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2018年3月15日 (木)

■映画と夜と音楽と…809 53階のアカデミー賞



【15時17分、パリ行き/ディア・ハンター】

●横浜ランドマークタワーのホテルに泊まることになった

一度も海外にいったことがない僕と違い、かみさんはイギリスを含むEU諸国はほとんど踏破し、アジアもヴェトナム、カンボジア、マレーシア、台湾は旅行済みである。したがって、あちこちの旅行会社からパンフレットが頻繁に送られてくる。二月のある日、「ねぇ、横浜のランドマークタワーのホテルが朝食付き一泊8900円で泊まれるわよ。朝食は70階のレストランよ」と、パンフレットを見ながらかみさんが言った。「ふーん、安いね」と言ったものの特に泊まりたいとは思わなかったのだけれど、かみさんはさっそく電話をして三月五日の予約を取ってしまった。しばらくして、「三月五日ってアカデミー賞の日だわ」とかみさんが隣の部屋で大声を挙げた。「録画しときゃいいだろ。字幕入りの放映のほう」と僕は自室から怒鳴り返した。

というわけで、三月五日はWOWOWのアカデミー授賞式の事前に行われる、レッドカーペットのレポートを少し見てから家を出ることになった。レポーターは石田純一と松原千明の娘(原健策の孫)だった。横浜までは、ほぼ二時間。ちょっとした小旅行である。僕は雑誌の編集部にいた頃、ロケでよく横浜(港近辺が多かった)を使ったが、きちんと観光をしたことはない。実は元町にもいったことがなく、中華街はある電機メーカーの新製品発表会の後、接待で連れていってもらっただけだ。昔の日活映画ではやたらに横浜が出てきたけれど、あんな風景が残っているわけもないだろうが、日活映画のディープなファンである矢作俊彦さんの小説を読んでいると、横浜のあちこちにいってみたくなる。

石川町に着いたのは昼前だった。駅前に出ると、少し雨模様である。見慣れぬ制服姿の女子高生たちがまとまってやってきた。「フェリスか」と思わず口にすると、かみさんが「フェリスらしいわよ」と答えた。「フェリスかあ」と僕は改めて感激した。何だかよくわからないが、何といってもフェリスである。かみさんの予定では古い外交官の洋館を見て、「港の見える丘公園」まで歩くことになっていた。ただ、ものすごい坂道である。後から気付いたのだが、途中で石段になっている脇道に曲がらなければならなかったのに、そのまま僕は坂道を登り続けた。途中で風が強くなった。傘をさしていても役に立たない。ようやく坂を登りきると、御屋敷ばかりが並ぶ山手本通りとなっていた。ただ、雨風がひどくなったので公園までいくのはあきらめ、フェリス女学院の角を曲がって元町へ向かう坂道を降りることにした。

元町のレストランで昼食をとって桜木町に戻り、雨風がひどいからホテルにチェックインしてしまおうと「みなとみらい」を歩いていると、シネコンの看板があった。「おお、イーストウッドの新作やってるじゃないか」と時間を確かめると、ちょうど十分後から始まる予定だ。ビルの六階にあがり、自販機でチケットを買いホールに入る。平日だというのに半分以上のシートが埋まっている。「さすがイーストウッドじゃのう」と感心しながら、映画が始まるのを待った。かみさんは予備知識がまったくなかったらしいが、僕は実際のテロ事件で英雄的行動をした三人のアメリカ人の若者たち本人が演じている、ということは知っていた。

●テレビ番組の「本人が演じています」的再現ドラマか?

「15時17分、パリ行き/The 15:17 to Paris」(2018年)というタイトルは、西部劇の名作「決断の3時10分/3:10 to Yuma」(1957年)をもじっているのだろう。イーストウッドらしいお遊びだが、通じなくてもいいと思っているに違いない。数年前、ラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルによってリメイクされ、「3時10分、決断のとき」のタイトルで日本公開された。原作は西部小説をよく書いていたエルモア・レナードである。日本では犯罪小説作家としての方が有名で、クエンティン・タランティーノ監督の「ジャッキー・ブラウン」(1997年)の原作者である。エルモア・レナードはイーストウッド主演の西部劇「シノーラ」(1972年)のシナリオも書いている。

そんなことと「15時17分、パリ行き」は、まったく関係ない。列車内の無差別テロを防いだ実話というから、多くの人はもう少し列車内の派手なアクションがあるのかと思っていただろうなあ。スクリーン上で様々なヒーローを演じてきたイーストウッドは、「グラン・トリノ」(2008年)で自らが演じてきたヒーロー像を否定した。その後、現実のヒーローに関心を抱いたのか、ここ三作はすべて事実を元にした実在のヒーローを描いている。イラク戦争で百数十人を射殺した狙撃兵を描いた「アメリカン・スナイパー」(2014年)、ハドソン川へ不時着した旅客機の機長を描いた「ハドソン川の奇跡」(2016年)と続いた。どちらの映画も、ラストのクレジットタイトルのシーンに実際の人々の映像を流した。事実だと強調したかったのだろうか。

