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2018年5月17日 (木)

■映画と夜と音楽と…817 葬儀に戸惑う



【お葬式/社葬/おくりびと/遺体 明日への十日間】

●できたばかりの東京タワーの形の文鎮を買ってきてくれた叔父の死

ひと月足らずの間に二度、納棺を手伝った。遺体を数人で持ち上げ、棺の中に移す作業である。ひとりは義妹の義母、ひとりは九十三になる父のひとまわり年下の弟で僕には叔父にあたる人だった。父には八人の兄弟姉妹がいたが、子供の頃に何人か亡くなって、成人したのは五人。しかし、長男は四人の子供を残して早世し、父には姉と弟ふたりが残った。五年ほど前に九十三で姉が亡くなり、すぐ下の弟も三年前に亡くなった。この四月に末っ子だった叔父が亡くなったので、父はすべての兄弟姉妹を失ったことになる。九十三年も生きているのだから仕方がないのかもしれない。「ワシもすぐにいくことになる」などとつぶやいている。

先日亡くなった叔父も八十一だから大往生だと思う。亡くなる一週間ほど前に父に会いたがっていると連絡が入り、僕は病院へ父を送った。父は両耳に補聴器を入れているのだが、ほとんど聴こえない。苦しい息をしながら叔父は父と会えて喜んでいたのだけれど、会話は成立しなかった。父は叔父の手を黙って握り病室を出た。その数日後、九十二歳になる母も見舞いにいきたいというので、父母を車に乗せて病院へいった。そのときには、叔父は酸素マスクをしているものの苦しい息が続いていた。一年ほど前に肺にガンが見つかり治療していたが、ひと月前に急に容態が悪化したという。すでに意識はなく、会話もできなかった。その叔父の手を握って母は涙ぐんだ。翌日、従兄弟から「父が亡くなりました」と連絡が入った。

叔父は中学を出てすぐ、タイル職人をしていた父の元に弟子入りした。父は二人目の子(僕のこと)が生まれたばかりで、二十七か八になっていた。叔父は十五歳。母は毎日、通ってくる叔父の面倒をみたらしい。日本が占領時代を終え、独立国家になったばかりの頃である。朝鮮半島では、まだ戦闘が続いていた。父は敗戦後に中国大陸から引き揚げてきて、いろいろな仕事をしていたようだが、最終的にタイル職人になり、その頃は親方として何人か使っていたのだ。僕がものごころついた頃には十人近くの職人が、毎朝、我が家の前に集まり、父からどこの現場へいけばいいか指示が出ていた。親方としては仕事をとり、毎日、段取りをして現場に派遣し、月末になると集金をして封筒に給金を詰め、ひとりひとりに手渡していた。それなりに苦労があったと思う。

その父は僕が大学を出た後にタイル職人を辞めたのに、叔父はずっとタイル職人として生きた。地方紙の訃報欄に叔父は「十河タイル代表」として載ったが、父は「ワシのことかと思う人がいるかもしれん」と口にした。僕が小学校に上がる前、父はオートバイで現場にいっていたが、そのバイクには「十河タイル」と描いてあった。そのバイクのオイルタンクにまたがっている僕の写真が残っている。昭和三十二、三年の頃だ。その頃、一人前のタイル職人になった叔父は結婚して新婚旅行に東京へいき、完成したばかりの東京タワーに登り、僕にお土産として東京タワーの形をした文鎮を買ってきてくれた。叔父に長男が生まれたのは昭和三十五年である。その長男は六十近くになり、初めての喪主に「まったく勝手がわからない」と戸惑っていた。

●伊丹十三監督は義父の葬儀の経験を元に「お葬式」を作った

伊丹十三が監督としてデビューした「お葬式」(1984年)を作るきっかけになったエピソードは、「お葬式」が大ヒットした後、雑誌やテレビのインタビューなどで紹介され広く知られることになった。義父の葬儀を取り仕切った個人的な体験が元になっているという。「お葬式」を私映画として見た人は、葬式の間に愛人が尋ねてきて近くの森の中で主人公(山崎努)がセックスするシーンがあり、「あれも伊丹監督の告白か」などと書いていた。主人公の設定はほとんど伊丹監督自身を連想させるし、実際の奥さんである宮本信子が主人公の妻を演じているのである。主人公が愛人とセックスしているシーンでは、妻の宮本信子が公園に設置された丸太の遊具に乗って、ブランコのように前後に揺らすカットが挟まれる。僕はあまり好きではないが、セックスを連想させる直喩カットだった。

伊丹監督が「お葬式は映画になる」とひらめいたのは義父の葬式を経験したからだが、初めて身内の葬式を経験すると誰でもなるほどと思うことが多く、それを詳細に描くことで映画になると発想するのは、さすがに才人の伊丹さんだと思う。映画会社は「お葬式なんて暗い映画がヒットするわけがない」と否定したらしいが、「お葬式」が大ヒットしたものだから、東映は「社葬」(1989年)なんて映画を臆面もなく作った。こちらは愛人宅で腹上死した新聞社の社主の葬儀を描いた映画だった。「新聞はインテリが作ってヤクザが売る」というセリフが記憶に残っているように、社葬を巡るドタバタの間に全国紙の販売戦争も描いていた。

