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2018年4月19日 (木)

■映画と夜と音楽と…814 狂う女----岩下志麻



【五辯の椿/智恵子抄】

●岩下志麻の写真を部屋の壁に貼っていたことがある

十五歳から十六歳にかけて、僕は岩下志麻が好きだった。和服姿で出ていた婦人誌の表紙を切り取り、部屋の壁に貼っていた。なぜ、十歳も年上の岩下志麻だったのだろう。小学生の頃、「秋刀魚の味」(1960年)という映画の看板で彼女を見たことは憶えている。山田洋次監督の「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」(1964年)の岩下志麻も美しいと思ったが、それを見たのは大学生になってからだ。僕が好きだった頃の岩下志麻は、映画版「おはなはん」(1966年)やベストセラーになった「宴」(1967年)などに出演していた。どちらもテレビドラマで評判になった物語だ。その頃、「智恵子抄」(1967年)や「あかね雲」(1967年)の看板を、自転車を止めてじっと見ていた僕自身が浮かんでくる。当時は、至る所に上映中の映画のポスターが貼ってあった。

なぜ、僕は岩下志麻が好きだったのか。テレビドラマ「花いちもんめ」を見たからだろうか。そう思って調べてみたが、「花いちもんめ」は一九六八年三月二日から四月二十日までの連続ドラマだった。岩下志麻はNHKで毎日放映していた生放送のドラマ「バス通り裏」(1958年4月~1963年3月放映)でデビューした人だから、テレビドラマは初めてではないけれど、松竹に入り人気女優となっていたから連続テレビドラマに出るのは珍しいことだった。「花いちもんめ」は父親(佐野周二/関口宏のお父さん)と五人の息子(川崎敬三、河原崎長一郎、荒木一郎、石立鉄男など)の家庭に腹違いの妹(岩下志麻)がやってくるというコメディタッチのドラマだった。脚本は田村孟。松竹ヌーヴェルヴァーグを担ったひとりで、「悪人志願」(1960年)という監督作があり、大島渚や篠田正浩監督の脚本を多く手がけた。その関係で、岩下志麻が主演したのかもしれない。

岩下志麻が篠田正浩監督と結婚したのは一九六七年三月だが、その一年前から一緒に暮らしていたと、先頃出た春日太一さんが岩下志麻にインタビューした「美しく、狂おしく--岩下志麻の女優道」(文藝春秋社)に出ていた。僕は結婚したばかりの岩下志麻と篠田監督の写真を婦人誌で見た記憶がある。別に気にはならなかった。大人の女のひとだと思っていたからアイドル的に好きなのではなく、女優として好きだったのだろうか。その頃、僕がアイドル的に好きだったのは東宝の酒井和歌子だった。世間一般は内藤洋子に傾いていたが、僕は絶対に酒井和歌子派だった。こちらも「ボーイズライフ」という雑誌に掲載されていたピンナップを切り抜いて机の引き出しに入れていた。当時、日活なら松原智恵子、東映では大川栄子、大映では梓英子が気に入っていた。

十六歳の頃、ある同級生に「岩下志麻が好きなんだよなあ」と言ったところ、「あの『バス通り裏』に出てた同級生の子だろ」と言われ戸惑ったことがある。「バス通り裏」は何度か見たことがあるけれど、十朱幸代の記憶しかなかったからだ。「バス通り裏」はNHKディレクターだった辻真先さんが担当していたが、彼は後に「時間よ止まれ」と言って時間を止められる「ふしぎな少年」を連続ドラマにした。そちらは、欠かさず見ていた。手塚治虫さんのマンガとテレビドラマが同時進行していた。辻さんと手塚さんのコラボレーション作品だったらしい。辻さんは後にミステリ作家になるが、辻さんのサイトへいくと「バス通り裏」時代の岩下志麻のプライベート写真が掲載されている。高校生の岩下志麻だ。

●「五辯の椿」は前半が倒叙ミステリで後半は本格ミステリ

小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)に、ワンシーンだけ出ている岩下志麻のことはよく知られている。原節子を重役室の佐分利信のところに「こちらでございます」と案内するBG(当時はビジネスガールと言った)役である。そのとき岩下志麻は十九歳だが、その後とあまり変わらない容姿だ。すでに大人びていたのかもしれない。岩下志麻は、その後の三十年ほどはほとんど変化がないように見える。「極道の妻たち」あたりからは年齢(と貫禄)を感じるが、それでも美しさは保っている。しかし、やっぱり僕が好きだったのは、「宴」「智恵子抄」「あかね雲」の岩下志麻だった。二十代半ば、すでに「五辯の椿」(1964年)という代表作を持っていた。野村芳太郎監督との仕事も多く、それぞれが彼女の代表作となっている。

しかし、この時期の岩下志麻の代表作としては、やはり三時間近くある大作「五辯の椿」を挙げるべきだろう。若い娘が色仕掛けで大店の主人らしい中年男をたらし込み、夜具の上で抱かれながら簪で刺し殺すというショッキングな場面から始まり、観客の心を鷲掴みにしてしまう。まだ二十二、三だった岩下志麻の若い嬌声が耳に残り、媚態が艶めかしい。前半では、岩下志麻が連続殺人を犯すわけだが、その理由ははっきりしない。しかし、倒叙ミステリとして、大変おもしろくできている。何人めかの狙う相手が悪徳医者(伊藤雄之助)なのだが、彼を殺そうとして逆に岩下志麻が窮地に陥る場面もあり、ハラハラドキドキするサスペンスが醸し出される。

