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2018年9月14日 (金)

●天皇への密使・第二章その2

■現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」の出版準備中で、「映画と夜と音楽と----」は、当面、休載します。代わりに冒険小説「天皇への密使」を連載中。400字詰め原稿用紙で500枚ほどなので、週2回の更新を予定しています。1945年(昭和20年)夏の物語です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第二章その2

■1945年8月3日 00:30 相模湾
 フレデリック・フォードは潜水艦乗りのプロフェッショナルであり、歴戦の勇士であり、乗組員たちに慕われるナーカ号艦長でもあった。潜水艦という狭い世界で生死を共にしていれば、自然と一体感は生まれる。厳しい艦長ではあったが、部下の命を最優先に指揮を執るフォード艦長は、部下から深く信頼されていた。勝利が見えてきた今、フォードの望みはひとりの犠牲者も出さずに終戦を迎えることだった。
 しかし、今回は日系二世のアメリカ兵を日本に上陸させよ、という意外な命令だった。男を硫黄島で乗艦させ、潜行はせず海上を最大速力で日本近海までやってきた。日本近海には何度も潜行したが、今は制海権をほぼ手中にし、以前に比べれば危険度は低い。しかし、生き残っている日本の潜水艦が存在する可能性はあった。だから、常に警戒はおこたらなかった。
 航海中、フォードは男と何度か話したが、男はあまりしゃべらなかった。もちろん、ミッションについて話すわけがない。だが、フォードは今回の指令を奇妙に感じていた。連合国が最後通牒としてポツダム宣言を出した今、なぜ敵国に潜入するような危険な任務が目の前の男に課せられたのか不思議だったからだ。
 もうすぐ午前零時。日付が変わる。日本では八月三日になる。相模湾は、沖合二キロで水深百メートルある。ナーカ号は潜望鏡深度を保って、ぎりぎりまで陸に近づこうとしていた。目の前の男がゴムボートを漕ぐ距離を、なるべく少なくしてやろうと思ったのだ。潜望鏡を覗くと三日月の淡い明かりが水面を照らしていたが、空中から見ても船影は発見できないはずだ。昼間なら潜望鏡深度の潜水艦は、空中からはっきりと船影が目視できる。
 陸が近づいてきた。特徴のある形をした岩が海面から突き出した個所を大きく西に迂回し、水際まで三百メートルに近づく。危険な距離だが、そこで停船を命じ、再び潜望鏡を上げた。水上に出た潜望鏡で、三百六十度を確認する。海側には、何も見えない。陸上も灯火管制で、民家のわずかな光も漏れていなかった。この状態だと、海岸から懐中電灯を点滅させる合図は目立ちすぎるくらいだろう。
「浮上する」
 フォードはそう言ってから、改めて目の前の日系二世を見た。確かにネイティブな英語をしゃべるが、どう見ても日本人だった。フォードは日本人に特段の憎しみは感じない。しかし、それは襲ってくる日本兵と戦ったことがないからかもしれない。乗組員の中には、この男が乗り込んできたのを見て、「ジャップ」と唾を吐く者もいた。すぐに厳重に注意したが、その乗組員の身内が日本兵と戦って戦死したのかもしれない。
 男は、潜入するために日本人になりきっている。まるで兵士のように見えるカーキ色の国民服の上下を身につけ、日本陸軍の略帽いわゆる戦闘帽をかぶっていた。両脚にゲートルを巻き、軍靴を履いている。胸の名札には、日本語で住所氏名、それに血液型が書かれているらしい。民間人の服装だというが、これでは兵士に間違われて戦闘に巻き込まれないだろうか。
 艦が浮上を始めると、男は緊張した面もちで背中に挟んだ日本陸軍の将校が持つという自動拳銃を取り出して確認した。九四式自動拳銃だ。日本のオリジナルで口径は八ミリ、フル装填すれば薬室に一発と装弾子に六発入る。しかし、完全な独自設計なので、奇妙な構造の拳銃になっているらしい。アメリカ製の軍用拳銃コルト・ガバメントをコピーすればよかったのだ。
「その拳銃、アメリカ兵は自殺拳銃と言ってるらしいな」と、フォードは男の緊張をほぐしてやろうと声をかけた。
「イエス、安全装置に問題があって、弾丸を装填したまま持っていると暴発する怖れがあるんだ。それで、そう揶揄したんだろう。だから、完全に弾を抜いて銃は背中、弾を込めた装弾子はポケット。撃つ時には、装弾子を装填し、遊底を引いて薬室に銃弾を送り込まなければならない。トリガーを引く頃には、たぶん二、三発は撃たれているだろう」と、男は笑った。
「そんな銃で大丈夫か?」
「どんな銃であっても、関係ない。今回のミッションが、自殺みたいなものだ」
 そう言って、男は再び笑った。今度の笑いは自嘲ぎみだったが、そのしゃべり方や仕草は陽気なアメリカ人そのものだった。
「その胸につけているのは何だい?」
