« ●天皇への密使・第一章その6 | トップページ | ●天皇への密使・第二章その2 »

2018年9月10日 (月)

●天皇への密使・第二章その1

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その1

■1945年8月2日 10:00 横浜・日吉
 明治維新後、新設された兵部省が陸軍と海軍を統括していたが、明治五年に陸軍省と海軍省に分割され、さらに西南の役翌年の明治十一年、陸軍の最高権力者だった山県有朋は参謀本部を設置した。参謀本部の任務は陸軍の作戦計画や命令を起案し、情報活動を統制することだった。陸軍省が軍の予算作成や人事などの行政を行う軍政を担当し、参謀本部が実際の戦いを行うための計画立案などの軍令を担当したのである。
 一方、海軍では海軍省が軍政と軍令を担当していたが、陸軍に対抗して海軍軍令部を設置し、日清戦争の最中、海軍省と共に三宅坂から霞が関に移った。赤レンガ造りで、三階建ての威風堂々とした建造物だった。
 参謀本部は陸軍省と共に市ヶ谷台にあった。大日本帝国全軍を統括する意味で、陸軍は「参謀本部」と命名した。それに対し「海軍軍令部」という名称は対等ではないという、陸軍に対する強い対抗意識が海軍内にあり、昭和八年に海軍の名称を外し「軍令部」と改められた。
 同時に、参謀本部総長と軍令部総長は同格となり、昭和十九年八月に発足した小磯内閣で設置された最高戦争指導会議には、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣と共に参謀本部総長と軍令部総長が出席した。それは、昭和二十年四月からの鈴木貫太郎内閣にも引き継がれた。
 軍令部は総長の下、庶務・人事・在外武官などを管理する副官部があり、第一部から第四部まで全十課に分かれていた。第一部第一課が作戦・編成を担当し、第二課が教育・演習を担当。第二部第三課が軍備・兵器、第四課が出動・動員を担当した。第三部は情報担当部署であり、第五課が米国、第六課が中国、第七課がソ連、第八課が英国および欧州をそれぞれ受け持っている。さらに、第四部第九課が通信、第十課が暗号の担当だった。
 第三部の情報担当部署は、昭和十九年初頭に霞が関から横浜の日吉に移転した。スペースを広くとるために慶応予科の校舎を借り受けたのだが、霞が関の軍令部本部まで車で一時間かかるのが部員には不評だった。日吉に移転した年の七月、サイパンが陥落したのをきっかけに東条英機内閣が崩壊。その後、小磯内閣が発足し軍令部第三部に大幅な人員増が図られた。米国情報を担当する第五課には課長一名に少数の部員しかいなかったが、一挙に五十名の増員となった。戦況悪化に伴い、ようやく戦時情報の重要性に気づいたのだ。
 草野少佐は、部員ばかりが増え大所帯になって一年が過ぎた五課の部屋を眺めた。草野が第三部第五課に配属されたのは、三年前だった。三年前には真珠湾攻撃の高揚感がまだ海軍全体に残っており、真珠湾での予想外の戦果による情報への軽視が軍令部内でも続いていた。小磯内閣になって情報部署の人員増が実施され、この一年、草野は以前に増して米国情報の取得と分析に邁進し、様々な報告を上にあげてきたが、ほとんど受け入れられなかった。特に連合国側の和平工作に関する情報は、「敵の謀略」としてすべて却下された。そして今、戦況はますます悪化し、末期症状を呈している。
 今年五月二十五日の東京山の手空襲では、海軍省と軍令部が入っていた霞が関の赤レンガの建物も焼失した。そのため、海軍省と軍令部は地下壕や内幸町の日産館などに移転し、首脳部は日比谷寄りの航空本部の建物に同居することになった。さらに、軍令部第四部で通信を担当する第九課と暗号を担当する第十課は、日吉の慶応校舎に移転してきた。今、慶応校舎には多くの軍令部員が在籍し、情報を分析し、通信を傍受し、暗号を解析している。だが、そのことが何の役に立っているのか。最近、草野は頻繁に無力感に襲われる。
