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2018年8月20日 (月)

●天皇への密使・第一章その1

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、お休みします。以下は、63回江戸川乱歩賞で三次選考に残った応募作「天皇への密使」を全面的にリライトしたものです。400字詰原稿用紙で500枚ほどあり、連載で掲載します。実在の人物が多く登場しますが、すべて完全なフィクションです。

●天皇への密使・第一章その1

■1945年7月29日 茅ヶ崎
 貞永京子にとって大日本帝国は祖国ではなく、憎むべき敵だった。大日本帝国は母を殺し、父を拷問して廃人にした。父は回復することなく、この世を去った。大日本帝国は、京子のかけがえのないものを、すべて奪い尽くしたのだ。寝たきりになった父が亡くなると、京子は茅ヶ崎の父方の祖母を頼り、横浜の女学校には、そこから通うことにした。昭和十九年の秋である。京子は、十七歳になっていた。
 京子が生まれたのは、横浜の外国人が多く暮らす町だった。母はイギリス人、父は日本人だった。父がイギリスに留学している時に知り合い結婚したのだ。法学者だった父は帰国して東京帝国大学で教壇に立ち、母は英語教師としてフェリス女学院で教えることになった。大正十年のことだった。昭和二年に京子が生まれ、父母はたったひとりの娘を溺愛した。
 しかし、昭和六年に満州事変が起こり、昭和七年には五・一五事件で犬飼首相が暗殺される。国家主義的な空気が社会を覆い始め、学問の世界でも自由主義的な学者たちが排斥されるようになった。昭和八年、京都大学の滝川教授が中央大学で行った講演の一部を文部省が問題視し、右派勢力からの攻撃が激しくなる。結局、京都大学は滝川教授を守りきれず休職を命じた。その後、滝川教授を支援する教授や学生たちを巻き込んだ騒ぎに発展したが、それは学問の世界への権力の弾圧が強まるきっかけとなった。
 そして、昭和十年には貴族院議員であり法学博士だった美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」が、菊池武夫貴族院議員によって議会で攻撃され、社会的に大きな問題となった。三十年も前から美濃部が唱えていた学説が、その時期になって問題にされたのは、軍部と右翼が中心になってファシズムへ向かう時代の潮流の中で、天皇を神格化するための格好の標的にされたからだ。
 軍部は天皇機関説問題を利用して時の岡田内閣を追求し、野党の政友会は内閣総辞職に追い込む政争の道具にしようとした。国会で攻撃された天皇機関説は国民にも知れ渡り、検事局も動き始めて美濃部達吉は召還される。検事局は機関説の撤回、東大名誉教授・貴族院議員・帝国学士会員など、すべての公職からの辞任と引き換えにして不起訴とする条件で美濃部に選択を迫った。公職を辞することで美濃部は起訴猶予になったものの、天皇機関説の撤回には頑として応じなかったため、軍部と右翼は攻撃の手をゆるめず、さらに勢いを強めることになった。
 翌年の昭和十一年二月二十一日、美濃部邸をひとりの男が訪れ、応対に出た美濃部に「天誅」と書いた紙を差し出した。美濃部は逃げ、男は拳銃の引き金を引いた。銃弾は、逃げる美濃部の足に当たった。美濃部邸を護衛していた警官が駆けつけると男は応戦したが、やがて捕らえられた。その五日後の雪が降り積もる早朝、二・二六事件が勃発した。
 滝川事件の時には滝川教授の支持を表明した教授たちもいたが、天皇機関説によって美濃部達吉が攻撃された時には誰も擁護をしない中、京子の父・貞永源三だけが「天皇機関説支持」を明確にし、法律雑誌や新聞に寄稿した。専門的な法律雑誌を読む軍人や右翼はほとんどいなかったが、新聞を読む人間は多かった。美濃部支持を表明したことで、京子の父はファッショ勢力の標的になった。
