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2018年10月21日 (日)

●天皇への密使・第三章その5

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第三章その5

■1945年8月4日 19:00 東京・九段
「軍令部から厄介な依頼がきた」
 のんびりした口調で、神山大佐が言った。
「何でありますか?」と、古沢中尉は訊いた。
「例の男、軍令部米国情報担当の五課にとって、我が国の存亡を左右する情報を保有している可能性があるので引き渡してもらえないか、ということだ。そのことで、もうすぐ担当官がくる」
「引き渡すと答えたのですか?」
 古沢中尉は、勢い込んで尋ねた。このバカなら、引き渡すと答えかねないと疑ったのだ。
「まさか。検討すると答えた。そうしたら、『とりあえず、うちの担当官と面会させてほしい』と言うので、断りきれなかった」
「尋問は、こちらに任せてほしいものです」
 古沢中尉は、露骨にムッとした顔をしてみせた。
「そこを、何とかしろ!」と、さすがに神山大佐も上官への当てつけに怒りを露わにした。
「わかりました。しかし、今の状態のあの男、ろくに話もできないと思いますよ」
「それは、それでいい。面会させた事実があればいい」
「わかりました」
「それから、吉田はどうした?」
「帰しました」
「そうか。まあ、いろいろ人脈を持つ男だからな」
「ただ、間違いなく吉田と菅野は接触していると思います」
「なぜだ?」
「菅野が何も持っていなかった、と言った時の吉田の反応です。一瞬ですが、意外そうな、驚いたような顔をしました」
「そうか」
 その時、神山大佐の机の電話が鳴った。神山が受話器を取り上げる。わかった、と答えてすぐに受話器を戻した。
「軍令部の担当官がきたそうだ。対応してくれ」
「少し待たせておきましょう」
 古沢中尉が答えると、神山大佐は椅子にふんぞりかえるようにして「わかった」と答えた。

