« ●天皇への密使・第四章その4 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その6 »

2018年11月12日 (月)

●天皇への密使・第四章その5

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その5

■1945年8月5日 12:30 茅ヶ崎
 京子が帰り着くと、祖母が奥の部屋から現れた。六十八になる祖母はまだまだ元気で、庭に畑を作り、毎日、世話をしている。少しでも食料を自給しなければ、配給だけでは暮らせなかった。昔は田畑もあったが、祖父が早くに亡くなり、息子の源三の学資を捻出するために手放してしまったのだ。その息子は帝大の教授にまでなったが、憲兵隊に廃人にされ、四十代で亡くなってしまった。
 祖母にとっては、京子がただひとりの孫である。その孫が、もう一年近く危険なことをやっていた。口には出さないが、死ぬほど心配しているのはわかる。だが、黙って京子を見守っているのは、京子の父母への思いがわかっているからだ。母を右翼に殺され、父も憲兵隊に殺されたのも同然だった。この国は、京子に不幸しかもたらせていない。
「大丈夫かい?」と、リュックを下ろす京子に祖母が言った。
「大丈夫よ」
「もう、終わったの?」
「まだ、今夜で終わるはず」
「大丈夫かい?」
「今、訊いたばかりよ」
「そうだねぇ----」
 祖母は黙り込んだ。京子は玄関をあがり、仏間に入った。仏壇の前に座り、父母の位牌を見つめる。父母が生きていたら----と夢想することは、今もある。しかし、今、父母が生きていたら、何て生きにくい世の中になっていることか。英国人の母を、近所の人々は白い目で見るはずだ。自由主義者の父も、こんな世の中には絶望したに違いない。
 ヘンリーの面影が浮かんだ。無事に逃げ延びただろうか。瀬川は救い出してくれただろうか。約束の場所にいくまで、それはわからない。京子が教えた秘密の場所。子供の頃、夏になると祖父母のこの家に遊びにきていた。近所の子供たちから「あいのこ」とのけ者にされた京子は、ひとりで遊んでばかりいた。
 小高い裏山に登り、木々や夏草におおわれた場所で、ある日、京子は絶好の隠れ場所を見つけた。狭い入り口を入ると、広がりのある洞窟だった。そこは京子のお気に入りの場所になった。今でも、ひとりになりたい時、そこにいくことがある。街道からそう遠くもなく、夜になるまで身を隠すには絶好の場所だと思った。その洞窟の詳しい地図を瀬川に渡してある。
 そこからなら夜になっても、海岸に出るまで十分ほどだった。ヘンリーが上陸した海岸まで、わずかな月明かりしかない暗い道を歩かなければならないが、京子が先頭に立てば迷うことはない。灯火管制が敷かれ、かすかな光でも遠くから発見される可能性があるから、懐中電灯はもちろん提灯さえ使えない。海岸に着けば、海に向かって合図の光を点滅させ、迎えのボートを待つだけだ。
「おまえ、この間の夜、あの人と何を話していたのだい?」
 不意に、背後から祖母に話しかけられた。
「話って----、それぞれの家族のこととか、いろいろよ」
「おまえ、両親のことを話したのかい」
 祖母は、意外そうな声を出した。京子は父と母のことは堅く口を閉ざし、誰にも話したことがない。それは、相手に心を許していないからだった。英国人の母、自由主義者の父、それを誇りに思うからこそ、今の時代に父母の話をしたくはなかった。ヘンリーに話せたのは、彼が米国人だったからだろうか。いや、違う。あの人には、心の底から気を許せたのだ。
「お父さんがお母さんと出会った時のことも話したわ」
 祖母がうなずいた。それだけで、祖母にはわかったのかもしれない。
「源三があなたのお母さんと英国で出会った時、あなたのお母さんは十九だった。四年後、源三が帰国する時に結婚した。もうすぐ、あなたも十九になるわね」
 祖母は、私とヘンリーの間に起きたことを知っているのだろうか、と京子は思った。父は母を見た瞬間、ひと目惚れだったという。母も同じように父に惹かれたのだ。その父母の血を、京子は受け継いでいた。

« ●天皇への密使・第四章その4 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その6 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/67372031

この記事へのトラックバック一覧です: ●天皇への密使・第四章その5:

« ●天皇への密使・第四章その4 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その6 »

無料ブログはココログ
2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31