« ●天皇への密使・第四章その9 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その11 »

2018年11月29日 (木)

●天皇への密使・第四章その10

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。なお、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」は、アマゾンで予約受付が始まりました。

●天皇への密使・第四章その10

■1945年8月6日 01:00 茅ヶ崎
 京子が岩場の近くにたどり着いた時、ヘンリーと瀬川は車のヘッドライトに照らされ、ひとりの男の前に手を挙げて立っていた。その時、松林の方から「でかした、井川」と言いながら、あの憲兵隊の中尉が現れた。京子の胸が反応する。寝たきりになった父の姿が浮かんだ。中尉の後ろに、焼けた吉田邸からヘンリーを尾行していった男がいた。他の憲兵たちも姿を現し、十人の男がヘンリーと瀬川を取り囲んだ。ふたりの後ろは岩場だ。三メートル足らずの高さとはいえ、後ずさるわけにはいかない。
 京子は小型拳銃を手にして、静かに彼らに近づいた。必要なら憲兵たちを撃つつもりだった。憲兵たちはヘンリーと瀬川を警戒し、銃を構えて車の前に出ている。誰も背後には気を配っていない。京子はジリジリと車に近づいた。幸い、運転席のドアは開いたままになっている。あの井川という男がヘンリーと瀬川を追い詰め、ひとりで降りた時のままなのだ。憲兵たちは車の二メートルほど前、ヘンリーと瀬川から三メートルほど離れて半円を描いて立っていた。
 気が急いていた。ヘンリーと瀬川は正面からヘッドライトを浴びているので、京子の姿は見えていないだろう。これから京子がしようとしていることに気づいてくれるといいが、気づかなくてもヘンリーなら、その一瞬を逃さないに違いない。京子は、車の開いたドアの陰に身を潜めた。運転はできないが、エンジンを切るくらいはできる。
 右手でキーを握り、左手をフロントガラスに押し当てて動かした。ヘッドライトの反射で、その部分は明るくなっているはずだ。その手にヘンリーが気づいてくれるだろうか。なるべく光を見ないようにしていたが、京子は目を強く閉じ車の下の暗い方を向いた。それから、一分間を数え始めた。自分の瞳孔は閉じさせなければならない。
「仲のいいことだな。おまえたち、そういう仲か」と、中尉の声が聞こえた。
「おまえと、その腰巾着はどうなんだ?」と、ヘンリーが挑発した。
 一瞬、沈黙があった。しばらくして、中尉の声が聞こえた。
「ここで迎えを待つのか?」
「おまえたちが派手にライトを点けたから、もう迎えはこないだろうよ」
 そのヘンリーの声が聞こえた時、京子はヘンリーが自分の手の動きに気づいたのを確信した。誰にもわからなくても、自分にはわかる。心が躍った。
「見捨てられたわけだな。おまえは、またあの部屋へ舞い戻ることになる。今度は、死ぬ思いをするぜ」
 中尉がそう言い終わると同時に、京子はエンジンを切った。ヘッドライトが消える。同時に目を開いて京子はヘンリーの方に走ろうとしたが、ヘンリーが瀬川を押し倒して身を伏せ中尉を撃つのを見た。瀬川とヘンリーが横に転がり、位置を変える。
 撃たれた中尉が後ずさり、よろよろと車に近づいてきた。ボンネットに手をつく。頭を上げた中尉の目が、フロントガラス越しに正面から京子を捉えた。暗闇に慣れない目には京子が見えていないにしても、ぞっとするような目だった。
 ヘンリーが憲兵たちに向かって連射した。その音で京子は我に返った。憲兵たちが、ヘンリーの銃弾に怯えて身を伏せるのが見えた。銃声が途絶え、憲兵たちは立ち上がり一斉に銃の引き金を引いた。再び銃声が途絶え、瀬川が海に向かって飛び込んだ。続いて、ヘンリーも飛んだ。それを見届けて、京子は松林の方に走った。
 松林に飛び込んだ時、誰かが「ヘッドライトをつけろ!」と怒鳴る声がして背後が明るくなった。京子は振り返った。「中尉殿」と、誰かが叫んだ。車の前輪の横に倒れている中尉が見えた。あの中尉は、死んだのだ。父を廃人にし、ヘンリーを痛めつけた男。冷酷な憲兵だった男。二度と立ちあがることはない。断続的に銃声が響いた。暗い水面を憲兵たちが撃っていた。
「ふたりとも、無事でいて」と、京子は気が高ぶったまま祈り、走り続けた。

