« ■映画と夜と音楽と…821 さよならフィリップ・ロス | トップページ | ■映画と夜と音楽と…823 人は本当のことを話しているのか »

2018年6月21日 (木)

■映画と夜と音楽と…822 評価基準は「能力だけ」と思いたい



【ドリーム/ライトスタッフ】

●巨大な部屋でソロバンを使って一日中計算している女性たち

その話を聞いたのは四十数年前のことだが、今も鮮明に憶えている。その話を聞いたとき、強烈なイメージが僕の頭の中に花開いた。体育館のように広い部屋に、整然と等間隔に机が並んでいる。その机に向かって紺の制服を着た数え切れないほどの若い女性たちが腰掛けていて、全員が机の上に置いたソロバンで何かを計算している。くる日も、くる日も一心不乱に計算を続ける。ほとんどの女性が商業高校の出身で、もちろんソロバンは得意だ。彼女たちは朝きて夕方帰るまで、一日中、計算をし続ける----。そんなイメージが生まれ、四十数年間、僕の頭のどこかに居座っている。

一九七五年、出版社に入社してすぐの頃の話だ。僕は八ミリ専門誌「小型映画」の編集部にいて、その日は編集長についてある人の取材をしていた。インタビューは編集長が行い、僕は黙って聞いているだけだった。録音テープの管理が僕の役割である。取材が終われば、そのテープから原稿を起こさなければならない。一字一句、正確に起こした膨大な原稿を元に編集長が取材記事を仕上げるのである。時には取材に立ち合っていないテープを起こすことがあったけれど、その日は幸いにも取材に同行させてもらったのだった。

その日、僕が話を聞いていた相手は高名な小児科の医師であり、小型映画界では有名なアマチュア作家であり、ある光学メーカーの社外顧問をしているという人だった。その人に長い時間取材していろいろな話を聞き、後にテープを起こしたのだから、話の内容はよく頭に入ったはずだが、他のことはすべて記憶から消えている。ただひとつ、その人が話した「昔、光学メーカーの廊下の両側に大きな部屋があり、たくさんの商業高校を出た女性たちが、毎日、ソロバンで計算をしていたんだ。一本のレンズを設計するためにね」という言葉が、四十数年経った今も僕の中にはっきりと残っている。その言葉から浮かんだイメージが鮮明だったからだろう。

コンピュータが導入されてから、レンズの設計は飛躍的に楽になったと光学メーカーの技術者から聞いたことがある。たとえば一眼レフの交換レンズは「○群○枚」と表記されるように、何枚もの凹レンズや凸レンズを組み合わせて作る。設計では、光が最初のレンズに入り、どう屈折し、次のレンズでどうなるかなど、光軸のシミュレーションなどをしなければならないし、そのためには複雑な計算が必要になる。コンピュータが導入されるまで、それは人の力で行われていたのだ。しかも、ソロバンでやっていたというから、おそらく昭和三十年代までのことではないだろうか。

昭和三十年代、ソロバン能力は高く評価されたものだった。小学生の多くは近所のソロバン塾に通っていた。「読み書きソロバン」という言葉は江戸時代以降、庶民の基礎学力として言われてきた。ソロバン塾はどこにでもあった。僕も小学校の四年か五年生になって通い始め、八級から始めて半年ほどで三級にまで進んだ。ソロバンと暗算である。暗算は頭の中に架空のソロバンを浮かべ、言われた数字をそのソロバンを使って計算する。「願いましては----」で始まり、「ご和算では----」で終わったときのソロバンの玉の位置で答えが決まる。しかし、昭和四十年代に入り、カシオがすべてを変えてしまった。昭和四十年九月、カシオは電子式卓上計算機を発売する。

「ドリーム」という映画を見たときに真っ先に思い出したのが、光学メーカーの広い部屋で毎日、ソロバンを使って光軸計算をしている若い女性たちの話だった。

●人が計算する時代からIBМメインフレームに移行するとき

「ドリーム」は、一九六一年、ガガーリンの有人宇宙飛行の成功によってソ連に先を越されたアメリカが、ジョン・グレンの地球の軌道を周回する飛行を成功させた一九六二年までの時代を背景として描かれる作品である。若きケネディ大統領は「月にいく」ことを約束し、黒人問題は公民権運動で盛り上がりを見せていた。しかし、南部の州は州法をたてに白人と黒人の隔離政策を続けていた。白人用のトイレがあり、「非白人(カラード)」用のトイレがある。バスでの黒人席は後部であり、白人の学校と黒人の学校は明確に区分されていた。また、冷戦のまっただ中、学校ではソ連が攻めてきたときや、核ミサイルが落とされたときの避難訓練を子供たちに行っていた(ボブ・ディランの自伝にも出てくる)。

そんな時代、NASAはソ連に負けるなと必死で宇宙飛行を実現させようとする。そのNASAで計算を専門に担当する女性たちがいた。彼女たちは、毎日、計算ばかりしている。計算チームの中に「西計算グループ(ウエスト・コンピューティング・グループ)」があり、そこには黒人女性たちだけが集められていた。その計算チームで働く三人の黒人女性が、エンストした車を直そうとしているシーンから「ドリーム」は始まった。プロローグとしてキャサリンという黒人少女が数学の天才と教師たちに認められ、両親に「この子に教育を」と勧めるエピソードがあるが、本編はその三十数年後の一九六一年から始まるのだ。