 二・二六事件が鎮圧された翌月の三月末、桜が咲いたという報を聞き上野に向かおうと、貞永源三と妻マーガレット、それに九歳の京子が玄関を出た時だった。ひとりの男が源三に近寄ってきた。目前で男が拳銃を出すのに気づいたマーガレットは、とっさに源三をかばって前に出た。男は、すでに引き金にかけた指に力を加えていた。弾丸は発射され、マーガレットの胸を撃ち抜いた。即死だった。
 その時のことを、幼いながらも京子は鮮明に憶えている。ゆっくりと崩れ落ちる母、母の体を抱きとめる父、あわてて逃げていく男、すべては一瞬だったが、京子の目の前で起こった悲劇だった。胸から血を流す母の手を、京子はずっと握り続けていた。
 五年後、真珠湾攻撃によって米英との戦争が始まった昭和十六年の暮れ、父は教室で学生たちを相手に米英と戦争をする愚かさを口にした。学生の誰かが、それを密告したのだ。翌年の初め、父と京子の二人暮らしの家に憲兵隊が乗り込んできた。父は逮捕され、家の中は徹底的に調べられた。
 美濃部支持を明確にして以来、赤色教授として父は憲兵隊に睨まれていた。憲兵たちは「売国奴め」とか「米英の協力者」「間諜かもしれん」と口にしながら、父の部屋の書類や本をひとつひとつ調べていた。父は暴漢に襲われた後、護身用に購入した小型の拳銃を自著の一冊をくり抜いて隠していたが、許可は取得していたものの京子はそれが見つかるのを怖れ本を隠し通した。
 父が連行された後、十四歳の京子も厳しく尋問された。「母親が英国人だそうだが、おまえも英語をしゃべるのか」と訊かれてうなずくと、「おまえも米英に協力すると、容赦なく逮捕するからな」と脅された。京子の外見が憲兵の反感を招いていたようだった。あるいは、十四歳の混血の少女を脅すことで、加虐的な歓びを感じていたのかもしれない。
 父が解放されたのは、十日後のことだった。父を引き取りにこいと連絡があり、九段の憲兵隊司令部にいくと、父が寝かされている留置所に案内された。薄い布団の上で、父は天井を見たまま何の反応もしなかった。京子を見ても何の感情も表わさない。父を取り調べた憲兵は、「車を手配すれば、そこまでは運んでやる」と居丈高に言った。父は歩くこともできなくなっていた。
 小型トラックを手配し、荷台に寝かせて自宅に連れ帰り、昔から診てもらっている医者を呼んだ。医者は、父を見るなり絶句した。体には無数の痣があった。背中は竹刀で何度も叩かれたのだろう、恐ろしいほど変色していた。逆さに吊られたらしく、足首は皮がはがれ、肉が削がれていた。手首も同じだった。
 痩せて、頬はこけていた。数日すると、ようやく京子を見る目に光が戻ってきた。だが、しゃべろうとすると、ろれつがまわらなかった。下半身が動かなくなっていた。医者が詳細に診察した結果は、背中を殴られた時に脊椎のどこかを損傷したのではないかということだった。
 三ヶ月ほどすると、父は少ししゃべることができるようになったが、すぐに呆けたようになる。上半身を起こすことはできたが、ほとんど寝たきりだった。食事も、最低限のものしか口にしなくなった。そんな状態が二年ほど続き、昭和十九年の秋、父はロウソクの火が消えるように亡くなった。あれは、緩慢な自殺だったのだと京子は思う。
 学者だった父にとって、本も読めなくなった二年間は辛かったに違いない。京子は父の枕元でよく本を読んで聞かせたが、父は「何も頭に入らない」とつぶやいた。父には、もう絶望しか残っていなかったのだ。京子は右翼のテロリストを憎み、憲兵隊を憎み、軍を憎み、国の体制を憎み、指導者たちを憎み、父を見捨てた帝大を憎んだ。父を密告した学生を憎み、そんな人間たちばかりがいる大日本帝国を心の底から憎んだ。
