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2018年8月30日 (木)

●天皇への密使・第一章その4

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第一章その4

■1945年7月31日 ワシントン
 ヘンリー・スガノは後部座席から身を乗り出し、運転するジャック・シモンズの横顔を見つめた。国務次官室を訪ねた時のジャック・シモンズの表情を思い出したからだ。あの表情はなじみのものだった。口には出さないが、その目は「ジャップめ」と語っていた。グルーの命令とはいえ、ジャップを後部座席に乗せているのは耐えられないだろう。今、この国に数え切れないほどいるジャップ嫌いの白人だ。
 そんな表情には、慣れていた。フランスのボージュの森を思い出す。命を賭して救出に向かった相手から「ジャップ」と言われた。あの時、ドイツ軍に包囲され、全滅必至とされたテキサス大隊を救うために、ルーズヴェルト大統領は日系二世部隊を投入した。ナチに包囲されたテキサス大隊は「失われた大隊」と呼ばれ、アメリカ国内で大きなニュースとなっていたのだ。救出は困難と言われたにも関わらず、ルーズヴェルト大統領は世論に押され救出を強行した。
 政治家にとっては、次の選挙で投票してもらうために国民の支持が最も大切なのだ。国民の「テキサス大隊を救え」という声に応えてみせる必要が大統領にはあった。捨て石として選ばれたのが、日系部隊四四二連隊だった。イタリアに上陸してすでに一年、勇敢に戦闘を続ける四四二連隊の死傷率はアメリカ合衆国陸軍随一だった。
 ボージュの森でのドイツ軍との戦いは熾烈を極め、戦闘は五日間続いた。ようやく二百余名のテキサス大隊を救出した時、四四二連隊の二百数十人が死傷していた。テキサス大隊の兵士たちは、救出にきた日系兵士を見て「ジャップ部隊か」と口にした。
 あれは、もう九ヶ月も前のことだ。俺の三本の指はあの森に置いてきてしまった、とヘンリーは白い手袋に覆われた左手を見下ろして思った。その戦傷も、グルーがヘンリーを選ぶ理由になった。戦傷を負った日系人、今のアメリカ合衆国ではマイナスのファクターばかりを集めた人間なのに、皮肉にもそれがグルー国務次官の求める条件を充たした。
「今の日本では、中年の男たちまで徴兵されている。若い男など、ほとんどいない。その中に、二十五歳のきみが潜入したのでは目立ってしまう。日本に上陸したら手袋を外して、その傷を見えるようにしておくんだ。そうすれば、戦傷で除隊した傷痍軍人と思われるだろう。それに、傷痍軍人記章も用意する」と、グルーは言った。
 この国は、いつまでたっても日系人を受け入れない。父母の苦労を何度も聞かされてきたが、日本軍が真珠湾を攻撃した時から再び日系人の苦難は始まった。財産を失い、収容所に入れられた父は、二度と立ち上がることはできないほど打ちのめされている。
 ヘンリーの父、菅野誠次は一八九〇年、日本の元号で言えば明治二十三年、広島県の郡部で小作農家の次男として生まれた。貧農の子沢山。幼い頃から、誠次は働かなければならなかった。十五で呉市の軍需工場で働くようになったが、海外へ夢を馳せ、十七歳の時にアメリカへの移民船に乗った。明治四十年のことである。
 サン・フランシスコに到着した菅野誠次は、果樹園を中心に安い賃金でも熱心に働いた。いつかは自分でも果樹園を持ちたいと、爪に灯をともすようにして金を貯めていたが、一九一三年、カリフォルニア州は日系移民の土地所有を禁止する法律を可決した。その後、多くの州が追随し、日系移民の土地所有を禁止した。安い賃金で懸命に働く日系移民は、白人労働者たちに嫌われていたのである。やがて、一九二四年、排日移民法が成立し、日本人の移民が禁止になった。
 土地を持つことを諦めた菅野誠次は、サン・フランシスコに形成された日系人街リトル・トーキョーに移り、クリーニング職人の修行をし、やがて独立。貯めていた金で自分の店を構えた。彼が結婚したのは、一九一四年、日本では大正三年である。故郷の村の兄が送ってきた写真で相手を決めた。いわゆるピクチャー・ブライドだ。隣村の娘だった。名前は貞。十八歳で、誠次より六歳若かった。
 二年後には長男のジョニーが生まれ、その二年後に長女のマリーが生まれた。次男のヘンリーは一九二〇年に生まれ、その後、次女と三男が生まれ、両親と三人の息子と二人の娘の七人家族になった。三男が生まれたのは一九二八年、日本では昭和三年だった。誠次がアメリカに渡って二十一年が過ぎていた。その頃、日本人街のクリーニング店は順調で、一家が最も安定していた時期だった。