三人の黒人女性は、キャサリン、ドロシー、メアリー。ドロシーを演じるのは、僕の好きな太っちょのオクタビア・スペンサー。彼女は管理職がいなくなった西グループで管理職の役割を果たしている。キャサリンは計算能力を買われて、ハリソン本部長(ケヴィン・コスナー)が統括するメインチームに異動になるが、そこのスタッフは本部長の秘書以外は全員白人男性である。メアリーもエンジニアチームのチーフに能力を評価されて異動になる。三人は、それぞれの部署で努力し、困難を乗り越え、偏見と差別に耐え、能力を発揮する。それを、ハリウッド映画らしいエンターテインメントにしているので、見ていて「やったぜ」という気分になる。

まず、キャサリン。新しい部署の近くには「カラード」用のトイレがなく、八百メートルも離れたトイレにいくしかない。部署にあったコーヒーポットからコーヒーを飲むと部署の全員が目を剥き、翌日、「カラード」とシールを貼られた小さなポットが置かれている。ある日、ハリソン本部長が「毎日、どこへいってるんだ」とキャサリンを責めると、キャサリンはとうとう切れて「トイレです。ここには私用のトイレがない」と訴える。続くのはハリソン本部長がコーヒーポットのシールをはがし、トイレの「カラード」という看板をたたき落とすシーンだ。「NASAでは小便の色は同じだ」と言いおいて去るハリソン本部長。ケヴィン・コスナーに拍手した。

一方、メアリーは、NASAでエンジニアになるために、白人のための学校でしか受けられない授業を受けなければならず、裁判所に請願書を提出する。法廷に出頭したメアリーは、「ヴァージニア州法が黒人と白人を分離することを認めている」と言う判事を相手に談判する。判事が一族の中で初めて軍隊に入ったこと、初めて学士になったことなどを挙げ、「何事も初めてやることで前例になる」と訴え、「肌の色は変えられません。だから前例になる必要があるのです。判事のお力が必要です」と説得し、初めて白人の学校に入学することが許される。その結果、彼女は初めて黒人女性としてNASAのエンジニアになるのだ。

●肌の色によってではなく能力によって評価されることの正当さ

思わず立ち上がり拍手したくなったのは、ドロシーのエピソードだ。彼女は西グループの全員のことを考えている。ある日、IBMの大型コンピュータが導入されることを知り、コンピュータの勉強を始め、グループのメンバーたちにプログラミングの教育を始める。導入されたIBMはなかなか稼働しないのだが、ドロシーが設定すると正常に動き始め、その能力を買われて上司で東グループの管理職のミッチェルからIBM室への異動を命じられる。しかし、ドロシーは「グループ全員でないと受けない」と拒否し、彼女の要望は受け入れられる。その後のシーンが、いかにもハリウッド映画だった。

ドロシーは西グループの部屋に入り、全員に向かって「部署が変わるわよ。もう計算機はいらない」と宣言する。ドロシーを先頭に黒人の女性たち数十人が部屋を出ていく。次のカットは誰もいない廊下だ。勢いのいい音楽が高鳴り(まるでロッキーのテーマである)、廊下の角を曲がってドロシーを先頭に黒人女性たちが行進するように力強く現れる。次のカットは彼女たちのしっかりと歩む足下だ。「やったぜ。ざまーみろ」という気分になる。虐げられてきた者たちが、その能力によってリベンジを果たした瞬間である。勝ち誇っていい、あなたたちにはその権利がある、と言いたくなる。うまいなあ、ハリウッドってこういう作り方は----、臆面もなく。

偏見と差別意識に充ちた白人たちの中で、能力だけが評価基準だというケヴィン・コスナー演じる本部長と、初めて地球の軌道を三回周回することになるジョン・グレンが、肌の色をまったく気にしない人物に描かれていた。特にジョン・グレンは非の打ちどころのない好漢だった。アメリカの英雄であり、後に上院議員になり、九十五歳まで生きたジョン・グレンだから、好漢として描くしかなかったのだろう、と意地悪く見ることもできるが、このジョン・グレンの存在が「ドリーム」に気持ちのよい涼風を吹き込んでくれる。観客はヒロインたちに感情移入して見るだろうから、白人だって捨てたものじゃない、と思わせるキャラクターは必要なのだ。

それにしても、同じ時期のNASAを舞台に描いた「ライトスタッフ」(1983年)とは、ずいぶん印象が違う。もちろん「ライトスタッフ」はアメリカ初の宇宙飛行をめざす飛行士たちを描いた気持ちのよい映画だが、振り返ってみれば黒人はひとりも出てこなかった気がする。「ドリーム」のセリフにもあったけれど、最初の宇宙飛行士の選考基準は身長などの肉体的条件と共にIQ130以上という条件も付けられていた。それに、おそらく「白人男性」という条件も暗黙の了解としてあったに違いない。その頃、日本人も南部の人種隔離政策の州にいけば、「カラード」のトイレを使用しなければならなかった。

« ■映画と夜と音楽と…821 さよならフィリップ・ロス | トップページ | ■映画と夜と音楽と…823 人は本当のことを話しているのか »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/66853271

この記事へのトラックバック一覧です: ■映画と夜と音楽と…822 評価基準は「能力だけ」と思いたい:

« ■映画と夜と音楽と…821 さよならフィリップ・ロス | トップページ | ■映画と夜と音楽と…823 人は本当のことを話しているのか »

無料ブログはココログ
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31