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2018年7月12日 (木)

■映画と夜と音楽と…825 村上さんが訳した西部小説



【太陽の中の対決/3時10分、決断のとき/追撃のバラード】

●村上春樹さんが訳したエルモア・レナードの西部小説

その文庫本は今年の二月に出ていたらしいのだが、僕はまったく知らなかった。ある雑誌の書評欄で紹介されていて、「エッ、村上春樹がレナード訳したの」とちょっと驚いた。レイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルドを愛読するハードボイルド好きの村上さんだから、エルモア・レナードを訳していても不思議ではないのだが、村上さんが訳したのは西部小説の「オンブレ」と「三時十分発ユマ行き」だった。エルモア・レナードの代表的な西部小説である。ただし、「オンブレ」は一九六一年にペーパーバックで出版されたもので、「三時十分ユマ行き」は一九五三年にパルプマガジンに掲載されたものだ。相当に古い小説である。

本のことなら何でも詳しい友人のTによると、「オンブレ」は五十年ほど昔に翻訳が出ていたという。ポール・ニューマン主演の「太陽の中の対決」(1967年)という「オンブレ」を原作にした映画が公開された頃だ。「オンブレ」は「太陽の中の対決」という映画化されたタイトルで出ていたのではあるまいか。僕は映画は見ているけれど、原作が出ていたのは知らなかった。友人のTはあらゆるジャンルの小説を読んでいて、西部小説にも手を出している。僕が大学生の頃だったか、中央公論社から西部小説のシリーズが出たことがあった。僕もちょっと気をそそられたけれど、結局、買わなかった。Tはこのシリーズも買っている。ただし、あまりに売れなくて三冊で打ち切られたという。

「三時十分ユマ行き」は短い小説だが、それを膨らませて映画化し「決断の3時10分」(1957年)として日本公開された。グレン・フォードとヴァン・ヘフリンの主演である。そのリメイクが「3時10分、決断のとき」(2007年)だ。こちらはラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルが主演した。こうした情報は、「オンブレ」の「訳者あとがき----神話としてのウェスタン」で村上春樹さんがマニアックに書いている。それを読むと、村上さんが相当なレナード愛読者だとわかる。さらに、その文章の中には、「レナードのもうひとつの傑作西部小説『Valdez Is Coming(バルデスがやってくる)』」も紹介されていた。

僕はリメイク版「3時10分、決断のとき」については、八年前の一月に「父親の誇り・息子の敬意」というタイトルでコラムを書いている(「映画がなければ生きていけない2010-2012」8頁参照)。同じ短編からの映画化としては最初のバージョンが好きなのだが、リメイク版は父親と息子の関係を深く描いていて、感動的な作品になっていた。ただし、現代風に脚色しているから、結末に悲劇的な要素もあり、後味としては昔の版に愛着を感じている。それに、僕はグレン・フォードが好きなのだ。今回、原作は初めて読んだけれど、映画は物語を相当に膨らませていたのだとわかった。

「バルデスがやってくる」は「追撃のバラード」(1970年)の邦題で、一九七一年の暮れに日本公開になった。主演はバート・ランカスター。その映画のことも昔に書いたことがあるのだが、どういうことを書いたのか記憶していなかった。そこで、僕の本の索引で引いてみると、「映画がなければ生きていけない2010-2012」の379頁、「真夏にユキが降った頃----」というコラムだった。紹介している作品は「ワイルド7」(2011年)と「追撃のバラード」だった。ああ、やっぱり----と僕は思った。僕の記憶の中に限れば、「ワイルド7」と「追撃のバラード」には密接な関係があるのだった。

●「追撃のバラード」から「ワイルド7」を連想して思い出した若い日々

「追撃のバラード」の原作である「バルデスがやってくる」について、村上春樹さんは「孤独なメキシコ人バルデスがとことんいじめ抜かれながら、性悪な白人に率いられる強大な悪の一味に立ち向かい、たった一人でそれをじわじわと壊滅させていく」と紹介している。細かい物語を省略して紹介するならば、実に簡潔にまとめられていると思う。映画では「とことんいじめ抜かれる」シチュエーションに、バルデスが巨大な十字架を背負わされて荒野に追いやられるシーンがある。両手は、十字架の横の柱に縛り付けられている。歩くことはできるのだが、背中を折ったままである。この姿勢を長時間続けるのは拷問だ。

十字架を背負うことは、キリスト教圏では重要な意味があるのだと思う。ただ、日本人である僕が見ると、そういうことはわからない。十字架を背負ったまま荒野をさまよう、バルデスの不屈の精神を感じ取るだけだ。「追撃のバラード」公開の少し後、「週刊少年キング」に連載されていた「ワイルド7・緑の墓」の中で、悪漢たちの手に落ちた主人公・飛葉が同じ拷問に遭うシーンがあった。巨大な十字架を背負わされた飛葉ちゃんが苦しむ顔をする。そのアップのコマを憶えている。おそらく望月三起也さんは「追撃のバラード」を見たんだな、と僕は思った。そういうことで、僕の記憶の中では「追撃のバラード」と「ワイルド7」がつながるのだ。

七年前のコラムでは、その後半に「ワイルド7」にまつわる僕自身の若い頃のことを書いていた。今から振り返ると、四十五年も前のことを詳細に僕は書いている。そのコラムについては、ある人から「『ワイルド7』で人生の思い出を書いちゃうんですね、ソゴーさん」と感心したのか、呆れたのか、わからないコメントをもらったことがある。自分で読み返してみても、ウームと腕を組んでしまった。もっとも、僕が「日刊デジタルクリエイターズ」というメールマガジンに毎週、コラムを書き始めた最初の数年の頃には、「映画と人生の人」と呼ばれていた。映画をダシにして人生を語っちゃう、と言われたものだった。

