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2018年5月31日 (木)

■映画と夜と音楽と…819 社会批判をする孤高の監督



【麦の穂をゆらす風/この自由な世界で/わたしは、ダニエル・ブレイク】

●引退を表明した老監督が引退を撤回して撮った怒りの作品

日本未公開だった「ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生」(2016年)をWOWOWが放映してくれたので、改めて「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016年)と一緒に見たが、やはり心に残るいい映画だった。さらに、八十歳を目前にして引退を表明したケン・ローチが、保守党がイギリス議会の過半数を占め福祉関連の予算を削ったことに怒り、引退を撤回して撮ったのが「わたしは、ダニエル・ブレイク」だと知った。

僕は「麦の穂をゆらす風」(2006年)以来、日本公開されたケン・ローチの作品はすべて見ている。今、最も尊敬する監督だ。「麦の穂をゆらす風」「ジミー、野を駆ける伝説」(2014年)でアイルランド問題を取り上げ、「この自由な世界で」(2007年)では移民問題をテーマにし、「ルート・アイリッシュ」(2010年)では戦争を請け負う民間企業を舞台にし、「エリックを探して」(2009年)「天使の分け前」(2012年)「わたしは、ダニエル・ブレイク」ではイギリスの貧困層を描き出した。

ケン・ローチがメッセージするものに僕は共感するのだが、「ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生」で若い頃からの盟友が語るように、彼は「イギリスで最も左翼的な監督」であり、「人間の生活を描くなら政治は切り離せない」という信念を持つ人である。そういう監督の作品だから反発する人もいるだろうと僕は思っていたが、何と「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、昨年日本公開された映画を対象とするキネマ旬報ベストテンで洋画部門のベストワンを獲得した。多くの評論家が点数を入れたことになる。

「ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生」の中には、ケン・ローチ作品を「国の恥」だと批判する新聞記事、「ケン・ローチはなぜ自国をけなし続けるのか」と書かれた記事、カンヌでパルムドールを受賞した「麦の穂をゆらす風」を、「IRAを好意的に描いた映画だ」と弾劾する批評などが出てきた。政策や権力を批判する作品を撮れば、「自国の恥を海外に晒す」と反応する浅薄な人々はどこの国にもいるのだ。そんな批判にもめげず、ケン・ローチは五十年間----途中まったく映画を撮れない時期もあったが----信念を貫いてきた結果、今では多くの人々からリスペクトを受ける監督になった。もしかしたら、新作はもう見られないかもしれないけれど、ケン・ローチ作品ならいつでも僕は見る用意がある。

しかし、「麦の穂をゆらす風」を「IRAを好意的に描いた反イギリス的作品」などと批判する人は、本当にあの映画を見たのだろうか。「彼らは見ないで批判する」とケン・ローチは言っていたが、「ケン・ローチの映画など見るのもイヤだ」と拒否する自称・愛国者や右翼的な人はいるのだろう。「麦の穂をゆらす風」はアイルランド・リパブリック・アーミーの物語ではあるが、イギリスと妥協した指導部と停戦案に反対する民兵たちとの内部抗争を描き、昨日まで一緒に戦っていた仲間たちが殺し合う(兄弟さえも分かれて戦う)悲しさを浮き彫りにして秀逸な作品だ。十年も前に見ただけだが、今も僕の脳裏に鮮明に甦る。主人公の悲しみに充ちた、透き通ったブルーの瞳が忘れられない。

●批判されることに甘んじなければならないのが権力を持つ政治家

先日、亡くなった毎日新聞社の岸井さんのように、ジャーナリストは権力に対して毅然とした態度で臨み、きちんとまっとうな批判をする人たちだと僕は思っていたが、テレビのニュース番組やワイドショーを見ていると、権力にすり寄るコメンテーター、権力の代弁をする提灯持ちジャーナリストなどがけっこういることに唖然とする。特に某通信社の論説委員という肩書きを持つ人など、あからさまに安倍政権を擁護するコメントばかりで見ているのがイヤになる。

また、批判されることに甘んじなければならないのが権力を持つ政治家だと思うけれど、今の政治家はトランプを筆頭に岸信介の孫も吉田茂の孫も他者からの賞賛ばかりを欲し、おまけに恥ずかしげもなく自画自賛を繰り返す。日本にも権力を怖れずに批判するケン・ローチのような監督が登場してほしいものだ。昔は、大島渚、熊井啓、山本薩夫(日共系だけど)など、日本にも政治的なテーマを描く監督がけっこういた。

ケン・ローチは労働者階級出身だがグラマースクールに進学し、オックスフォード大学に進んだ。僕が子供の頃に学んだイギリスは完全な階級社会で、オックスフォードやケンブリッジには裕福な上流階級の子弟ばかりがいると聞いていたが、ケン・ローチは大学で明確な階級的格差を感じたのだろう。思想的に過激というわけではないが、世の中の不正義には決然と意見を言う態度が明確で、その作品を見ていると自然と背筋が伸びる気がする。

