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2018年11月22日 (木)

●天皇への密使・第四章その8

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その8

■1945年8月5日 22:40 茅ヶ崎
 光が外に漏れないようにして玄関を開き、京子は外へ出た。念のため懐には父の形見の小型拳銃を入れている。その重みが京子を緊張させた。母が暴漢に襲われた後、父は二十五口径の小型ベレッタを入手した。それを自著の頁をくり抜いて隠し、書棚に並べていたものだ。「いざという時に使えないじゃない」と京子が言うと、「お守りみたいなものだよ」と父は答えた。実際に使う気があったのかどうか。拳銃を身近に置くことで、二度と暴力に負けまい、何があっても娘だけは守る、と父は誓ったのかもしれない。
 その拳銃を、京子は憲兵たちの捜索の時にも隠し通した。今では、父の形見だ。衰えていった父の姿が浮かんでくる。強い憎しみが体の芯から湧き起る。今から京子が行うことが父母の復讐になるのなら、喜んでこの拳銃の引き金を引くだろう、と京子は思った。京子は、真っ暗な門の外へ足を踏み出した。どの家も灯火管制に従っているから、明かりひとつ見えない。もっとも、このあたりは農家がほとんどで耕作地の方が多く、人家は密集していない。東京や横浜から疎開してくる人もいるが、この時間ではみんな寝ているだろう。
 小道にそって疎水が流れている。かすかな月明かりが、水面を浮かび上がらせた。月明かりもない夜だと、道を踏み外して疎水に落ちる人もいた。膝くらいまでしか水はないが、それでも溺れることはある。京子には慣れた道だったが、周囲に注意しながら音を立てずに歩いた。
 彼らが、あの洞窟にいるかどうかは、いってみなければわからない。瀬川と打ち合わせをした後は、連絡のとりようがなかったのだ。憲兵隊司令部から逃げられたとしても、彼らを再び京子の家でかくまうのは危険が大きすぎた。逃亡に成功し、あの洞窟にいてほしい、と京子は強く願った。
 女の足では時間がかかると思っていたが、夜道ではさらに時間がかかった。家を出て、すでに三十分近く経っているだろう。ヘンリーを迎える潜水艦は、二十三時から午前一時まで、日付をまたいで二時間待機するはずだった。その間に光を点滅して沖に合図をすれば、ボートが海岸近くまで迎えにくる。洞窟からあの岩場までは、何もなければ十分で着く。しかし、すでに二十三時近くになっていた。
 夏草の茂る原にきた時、京子は不意に人の気配を感じて足を止めた。たばこの臭いがしたのだ。いや、たばこを常に吸っている人間の体臭だった。風に乗って、その臭いが漂ってきた。京子は身をかがめて、摺り足でその臭いの方へ静かに進んだ。瀬川でも、ヘンリーの体臭でもないのはわかった。
 夏草の中に人に踏まれてできた小道があり、その小道が狭い農道につながる地点に男がひとり身を屈めているのがわかった。暗くてよく見えないが、白っぽい麻の背広を身に着けているようだった。こんなところで何かを見張っているとしたら、憲兵か警察を疑うべきだろう。瀬川とヘンリーは、追いつめられたのだろうか。
 その時、誰かが近づくかすかな音がした。その音に男も気づいた。立ち上がり、拳銃を構えるような動きをした。
「小杉」と、小さな声が聞こえた。
「何だ、おまえか。危うく、撃つところだったぞ」
 小杉と呼ばれた男が答えた。
「何か、変化があったか?」
 小杉と呼んだ男の姿が現れた。同じような背広姿である。
「何もない」
「本当に、この辺に潜んでいると思うか」
「わからん。姿を見失ったのは、この辺だ」
「とうに、どこかへ逃げたんじゃないか。もう、四時間は経つだろう」
「いや、まだ四時間にはなっとらん。そろそろ東京の本部から応援がくる頃だ」
「あの古沢中尉もか」
「ああ」
「イヤなやつだ」
「まったく」
「もう少しの辛抱か。持ち場に戻るとするか」
 そうぼやいて、小杉と呼んだ男は持ち場に戻ったようだ。
 身を潜めながら、京子は迷った。話の内容では、瀬川とヘンリーは憲兵隊から逃げ出し、洞窟に身を潜めているようだ。しかし、追ってきた憲兵隊がこのあたりで見失った。そこで、何人かで見張っているのだろう。東京から応援がくるということは、彼らは逃げ切ったのに、この近辺にいた憲兵に再び見つかったということだろうか。
 男がいる地点を通るのが、洞窟への最も近道だった。しかし、大きく迂回し、山側から洞窟に近づくしかない。京子は静かに後ずさりし、男から充分に離れたところで身を起こした。それから、元きた道を戻り始めた。迂回して山の方から洞窟に近づくには、さらに三十分ほどの時間がかかる。もしかしたら、日付が八月六日に変わってしまうかもしれない。

