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2018年4月26日 (木)

■映画と夜と音楽と…815 怨む女--梶芽衣子



【野良猫ロック セックス・ハンター/女囚701号 さそり/曽根崎心中】

●「目力」と言うにふさわしい梶芽衣子の視線の強さ

「目力」という言葉がいつから使われ始めたのかはわからないが、五十年前にその言葉があれば、間違いなく梶芽衣子に対して使われたはずだ。「オール読物」に連載されていた梶芽衣子の回想録が文芸春秋社から単行本「真実」として発行されたが、その表紙の写真を見れば一目瞭然である。誰もが、きりっとした強い視線に引きつけられるだろう。まっすぐ見つめる瞳の奥には「冷たい炎」が見える。メラメラと燃え上がる炎ではない。清岡卓行に「氷った焔」という詩があるけれど、梶芽衣子の瞳は「氷った情熱」をたたえている。何かを思い詰めたら、やり遂げるまで突き進む強い意志を抱いているのに、表情はあくまでクールなのである。

僕は中学生の頃、学年誌「中二コース」の映画紹介欄で初めて太田雅子という女優を知った。日活青春映画「青い果実」(1965年)が紹介されていたのだ。主役は子役の頃からテレビドラマ(NHK「ふしぎな少年」など)に出て人気絶頂だった太田博之(後に小僧寿司チェーンを立ち上げる)と、新人の太田雅子。日活は太田コンビとして売り出そうとしたのだ。しかし、その後、太田雅子は主役を外れ、裕次郎映画の脇にまわることが多くなる。裕次郎主演の「泣かせるぜ」「赤い谷間の決斗」(1965年)などで、同期デビューの渡哲也と共演する。石原裕次郎の相手役は浅丘ルリ子、渡哲也の恋人役は太田雅子という配役である。

それでも、山本陽子よりはマシだったかもしれない。山本陽子は、裕次郎とルリ子コンビの傑作ムードアクション「赤いハンカチ」(1964年)では、二谷英明とルリ子の屋敷の女中役でワンシーン登場し、ひと言セリフがあるだけだった。それも背中からのロングショットで顔なんてほとんど写っていなかった。太田雅子は「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)では裕次郎を慕い、裕次郎の昔の恋人ルリ子に嫉妬する役だった。元航海士の裕次郎が営む波止場のレストランの料理人(高品格)の娘で、ボーイをしながらボクシングに励む混血青年(黒塗りの郷鍈治)に愛されている。彼女は裕次郎を慕い続けるが、最後は混血青年と結ばれることになる。

この時期、太田雅子は「生意気な新人」として日活撮影所で有名だったという。「真実」には、「夜霧よ今夜も有難う」でスタッフなどにいじめられ、高品格に慰められるエピソードが出てくる。また、同期の渡哲也には「お前な、女なんだから可愛がられなきゃ駄目だ」と食堂で説教されたと書いてあった。多摩川沿いの日活調布撮影所の食堂は、僕も取材でいったことがある。宣伝部の人が「あそこが裕次郎さんの定位置でした」と教えてくれたものだが、「真実」を読んでいてあの食堂が浮かんできた。赤木圭一郎が事故死した場所も教えてもらった。僕が取材したのはロマンポルノを量産していた頃だが、裕次郎、旭、錠、そして藤竜也や梶芽衣子がいた頃のスタッフたちが多く残っていた。

●改名した翌年には十四本の日活映画に出演した

太田雅子が梶芽衣子になったのは、一九六九年のことだった。マキノ雅弘監督が日活で撮った「日本残侠伝」(1969年)のとき、マキノ雅弘監督につけてもらった名前である。日活が経営難に陥り、労働組合が力を持ち始めていた頃だった。石原裕次郎を始めスターの多くは日活を離れ始めていた。その結果、藤竜也や梶芽衣子など若手俳優たちを主人公にした集団劇が登場する。「日活ニューアクション」と呼ばれたアナーキーな作品群である。藤田敏八、長谷部安春、澤田幸広監督たちが活躍する。一九七〇年、梶芽衣子の出演作は十三本を数えるが、翌年の正月公開だった「野良猫ロック 暴走集団'71」(1971年)もその年のうちに撮影は終わっていたから十四本に出たことになる。同じ年の秋からスタートしたテレビ時代劇「大江戸捜査網」にもレギュラー出演した。

「真実」の中でも一章を立てて梶芽衣子が思い出深く語っているのは、やはり「野良猫ロック」シリーズのことだ。同じ年の「反逆のメロディー」「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」を加えての七本は、この後、何度もオールナイト上映が行われ、僕は繰り返し見ることになる。ほぼ一年間に集中して作られた「日活ニューアクション」と呼ばれる作品群は、当時の若い映画ファンを熱狂させたものだった。その作品群を象徴する女優が梶芽衣子だった。詩人で映画評論家(本職は建築家)の渡辺武信さんは、「日活ニューアクション」を絶賛した人で、それをきっかけに文芸座で始まった初期からの日活作品のシリーズ上映に通いつめ、「日活アクションの華麗な世界」をキネマ旬報に長期連載した。

