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2018年5月10日 (木)

■映画と夜と音楽と…816 泣き言はいわない



【無頼無法の徒 さぶ/なみだ川/斬る】

●黒澤明監督が愛した山本周五郎の作品群

岩下志麻の回想録のことを書いたとき、「五辯の椿」を紹介したら山本周五郎のことが頭から離れなくなった。亡くなって、半世紀が過ぎる作家だが、今も多くの読者がいるらしい。一時期、その小説が頻繁に映画化されたが、森田芳光監督がリメイクした「椿三十郎」(2007年)以降は、テレビドラマで取り上げられることはあっても映画化作品はないみたいだ。今は、藤沢周平人気の方が高いのかもしれない。藤沢周平の小説やエッセイはかなり読んだけれど、筆名についての話は読んだことがない。ただし、藤沢さんが四十を過ぎて新人賞を受賞して登場したとき、この人は山本周五郎から一字もらったのかなと僕は思ったことがある。

山本周五郎作品が頻繁に映画化されたのは、六〇年代だった。僕は見ていないが中村錦之助の「暴れん坊兄弟」(1960年)というのがあり、「日々平安」を映画化した「椿三十郎」(1962年)から岡本喜八版「斬る」(1968年)まで十数本ある。黒澤明は「赤ひげ」(1965年)を含めて二本ある。映画史に残るような作品が多く、「ちいさこべ第一部・第二部」(1962年)「青葉城の鬼」(1962年)「青べか物語」(1962年)「五辯の椿」(1964年)「冷飯とおさんとちゃん」(1965年)「なみだ川」(1967年)など名作ぞろいだ。黒澤明の二本、田坂具隆が二本、三隅研次が二本、川島雄三、野村芳太郎、岡本喜八と日本映画の巨匠・名匠・鬼才の名前が並ぶ。山本周五郎作品の人気がうかがわれる。ただし、本人は一九六七年に亡くなった。

七〇年代に入ると、黒澤明が「季節のない街」を映画化した「どですかでん」(1970年)を初めてカラーで撮る。巨匠のひとりだった小林正樹監督も「深川安楽亭」を映画化した「いのち・ぼうにふろう」(1971年)を完成させた。翌年には、人気絶頂だったコント55号の萩本欽一と坂上二郎を主演にした「初笑い・びっくり武士道」という作品が公開された。僕も映画の看板は見た記憶があるのだが、監督が野村芳太郎、脚本に加藤泰が加わっているから、ちょっと興味を引く。その次の周五郎作品の映画化は、松田優作主演の「ひとごろし」(1976年)までない。さらに二十年以上の空白があり、「雨あがる」(1999年)「どら平太」(2000年)「かあちゃん」(2001年)「海は見ていた」(2002年)など、市川崑、熊井啓といった名匠の名前が並ぶ。「雨あがる」「どら平太」「海は見ていた」はすべて黒澤明が脚本を書いたものだ。日本映画の巨匠は、山本周五郎作品を愛したのである。

僕が初めて読んだ山本周五郎作品は「赤ひげ診療譚」だった。中学一年生の春休みのことだ。きっかけは、黒澤明監督が映画化し春休み明けに公開されると知ったからだった。「赤ひげ」制作のニュースは新聞や雑誌で読んでいた。特に新人・内藤洋子の記事が多かったと思う。僕は春休みの課題だった作文に「春休みの読書」とタイトルを付け、春休み中に読んだ二冊の本「赤ひげ診療譚」と「ジャン・クリストフ」(ただし、読んだのは一部だけ)の感想を書いた。山本周五郎とロマン・ロラン。当時、僕はふたりを同列に見て本を選んでいたのだ。その作文は校内誌に掲載され、僕はちょっと鼻を高くした。

●山本周五郎と黒澤明の共通点は「説教くさい」ことだが----

原作を読んで映画を見るということを初めてやったのが、「赤ひげ診療譚」だと思う。脚色なんて知らない頃のことだ。僕は四月に公開になった「赤ひげ」を見ながら、原作とはここが違うなと気になって仕方がなかった。原作は短編連作の形を取っていて、小石川療養所が舞台なのは共通しているし、主人公が若き医師の保本登であり、「赤ひげ」と呼ばれる所長の新出去定が登場するが、第一話は狂女(映画では香川京子が演じた)の話であり、一話一話にそれぞれ中心的な人物が登場する。そうした形の原作を読んでいたから、その各エピソードをまとめ上げ、三時間に及ぶ長編映画に仕上げていることに戸惑ったのだろう。それでも、最後には感動の涙を流した。

自らも何本も映画化し、他の監督が映画化したものを含めると、たくさんの周五郎作品の脚本を書いた黒澤明は本当に周五郎作品が好きだったのだろう。この原稿を書くので周五郎作品の箴言ばかりを集めた「泣き言はいわない」という本を読み返していて、黒澤明がなぜ山本周五郎の作品を愛したかがわかった気がした。たぶん、ふたりの共通点は「説教好き」なのだ。いっぱい映画を見続けてきたけれど、ある時期から僕は映画を批評的(批判的にではない)に見る目を持ち始めた。そうすると、昔は素直に感動した黒澤作品に、いくつか違和感を感じたのだ。そのひとつが「黒澤作品は説教くさい」ということだった。

小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督などと違って、黒澤監督ははっきりとしたメッセージを自作に込める。そして、登場人物の口を借りて、説教をする。黒澤作品に「師と弟子」という登場人物が多いのは、説教を聞かせるためではないかとさえ思う。「姿三四郎」の矢野正五郎と三四郎に始まり、「野良犬」の志村喬と三船の関係、「椿三十郎」の主人公と若侍たち、「赤ひげ」の新出去定と保本登など、「教え導く者」と「導かれ高みに登る者」という構図が共通する。そして、「教え」は常に「説教くさい」のだ。だから、「泣き言はいわない」の解説を読んで、僕は納得してしまったのだった。