しかし、今回の作品はどうなのだろう。列車に乗り合わせた乗客も多くは実際の乗客を使い、救急隊員や警察官たちもそのテロ事件を体験した人たちを登場させているという。映画の最後に主人公たちはフランスの最高勲章レジオン・ドヌールを受勲するのだが、そのシーンには実際のオランド大統領が出てくる。イーストウッドによれば、「演技ではなく再現」であるらしい。その人自身が、そのときにどう動いたかをやってもらったという。確かに「ハドソン川の奇跡」とは、まったく異なるテイストの作品になっている。それに、「ハドソン川の奇跡」は事故後の調査委員会の話が中心になっていて、ドラマ的な葛藤がある。「15時17分、パリ行き」は、テレビ番組でよくある事実の再現ドラマに近い気がした。それにしても、本当にテロリストの最初の一発は、不発だったのか。出来すぎの気がしないでもない。

●クリストファー・ウォーケンの登場で感慨にふける

イーストウッドの新作を見て映画館を出ると、まだ雨風は強かった。ただし、屋根のある動く歩道を利用したので、ランドマークタワーまでは濡れずにいけた。そのままチェックインし、53階の部屋に入る。かみさんはすぐにカーテンを引き、窓際に立ち「ほら、街がジオラマみたいよ」などとのたまわっている。高所恐怖症の僕は、窓に近寄れなかった。遠くを見ることはできるが、真下を見るなどもっての他である。結局、泊まっている間、広い窓の一メートル以内には近づけなかった。かみさんはテレビのスイッチを入れ、いろいろチャンネルを変えていたが、「WOWOWが見られるわよ」と大声を挙げた。

ということで、レストラン街で夕食をすませ、成城石井で酒とつまみを購入して部屋に戻ったのが八時半。テレビの前にソファを移動させ、九時からの字幕入りアカデミー授賞式を待つことになった。毎回、アカデミー授賞式は冒頭の司会者のスピーチが楽しみだが、今年は昨年の作品賞取り違え事件のネタばかりやっていた。昨年は「俺たちに明日はない」(1967年)公開五十年だったので、作品賞発表のプレゼンターにフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイテイが出てきたのだが、今年は「『俺たちに明日はない』公開五十一年を記念して」という紹介で、フェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイテイが再び登場してきたので笑った。昨年の失敗もシャレにしてしまうアメリカ的発想は好きだなあ。

九十回目の今年の驚きは、メリル・ストリープのアカデミー賞ノミネート二十一回という記録である。五十一回めで助演男優賞を受賞したクリストファー・ウォーケンがプレゼンターで登場したとき、メリル・ストリープとウォーケンがそろったことに僕はちょっと感激した。同時に「もう四十年前になるのか」と感慨深いものがあった。日比谷のロードショー館で身を乗り出すようにして手に汗を握り、スクリーンに釘付けになっていた二十六歳の僕自身の姿が浮かんできた。あれほどの衝撃を受けた映画は、そんなにない。「ディア・ハンター」(1978年)は、未だに僕の中に強烈な印象を残している。

「ジュリア」(1977年)で映画デビューしたメリル・ストリープは、翌年、「ディア・ハンター」でクリストファー・ウォーケンと共に初めて助演女優賞にノミネートされた。その翌年、「クレイマー、クレイマー」で助演女優賞を受賞し、その後、「ソフィーの選択」(1982年)「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(2011年)と二度も主演女優賞を獲得している。四十年間に二十一回ノミネートされたということは、ほとんど毎回ノミネートされている印象だろうが、最初にノミネートされた「ディア・ハンター」は彼女にとっても思い出深い作品に違いない。メリル・ストリープにとっては、婚約者だったジョン・カザールと共演した唯一の映画である。

ジョン・カザールという俳優は、「ゴッドファーザー」シリーズのコルレオーネ家の次男フレドで人々に知られているが、「ディア・ハンター」でも故郷の鹿狩り仲間として重要な役を演じている。そのジョン・カザールとメリル・ストリープは舞台で共演し婚約をしていたのだけれど、ジョン・カザールは若くして病没し「ディア・ハンター」が遺作になった。だからこそ、プレゼンターでクリストファー・ウォーケンが出てきたとき、真っ先に彼女は立ち上がり拍手した。もちろん、その後、全員が立ち上がりスタンディング・オベイションの拍手は続いた。それにしても「ディア・ハンター」公開四十年か。僕も年をとるはずである。

ちなみに、翌日の横浜は快晴。僕は「港の見える丘公園」へいき、大佛次郎記念館と近代文学館を見てきた。どちらも初めてである。猫好き作家で知られる大佛次郎の記念館では、猫の写真展が開催中だった。近代文学館では、企画展として「山川方夫と三田文学展」をやっていた。「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」で「トコという名の男」を連載していたとき、交通事故で亡くなった作家だ。僕が講談社文庫で「親しい友人たち」を読んだのは、たぶん大学生の時だったと思う。坂上弘(「故人」という長編で山川方夫のことを書いている)、田久保英夫など、僕の好きな作家たちを「三田文学」で育てた編集者でもあった。

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