 さっき、憲兵隊司令部の前ですれ違ったステッキをついた男は元外務官僚の吉田茂だったな、と菅野少尉は長く待たされる間に思い返していた。今年の五月は、ずっと陸軍刑務所にいたはずだ。その後、陸軍刑務所が空襲で焼けて、どこかの小学校に移されたと聞いた。釈放されて二ヶ月になるが、まだ憲兵隊に呼び出されているのか。
 取調室に案内されたまま、もう三十分以上が過ぎていた。すんなり、こちらの要望が通るとは思っていなかったが、相変わらずの対応だった。軍令部など、陸軍大臣直属の組織である憲兵隊にとっては、相手にするほどのものではないと思い知らせたいのだろう。菅野少尉の要望は、立会人抜きで面会したいということだった。それも、相手を怒らせているに違いない。こちらの持っている情報を提供しろと言ってくるかもしれない。
 その時、取調室の扉が開いた。菅野少尉は立ち上がった。相手が中尉だったからだ。陸軍と海軍の違いはあるが、階級はとりあえず相手が上だった。菅野少尉は、海軍式の敬礼をした。せめてもの当てつけだ。相手の顔に侮蔑の色が広がった。
「憲兵隊、古沢中尉だ」
「軍令部米国情報分析官の菅野少尉であります」
「少尉、きみはスガノというのか。どんな字を書く? 水道管の管かな」
「いえ、草カンムリの方です。それに野原の野です」
 ひっかけようとしたな、と菅野は思った。
「菅野か。あの男と同じ字だ。あの男、カンノ・ヘイスケと名札や偽造の身分証明にもあって、便宜上そう呼んでいるが、もしかしたらスガノかもしれんな」
「日本語の読みは、複雑であります」
 フフッと、古沢中尉は笑った。
「そちらは、立ち会いなしでの面会を希望していると聞いた」
「はい」
「なぜだ?」
「機密に関することでありますから」
「言えん、というのか! ここは憲兵隊司令部だぞ!」
 どうも、権威や権力が好きな男らしい。軍人に多いタイプだ。菅野の最も嫌う人種だったが、ここらで少し情報を出すか。相手の威光に恐れ入ったような応対が、このタイプの男たちの自尊心を満足させるはずだ。
「では、申し上げます。実は、昨日、早朝、海軍の監視艇が相模湾沖で米国艦船のものと思われる救命ゴムボートを発見しました」
「その情報を海軍内で隠蔽していたのか」
「隠蔽などとは----」
「うるさい。なぜ、憲兵隊に報告せん」
「それは、私の上官にお訊きください。私の権限では、先ほどの情報をお話しするのが限度です」
 古沢中尉は、満足の笑みを浮かべた。
「おまえも上官の命令との板挟みでつらいところらしいな。座れ」
 そう言って、古沢中尉は取調室の中を歩き始めた。もったいぶっているのか、あるいは考え事をしているように見せたいのか。
「よろしい。立会人なしで面会させよう。今、連れてくる」
 古沢中尉は扉を開け、合図をした。ふたりの憲兵に両側を支えられて、男が連れられてきた。ヘンリーだった。その姿を見た瞬間、菅野少尉は自分の顔色が変わるのを感じた。湧き起こる怒りを抑え込むのに苦労した。
 ヘンリーは菅野少尉の向かいの椅子に座らされたが、すぐに上体が机の上に突っ伏した。意識はあるのだろうか。菅野に目も向けない。顔全体が腫れ上がっているように見えた。机を抱きかかえるようにダラリと伸びた手、左手の指が三本なくなっていた。さらに、残った左手の二本の指の爪がなくなっている。血が盛り上がり、こびりついていた。あえて、傷ついた手の残った指の爪を剥がしたのか。何と、残酷なことをする。
「ふたりにしてやる。その男の口が利けるかどうかは保証しない。ただし、その男が何か話したら、こちらにも報告してもらおう」
 弟の無惨な姿を見つめたまま「了解しました」と、菅野少尉は冷ややかに見下ろす古沢中尉に答えた。古沢中尉と憲兵たちが部屋を出ていく。おそらく、この部屋には盗聴マイクが仕掛けられている。そうでなければ、やつらが立会人抜きの面会など認めるものか。菅野はポケットから手帳を取り出して走り書きをし、ヘンリーの肩を揺すった。腫れた瞼でふさがったヘンリーの右目が開いた。その前に、菅野少尉は立った。
 ヘンリーの顔に驚愕が走った。驚きの表情のまま身を起こす。何か言いそうになったヘンリーの口を、菅野少尉の手がふさいだ。手帳に書いた文章を見せる。
〈盗聴されてる。俺は、海軍の軍令部少尉。これは取り調べだ〉
 ヘンリーがうなずいた。問いかける目は変わらない。
「おまえは、日系二世だな。我が国に潜入した目的は何だ」と、菅野少尉は言いながら手帳にすばやく英文を書く。
〈詳しいことは言えない。おまえは何しにきた〉
 ヘンリーは、右手を振った。菅野少尉はその手にペンを持たせ、手帳を差し出した。ヘンリーの震える字が書かれる。やはり、英文だった。
〈終戦を早めるために〉
 やはり、「鶴」として潜入したのは、弟だったのか。菅野少尉は、手帳に質問を書きながら言った。
