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2018年11月 1日 (木)

●天皇への密使・第四章その2

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その2

■1945年8月5日 9:20 東京・九段
 取調室で待っていると、ふたりの憲兵がヘンリーを連れてきた。菅野少尉の向かいの椅子に座らせる。昨日よりはしっかりしているように見えるが、左手の爪があったところには血が盛り上がって固まったままだった。ヘンリーの唇が震えて、何か言った。憲兵たちが出ていくと、菅野少尉は手帳を取り出した。
〈おまえを救い出す。この後、責任者が立ち会いにくる。そいつを人質にして、ここを出る。門の外に車が待っている。それに乗れ〉
 ヘンリーが右手を差し出した。その手にペンを握らせる。
〈そんなことをしたら、兄さんが危険だ〉
〈問題ない。おまえと一緒にいく〉
〈母さんが喜ぶ〉
 ドアが開き、大きな男が入ってきた。大佐だった。
「神山大佐だ。責任者の立ち会いを求めたのはきみか」
 菅野少尉は海軍式の敬礼をした。
「そうであります。この男が重要な情報を持っている可能性があるものですから、尋問に立ち会っていただき、それが確認できましたら、引き渡しをお願いしたいのです」
「それは、きみのところの草野少佐にも言ったが、無理だ」
 その時、菅野少尉は拳銃を抜き、神山大佐の顎にぴたりと銃口を押しつけ、左腕で大佐の両腕を巻き込んだ。左腕に挟んだ大佐の両腕を締め上げると、大佐が呻いた。
「何を、何をする」
「こいつの拳銃を奪え」と、菅野少尉はヘンリーに言った。
 ヘンリーは素早く立ち上がり、大佐の腰のケースから拳銃を奪って構えた。動きに無駄がない。ダメージを装っていたのか。昨夜から比べると、かなり回復したのだろう。
「あんたは人質だ。このまま門のところまでいってもらう」
 そう言うと、菅野少尉は扉を蹴った。神山大佐の大きな体が、うまく盾になってくれる。体を斜めにして神山大佐の後ろに立つと、ほとんどの部分が隠れた。菅野少尉の後ろをヘンリーが歩く。彼らが廊下に出ると、最初に気づいた憲兵が走り寄ってきた。
「通せ。大佐を殺すぞ」と、菅野少尉は怒鳴った。
 周囲にいた憲兵には聞こえたはずだ。憲兵たちのあわただしい動きが止まり、遠巻きにする形になった。単純な手段だが、相手にはわかりやすい。ただ、相手が気をのまれている間に、逃げ出してしまわなければならない。時間が経てば経つほど、こちらには不利になる。門を背にして大佐を盾にして立ち止まり、ヘンリーを先にいかせる。拳銃で威嚇しながら、ヘンリーが門に向かった。菅野少尉は、後ろ向きにジリジリと下がる。大佐は抵抗を示すためか、歩くのに協力しないので引きずる形になった。
「協力しないと、ここで撃つ」と、菅野少尉は耳元で囁いた。
 大佐の抵抗が止まった。そのまま玄関を出る。石段を下がる。門まで数メートルだ。ロールスロイスがドアを開けて待っていた。ヘンリーが乗車し、手をさし伸ばす。
「かまわん。撃て、撃つんだ」という声が聞こえた。
 車から憲兵隊司令部の入り口に視線を戻すと、石段の上にあの中尉が立っていた。憲兵たちが銃を構えて遠巻きにする後ろで、手を振りあげている。憲兵たちの銃が一斉に火を噴けば、大佐の体は蜂の巣になる。憲兵たちは躊躇していた。
「逃げられてしまうぞ。撃て。責任は俺がとる。撃て、撃つんだ」
 もう一度、古沢中尉が叫んだ。古沢中尉の隣で拳銃を構えていた富田曹長が引き金を引いた。その銃弾が大佐の足下で土煙をあげた。それをきっかけに、憲兵たちは一斉に引き金を引く。おびただしい銃声が響いた。神山大佐の体が急に重くなった。支えきれない。それに何発かが、菅野少尉の手足をかすめ、肉を削いだ。
 菅野少尉はずしりと重くなった神山大佐の体を、勢いをつけて突き飛ばした。憲兵たちが、後ずさる。菅野少尉は振り返って走った。ヘンリーが手を伸ばす。その手をつかんだ時、再び銃声が轟いた。ロールスロイスが発車した。ヘンリーは、菅野少尉の体を車の中に引き込んだ。ロールスロイスは、全速力で走り出した。