 アメリカで生まれた二世である子供たちはアメリカ国籍のアメリカ人であり、彼らは成人すると土地所有も可能だった。ただし、日系人に土地を売ろうという白人はほとんど存在しなかった。誠次は、子供たちには苦労させたくないと、教育を受けさせることに熱心だった。長男はクリーニング店を継がせるつもりで職人修行をさせたが、大学まで通わせた。次男のヘンリーは、スタンフォード大学に進んだ。
 しかし、日本軍の真珠湾攻撃がすべてを台無しにした。真珠湾の奇襲攻撃があった直後、店に石を投げ入れられた。朝、起きると店の看板に「ジャップ・ゴーホーム」と書かれていた。翌年の二月九日、ルーズヴェルト大統領は「大統領令九〇六六号」を発令した。日系人を強制収容するというのだ。トランクひとつだけが許された。菅野一家もどこへいくのかわからないままトラックに乗せられ、長い時間、揺られ続けた。幸いだったのは、一家七人が全員揃っていたことだった。
 彼らが一時期、収容されたのは競馬場で、馬小屋の一角で生活せざるを得なかった。家畜並の扱いで衛生状態は悪く、食べ物はひどかった。敵性国民とされ、理不尽な扱いを受けていることに抗議する人間もいたが、大多数はあきらめ顔で不平も言わず暮らしていた。彼らが最終的に収容されたのは、カリフォルニア州オーエンズヴァレーに造られたマンザナール収容所だった。そこには、一万人の日系人が集められていた。アメリカ全土では、十二万人の日系人が同じように強制収容されたのだ。彼らは迫害され、財産を失い、収容所での不自由な生活を強いられた。人間の尊厳も、誇りも、そこにはなかった。
 理不尽な扱いを受けていることを声高に主張する、反米的な動きもあった。収容所内の若い世代が多く、彼らは待遇改善を強く要求した。そんな動きが次第に膨れ上がり、暴動のような形になったのは、真珠湾攻撃から一年が過ぎた頃だった。だが、監視する兵士たちによって鎮圧された。多くの若者が逮捕され、隔離された。長男のジョニーもそのひとりだった。
 暴動騒ぎから二ヶ月経った一九四三年二月、全収容者に「忠誠登録」が強制された。どちらの国に忠誠を誓うのかを迫るものだった。ジョニー以外の子供たちは、「アメリカ合衆国に忠誠を誓う」と提出した。しかし、日本国籍の父と母は、どうすればいいのか。彼らはアメリカ合衆国の市民権さえ持っていない。日本国民として天皇裕仁に忠誠を誓えば、強制送還されるかもしれない。
 暴動騒ぎ以来、拘束されていた兄のジョニーは、確信をもって「忠誠登録」を拒否した。調査官の調べに対しては、日本への送還を希望した。その結果、その年の九月にニューヨークを出航した第二次日米交換船に乗せられ、一度もいったことのない日本へ向かった。ジョニーは日本語は話せたが、日常会話としては英語の方が得意だった。広島には祖父母や叔父がいた。両親は去っていくジョニーに、会ったこともない親戚を頼れと言うしかなかった。
 一方、アメリカ合衆国に忠誠を誓ったヘンリーは軍隊に志願した。そのことで、家族に対する扱いが少しは変わるかもしれないと思ったからだ。忠誠登録を拒否して日本に向かったジョニーに対する、周囲からの反発を弱めたい気持ちもあった。ジョニーがマイナスなら、ヘンリーはプラス。それでゼロになる。しかし、周囲の反応は、そんなに簡単ではなかった。
 自分が星条旗に包まれた棺に入って帰国したら変わるかもしれないな、とヘンリーは思った。日系一家だが、アメリカ合衆国のために命を捧げるんだからな。そんな思いから、ヘンリーは訓練に耐え、ヨーロッパ戦線の熾烈な戦闘で常に先頭に立ち勇敢に戦った。多くの戦友を失い、自身も何度も死線をくぐった。生き延びているのが不思議だった。いくつも勲章をもらった。ボージュの森の戦いでは、英雄的で自己犠牲的な行為をした兵士に与えられる名誉勲章まで授与された。
 ヘンリーは父母の祖国である日本を恨みこそすれ、アメリカ合衆国に対しては自由の国であることを誇りに思っていた。日系人を強制収容したことは自由の国にとっての恥だと思っているが、それも戦争が終われば変わると楽観していた。この日系人に対する集団ヒステリーは、いつかは収まるはずだった。愚かな日本が、巨大なアメリカ合衆国に戦争を仕掛けたのが間違いだった。勝てるわけがない。現に、今、日本は破滅の危機に晒されている。しかし、それをわかっていない。
 彼らは、ポツダム宣言に盛り込まれた「われらの軍事力の最高度の使用は日本国軍隊の不可避かつ完全なる破滅を意味する。また、必然的に日本本土の完全なる破壊を意味する」というフレーズの本当の意味がわかっていないのだ。いや、彼らに理解できるわけがない。先ほどグルーに聞いた、アメリカ合衆国が大勢の科学者を動員し、莫大な金額を費やして開発したという原子爆弾。その威力は、グルーの部屋で映写されたフィルムで、ヘンリーも初めて目の当たりにした。
