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2018年6月28日 (木)

■映画と夜と音楽と…823 人は本当のことを話しているのか



【三度目の殺人/光】

●人は話をしてコミュニケーションをとるしかないけれど----

僕は、正直な方だと思う。基本的に嘘はつかないし、物事を膨らませて報告したりしない。自分に不利なことも正直に話すし、間違いを認めて率直に詫びる。謝るのに抵抗がないと言えば嘘になるが、謝らないでいて後でバツの悪いことになるよりはましと思って、間違ったと思えば訂正し謝ることにしてきた。しかし、自分ではそう思っていても、人から見ればどうなのかはわからない。「ソゴーさん、本当のこと言ってる?」と疑う人がいないとは限らない。本当のことを話しているのに、信用してもらえないことも経験したことはある。

昔、知り合った人で、話をやたらに膨らませる人がいた。「嘘つき」というより「ほら吹き」に近い人だった。彼は僕より数歳上で、いわゆる団塊の世代。大学時代は全共闘運動真っ盛りで、その中心になって活動した人である。論理を展開するのには長けている。おまけに論争で負けることを恥とし、相手を論破するまで絶対に譲らないという全共闘世代の見本のような人だった。そういう人だったから、就職すると労働運動に熱中し、活動家として名を馳せた。そんな頃、僕はある労働組合の倒産闘争で彼と一緒になった。ある出版社が倒産し、労働組合が職場を占拠し「会社再建」か「労働債権の確保」をめざしたのである。

その倒産闘争の共闘会議が作られ、出版労連の役員として僕とその人が加わることになったのだ。「組合活動は会議と交渉だ」と言われるほど人と会うことが多いのだが、僕とその人は交渉の場や会議に一緒に出ることが多かった。その人と最初に交渉の場に出て、その後、会議で交渉の経過を報告したときのことだった。その人が先輩だったから僕は報告をまかせたのだが、その人は「××だと言ってやったんだよ」と報告し、「嘘、そんなこと言ってないじゃん」と僕は隣の席で驚いた。その後、その人の言動を注意していると、そういうことがやたらに多く「おいおい」と僕は思った。

ただし、その人の名誉のために言っておくと、その「膨らませた報告」によって致命的な問題になったことはない。それに、その人は会議での運動方針の立て方などに独特の着眼点を持っており、感心することも多かった。とはいっても、自分が言ってないことを「××だと言ってやったんだ」などと言うのは気になっていた。ある時、その人の出身組合の若い執行委員と会ったときに「××さんがこう言ってたよ」と話すと、「ソゴーさん、あの人の言うこと信用しちゃダメですからね」と笑いながら釘をさされた。その人は、そう言われながらも、自身の会社内では愛されているのが伝わってはきたけれど----。

人は本当のことを話しているのだろうか、という問いは本質的なことなのかもしれない。たぶん、あの人も自分が話していることは、本当のことだと思っていた。嘘を言っている、ほらを吹いているという自覚はなかったのではないか。今思い出すと、そう思える。主観的事実と客観的事実の差ではないか。僕は自己を客観視することを心がけてきたし、人はどう受け取るかと考えて報告するようにしてきたつもりである。それでも、感情的になることは多く、自分の伝えたいことが伝わらないもどかしさは、多々感じてきた。しかし、それでも、人は話をしてコミュニケーションをとるしかないではないか。

●本当だと本人が思っていることを口にしているだけではないのか

「万引き家族」(2018年)で話題の是枝裕和監督だが、僕は前作「三度目の殺人」(2017年)にまだ引っかかっている。昨年秋に公開されたが、一度見ただけでは理解できなかった。何か重要なことが描かれているのに、それを自分は受け取れなかったという気分がずっと続いていた。このところ「家族」を描くことが多かった是枝監督だが、「空気人形」(2009年)のような別の作品系列がある。「三度目の殺人」は法廷ミステリというジャンルに括られる構成を持っているが、単なるミステリにしては解けない謎が多すぎる。もっと深いものを描こうとしたのではないか、という気がしてならなかった。そこで、改めてDVDで見直してみた。それも三度だ。

しかし、それでもわからないことが多く、僕は視覚障害者のための音声ガイドと聴覚障害者のための日本語字幕をオンにして、四度目の視聴を行った。その結果、僕が見逃していたサインや記号や演出に気付いたのだが、それでもやはり何かがつかめていない気がしてならない。結局、この映画の登場人物に対しては「みんな、本当のことを言っているのか?」という疑念が深まるばかりなのだ。どんでん返しらしい証言も出てくるが、それも本当のことなのか信じきれない。また、離婚調停中で妻と共に暮らす重盛(福山雅治)の娘が万引きをして重盛に連絡があり、その場で娘が嘘泣き(かどうかもわからないけれど)で涙を流すエピソードもある。「嘘と本当」を見分けることなどできないのだと言っているのだろうか。

北海道で高利貸しふたりを殺して放火し、三十年刑務所に入っていた三隅(役所広司)は仮釈放になるが、勤めていた小さな食品工場の社長を多摩川の河川敷でスパナで撲殺し、ガソリンをかけて死体を損壊したとして二度目の殺人で起訴されている。弁護を引き受けた摂津(吉田鋼太郎)は、三隅の供述がころころ変わるのに手を焼いて、同じ事務所の重盛と若い川島(満島真之介)に助けを求める。二度目の強盗殺人となると、死刑は免れない。裁判に勝つことだけが弁護士の仕事だと考えている重盛は、強盗殺人を殺人と窃盗と主張し終身刑に落とすことを狙う。重盛の父親(橋爪功)は裁判官で三十年前に三隅に温情判決を出したのだが、三隅が二度目の殺人を犯したことで責任を感じている。

