« ●天皇への密使・第四章その2 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その4 »

2018年11月 5日 (月)

●天皇への密使・第四章その3

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その3

■1945年8月5日 10:30 ロング・アイランド
 陸軍長官ヘンリー・スティムソンは、久しぶりにロング・アイランドの自宅に戻っていた。ポツダム以来のハードなスケジュールは、七十七歳の身にはきつい日々だった。それに、心労も重なった。原子爆弾の投下は秒読みの段階に入ったというのに、日本はポツダム宣言を受諾する様子もない。このままでは、大量殺人兵器を使わざるを得なくなる。結果は、日本人の大量虐殺だ。
 東京の外務省とソ連大使のサトーの間には、未だにソ連を仲介とした和平案についての電文が往き来している。彼らの暗号は、開戦前から解読されており、日本の動きは筒抜けだった。あの日系二世は、エンペラーにグルーの親書を渡せたのだろうか、とスティムソンは思った。あるいは、命を落としたか。あの親書が渡り、原子爆弾の爆破実験のフィルムを見たうえで、天皇制には手をつけないと彼らが信じれば、今の日本はすぐに降伏するはずだった。
 その時、電話が鳴り、スティムソンは受話器をとりあげた。
「マーシャルだ」と、相手は言った。
 ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長。すぐれた頭脳の持ち主で、冷静な判断を下せる軍人だった。
「決まったかね?」と、スティムソンは訊いた。
「ああ、グローヴスから連絡があった。あいつは、どうしても日本に原子爆弾を落としたいらしい。パールハーバーやバターンの死の行進のことも口にした。復讐心に凝り固まっている」
 レスリー・グローヴス陸軍少将は、マンハッタン計画の実務上の責任者だ。原子爆弾の開発、製造、そして投下まで、グローヴスを司令塔として動いてきた。スティムソンは、報告を受けるだけである。
「いつに?」
「テニアン島を、六日の午前二時四十五分に飛び立つ予定だ。日本時間では、午前一時四十五分。日本までの飛行時間は六時間。六日の八時前には、日本の上空にいる」
「目標は?」
「小倉、長崎、広島、どこになるかは天候次第だ。京都は、入ってない」
 グローヴスは、強硬に京都への原爆投下を主張した。地形も理想的だと言い、スティムソンが「京都は外せ」といくら言っても聞かなかった。それを何とか抑えて、京都だけは目標から外した。あの美しい古都が消えるなど、耐えられない。それに、京都に原爆を落としたら、戦争が終わっても日本人は永遠にアメリカ合衆国を許さないだろう。千年の都だ。日本人の歴史を知っていれば、京都が特別の町であることは理解できる。
「二十時間後には、我々は、一瞬で大量殺人を行った最初の人間として歴史に残る」
 スティムソンの声は沈んでいた。
「私も、ずっと反対してきた。アイゼンハワーも、マッカーサーも賛成はしておらんよ」
 確かに軍人たちは、原子爆弾投下に反対していた。東京の下町を火の海にし一夜で数えきれない人々を殺した、あのブラッディ・ルメイでさえ「原子爆弾は必要ない。今のまま空襲を続ければ日本は降伏する」と言っている。
「これで、戦争は終わるだろう。しかし、人類は後悔することになる」と、スティムソンはつぶやいた。
「ヘンリー、少し休んだ方がいい」
「ああ、そうするよ」
 スティムソンは電話を切り、すぐに別の番号をまわした。グルー国務次官の自宅だった。さすがに、週末まで国務省には出ていまい。召使いが出て、すぐにグルーに代わった。
「スティムソンだ。テニアン島を離陸する時刻が決まった。今から、約十五時間後。日本時間の午前一時四十五分。二十一時間後、午前七時時四十五分には日本上空の予定だ。その時の天候で判断し、小倉、長崎、広島、三都市のどこかに原子爆弾が落ちる」
 スティムソンは一気に話した。
「止められないのですね」
 しばらく沈黙した後、グルーが言った。
「もう動き出した。日本の対応は遅すぎる。間に合わん」
「まだ十五時間あります。日本時間で五日中にポツダム宣言受諾の正式な返事があれば、ギリギリ止められるかもしれません」
「ポツダム宣言を受諾するにしても、日本は中立国のスウェーデンに仲介を依頼するだろう。時間がない。あの日系二世に望みは託せるか?」
「連絡が途絶えています。ワシントンのサノバビッチが、彼の潜入を日本側に漏らした」
 紳士で通っているグルーが、ダーティワーズを使う。サノバビッチが誰か、グルーにはわかっているのだ。スティムソンにも、誰なのか伝わった。
「親書が天皇に渡っていれば、何万人かは死なずにすむのです」
 グルーが絶望的な声を出した。