「昨日、相模湾から上陸したのは貴様だな」
〈電文は解読した。「鶴」はおまえか。「菊」をどうする〉
〈昔なじみから届けるものがあった。それ以上は話せない〉と手帳に書きながら、ヘンリーが呻いた。
〈わかった。いつまで黙秘する〉
〈明日いっぱいがんばりたい。命があれば〉
〈拷問はやめさせる。後は待て〉
〈危険なことはやめてくれ。覚悟はできてる〉
「貴様の目的は何だ」
 ドン、と菅野少尉は机を叩いた。ヘンリーが再び呻いてみせる。
〈その指は戦傷か〉
〈おかげで勲章をもらった〉
 菅野少尉は、ヘンリーの肩を「大丈夫だ」というように叩いた。その時、ヘンリーが早口で何かしゃべった。盗聴マイクを通して聞くと呪文のように聞こえただろうが、菅野少尉には充分に伝わった。ヘンリーは「Mother waiting」とつぶやいたのだ。
「何もしゃべらないつもりか。だとしたら、このまま憲兵隊での拷問が続くぞ。軍令部では、そんな方法は取らない。話すつもりなら、軍令部で貴様の身柄を引き取る。どうだ、これ以上、ここにはいたくないんじゃないか」
 そう言って、菅野少尉はしばらく沈黙した。相手の反応を待っていると思わせたいのだ。やがて菅野少尉は扉を開いて、そこにいた憲兵に尋問は終了したと伝えた。ふたりの憲兵が再びヘンリーを抱き上げ、引きずるようにして連れ出した。しばらくして、古沢中尉が現れた。扉を閉めながら、「早かったな」と言った。
「何もしゃべりません」
「そのようだな。しかし、軍令部には引き渡さん。それは承知しているな」
 盗聴していたことを認めたようなものだが、居丈高な態度は相変わらずだ。
「あの男、かなり弱っているようです。尋問になりませんでした。これ以上痛めると、尋問するどころではなく命に関わるでしょう。拷問は中止していただけませんか。改めて、尋問をしたいのです。それまでに、あの男を休ませておいていただきたいのですが----」
「どうするかは、こちらの勝手だ。こちらでも尋問を進めるし、口を割らなければ割らせるだけだ」
「指の爪をふたつも剥がして、口を割らなかった男ですよ」
「しぶといやつだ」
「私の権限を越えますが、こちらの情報を話します。男から情報を得なくても、ほぼ確認できると思います。それを提供すれば、我々の再度の尋問と、拷問を中止して男の命を保証してもらえますか」
「内容次第だな」
 古沢中尉は、もったいぶった反応をした。
「先ほど、救命ボートを発見したことはお話ししました。その後、米国の戦艦、おそらく男を上陸させた潜水艦から発信されたと推測できる電文を傍受しました。『鶴は菊を目指して飛び立った』という内容です。おそらく、あの男が鶴です。菊とは我が国のことかと最初は思いました。分析の結果、畏れおおくも天皇陛下であらせられるのでは、と我々は推察しました。最初、陛下に危害を加える計画かと考えましたが、その後の情報で何かを託されて我が国に潜入したものだと確信しました。あの男に確認したいのは、託されたものが何かということです。いかがでしょう。ここまで情報を開示したのですから、先ほどのこちらの願いを聞いていただけませんか」
 菅野は確信していた。弟はポツダム宣言受諾を促す重要な何かを持ってやってきたのだ。そして、明日いっぱいで、その任務の結果が決まる。だから、明日いっぱい黙秘を貫こうとしている。
 古沢中尉は、菅野少尉の話を注意深く聞いていたが、改めて考えを巡らせているようだった。やがて結論を出したのか、首をまわし、顔を上げ、菅野少尉を見つめた。やはり、もったいぶっている。
「わかった。その情報を小出しにして、あの男を尋問してみよう。拷問はやめておく。それは、約束する。我々も、あの男に死なれたのでは元も子もない」
「ありがとうございます。身柄を引き取りたいというお願いは、ご検討いただけましたか」
「ふざけたことを言う。さっき念を押したはずだ。あの男は、兵士射殺の疑いもある。軍令部などに渡せるものか」
「わかりました。今日のところは、これで引き上げます」
 菅野少尉は再び海軍式敬礼をして、踵を返し、取調室の扉を開けて足を踏み出した。

 菅野少尉が部屋を出た後、しばらく考え事をしていた古沢中尉は、扉を開いて富田曹長を呼んだ。
「何でありますか?」
「軍令部五課の菅野少尉を、早急に調べろ。経歴はもちろん、わかることは全部だ」
「あの少尉に向かって、あの男が何か口にしましたが----」
「そうだ。意味不明だったが、イントネーションから推察して英語ではないかと思われる。菅野少尉と何らかの関係があることを言ったのかもしれない」
 富田曹長は、急いで取調室を出ていった。

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