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2018年11月26日 (月)

●天皇への密使・第四章その9

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。なお、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」は、アマゾンで予約受付が始まりました。

●天皇への密使・第四章その9

■1945年8月6日 00:15 茅ヶ崎
 迂回し洞窟の上に出るまで、やはり三十分ほどが必要だった。音を立てないように進むのに、時間がかかったからだ。時間が過ぎていくことに焦りがあったが、ここで見つかっては元も子もない。京子がようやく洞窟の上に出て静かに降りようとした時、洞窟から人影が出てくるのがわかった。五メートルほど下に、瀬川とヘンリーがいた。
 そのまま進むと、包囲している憲兵たちの方に向かうことになる。声を挙げれば、憲兵たちに気づかれる。京子は迷った。その時、地面についていた手に石が当たった。その拳大の石をつかんだ。その石を、ふたりが進むであろう方向の反対側に向かって、できるだけ遠くに投げた。石が夏草の中に落ち、ガサガサと音を立て、ドサッと音がした。静かだっただけに、遠くまで響いた。瀬川とヘンリーの動きが止まった。
 上から見ると夏草の動きで、音がした方へ向かって何人かが動いているのがわかった。暗さに慣れた目には、かすかな月明かりでも確認できたのだ。元々、京子は夜目が効く方だった。しかし、そのかすかな夏草の動きは、同じ草原の中にいる瀬川とヘンリーにわかるだろうか。

 ドサリと音がした瞬間、ヘンリーは振り返った。瀬川もビクッとして腰を屈め、音がした方へ顔を向けた。ふたりは顔を見合わせた。そのまま夏草の中に身を隠して、しばらく様子をうかがう。じっとしていると、何かが伝わってきた。誰かがいる。音のした方に向かっている。
「誰か、いる」と、ヘンリーは瀬川に囁いた。
 瀬川はうなずき、いくぞ、と言うように親指を立てた右手を振った。誰がいるにせよ、目的の場所に向かうしかない。音をたてないゆっくりした動きで、ふたりは進み始めた。これでは時間がかかるな、とヘンリーは苦笑いした。自分の身は、もうどうなってもいい気がした。兄に会えたのに、何の話もしないまま兄は死んでしまった。父と母に再会できたとしても、兄の死を伝えなければならない。死を告げる使者だ。
 そんな役はやりたくない。ただ、自分も死んで、ふたりの死を知った時の両親のことを思うと、せめて自分だけは生還しなければならないと思う。自分を愛してくれる者のために生きる。それは、ひとつの生きる理由だ。だとしたら、京子もヘンリーが生き延びることを望むだろう。ヘンリーも、京子が無事であることを知るまでは死ねないと思った。もう一度、彼女の笑顔を見たかった。

 瀬川とヘンリーは、あの岩場に向かって草を揺らさないようにして動いている。夏草を踏む音が響かないようにしているので、ひどく時間がかかっている。上から見ていた京子にはその動きが判別できたが、遠く離れると暗くて見えなくなった。少なくとも、彼らの跡を憲兵が追っている様子はない。
 だが、先ほど京子が石を投げたあたりに、人が集まっているようだった。そこから何人かが分かれて、周囲を探っている様子だ。やがて、洞窟の入り口の前に、ひとりの男が現れた。先ほど見かけた憲兵かどうかは、暗くてわからない。一体、何人いるのだろう。男は、洞窟には気づかないようだったが、その場所に屈み込み何かを確認していた。もうひとりの憲兵がやってきた。
「どうした」と、小声で屈んだ男に訊いた。
「踏み跡だ。誰かがこっちの方向へ進んでいる。みんなを集めろ」
 ひとりが去り、男は周囲を見渡した。夏草をかき分ける。その時、洞窟の入り口に気づいた。警戒しながら、狭い入り口から中を覗く。ポケットから何かを取り出した。シュッと音がして、炎があがる。マッチをすったのだ。火を洞窟の中に投げ入れる。
「どうした、井川。光が見えたぞ」と、夏草の中から男が姿を現した。
「ここに隠れていたんだ」と、井川と呼ばれた男が洞窟を指さす。
 男たちが集まった。五人いた。
「できたばかりの踏み跡が、こっちに続いている。早く追わないと、夏草は強くてすぐに元にもどるから踏み跡がわからなくなる。三人で追ってくれ。要所に目印をつけておけ。小杉は残れ」
 三人の男たちが、夏草の中を追い始めた。
「この状況を知らせに戻れ。そろそろ古沢中尉が到着しているはずだ。ここへ連れてこい。それから、目印を見つけて、三人の跡を追え。目的地は、おそらく海岸だろう。俺は、車で先まわりして海岸に出てみる」
 井川と呼ばれた男が、小杉に命じた。小杉が去ると、井川はもう一度、周囲を見渡した。井川が見上げたとき、京子はあわてて頭を引っ込めた。京子は、あの岩場まで先まわりしなければ----、と気が急いた。しかし、瀬川とヘンリーより先に着けるだろうか。