しかし、一方的に描くわけではない。たとえば、「この自由な世界で」では、東欧からの移民を斡旋する会社で働くシングルマザーを主人公にしてイギリスの移民問題を取り上げるのだが、ヒロインは単なる正義派ではなく、移民を甘い言葉で誘い搾取する。人材派遣会社をリストラされた主人公は、自らの利益のために不法移民たちに仕事を斡旋する会社を始める。不法移民たちを利用するのだ。

僕が子供の頃に学んだ情報では、イギリスは「揺り籠から墓場まで」という福祉社会だということだった。しかし、ケン・ローチのイギリスの労働者階級の人々を主人公にした作品を見ていると、今のイギリスは福祉をどんどん切り捨てているように思える。「リトル・ダンサー」(2000年)や「ブラス!」(1996年)で描かれたように炭坑は閉鎖され、労働者たちは切り捨てられた。

サッチャー首相の時代に大きく福祉政策が変わったのだろうか。そのイギリスの変化は、今の日本に似ているのかもしれない。何もかも「自己責任」論で片づけ、弱者を顧みない。「弱者を救う」ためにあるのが政治なのではないか。引退を表明したケン・ローチが保守党政権になり福祉予算が縮小されるのに怒り、引退を取り消して撮った「わたしは、ダニエル・ブレイク」を見ると、ケン・ローチの怒りに共鳴する。映画の力を感じることができる。そんな、まっとうな映画は少ない。

●貧しい者たちが身を寄せ合うように生きていく姿に涙する

タイトルバックに音声だけが流れて「わたしは、ダニエル・ブレイク」は始まる。ダニエルの支援給付金(日本の生活保護給付と理解して僕は見た)の支給申請に対して、医療担当者が資格審査をしているのだ。女性の声がマニュアル通りの質問を繰り返す。「手を頭より上に上げられるか」とか、「我慢できずに大便を漏らしたことがあるか」といった質問だ。ダニエルの声は苛立つ。「俺は四十年間、大工だった。しかし、心臓を悪くして医者に就業を止められた。だから、支援金給付を申請している」と言い、「そんな質問は関係ない」と答える。相手は「そんな態度をとっていると、よくありませんよ」と恫喝するように言う。そんな杓子定規な対応に、ダニエルはさらに苛立ち反抗的な返答をする。

結局、ダニエルの申請は「資格なし」という通知書一枚で断られる。不服を申し立てようと役所に赴くが、担当者は規則一点張りで融通を利かせない。申請はネットでしか受け付けないと言う。詳しい説明はサイトを見ろと言うだけだ。担当者は役人ではなく、業務委託された民間企業の人間である。コンピュータもネットもまったくわからないダニエルは、どうしていいか途方に暮れる。

そんなとき、やはり支援金申請にきていたふたりの子供(姉のデイジーと弟のディラン)を連れたシングルマザーのケイティが、担当者に規則を楯に不当な扱いを受けているのを見て、ダニエルは「もう我慢ならない。彼女の訴えを聞いてやれ」と口を出す。それでも、担当者は「規則だから」と譲らない。なおも抗議するダニエルに、責任者は「警察を呼ぶぞ」と脅す。

ダニエルは経済的弱者であり、パソコン弱者である。誰もがパソコンを使え、ネットを閲覧できると思うのは間違いだ。しかし、公共機関も企業も経費削減のためにネットを活用する。告知は「詳しくはサイトを見ろ」だし、書類は「ダウンロードしろ」だし、できれば「電子申請」が望ましいという。人件費も削減できるし、書面にする印刷費も郵送費もかからないネットは莫大なコストダウンになるからだ。映画はダニエルの悪戦苦闘を丁寧に描き出す。

役所の年配の女性が見かねてダニエルに教えてくれるが、その女性は上司に呼ばれて叱責される。申請者に個別に教えてはいけない、という規則らしい。時間をとられるし、ひとりひとりにそんな対応をすればきりがない、ということなのだろう。すべては、コストダウンと効率化のためだ。しかし、社会的セーフティネットであるべき役所(日本で言えばハローワークや生活保護の申請窓口など)がそんなことでいいのだろうか。

生活費に困り家具などを売り払い食いつないでいるダニエルだが、知り合った母子を見守るように世話を焼く。母子の家は電気が止められ暖房もないので、窓に断熱効果のある梱包用のプチプチシート(正式名称は何だろう?)を張ったり、ロウソクで照明と暖房効果があるようにしたり、大工の腕を生かして家を修理したりする。子供たちもダニエルに懐く。貧しい者たちが身を寄せ合うように生きていく。

しかし、シングルマザーの生活は一向によくならない。子供たちにだけ食べさせて、自分は飢えている。ダニエルだって金銭的に援助ができる身ではない。彼女は追いつめられていく。一方、ダニエルは心臓の調子が悪くなる。そんなダニエルの部屋に心配した姉のデイジーがやってくるシーンには、心温まるものがある。ラストシーン、教会で「午前九時の葬儀は、貧者の葬儀と言われています。費用が安いからです」と語り始めるシングルマザーのケイティ。その後の言葉には涙を禁じ得ない。

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