「お葬式」の中では、義父の臨終を看取るとすぐに葬儀の準備に追われる遺族の姿が描かれた。葬儀社が準備したビデオをみんなで見て、葬儀の手順や作法を学ぶシーン。みんな真剣なだけに、おかしさが漂ってくる。厳粛な葬儀なのに滑稽なのである。しかし、自分で体験してみると、あの映画には共感することが多い。遅かれ早かれ誰でも葬儀の経験はするだろうから、「お葬式」が大ヒットしたのも今となってはよくわかる。八年前、僕も義父の葬儀を経験した。喪主は義弟だったけれど、長女の夫で最年長の僕としては、何かを決めるときにはいろいろと相談を受けることになった。しかし、僕としても身内の葬儀は初めてだから、すべては戸惑うことばかりだった。

湯灌・納棺も初めて経験した。葬祭場の控えの間だった。広い畳の部屋で、遺体を安置し通夜を行う。通夜では線香を絶やさないが、今は蚊取り線香みたいな渦巻き型の線香があり、一度火をつければ十二時間保つというから夜通し起きている必要はない。その通夜の前に畳の部屋で湯灌が行われた。大きなバスタブが運び込まれ、部屋の隅にあったバルブにシャワーのホースがつながれる。排水用のホースも接続され、遺体はきれいに洗われた。男女ふたりの人が遺体に大きな布をかけたまま、髪はシャンプーしてくれるし、髭も剃ってくれる。湯灌が終わり、改めて化粧をした後、納棺が行われる。遺体に水を飲ませたり、最後の別れをしたり、儀式めいたことが続いた。これも、身内の葬儀を経験しなければ、まったく知らないことだった。

●葬儀で会った従姉妹たちに幼い頃のことを教えてもらう

僕の場合、「人生で必要なすべてのことは、本と映画で教えてもらった」と断言できる。湯灌や納棺の儀式も、義父の葬儀の前に「おくりびと」(2008年)を見ていたので、実際の納棺を見て「なるほど」と思った。ただ、今回、立て続けに二度納棺を手伝ったが、それぞれ細かな違いがあった。葬祭場の違いで少しずつ異なるのだから、地域によってはいろいろ大きな違いがあるのかもしれない。僕はずっと東京での葬儀しか出ていなかったので、高松の葬儀のしきたりに戸惑ったものだ。焼香も名前を読み上げて順番があるとか、来賓の焼香では肩書きまで読み上げるとか、「止め焼香」という役にはそれなりの人を当てるとか、初めて知ったものだった。すべて、葬儀社の人の言うままに従った。

叔父の湯灌は義父のときより、さらに丁寧だった。立ち会っていた家族親戚の全員が叔父に湯をかけ、顔の一部を拭き別れを告げた。やはり男女ふたりが担当し、厳粛な儀式めいた仕草で執り行う。「おくりびと」では、山崎努と本木雅弘の納棺の儀式を見て、遺族が「ありがとう」と礼を言うシーンがあるけれど、目の前で遺体を丁寧に洗いきれいにしてもらっているのを見て叔母は何度も礼を言った。「入院して、十日間もお風呂に入れなかったから、きれいにしてもらってよかったね」と叔父に話しかける。職人だった叔父は、一日も欠かさず風呂に入った。最後に全身を洗ってもらい、シャンプーやひげ剃りまでしてもらい、新しい着物に着替えさせてもらい、気持ちよく眠っているように見えた。

オーケストラのチェロ奏者だった主人公(本木雅弘)が失職し、妻と故郷に帰ってたまたま納棺師になり、次第にその職業に使命感や誇りを感じていく物語が「おくりびと」だった。最初、妻には納棺師になったことは告げられない。案の定、真実を知った妻は「気持ちが悪い」と口にする。叔父の湯灌・納棺を見ながら、僕も「大変な仕事だな」と思った。眠るように亡くなった遺体ばかりではないだろう。「遺体 明日への十日間」(2012年)は東北の震災と津波で亡くなった人たちを安置する場所で、懸命に働いた人たちを描いた実話をベースにした映画だが、津波に呑み込まれて亡くなった泥だらけの幼い娘を「洗っていただけませんか」と母親に懇願され、「今は飲み水さえ----」と絶句する葬儀社の社員を演じた緒形直人の姿が記憶に残る。

実家で暮らしていると、冠婚葬祭の「葬」ばかりある。リタイアして一年の半分以上を四国で暮らすようになって三年、葬儀と仏事に何度出たことだろう。父は高齢で、兄も目を悪くして免許を返納したから、運転できる僕に「出ろ」となることが多い。叔父の一周忌もひとりで車を運転して、讃岐山脈の麓にある寺へ出向いた。しかし、そういう場では子供の頃に一緒に遊んだ従兄弟や従姉妹に会う。僕がすっかり忘れてしまった幼少期の話をしてくれる叔父叔母もいる。母方の叔父の四十九日には、年下の叔母に二十数年ぶりに会ったし、先日の叔父の葬儀でも四歳年上の従姉妹に会った。子供の頃、姉のように慕っていた人だ。十歳上の従姉妹にも会い、「十代後半、あんたの家に下宿してたのよ」と言われた。そういえば----と、六十年以上前の記憶がぼんやりと甦る。「もう私も八十だけど----」と、その従姉妹は続けた。長い時間が過ぎ去り、周りの人が少しずついなくなる。

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