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2018年11月 8日 (木)

●天皇への密使・第四章その4

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。

●天皇への密使・第四章その4

■1945年8月5日 11:00 横浜・日吉
 軍令部の草野少佐の元に憲兵隊から連絡が入ったのは、一時間ほど前のことだった。菅野少尉が米国スパイの容疑者を連れ出したという。その際、神山大佐を人質にとり、車に乗り込む寸前に射殺し逃亡した、と憲兵隊の古沢という中尉が言った。草野をとがめる口調だった。
「まさか、我々が引き渡しに応じなければ拉致せよ、という命令だったんじゃないですよね。少佐」と、古沢中尉は言った。
「そこまで、強引じゃない」と、草野少佐は冷静に答えた。
「少佐、驚きませんね。菅野少尉の行動を予想していたのですか」
「まさか」
「そちらにうかがって、菅野少尉についてお訊きしたい」
「わかった」
 草野は電話を切った。古沢中尉が言ったように、菅野少尉の行動を予想していたのだろうか、と草野少佐は己に問いかけた。確かに、驚きはなかった。菅野兵介と名乗る男が憲兵隊に拉致されたことを知った時の菅野少尉の様子を見て、何かを予想していたのは確かだ。だが、菅野少尉がそこまで思い切ったことをするとは思っていなかった。
 この二年間、菅野少尉は米国の情報を綿密に分析し、正確な情勢判断をしてきた。優秀な分析官だった。それは間違いない。草野少佐は、全幅の信頼を置いていた。だが、すべてを打ち壊す今回の行動は、菅野兵介という男とよほど深い関係があったということだろう。もしかしたら、菅野少尉の肉親なのだろうか。
 あり得ることだった。あの電文と遺棄されたボート、上陸の痕跡、吉田邸近くの事件、憲兵隊の動きと情報を合わせると、日系二世を日本人に偽装させて上陸させたと推察できた。だとすれば、菅野少尉の肉親、もしかしたら兄弟だったのかもしれない。弟が憲兵隊に捕まり、拷問されていると知ったら、俺だって同じことをするかもしれない、と草野は思った。
 しかし、菅野少尉の肉親が我が国へ潜入したのだとしても、それは偶然だったのだろうか。菅野少尉が我が国に送還され、軍令部に配属されていることを、米国側では知っていたのだろうか。交換船の中でも上陸直後も、菅野少尉の取り調べは厳重に行われたはずだ。そのうえで彼の軍隊への志願は認められ、歓迎された。その英語力は軍令部でも大いに期待されたものだ。彼の態度にも、何の不審もなかった----。
「憲兵隊の古沢中尉がお見えです」
 机の前で直立した兵士の声で、もの思いに耽っていた草野少佐は我に返った。電話を終えてから、けっこうな時間が経っていた。そんなに長く考えていたのに、結局、草野少佐の中では何の結論も出なかった。
「空いてる部屋に通しておけ」と答え、草野少佐は立ち上がった。
 古沢中尉をひと目見た途端、草野少佐は嫌悪感を抱いた。典型的な権威をふりかざす軍人だった。憲兵になるために生まれてきた男だ。力を信奉し、その力の前に自分以外の人間がひれ伏すのを望み、彼らの反応を見てますます増長する男。肩を怒らせ、胸を張っている古沢中尉を見て、草野少佐はそう感じた。
「草野だ」と、ことさら上官を意識させる口調で言った。
「憲兵隊の古沢中尉です」
「それで?」
「それで、とは?」
「何を知りたい?」
「菅野少尉がスパイ容疑の男を拉致した理由です」
「わからん」
「わからん? あなたの部下ではないのですか」
「部下だよ」
「軍令部はいっさい関係ないと?」
「そうだな。引き渡しは頼んだが、大佐を射殺してまで男を拉致せよとは言っていない」
「容疑者が米国に関する重要な情報を持っていると、軍令部が確信した理由は何ですか?」
「菅野少尉が話したと思うが」
「傍受した電文と、漂っていたボートですか」
「そうだ」
「米国スパイが上陸し、吉田茂と接触した」
「おそらく----。吉田は、そちらで監視していたのだろう」
「吉田の動きは逐一、把握しています」
「それで」
「機密事項です」
「そうか。こちらも、菅野少尉が話したこと以外は機密だ。情報を漏らしすぎたと思っとるくらいだ」
「菅野少尉は、日系二世だそうですね」
「反米的な適性国民として強制送還された」
「それを信じたのですか」
「日米交換船から降りる前に、何度も厳しい査問を受け、上陸直後にも徹底的に調査された人物だ」
「巧妙に偽装していたのでは?」
「その可能性は、誰にでもある」
「あなたにも?」
「そうだな」
 草野少佐は、苦笑いした。英国で日本大使館に勤務していた頃、英国人から接触され、スパイになれと誘われたら自分は引き受けただろうか。国を思う気持ちは人一倍あると確信している。軍人になったのは、学校の成績はよかったが、貧しい育ちだったからだ。官費で学べる学校しか選択できなかった。もちろん、国に命を捧げるつもりで軍人になった。だからといって、愚かな戦争を認めるわけではない。
「きみにも、可能性はあるぞ」
「バカな----」
「菅野少尉が米国のスパイだとしたら、今朝のような派手なことはしないだろう。スパイは目立たず、あくまで正体を現すことをしないものだ」
「あの捕らえた男が重要な任務を負っていて、それを救出するためには己の正体がバレるのも辞さなかったのでは?」
「さっきから、きみは仮定の話ばかりしている」
「仮説を立て、証明するのが私の仕事です」
「勝手な仮説を立て、後は拷問で自白させる。証拠など関係ない。それが、きみたちのやり方じゃないのか」
「お言葉ですが、すべてお国のためです」
「そう言えば、すべてのことが許されると思っているのか」
「あなたのような人が、軍人とは思えない」
「いろんな軍人がいていいはずだ」
「そうとは思えません。あなたは軍人である前に非国民だ」
 草野少佐は笑った。この男とは、どこまでいっても平行線だ。絶対に交わることはない。
「帰りたまえ。きみに話すことはない」
 草野少佐は、古沢中尉に背中を向けて部屋を出た。
「少佐、後悔しますよ」と、古沢中尉の声が聞こえた。

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