■1945年8月6日 00:10 茅ヶ崎
「遅いな」と、洞窟の暗闇の中で瀬川が口にした。
 時刻は、十二時を過ぎた。ヘンリーは、やってこない京子の身を案じていた。何かあったのではないか。親書とフィルムを首相に届けにいったはずだが、その時に監視している憲兵に捕らえられたのではないか。そう思い始めると、じっとしていられない気持ちになる。
「彼女は無事なのか?」
「わかりません。今朝、会っただけですから。私はあなたの救出計画を話し、彼女はあなたの使命を受け継ぐと言いました。首相宅も監視されている可能性があることは知っています。彼女なら、何とかするでしょう。使命は果たしたと思います。知恵と勇気のある女性ですから」
「それに、やさしい心を持っている」
「そうですね。しかし、こんな時代が彼女から笑顔を奪いました」
「そうなのか?」
 ヘンリーは、自分に向けられた京子の笑顔を思い出した。
「彼女の父親は私の恩師でした。その人が憲兵隊に捕まり、拷問され、廃人同様になったと聞いたのですが、行方がわかりませんでした。ようやく捜しあてて訪ねた時、彼女は氷のような目で私を見たのです」
「誰も信じられなくなっていたのか」
「そうです。この国を憎み、すべてを憎んでいた。憎しみが、彼女の生き抜くための力でした。私は、そこにつけ込み、協力者にしてしまった」
 瀬川は、そのことを後悔しているようだ。その後、京子に対しての気持ちが変わったのだろう。
「危険なことに、彼女を引き込んだからか」
「彼女は、覚悟をしていました。今も、青酸カリを肌身離さず持っています。いつでも死ぬ気だし、実際、そんな状況になったら、ためらわずに毒を呷るでしょう。そんな女性なんです」
「まさか、それを使う状況に陥っているのではないだろうな」
 ヘンリーは自分で口にしたことで、さらに不安に駆られた。彼女の死など想像したくはない。しかし、そう口にした途端、自分にとって彼女が死ぬことが、いかに耐え難いかがわかった。生きているとわかっていれば、遠くに離れていても耐えられる。
「そんな、不吉なことは口にしないでください」
 瀬川の強い視線を感じた。暗闇の中で、ヘンリーを睨んでいるのかもしれない。
「すまなかった。きみは、やはり彼女を愛しているのだな」
「愛? そんなもの、今の時代じゃ何の役にもたちませんよ」
 瀬川の口調が投げやりになった。珍しく本音が出たのだろう。
「もう二度と会わないだろうから、きみには告白しておこう。俺も彼女を愛している。会って三日もたたないが、彼女を愛しているのは確かだ。しかし、俺は首尾よくいけば、あと少しで日本からいなくなる。だから、彼女を守り、幸せにしてくれ」
 暗闇だから、言えたことだった。瀬川がどう反応したかはわからない。何の返事もなかった。しばらくして、瀬川が掌でおおって懐中電灯を点けた。腕時計を見て、すぐに消す。
「もう出ないと、間に合わなくなります。私も道はわかるが、彼女と違って夜だと時間がかかるかもしれません。出ましょう」
 瀬川が立ち上がる気配がした。ヘンリーも立ち上がり、腰の拳銃を確認した。去る前に、京子にひと目会いたかった。

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