 そんな時、父の教え子だったという瀬川玄一郎が、茅ヶ崎の祖母の家を探しあてて訪ねてきた。祖母以外、誰にも心を開かなくなっていた京子は、瀬川についても信用はしなかった。父は、教え子の誰かに憲兵隊に密告されたのだ。父は教え子を信じ、心を開き、自分の信念に従って、彼らに教えるべきことを教えようとした。しかし、父を国賊として憲兵隊に訴えた教え子がいる。それは、目の前の男かもしれなかった。誰も信じられない。そう言い聞かせていた。
 しかし、瀬川は東京帝大で父に法律を学んだ後、昭和十四年には米国のハーヴァード大学に留学したという。そして、昭和十六年暮れの真珠湾攻撃の後、翌年六月に日米交換船でニューヨークを出航し、八月末に横浜に到着したのだった。その後、帝大時代の恩師が憲兵隊に酷い目に遭ったと聞き消息を尋ねた。しかし、その頃、すでに京子はそれまで住んでいた家を処分して小さな借家に移り、寝たきりの父とふたりの生活を始めていた。
「貞永先生のことは、ずっと気になっていたのです。今の日本では、自由主義者は生き辛いですからね。憲兵隊にひどい拷問をされて、ほとんど寝たきりになっていたとは聞いたのですが----」と、瀬川は仏壇に手を合わせた後に言った。
「あなたも自由主義者なの?」
 挑発するように京子は口にした。瀬川が正面から京子を見つめてきた。自分がひどく突き放した言い方をしたのに気づいた。たぶん、とても冷たい表情をしているのだろう。
「僕が、ですか? 僕はお父さんのように、正面切って戦争反対と言えるほど、強い人間ではありません。アメリカやイギリス、それにオランダやオーストラリア、今、そんなたくさんの国を相手に戦争をしています。大本営は何も国民には知らせませんが、戦局は日本に非常に不利になっています。お父さんが主張したように、この戦争を始めたのが間違いです。ここで、そう言うくらいしか僕にはできないのですが----」と、瀬川は自嘲気味に言った。
 そんなことを今の日本で口にすれば、大変なことになる。私が訴え出れば、瀬川は父と同じ目に遭うだろう、と京子は思った。私を信用しているというメッセージなのだろうか。京子は、瀬川に問うような視線を向けた。
「ようやく、反応してくれましたね」と、瀬川が笑った。
「何のこと?」
「あなたは、ずっと僕を冷ややかな目で見ていました。たぶん、あなたは、二年間、お父さんの世話をしてきて、何も信じないと決意している。昔、あなたのお母さんは右翼の暴漢に殺されたと、先生から聞きました。先生もこんな無惨な最期を遂げられて----。あなたは、何かを恨んでいるのですか?」
 その時、父が目の前の青年を信頼していたのだと京子にはわかった。父は母の死のことを、誰にも話さなかった。しかし、この青年には話したのだ。それは、父が「この青年は信じていい」と保証しているように思えた。心を許せる人がいれば----、京子もどこかでそれを望んでいた。京子の顔に明るさが戻った。ほほがゆるんだ。
「私は----、この国を憎んでいます。私から愛するものを奪った、この国には憎しみしか持てません」
 瀬川を受け入れた途端、京子の口を衝いて出たのは、そんな言葉だった。瀬川が沈黙した。京子の強い憎しみに触れ、共振れしたのかもしれない。瀬川は、じっと京子を見つめ続けた。
「この国の、今のような状況を変えてみませんか?」
 しばらくして、瀬川がつぶやいた。
「何? どういうこと?」
「この国は、今のままでは破滅します。愚かな指導者、狂信的な軍部のために、国民は多大な犠牲を強いられています。空襲は、ますますひどくなるでしょう。一体、どれだけの人が死ぬことになるのか----」
「みんな死ねばいい。天皇陛下も、東条も----」
「このまま進むと、そうなるかもしれません。その時は、あなたも死ぬことになりますよ」
「それでもいいわ」
 もう生きていても仕方がない、と思っていた。毎日、勤労動員に駆り出され、勉強などできてはいなかった。軍需工場で、空襲に脅えて働くだけだ。今の日本に生きる価値などない。父母のところにいきたかった。
