。

しかし、廊下へ出るとシネコンの従業員が「今、確認していますので、この近辺でお待ちください」と言っていた。火災報知器のボタンが押されたのは間違いないらしいが、本当の火事なのかどうかを確認しているという。僕は一度ロビーに出たが、大勢の人がわいわい言っていたので、従業員に「席で待っててもいいの?」と訊いて、再び劇場内に戻った。たったひとり、スクリーンを見つめていると、何となくいい気分になった。

数分後、ポツリポツリと人が戻ってくる。しばらくして若い男性従業員が姿を現し、上映を再開することを告げた。それから五分ほどが過ぎると、元のように五十人ほどの人が戻っていた。ざわめきは、まったくない。結局、中断したのは二十分足らずだったろうか。僕は映写室に近い席だったので、いつ上映が始まるか映写窓を見つめていた。今はデジタル上映だろうから、フィルムを巻き戻す作業もないのだろうなあと考えていた。

しかし、どのシーンから再開するのだろう。ちょうど真ん中あたりのシーンだった。二時間足らずの作品で、五十分ほどが過ぎたところだ。松重豊が演じる警視庁の組織暴力担当刑事が、韓国の政財界を牛耳るフィクサーの屋敷を訪ねたところだった。その邸宅に入ったところで画面が消え、真っ白なスクリーンになり、明かりが灯り、「火事です」というアナウンスがあったのだ。再開は、その少し前のシーン、韓国人のフィクサーが襲撃された喫茶店で松重豊の刑事と上司が話をしているところから始まった。二十分の中断、少し巻き戻して再生----、自宅でDVDを見ている錯覚に陥る。

中高年の観客が多かったが、「アウトレイジ最終章」(2017年)はヒットしているようだった。平日の朝一番の回に五十人くらい入っているのだから、公開した土曜日から続いた三連休にはけっこう入っていたのではないだろうか。僕は見たくてたまらなかったが、混んでいるのがイヤだったので休み明け早々に見にきたのだ。その前夜、僕は「アウトレイジ最終章」を見ている夢まで見た。それほど、公開を楽しみにしていた。「アウトレイジ」(2010年)「アウトレイジ ビヨンド」(2012年)は、何度見たかわからない。

どうも、権謀術数、謀略、裏切りが渦巻く権力争いの話が僕は好きらしい。シェイクスピアなら「リチャード三世」が好きだし、司馬遼太郎なら「関ヶ原」が好きだし、やくざ社会の跡目問題でもめる「仁義なき戦い 代理戦争」(1973年)「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974年)がとりわけ好きだし、戦後の政界の権力闘争を描いた「小説吉田学校」(1983年)もおもしろく見た。どんな世界にも権力争いはある。その争いの中で誰が味方で、誰が敵かわからなくなり、人間の本性が見えてくる。

●北野作品とタランティーノ作品の残酷描写は平気で見られる

北野武監督作品が嫌いだという人はいる。わかる気がする。生理的な痛さ、暴力性(そうでない作品もあるけれど)が肌に合わないのだと思う。僕も残酷描写が苦手で、ホラー作品はほとんど見ないのだが、北野武監督作品とクエンティン・タランティーノ監督作品は、どんなに残酷な描写でも平気で見ていられる。もっとも、このふたりの残酷描写は質も傾向もまったく違う。タランティーノ作品には拳銃で撃たれて頭が破裂するといった描写があるが、大げさすぎて笑いたくなるユーモアを感じるのだ。

一方、北野武作品の暴力には「生理的な痛み」を感じる。「その男、凶暴につき」(1989年)の頃から暴力の描き方に独特のものがあると感じていたが、驚いたのは「ソナチネ」(1993年)を見たときだった。最初の方で、ビートたけしの村川が組の幹部である矢島健一を一方的に殴るシーンがあった。その描き方が斬新でリアルだった。ホントに痛そうに見えた。暴力の怖さのようなものが伝わってきた。この監督は、本物のやくざが人を殴るのを見たことがあるのではないか、と僕は思った。

「BROTHER」(2000年)公開前のテレビの特集番組だった。北野武監督が登場し、ある暴力シーンのことを「あれ、痛いでしょ」とインタビュアーに言っていた。それは、相手の鼻の両方の穴に箸を差し込み、下から突き上げるというシーンだった。初めて見たとき、そのシーンに僕はショックを受けた。誰でも、こんなことはされたくないよな、と思うことがある。鼻に箸を差し込み下から突き上げられるなんて、考えただけでゾッとする。それを北野武監督はやってしまう。

「アウトレイジ」シリーズは、とにかく大勢の人が死ぬ。殺され方は様々で、北野武監督はそれが描きたくて作ってるのじゃないかとさえ思えてくる。痛いシーンの連続だし、わざわざなんでこんな殺し方するの? と思う場面もある。「アウトレイジ」で言えば、水野(椎名桔平)の殺され方だ。捕らえられ車に乗せられた水野は頭から黒い袋をかぶせられ、首にロープをまかれる。そのロープの反対側をわざわざ海辺の杭に縛り付け、車を走らせる。ロープがピンと張られ、水野は勢いよく車から飛び出す。その後のシーンで「水野は首がほとんど千切れてましたよ」と刑事の片岡(小日向文世)が大友(ビートたけし)に言う。