重盛と川島が殺人現場の河原へいくと、足の悪い女子高生(広瀬すず)がいる。犯行現場には死体を焼いた跡が十字架の形に残っている。被害者の家を訪れると、先ほどの女子高生が出てくる。被害者の娘である咲江だ。母親(斉藤由貴)は三隅が書いた詫びの手紙を引き裂く。しかし、ある日、三隅の告白として、被害者の妻に頼まれて保険金目当てで殺したという記事が週刊誌に出る。重盛が拘置所で面会すると、三隅は週刊誌にそう話したという。事件前、三隅の口座に正体不明の五十万が振り込まれている事実もあり、主犯は被害者の妻とした方が三隅の刑が軽くなると計算し、重盛はその主張に乗る。しかし、ある日、咲江が事務所に現れ、予想外の告白をする。

裁くことが、この映画のテーマだ。そして、裁きの十字架が重要なモチーフになる。三隅が飼っていたカナリアたちの墓に並べられた小石の十字架、最後に真実が何なのかわからなくなった重盛がただずむ十字路など、いろいろと複雑な趣向が凝らされている。しかし、それらの細かなことに気付いたのは、音声ガイドと日本語字幕で見たときだった。判決が出た後、傍聴席にひとり残っていた咲江の前を通るとき、三隅はやわらかなものを両手で包み込むようにし、咲江の前にくると手を広げ、その中から何かが飛び立ったように目で宙を追う。その動作を、音声ガイドは明確に説明してくれた。ああ、そういうことだったのか、と僕は深くうなずいたのだった。

しかし、それでも、真実が明かされたとは思えなかった。咲江の告白も、本当のことなのかと疑う。彼女の足の障害は川島の調査では生まれつきなのだが、咲江自身は周囲に「子供の頃に工場の屋根から飛び降りて----」と話している。そのことを重盛が指摘すると、咲江は「嘘じゃありません」と答える。また、三隅は「僕のような人殺しの言うことを信用しちゃいけません」と言い、最後に供述を百八十度ひっくり返してしまう。彼らだけではなく、摂津も重盛にあることを問われ、きちんと返事をせずに「あいつ、そんなこと言ってんのか」とはぐらかす。いや、重盛自身も本当のことなど語っているのか。裁判に有利なことしか語らないではないか。人は本当のことを言っているのだろうか。本当だと本人が思っていること、本当だと思いたいことを口にしているだけではないのか。

●視力を失いつつある写真家と映画の音声ガイドを制作する女性の恋愛

「三度目の殺人」を音声ガイド版で見ようと思いついたのは、河瀬直美監督の「光」(2017年)に心を強く打たれたからだった。「光」は視力を失いつつある写真家と、映画の音声ガイドを制作する女性の恋愛を描いたもので、ここ数年で僕が見た恋愛映画としては出色の出来だった。河瀬監督の前作「あん」(2015年)に続いて、写真家の中森を永瀬正敏が演じている。ヒロイン美佐子は、水崎綾女という女優さん。僕は初めて見たが、美人というよりは個性的で印象に残る。河瀬監督は「萌の朱雀」(1997年)で尾野真千子を世に出した人だ。尾野真千子も個性ある魅力的な女優だけれど、この水崎綾女という人もこれから出てくるのではないだろうか。よい映画は、ヒロインも魅力的に見せてくれる。

「光」は、映像を解説する女性の声が流れて始まる。それがある作品の音声ガイドを作る作業だとわかってくる。上映が終わり、モニターとして参加していた視覚障害者の人たちの批評が始まる。「サゾウって何ですか?」と訊かれた美佐子は、「砂で作った裸の女の像です」と言い「わかりにくいですね」と自答する。彼女が書いてきた音声ガイドを読み上げ、実際の視覚障害者たちに聞いてもらっているのだ。その中のひとり中森はラストシーンのナレーションを、「きみの主観が入りすぎている」と厳しく批判する。つい、強く反論した美佐子は、そのことで中森の存在が気になってしまう。上司に聞くと「才能を評価されていた写真家」と教えられ、写真集を見せられる。その中の「光」を感じさせる作品に美佐子は惹かれる。

美佐子が音声ガイドを担当している作品の監督(藤竜也)が会ってくれることになり、美佐子は気になっていたシーンの解釈などを訊く。ラストシーンの解釈を訊くと、監督は穏やかに話をはぐらかす。美佐子はどう音声ガイドをつけるか迷い始める。何度目かの音声ガイドのナレーション原稿を仕上げ、モニターたちを集めた試聴が始まる。しかし、今度も中森は厳しい批評をする。その帰路、まだ少しは見える中森が白杖も使わず壁づたいに歩いている姿を見て、美佐子は跡を追う。やがて、美佐子は中森に強く惹かれていく。このふたりの関係がストイックで、僕好みの大人の恋愛劇になっていた。

カメラ雑誌の編集をしていた僕としては、写真家役の永瀬が視力を失った目で二眼レフを扱うシーンやカメラマン仲間との会話など、細かなところに目配せが利いているなと感心して見ていたけれど、音声ガイド制作という仕事を詳しく見せてくれたことで新たな興味が湧いた。なるほど、音声ガイドをつける作業は、その映画を深く理解することなのだと気付き、今まで音声ガイド付きのDVD(それほど多くはない)を見るときには、サッサとオフにしていた自分の不明を恥じた。どんな職業でも専門家に話を聞くとおもしろいというのが僕の経験則だが、音声ガイド制作者にも大いなる興味を持ったのだった。本当の音声ガイド制作者の話を聞いてみたい。

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