「死んだ気になって、あることをやってみませんか?」と、瀬川が言った。
「あること?」
「日本の将来を変えることです」
「日本の将来に関心はないわ」
「あなたを信じて告白します。僕は二年半、米国にいました。その間に多くの友人や知人ができた。あの国には自由がある。日本が戦争に負ければ、あの国が占領することになるでしょう。あの国は、日本を変えてくれるはずです」
 瀬川は、そこで言葉を切った。後の言葉を口にするかどうか、迷ったのかもしれない。しかし、京子にはその先の言葉が予想できた。
「つまり、日本が戦争に負ける手助けをするということ?」
「はっきり言うと、そういうことです」
「あなた、米国の間諜なの」
 瀬川が沈黙した。それを言葉ではっきり肯定することに抵抗があるのかもしれない。瀬川の覚悟は伝わってきたが、今の日本で自分が間諜だと肯定すれば、死が待っているだけだ。いや、その前に厳しい拷問が待っている。しかし、結局、瀬川は首を縦に振った。
「ハーヴァードに留学している時に、ルームメイトの兄に紹介されました。彼は連邦政府の役人だと言ったが、正体は違った。一年ほど、彼は僕を観察していたのでしょう。その後、僕にある提案をしました。僕はそれを受け入れた。それから一年して日本が真珠湾を攻撃しました。僕は敵性外国人として監視対象になり、米国に敵意を抱いている日本人として、連邦警察に拘束されました。反米的であると、他の日本人に思わせるためです。エリス島の移民収容所で三ヶ月ほど過ごし、それから交換船に乗せられました。交換船で帰国した日本人は、米国の政治体制に影響されたり、堕落した米国文化に洗脳されたりしていると見られ、軍による徹底した再教育が施されます。僕は率先して再教育を受け、軍に取り入り、徴兵される前に軍属に志願しました。英語ができるので、今では軍令部で米国の放送を傍受して翻訳したり、こちらからの英語での宣伝放送をやったりしています」
「そこで知った情報を米国に流している?」
 瀬川は答えなかったが、目が肯定していた。もしかしたら、米兵向けの英語放送に暗号文を潜ませているのかもしれない。危険なことだと京子は思った。
「それで、私に何を?」
「あなたは、軍需工場で勤労奉仕をしている女学生です。それでも目を配っていれば、今の日本の状況を示す様々な情報が得られるはずです。様々なことを観察し、定期的に私に報告してほしい。工場に通う途中の横浜駅などの様子、工場での指令や出来事、すべてのものを細かく観察してほしいのです。また、私が何かを頼むかもしれません。目的や背景は話せません。あるものをどこかへ届けてほしいとか、誰かから何かを受け取ってほしいといったこともあるかもしれません」
「あなたとは、どこで会うの?」
「月に一度、ここを訪ねます。僕は恩師の娘であるあなたが気になっている。あなたに惹かれている。周囲には、そう思わせます。今の時局で、不謹慎だという人間もいるでしょうが----」
 瀬川の言葉が、京子の胸をときめかせた。しかし、それ以上に自分が反逆者になることが、父の死以来の落ち込んでいた気分を高揚させた。久しぶりに感じた充実感だった。生きる目的ができたのだ。身が危険になれば、死ねばいいのだと思った。京子が瀬川に出した唯一の条件は、自決用の青酸カリを入手してほしいということだった。瀬川は、京子の目をまっすぐ見つめてうなずいた。
 それから九ヶ月、京子は観察者になり、耳をそばだてて様々なことを聞きとろうとした。それを月に一回、食料などを持って訪ねてくる瀬川に報告する。観察しているうちに自分でも分析をするようになったが、瀬川には観察したこと、耳にしたことをそのまま報告した。この国に復讐している実感は湧かなかったが、死のうと考えることはなくなった。