■1945年8月5日 10:30 東京・丸の内
 東京駅には、大勢の人があふれていた。誰もが、疲れ切った顔をしている。京子はリュックを背負ったまま、待合室の片隅に腰を下ろした。そんなかっこうの人が多くいるので、京子の姿もその中に溶け込んでしまう。駅の中には明らかに戦災で焼け出された人たちもいて、雨露をしのいでいるらしい。空襲で親を亡くした子供たちも汚れ放題の服を身につけて、人々に食べ物をねだっている。
「どちらまで」と、隣から声が聞こえた。
 京子が顔を向けると、中年の女性が笑顔を見せていた。誰もがうつむきがちなのに、その笑顔を見て京子は気持ちが和んだ。年の頃は四十半ばだろうか。品のよい顔立ちで、髪を後ろでまとめ、もんぺに筒袖の一枚ものを身につけ、やはりリュックを背負っていた。
「茅ヶ崎までです」
「お近くて、いいですわね」
「ええ」
「息子がね、広島の連隊にいるんです」
「そこまで?」
「ええ、面会にね。もうずいぶん会っていないんです」
 その息子のことを、誰かに話したかったのだろう。聞いてほしい気持ちが顔に現れていた。
「おいくつですか。息子さん」
「二十一歳です」
「お国のために、ご苦労様です」
「ええ、そうですわね」
 京子が誰もが言いそうな返事をしたせいか、その女性は急にそわそわし始めた。二十一歳の息子の命が心配なのに、相手はさしさわりのないことしか言わない。「お国のために」などと返されたので、その後の言葉を飲み込んだのかもしれない。
「切符は買えたんですか?」
「ええ、昨夜から並んで。明日の朝には広島に着きます」
 広島は海軍の重要拠点の呉も近いし、軍事都市だった。それが、不思議なことに今まで空襲に遭っていない。京子は一度もいったことがないが、戦争が終われば厳島神社には一度いってみたいと思っている。平家物語は、京子の愛読書でもあった。平家一族が壇ノ浦で源義経の軍と戦い、平家の敗北が明らかになった時、平知盛が口にする「見るべきほどのことは見つ」という言葉が京子は好きだった。その言葉を放った後、知盛は「いまは、はや自害せん」と言って鎧を着たまま入水する。
 そう言えば数年前に見た、十六歳の原節子が主演した日独合作の「新しき土」という映画では、主人公が住む家の裏手が厳島神社だった。日本人が見ると不思議だが、あれはきっとドイツの観客向けに日本らしい光景を見せるためだったのだ。ヒトラーも「新しき土」をベルリンで見たと聞いた。ドイツ版の題名は「サムライの娘」だったはずだ。あれは確か、日独防共協定締結記念で作られた映画だった。
「それでは、私はホームにまいりますので」
 急に黙り込んだ京子を不審に思ったのか、女性は立ち上がり頭を下げた。京子も腰を浮かし、軽く会釈する。「お気をつけて」と、後ろ姿に声をかけた。
 今頃は、もうヘンリーを救えたかどうか、結果が出ているのだと京子は駅の時計を見上げた。瀬川からの連絡では、九時に憲兵隊司令部に乗り込む予定だった。ヘンリーの兄が、やはり協力してくれることになった。京子の電話が、菅野少尉を追い込んだのかもしれない。瀬川は、「どちらにしろ、あなたも米国スパイの嫌疑をかけられる」と、脅迫めいた手を使ったようだ。
 九時に瀬川と菅野少尉は司令部に乗り込み、京子は鈴木首相の私邸を訪ねることにした。ヘンリーの使命を果たし、救い出す。どちらも成功すれば、今夜、ヘンリーを上陸地点に送り、彼は迎えの潜水艦に乗る。潜水艦が待つのは、二時間と言われている。今夜の二十三時から午前一時までだ。その時間内に海岸からライトで合図をすれば、迎えのボートがくる。
 迎えのボートは岩場には近寄れないから、ヘンリーは海に飛び込み、少し泳いでボートに乗らなければならないだろう。憲兵隊では拷問を受けたはずだ。そんな力がヘンリーに残っているか、京子は心配だった。ヘンリーが帰っていくのは仕方がないこと、と京子はあきらめていた。無事でいてくれたら、再会できるかもしれない。死んでしまったら、二度と会えない。思い出を抱えて生きるしかない。
 十八で初めて抱いた思いを、京子はずっと胸の奥に秘めて生きることになるだろう。生きてさえいてくれれば----と、京子は祈った。

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