■1945年8月6日 01:20 相模湾
「合図がありました」
 陸に向かって双眼鏡を覗いていた副長のサイモンが言った後、五人乗りのボートに二人の部下が乗り込むと、合図があった同じ場所で強い光が灯った。夜空に向かって一筋の光が延びる。周辺の海面も明るくなった。
「何だ。あれは?」
「おそらく車のヘッドライトでしょう。サーチライトではなさそうです」
「何が起こったのか」
 ナーカ号艦長のフレデリック・フォードは、腕を組んだ。何かトラブルが発生したのは間違いない。その中へ、部下たちを向かわせるのか。危険はある。しかし、あの日系の男の顔が浮かんだ。ヨーロッパ戦線の英雄で、敵陣へたったひとりで潜入した男だ。見捨てるわけにはいかない。
「不測の事態が起こったようです。ボートは待機させますか?」と、サイモンが言う。
「いや、向かわせる。ひとり増やし、応戦専門の戦闘員を乗せろ」
 急な変更で人選に手間取ったが、戦闘経験豊富なマッケンジー軍曹が志願し、三人がボートに乗って合図のあった場所をめざした。目的地は、今は煌々とライトで浮かび上がっている。目標としては申し分ないが、そこは危険に充ちているように思えた。
 突然、ライトが消え、銃声が聞こえてきた。静かな暗い海では、遠くまで響く。ボートの三人も気づくだろう。拳銃と小銃の音が交錯している。間違いなく、銃撃戦が起こっているのだ。フォードは部下の身を案じ、あの日系人の死を覚悟した。

 目的地の岩場が五十メートルほどに迫った時、突然、ライトが消えたのをマッケンジー軍曹は不審に思い、軽機関銃を構えて警戒した。あれほどライトを点灯していたのだから、急に暗くなると光の届かない暗い水面上の五十メートルも離れたボートは識別できまいと思ったが、油断はできない。この距離だと拳銃で命中させるのは無理だが、すでに小銃の射程距離には入っている。
 続いて起こった銃声と、大きな水音。マッケンジーは漕ぎ手のふたりに待機を命じた。もう少し離れた方がいいと判断し、水音をたてず、ゆっくりと後退を命じた。百メートルほど離れたところで、再びライトが点灯した。銃声が響く。水面を撃っているらしい。車を岩場の突端までもってきてヘッドライトを点灯しているが、下に向けて水面を照らすことはできていない。
 数人の男たちが海岸線に立ち、銃を構えている姿がライトで浮きあがっていた。無防備だった。海側からの攻撃など想定していない。マッケンジーは軽機関銃を構えて、撃つまねをした。掃射すれば、男たちを簡単に撃ち殺せる。だが、マッケンジーは引き金から指を離した。
「軍曹、どうしますか?」と、漕ぎ手が訊いた。
「もう少し待機する」
 十分ほどが過ぎた時、もうひとりの漕ぎ手が言った。
「誰かが泳いできます。軍曹」
 暗い水面に、かすかな水音がした。敵かもしれない。マッケンジー軍曹は、軽機関銃を構えなおした。

« ●天皇への密使・第四章その9 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その11 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/67430813

この記事へのトラックバック一覧です: ●天皇への密使・第四章その10:

« ●天皇への密使・第四章その9 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その11 »

無料ブログはココログ
2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31