僕が会社の先輩だった柴田さんに頼まれて「日刊デジクリ」に連載を始めたのは、一九九九年八月下旬のことだった。まだ二十世紀だった。僕は四十代で、あまり売れないデジタルデザイン誌の編集長だった。メルマガの連載を引き受けた理由は、自分が編集している「デジタルグラフィ(デジタルで描いたもの)」という雑誌の宣伝になるかと思ったからだ。何しろ、デジタルクリエイターズ向けのメールマガジンだから、ぴったり読者ターゲットじゃないか、と僕は思った。残念ながら、数年後、僕は「デジタルグラフィ」休刊の挨拶を書くことになったけれど、編集長として休刊の挨拶を書くのは二度目だった。編集部員時代に八ミリ専門誌「小型映画」で休刊号の編集後記を書いたから、まあ、実質は三度目である。

「デジタルグラフィ」編集部は僕の他に編集部員がひとりいるだけだったので、それほど会社としては撤退が大変だったわけではないと思う。ただ、僕は会社を辞めるつもりでいた。あるデジタル系メーカーが運営するギャラリーのディレクターはどうかと紹介してくれる人がいて、ギャラリーの所長さんと会ったこともある。結局、先方がいろいろ忖度し、その話はなくなったのだけど、当時、まだ小学生ふたりの子供を抱えた僕としては、辞めなくてよかったのだろうと今は思う。しかし、当時の僕は屈辱感にまみれ、かなり屈折した気持ちで日々を送っていた。「おめおめと、生き恥を晒してます」などと、親しい筆者に会うと自虐的に口にした。

そんな気分だったこともあったし、充たされない気持ちを抱えていたので、その頃に書いたものには、何かを希求する気分が色濃く出ているように思う。だから、「映画と人生の人」などと言われたのだろうか。それから、十数年も経った二〇十一年なのに、僕は「ワイルド7」の映画化をきっかけに、「ワイルド7」と大学生の僕と結婚前だったかみさんのことを長々と書いていたのだ。それを書いたとき、僕はもう還暦を目前にしていたし、四十代とは、精神的にはずいぶん変わってしまったと自覚していた。会社でも、いつの間にか管理部門に移り、役員になり、出版計画を作成し、キャッシュフローまで見るような立場になっていた。

●二十年にわたって書いてきた文章に変化する気分を読み取る

さらに、七年の月日が流れて、今の僕は完全にリタイアして数年になるし、一年の半分以上は実家の裏でひとり暮らしをしている。まだまだ、いろいろな悩みはあるし、ときに「つまらん人生やった」と独り言をこぼしたりしているが、毎日、ある意味では悠々自適で、傍から見れば優雅な老後を送っているように見えるかもしれない。本を読み、DVDを見て、原稿を買く。洗濯をして干す。買い物をして料理をする。実家の老親ふたりの様子を見にいく。病院に付き添う。猫と遊ぶ。洗濯ものを取り入れて畳む。僕の一日は、それくらいの要素しかない。十日に一度ほど、高校時代の友人と街で会い、居酒屋や焼鳥屋で飲むが、度を過ごすことはない。

思想信条上の問題で「日刊デジタルクリエイターズ」の連載を降りて、もう四年ほどになるだろうか。自分のブログで毎週、文章を書いているが、これは自己満足みたいなものじゃないか、と自問することも多くなった。どれほど読んでもらえているのだろう、と不安になるときもある。それでも、「映画がなければ生きていけない」シリーズをまとめる目標もあって書き続けてきた。そして、今年で「映画がなれば生きていけない2013-2015」を出してから三年が経つ。発行は二〇一五年の十一月下旬だった。僕の本は三年に一度のペースで出してきた。今年末に「映画がなければ生きていけない2016-2018」を出せればいいなと思っていた。

僕も出版社で原価計算をしたり、何社かの印刷会社や用紙会社から見積もりを取り、その比較をしたり、値下げ交渉をしたりということを散々やったので、自分の本のコストと販売部数の関係はある程度わかる。高松の瓦町にあるジュンク堂には、僕の本の四巻目と五巻目が並んでいて、何冊かは売れたと教えてもらったが、六百頁を越える厚さで二千円から二千二百円の値付けは、版元がかなりがんばってくれているとしか思えない。ということで、六巻目を出してもらえるか、版元の水曜社に問い合わせるのを躊躇していたけれど、先日、メールで連絡したら「六巻目、出しましょう」と返事をもらった。だから、そろそろ出版の準備をしなければならない。

最初に七年分の原稿を二巻の本にして出版したのは、二〇〇六年の暮れのことだった。三ヶ月後に第二五回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」をもらった。あれから、もう十二年近くが過ぎて、冒険小説協会会長の内藤陳さんが亡くなってからでも七年になる。いつの間にか、そんなに時間が経ってしまった。自分が書くものは変わってしまった、と思うこともあるけれど、年は重ねたが相変わらず青臭いことを書いていると思うこともある。そんなとき、村上春樹さんが翻訳した「オンブレ」「三時十分ユマ行き」を読み、さらに村上さんの後書きを読んで、昔見た「太陽の中の対決」「決断の3時10分」を甦らせ、同時に、昔書いたコラムを読み、二十年書き続けてきた文章に、年と共に変化する自分の気分を読み取り、なぜか諦念のようなものを感じ取ってしまったのだった。

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