たぶん、どう殺すか、どう痛めるつけるか、北野武監督はアイデアを絞り出しているに違いない。痛いシーンを列挙すると、カッターナイフで小指を切ろうと血だらけになるシーン、そのカッターナイフで相手の顔を×に切りつけるシーン、歯医者の椅子にいる石橋蓮司の口の中を治療用のドリルでかきまわすシーン、覚醒剤を売っている中華料理店のオヤジの耳に菜箸を突っ込むシーン、同じく中華包丁で指を切断するシーン、國村隼に舌を突き出させ下から顎を叩き上げて舌を噛ませるシーン----などなど、一作目の「アウトレイジ」を思い浮かべるだけで、こんなにもある。拳銃で簡単に射殺される方がましだと思えてくる。

●「アウトレイジ最終章」は銃弾がふんだんに飛び交う展開になった

「アウトレイジ最終章」にも様々な殺され方が出てくるが、どちらかと言えば拳銃や機関銃での撃ち合いが主流になっている。特に狭い自動車内での突然の撃ち合いは、この映画の最大の見ものだ。そのせいか、僕は「ゴッドファーザー」シリーズを連想した。大勢のパーティー客に向かって大友と市川(大森南朋)が皆殺しにする勢いで撃ちまくるシーンにはカタルシスさえおぼえた。「ゴッドファーザーPARTIII」(1990年)でホテルの会場に集まったマフィアのボスたちを、ヘリコプターから機関銃で連射するシーンを僕は思い出していた。

テレビスポットでも流れていたので見た人は多いだろうが、林の中の道に首まで埋められている花菱会の会長(大杉漣)のシーンは誰しもギョッとするだろう。しかし、生理的な痛みは感じない。大杉漣は首まで埋められて大変だっただろうが、北野武監督に命じられれば何でもするしかないのだ。文句は言えない。何しろ、それまでピンク映画やロマンポルノばかりに出ていた大杉漣を「ソナチネ」で起用し、メジャーな役者(メジャーになってから周防監督の「変態家族 兄貴の嫁さん」の老人役だったのが有名になった)にしたのは北野監督なのだから---。

しかし、首だけ出した大杉漣の場合は自動車が間近に迫るということはなかったようだ。映画はそのように見せていたが、実際にそんな危険な撮影はしていないのはわかる。編集でごまかしていた。首まで埋められたうえ、間近をジープが走りまわるという体験をしたのは、水戸黄門になる前の西村晃である。そんな危険な撮影を命じたのは、深作欣二監督だった。「北陸代理戦争」(1977年)のワンシーンである。そんなエピソードを知ると、「殺すで、人ひとり殺すで。当たるで、この映画」と興奮する「蒲田行進曲」(1982年)の監督(蟹江敬三)は深作欣二その人ではないかと思う。

たぶん、北野武監督が「アウトレイジ」シリーズで意識したのは深作欣二監督であり「仁義なき戦い」なのだと思う。「その男、凶暴につき」は、最初、深作欣二が監督する予定だった。それが、どういういきさつかは知らないが、深作欣二監督が降りた。そこで、監督経験のまったくないビートたけしが監督することになった。初めてだったとはいえ、それまでビートたけしは大島渚を始め、何人もの監督の現場を見ていたのだ。僕が初めて見た俳優ビートたけしは東陽一監督作品「マノン」(1981)年だった。ヒロイン烏丸せつこのやくざな兄の役である。

余談だが、「マノン」は、確か佐藤浩市の映画デビューではなかっただろうか。佐藤浩市が俳優としてデビューしたのは、NHKドラマ「続・続・事件」(1980年)だと記憶している。大岡昇平のベストセラー「事件」は野村芳太郎監督が映画化したが、その後、NHKが深町ディレクター・早坂暁脚本でドラマ化した。主演の弁護士役は若山富三郎である。これが好評で、富三郎主演で何作か続編が放映された。早坂暁のオリジナル脚本だ。「続・続・事件」は母親(岸恵子)に家庭内暴力を振るう息子(佐藤浩市)の物語だった。

ところで、「アウトレイジ」には、日本のやくざ映画のDNAは感じない。特に今回の「アウトレイジ最終章」は、日本映画的な要素がほとんどない。「ゴッドファーザー」のようなハリウッド的なものを感じる部分もあるが、たぶん最も近いのはフレンチ・ノアール、もっと言えばジャン=ピエール・メルヴィル監督作品ではないだろうか。北野武監督作品が、フランスで受ける理由がそこにあるのではないか。フランスにはキタノ・ファンが多い。残虐で暴力シーンばかりの北野武監督作品を僕が偏愛するのも、フレンチ・ノアールを熱狂的に愛しジャン=ピエール・メルヴィル監督を神と仰ぐ僕だから不思議はないのかもしれない。

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