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2018年12月 3日 (月)

●天皇への密使・第四章その11

現在、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」出版準備中で「映画と夜と音楽と----」は休載し、冒険小説「天皇への密使」を連載中です。実在の人物が多く登場しますが、すべてフィクションです。なお、六巻目の「映画がなければ生きていけない2016-2018」は、アマゾンで予約受付が始まりました。

●天皇への密使・第四章その11

■1945年8月6日 1:45 テニアン島
 テニアン島では、現地時間の午前二時四十五分になろうとしていた。一時間前、三機の気象観測班のB29が日本の小倉、長崎、広島の上空に向けて飛び立った。リトルボーイと名付けられた原子爆弾を積んだエノラ・ゲイが四国の海岸線に到着する頃、それぞれの都市の気象条件を報告するためだ。まだ、どこを目標にするかは決まっていない。
 リトルボーイとニックネームをつけられたのは、その爆弾が巨大で、けた違いに重かったからである。そのため、機長の母親の名前である「エノラ・ゲイ」と機体に描かれたB29は、今回の任務には不要と思われる様々な装置を外し、超過した重量を吸収しなければならなかった。ギリギリの重量のため、滑走路もめいっぱい使って離陸する必要があった。そして、日本時間の午前一時四十五分、予定通りエノラ・ゲイは離陸した。
 日本までは、往復十二時間。日本時間の午前八時前後には、小倉か、長崎か、広島の上空に到達するはずだった。

■1945年8月13日 08:30 東京・皇居
 阿南惟幾陸軍大臣は、九時からの最高戦争指導会議の前に、天皇への謁見を願い出た。上奏の内容は別件であったが、天皇に直接、ポツダム宣言受諾の聖断を翻すことを勧めるためだった。国体の維持を条件にポツダム宣言を受諾することを連合国に示したにもかかわらず、連合国側は明確な返答をせず、「天皇は連合軍最高司令官に隷属する」ともとれる回答をよこしただけであった。
 英文で「subject to」となっている部分を大本営は「隷属する」と訳し、外務省は「制限の下におかる」と訳したが、どちらにせよ日本が降伏すれば連合国司令官の下に占領され、天皇もその下に位置することになる。これでは天皇制の維持は危ぶまれる。いくら原子爆弾が広島に続き長崎に落とされたといっても、国体が維持できないのでは日本国が存続する意味はない。
 そして、今、阿南陸相は、天皇に向かって熱心に「国体の維持が保証されないままポツダム宣言を受諾することは、おやめあそばすように」と、繰り返し口にしていた。阿南は、鈴木貫太郎が侍従長を勤めた時期、侍従武官として天皇の側近くに仕えた。天皇は、無骨な阿南を愛した。その阿南の度重なる進言を、天皇は止めた。
「阿南よ、もうよい。心配してくれるのはうれしいが、もう心配しなくともよい。朕には確証がある」と、天皇は言った。
 確証? 確証とは何だ。天皇制が維持され、国体は護持されるということか。阿南は、一瞬、理解ができなかった。しかし、天皇はにこやかな顔で、じっと阿南を見つめていた。メガネの奥の目が穏やかな光を放っている。ポツダム宣言受諾を決め、戦争が終わることが見えた今、穏やかで落ち着いた心になっていらっしゃるのであろう、と阿南は推察した。陛下は間違いなく、国体が護持されることの確証をお持ちなのだ。
 これ以上、自分が申し上げることはない。やるべきことはやった、これで腹が切れる、と阿南は思った。