■1945年8月6日 00:45 茅ヶ崎
 かなり時間がかかったが、瀬川とヘンリーは海岸に出た。海は暗く、沖には何も見えなかった。本当に迎えはきているのか。
「時間がない。すぐに合図を」
 瀬川が懐中電灯をヘンリーに差し出した。ヘンリーは受け取り、岩場の突端に立ち、沖に向かって照射し、大きく回転させた。それを三度、繰り返す。沖に向けてはいるが、近くに誰かいれば気づくだろう。どこにも光はなく、どんな小さな光でも目立ってしまう。追ってくるやつらがいれば、自分たちの場所を知らせたことになる。ヘンリーは、暗い夜の海を見つめながら拳銃を取り出した。
「追ってきているのは、おそらく憲兵隊だ。彼らが現れるのが先か、迎えがくるのが先か」
 ヘンリーは、他人事のように言った。
「彼らが現れたら、飛び込むしかないですね」
「きみは、もういってくれ」
「わかりました。ご無事で」
 瀬川がそう言って立ち去ろうとした時、エンジン音がして車が近づいてきた。ヘッドライトが照射された。強烈な光がふたりを照らし出す。五メートルほど離れた場所で停止し、ドアが開いた。
「手を挙げろ。おまえらを包囲したぞ」
 車から降りた男が叫んだ。ヘッドライトの光で、ヘンリーは目がくらんだ。何人いるのか、まったくわからない。自分だけだったらヘッドライトを撃ち、海に飛び込んだだろう。しかし、瀬川がいた。瀬川を見ると、呆然と立ちすくんでいる。兵士を殺した時と同じだ。実戦には向かない根っからのインテリである。ヘンリーは拳銃を持ったまま手を挙げた。
「拳銃を捨てろ」
 シルエットの男が怒鳴った。ヘンリーは瀬川を見てから、拳銃を足下に落とした。瀬川が、うなずいたように見えた。
「拳銃をこちらに蹴れ」
 ヘンリーは言われた通りにした。拳銃は男のところまで届かず、車の前一メートル程のところで止まった。男が車の前に出てきた。光に目が慣れる。男はひとりだった。拳銃を拾うときに、チャンスがあるかもしれない。ヘンリーは身構えた。
「井川、でかしたぞ」と、声がした。
 ヘンリーと瀬川がやってきた方向から、あの男が現れた。古沢中尉。その後ろにいるのは、富田曹長だった。そのふたりには借りを返したい、とヘンリーは思った。自分を拷問し、兄を射殺した。
「また、会ったな」と、古沢中尉が車の前に出てきた。
 ヘッドライトを背にして、十人の憲兵たちがヘンリーと瀬川を取り囲んだ。五人が私服で、五人が制服だった。八人は銃を構えて半円形になり、ヘンリーと瀬川を包囲している。古沢中尉が前に出て、富田曹長は中尉の少し後ろに立った。ヘンリーと瀬川の後ろは岩場になっている。
 瀬川が怯えたように、ヘンリーにすり寄ってきた。瀬川の右の足がヘンリーの足に密着する。ヘンリーの太股に、瀬川のズボンの右のポケットに入っている拳銃が触れた。手を挙げたまま、ふたりは並んで密着するような形になった。古沢が近寄ってきた。
「仲のいいことだな。おまえたち、そういう仲か」
「おまえと、その腰巾着はどうなんだ?」
 ヘンリーは、顎で富田曹長を示した。そのまま、車のフロントガラスに目をやった。何かが車の中で動いたような気がした。
「ここで、迎えを待つのか?」
「おまえたちが派手にライトを点けたから、もう迎えはこないだろうよ」
「見捨てられたわけだな。おまえは、またあの部屋に舞い戻ることになる。今度は、死ぬ思いをするぜ」
 古沢中尉がそう言った時、ヘッドライトが消えた。ヘンリーは瀬川に覆いかぶさるようにして、ふたりで身を伏せた。右手を瀬川の右ポケットに入れ、拳銃を取り出し、目の前に向かって引き金を引く。古沢中尉の叫び声が聞こえた。
 瀬川の体をつかみ体を回転させ、元の位置から数メートル横に移動させ、ヘンリーも横に並んだ。ヘッドライトに照らされ続けて瞳孔が開いているので、周囲は真っ暗闇で何も見えない。憲兵たちも同じはずだ。ヘンリーは見えないまま身を伏せ、立て続けに引き金を引いた。どこからくるかわからない銃弾は、恐怖を呼ぶ。憲兵たちも身を伏せているのだろう。ヘンリーは、「飛び込め!」と瀬川に囁いた。
 ヘンリーの銃声が途絶えると、憲兵たちが立ちあがる気配がして一斉に反撃してきた。先ほどいた場所に、銃弾が撃ち込まれた。あのままいたら、蜂の巣になっていたところだ。憲兵たちの銃声が途絶えた瞬間、瀬川が立ち上がり飛び込む気配がした。ヘンリーも身を起こし上陸した時の記憶を甦らせ、海面と思える方向に向けて勢いよく身を躍らせた。暗闇へのジャンプは、地獄の底へ向かうようだった。

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