 それは、七月十六日にロス・アラモスで行われた、原子爆弾の爆破実験を記録したフィルムだった。驚くべき、すさまじい映像だった。眼もくらむ閃光が天地を覆い、想像を絶する爆風がすべてをなぎ倒した。巨大なキノコ雲が立ち上り、まるでこの世の終わりだった。フィルムは、何台ものキャメラで撮影されたものを編集していた。航空機から撮影した映像は、心の底から震えがくるほどだった。まるで、天地創造の瞬間に立ち合っているようだ。
 強烈な放射能が残る、爆発後の爆心地の様子も撮影されていた。空中で爆破させねばならないため原子爆弾は高い鉄塔の上に置かれていたが、その鉄塔は飴のように曲がり、周辺には巨大なクレーターが出現していた。他には、何も存在していない。完全な死の世界だった。すべてのものが消滅していた。
 上映が終わった後、巻き戻したフィルムは防水ケースに納められ、一通の封書と共に防水仕様のバッグに入れられてヘンリーに託された。それを届けることが、ジョセフ・グルーのミッションだった。ワシントンでは、「グルーは日本びいき過ぎる」と言われている。その国務次官を、ヘンリーは改めて見つめた。品のよい面長の顔。理知的な光を放つ瞳。ハーヴァードでは、ルーズヴェルトより二年上だったと聞いた。
 グルーのミッションには、選択の余地はなかった。ヘンリーが拒否すれば、ミッションそのものが成立しなくなる。短期間での選別だったが、グルーの人選は目的に適うものだったし、今から別の人間を捜すのは不可能だった。左手の三本の指がなく、戦傷のために除隊になった若い日本人に見える日系二世。豊富な戦闘経験を持つ兵士で、数えきれないドイツ兵を殺してきた。いざとなれば、同じ顔をした日本人だって殺すのをためらわないはずだ。彼らは、敵なのだ。
「この後、輸送機で硫黄島へ飛び、さらに潜水艦で日本本土に近づき、三日後の午前零時から三時までの間に神奈川県茅ヶ崎近辺の海岸にゴムボートで上陸。協力者が待機予定。その後、大磯の吉田邸で吉田茂と接触。吉田ルートで鈴木首相に面会。鈴木首相を経由し、天皇に国務次官の親書とフィルムを届ける。タイムリミットは八月五日午後十一時。迎えの潜水艦は、五日午後十一時から六日の午前一時まで待機している。以上の理解でよろしいでしょうか」と、ヘンリーはミッションを確認した。
「吉田は、六月まで憲兵隊に逮捕されていた。吉田反戦グループをヨハンセンと呼んで、憲兵たちは警戒している。おそらく、彼らの監視がついているだろう。接触には、気をつけなければならない。鈴木も同じだ。終戦工作を警戒する憲兵隊は、首相や閣僚たちさえ監視しているようだ」
「彼らは、私の話を信用するでしょうか」
「先ほど教えた、私が日本にいる時に経験したエピソードは、それぞれ私と吉田、私と鈴木しか知らない個人的なものだ。彼らは、信用するはずだよ」
「私は民間人として潜入するわけですが、武器は持参してもよろしいですか」
「武器を持っていると、調べられた時のリスクが増すが----」
「私は兵士です。敵のまっただ中で丸腰では----」
「わかった。日本の軍用拳銃を用意させる。少なくとも、アメリカ軍の銃を持っているよりはましだろう」
「ありがとうございます」
「擬装用の日本の国民服などと一緒に渡せるように手配する。では、これからすぐに出発してもらえるだろうか」
「わかりました」
 ヘンリーは、もう二年会っていない兄の顔を思い浮かべた。子供の頃から敬愛する兄だった。兄さん、これからそっちへいくよ、とヘンリーは語りかけた。このミッションが拒否できないものであるなら、日本にいくのはやぶさかではない。それに、もしかして兄に会えるかもしれない。それが、このミッションを受ける理由でもあるのだと、己に言い聞かせた。

「到着だ」
 飛行場に車を乗り入れたジャック・シモンズが振り返った。ヘンリーは何も言わず停止した車から降り、すでにプロペラが回転し、機体を滑走路に向けようと動き始めた双発の輸送機に目を向けた。そのタラップに向かって歩き出す。車の横に立つジャック・シモンズとすれ違った時、彼の口が開き、かすかな言葉が放たれた。ジャック・シモンズは、ヘンリーに聞こえないように言葉にしたのだろう。しかし、飛行機の轟音が響く中でも、ヘンリーの耳はその言葉を聞き取った。
「ゴー・ツー・ヘル、ジャップ」
 確かに、俺は地獄へ向かっている。それは間違いない。ヘンリーは、自嘲の笑いを浮かべた。あの地獄のようなヨーロッパ戦線を生き抜いたというのに、さらに危険な場所に向かおうとしている。おまけに、今回のミッションには仲間はいない。孤立無援だった。俺は、どこまでアメリカ合衆国に忠誠を示せばいいのだろう。命を捧げたら、アメリカ合衆国は日系二世の俺を受け入れてくれるだろうか。

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