 四月には大日本帝国海軍が誇った最大の戦艦である大和が、往路の燃料しか搭載せずに沖縄戦に向かい米軍の攻撃によって沈んだ。数千人の兵を載せた特攻である。あれから、すでに四ヶ月。今の海軍には軍備はなく、軍令部情報担当部署も連合国側の無条件降伏を促す宣伝放送を聞く日々を送るしかなかった。戦況が不利になり特攻作戦が始まってからは、草野は戦争の終結を願うだけだった。今も、特攻機は敵戦艦に向かって突撃をしているし、敵艦隊が現れたら魚雷を抱えて突撃すべく待機している兵士たちもいる。
 先日のポツダム宣言に対して、アメリカはしきりにラジオ放送で受諾を促しているが、ここに至っても頑迷な陸軍は本土決戦を主張し続けている。戦争が長引けば、若い命が失われるだけだ。四十になる草野は、十年前、海軍武官としてロンドンの日本大使館に勤務していた。駐英大使は吉田茂だった。遠慮なくものを言う吉田は、米英と戦争をすることの愚をよく口にした。ドイツとの同盟に強く反対し、陸軍の憎しみを買った。
 当時、海軍大臣だった米内光政、山本五十六次官、井上成美軍務局長がドイツとの協定締結に反対の立場だったこともあり、草野も吉田大使の考えは理解できたが、一介の海軍士官の考えることなど何の意味もなかった。その後、日独伊三国同盟を結んだことが米国の態度を硬化させ、最終的には米国との戦争に突入するひとつの要因になった。しかし、海軍による真珠湾攻撃が圧倒的な成功裡に終わった時には、草野も快哉を叫んだひとりだった。
 だが、山本五十六長官の乗った機が撃墜された頃から、アメリカ軍の圧倒的な反撃に次々と戦艦を失い、制海権を奪われ、遂に人命を消耗品として扱う特攻作戦が始まった。帰還率ゼロという作戦を許可した、軍令部第一課の参謀たちに草野は絶望した。しかし、そんなことを口に出せるはずもなく、何とか事態を打開できないかと情報収集と分析に励んできた。だが、今は己の仕事にも虚しさを感じるだけだった。
「蘭一号から通信が入りました」と通信兵が電文を持ってきた時、草野は机に向かってポツダム宣言を入電して以降の海軍内部の反応を分析していた。
「蘭一号か」
 真珠湾攻撃のための情報収集において活躍した駐米日本大使館の武官だった山中大尉が、アメリカ合衆国国務省内の残置諜報員として工作した蘭一号は、この四年、定期的に報告を送ってくる。しかし、山中大尉は日米交換船で帰国後、軍令部に勤務していたが、五月末の東京山の手空襲で死亡した。そのことを蘭一号は知らないまま、山中相手に情報を送り続けてくる。
 蘭一号が送ってくる報告は確度が高かったが、その情報に基づいて事前に何らかの手を打てたことはない。その後のアメリカ軍の動きを知って、情報が事実だったことを追認することがほとんどだった。草野は、暗号文を解読した電文を開いた。
「国務長官宛通信の内容を把握。『鶴は菊をめざし、数日中に舞い降りる予定』とのこと」
 鶴? 鶴とは何だ。米国を象徴するなら、白頭鷲ではないのか。日本の鳥といえば、雉か。あるいは朱鷺? 鶴はどうだ? 菊と言えば、我が国のことか。菊に向かって、何かがやってくるのか。舞い降りるとは、文字通りの意味か。あるいは、何かを落とすのか。新型爆弾? 新しい空襲の情報なのか。
 その時、菊の意味に別の可能性があるのに、草野は気づいた。天皇家の紋だ。菊は、陛下を意味しているのかもしれない。陛下に向かって、何かが送られたのだろうか。ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒトを、連合国側は日独伊の独裁者として見ていた。ムッソリーニは吊され、ヒトラーは自決した。連合国にとって、残っているのは大日本帝国とヒロヒトだけだ。
 もしかしたら米国は、陛下暗殺を狙っているのだろうか。陛下が亡くなれば、日本が降伏するとでも思っているのだろうか。馬鹿な。陛下が暗殺されれば、日本人は全員玉砕覚悟で米軍を迎え撃つだろう。
「菅野少尉を呼んでくれ」と、草野は言った。