後半に入り、加藤剛が演じる与力が登場してからは、謎解き中心の本格ミステリになる。ひとつの物語で倒叙ミステリと本格ミステリが楽しめるのだから、アイラ・レヴィンの傑作ミステリ「死の接吻」みたいなものである。ちなみに、「死の接吻」も二度映画化されている。原作が出たばかりの頃に映画化された「赤い崖」(1956年)はロバート・ワグナーの主演、再映画化の「死の接吻」(1991年)はマット・デュロンとショーン・ヤングが出ていた。ちなみに、日本でも連続テレビドラマになり、黒沢年男が野心的な主人公の若者を演じた。もっとも、原作の第一部の倒叙ミステリ部分は犯人の視点で描写しながらその正体を隠しているが、映像化するにあたっては主人公の顔を出さざるを得ず正体を隠すわけにはいかなかった。

「五辯の椿」がよくできているのは加藤剛の与力が調べ始めると、様々な謎がさらに深まることである。前半の展開で予想していたことが、次々と裏切られる。その謎が次第に明かされていくおもしろさは、さすがに野村芳太郎監督だと思う。松本清張の短編を映画化した「張り込み」(1958年)が野村監督の最高傑作だと思うけれど、野村監督のミステリ系列の作品の中には時代劇ミステリの傑作「五辯の椿」がそびえたっている。一般的には「砂の器」(1974年)の人気が高いようだけど、結城昌治の「やくざな妹」を映画化した「昭和かれすすき」(1975年)なんて小品も忘れがたい。それにしても器用な監督で、すれ違いメロドラマの「あの橋の畔で」(1962~63年)から岩下志麻の「おはなはん」や「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」(1968年)まで何でもこなした人だった。

「五辯の椿」では、岩下志麻の淫蕩な母親役に左幸子がキャスティングされている。この左幸子が素晴らしい。大店のわがままな娘で番頭上がりの律儀な夫を軽蔑し、遊びほうけ、若い愛人を作っては別邸で愛欲に耽るような女である。「美しく、狂おしく--岩下志麻の女優道」の中で、春日太一さんが「殺しでいいますと、母親役の左幸子さんを殺す場面も凄かった」と訊くと、「取っ組み合いするシーンだったんですよ。それで、本気で行ってしまって。左さんボリュームあるからなかなか思うようにいかないのですが、もう思いっきりの力で引きずり回したんですよ(中略)左さんは全て計算ではなくて本能の赴くままにお芝居するタイプの方だと思います」と岩下志麻は答えている。この母娘のシーンは作品の肝になる場面で、謎が解かれると同時にヒロインがなぜ何人も殺すのか、その動機が解明されるのだ。

●狂っていく高村智恵子を演じた「智恵子抄」のポスター

さて、どうして僕は十代半ばに岩下志麻を好きだったのか、その答えは、この文章を書き進めているうちに甦ってきた。はっきりと、僕の中に五十年前の記憶が浮かび上がってきたのだ。それは一冊の文庫本から始まった。十五歳のとき、僕は高村光太郎の「智恵子抄」を買った。現代教養文庫版で「紙絵と詩 智恵子抄」という本だ。高村智恵子の紙絵作品が光太郎の詩と共にカラーで掲載されていた。後半には高村光太郎が書いた「智恵子の半生」という文章、「画室の冬」と題された高村智恵子自身のいくつかの文章、平塚らいてうなどが智恵子を回想する文章などが掲載されていた。昭和四十年(一九六五年)八月に初版が出ているが、僕が買ったのは昭和四十二年(一九六七年)の春だった。高校生になってすぐの頃である。

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが----

「智恵子抄」の冒頭の詩「人に」は、そのようなフレーズで始まっていた。そのフレーズが妙に身に沁みた。小学校のときに好きだった女の子と中学は別々になり、三年間は離れていたが高校で再会し、毎日、胸をときめかしていた時期だったからかもしれない。自転車通学をしていた僕は、毎朝、電車通学し商店街を歩いている彼女を追い越すときに胸をドキドキさせていた。そんな十五歳の少年には「智恵子抄」の全編が新鮮だった。そのいくつかの詩を僕は暗唱しながら、自転車のペダルを漕いだ。

 人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
 砂にすわって智恵子は遊ぶ。

これは、狂った智恵子が九十九里で静養している頃の詩である。そして、ある日、僕は「智恵子抄」という映画の看板に出会った。そこには、着物を着た岩下志麻が九十九里らしい砂浜に立っている姿が描かれていた。手前に立って彼女を見守るように見つめているのは、丹波哲郎が演じる高村光太郎だ。看板の下端には「高松松竹」と入っていたと思う。ポスターには、「名匠・中村登監督作品」と刷り込まれていたかもしれない。その映画の看板を、僕は自転車を止めて見つめた。岩下志麻は知っていたが、そのとき僕は、きっと智恵子を演じた彼女に恋をしたのだ。

----これは、私が是非やらせていただきたいって松竹にお願いしたの。高村光太郎の詩集を読んで、ぜひこれは映画でやりたいなと思っていました。
----もともと私は精神科の医者になりたかったんですよね。ですから、ああいう精神に異常をきたした役にとても興味があったんです。

五十年後、「美しく、狂おしく--岩下志麻の女優道」で岩下志麻はそう語っている。女優人生は六十年を迎えるという。多彩な作品が残っている。日本映画史を飾る名女優だと思う。ちなみに「智恵子抄」の公開は、昭和四十二年(一九六七年)六月五日だった。その日、イスラエルとアラブ諸国は戦闘状態に入り、第三次中東戦争が勃発した。イスラエル軍の奇襲によってアラブ側は大敗したという。そんなこととは一切関係なく、僕は自転車に乗って、毎朝、好きな女の子の姿を探していた。「智恵子抄」のポスターを盗もうかと考えていた。

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