■1945年8月5日 11:00 大西洋
 戦艦オーガスタは大統領を乗せて、悠然と大西洋をヴァージニア州ニューポート・ニューズに向かって進んでいた。大西洋を半分過ぎたところだった。二日前、トルーマン大統領は同行していた船内の記者団を自室に招き入れ、初めて原子爆弾についての発表を行った。「近々、それは日本に対して使用されることになる」と、トルーマンは語った。
 記者たちは口々に、原子爆弾なるものについて質問をした。どれほどの威力があるのか、いつ完成したのか、日本のどこに投下されるのか、などである。トルーマンは「まだ機密であり、諸君がこの船に乗っている限り、原子爆弾の話を聞いても知らせられないから発表したのだ」と答え、「これで戦争は終わるだろう」とトルーマンは断言した。記者のひとりが手を挙げ、トルーマンは発言を許可した。
「大統領、確かに我々は通信を許可されておらず、下船するまで本社に連絡をすることもできません。ということは、この船が港に着くまでには、どこかで大量の日本人が死ぬことになるのですね」と、彼は言った。
「ジャップが死ぬことを、私は気にしない。これで戦争は終わるだろう。そのことによって、多くのアメリカ兵の命が失われずにすむのだ」
 トルーマンは記者の発言に含まれた皮肉なニュアンスに顔をしかめながら、原子爆弾使用の正当性を口にした。トルーマンが話し終わると、記者たちの大半が立ち上がり拍手をした。
 今、バーンズ国務長官を前にして、トルーマンはそのことを誇らしく思い出していた。しかし、心のどこかで大量殺人兵器である原子爆弾を初めて使用した大統領として、歴史に名が残ることにわだかまりがあった。ジャップが死ぬことは気にならなかったが、何万人という人間を一瞬で殺していいものかという疑念はぬぐえない。
 目の前のバーンズには、何の迷いもないように見えた。莫大な国費を投入して開発した新兵器を使うのは当たり前だったし、「スターリンは腰を抜かすぞ」と投下の成功を待ち望んでいた。今後、アメリカは向かうところ敵なしになる魔法の杖を手にしたのだ。そのバーンズとトルーマンは、今、ふたりだけで船室に籠もり、ポツダムでのソ連との交渉結果を検討していた。
「ジャップが手を挙げたら、今後はソ連が我々の警戒すべき相手になる」と、バーンズは言った。
「スターリンは、信用ならん。満州はもちろん、北海道も手に入れたがるだろう」
「大統領、日本をドイツにしてはならない」
「我々だけで占領する。そのためには、ソ連参戦前に日本を降伏させなければならん」
「だから、とっとと原子爆弾を落とせと言ったのだ。スティムソンの進言など考慮する必要はなかった。それだけ、投下が遅れてしまった。スティムソンの背後にはグルーがいる。グルーはジャップに甘すぎる」
 ふたりだけの時のバーンズの口の利き方が、トルーマンには気に障るようになっていた。政界に進出したとき、田舎出の自分を教え助けてくれたのは確かにバーンズだった。彼も同じように田舎出の上院議員だったからだ。だが、ルーズヴェルトが死んで跡を継いだ大統領とはいえ、バーンズの言葉には大統領に対する敬意が感じられなかった。いつまでも、後輩政治家としか見ていない。
「グルーの最後のあがきは失敗した。十数時間後には、ジャップ共の頭の上で神の光が輝く。アルマゲドンだよ」と、バーンズが言った。
「きみの情報源から、何か言ってきたのかね」
「グルーは、自宅に籠もっているそうだ。それに、日本が降伏したら、国務次官を退く決心をした。日本のポツダム宣言受諾と当時に、グルーから辞表が出る」
 トルーマンは、ハーヴァード出身のグルーとは肌が合わなかった。同じ時期にハーヴァードで学んでいたルーズヴェルトとグルーは、同じ階級として信頼しあっていたのだろう。日本に十年にわたって滞在し、あのヒロヒトとも信頼関係を築いたという。
 トルーマンがバーンズを国務長官に任命した時に、グルーは辞意を固め、進退伺いを出してきた。トルーマンが人事の変更はしないと宣言したのと、日本の降伏を見届けたかったから、今も国務次官のポジションにいるのだ。だが、今やグルーは、補佐官のジャック・シモンズにさえ背かれている。シモンズの情報で、バーンズにはグルーのことがすべて伝わっていた。
 トルーマンは、日本降伏後のソ連及び共産勢力の封じ込めをどうするかを熱心に説くバーンズを改めて見つめた。確かに、日本が降伏した後は、中国大陸では蒋介石の国民党軍と、毛沢東や周恩来が率いる共産軍との戦いが激化する可能性がある。ソ連は、中国共産軍を支援するだろう。それに、日本の植民地支配から解放される朝鮮や台湾がどうなるか。インドシナ半島の情勢も予断を許さない。
 一発の原子爆弾によって日本が無条件降伏することを、トルーマンは心の底から願っていた。

« ●天皇への密使・第四章その2 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その4 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/597837/67349291

この記事へのトラックバック一覧です: ●天皇への密使・第四章その3:

« ●天皇への密使・第四章その2 | トップページ | ●天皇への密使・第四章その4 »

無料ブログはココログ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30