■1945年8月2日 13:00 茅ヶ崎
「大磯寄りの岩場なら人目には立たないでしょうが、ゴムボートで近寄れますか? 波で岩に打ち付けられたら、無事ではすまない気がします」
「仕方がないのです。砂浜は発見される危険があります。大磯の海岸では塹壕掘りが始まっていました。茅ヶ崎の海岸ではまだですが、時間の問題でしょう。大磯からここまで二時間、海岸沿いを歩いて下見をしましたが、ほとんど砂浜ばかりです。米軍の上陸には適しているでしょうが、夜陰に紛れて人ひとりが上陸するには、ボートが近寄りにくいと思われている場所の方が----。それに、すでに上陸地点の変更を連絡してしまった」
 そう報告する瀬川の顔を見つめて、京子は沈黙を続けた。この人は、戦争を終わらせることに情熱を捧げている、と京子は思った。このあたりはまだのんびりしたところがあり、近所同士で監視するような雰囲気はそれほどなかったが、中には狂信的な人間もいて何かというと「この非常時に」と口にする。そんな人に海岸を下見しているところなどを見咎められたら、すぐに憲兵隊に連絡されてしまうだろう。逮捕されれば、拷問と死が待っている。
「でも、どうしてそんな危険を冒すのでしょう。もう、米国は戦争には勝っているのでしょう」
「硫黄島が陥落し、沖縄は占領されました。ただ、陸軍はまだ国内の兵力を温存していると主張し、本土での決戦を叫んでいます。本土に上陸となれば、米軍だって多大な損傷を受けます。彼らだって、早く戦争を終結させたいのです。ただ、無条件降伏以外、日本に選択肢を与えたくない。だから、何らかの工作のために、その人物が派遣されるのではないでしょうか」
 いつものように、縁側に腰を下ろして瀬川は話している。時折、庭に目をやる。庭の先に土塀があり、土塀の向こうは疎水が流れ、疎水に沿って小道がある。しかし、八月の日中、強い日差しの中を歩く人はいなかった。静かな真夏の昼下がりだ。
「それで、私は何をすれば----」
「何かあった時、ここに一時避難させてください。それと、自転車をお借りしたい。車は手配がつかないし、手配できてもガソリンの入手が困難です。自転車が目につかないし、静かでいいのです。上陸して、そのまま大磯に向かいます」
「二人乗りで?」
「こちらに二台はないでしょう」
「ありますわ。納屋に古いのが」
 瀬川が意外そうな表情をするのを見て、京子は笑った。
「あなたには、笑顔が似合う。そうやって、笑っている方がいいですね。いつも悲しそうな顔ばかりですから」
「それで、二台持っていらっしゃる?」
 京子は、瀬川の言葉がなかったように訊ねた。
「持っていけないことはないが----。夜遅くだし、暗い道をいくことになりますから」
「自転車の電灯も、目立つから点けない?」
「そうなるでしょうね」
「だとしたら、もう一台は私が乗っていきますわ。その人に渡したら、明るくなるのを待って、早朝の散歩のような振りをして帰ってきます」
「いや、だめです。失敗して、あなたが捕まったら----」
「危険は、今だって冒してます。最初、あなたのお話を受けた時、私、覚悟しました。今も、ここに縫い込んでいます」
 京子は覚悟を示すかのように、襟に縫い込んだ青酸カリのケースを指先でなぞった。いつでも死ねると思うと、落ち着いていられた。自分の死は、自分で選ぶ。祖母は悲しむかもしれないが、それ以外に思い残すことはない。
「あなたには、ご家族は?」と、京子は訊いた。
「いません。僕が死んでも誰も悲しみません」
「そんなこと----」
 否定しようとして、京子は戸惑った。私が悲しみます、と言いそうになったのだ。瀬川が問いかける目をした。
「お茶、煎れかえますわ」
 そう言って、京子は立ち上がった。

« ●天皇への密使・第一章その6 | トップページ | ●天皇への密使・第二章その2 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/67150459

この記事へのトラックバック一覧です: ●天皇への密使・第二章その1:

« ●天皇への密使・第一章その6 | トップページ | ●天皇への密使・第二章その2 »

無料ブログはココログ
2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30