■1945年9月15日 10:00 茅ヶ崎
 天皇の玉音放送から、ひと月が過ぎた。十日ほど前には、米国の戦艦ミズーリ号の船上で、降伏文書の調印が行われたと新聞に出ていた。連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ったのは、それより以前の八月三十日だった。飛行機のタラップを降りるマッカーサーの写真は、日本人の誰もが目にしている。
 ひと月の間に世の中は大きく変わったが、京子と祖母の暮らしに大した変化はない。人々は焼け跡にできた闇市で何とか食料を手に入れ、飢えをしのいでいる。闇米を求めて、このあたりの農家にも都会の人たちがやってくる。都会の駅には、戦災孤児たちがたむろしている。復員兵の姿も目につき始めた。
 京子は女学校に戻ったが、教師たちの言うことがガラリと変わってしまった。敗戦からたったひと月なのに、掌を返したような大人たちが信用できなかった。元々、この国を憎んでいた京子だったが、この国の人間たちに改めて絶望したのだった。彼らが戦争中に言っていたことは、一体何だったのか。
 京子は、庭に作った畑の手入れをしていた。今は体を動かしている時だけが、心の安定を得られた。灯火管制がなくなり、明かりが漏れるのを気にせずにいられる夜はありがたかったが、ふっとヘンリーと瀬川の最後に見た姿が浮かぶと心が騒ぎ、眠れない夜になってしまう。それに、あの洞窟で京子はヘンリーの兄らしき男の遺体を見つけた。秘かに弔ったが、その死の記憶が強烈に残った。また、あの憎むべき憲兵隊中尉の死も京子を眠りから遠ざけた。ヘンリーに撃たれ、よろよろと車の方にやってきた中尉の顔が眠ろうとすると浮かんできた。
「あいつは、死んで当然だった」と、畑仕事をしていた京子の口から無意識に言葉が出た。
 その時、門の前にジープが停まった。最近は、このあたりにも米軍のGIが現れる。子供たちは「ギブミー・チョコレート」などと早くも覚えた英語を叫んで、GIのジープを追いかけている。現金なものだが、甘いチョコレートなど、このあたりの農家の子供は口にしたことさえなかっただろう。大人たちの変節に比べれば、かわいいものだ。
 門をくぐって入ってきた人物を見て、京子は立ち上がった。日除けもかねて姉さんかぶりにしていた手ぬぐいをとり、額の汗を拭いた。戸惑いが顔に出る。いや、恥じらいだった。
「ヘンリー」と、京子は口にした。
「帰ってきたよ、京子」
 米軍の制服を着たヘンリーは、帽子をとり笑っていた。左手には白い手袋をしている。失った三本の指のところには何か詰めているのか、五本そろっているように見えた。
「通訳として、日本に派遣されたんだ。勤務は、横浜だ。頻繁に会える」
「よかったわ」と京子は言ったが、声は沈んでいた。
「喜んでくれないのかい。あの後、きみが憲兵隊に捕らえられたんじゃないかと心配でたまらなかった」
「姿を見られないうちに逃げたわ」
「そうか。よかった。ところで、あの憲兵隊の中尉はどうなったか、知ってるかい」
「彼は----、死んだわ」
 京子は、声の調子が変わらないように答えた。ヘンリーは複雑な表情をする。
「俺は戦争で、いっぱい人を殺した。殺したくはなかったが、相手は人ではなく、敵というものなのだと言い聞かせてきた。確かに、怒りを込めて引き金を引いたことはある。しかし、憎しみと殺意を込めて引き金を引いた相手は、あの男だけだった。もっとも、何も見えていないところへ撃ち込んだだけだが----」
 あの夜のことが甦った。京子は両手でヘンリーの手をとった。
「あなたを拷問し、お兄さんを殺した男」
 そして、私の父も----と京子は言いかけたが、言葉は出なかった。
「さっき洞窟にいってみたんだが----」
「洞窟であなたのお兄さんの遺体を見つけて、火葬にしたの。遺骨は、仏壇に置いてあるわ」
「そうか。ありがとう」
 そう言うと、ヘンリーは沈黙した。兄のことを思い出しているのだろう。だが、ヘンリーは、京子が真っ先に訊きたかったことを口にしない。
「瀬川さんは?」
 ヘンリーの顔が曇り、京子は理解した。
「どこで?」
「あの夜、彼は飛び込んだ時、岩に右膝をぶつけて骨が砕けた。さらに、やつらの撃った弾丸が背中を貫いた。俺は浮いていた彼の脇の下に腕をまわして、泳ぎ続けた。彼は『もう離してくれ』と言ったが、俺は泳ぎ続け、迎えにきたボートと運よく遭遇した。ボートに引き上げた時、彼はもう死んでいた。翌日、硫黄島への途中で水葬にした。アメリカと日本の途中の海で、彼は眠っている」
 京子は、初めて会った時の瀬川を思い出そうとした。いつも丁寧な口調で京子に話した。
「俺は、瀬川との約束を守るためにやってきた」
 ヘンリーが決意したように言った。
「どんな約束?」
「彼は、最後に言ったのだ。『彼女を守ってくれ』と----。彼が、きみを愛していたのは知っていたのだろう」
「わかっていたわ----。瀬川さんの遺言だから、私を守るためにやってきたの?」
「もちろん、彼に言われなくてもそうするつもりだった」
 京子の胸に、ようやく静かに波紋が広がるように喜びが湧き起ってきた。

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