「傷痍軍人記章というものらしい」
 男が初めて左手をポケットから出した。乗艦した時から、一度も人前では見せたことがない左手だった。小指と薬指は根本までなくなっていた。中指は第二関節から先がない。戦傷で除隊した兵士に偽装するつもりなのだ。
「どこで?」
「一九四四年十月三十日、フランス、ボージュの森」
「ナチに取り囲まれたテキサス大隊の救出か。あの時、あそこにいたのか」
「ああ、何とか生き残った」
「日系人部隊は、勇敢なんだってな」
「しかし、みんな死んだ」
 フォードは、目の前の男がアメリカ合衆国のために、過酷な戦闘をくぐり抜けてきたのを実感した。そして、どんな任務か知らないが、再び命をかけようとしている。フォードは、男の肩を叩いて励ましたくなった。いや、この男に励ましはいらない。
 艦が浮上した。フォードはハシゴを昇り、ハッチを開けた。八月の熱気と共に、新鮮な空気が入ってくる。フォードは、艦上に出て深呼吸をした。潮の香りだ。続いて、男が艦上に現れた。部下がふたり出てきて、ゴムボートの準備を始めた。フォードと男は、陸に向かって目を凝らした。午前零時を十五分まわっている。
「協力者が予定通りにきているなら、後十五分ほど経って零時半になれば、合図があるはずだ」
「きていなくても、上陸する」
「日本にいたことはあるのか?」
「ない」
「地理は?」
「目的の場所も、東京までの地理も頭に叩き込んできた」
「日本語は?」
「大丈夫だと思う----」
 完全に自信があるわけではないらしい。アメリカで生まれ、アメリカで育った日本人。姿形が日本人であるだけで、完全なアメリカ人なのだ。
「どんな任務か知らないが、なぜ引き受けた?」
「二年前に収容所で別れた兄がいる。アメリカへの忠誠を拒否したら、敵性日本人として刑務所に移送され、交換船で日本に強制送還された。兄は日本にいったら、軍隊に志願すると言っていた。もしかしたら、兄に会えるかもしれない」
「その可能性は、ほとんどないだろうな」
「イエス、それにもう死んでいるかもしれない。戦死あるいは空襲で----」
「日本の都市は、ほとんど空襲にやられているよ。ブラッディ・ルメイ将軍の指令でな。日本人を多く殺せば殺すほど、無条件降伏に近づくとルメイは言っているらしい。民間人を無差別に殺すなんて、汚いやり方だ」
 フォードは、カーティス・ルメイ陸軍中将が好きになれなかった。民間人をこれほど殺した戦争は、いまだかってなかった。日本だけではない。ドイツでも無差別に激しい空襲を実施し、多くの女や子供、非戦闘員が死んでいった。
「ところで、そのネームカードには何が書いてあるんだ?」
「東京本所区相生町 菅野兵介 O型」
「その住所は?」
「今年三月、ルメイが命じた東京大空襲で完全に焼けた場所だ」
「なるほど」
 その時、陸で光が点滅した、カチッ、カチッ、カチッと三回。
「きたな」
 フォードは、陸に向かってフラッシュライトを三回点滅させた。部下がボートを降ろし、男が乗り移るのを手伝っている。すぐにボートは艦を離れた。かすかな月の光がしばらく男の姿を見せていたが、やがて夜の闇の中に溶け込んでいった。暗い海面だけが残った。フォードは、海上に横たわる全長九十五メートルの船体を見渡しながら、戦争が引き裂いた兄弟のことを想像した。
「よし、潜行して帰還だ。七十時間後、回収のために再接近する」
 ボートを降ろしたロープを引き上げている、副官のサイモンにフォードは言った。
「あの男、帰ってきますか?」と、ロープを引く手を止めてサイモンが言った。
「わからん。五日の二十三時から六日の一時まで、二時間ここで待つのが我々の使命だ」
「あの命令は、どうします?」
 それは、五時間ほど前に入った奇妙な命令だった。男を上陸させたら、ただちに本部に無線で報告せよというものだった。しかし、日本軍に傍受される可能性があったし、上陸時間、上陸地点を推定される怖れもある。まるで、日本軍に男の上陸を知らせたがっているような命令だった。だが、国務長官名で届いた命令だ。無視するわけにもいかなかった。
 だいたい今回のミッションが、通常のルート以外のところから発していた。文官であるフォレスタル海軍長官からの直接の命令だった。フォレスタルは、スティムソン陸軍長官、グルー国務次官と三人委員会を構成していたひとりだ。一方、国務長官のバーンズは、一ヶ月前に任命されたばかりだった。新大統領からの信頼は厚いらしい。今は、大統領と共に大西洋の上にいるはずだ。政治家たちの考えることは、よくわからない。
「あの命令は無視する」
「しかし、命令違反になります」
「では、十二時間、通信を遅らせる。理由は、無線機の故障だ」
 十二時間、それだけのタイムラグで、あの男を救えるだろうか。フォードは、ワシントンに巣くうバカ共め、と罵った。

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