----山本周五郎を評して"人生派作家"とする評家が多いのは、山本に箴言を配置した作品が多いこととも連係しているように思われる。山本と青年時代から親交のあった山手樹一郎が、わたくしにこう語ったことがあった。
「山本君の酒は説教酒でしてね。飲むとかれ一流の人生論的な説教が始まる。若いころからそうでしたよ」
したがって、同じ年配の文学仲間たちのあいだでは、山本の箴言にみちた人生論は、ヤレヤレまた始まったかといった雰囲気で敬遠されたものらしい。(「泣き言はいわない」解説・木村久邇典)

山本周五郎の箴言を集めた本の解説なのにこれでいいの? と思うだろうが、周五郎作品が好きな人は彼の人生に対する箴言を読みたいから読んでいるのだ。「説教くさい」黒澤映画はあまり好きではない僕も、山本周五郎作品の人生論的な箴言に深い共感と感動をおぼえることは多々ある。それに、黒澤作品の中でも「赤ひげ」だけは見るたびに涙する。映画化されても、ほとんどは原作にあるセリフを生かしているからだ。新出去定はこんなことを口にする。

----毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものをひきだす努力をしなければならない。人間は人間なんだ

人に指摘されたこともないし、「説教酒」と言われたこともないけれど、僕も根本のところで説教好きの人間なのかもしれない。山本周五郎の作品を好む理由は、彼の箴言に感動するからだろう。でなければ、周五郎作品の中から箴言だけを抜き出して一冊にした「泣き言はいわない」なんて本を書うわけがない。まず、そのタイトルが自戒の言葉として僕は気に入ったのだ。昔、僕は「ぼやきのソゴー」と自称し、「ボヤキとグチは違うのだ。ボヤキには己を客観視するユーモアがある」と力説していたが、山本周五郎の「泣き言はいわない」を買って以来、ボヤキを含めて泣き言をいわないように努力している。

●あまり有名ではないが山本周五郎原作の愛すべき小品たち

山本周五郎原作の映画は三十本近くを数えるが、そのうちの十七本を僕は見ている。その中でも「青べか物語」「いのち・ぼうにふろう」といった、割に知られている作品以外に僕が偏愛するのが、野村孝監督「無頼無法の徒 さぶ」(1964年)、三隅研次監督「なみだ川」(1967年)、岡本喜八監督「斬る」(1968年)の三本だ。「なみだ川」と「斬る」については、以前に書いた記憶があるけれど、「無頼無法の徒 さぶ」についてはまったく触れたことがないと思う。主演は小林旭で、恋人役は浅丘ルリ子である。監督はカルト的人気を誇る殺し屋映画「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(1967年)の野村孝。僕は日活で山本周五郎作品が映画化されたのが意外だった。

「さぶ」は山本周五郎の代表的な長編だ。経師屋に奉公するしっかり者の栄二(小林旭)には少しノロマの弟分さぶ(長門博之)がいる。栄二に想いを寄せているすえ(浅丘ルリ子)もいる。ある日、仕事先の大店で大事なものがなくなったと騒ぎになり、それが栄二の道具箱から発見される。身に覚えのない栄二だが店は解雇され、自暴自棄になりぐれていく。やがて暴れて捕縛され、栄二は寄場に送られる。さぶは出てきたら一緒に店を持とうと言い、栄二を待っている。そして、栄二が出てきたとき、すえが意外な告白をする----。「無頼無法の徒」という余計なタイトルがついているが、「さぶ」は原作を丁寧に映画化した作品だった。小林旭がいいし、浅丘ルリ子がいい。モノクロームの画面が美しい。

「なみだ川」も市井に生きる姉妹の人情物語だ。姉(藤村志保)はちょっとずれた(今ならテンネンと言われそうな)お人好しの慌て者。妹(若柳菊)はしっかり者で大店の若旦那から「嫁に」と望まれている。父は飾り職人だが、体を悪くして姉妹で面倒を見ている。やくざな兄もいる。そんな事情もあり、嫁入りをためらう妹のために姉はある嘘をつく。その嘘が誤解を生んで、様々な波紋が広がる。しかし、姉の気持ちは妹に伝わり、最後は涙なしでは見られない人情話に落ち着くのだが、とぼけた藤村志保の名演技が印象に残る。小品だけれど、愛すべき作品である。

「斬る」は三隅研次監督・市川雷蔵主演の同名作品(原作は柴田錬三郎)とは違い、岡本作品の常連である仲代達矢の主演だ。武士崩れの旅人(仲代達矢)と百姓上がりの浪人者(高橋悦史)がある藩にやってくると、七人の若侍たちが奸物の家老を斬って砦山に籠もる事件が起こる。仲代は若侍たちと知り合い彼らに味方するが、高橋悦史は次席家老が若侍たちを討つために集めた浪士隊に入る。原作は「砦山の十七日」で、お家騒動の渦中に巻き込まれる流れ者という設定では「椿三十郎」と共通する。「椿三十郎」の原作は「日々平安」だが、主人公は映画のようなスーパーマンではない。最初に登場したときは腹ぺこの情けない姿である。「斬る」では、仲代の演じる元武士の旅人が椿三十郎的な活躍をする。浪士隊のひとりを演じた岸田森(岡本作品の常連です)のエピソードに涙を禁じ得ない。

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