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2018年11月19日 (月)

●天皇への密使・第四章その7

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その7

■1945年8月5日 17:00 大磯
「旦那様、門の前にお車が----」
 女中が息せき切って、吉田茂の書斎に飛び込んできた。
「車?」
「平河町のお屋敷に置いてあった、あのお車です」
「ロールスロイスか?」
「それが、門の前に----」
 吉田は、あわてて立ち上がった。廊下に出て、玄関を抜ける。庭を通り、表門へ向かう。なるほど、格子戸を越えて石段を下りたところに、あのロールスロイスが駐まっている。イギリスで購入し、日本まで運んできたものだ。ろくにガソリンが手に入らない今、動かすことはまったくなくなったが、戦争が終わればまた活躍することになるはずだ。
 吉田は石段を降り、車の周囲をまわった。誰かが点検し、ガソリンを入れ、ここまで乗ってきたのだ。それ以外には考えられない。あの日系二世の顔が浮かんだ。後部のドアに弾痕らしき穴が三カ所あいていた。吉田は顔をしかめた。いずれ、修理に出さねばならない。ドアを開けて、後部座席を見た。座席も床も、きれいに拭ってある。丁寧すぎるほどだ。
 まるで死体を運んだ跡じゃないか、と吉田は思った。この車がどんな状況をくぐってきたか、想像した。あの日系二世は、うまく憲兵隊司令部から逃亡できたのか。憲兵たちは、またやってくるだろう。吉田の関与をしつこく尋問するかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。「盗んだやつが、改心して戻しにきたんだろ」と煙に巻いてやる。わざわざ、この車をここまで届けにきたのは、あの男のメッセージに違いない。任務を完了したということなのだ。
「旦那様、お電話です」と、女中が呼びにきた。
「誰から?」
「首相です」
 吉田は、自分より十も年上なのに、難しい時期の内閣を引き受けた鈴木貫太郎の姿を浮かべた。この車がここにあるように、あの男が届けようとした親書も首相の手に渡ったのだろう。吉田は、急いで母屋に戻った。
「吉田です」と、受話器を取り上げた。
「鈴木です」と、落ち着いた声が聞こえた。
「何か、ありましたか?」
 期待しても裏切られることが多いのだから、期待するまいと思っていたのに、期待感が言葉にこもった。
「手紙は、届きました」
「というと----」
「今日、閣議の件を上奏いたしました」
 グルー大使の親書が陛下に届いたということだ。
「もうひとつのものは、まだです」
 とりあえず親書が届けば、陛下のご決断を大きく左右するはずだ、と吉田は思った。ソ連の参戦が確実な情報なら、陛下のご聖断によって陸軍も抑えられるだろう。もうひとつは新兵器の実験映像だというが、今すぐ見られなくても仕方あるまい。新兵器といっても、どれだけの威力があるものなのか。原子爆弾というものを、吉田は想像できなかった。海軍出身の鈴木首相には、何らかの知識があるようだったが。
「手紙が届けば----」
 盗聴に気をつけていたが、今までのところ、聞かれても大丈夫だろうと高を括った。しかし、「もうひとつのもの」と首相が言ったのは、まずかったかもしれない。
「そういうことです」
 首相は、電話を切った。これで、戦争を終わらせることはできるだろう、と期待しながら吉田は受話器を下ろした。

■1945年8月5日 19:30 東京・九段
「夕方、目立つ車が大磯の駅前を通り、吉田邸の方向へ向かいました」と、大磯駅前の旅館に駐留する部下から連絡が入った。大磯の吉田茂、樺山愛輔、原田熊雄などの動向を監視するために、その旅館を拠点にしていた。吉田の逮捕前には二十四時間の監視体制をとっていたが、吉田の釈放後は定期的にそれぞれの屋敷を見まわる程度だった。それが、一昨日から再びあわただしくなった。
「吉田邸の表門の前に駐車し、男がひとり降りました。国民服の男です。我々は離れて監視し、身を隠しておりました。男は徒歩で海岸の方に向かい、その後、海沿いに平塚方面から茅ヶ崎近辺に戻るので尾行しました」
「それで?」と、古沢中尉はいらだった声を出した。
「茅ヶ崎に入ったあたりで、男の姿が消えたのです」
「何! まかれたのか」
「いえ、尾行には気づかれていないと思います」
 電話の向こうの声が、小さくなった。身を縮めている様子が浮かぶ。古沢中尉は、その反応に満足した。
「気づかれていないのに、見失ったのか」
「そのあたりは、夏草がうっそうと茂った里山で、人の背より高い雑草が生えているのです」
「言い訳をするな!」
「そのあたりのどこかに身を潜めていると思われますので、全員で半径五百メートルほどの地域を包囲する形をとり、見張っております」
「確実にその中にいるのか? 何人で包囲している?」
「そのあたりから抜け出たとは思われません。ただ人数が五人なので、包囲していると言っても抜け道は----」
「そのまま包囲して見張っていろ。ただし、私が着くまで絶対に手を出すな。見つけたら、気づかれぬように跡を尾けろ」
 古沢中尉は、窓の外を見た。夏とは言っても、さすがにもう薄暗くなっていた。茅ヶ崎までは時間がかかる。夜陰にまぎれて動き出すつもりだろうが、その前に捕まえたい。古沢中尉は、富田曹長を呼んだ。
「すぐ、出動する。部下は三名、おまえが選んで車を手配しろ」
 富田曹長が、了解の意味を示す敬礼をした。
「ところで、神山大佐の遺体、どうしますか?」
「今は?」
「取調室に仮に安置していますが」
「この件が片づいてから考える」
「この暑さです。処理は早い方が----」
「それでは、棺桶の準備と遺族への連絡、その他、誰かに処理させろ」
「報告は?」
「もう上には報告した。取り調べ中に人質になり、逃亡を図った犯人に射殺されたとな」
「それでは、軍人としては恥になります」
「逃亡されたのは我々の失敗だが、責任は死んだ大佐にとってもらう。死んだ人間に、恥も誉れもない」
「死人に口なし、ですな」と、富田曹長は皮肉な口調で言った。
 上官に敬意を払わない、その態度が古沢中尉を苛立たせる。そのうち、そんな態度がとれないようにしてやるぞ、と古沢中尉は思った。

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