 その間、二度、横浜港の近くにある貿易会社に瀬川に頼まれた書類を届けたことがある。何でもないことのように京子は振る舞ったが、自分が見張られている気がして仕方がなかった。その貿易会社には、数人の年輩の男とひとりの中年の女がいた。京子が渡した書類を男のひとりが受け取り、「ごくろうさん」と言っただけだった。拍子抜けした気分だった。
 そして今日、瀬川の九回目の訪問の日だった。瀬川は、午後二時頃、食料を詰めた袋を肩に掛けてやってきた。国民服にゲートルを巻き、戦闘帽をかぶっている。様々なものが配給になっているのに、軍のコネクションで貴重な食料が手に入るらしく、瀬川は缶詰や砂糖なども届けてくれた。
 祖母に瀬川が届けてくれた食料を渡すと、いつものように祖母は礼を言い奥の座敷に引き込んだ。もんぺ姿の京子は障子を開け放し、縁側に出て座布団に正座した。瀬川は、座布団を敷き縁側に腰掛ける形で京子に応じる。ふたりは、庭に視線を向けたまま言葉を交わした。
「五日後、ある重要な任務を帯びた人物が上陸します。この近くの浜辺になる予定です。あなたにも手伝ってほしい」
 いきなり口にした瀬川の言葉に、京子は驚いた。ある人物とは何者だろう。この近くの浜に上陸できるほど、大日本帝国の軍隊はすでに制空権も制海権も失っているのだろうか。
「僕も詳しいことはわかりません。八月三日午前零時から午前三時の間に、ある人物が上陸する。彼の任務を補佐せよ、という連絡しか届いていないのです」と、瀬川は続けた。
「ポツダム宣言のことが、新聞に出ていましたね」
 京子は、「笑止。米英の提案。聖戦遂行」といった見出しを思い出しながら言った。
「そう。それに関連するのかもしれない。先日から、しきりに米国の放送がそのことについて言っています。無条件降伏とは軍に対する要求であり、日本国に無条件降伏を求めるものではないといった微妙な内容もあります。もしかしたらポツダム宣言の条文を、補完しようとしているのかもしれない。日本の指導者が最も気にしているのは、国体の護持でしょう。しかし、陸軍はあくまで本土決戦を主張しています。今、和平工作を口に出したら、首相だって命が危ない。狂信者は、どこにでもいますからね」
「でも、何らかの和平工作は進んでいるのでしょう」
「ええ、ソ連を通じて和平交渉をする途を探っているようです。近衛さんが特使として、ソ連にいく話もあったらしいですね」
「そんな時に、米国が誰かを送り込んでくる?」
「そうです。大変、危険な任務です」
「私、何でもやりますわ」
 京子は、そう答えていた。瀬川の情報を聞くと、もうすぐ戦争は終わるはずだ。早く、この愚かな戦争が終わってほしかった。今年の三月十日には東京の下町が大空襲で焼け、五月二十五日には山の手空襲があった。その時、宮城にも火が移り、正殿が焼け落ちた。五月二十八日には白昼、横浜に空襲があり、京子が動員されていた軍需工場も狙われた。横浜は三日間も燃え続け、今は瓦礫の山だ。地方都市も、ほとんど空襲にあっている。大勢の人が死んでいった。一体、何人の人が死んだのか。米軍は、日本人を殺し尽くすつもりなのか、と京子は思う。
 米国の残忍さには、京子も怒りを抱いている。その米国のために働いている気持ちはなかった。愚かな戦争を終わらせる役に立つのなら、と思って、京子は瀬川に協力しているのだ。大日本帝国は、京子の敵だった。その敵が米国なら、敵の敵と手を結ぶのは仕方がないことだったが、横浜で見た焼けた子供たちの死骸が目の奥から消えなかった。
「戦争が終われば、空襲もなくなりますね」と、京子はつぶやいた。
「ええ」
「その人の任務が成功すれば、戦争は終わりますか?」
「たぶん、終戦に関連する任務でしょう」
「私、何でもやります」
 京子は、もう一度瀬川に言った。襟に縫い込んだ青酸カリのカプセルを、右手の人差し指で確認するようになぞっていた。

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