「野良猫ロック」シリーズは三本を長谷部安春監督が担当し、二本を藤田敏八監督が撮った。当時は、藤田敏八監督の方が人気があったし、作品的にも注目されていた。「野良猫ロック」シリーズ以外にも、同じ年に「非行少年 若者の砦」「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」を撮り、翌年、日活最後の一般映画「八月の濡れた砂」(1971年)を公開し、若者たちの支持を受ける。公開後、ジワジワと話題になったのは、TBSアナウンサーの林美雄さんが担当する深夜のラジオ番組で、繰り返し石川セリが歌う「八月の濡れた砂」をかけたからかもしれない。林さんは早くに亡くなったが、番組の中で小劇場の芝居を紹介したり、邦画のプログラム・ピクチャーを取り上げることが多かった。

さて、藤田敏八監督は梶芽衣子主演「修羅雪姫」(1973年)および「修羅雪姫 怨み恋歌」(1974年)を撮っているが、不思議なことに「真実」の中には一度も名前が出てこない。「野良猫ロック セックス・ハンター」で梶芽衣子のイメージを創り出した長谷部安春監督は、「恩人」として何度も登場する。大ヒットした「さそり」シリーズの四作目を東映の俊藤プロデューサーに頼まれてどうしても撮らなければならなくなったとき、彼女は監督に長谷部安春を指名する。その他、「真実」の中に登場するのは「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973年)で組んだ深作欣二監督、「曾根崎心中」(1978年)の増村保造監督だが、「ある別の監督」といった言い方で藤田敏八監督の名は出さない。藤田監督と何かもめたのだろうかと勘ぐりたくなる。

●回想録のタイトルが「真実」になっている意味は?

日活を出て撮った「さそり」シリーズ、その間を縫って東宝で撮った二本の「修羅雪姫」、そして「さそり」シリーズの主題歌である「怨み節」の大ヒット、それらによって梶芽衣子には「怨みを貫く女」のイメージが定着した。何しろ、「修羅雪姫 怨み恋歌」では追いつめた最後の仇が首を吊ってしまったため、その胴体を蛇の目傘の柄に仕込んだ刀で寸断してしまう凄まじさである。「さそり」のヒロインが無言を通すことを提案したのは彼女自身だということだが、「修羅雪姫」もほとんど無言で仇たちを追いつめ惨殺していく。その間、怨みを抱き復讐に燃える目の演技だけで観客を引きつける。その目には「怨み」が宿っている。

「真実」を読んでいると、これが言いたかったんだろうなあという箇所がいくつかあった。最も印象に残るのが「鬼龍院花子の生涯」の映画化の話である。梶芽衣子は「鬼龍院花子の生涯」の映画化を企画し、鬼政役として若山富三郎のオーケーをとり話を東映にもっていく。しかし、東映からはなしのつぶて。ところが、突然、東映が「鬼龍院花子の生涯」を映画化することになり、鬼政は仲代達矢、ヒロインは夏目雅子と発表される。さらに、一度も会ったことのない東映の日下部プロデューサーが「ヒロイン以外ならどの役でもいい、と言っている」と人を介して伝えられたという。企画が盗まれたのだ。冷静に語っているが、彼女の怒りが伝わってくる。

----あの映画が封切られたのは三十六年も前の話ですし、この一件について今さら触れることになるとはまったく思いもしませんでした。ただ近年になって日下部さんが『シネマの極道 映画プロデューサー一代』という本を新潮社から刊行されたことで間違った情報がまるで事実であるかのように世間に広がっているのを知ったため、それを野放しにはできないと思ったのです。(「真実」)

「真実」を読むと、やはり梶芽衣子の強い意志が伝わってくる。そういう人なのだろう。信念を貫く。思いこんだら、やり通さずにはおかない気迫を感じる。だから、増村保造監督と映画を作りたいという彼女の強い思いは、とうとう「曾根崎心中」(1978年)に結実し、彼女に多くの主演女優賞をもたらせる。しかし、その後、プッツリと映画出演は途切れてしまうのだ。彼女は活躍の場をテレビドラマに移し、やがて二十八年続く中村吉右衛門主演「鬼平犯科帳」の密偵おまさとして生きることになる。密偵おまさには強い思い入れがあるらしく、「私にとってこの二十八年間はかけがえのないものだったのです」と語っている。

しかし、「鬼平犯科帳」への出演を最優先にしたことから、スケジュールを空けることがむずかしくなり、長期に拘束される映画への出演は途絶えてしまった。テレビドラマへの出演が中心になり、僕らは、梶芽衣子の姿をスクリーンで見ることができなくなった。彼女自身も「二十八年の間には黒澤明監督からオファーを二度いただいたこともあります。けれど作品にとことんこだわっておつくりになる監督とご一緒するには半年から一年近くの日数が必要とされるのです。黒澤映画に出演させていただけるなど、俳優としてはこのうえもなく光栄なことなのですが、それを重々承知のうえで失礼をさせていただくことになってしまいました」と書く。黒澤作品の梶芽衣子を見てみたかったと思う。「乱」(1985年)の原田美枝子の役を梶芽衣子がやったら、おもしろかったかもしれない。

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